金のびょうぶに うつる灯を かすかにゆする 春の風
  すこし白酒 めされたか あかいお顔の 右大臣
 屏風


三月ともなると、ここ京都に吹く風もどこからともなく春を運んでくるようで、昨日までとは光の色も違って見えるから不思議なものだ。
凛とした香気を漂わせていた紅梅白梅も盛りを過ぎて、それにとって代わろうとする桜の蕾がふくらみを見せ始めた初春の夕暮れに、嵯峨野の散策を終えた二人は宿へと戻ってきた。
「だいぶ歩いたな、ひと風呂浴びたら夕食といこう♪」
「ほぅ! お前の物言いも、かなり日本人に近くなってきたものだな。」
「それはそうだろう!」
玄関で靴を脱いだミロは慣れた様子でフロントに寄り、キーを受け取ると 「 ありがとう 」 とにっこりし、この愛想の良い外人客に対して礼儀正しくお辞儀をした従業員が二人の後ろ姿を賛嘆のまなざしで見送るのがいつものことなのだ。
「これだけ長く日本にいれば、誰でも簡単な挨拶や礼儀作法は身につくぜ。 なにしろ、去年の5月からいるんだからな♪」
「うむ、思いがけぬ長逗留だが、おかげで日本の習慣には極めて詳しくなった。 といっても、毎日のようになにかしら新しいことに驚かされるのだが。」
そういいながら部屋に入ったカミュが小さく声を上げた。
「ん? どうしたんだ?」
立ち止まっているカミュの後ろから中を覗き込んだミロも、目を見開いた。
「おい、これはどうしたんだ? 今朝までは、こうじゃなかったぜ?」

二間続きの奥の間の、今朝までは磨き上げた石の置物となにやら東洋的な花を生けた花瓶が置いてあった床の間には、手の込んだ細工の一対の人形が飾られ、きらびやかな漆塗りの小さいうつわや灯りがそれを取り囲んでいる。 人形の後ろには高さ50cmほどの屈折した金色のついたてのようなものがたててあり、たいそうあでやかなのだ。
「これは………ずいぶんきれいだが、どうして急に? カミュ、お前、わかるか?」
「いや……そう言われても………」
近寄ったカミュがしげしげと見て、人形の細かい細工に気を惹かれたようだ。
「おそらく、昔の日本の上流階級の風俗をうつしたものだろう、刀も扇もきわめてよくできている。」
しかしミロが注意を引かれたのは人形のほうではなかった。 カミュが指先でそっと触れている人形の後ろの金色のついたてをひょいっと持ち上げると、あっという間にたたんでしまったではないか!
「え………」
「やっぱりな♪」
面白そうに両手でひらいたり閉じたりしながらミロは得意そうである。
「きっとこうなると思ったんだよ、日本人の得意技だ。 持ち運びにも収納にも優れ、しかも、広げ方によって、広くも狭くもかなり柔軟な対応が可能ってわけだ。」
「ほぅ、これは面白い♪」
ミロの手から金色のそれを受けとったカミュが、ほどよく広げると丁寧に元通りに立ててやる。
「やはり、紙と木でできているのだな。金色が鮮やかで、手前にある人形をより華やかに見せている。」

   人形も品よくきれいだが、お前も負けず劣らずきれいだぜ♪
   こんなきれいな着物を着せて、金色の壁の前に立たせたらどんなに映えることか!
   よく見れば、この人形、男と女じゃないか。 すると夫婦か恋人だろう。
   なんだか俺たちのことをほのめかしてるみたいで、ちょっと照れるじゃないか♪

金のついたての位置を微調整しているカミュの後ろでにやにや笑いを押さえきれないミロなのだ。

その後、風呂から戻ってくると、さっそく料理が次々と運び込まれてくる。
その合間を縫って、カミュが従業員に金色のついたてや人形のことについて幾つかの質問をした。
「わかったぞ、ミロ。 この人形は3月3日の雛祭りに飾るための特別の人形で、男雛、女雛というのだそうだ。千年ほど前の朝廷の帝と后を模したものらしい。 女子の健やかな成長を願って飾るものらしいが、本来は人形の数がもっと多く、帝に仕える大臣や女官、楽師などがいるという。 
ここにあるのは男雛、女雛だけの簡略型だが、正式な飾りつけは、本館の大広間にあるそうだから、あとで見に行くのがよかろう。」
「ふうん、もっと人形があるのか。 俺はこの二つだけで十分だがな。」
桃の節句のために細やかな工夫を凝らした料理に箸を伸ばしながら、ミロは床の間の人形に目をやった。

   大臣だの女官だのいたら、邪魔になるに決まってる!
   昭王だって、燕でそれで苦労したんだからな
   よく見ると、この人形の色の白さはカミュそのものじゃないか♪
   昭王の髪は黒だし、カミュも漆黒のような黒髪だから、まるで俺たちのフィギュアだぜ!

