イベント
                                     
「ああ、ここだ! この建物でやってるんだよ、イベントを♪」
「だからなんのイベントだ?」
「入ってからのお楽しみ♪」
朝から何度も訊いているのに 「 ミステリーツアー♪ 」  とだけしか答えてくれなかったミロがすたすたと中に入っていく。
わけがわからないままにあとに続くと、あたりはほとんどが日本人の若い女性でいっぱいでかなりの混雑だ。男は数人しか見当らず、外人で背が高い私たちはなおさら目立つようでなんとも気恥ずかしい。
入ってすぐのホールの入り口のところでパンフレットとやらを買ったミロにぐいっと手を引かれて、私は中に連れ込まれた。

「あ……!」
「うん、見ての通り、俺たちに関係したイベントだ♪ ふうん……! 噂には聞いてたけど、すごい賑わいだな!」
「私たちに関するイベントって?」
いつものことだが、ミロの説明は論理性に欠けていて不十分すぎる。 訊き返そうとも思ったが、人のざわめきと会場内になにやら活力あふれるBGMが流れていて、まとまった話をするのは難しい。
広いホールにはたくさんの長机が並べられ、それがはっきりとは見えないくらいに大勢がその間を行き来している。 あちこちで話に花が咲き、お辞儀が盛んに繰り返されているのはいかにも日本人的といえるだろう。
それぞれの机の上には本が積まれていて、いや、本のほかにもいろいろなものが置かれているのが目に付いた。 このイベントの主旨がわからないままにミロの後ろをついてゆくと、通り過ぎる左右はみな同じように薄手の本を積み上げていて、どうやら販売もしているようだ。 地味な色に小さな活字だけのシンプルな表紙の本もあるが、たいていはきれいな色の絵が描いてあり、どう見ても聖衣を着た聖闘士としか思えないようなものもある。
「あの、ミロ………あの絵はサガのようなのだが? 顔は違うが、あの聖衣はどう見てもサガのものだろう。 」
「ん? どれどれ? ああ、そうだな! ここはサガとかカノンとかのカプのジャンルが集まってるんじゃないのか。 ………ああ、ラダの奴もいるようだが、そのあたりには興味はない。 俺たちのは、ええと、向こうのほうだぜ!」
「私たちの? ……カプ? ジャンル? それにラダとは?」
どうもミロの言うことはよくわからない。 ミロは先ほどのパンフレットを見ながら歩いているが、どこを開いてみても理解できなかった私はとっくに閉じているのだ。 ともかく、もう少し論理的説明をしてもらわないと………
「あ………ミロっ!!」
こっちに向って歩いてくるのは明らかに水瓶座の黄金聖衣とおぼしきものを着た人物で、しかもなぜか女なのだ!
「あ………あれはっ?!」
「あ〜〜っ♪ あれがコスプレだぜ! ふ〜ん、初めて本物を見た! 感激だね♪」
「………え? …コスプレ?? 本物って……?」
ほんとうにミロの言うことには論理性のかけらもない! この私がここにいるというのに、どうしてあれが 「 本物 」 なのだっっ!!たしかに眉の形は同じだが、髪が赤いではないか!
なにがなんだかわからなくて唖然としていると、驚いたことにミロがその人物に話しかけた。
「よくできてますね〜、その聖衣♪」
「どうもありがとうございます! とてもきれいな金髪ですね! 今度、ミロのコスなさいませんか? 大歓迎しますよ〜、きっとよくお似合いです♪」
「ミロの? そいつは面白い! 考えておきます♪」

   ミロはお前だ! いったいなんのことを言っている?

気がつくと、会場内には他にも聖闘士の格好をした人物があちこちにいて人々の注目を集めているではないか。
「あれはね、自分のお気に入りのキャラに扮して楽しんでるんだそうだ! 愉快じゃないか♪ いまや日本だけじゃなく海外にもたくさんの愛好家がいるっていう話だ。 コスプレイヤーっていうんだぜ! コンテストも数多く開催されてる。 お前の母国のフランスなんかすごいぜ!」
やたら詳しいが、いったいこの男はどこでそういう情報を仕入れてくるのだ? ミロの違う一面を見た気がする。

