胃 カ メ ラ |
自分でもちょっと飲みすぎたとは思うのだ。 カミュが風邪気味だったので抱かないことにした俺はいつもはセーブしている日本酒を気の向くままにどんどん飲んだ。 その日の夕食の献立もひときわよくて酒量が進んだのも当然だ。 しかしそのツケは翌朝にやってきた。 「胃が重い………」 「だから自重せよといったのに。」 「だってお前を抱かないと思ったら、たまにはとことん飲んでみようと思って……」 「恥かしい言い訳をしてくれるな。 朝食は食べられそうか?」 「いや、とてもその気にならない。 胃の存在なんて感じたのは生まれて初めてだ。」 「少し休んでいたほうが良い。」 「ん………そうする。」 しかし昼を過ぎても胃の調子がはかばかしくなくて、いつの間にか姿を消していたカミュがフロントで午後の受診を決めてきた。 「えっ、胃が重いだけで病院に行くのか?」 「万が一ということもある! その違和感が胃ガンの初期症状でないという証明がお前にできるというのか?」 「できません………」 「私にもできぬ。 ゆえに専門家の意見を聞くべきだ。」 しかしなぁ………普通、たった一回胃が重いだけですぐに胃ガンに結びつけるか? そんなこと言ったら、足が痛かったら足ガンで、背中が痛かったら背ガンか? いや、そんなものが存在しないことはわかっているが ぼやきながら宿の車に送ってもらって病院で診てもらうと、謹厳実直を絵に描いたような年配の医師からご託宣があった。 「念のため胃の内視鏡検査をしておきましょう。 え? まだ一度もしたことがありませんか? それならこの機会にやっておいたほうがいいですね。」 「はぁ…お願いします。」 内視鏡検査がどんなものか知らなかったが、ここで拒否してあとからカミュになにやかやと言われるよりは素直に専門家の言うことを聞くほうがよかろうと思ったのだ。 注意事項を書いた紙をもらって食事等の制限の説明を受け、宿に帰ってカミュに見せた。 「念のため内視鏡検査っていうのをするんだそうだ。 明日の午前中だから、ちょっとした食事制限がある。」 「ほう! それではすぐにフロントに言っておいたほうがよいな。 細かい注意事項は読んだのか?」 「うん、大丈夫。 食事のことはもう言ってきた。 夕食は9時までに済ませ、うどんや粥など低繊維・低脂肪のものにするんだそうだ。 避けたほうがいい食品は、肉・油物・きのこ・豆・野菜・海藻・乳製品・キウイフルーツ。 ずいぶんあるが、いったいなにを食べればいいんだ?」 「………魚か?」 「俺もそのくらいしか思いつかない。 油物はだめだというから、淡白な白身魚というところか。」 「付け合せは無しだな。 」 「ほんと、淡白………。」 そして夕食は極上の鱸 ( スズキ ) の奉書包み焼きだった。 酒と塩で上品な味がつけてあり、いかに日本の魚が新鮮で美味か知れるというものだ。 それと鯛と平目のお造りもけっこうな味だった。 刺身のツマは一切ないが。 キウイ以外のフルーツは大丈夫らしいので夕張メロンの大きい一切れが素晴らしい江戸切子のフルーツ皿に乗っていて侘び寂びの境地の盆に華を添えている。 「お粥をもう一杯もらおうかな。」 「かしこまりました。」 「済まぬな。」 カミュが自分の合鴨ロースに箸を伸ばす。 「気にしないでくれ。 俺に付き合ってお前まで淡白な食事にすることはないからな。 明日の昼からは普通に食べられるから。」 それにしてもほんとうに淡白だ。 普通、淡白な食事といえば豆腐や野菜が大部分を占めるはずなのにそれすらない。 せめてなにか一つくらい濃厚なデザートが欲しいところだ。 「お前さぁ………」 「え?」 「風邪……治ったみたい?」 「え………あの……治ったと思う……」 うつむいたカミュが頬を染めた。 翌朝はなにも食べないで病院に行った。 内視鏡室というところにいって順番を待つ。 呼ばれたので中に入るとまず小さな紙コップを渡された。 胃の中の泡を消す薬を飲むのだという。 透明な液体はこれといって味がない。 ぐいっと飲んでしまうと、次に喉を麻痺させるゼリー状のものを小さめの注射器のようなもので口に入れられた。 「飲み込まないで口の奥に貯めて置いてください。 そのまま3分我慢していてください。」 ふうん………なぜ喉を麻痺させるんだ? リストリクションで代用できないものかな? この過程もたいしたことはなかったのでそんなのんびりしたことを考えながらじっと上を向いているとだんだん喉が変な感じになってきた。 どうやら麻酔が効いてきたらしい。 「はい、3分経ちました。 飲み込めるようだったらそのまま飲み込んでくださいね。」 えっ、飲むのか! まあなんとかなるだろう……… ぱっとしない味だがこの過程もクリアーだ。 「あと、胃の動きを止める注射を肩にしますね。 ちょっと痛いですけど我慢してください。」 「はい。」 麻酔のせいか喉が変な感じでささやくように声を出す。 注射は正直言って嫌いだが、そんなことを言えるはずもない。 左肩を出すとブスリと針が刺された。 なるほど確かに痛い。 「これは薬自体が痛いんですよ。 ごめんなさいね。」 自分では試したことがないが、スカーレットニードルよりははるかに楽なはずだと思って我慢した。 最後に喉の奥に何かをシュッとスプレーしたが、これもきっと麻酔に関するものだろう。 「それではこちらにどうぞ。 胃カメラを飲むのは初めてですか?」 「ええと………初めてです。」 ………飲む? ………胃カメラって? 一抹の不安を覚えながら看護師のあとについてゆき診察台に横になる。 テレビみたいなものが二台あり、なにやら用途のわからない機械も幾つか置いてあるのが見えた。 