ガーデニング |
「あんドーナツをもらってきた。」 「え?なんで?」 昼食の後にでかけていたカミュが戻ってきたのは四時近い。カミュの帰りを待ちかねて暇を持て余していた俺の目の前に置かれたのは白い紙袋に入ったあんドーナツだ。 「今日の茶菓子に出たが、ほかにも菓子があったゆえ食べきれないでいると余分にあるからと持たされた。」 「なんの集まりだ?そりゃ?」 「だからガーデニングだ。」 「おかしいだろ?どこかの家に行って、そこの庭で草取りとか植え替えとかするんじゃないのか?なんで、あんドーナツ?」 「私もそう思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。その家の庭を見せてもらいながら茶の接待を受けるという趣旨のようだ。実際の作業はなかった。」 「ふうん…で、それって楽しいわけ?」 俺は懐疑的である。そもそもなんでカミュが地元の一般家庭でお茶をしなきゃならんのだ?共通点は園芸好きっていうただ一点に絞られる。そうしたら、昆虫好きとかシベリア好きとかギリシャ好きとかの人間ともお茶をするのか?おかしいだろう? しかし案に相違してカミュはこう言った。 「うむ、楽しい。私の園芸歴は浅いので他の人々の豊かな経験談を聞くのは極めて参考になる。」 「ふうん、そういうもんかな。」 「次回も呼ばれた。次はここから駅へ行く途中にあるペンションのオーナー宅だ。」 「えっ!次もあるのか?」 「行くかどうかはわからぬ。お前を不機嫌にさせてまで行こうとは思わない。」 「いや、あの…」 あっさりと本音を見透かされて俺はちょっと自分を恥じた。どこの世界にパートナーの単独行動に嫉妬する聖闘士がいるだろう。それも婚活だの合コンではなく、単なる地元の園芸家の集まりなのに。 「まあ、お前の気持ちもわからぬでもない。メンバーで一番若いのは私で唯一の外人ゆえ、たしかによく目立っていることだろう。」 「あっ、そうなんだ。って俺は別に…」 「安心しろ。若い男性は一人もいない。地元の主婦がほとんどのようだ。」 「いや、ほんとに俺はそんなこと考えてないからっ!」 って、まてよ?すると若い男はカミュだけで、あとはほとんど女なのか? それって紅一点じゃなくて黒一点か? カミュを黒で表現するものどうかと思うが、そんなことよりも俺の頭に浮かぶのはきちんと背筋を伸ばして座っているカミュがきゃっきゃっと笑いさざめく女性たちに取り囲まれているというあまりにも非日常的な情景だ。 「え〜と、俺も行ってみようかな。地元との交流も大事だよ、うん。」 「それはよいな。実はお前も誘ってくれと頼まれている。」 「えっ、そうなんだ。」 そういうことなら話は簡単だ。余計な想像をするよりもカミュと一緒にガーデニングの集まりに直参だ。 「直参とは面白い表現だな。」 「ほら、イベントに直参とか。」 「え?」 まあ、そんなことはいい。それはともかく、なぜカミュがガーデニングを始めたかを説明するべきだろう。そう、あれはもう五年も前のことだ。 「草取りをしたいのだが、やらせてはもらえないだろうか?」 「まあ、カミュ様!そんなことはできませんわ!お客様に草取りをしていただくわけにはまいりません。」 宿の庭の手入れにいつもの庭師が来ているのを見たカミュの提案は美穂にあっさりと拒否された。それはそうだろう。どこの世界に客に草取りをさせる宿があるというのだ? 「やはり断られた。」 「そりゃそうだろう。この宿は一泊五万円だぜ。それで草取りのオプション付きというのは誰が考えても無理がある。」 「なんとかならないだろうか。草取りがしたくてうずうずする。通りすがりの庭や街路樹の下に雑草が生えているのを見るときれいにしたいという欲求を抑えがたい。」 「そう言われてもなぁ。まさか見ず知らずの他人の家にいきなり行って草取りをさせてくれって言っても怪しまれるだけだと思うぜ。」 「しかし私は草取りをしたいのだ。」 「公園の草取りボランティアなんかに応募するなよ。