エ ビ ガ ラ ス ズ メ  (幼虫の話につきご注意)

ミロの携帯が鳴った。美穂からだ。
「もしもし、ミロ様!助けてくださいっ!」
切羽詰まった声にミロは聞き入った。

「で、どこに?」
「あちらですわ、あの窓のところのグリーンカーテンです。」
美穂が指差したのは星の子学園の園舎の西側の窓の外に作られているグリーンカーテンだ。数年前から夏の酷暑を乗り切るための工夫が官民挙げて行われている日本で広く受け入れられているこの暑さ除けの方法は、ここ北海道でもあちこちで見かけるようになっている。
星の子学園でも子供たちの理科教育もかねて毎年いろいろなツル性植物を植えているが、今年初めて植えてみたのが夕顔だった。
「あ〜、これはすごいな!」
「もう、私、怖くって! 子供たちに教えられたときは悲鳴を上げました。まさかこれほど大きいとは思わなかったんですもの。」
ミロの陰に隠れるようにして美穂が教えてくれたのは長さ12センチになろうかというような巨大な芋虫だ。太さはミロの中指くらいありそうな黄色味の強い黄緑色のどっしりした身体で大きな夕顔の葉を一心不乱に食べている。
「たくさんいるんですのよ。女の子たちはきゃあきゃあ騒ぐし、男の子たちは触ろうとするし、もう大変で!」
これほど大きくなる前に気が付きそうなものだが、ついさっき発見されてそれから一騒ぎあったのだそうだ。
「あいにく今日は男性職員が誰もいない日で、たまたま子供たちに絵本を読みに来ていた私も相談されて困ってしまいまして。」
そのままにしておくわけにはいかないが、かといってここまで大きくなっている生き物に殺虫剤をかけて駆除するのも気の毒だし、子供たちの前でそんな殺生はしたくない。だいいち、薬をかけられた芋虫が一瞬で絶命するとも思えない。もしかしたら身をくねらせて地面に落ちてしばらくは悶絶するのではないかと思うと気が狂いそうである。そして、だれが最終的にそれを取り片づけるのだ??
このような難問が美穂たちをたじろがせ、ついにミロが呼ばれたのだという。
「う〜ん、今はカミュがいないからな。どうしたもんかな?」
あいにくカミュは昨日から聖域だ。どうやらカミュでなければ対処できない案件が持ち上がったらしく、教皇直々にカミュの携帯に電話がかかってきて、すぐにカミュは発って行った。ゆえにこの芋虫たちをどうするかはミロ独りで判断せねばならなかった。
「ええと、ともかくここに置いておくわけにはいかないから。」

   つまりよそに持っていくということになる、ってどこへ?
   食草は夕顔だから、どこか人目につかないところに自生している夕顔があればいいんだが

しかしミロの知識には夕顔が咲いている空地も野原もなかった。民家の軒先の鉢植えや、ここと同じくグリーンカーテンに仕立てているのをどこかで見かけた覚えがあるきりだ。

   カミュならどうする?
   むろん、殺したりしないで持って帰って育てるっていうだろうな
   うん、それしかない!

