アゲハ 2

ミロは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の蜂を除かなければならぬと決意した。

「だってひどすぎると思わないか?!全滅しかかっていたんだぜ!一目見たとたんジェノサイドって言葉が浮かんだんだからな。」
憤懣やるかたない様子でミロが言う。
いきさつはこうだ。夏真っ盛りの日に、宿の中庭の山椒の木に例年の如くアゲハの小さい幼虫が何匹もいるのを見つけたミロとカミュは、裏庭の目だたない場所にある山椒の木にせっせと幼虫たちを移すことにした。美穂が、アゲハを保護したい二人の意向と、他の泊り客の目に触れさせたくない宿側の意向を秤にかけて困っているのを解決するためだ。移した幼虫たちはまだ小さくて黒い色をしている。おなじみの緑色になるのはあと何回か脱皮をしてからだ。
「どうもありがとうございます。助かりますわ、お手数をおかけいたしまして申し訳ございません。」
「いや、こちらこそ我儘を言ってすまない。」
新しい住み家でさくさくと葉っぱを食べ始めた幼虫たちを確認してから二人は昼食をとり、カミュは図書館に出かけ、ミロはパソコンに向かった。
「さてと、カミュもそろそろ帰ってくるころだな。」
伸びをして立ち上がったミロはふとアゲハの様子を見たくなって外に出た。裏庭には蝶の食草になる木が何本も生えており、二人の頼みを容れて一切の消毒をしないことになっているので蝶の楽園と化している。
「元気でいるかな?」
二十数匹のアゲハの幼虫がいるはずの山椒に目をやると……どうしたわけかあまり見つからない。
「あれ?どこだ?」
よくみると幼虫がいない代わりに葉に黒いしみのようなものが幾つか見えた。

   ……なんだろう?

無意識にそう思ったとき、ミロの目に黒い蜂が葉にとまって羽ばたいているのが見えた。何をしているんだろう?と思ったとたん、ミロは事態を察知した。

   …こいつ、アゲハを襲ってやがるっ!

その瞬間頭に血が上ったミロは必殺のスカーレットニードルを放っていた。そうだ、午前中にミロとカミュが一匹ずつ丁寧に裏庭の山椒に移してやったアゲハの半数以上は哀れにも体液のほとんどを吸い尽くされたらしく、薄っぺらな皮しか残っていないような有様だったのだ。これが怒らないでいられようか。まさにジェノサイドである。ミロの怒りの小宇宙は宿の門を入ったばかりのカミュを驚かせた。

「それにしても、それでスカーレットニードルか?いくらなんでもやりすぎでは?」
「だって、仕方がないだろう。カッとしたら手が動いてた。」
恐るべき蜂を始末したミロはすぐさま離れからプラスチックの飼育箱を持ってくると目を皿のようにして生き残った幼虫たちを捕獲して離れに持ち込んだ。もう何年も続けてアゲハを飼育したカミュは今年からは庭で自然に羽化してもらう方針に切り替えることにしたのだが、そうもいかないようだ。
「実に気に食わん。憎らしいったらありゃしない。」
「そんなに怒らなくても。蜂にも生きる権利はあるし。」
「でもなぁ……たぶん、感情移入したんだと思う。」
「感情移入って、アゲハにか?」
「う〜ん、アゲハというか……」
「え?」
「お前にだ。」
「…え?」
そうしてミロの言うには、アゲハを襲っている黒い蜂がラダマンティスに見えたというのだ。
「えっ?」
「だって、俺たちってアゲハにはむちゃくちゃ親近感があるだろ。で、それを襲っている黒い蜂は明らかに敵だ。」
「うむ、それはわかる。」
「黒といえば冥衣。全身真っ黒だったんで冥闘士を連想した。」
「そういうものか?」
「そうだよ、そうに決まってる。で、ラダマンティスに襲われるか弱い存在といえばお前だ。」
「なぜっ!」
「なぜって言われても困るが、瞬間的にそう連想したんだから仕方あるまい。で、スカニーだ。」
「ずいぶん牽強付会だと思うが。」
「ともかくそういうわけだ。十二匹くらいいるから、今年も世話して蝶にしたい。」
「わかった。」
こうしてこの夏も離れから何羽ものアゲハが飛び立っていった。
「お前を助けた気がする。」
「そうか?」
「うん、いい気分だ。」
「そうだな。たしかにいい気分だ。」
カミュがくすっと笑った。






         
蜂は種類が多いので黒い蜂というだけでは同定が難しいです。
         ( 種類を見極めることを同定といいます。)
         ほんとにあの蜂がラダマンティスに見えたんですよねぇ、心でスカニーを放ちましたから。