地 下 鉄

東京の地下鉄路線図は網の目のように入り組んでいて、すべてを覚えるのは至難の技だ。
「数ある中で、この銀座線がいちばん好きだな。 日本に来て最初に乗った地下鉄だし、なんとなく愛着がある。 結んでいる駅も有名どころばかりで利用することが多い。」
表参道から銀座線に乗ったミロがうんうんと頷くのももっともで、浅草から渋谷までの13.4キロメートルを結ぶ19駅は、ざっと拾い上げただけでも上野、神田、日本橋、銀座、新橋、虎ノ門、赤坂、青山、渋谷と、それぞれ有名な地名が綺羅星の如くに並んでいる。
「銀座線は日本で最初に開通した地下鉄だ。 それゆえ有名な土地を結ぶ路線となったのだろう。」
「え? そうなのか?」
「開業したのは1927年で、当初は浅草・新橋間を結ぶはずだったが、関東大震災のため資金調達が困難となり、ひとまず浅草〜上野間の2.2キロだけが開通し、わずか5分間の乗車のために二時間待ちという行列が出来たそうだ。 第一号だから地下の土地利用にも難しい制限がない。 地表からかなり近いところを走っているので、虎ノ門、末広町など多数の駅で地表からの階段を降りるとすぐに改札口がありホームに入れるという利便性がある。」
「ふ〜ん、そいつはたしかに便利だな。 こないだ乗った京葉線なんか、東京駅で乗り換えるのに気が遠くなるほど時間がかかったからな。」
ミロの言うとおりで、東京駅での京葉線への乗り継ぎは、在来線のホームから延々と案内標識に従って歩き、動く歩道を3本も乗り継いで、下りのエスカレーターに階数を数えるのをあきらめるほど延々と乗り続け、この大都市東京で自分が極めて稀な体験をしているのだと気付いたころにやっと地下深くのホームに辿り着くという仕掛けになっている。
「京葉線は1990年に全線開通している。 地下鉄のなかでも後発組なので地下深くにホームを作るしかなかったのだろう。」
「その点、老舗の銀座線はやっぱりいいな。 有名どころが数珠繋ぎになっていて、ほとんど十二宮の階段を思わせる。」
「そうか?」
「そうだよ。 乗客数、駅のネームバリュー、歴史の古さ。 どれをとっても黄金級だ。」
とはいっても、走行中の車内は隣のカミュと話をするのもかなり難しいほどの騒音だ。
「う〜ん、話をするのには向かないな。」
「ではテレパシーか?」
「いや、そこまでしなくても。」
笑いながらふと網棚を見上げたミロが、あっと声を出した。
「どうした?」
「あそこにカマキリがいるぜ。」
「え?」
見ると、すぐ近くの網棚にいるのはほんとうに黄緑色のカマキリだ。 前足をもたげてなにも荷物の載っていない網棚の上をそろそろと器用に這っている。
「どうする? あのままではじきに死んでしまうだろう。」
「助けるべきだろうな。 座っている乗客の頭の上にぽとりと落ちても大騒ぎになることは必定だ。」
男でも驚くだろうが、それが若い女性だったら驚くだけではすまないだろう。 金切り声と恐怖で車内はパニックになりかねない。 件のカマキリのすぐ下の席にはいかにも虫には弱そうな華奢な女性が座っていて携帯の真っ最中だ。
「なにか入れるものはあるか?」
「では、これに。」
カミュがポケットから透明なビニール袋を取り出した。
「ずいぶん都合のいいものが出てきたな。」
「どこで植物や鉱物の標本にお目にかかるかわからないからそのくらいのものはいつも携帯している。」
「なるほどね。」
さりげなく網棚に近寄ったミロが手を伸ばしてカマキリをなんなく捕まえると袋の中に入れた。 真下にいた女性は相変わらず携帯に夢中でなにも気がついていない。
「OKだ。」
「あと二駅で新橋だ。 ゆりかもめに乗り換えて台場で降りたら潮風公園に放してやればよかろう。」
「あそこなら木も草もいっぱいだから無事に生きていけそうだ。」
今日の二人はもう一度ガンダムを見るつもりで東京に来ている。 8月31日までの展示は残りわずかだ。
むろん目的はそれだけではなくて、六本木の国立新美術館でルネ・ラリック展を見たり、秋葉原で最新のロボットを見たりと忙しい。
さて、捕まえたカマキリだが、むろんポケットに入れたりは出来ないので、ふわっと膨らませた袋の口を手で握り締めて持ち運ぶこととなり、当然のことながらたいそう人目を惹くことになった。 八月も終わりに近付いた夏休みのことでもあり、乗っている銀座線ではもちろんのこと、乗り換える新橋駅、そして家族連れや子供たちでいっぱいのゆりかもめも然りである。
少し郊外に行けばともかく、都心でカマキリを見かけることは珍しい。
「あっ、あの人、カマキリを持ってる!」
「きっとどこかで捕まえたんだね! いいなぁ! 僕も欲しい!」
注目されるのを見越した二人がギリシャ語で喋っているので誰も話しかけてこないから助かったが、そうでなければ地下鉄の中で捕まえてこれからガンダムの近くに放してやりに行くのだと説明するのに明け暮れたことだろう。
「それも悪くないかな、国際交流だし。」
「私たちが日本語で喋ったら話しかけてもらえるかどうか、今から実験するか?」
「ギリシャ語からいきなり流暢な日本語に切り替えるって怪しくないか?」
「なぜ怪しまれる?」
「う〜ん、たとえばスパイの疑いをかけられるとか。」
「まさか!」
そんな日本人はいないだろう。 それに本物のスパイは地下鉄の中でカマキリを持っていたりはしないものだ。

ともあれ、たくさんの注目を浴びながら二人は無事に潮風公園に着き、ガンダムに向かう人の列から離れて、目立たなそうな草叢にカマキリを放してやった。
「これにて一件落着!」
「あとは相手を見つけて子孫を残すことを祈るばかりだ。」
「なんとかなるさ。 それとも行く先を変えて奥多摩にでも行けばよかったか?」
「いや、そこまでしなくても。」
いったいどこから地下鉄に乗ったのだろう。 ミロが指を出してからかうと両方の前足を振り上げて威嚇する。
「おいおい、助けてやったつもりなんだが。」
「蟷螂の斧だな。」
「その腕じゃ、黄金には通用しない。」
笑って離れてゆく二人をカマキリがじっと見ていた。





               東京駅での京葉線への乗り換えについて ⇒ こちら

               この場所に 「教えて! goo」 を出すのもどうかと思ったんですが、
               あまりにも世間の皆様が切実な感想を持っているのがわかるのでご参考までに。
               (質問者に) 「頑張ってください」 とか、
               「ディズニーリゾートの帰りに歩くとかなり疲れが出る」 とか、
               臨場感あふれるコメントも見付かりました。
               私も、何のために利用したかは忘れても、あの遠さだけは強烈に印象に残っています。
               その後、裏技を発見! ⇒ こちら   ご参考までに


               地下鉄とカマキリ ⇒ こんなブログ発見