「おっ、このへんだな、俺たちのは♪」
ミロが立ち止まった。 並べられている本はどれもみな  「 私たち 」 らしい絵の表紙のもので、それとは別の手描きの絵を目印の看板のように掲げているのが目に付いた。 机の向こう側には例外なく女性が座っていて客に本を売っているようだ。 そういえば何冊もの本を抱えたり、手提げ袋に入れている客がたくさんいるのに遅まきながら気がついた。
「ミロ、あの本は?」
「お前は知らんだろうが、あれは同人誌というもので、自分が創作した話を書いて売ってるんだよ。 客は自分の好みに合った本を探して、ここで本を買い込んで楽しむってわけ♪ 全くの私的なものだから、一般の書店ではまず売ってない。 年に何回かあるここみたいなイベントの日に合わせて新作が一斉に出されるので全国からファンが駆けつけるんだよ。 本を手に入れるのも目的だが、描いている作家に挨拶したりするのも楽しみの一つになっている。」
「私はファンではないが。」
「当たり前だ、自分のファンになってどうする?俺たちは 見聞を広げるために来たんだからな。」
すると、たくさん並べられたこの本はそれぞれ別の人間が書いた私たちの物語ということになる。

   ほぅ………面白いことを考えるものだ!
   日本が世界に誇る源氏物語にも作者複数説があるし、
   あの長大な平家物語も、琵琶法師が語るうちに次々と新しい挿話が付け加えられたものと聞く
   聞き手の望みに合わせて滅び行く平家の公達のエピソードが様々に創りあげられたことを思えば
   もともと日本人はこういった創作活動を好む人種ということがわかるというものだ
   千年の長きにわたってこのような形で文化の継承が行なわれているとは、なんと素晴らしい!

ほとんどの本の表紙はミロと私が並んでいるもので、なんだか面映い。 しかし気になる点が一つある。
「たいていの私の目と髪が赤いのが気になるのだが。」
「それは仕方ない。 俺のほうは金髪が主流で、お前の場合は赤バージョンが主流らしいからな。 でも、心配するな。 俺は黒髪で蒼い目のお前が一番好きだ♪」
こういうことをいきなり言い出すのでミロにはほんとにドキドキさせられる。 ギリシャ語がわかる人間が回りにいないことを願いながら私は照れ隠しに手近かの本を一冊手にとってみた。 「どうぞ読んでみてください!」 とその本の売り手が声をかけてきてくれたのだ。
しかし、ページをめくろうとしたとき、ミロに止められた。
「おっと、お前にはそれは向かないな、俺が良さそうなのを探してやるよ。」
「え? なぜ? 中身を見ないのに、なぜそんなことがわかる?」
「だって、その机の張り紙にそう書いてあるから。」
ミロのいうことはさっぱりわからない。 ミロが私から本を取り上げて売り手に 「 ありがとう 」 と言いながら元に戻してしまったので、手持ち無沙汰になった私が隣りの机に目をやると………
「………えっ?!」
「あ〜、それは気にすることはない。 人形が服を着てるだけだから。 」
「し…しかし、なぜ、女の服をっっ?」
「だから気にしなくていいんだよ、 表現の自由は憲法で保障されてるからな。 俺の思うには、服を着てないほうがよっぽど問題だ。 そんなことより、あっちに行ってみようぜ!」

「ああ、ここだ!」
ミロが、とある机の前で立ち止まった。
「いつも拝見してます、素晴らしい作品ですね! これ、よろしかったらどうぞ♪」
ミロが差し出したのは途中で買ったマドレーヌの袋だ。
「まあ、ありがとうございます! あの、よろしかったらお名前を。」
「ジョアンといいます。」
「あら! あなたがジョアンさん! あらまあ♪ こんな素敵な方だとは思いませんでしたわ♪」
「いえいえ、そんな。 これからも楽しみにしています。」
にっこり笑ったミロは本を一冊買い求め、なぜか真っ赤な顔をした売り手が深々とお辞儀をした。
「………おい、ミロ………今のは?」
「よく行くサイトの管理人に挨拶♪ 当然の礼儀だろ♪」

   なるほど、ミロが途中で買い物をしたのはこのためか
   見聞を広げるためと言ったわりには、差し入れなどをしているのはどういうわけだ?
   いったい、どんなサイトに行っている??

