羽 子 板 市 |
久しぶりにやってきた浅草は年の瀬ということもあり、いつもに増して人通りが多いようだ。 「平日というのになかなかの混雑だな!」 「十二月の浅草はこの羽子板市に代表される。 年が開けたら浅草寺 (せんそうじ ) も初詣の客で大混雑となるが、今日は空いているほうだろう。」 都営地下鉄・銀座線の浅草駅で下車し、狭い階段を登って地上に出るとすぐに雷門に出る。 大きな提灯が目立つこの門はテレビの画面にしばしば映ることもあり、日本人だけでなく二人にもおなじみのものだ。 門の前には人力車が二台停まっていて、客引きの車夫が盛んに声を掛けている。 「あれ? あんなところにも羽子板があるぜ!」 ミロが見つけたのは、雷門を入ってすぐ左のところにある仮設テントだ。 近寄ってみると三十枚ほどの手描きの羽子板が展示してあり、新潟中越地震のチャリティーと書いてある。 「ああ、なるほど! 欲しい羽子板に入札してその売り上げを被災者に贈るという主旨のものだ。」 「ふうん、いい考えじゃないか! どんな羽子板があるんだ? ええと………あれっ、ちばてつやのがあるぜ、あしたのジョーだ♪」 「ほぅ! さすがに素晴らしい!」 「よし、俺は入札するぜ! いい記念になるし、あしたのジョーは好きだし♪」 ミロが8番の羽子板を選び、ちょっと考えてから10万と書いて用紙を箱に投函した。 「最高額だといいな♪」 「さて、どうなることか。」 にこにこしながら仲見世を進むと戻ってくる人の中には羽子板を買って帰る者もちらほらと見受けられ気分も盛り上がってくるというものだ。 「おい、あれを見てみろよ!」 ミロが指差したのは、大きな煎餅が透明な袋に入って売られている店先だ。 ………え? …… 「 ラブラブ・せんべい 」 …って? 直径20センチほどのハート型の煎餅で、カミュにとっては口に出すのも恥ずかしい代物だ。 「日本人ってほんとに面白いな♪ 俺たちも買ってみる?」 「私は御免こうむる!」 「冗談だよ♪」 浅草寺に続く仲見世通りは人でいっぱいで外人客の姿も多い。 あちこちの日本的な土産物や、通路の上に飾ってある凧や羽子板のオブジェにカメラを向けて盛んにシャッターを押している。 仲見世を抜ければ左右には羽子板を売る店が軒を連ね、たくさんの客が見て歩いているのはほおずき市と似たようなものだが、どれも同じだったほおずきに比べ、意匠も大きさも様々な羽子板はさすがに見甲斐があって楽しいものだ。 「ふうん! ずいぶんと大きいのがあるんだな! あれなんか、1メートルより大きいぜ!」 「文字通り、看板商品なのだろう。 個人で買うというよりはホテルなどのロビーに飾るのに向いている。 それにしても見事なものだ!」 そうかと思うと手のひらに乗るような小さいものもあり、懐の具合に合わせて買えるのはいい考えといえるだろう。 「ミロ、羽子板もいいが、まずはお参りを済ませたほうがよかろう。」 「お前もほんとに日本人化してきたな、驚くよ。」 ミロが笑いながら大香炉の横の売り場で100円の線香を二束買って一つをカミュに手渡した。 「ここで火をつけるらしいぜ。」 すぐ側に練炭を真っ赤におこした専用の場所があり、そこに線香をかざすといい具合に火が移るのだ。 振り向くと、大香炉の線香が煙を上げすぎたのか、寺の職員が大きな鉄の熊手のようなもので香炉の灰を平らにならし始めて盛大な煙が上がり、客たちが一斉にどよめいた。 「カミュ、こっち側にこないと被害甚大だぜ!」 ミロにひっぱられて風上側でちょっと待っていると、すぐに作業が終わり線香を手に持っていた客たちが再び思い思いに線香の束を立ててゆく。 「ほら、俺たちも♪」 立ち昇る煙を手で煽いで身体にかけて無病息災を祈ってから二人は本堂に入っていった。 正面の賽銭箱の左の太い柱にはちょうど奉納された巨大な羽子板を取り付けている最中でたくさんの人がその様子を見物している。 赤い髪と白い髪の歌舞伎役者の柄は連獅子というのに違いない。 「あの白い髪が金髪だったら、原作バージョンの俺たちみたいだな♪」 「よくもまあ、そんなことを思いつくものだ!」 あきれながら賽銭を投げ入れて二人して来年の幸を願う。 神妙な顔で手を合わせていたミロが顔を上げた。 