忠 臣 蔵

都営浅草線、泉岳寺駅から北に1分ほど歩くと曹洞宗泉岳寺がある。
「ふうん……! 浅草の浅草寺 ( せんそうじ ) もにぎやかな町中にあったが、ここもいかにも都会の中の寺なんだな!」
「赤穂義士たちが本所の吉良上野介の屋敷に討ち入った元禄のころも江戸の町中には違いなかろうが、今のようにビルや車などはなかったのだから現代の私たちから見ればのどかだったのかも知れぬ。」
駅から泉岳寺目指して歩く人波はひっきりなしで、寺の入り口の中門あたりにはすでに行列ができている。
「………え? これがみんな泉岳寺にお参りする人の列なのか? すごすぎないか?」
「混むとは思っていたが、これほどとは! 日本人の忠臣蔵好きは相当なものだ!」
「ん? 忠臣蔵って?」
「赤穂藩主、浅野内匠守長矩が江戸城内の松の廊下で吉良上野介義央に切りかかり、その咎めを受けて切腹した事件はおおいに江戸の町を騒がせ、その三日後にはすでに芝居になっている。 当時の常識である喧嘩両成敗というルールに反して、浅野内匠守は即日切腹、一方の吉良上野介にはなんのお咎めもなかったため不公平だとの声があがり、非常に論議を呼んだという。」
「ルール違反は確かにまずいだろう!」
「そこで芝居でもそのあたりを匂わすことになり、むろん幕府は上演を禁じているが、江戸庶民のこの事件に対する興味は尽きることがない。咎めを受けない程度に名前や時代設定を変えて幾つもの作品が作られたあと、ついに事件から46年後にもっとも有名な仮名手本忠臣蔵 ( かなでほんちゅうしんぐら ) が上演され大当たりを取っている。」
「仮名手本って?」
「日本の平仮名は47文字で、偶然にも討ち入りに参加した赤穂義士も47名だ。 当時の江戸の戯作者がこれを見逃す筈はない。 もともと歌舞伎や人形浄瑠璃の外題 ( げだい=タイトル ) には創意工夫が凝らされ半ば奇をてらうものも少なくないのだ。 当時のヨーロッパでは一般市民は読み書きができないのが当たり前だった時代に、江戸では庶民の間に教育熱が盛んになり寺子屋という民間教育施設が流行っていたという。 貸本業もあり、出版物も多かった。 当時の江戸は世界のどこの都市よりも庶民の文化水準が高かったのだ。 その寺子屋で仮名を習うときの手本が仮名手本、そして武士の手本となるような忠義の士、ということでこの名をつけたのではないだろうか。 仮名手本忠臣蔵という名を見聞きしただけで江戸市民の芝居への興味をかき立てるのには絶大な効果を発揮したと思われる。」

二人が並んでいるこの行列は石段を登った先にある四十七士の墓所に行く人々の列で、すでに参拝を終わった人たちがあたりに散らばり、観光ツアーと思しきグループのガイド役の説明に耳を傾けている人も多いのだ。
もしもカミュが日本語で話していたら回りにも相当の人垣ができたと思われるが、あいにくなことにギリシャ語では誰にわかろう筈もない。 それでもアサノタクミノカミだのチュウシングラだの、そのあたりの言葉は聞き取れるので近くに並んでいる人が、おや?、という顔をしてこっちを見ることに何度も気付かされるミロなのだ。 例の如くそれが若い女性だと、驚いたような顔をして真っ赤になってしまうのがなんとも面白い。
「ほら! お前、また惚れられてるぜ♪」
「馬鹿なことを! きっとお前の金髪に感心しているのだろう。 親善のために手を振ってやったらどうだ?」
「そんな童虎みたいな真似ができるか!」
このころには行列はだいぶ進み、二人は山門前に差し掛かっている。 人々の手向けた線香の香りがここまで流れてきている。
「忠臣はわかるが、その蔵っていうのはどういうことだ?」
「蔵いっぱいに忠臣がつまっている、の意だという。 つまり浅野内匠守が忠義の臣をたくさん抱えていたということではないのか。」
「なるほどね、それで忠臣蔵か。 芝居の名前から来てるんだな。 それをいうなら、聖域にも忠臣がいっぱいいるぜ。」
「ではハーデス篇も忠臣蔵か?」
「う〜ん、さすがにイメージが………」

