活け造り

伊豆は新鮮な海の幸が豊富な土地柄で、その日の食膳にもミロが特別に希望した豪勢な舟盛りが中央に据えられた。
「ほぅ! これはまた…!!」
「なんとも見事だな! ほんとに船の形をしてるじゃないか♪」
「どうぞ、お召し上がりくださいませ。 このあともほかのお料理をお持ちいたします。」
年配の仲居が頭を下げて出てゆき、二人はさっそく乾杯をする。 といっても、カミュは例の如く唇を湿すだけなのだが。
「さて、どれからいただくとするか♪」
ミロが嬉しそうに箸を伸ばしたときだ。
「ミロっ、ちょっと待て!」
「え……なに?」
「………動いてるっ!!」
目を見開いたカミュの視線を追うと、背中の殻を開かれて白く透き通った身を見せている大きな赤い海老の長いひげがぶるぶると動き、かすかに動く足がカサコソと音を立てている。
「あ………」
「ど、どうするのだっっ!!」
「どうするって………」
頬を引きつらせたカミュが硬直し、ミロにもどうすればいいかわからない。
思わぬことに茫然としていると次の料理が運ばれてきた。 勿体をつけて卓上に置かれた小ぶりなコンロの上の金網には、ミロの手のひらほどの大きさの立派な一枚貝が殻を下にして乗っている。
「こちらがアワビの踊り焼きでございます。」

   ……え?

沈黙の中で二人の視線がそれに向けられ、仲居がコンロに火を移したそのときだ。 肉厚の貝の身のふちのひらひらした部分がきゅーっと縮み、その明らかに生きているとしか思えぬ動きがカミュを畏怖させた。
人がいるので口にこそ出さないが、この想像を絶する有様をカミュがどう思ったか、その性格を知り尽くしているミロには痛いほどよくわかる。

   まずいな!………これはちょっと迫力があり過ぎて…

ミロが眉をひそめた瞬間、イセエビの長いひげが ぎゅんと動いてカミュの方を指差した。 いや、もちろん海老のひげが人を指差すはずはないのだが、二人にはそうとしか思えなかったのだ。 気のせいか、目まで動いたように思われる。
今度こそ身をびくりとさせ蒼白になったカミュがうつむいてしまい、向かい合っているミロをおおいに慌てさせたが、どうすることもできはしないのだ。
そんなことに気付かぬ仲居は淡々として慣れた手つきでアワビにバターと醤油を落とすと、手際よく切り分けたそれをめいめいの皿に取り分けた。
「では、お酒の追加がございましたら、そちらの電話でお申し付けくださいませ。 ご飯はのちほどお櫃でお持ちいたします。」
畳に手を付いて深々とお辞儀をした仲居が出てゆくと、気配が遠くに去るのを確かめたミロがすっとカミュの横に座を移す。
「おい……大丈夫か?」
そっと抱き寄せると、よほどにどきどきしたのか、心拍数がかつてなかったほど速く、額にはうっすらと冷や汗をかいている。
「ミロ………あれは…」
ミロの胸に顔を伏せたカミュがかすれた声で訴える。
「大丈夫だよ………もう…」
ミロがちらりと卓上に目をやった。
「お前を驚かせるものは何もない………動いているのは俺とお前の心臓だけだ………………だから大丈夫…」
やさしい抱擁とそれに続く甘い口付けにカミュがようやく頬を染める。
「すまない………楽しみにしていた食事なのに余計な心配をかけた…」
「気にするな。 いまのはちょっとフェイントだったからな。 正直なところ、俺もおおいに驚いたよ。」
さらに慰めの言葉の合間に幾つかのやさしいキスが交わされてから、これなら大丈夫と見極めたミロが元の席に戻っていった。
「気になるなら海老と貝は俺に任せてくれ、食べられるものだけ食べればいい。」
「ん………そうさせてもらおうか。」
また海老が動くのではないか、と気にしているらしいカミュのために、ミロは内心おそるおそる大きな海老を持上げて自分の盆の上に置くことにした。 幸いびくりともしなかったので、ほっとしたことは事実なのだ。
念のために箸の先で数回つついてから、カミュからは見えないようにして背中の一切れをちょっと醤油につけて口に運ぶと、これがまた甘くてぷりぷりっとした歯ごたえがなんともいえぬ味わいではないか。
例のあわびの踊り焼きも、食べてみれば実にふっくらとやわらかく、その美味しさがミロを唸らせた。
「ほんとに美味しいけど……一口くらい食べないか?」
しかし怖じ気をふるったカミュがふるふると首を振り、絶品のアワビとイセエビはすべてミロの胃の腑におさまったのだった。



   ………でも、動いてるのを賞味するのは似たようなものだな♪

「ねぇ………さっきは恐かった?」
「ん………」
動揺した自分を思い出してさすがに恥ずかしくなったのか、カミュがうつむいた。
「あのときさ………」
「……え?」
「お前が可愛くて、守ってやりたくて………………で、ちょっと食べたくなった♪」
「そんなこと…」
「でも、人がいるから我慢した♪ これから食べてもいいかな?」
「ん………でも…」
「でも……なに?」
「急に私が……その……動いても驚かぬように………」
「……わかった♪」
宵のうちからやむことのないミロの愛に応えるカミュの甘い吐息が闇を染め、ときおり大きく震える身体がたしかな手ごたえを感じさせてくれる。 その夜、とりわけ丁寧に愛されたカミュの反応がミロを瞠目させ、まるで網に捕らわれた銀鱗の魚が跳ねるようだと心中ひそかに思ったことだった。

   ほんとにお前は生きがよくて………俺には過ぎた宝だよ♪

なおも腕の中で跳ねようとする身体を手を尽くしてなだめながら、ミロはふたたび愉悦の海に身を沈めていった。





               初めてイセエビの活け造りを出されてそのひげが突然動いたとき、ともかく驚愕っ!
                  あんまりどきどきして恐かったので、こっちに向いていた顔を反対向きにしてもらいました。
                  ミロ様、張り切って舟盛りを頼んだけど、ちょっと事前調査が足りなかったんですね。

                  この話は前作 「 山葵 」 を書いている途中に出てきたエピソードです。
                  ひとまとめにするのがもったいなくて、こうして独立させました。
                  え? クールに徹するカミュ様が動いてるアワビを平気で箸でつまみあげそうですって?
                  いえ、うちはとってもフェミニン、ナイーブなカミュ様なのでした。

                  それにしても、イセエビとアワビにおそれおののくカミュ様、素敵!(←えっ?)