その後、この儀式が二度繰り返され、ミロの選択した本を数冊買って帰ろうとしたときに今度はミロのコスプレーヤーと遭遇した。
「ほぅ! 今度はお前だ♪」
「ふうん♪ よくできてるが、聖衣の輝きがいまひとつ足りないな!」
「それはしかたあるまい。 我々の持つ真の聖衣は神話の時代から伝えられたものだ。 同じであるはずがない。」
「だからさ………ちょっといいかな♪」
ミロの目が悪戯っぽく輝いた。 また突拍子もないことを考えたのだろうか。
「……え? なんのことだ?」
「ここにこれだけの数のファンがいるんだぜ!なにか礼をしてやるのが人情ってもんじゃないのか?」
「礼って………まさかダイヤモンドダストを撃って見せろというのではあるまいな?」
「それも悪くはないが、この場所では危険だろう。 それに、そんなことをすると次回から会場を借りにくくなる。 なあに、お前さえ黙っていてくれれば、なんの問題もない♪」
「え?」
その瞬間、ミロの姿が消えた。 周りにいた何人かは驚いたような顔をしたが、その顔もすぐに雑踏に紛れてしまう。
人前でテレポートするとはいったいなにを考えているのかとあきれていると、入り口の方でどよめきと歓声が上がった。 いや、それは歓声というよりは嬌声というのに近かったかも知れないが。
振り向いた私の目に映ったものは………!
「ミロ…!」
なんと、黄金聖衣を身につけたミロがこちらに向って歩いてくる。 日本に来て二年半になるが、私にしてもミロの聖衣姿を見たのは久しぶりのことでその美しさに目を奪われた。 さすがに聖衣の輝きと存在感はあたりを圧するものがあり、淡い黄金の小宇宙がミロの周囲を包んでいるがここにいる者には見えようはずもない。 ご丁寧にマントとヘッドパーツまでつけていて、ミロの歩みにあわせてサソリの尾が揺れるたびに周りのどよめきが大きくなった。

   ………な、なんということを!
   純然たる私用で聖衣を身につけるとは!

目の前に展開する光景が信じられなくて茫然としていると、
「きゃぁぁ〜っ、本物よっ、本物のミロ様よ!!」
ひときわ高い声が聞こえ、ミロがそちらを見たとたんに大勢の悲鳴のような嬌声があがった。 その反対側の人だかりからは羨望と落胆をないまぜにしたような悲鳴が同じく上がる。
突然の黄金聖闘士の出現に驚くのはわかるが、この悲鳴はいったいなんなのだ? いまや会場全体の視線はミロに注がれており、衆人環視の中を平気で歩けるミロの神経がわからない。

「お待たせ♪ こんなところでいいだろう。 それじゃ、帰ろうか。」
とミロが言ったとき、さっきミロと話していた売り子が自分の描いたと思しき色紙を恐る恐る差し出してきた。 私とミロが寄り添っている絵で美しく着色されている。 どうやらミロにプレゼントするということらしい。
「ありがとう!」
流暢な日本語で答えてにっこり笑ったミロがそれを受け取りながら握手をすると、周り中から絹を裂くような悲鳴が上がり、その女性は真っ赤になって卒倒しかけたものだから慌てた周囲の人間が支えてやらなければならなかったほどだ。
「あれ? まずかったかな?」
「ミロ、早くこの場を去ろう!」
このときにはミロと一緒にいる私の素性についても怪しまれているのがひしひしと感じられ、周り中で携帯のシャッター音が聞こえ始めた。
「ああ、わかったよ。」
私の手を掴んだミロが一瞬で天蠍宮にテレポートし、緊張と興奮の坩堝と化す寸前だった会場のざわめきは東洋の遥か彼方に去ったのだった。

「お前ときたら、まったくとんでもない事をする!」
「でも、あのくらいサービスしてもいいだろう? あんなにファンがいて、お前、嬉しくない?」
「そんなこと、私は考えたことはない。 もし、あの場でお前が私に聖衣を着ることを要求しても断らせてもらう!」
「あ〜、それはない。」
「え?」
「大事なお前の聖衣姿は誰にも見せるわけにはいかん! たとえ日本のファンにもだ。 俺だけの宝だからな♪」
天蠍宮の居間でミロが私に口付けてきた。 聖衣を身につけたミロと唇を交わすことは珍しく、いつもは馴染む抱擁もなんだかぎこちない。
「ん〜、このヘッドパーツが邪魔だし、やっぱり聖衣は戦闘向きだな。 あとはイベント用♪ 抱くには向いてない。」
「イベント用って……」
絶句していると、
「で、俺のこと、素敵だとか思ってくれた? それを期待してたんだけど♪ ヘッドパーツまでつけてきたのは、会場にいたファンのためだけじゃないんだぜ。」
「あ……あの…」
うっかり口ごもってしまい、内心思っていることをミロに看破されたかもしれない。 それに思い至って、不覚にも頬が熱くなる。
「ふふふ………正直なお前が大好きだ♪」
サソリの尾が揺れる。
もう一度もらった口付けが今夜のことをひそやかに予感させた。





          もちろん 「パラダイス銀河 」 の話です。
            日本に来たらイベントに行くのがミロ様の夢でした。
            ついに叶った嬉しさよ♪
            さて、ミロ様が立ち寄ったスペースと、色紙をプレゼントしてくれた管理人さんって、いったい誰?
            むろん私は知ってますが、ここでは ひ・み・つ♪