「それから人形の後ろにある金色のものは屏風という。間仕切りや風よけ、目隠しなどに使ったもので、折り畳む一つの面を曲といい、二曲、四曲、六曲のものがある。 正式には二つで一組となるので、六曲二双などと称する。 絵や字を描くことが多いが、このように金無地のものは祝い事の席などでしばしば使われるそうだ。」

   ふうん、やっぱりね!   
   あの人形を俺とカミュだとすれば、祝い事の席というと……ふふふ、婚儀だろう、やっぱり♪
   金屏風が黄金聖闘士を象徴していて、ますます目出度い!
   いや、今日は実にいい気分だね♪

「ちなみに今日3月3日は上巳 ( じょうし ) の節句といい、もとは陰暦三月の最初の巳の日を指していた。 この日、朝廷・貴族の行事として、水辺に出て身の穢れを払ったり、「曲水の宴」がもよおされたりもした。 民間でも、桃花酒を飲んだり草もちを食べる風習があったそうだ。 このように雛人形を飾るのは今から300年ほど前の江戸時代頃からの風習で、そのころの武家・町人の、平安のころの上流貴族への憧れがこのような形になって現われたと思われる。」
一息ついたカミュが、銚子をとってミロに日本酒をつぐ。 そえられた白い指がきれいで、思わずぞくりとするミロである。
「お前も飲む?」
白地にあでやかな桃の花の意匠の細首の銚子を取り上げて聞いてみると、少し首をかしげて考えたカミュが、
「そうだな……せっかくの雛の料理ゆえ、すこしいただこうか。」
と、盃を差し出してくる。
八分目ばかり注いでやったミロが、蒔絵の盆の上に目をとめた。 いかにも女性が喜びそうに細やかに盛り付けられた前菜に桃の花が添えられている。 くすっと笑ったミロが桃の花びらを数枚とり、お互いの盃に浮かべたものだ。
「あ…これは!」
「今夜は桃の節句だからな、桃花酒としゃれ込むのも風情があるだろう♪」
頬を染めて盃をそっと口元に運ぶカミュをこよなくいとしいと思うミロなのだ。
「あれ? 唇に花びらが……ちょっと待ってろよ。」
そう言ったミロがつと立ち上がると、カミュの横に座を移す。
「あ…………」
そのまま花の唇に口付けてゆくと、すでに薄桃に染まっていたうなじが濃さを増し、触れ合う頬が熱さを伝えてくる。
「カミュ……俺の桃の花……今夜はきれいに咲かせてやるよ……」
答えの代わりに、やさしい口付けが返されていった。

食事のあとで、大広間に雛飾りを見に行き、戻ってくると寝具が整えられている。
「あれっ? こんなものがあるぜ!」
「ああ、これも先ほど聞いた。
昔の日本の家屋は風の通りがよかったため、就寝時に頭を冷やさないように枕屏風というものを用いたそうだ。 きっと、これがそうだろう。」
「枕屏風? ふうん、なかなか洒落てるじゃないか♪」
いつも通りに二つ並べて敷かれているフトンの枕元に、高さ80cmくらいの二つ折りの屏風が置かれているのだ。 どうやら雛の節句のための品のようで、金無地の背景の右隅に立ち姿の男雛と女雛が極彩色で品よく描かれており、左端には咲き始めた桃の枝が覗いている。

   するとなにか? 今夜はこの枕屏風を背景にカミュを抱けと???
   ふうん……気が利きすぎてるぜ♪
   俺はもう、なんと言っていいのかわからんよ…

この部屋の灯りは天井灯のほかには、背の高い昔風の紙燭 ( しそく ) が置かれているだけである。
「カミュ……さあここへ……」
やわらかな灯りが屏風の金色に仄かに照り映え、豊かに流れる黒髪が枕と屏風との間の畳を隙間なく埋めてゆく。
「まだ……桃花酒、きいてる?」
わかっていながらそう聞いてやると、
「すこし………」
とささやくように答えて、切なげに身を揉みこむようにする。
「酔いが醒める前に、違うやり方でもっと酔わせてやるよ……」
ミロの手がカミュをいつくしみ始めたそのときだ、
「ミロ………待って…」
「ん? なに?」
「……あの……雛人形から見られているようで……恥ずかしくてならぬ……隠してはくれまいか?」
そういわれて気がつくと、なるほど床の間からはこちらがよく見えている。

   そんなこと気にすることはないのに………
   あれが俺たちだと思えば、平気なんだがな

「わかったよ、カミュ…♪」
いとしげにもう一度口付けてから、ミロは手を伸ばして枕屏風を動かすとカミュの姿を隠してやった。
「これでいい?」
ほっとしたように小さく頷いたカミュが、ふたたびミロの胸に顔を伏せる。

   今度は金屏風の雛から丸見えなんだがな……
   まあいい……カミュも気付いてないことだし、今夜は見せつけてやろうじゃないか♪

カミュをやさしく抱きこんだとき、屏風に映る灯が揺れたようだった。





                       桃の節句の京の宿、華やかにあでやかに過ごす春の宵。
                       ほんと、カミュ様って、どんな女の人よりきれいだわ♪
                       ミロ様、貴方は三国一の果報者です。

                       そんな弥生の宵には、普通の照明器具は不向きなので、
                       昔風の紙燭型のものを置いてみました。
                       本当の蝋燭を使いたかったのですけれど、
                       時代劇じゃないので、旅館では消防法の関係もあり、使えないと思うのです。
                       非論理的なことを書くと、カミュ様からクレームがきますので。
       
                       終盤、もっと書き込むと黄表紙になりますが、
                       雛の節句にはこのくらいがちょうどいいのでは?
                       え? 書きすぎ?
                       でも、ミロ様が(笑)。