「願い事が多すぎたかな?」 「というと?」 「まずは世界平和、次にお前との幸せ。 それから聖域の安定、美穂たちの無病息災、日本の経済成長と少子化の歯止め、その他もろもろ♪」 「ううむ………」 「あ!献灯しようぜ!」 考えているカミュの手を引いたミロがこんどは右側にある六角のガラス扉の大きな蝋燭立てに近付いた。中では数十本の細い蝋燭が小さな炎を上げている。 「地獄草子のためしもあるからな、お前も必ずやらなきゃだめだぜ!」 小さな古い木箱に細い穴が開けられていて、そこに50円玉を二枚落とし込んだミロが蝋燭を二本手に取った。 ガラス扉を開けて、すでに火がともされている蝋燭の火を移したミロが開いている場所に蝋燭を立て、カミュもそれにならう。 また神妙に手を合わせて互いに祈ったあとでなんとなくほっと溜め息を付いた。 「二人ともかなり日本人化しているようだな。」 「これだけ長く住んでいれば当然だ。 おみくじも引くか?」 笑いながら本堂のきざはしを下りると夕方近くになっていて、羽子板市目当ての客が境内にあふれているのは賑やかなものだ。 「さて、どこの店のがいいかな?」 「1メートルではいささか大きすぎるが、80センチくらいはあったほうがよかろう。」 二人が探そうとしているのは、滞在している宿のホールに飾るための羽子板だ。 朝のテレビのニュースを見ていたミロが、日頃の礼に羽子板を買おうと提案し、即日 飛行機に乗ってやってきた二人なのである。 「藤娘、助六、三番叟、勧進帳、曽我兄弟、仮名手本忠臣蔵、連獅子、さあ、どれにする?」 「そうずらずらと並べられても………よく覚えたな!」 「羽子板の題材は歌舞伎の演目というのが決まりごとだ。 慣れればたいしたことはない。」 「慣れればって………普通の日本人もそんなにわかるのかな?」 「……さあ?」 あちこちの店を覗きながら検討した結果、仲見世にほど近い店の羽子板をカミュが気に入ったようだ。 「あれはどうだ? 勧進帳だが、人物の配置も衣装もよいと思うのだが。」 勧進帳というと、弁慶と義経の話じゃなかったか? ふうん………たしか、この場面は安宅の関の……… 追っ手から逃れるために山伏に身をやつした義経が富樫に正体を見破られそうになり、 「お前が義経などに似ているために要らぬ疑いをかけられるのだ!」 とその場を切り抜けるために心を鬼にした弁慶が主の義経を散々に打ち据えて、 弁慶の主思いの念に心を打たれた富樫が義経と知りつつ関を通してやるという人情話のはずだ カミュが義経、俺が弁慶、富樫の奴は、そうだ、サガにしてやろう♪ 関を無事に通り抜けることができた義経主従は手を取り合って泣くのだ! 「カミュ………疑いを逃れるためとはいえ、大事なお前を打ち据えるとは………!」 「なにを言う、ミロ! お前がああしてくれなかったら今ごろは………」 「カミュ!」 「ミロ!」 あああああっ、なんていい話なんだ! 「ミロ、何を笑っている?」 「………え? ああ、あれでいいぜ、勧進帳でいいと思う♪」 羽子板、それも値が張る品を買うときには言い値で買うようなことはない。 店側はそろばんを出して他の客にはわからぬように玉をはじいて見せ、それを客が高いと思えば希望の額に訂正し、そんなことを幾度か繰り返した上で双方合意の額で落ち着くものだ。 しかし、聖闘士にそんな技は通用しなかった。 「へい! 毎度ありがとうございます! こんなところでいかがでしょう?」 差し出されたそろばんに首をかしげたカミュが困った顔をしてミロを見た。 「よくわからないが………」 「お前がわからないものを、俺がわかるはずはあるまい? つまりなんだって?」 困惑する二人の様子を見た店の主人は、紙に値段を書いて手のひらの中で見せる方法に切り替えることにした。 浅草の羽子板市の伝統としては、これだけの値の張る品物はぜひとも昔ながらのやり方で売りたいところなのであるが相手が外人ではしかたがないとあきらめたらしい。 そろばんでの値の交渉は、見物の客にたいそう受けるものなのである。 「ん? 幾らだって?」 「36万だそうだ。」 「このくらい立派ならそんなものだろうな。 伝統工芸には手間暇がかかるものだ。」 横から覗き込んだミロが頷き、 「では、これを貰おう!」 