除夜の鐘


「ほう! これはたいへんな人出だな!」
「うむ、新年を迎えるときはおよそどこの国でも賑やかなものだが、ここ日本もその例外ではないようだ。 寺社の多い京都で
 は、一晩中寺社めぐりをして歩くこともあると聞く。」

京の街なかに位置する老舗旅館柊屋。
その中庭を臨む結構な部屋で、カミュと差し向かいの素晴らしい夕食を摂っているときに宿の女将に 『 初詣で 』 を勧められた俺たちは、連れ立って京都の街へ出ることにした。
俺としては、ふっくらしたふとんの中でそれなりに過ごし、新たな年をカミュとともにしみじみと迎えたかったのだが、異国での年越しの情緒を味わいたいとのカミュの希望を受け入れないのも無粋というものだろう。 俺としてはやや不本意だったが、お楽しみは宿に帰ってからだ、と思い直して暖かい格好で外に出たのだ。

「ふうん、なんだか街中が人であふれてるぜ! おっ! ここもまたすごい混雑じゃないか!」
「ここは知恩院だ。 ここの三門は高さ24mで日本一の高さを誇る。 先日行った南禅寺の三門よりも2m高い。13世紀の創
 建だが、現在の建物はほとんどが江戸期になってからのもので、大小106棟を有する。」
参詣の人波は途切れることがなく、日本人の善男善女に混じって急な男坂の石段を登ってゆくと、やがて目の前に大きな鐘が吊るされているのが見えてきた。
「おい、すごい大きさだな! 日本の寺の鐘は、こんなに地面に近いところにあるのか?」
「日本の寺院建築は、欧米の教会とは異なり、高い塔がない。 それに木造建築なので、重量のある鐘を高い位置につるす
 のは技術的に問題があるのだろう。」

大勢の人に押されるようにして鐘楼の前に辿りつくと、すでに300人ほどがぎっしりと回りを埋めている。
「なかなかの盛況だが、これからなにか始まるのか? あそこにずいぶんたくさんの坊さんがいるが。」
「宿で聞いたところによると、日本の寺では大晦日の夜に 『 除夜の鐘 』 というものを撞 ( つ ) く。 『 除夜 』 というのは
  『 旧年の夜を払う 』 ということで、人間の108の煩悩を除くために鐘を撞き、心身ともに清浄になるのだそうだ。」

   お前に限っては、鐘の音なんか聞かなくても、心身ともに隅から隅まで清浄だぜ♪
   毎晩接しているこの俺が保証する!

「ふうん………煩悩って108もあるのか?たしか、シャカの数珠の玉の数も108じゃなかったか?」
「うむ、煩悩の数え方には諸説あるが、次のような数え方が一般的だ。
 人間の持つ6つの感覚器官、眼耳鼻舌身意がそれぞれ対象を捉えるとき、好き、嫌い、どちらでもない、の3通りが生じ、
 また、快楽、不快、どちらでもない、の3通りもある。 ここまでで、6×3+6×3=36になる。 これに、過去、現在、未来の
 3通りがあるので、総計108となるのだ。 シャカの持つ数珠の玉数もこれに準じているということになろう。」
「ふうん、たいへんなものだな!」

   そうすると、俺の煩悩はカミュに関してのものばかりだから………♪
     眼……比類なき美しさを、昼となく夜となくたっぷりと鑑賞する
     耳……心をとろかすような声に酔いしれる! 昼も夜もどっちも最高だな♪
     鼻……艶やかな髪の匂いをかぐときの満足感はなんとも言えん!
     舌……これはなんといってもキスに代表されるな! むろん唇だけではないが♪
     身……しなやかで、滑らかで、からみつくようで、吸い付くようで………う〜ん、どきどきしてきたな♪
     意……意思のことだろうから、カミュを抱きたい!と思うことだ♪
   この6つは 「好き」 に決まってるし、むろん 「快楽」 に分類される。
   それぞれ、過去と現在と未来があるので、おれの煩悩の数は、(6+6)×3=36 ということか!
   おおっ! とすると俺のラッキーナンバー 「 36 」 と合致するな♪
   なかなかいいじゃないか!

俺がそんなことを考えて悦に入っていると、10時半を過ぎた頃に、坊さんたちが鐘撞きを始めるらしく見物人が一斉にカメラを構え始めた。
一人の坊さんが恐ろしく太い鐘撞き棒、これはあとで撞木 (しゅもく) という名だとわかったが、それの先に結び付けてある綱を握って足を突っ張り、頭を鐘の方に向けたまま仰向けにぶら下がるような体勢になって鐘を撞くのには驚いた。 鐘があまりにも大きいので撞木も太く、一人ではとうてい無理なのだろう、16人の坊さんが撞木の後ろ端に結びつけた綱を一人一本持って、呼吸を合わせて鐘を撞くというやり方なのだ。
「こいつはすごいな! それになんて大きな音だ!!こっちの横隔膜まで震えるようだな!」
「この鐘は1636年に鋳造され、直径2.8m、高さ3.3m、重さは約70トンある。奈良の東大寺、京都の方広寺と並び日本三大梵鐘の一つとされている。」

   1636年だって??
   ほぅ………1636といえば、自分で言うのもなんだが 「色ミロ 」 と読み替えられるではないか!
   ふっふっふっ、これだからカミュといると楽しいんだよ♪
   カミュはいつだって真面目に説明してくれるが、俺から見るとやたら色っぽい話になるんだな、これが!