そう決心して改めて件の芋虫をよく見てみると、いかにも大きい。それもちょっと見ただけでも5、6匹はいる。よく探せばたぶん10匹以上はいるだろう。しっぽのところが細いつののようにくるんとなっているのは、今までカミュと一緒に何度も見てきたスズメガの幼虫の特徴だろう。
「パソコンを使わせてもらえるかな?名前を調べたいんだけど。」
「ええ、どうぞお使い下さい。」
事務室に案内されたミロは顔見知りのスタッフと挨拶してからさっそくインターネットで 『 夕顔 芋虫 大きい 』 で検索していくつかのページをひらき、やがて目的の幼虫の写真を見つけ出した。
「あ〜、これ、見ないほうがいいから。」
はっと気がついたミロが急いで言った時には、美穂やそのほかのスタッフがキャッ!と言って遠くに離れてしまった。実に精度の高い写真が画面いっぱいに広がっているのは、それとわかっているミロが見ても一瞬身体が固くなる。
「わかったよ、あれはエビガラスズメの幼虫だ。食草は夕顔・朝顔・サツマイモ、その他。名前の由来は、成虫の蛾の身体に海老の殻の模様に似た縞模様があるかららしい。あのくらい大きければ終齢に近いからそろそろ蛹になると思う。」
「あら、海老とカラスと雀ってずいぶん面白い名前ですのね。」
「え?ああ、そうとも取れるかな。」
笑いながら美穂に容れ物を探してもらう。プラスチックの飼育ケースは離れにあるが、あの大きい幼虫を何匹も持って帰るのはミロ的にもあまりうれしくないことは事実である。念のために幼虫に毒はないことも確認してあるので手で触っても問題はないが、あまり気持ちがよくないのと、美穂の前でそれをやるのはまずいかなとも思う。

   やっぱりイメージが壊れるかな? それとも男だからこのくらいはできて当たり前だと思ってくれるのか?
   そもそもこれだけの大きさだと、引き離そうとしてもしがみついてなかなか離れないだろうな
   それだけのことをやる根性が俺にあるのか?

夕顔の葉の間をあらゆる角度から観察して丁寧に探してみたところ、エビガラスズメの幼虫は見事な大きさのが12匹いることがわかった。どれもぷっくりと太っていて立派な健康優良児のようだ。美穂が用意してくれた菓子箱にはあらかじめ夕顔の葉をたくさん入れたので当座の餌に不足はないだろう。
ミロは覚悟を決めるとまず葉や葉柄についている幼虫を葉っぱごと箱に収めはじめた。学園の男の子たちはそのたびに大騒ぎして、
「次はここだよ!」
「こっちにもいるよ!」
と教えてくれる。女の子たちはちょっと勇気のある子はこわごわ覗き込んだりしているが、たいていの子は遠くに離れていて近寄りもしないのだった。
そうやって八匹をつかまえたが、残りはみんな茎についているので途中から切り取るわけにもいかない。内心でため息をついたミロは一匹目にそっと手を伸ばすと太い胴体の中ほどを慎重につかんで持ち上げてみた。案の定、幼虫はぎゅっとしがみついて離れようとしない。身体が大きいだけに力も強いらしくて、これではミロの気力のほうがとても持ちそうにない。
「がんばれ!もうちょっとだよ〜!」
「負けるな〜、力いっぱいがんばれ〜!」
囃し立てる子供たちはそれでもいいだろうが、力いっぱい引っ張ったら恐ろしい結果になりそうな気がしたミロは諦めた。
「とても無理だからほかのやり方でやることにする。」
ミロの手のひらくらいありそうな大きな夕顔の葉を一枚取ると、身を固くしている幼虫は放っておいて、ゆったりと茎で休んでいるほかの幼虫の鼻先に葉をあてがってお尻の部分を軽く押してやる。最初は動こうとしなかった幼虫がやがて根負けしたようにもごもご動きだし、全体が葉っぱに乗り移ったところでミロがめでたく菓子箱に収めた時には真剣に見守っていた子供たちが歓声を上げた。
そうやって残りの幼虫も次々と箱に収めると一件落着だ。
「それじゃ、毎日この葉を取りに来るのでよろしく。俺か、カミュが帰ってきたら、どっちかが取りに来るから。」
「はい、どうもありがとうございます。おかげさまで助かりました。お礼はまた改めましてさせていただきます。」
「そんなことは気にしなくていいから。俺もカミュもこういうのは好きだし。」
ミロはタクシーを呼んでもらおうとしたが、スタッフがどうしても学園の車で送ってくれるというので美穂と一緒に宿まで乗せてもらうことになった。
「あんな大きいのがつくのでは、来年からは夕顔はやめたほうがいいでしょうか?」
「う〜ん、どんな植物にもたいていは虫がつくし。最初から消毒すれば大丈夫だろうけど。」
「それが、子供たちがさわるので消毒はしたくないらしいんです。」
「あ、そうか。でもまたこれが出るのもなぁ……」
「そうなんですよね。でも朝顔も同じですし。」
ミロがパソコンで調べたところによると、エビガラスズメは朝顔にもつくのだ。もしも読者諸氏の育てた朝顔に出現していなかったとすれば、それは単に成虫が卵を産まなかったからに過ぎない。朝顔をこまめに消毒する人間はあまりいないので、この夏も日本のあちこちでエビガラスズメを見つけた人の悲鳴が上がったはずである。
ミロを宿で降ろすと美穂はまた星の子学園に戻っていった。