と、あっさりと言ったので今度は店の方が驚いた。 これが日本人なら、 「そいつは高いよ!」 「いえ、旦那さん、なにしろ縁起物でございますからね、そう仰いましても。」 「いいんだよ、よそにも気にいったのがあるから、別に。 ただね、お宅の威勢のいいのがちょいといいなと思ってね、どうだい、こんなところで♪」 「これは参りましたな………では、せいぜい勉強させてもらってこんなところでいかがでしょう?」 「もう一声!」 「う〜〜ん、しかたございませんな!では、これで。 もう、一文もまかりません!」 「よし、買った!」 「ありがとうございます!」 とまあ、こんな風にとんとんと話が運んでいくものなのだ。 ところがこの二人の外人客はそのあたりの手順をすっ飛ばして、店の言い値で買うという。 弱ったな………儲かるとはいえ、外人相手にあこぎな商売をしたと仲間内で噂になっちまう…… それでなくても、ネットで店の名を上げられて面白おかしく書かれた日には、 享保以来の店の暖簾に傷が付くんじゃないのか、冗談じゃない! 「外人さんに日本文化を認めてもらえるとは嬉しいですな! 今日で最終日ですし、国際親善ということで思い切ってこの八重垣姫も差し上げましょう!」 「……え?!」 店主が手に取ったのは本朝二十四孝の八重垣姫、かんざしも華やかな美しい姫の羽子板である。 大きいのが売れるらしいとまわりを取り巻いていた客から一斉にどよめきが上がり二人を驚かせる。 「えっ! いつの間にこんなに人が集まってたんだ?!」 「それはかたじけない、では36万で。」 カードは効かないだろうと考えてあらかじめ現金を用意していたカミュが手の切れるような新札を渡して、見守る客たちから溜め息が洩れた。 「ありがとうございます! こちらをお包みして!」 若い衆が大小二つの羽子板を紙で包むと店主がにこにこ顔でこう言った。 「ではお客様、来年の福を願って三本締めをいたしますのでこれをお持ちになってどうぞ皆様の方を向いてくださいまし。」 「え? 私たちはそういうのは………」 「いえいえ、お集まりの皆様もどうぞご唱和願います! この方々の福を分けていただきますので、どうぞ三本締め、景気よく行きましょうっ!」 店の側としても集まっている客にそろばんでの交渉という伝統的売り方を披露できなかったぶん、この三本締めは譲れないところなのである。 渋るカミュの向きを変えさせ、唖然としているミロの背を押して、二人にいい形に羽子板を持たせたものだ。 いままで二人の背しか見ていなかった客たちから一斉にどよめきが上がり、 「あらぁ〜、美形のお兄さんだねぇ!」 「どんな俳優よりきれいよね〜♪ 今日から宗旨替えしちゃうっ!」 「八重垣姫よりきれいだわあ〜、いよっ、音羽屋!!」 まるで、江戸の歌舞伎小屋のような掛け声がかかり、店の主人をおおいに満足させた。こういう盛り上がりが暮れの羽子板市には欠かせない風情になるのだ。 一方、ほおずき市のときと違って日本語がわかるようになっている二人は真っ赤になって、それがまた人々の笑いを誘う。 「では三本締め、にぎやかに参ります! いよぉ〜〜っ!」 夕闇の浅草寺の境内ににぎやかに手締めの音が響き渡り、今年の羽子板市に彩りを添えたのは言うまでもない。 盛大な拍手に送られて赤面した二人が羽子板を抱えて仲見世の方に去ってゆくと、集まっていた人々もにこにこしながら思い思いの方向に散る。 自分が羽子板を買わなくても、大きいのを買った誰かの手締めに参加するというのは実に楽しいものなのだ。 「いやぁ〜、なんともいい客だったね♪」 「ほんとに! あのお二人さんで十分に華になってるねぇ♪」 「ずっと店先にいてくれたらいいんだが。 さて、商売、商売!」 「さあさあ、厄をはらう羽子板はいかが! 仮名手本忠臣蔵に藤娘だよ! らっしゃい、らっしゃい〜!」 にぎやかな呼び声が人波を渡っていった。 浅草の羽子板市は毎年12月の17・18・19日。 うちは以前に一つ買ったので、今回は取材と風情に浸るためだったのですが、 まあ、その楽しかったこと! やはり浅草はいいですね。 |
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