「なにを笑っている? お前もこの鐘の音を聞いて、今年の煩悩を洗い流すことだな。」
「え?……ああ、そうするよ♪」
どうせ、新年になって宿に帰ったら、すぐに新しい煩悩が芽生えるんだがな、と思った俺は、ふとカミュに聞いてみる気になった。
「お前は、洗い流す煩悩はないのか? シャカではあるまいし、普通の人間ならなにかあるだろう。」
「え…?」
急に押し黙ったカミュがうつむいた。 少し離れたところで赤々と燃えている篝火に照らされた頬にさらに紅さが加わっている。 なにげなく言ったのだが、どうやら妙にヒットしたようだ。
「私は………」
二つ目の鐘が響き、見物客のどよめきがあがる。 紅い唇が動いたようだが、その音に紛れて俺には届かない。
人込みを幸い、耳元に口寄せてそっとささやいてみる。
「もしかして………煩悩の数……お前も36あるんじゃないのか…?」
「え………」
眼を見開いたカミュが息を呑んだ。
「いいんだよ……無理に言わなくても……一緒に煩悩を流して、また新しく恩恵にあずかろうじゃないか……♪」
人が多いので誰に見られることもない。 そっと手を握ってやると、一瞬は手を引きそうになったが少しためらったあとは手を預けたままでひそやかな吐息が漏らされ、俺を満足させる。

幾つか鐘を聞いた後、こんどは緩やかな女坂から降りてゆく。 ひっきりなしに続く人波が二つの坂を埋め、下の道にはさっきより一層多くの人が行き来しているのだ。
知恩院の鐘の音にかぶさるようにして、市中のあちこちから遠く近く除夜の鐘が響いてくる。
「もうすぐ新年だな。」
「ああ、たまには聖域を離れてみるのもよいかもしれぬ。」
「こんなに人が多いのに、俺たちは誰にも知られていない。 聖域よりは気楽だよ。 あそこでは宮から一歩出れば、黄金聖闘士という看板を背負って歩いているようなものだから目立つことこの上ない。 普通の人間の気分も悪くないぜ♪」
「うむ、暮れの京都は特に外人客が多い。 私たちもさらに目立たないように思われる。」
「じゃあ、次の寺で新年を迎えたら、宿に帰ってゆっくりするとしようぜ♪」
「いや、私はこの機会に足を伸ばして延暦寺に行ってみたいと思う。」
「え? それはいったいどこにあるんだ?」
「京都の東にある比叡山の山頂だ。 西暦788年に最澄という僧によって建立され、その根本中堂 ( こんぽんちゅうどう )
 の内陣の灯は創建以来1200年もの間、一度も絶やすことなく守り継がれている。 素晴らしいとは思わないか? 私は
 ぜひ一度見てみたい。」
「山の上って………ずいぶん時間がかかるんじゃないのか??」
「今から向かえば明け方までには戻ってこられるだろう。 いや、それよりも、山頂から朝日を見るのもよかろう! 日本では、1月1日の朝日は 『 初日の出 』 といってたいへんに縁起がよく、ほとんどの日本人は見晴らしのよいところまで行って眺めるのだというぞ♪」
「………カミュ……すると宿に帰るのは……」
「宿には昼過ぎにでも戻ればよかろう。 京都の正月を心ゆくまで楽しみたいとは思わぬか?」
「ああ……お前がそういうのなら……」
俺が落胆したのを察したカミュが、そっと身を寄せてくる。
「……そのかわり、明日の夜は………」
そのとき知恩院の鐘がひときわ大きく響き、言葉の続きをかき消した。 しかし、最後まで聞こえなくても、カミュがなんと言ったかわからぬ俺ではない。。
「いいぜ、そういうことならこれから遠征と行くか♪」

   一つ目の煩悩は、夜までとっておくとしよう!
   カミュと拝むなら、日本の初日の出もいいかもしれん♪

次の通りの辻で、やたら甘い味のするこってりした白い酒をふるまわれて、俺とカミュはだんだんいい気分になってきた。 ほんのり頬を染めたカミュが、いつもよりもほんの少し俺に身体を寄せてくるのはいいものだ。 除夜の鐘を聞きながら異国で迎える新年も、なかなか乙なものじゃないか。
行き交う人がみな幸せそうに見えてくる。 市中にくり出す人の数もいっそう増してきたようだ。
あとわずかで新しい年が始まろうとしていた。
   

もうすぐ年越し。

しゃも様からの10000ヒットのキリリクです。
お題が 「 除夜の鐘 」 とは、東方見聞録にぴったり♪
おかげさまで、ミロ様カミュ様は京都の年越しを体験することに。

知恩院の除夜の鐘といえば、必ずニュースに出ますし、「 行く年来る年 」でも定番ですね。
まだ見たことないのですが、下調べしているうちにぜひ本物を見たくなりました。
来年は、京都の暮れ正月を楽しんでみようかな?
でも、今度からは、知恩院に行くたびにお二人のことを思い浮かべるのね (笑)。
いっそのこと、見聞録で京都巡りやりますか?
ミロ様に 「 京都駅大階段駆け上り大会 」 に御出場いただくのはどうでしょう?
断トツの一位、間違いなしですが。

ミロ様、煩悩の一つ目は夜に、って、未来のことを思うだけでも煩悩になるのでは?
元旦から36種全クリアなのは確実です。

しゃも様、素敵なお題をどうもありがとうございました!