左を下にした姿勢を取らされて横向きの顔の頬の下あたりに分厚いペーパーが当てられた。 「はい、このマウスピースを咥えて。 唾は飲み込まないでだらだらとそのまま下にこぼしていいですよ、受けるものが置いてありますから。」 ………えっ? あっという間に口にプラスチック製とおぼしき丸っこいものをはめられて、中央に穴が開いてるな、と思った瞬間、 「口から息をしないで鼻から吸うようにしてくださいね。 ゲップはなるべく我慢してください。 そのほうが早く終ります。」 指示の内容を理解したかしないかのうちに黒くて太いケーブルのようなものが喉の奥に無理矢理突っ込まれた! いや、相手の側から言えば手際よく挿入したということになるのだろうが、俺にはそうは思えない! ハーデス戦でアイオリアが闘ったという地伏星ワームのライミの触手が口の中に侵入してきたようなおぞましさ、と言えばわかってもらえるだろうか。 ぐえっ!!………は、吐きそう……っ!! 実際にはそれほど太くなかったのかもしれないが、ともかく苦しくて苦しくて耐えられないのにもがくことさえできないのだ。 早く終らせるためには身動きしないほうがいいに決まってる。 死にそうな気分で眼を閉じた。 今までの闘いが走馬灯のように脳裏を巡り、これが一番苛酷だと思い知る。 誰かが後ろから背中をさすってくれるが、どうせならカミュにさすって欲しい! いや、こんな姿を見られるのは絶対に嫌だ! 「見られるんでしたらテレビを見ていたほうがいいですよ。 眼をつぶっているとかえって気持ちが悪くなります。」 ………え? テ…レビ? いやいや眼を開けると目の前のテレビ画面にピンク色のなめらかな粘膜っぽいものが映ってる。 「この白っぽいところが声帯ですね。………はい、胃に入りました。空気で膨らませているからちょっと苦しいですね。」 ここに至って理解した。 胃の中にカメラを入れて遠隔操作で中を見てるのだ! 自分の胃の中を見る日が来るとは思わなかった。 唖然としながら喉の絶望的異物感に吐き気が来るのを必死で我慢する。 しかし、あっという間に我慢の限界だ。 「これが胃の出口ですね。 ………ほら、今出てきた茶色い液が胆汁です。」 ……胆汁? 胆汁ってなんだっけ? ………胃の出口って幽門だっけ? 噴門だっけ? ああ、そんなこともうどうでもいいから一秒でも早く終ってくれ! しかし無情にもカメラは先に進んでいった。 「いま十二指腸を見てますよ、はい、なんともないですね。」 俺は十二宮は好きだが十二指腸にはまったく興味がないっ! しかし、こんなふうにリアルタイムで胃の中を生中継していて、もしも素人にもわかるようなものすごい病変が見つかったらどうするんだ?? その場で、「おや? これは……」 なんて言われたら恐怖と疑惑でますます吐き気がこみ上げてくるんじゃないのか? 「きれいですね、大丈夫ですよ。」 幾度も胃の奥からこみ上げてくるものを必死でこらえながらやっとカメラのケーブルは引き出された。 この喜びと安堵の瞬間を俺は忘れない! 八百万の神に感謝する歓喜の瞬間だ。 「はい。ゆっくり起き上がりましょう。」 ………ほんとに死ぬかと思った もう死にそう………二度とやりたくない……… せめてカミュがこれをやらなかったことを救いとしよう 至高のカミュが口にあんなものを捻じ込まれるなんて有り得ないっ! そのあと別室で撮影した写真を見ながら簡単な説明を受けて無罪放免になったが、喉の麻酔が効いているので一時間は飲食をしてはいけないそうだ。言われなくてもすぐに食べる気は起こらない。 「というわけですごかったぜ! あんなことになるとは夢にも思わなかった!」 「胃の内視鏡検査はすなわち胃カメラのことで、口からケーブルでカメラを挿入するということを知らなかったのか?」 「そんな話は聞いてない。 もらった説明書にも口からカメラをいれるなんて一切書いてないぜ。」 「お前の日本語があまりにも流暢なので胃カメラについても知っていると思われたのだろうか?」 首をかしげたカミュが説明書を手に取った。 一通り読んでから裏返す。 「ここに手順が図解してあるが。」 「え?」 あきれたことに紙の裏には横になって喉に内視鏡、すなわち胃カメラを入れてゆく様子がイラストで詳しく描かれているではないか。 「裏なんか見なかった! それを見てたら心の準備ができたのに!」 「しかたあるまい。 未知の敵と闘うときには相手の手の内は一切わからぬものだ。 それを思えば医学的検査にはなんの心配もない。」 「やれやれだ。 それにしても自分の胆汁が分泌されるところをこの目で見るとは思わなかったぜ。」 「え?」 「なんか茶色っぽい液がゴボゴボッて湧き出るようだったな。 もっとじわじわと出てくるものだと思ってたが、かなりの勢いだぜ、あれには驚いた。」 「私も見たい!」 「えっ?」 「得がたい経験だ! 私もぜひ見てみたい!」 「………本気?」 「もちろん! 胃が痛いといったら胃カメラを飲ませてもらえるだろうか? どう思う?」 「知らん!」 理系の探究心は俺には理解不能だ。 ワクワクしているカミュにあきれながら、俺は美穂が置いていった水羊羹を口に放り込んだ。 なぜ書いたかって、私が昨日 胃カメラを飲んだからです。 こんなつらい思いをした代償に見聞録にあげようと思いながら取材をかねて頑張りました。 カミュ様、やめたほうがいいと思いますけど、すい液と胆汁と胃液を見るまで頑張ったりして! |
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