箱 根 駅 伝 |
「正月といえば箱根だろう!」 ミロのこの一言で、私たちは箱根にやってきている。 そもそもの発端は、去年の正月に離れで東京箱根間往復大学駅伝競争、通称 箱根駅伝をテレビ観戦したことだ。 「一年を締めくくる大晦日だから………いいだろう?」 「ん……」 そう言われて、大晦日の夕食を済ませたあと、離れでそれなりの夜を過ごし、 「一年の計は元旦にあり、って言う言葉があるじゃないか。」 「あ……」 新年を迎えた朝にそうささやかれて、ほんとに屠蘇の酔いも醒めやらぬうちから親密な時を送り、そのまま夜に引き継いだ。 むろん、食事処にはきちんと行ったが。 「元旦だけじゃ物足りないな、書初めっていうのは1月2日にするものだぜ…… わかるだろ。」 二日の朝食が終わったあとでミロが目くばせしながらそう言ってきたので、 「待て! 今日は箱根駅伝がある!!」 「…え?」 二度あることは三度ない。 私はミロを振り切って急ぎ足で離れに戻るとテレビのスイッチを入れた。 一月の二日と三日に行なわれる箱根駅伝は新春の風物詩で、日本に数ある駅伝の中でも もっとも知名度が高くファンも多いことで知られている。 『 箱根を走る 』 といえば箱根駅伝の選手に選ばれることを意味し、大学の男子長距離選手にとって最高の栄誉となっているのは周知の事実なのだ。 東京大手町から箱根芦ノ湖畔までの往路108.0km、復路109.9km、計217.9kmを十区間に分けて二日にわたって走破するこの駅伝は、1920年の第一回から、戦争による中断をはさみはしたものの、今に至るまで続けられ平成十九年で第83回を数えている。 通常、箱根とは単なる地名に過ぎないが、正月期の箱根といえば駅伝のことなのだ。 「駅伝って、何人かの選手が途中でバトンタッチしながらゴールまで走るやつだろう。 お前が見るほどのものじゃないと思うが。」 去年の正月にそう言いながらコタツに陣取っている私の横に入ってきたミロは、最初こそときどき私の膝に触ったりしていたが、アナウンサーの説明や過去のエピソードなどを聞いているうちに夢中になり始めた。 「おいっ、大学に入ったばかりの一年生が区間賞ってすごくないか?」 「山梨学院大の留学生が12人抜きだぜ!」 「東海大は8人抜きで区間新! やるなぁ〜!」 駅伝観戦は初心者でも、ミロの感動は本物だ。 しかし、初日の真の感動はそのあとに待っていた。 「信じられんっ! 順大の今井っていうのはすごすぎるぜ! 箱根の山登りで5人抜きの一位になって往路優勝をもぎ取ったじゃないか! 聖闘士になれっ、きっと大成するっ!!」 ミロが興奮するのももっともで、一日目の第五区、小田原中継所からゴールの芦ノ湖畔までは昔 天下の険とうたわれた箱根山の山登りとして有名で、その標高差はなんと864m、220階建てビルに相当する高さを約20kmで駆け上がるというたいへんな難コースなのだ。一人抜くだけでもたいへんなのに、この選手はなんと前年の箱根でこの五区の区間記録を2分17秒も更新し11人抜きという快挙を成し遂げたのだ。 アナウンサーがそのことを伝えたときのミロの興奮はたいへんなものだった。 「おいっ、聞いたか! この五区を11人抜きだぜっ! すごいっ、凄すぎる!!」 たしかに坂道を走り登るというのはたいへんなことでそう長く続けられるものではない。 十二宮を闘い抜いた星矢たちにしても、石段を駆け上がって辿り着いた宮で闘っているのだから、走り続けるという点においてはとてもこの箱根の山登りの比ではないのだ。 こうして午後二時過ぎに番組の放送が終了したあともミロの絶賛は続き、夕食では給仕に来た美穂に箱根駅伝礼賛を力説し、日本人の不屈の精神を褒め称え続けたのだった。 その余波もあってか、その夜のミロの熱の入れ方は尋常でなくまことに………いや、これはここに述べるようなことではないので割愛させてもらう。 しかしだ、翌二日目の復路でとんでもないことが起こった。 誰もが信じて疑わなかった順大の走りに予想もしないアクシデントが襲い掛かったのである。8区で一位の襷 ( たすき ) を引き継いだ主将の難波が脱水症状でふらふらになり大ブレーキを起こしたのだ。 中継地点まであと2キロを残し、蹌踉とした走りならぬ歩きを見るに見かねた監督が併走しながら水を渡し、もうやめろ、と説得する中を決して首を縦には振らず前に進み続ける姿勢に私たちは息を飲んだ。 下手をすれば選手生命を失いかねないこの事態にもかかわらず、頑として走ることをやめなかった彼の姿は日本中に感動の嵐を巻き起こしたのだ。 「あと2キロもあるんだぜっ! おい、大丈夫かっ?!」 ミロの興奮と高揚はピークに達し、むろんそれは私も同様だったのだが、離れには平常時としては最高レベルの小宇宙が満ち満ちた。 