やっとくぐり抜けた山門を過ぎて左手に曲ってゆくと、そのあたりが四十七士の墓所である。
参拝する人の大部分が四十七士の墓のそれぞれに線香を供えるのであたりは煙が立ちこめ煙って見えるほどだ。 線香売り場もあって、買い求める人でたいへんな混みようになっている。
「おいっ、人の話が聞こえたんだが、討ち入りの日には、ってつまり今日のことだが、線香が二万束は売れるんだそうだ!」
「二万束?」
「気が遠くなるような数字だな! ………おい、あそこの若い女の子が泣いてるように見えるんだが、気のせいか?」
見ると、墓に線香を供えながらハンカチで目を押さえてたしかに泣いているらしい。
「信じられんな! 討ち入ったのは、ええと1702年、今から300年前だぜ! なぜ泣く?自分の親戚でもあるまいに。」
「日本人の若い女性はとくに涙もろい。 函館の土方歳三の終焉の地でも泣く者がいるという。 感情移入が激しい民族なのだろう。」
「もしもお前の墓なんかあった日には、カミュナポレオンなんかが雨のようにそそがれるんじゃないのか?」
「そんなことをされては、酔いすぎて困る。」
「そうだな、俺のところに化けて出てきてもまっすぐ歩けなかったりして♪」
「そのときには………」
「………え?」
「……支えてくれればよい」
「ん……そうする」
無料で振る舞われている甘酒を飲み、なんとなくしっとりした気分になって泉岳寺を出ると、まだ参詣の人並みが続いている。 この賑わいは終日続くのだろう。
「義士まんじゅうとか義士せんべいとか売ってるぜ、美穂のお土産にするか?」
「それもよかろう、北海道からここに来るのはいささか遠い。」
頷いたミロがまんじゅうの箱を指差して 「二つね♪」 と買い求めた。

最終のフライトで北海道に帰った二人が離れのこたつでぬくぬくと寛いでいる。
「で、義士の最後はどうだったんだ?」
「本懐を遂げたのち、泉岳寺で幕府の沙汰を待った。 そして四つの大名家に身柄お預けの身となり、年が開けた二月についに切腹の沙汰が下りる。 四十七士はその日のうちに見事に切腹を遂げた。 四家に分けられたのちは互いに会うことも叶わなかったという。」
「ふうん………」
「死ぬまでの日々は各大名家でたいそう丁寧に扱われたそうだ。 忠義の士を召抱えたいという嘆願も多かったそうだが、結局は旧主浅野内匠守とともに泉岳寺で眠っている。」
「よかったじゃないか!」
「…え?」
「だって、考えても見ろよ、思いを遂げて惜しまれつつ心穏やかに死んでいったんだろう? それにひきかえ、俺たちは………とくにお前は……」
「ミロ………」
「アテナの首を狙って、ってまるで討ち入りじゃないか………でも、俺たちもお前たちもほんとは忠臣でさ………なのにあんなに苦しんで……」
「しかたがない。 それが運命だったのだから……」
「わかってる………わかってるけど……」
「ミロ………今夜は飲むか?」
「え?」
「むろん私は少しだけしか付き合えないが、そのあとなら……」
「……そのあとなら?」
「ゆっくりつきあってもよい……」
「カミュ………」
十四日の夜が静かに更けていった。






                  
三年目にしてやっと忠臣蔵の出番が。
                  日本の年の暮れにはやっぱりこれに限ります。
                  もっとカミュ様に薀蓄を語らせたかったんでしたがこのくらいで自粛しました。
                  これで東方見聞録もだいぶ形が整ってきたかしら?
                  でも、日本の魅力はまだまだ語りつくせません、ミロ特派員は貪欲なのです♪


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