幸いにしてカミュはその晩に戻ってきて、ミロが玄関の下駄箱の上に置いた飼育ケースの中のエビガラスズメを見て目を輝かせた。
「実にきれいな個体だ。全部、この色だったのか?」
「うん、そうだけど?ほかの色もあるのか?」
「緑色のほかに褐色やその中間型もある。体色が緑でも黒の模様、褐色の模様、黄色の模様など実に様々だ。同じ場所にいても個体差が大きい。」
「ふ〜ん、やたら大きいけど色はきれいで感心したんだが、全部褐色だった可能性もあるんだな。それって、あまり気持ちよくないな。」
「それは偏見だ。」
「そう言うと思ったよ。でも、もしも俺たちの聖衣が濁った泥水みたいなぱっとしない褐色で、冥界のやつらの冥衣が光り輝く黄金色だったらどう思う?」
「えっ!」
「それでも羨ましくないって言えるか?」
「それは……悔しいと思う。」
「だろ? きれいな黄緑の幼虫を可愛いと思い、褐色のやつを気持ち悪いと思ってもそれは自然な感情だと思う。俺たちの聖衣が金色でほんとによかったよ。」
「黄緑だったら、どうだっただろう?」
「聖衣が黄緑!?……え〜と、それなりにきれいかも。」
「新緑の中で闘うには保護色でよいだろうな。」
「目にやさしい聖衣ってわけね。じゃ、この幼虫も目にやさしいんだ。」
おかしな結論に達した二人を尻目に大きな幼虫たちがもりもりと夕顔の葉を食べている。
「これでは明日の朝には葉がなくなっていそうだな。朝一番で取りに行ったほうがよさそうだ。」
「蛹になるまであと数日はかかりそうだ。そのたびにタクシーを頼むのも手間ゆえ、この機会に自転車に乗れるようにしたほうがよかろうと思うが。」
「えっ!自転車に?そういえば前にヤルノとアロンソに、すぐに乗れるようになるって勧められてたな。」
「練習するなら宿の自転車を貸してくれると美穂から聞いている。」
「よしっ!明日中に乗れるようになってみせる。言っておくが、お前より早いからな。」
「それは私の台詞だ。」
「うまくなったらマウンテンバイクをカスタマイズする。北海道は乗り出があるぜ。」
「私も持久力には自信がある。知床半島に行ってもよい。」
「大きく出たな。いつでも受けて立とう。」
「望むところだ。」
希望に胸ふくらませている二人に美穂が貸してくれようとしている自転車は前カゴ付きのママチャリである。ここはひとつ、練習中の二人の写真を美穂がツイッターに投稿してくれることを神に祈ろう。






         エビガラスズメ → こちら 「幼虫図鑑」 の索引で検索してください (勇気のある方のみどうぞ・写真がかなり巨大)
         観察記録は こちら ベランダの朝顔にいたのを観察した記録なので感想が面白いです (幼虫の成長写真あり)
         成虫の写真はこちら  海老の殻みたいな模様がわかります (幼虫の写真は有りません)


「古代ローマ人が芋虫を串に刺してあぶって食べたという説があるがほんとかな?」
「それは…」
「ルシウスも食べてたりして。もしかしてお前もご馳走になったんじゃないだろうな?」
「そんな覚えはないっ!」