画面には大手町のゴール地点や次の中継所で待つ選手の心配そうな顔が映し出され、アナウンサーの選手を案ずる声が一層の緊張を誘う。 手に汗握る長い時間が過ぎて、ついに彼が九区の選手に持っていた襷を渡して倒れこんだときはミロと二人で盛大に溜め息をついた。 ミロがこぶしで目をぬぐっているのを見たのは初めてだと思う。 「襷をつなぐって、大事なことなんだな………」 ミロがぽつりといった。 「ん……」 駅伝は自分だけのものではない。 二十校しかない枠の中でやっと掴んだ出場権を、苦楽を共にしてきた仲間と一緒に走りぬく箱根路。 自分が倒れて途中棄権すれば全員の想いを断ち切ることになる。 胸にかけた母校の襷をこの手で次の仲間につないでいく、その責任を考えればこそ、彼は躊躇なく走り続けることができたのだ。 おそらく終わりの方は意識がなかったろうと思われる。 沿道の観衆が、すべての大会関係者が息を飲んで見守る中を、みんなの祈りが届いたのに違いなく彼はその手で襷をつないだのだった。 その夜、ミロは私を抱かなかった。 いや、抱きしめてくれはしたが、駅伝の話に始まり、ついには十二宮戦のことに話題が移っていったのだ。 「あれを見て、俺は星矢たちのことを考えた。」 「え?」 「俺たちは自分の闘いのことしか見えていなかったが、あとから聞けば青銅の五人は仲間を信じて 、きっとやってくれる!、 という思いを繋いでいったのだ。 星矢が教皇の間でサガと闘ったときも、フラフラになりながらついにアテナ神像の盾をかざしたというじゃないか。」 「ああ、それは聞いている…」 「俺たち黄金は、圧倒的な力の差で勝つか、或いは倒されるかで、フラフラになって半ば意識がないような状態で闘い続けるなんてことはないからな。 そういうのはかっこよくないと考えていたが、案外そうでもないかもな……」 たしかにミロの言うとおりで、私たちにはそういった勝ち方はふさわしくないと考えてきたし実際にもそうだった。 星矢たちのような満身創痍の勝利が望ましくないのは確かなことだ。 圧倒的優位を保って勝利し、あとに余裕を残すべきだ。 闘いは駅伝ではないのだから、見ているものに感動を呼び起こす必要はないのだから。 だが、やはり私も思う。 傷だらけで血と汗にまみれて地を這いながら前進し仲間に先を託す。 それも素晴らしいことではないだろうか。 一人はみんなのために、みんなは一人のために。 良い言葉だと思う。 こんな話に終始した夜は、ミロもさすがになにかしら真摯な気持ちになったらしく、とても真面目な様子で私を抱きかかえたまま眠りについていったのだ。 そして、箱根で見る今年の駅伝はやはり素晴らしかった。 去年のこともあって、二人で順大に肩入れするのは当然で、一区の走りが悪くて14位で襷を繋いだときには二人で沈黙したものだ。 ミロは内心では舌打ちしたかもしれないが、走るほうは全力を尽くしているのがわかっているからテレビで見ているだけの私たちに文句を言う資格などありはしない。 じっと我慢の子で見ていると、続く選手が驚異的な粘りを見せ次々と順位をあげてゆき、ついに五区で去年と同じ山登りのエキスパート今井に襷を渡したときには五位に浮上していた。 それまでの選手は、一秒でも早く今井に繋ぐということを考えて走ったのだそうだ。 なんでも順大の今井は、その驚異的走りから 『 山の神 』 という異名をとっているそうだが、なるほど頷けるものがある。 「よしっ、今井! 行け〜〜っ!」 一区の十四位から五位に上がってきているのだからミロの興奮も当然で、むろん私としてもかなり自分のテンションが高くなっているのを感じないわけにはいかない。 私たちの泊まっている宿は当然のことだが箱根の上り坂に面した古くからの宿で、玄関を出てすぐの道は駅伝のルートになっている。 この時期に宿泊している客は正月気分を楽しみながら駅伝を見るというのが目的なので、宿のほうでも心得ていていいタイミングで見物の誘いをかけてくれるのだ。 小田原中継所を今井が出てからは去年の彼の快挙を思い出してわくわくしながら沿道にいた。 すでに各出場大学の関係者が道路にいて自分の大学の小旗を配っていたが、近くには順大関係者はいないようで他大学の旗を手渡されてしまった。 ちょっと不本意だったがしかたないと思っていると、ミロが 「ちょっと待ってろ!」 と言い、しばらくするとちゃんと順大の旗を二本持って帰ってきたものだ。 「よく手に入ったな!」 「去年の今井の走りに惚れ込んでここまで来たのに、ほかの大学の旗を持つわけにはいかんからな。 ちょっと頑張ったよ。」 と満面に笑みをたたえて私に一本持たせてくれた。 あとで聞くと、少し坂を上って順大の旗を持っている女性観光客を見つけたので話しかけて旗を取り替えてもらったのだという。 