いくらなんでも聖闘士の名が泣くぜ。」 「そこまではやらぬが、ああ、思いっきり草取りをしてみたい。」 几帳面できれい好きなカミュは植生の豊かな日本で暮らすうちに、内に眠っていた園芸好きの資質が萌芽したらしい。極寒のシベリアはもとより 乾燥した十二宮でもろくな草も生えないため宝瓶宮での草取りも名ばかりで、狭い中庭を目を皿のようにして歩き回って草を抜いてもほんの5分もかからない。平時には暇が十分すぎるほどあるので毎日のように草取りを試みるカミュは潤沢な草取りに憧れているのだ。 カミュのこの希望を小耳にはさんだ宿の主人が面白い案を出してきたのは翌日のことだ。 「お客様に草取りをしていただくことはできませんが、要するにうちの敷地でなければよろしいので。」 「というと?」 「ほかの土地をお借りになればいかがです?そうすれば畑作りでも果樹園経営でも草取りでも好きなようになさることができます。 「なるほど!」 目を輝かせたカミュはさっそく土地の選定に取り掛かり、宿の主人が紹介してくれた地元の不動産屋の口利きで、なんと宿の前の道を隔てた五百坪ほどの土地を借りることができた。土地の持ち主はカミュが望むならいつでも売ってくれるということだったが、いつ聖域に戻ることになるかもしれない聖闘士の身で日本に土地を所有するのはいかがなものかと考えたカミュは借りるほうを選んだのだった。 「草取りの欲求を満たすには、ちょっとばかり広すぎやしないか?五百坪ってそうとうあるぜ。」 あらたに借りた土地に足を踏み入れた俺はところどころに灌木の生えた草が伸び放題の空地を見まわした。以前は畑だったらしいがその面影はどこにも残っていない。 「むろん、草取りをするためだけではない。ここを自分好みの庭にする。奥には蝶の食草になる木を植えて、消毒を一切せず蝶の楽園にするつもりだ。手前の道沿いには花壇を配置し、散策の小道も造りたい。ああ、腕が鳴る!」 どうやらカミュの頭の中にはすでに理想の庭の設計図が引かれているらしく、宿の主人を交えながら造園業者とどんどん話を進め、基本の石組みや飛び石の通路があっというまに出来上がった。敷地の隅には園芸用具や長靴、手袋などを収納する一坪ほどの小屋まで作る念の入れようである。 「さあ、これから忙しくなる。」 「草取りをするにしては大がかりだな。」 「丹精した庭の草取りをするから楽しいのであって、単なる空地の草取りでは面白みに欠けよう。この機会に自分好みの庭を作ってみようと思う。」 「好きなようにするがいいさ。宝瓶宮の中庭じゃ、理想の庭作りはちょっと難しいからな。」 聖域は降雨が少なすぎて日本のような植生は望めない。アテネの5月から9月までの毎月の降水量は一か月で10ミリに満たないといえばその乾燥っぷりがわかってもらえることと思う。理想を言えば、寒さの厳しい北海道よりも気候温暖な本州のほうがいいのだが、まさか飛行機で通う距離に庭を持つわけにもいかないだろう。 こうして自分が好きに裁量できる庭を手に入れたカミュは蝶の食草になる樹木を何種類も、それも10本単位で植えて心ゆくまで観察できる環境を整えた。 「これで完璧だ。自然の状態で個体数を増やすことができるだろう。」 「蛹になるために歩き始めても敷地の中で蛹になれそうだな。安心だよ。」 食草林から車道まではかなりあるので、蛹になる場所を探す旅に出る彼らが車にひかれる心配もなければ、宿の泊り客の目に触れる気遣いもないというのはありがたい。 そのほかナナカマドや白樺も好みの樹形の若木を時間をかけて探し、自らの手で植え付けるという熱の入れようだ。 あらかたの形ができると、さっそく丹念な草取りが始まった。なにしろずっと長い間自然のままに放置されていた土地なので、抜いても抜いてもすぐにまた草が生えてくる。 「おい、ここの場所は先週やったばかりだろう?どうしてこんなに生えてるんだ?」 「雑草は生育力が旺盛だ。根を残すとすぐに芽を出す。」 「それはわかってるけど、根こそぎっていのは口で言うほど簡単じゃないぜ。そもそもなんで聖闘士が草取りなんかしたいんだ?」 「きれいにするのは気持ちがいい。そうは思わぬか?」 「思うけどさ。お前がそんなに草取りが好きとは思わなかったな。」 「ここに来てからずっと庭師の仕事ぶりを見ていて、ああいう人生も悪くないなと思っていた。聖闘士として生きてゆくことに迷いはないが、せっかく日本にいるのだからこの機会を生かしたい。」 カミュと並んで草取りをしていると性格の違いがよくわかる。草取りには便利な道具が幾つもあって、大きなホームセンターに行ってこれと思うツールを買ってきたカミュは嬉々として草取りに取り掛かった。俺の受け持ったエリアはところどころに取り損ねた草の根が残っているのにカミュの手がけた場所はきれいな土が耕されたようになっていて小石の一つも見えていない。根元の土から掘り起こして草丈1センチにも満たないような草を根っこごと丁寧に取るので、カミュの通った後は草一本残らない。地面をなめるようにきれいにしていくのがカミュの草取りだ。 ちなみに草取りの時には手にぴったりとフィットするゴム手袋を使っているので指先が汚れるというような心配はない。十二宮にいた時には考えもしないことだったが、この世にはこんなに便利な園芸ツールがあるのだと知って俺はおおいに安心した。カミュの桜貝のような美しい爪の間に土が入り込むことを考えると頭に血がのぼる。それにしても、 「う〜ん、俺って、やっぱりおおざっぱ?」 「草取りは根まで取らぬと結局あとになって新しい芽を吹いて元の木阿弥となりかねぬ。面倒なようでも根から掘り起こすのが得策だ。」 「でもすごく根が深いのがあるぜ。なんだ?この直根は?まるで牛蒡だな。」 「ほぼ原野に等しい土地だ。抜きにくい時は小宇宙を燃やすのがいいかもしれぬ。」 「それ、本気で言ってる?」 「いや、冗談だ。」 こうして日中の時間のほとんどを庭で過ごした甲斐あって、最初の夏が終わるころにはカミュの庭はなかなかの出来となり、次の年の春から秋のハイシーズンには宿の泊り客が誉めるくらいに美しくなった。 「なかなかのもんだな。うん、きれいだよ。」 「であろう。」 朝な夕なに庭の手入れを欠かさないカミュは満足げで、最初はしぶしぶ付き合っていた俺もカミュの言う面白さが納得できた。 「聖衣の手入れみたいなものだな。磨けば磨くほどほれ込むってやつだ。」 「そういうものか?」 「そうだよ。」 やがてカミュの庭は地元の園芸愛好家の目に留まるところとなり、庭を見せてほしいとの訪問を受けることが増えてきた。褒められるのが嬉しいカミュは請われるままに庭を案内し、庭作りを称賛されるとほんのりと頬を染める。横で見ている俺はその初々しい有様に内心驚嘆し、ちょっぴり嫉妬するというわけだ。 こんなカミュを見る日が来ようとは思わなかったな 一般人に公開するのはいかにも惜しいが、 一般人に褒められたからこそこうなったんだからしかたあるまい その中でも地元の主婦グループがとりわけ熱心に庭を誉めに来るのはカミュと知り合いになれる千歳の一遇のチャンスを逃すはずがないからだろうとは思うが、だからといって俺の立場が脅かされるはずもないので気にはしない。 気にはしないが、その結果がこのあんドーナツなわけで。 「じゃあ茶を淹れよう。せっかくのあんドーナツだからな。」 「うむ、明日では固くなる。夕食の時間を遅らせてもらうほうがよかろう。」 カミュがフロントに電話をかけ始めた。紙袋から出したあんドーナツの白い粉砂糖が俺の指に付く。 「たしかに美味いんだが、カロリーが高いのが玉に傷だな。そうだ!今夜は汗を流したほうがいいな。そうしよう。」 聞こえるように独り言を言う。受話器を置いたカミュの頬がぱっと染まるのが見えた。 なぜあんドーナツかというと、この壁紙があったので。 なぜ草取りかというと、私が草取り大好きなので |
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