「ほぅ〜、その女性たちも今井のファンかもしれないのによく応じてくれたな!」 「うん、よくあることだが、携帯で写真を撮らせてください、って頼まれたんで、了解ってにっこり笑ってそれで万事OKさ!」 私にはとてもできない芸当だ。 やがて大会関係者の車が通り過ぎると今井がやってきた。 あっという間に目の前を駆け抜けて、とてもこの箱根の山道を駆け続けて来たとは思えない。 まるで平地を走っているように軽々とした走りなのだ。 ミロはもう夢中で小旗を打ち振り 「頑張れ〜っ!」 と叫んでいた。 むろん、あとに続く十九人の選手がすべて通り過ぎるまで道沿いに立っている人々と一緒になって応援し、私たちは箱根の正月を満喫したのだった。 「どうだ、来てよかっただろう。」 「……ん……ほんとに…」 「もっと喜べよ、あの箱根駅伝を目の前で見たんだぜ! 最高のシチュエーションだ。」 「あの………私は……ミ…ロ………」 そんなことを言われても、この状況では私にはっきりした感想を求めるのは無理というものだ。 明日になったらはっきりと言おう………今は……とても……… 幸いミロもそれ以上は感想を求めてこなかったので、私も気にしないことにして直面している事態を楽しむことにしたのだった。 翌日は宿の宿泊客は全員が早目の朝食を済ませ沿道に出た。 復路の応援のためである。 前日一位で往路を制した順大が飛ぶような速さで目の前を駆け下りて行き、大勢の見物から大歓声が沸き起こる。 「今年はいけるぜ、絶対に優勝だ! 去年の分まで勝たせてもらう!」 そしてミロの言うとおり、復路の順大は一位の座を譲ることなく最後までトップを守り抜き、見事優勝を成し遂げた。 最優秀選手に与えられる、箱根駅伝創始者の名を冠した金栗 (かなぐり) 杯は一区で驚異的区間新を出した東海大の選手とあの今井が受賞し、なんと今井は三年連続の受賞という栄誉を勝ち得たのだった。 「涙が出るぜ! 去年ブレーキを起こした難波から襷をもらった選手が今年も九区を走って一位を守ったんだからな、仲間を信じて走り抜くって素晴らしいじゃないか!」 箱根の山を下りおりる選手全員を見送ってから部屋に戻りゆっくりテレビで観戦し、私たちは帰路についた。 「俺さ……ギリシャに帰っても正月は日本に来ようと思う。」 「箱根を見るために?」 「そう、箱根を見るために。」 私にも異存はない。 一人はみんなのために、みんなは一人のために。 箱根は忘れてはいけない大切なものを思い起こさせてくれるのだから。 箱根駅伝が大好きです。 平塚に住んでいたので一度思い立って中継所付近に見に行ったことがあります。 駆け抜けてゆく選手の速さ、打ち振る小旗、お正月の忘れられない思い出になりました。 去年書こうと思ってつい失速したこの箱根を今年はついに書けました。 ミロ様カミュ様には、二年続けての活躍から順大のファンになっていただきましたが、 他大学の関係者がお身内にいらっしゃる読者の方には申し訳ありません、 だって、去年の大ブレーキ、そして三年連続の今井の走りが印象的すぎるんですもの! 日本発祥の駅伝はいまやEKIDENとなり、世界に広がっています。 毎年必ずドラマを見せてくれる箱根、万歳! 日大駅伝部・公式サイトより ◇襷(たすき) 平成11年から、出雲大学駅伝、全日本大学駅伝においても、出場校がそれぞれ 母校の襷で出場することになった。それまで“母校の襷”といえば箱根駅伝だけの特徴であり伝統であった。 日本大学はピンク、早稲田大学のエビ茶、中央大学の赤など、 箱根駅伝初出場時の色を今もなお引き継いでいる。 大学によっては先輩の汗と涙の染みこんだ伝統の襷を何代にも渡って受け継いでいるのである。 我が母校の襷は前回大会より箱根神社にてお祓いを受け神様の祝福を受けている。 箱根駅伝は各中継所で繰り上げスタートを行う。 往路の鶴見、戸塚中継所では先頭通過後10分経過後、他の中継所は20分後に繰り上げとなる。 その際、スタートする選手は主催者である関東学生陸上競技連盟の用意した 白と黄色のストライプの繰り上げ用の襷で走り出す。 これは選手にとって母校の襷をつなぐことができなかったという最大級の屈辱であり、 その後数十年にわたり悔しさを抱き続ける選手もいる。 継がれる襷の重さを尊重し、往路は小田原中継所、復路は鶴見中継所に 各大学自前の予備の襷が預けられて いる。 繰り上げのチームも往路のゴール、 復路のゴールは自校の襷でテープを切れるようにと主催者側の配慮 によるものである。 |
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※ かなり趣味の世界に走っており、現実の大学名・個人名も出てきます。
あまりミロカミュ色はありませんが、それでもよい方、どうぞお読みくださいませ。