厳 島 神 社

「ずいぶん外人が多いんだな。」
自分も外人なのにミロがそう言った。
ここは広島県、瀬戸内海に浮かぶ宮島に向かう観光船の乗り場だ。日本人に混じってかなりの数の外人の姿がある。 それも道理で、宮島にある厳島神社は世界遺産としても有名で、内外からひっきりなしに観光客がやってくる。
「それにしても、この時期にも観光客が多いというのはさすがというべきだろう。」
カミュの言うのももっともで、今日は12月も押し詰まった平日だ。秋の紅葉が終わると次のピークの正月までは人出が減ると思われがちだが、しかし厳島神社はそうではないら しい。さすがは清盛以来の歴史のなせる技だろう。
宮島までは2kmほどの近さで、船に乗り込む前から厳島神社の象徴として有名な朱色の鳥居がよく見えて期待を高めてくれている。島民の生活航路にもなっている船は何台かの車と客を乗せると宮島目指して進 み始めた

「ずっと前から来てみたいと思ってたからな。ほら、あれがあの有名な鳥居だ。ほんとに海の上に浮かんでる。」
進行方向右側に見える鳥居を指差したミロは子供のようににこにことして嬉しそうだ。
「あの有名な平清盛が造ったんだろ。」
「いや、創建は推古天皇元年の593年とされている。そののち平安末期に平家一門の崇敬を受け、1168年ごろに清盛が社殿を造営したがその後二度の火災ですべて焼失、現在残る社殿は1240年以降に造営されたものだ。」
「えっ、そうなのか!てっきり清盛が最初に造ったんだと思ってた。」
「そう思われがちだが、古代から島自体が信仰の対象とされていたようだ。戦国時代には毛利元就が信仰し再び隆盛を極めたし、豊臣秀吉は大経堂を寄進している。」
「ふうん、秀吉もか。」
「もっとも完成する前に秀吉が死んだため工事はここで中断した。資金の手当てが滞ったのだろう。」
「それは残念だな。未完成のまま朽ち果てたというわけか。」
「いや、天井板と壁以外はほとんどできあがっていたので、今もしっかりと残っているそうだ。畳857枚分の広さがあるため千畳閣とも言われている。」
「そいつはすごいな、あとで行ってみよう。」
そんなことをしゃべっているうちに桟橋に船が着いた。船着き場の建物の外は気持ちのいい広場になっていて、あちらこちらにのんびりと鹿が歩いている。
「おい、鹿がいるぜ。奈良にも鹿がいるから厳島神社にいてもいいけど。」
奈良で野性の鹿が市民生活に溶け込んでいるのをよく知っているのでミロもたいして不思議に思わない。奈良公園の鹿は春日大社の神鹿だからここの鹿も厳島神社の神鹿なのだ ろうと考えているが、実際には昔から生息していた野性の鹿が餌付けされて人に慣れているというだけのことだ。
日本ではさして不思議には思われないが、世界的にみるとこれはかなり珍しい。 ただ日本人がそうは思っていないだけだ。奈良と違って餌用の鹿せんべいは売られておらず、自然の食生活に戻すため餌やりは禁止されている。
「……あれ?なんで?」
鹿を見ながら海に沿ってゆったりとした道を進んでいくと朱色の鳥居が近くに見えてきた。 それはいいのだが、なんだか様子が違う。テレビやポスターでしばしば見かける厳島神社の朱色の鳥居は海に浮かんでいるはずなのに今は海底に直接建っているように見えるのだ 。
「話が違うっ!なんで海がないんだ?」
「海がないのではなく、干潮で海水が引いているため海底が露出しているだけだ。訪れる時間帯によってはこの状態の鳥居を見るのが当然だ。ちなみにこの鳥居より奥に位置する 厳島神社の本殿や回廊も今の時間帯には潮が引いており、お前の期待するような光景ではない。」
「えっ、そうなのか!ちょっと予想外だな。来た時間が悪かったってわけか。」
目の前に広がる露出した海底の上に建っている社殿は少し、いや、かなりミロをがっかりさせた。それはたしかにこんな眺めをポスターに使うわけにはいかないのはよくわかる 。
「どうせ建てるなら干潮のときにも水が引かない場所にすれば、いつでも美しいと思うんだが。」
「それでは建築することが不可能だ。ここを建立したときには、基礎の部材をあらかた組み上げておいて、干潮になったときを見計らって一気に運び入れて基本形を造ったのだろう。時間との戦いだったろうと思う。」
「そうか!今の建築技術とは違うからな。それにしても最初に見るのがこれって……」
「今夜の満潮時に宿の仕立ててくれた船に乗って海上から参拝することになっているし、明日の潮時にもう一度来ればよかろう。」
「それもそうだな、夜に海底が露出していたらそれはそれでがっかりだからな。ああ、ここに干潮と満潮の時刻が書いてある。」
厳島神社の入り口にはその日の潮の満ち干の時刻が掲示してあるのが親切だ。拝観料を払って回廊を歩いて行くと周りの水はすっかり引いていて、そこを何頭かの鹿がのんびりと歩いている。海底を歩く鹿というのも珍しい。水のひいた海底には海藻のアオサがたくさん取り残されている。
「ふうん、これもそれなりに風情があるな。」
水がないのにも慣れたので気分よく歩いていると、どこかでキュウゥーンという声がした。
「あれは?」
「鹿の声だろう。」
「声聞くときぞ秋は哀しき、ってわけね。」
「今は冬だ。」
「うん、わかってる。」
厳島神社には他所の神社のような境内に当たるものはないので、観光客は海上に架けられた回廊を巡りながら本殿、能舞台などを見て回ることになる。 黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄を付けた高舞台 (たかぶたい) では舞楽が奉納されることもあり往時の姿をしのばせる。
「清盛もここに立って我が世の春を思ったのかな。」
「平家一門の繁栄を祈り、権勢を誇ったのだろう。社殿全体は寝殿造りとなっており、瀬戸内海を池に見立てているというから豪壮なものだ。」
「さすがは清盛だよ。」
十二月といえども陽射しは強く、海風の冷たさが快い。
「海上に神殿を建てるっていう発想がすごいな。十二宮なんて普通に山の上だから平凡とも言える。」
しかしそれゆえに厳島神社は自然の脅威に晒されやすい。平成に入ってからも大きな台風がいくつも厳島神社を直撃し甚大な被害を与えたことは記憶に新しい。
「ほんとにあれはひどかったな。ニュースを見て愕然とした。」
海水に浸かった回廊、剥落した桧皮、倒壊した左楽房を思い出す。今はそれもすっかり修復されて、新しく葺き替えられた檜皮葺きの屋根の色がそれかと思わせるだけだ。
本殿で参拝をすませると二人の足は厳島神社の裏手へと向かった。道はすぐに登り坂になり山の中腹へと広がるもみじ谷公園の中に入って行く。景勝地の公園だからといって、京都の円山公園あたりを連想されてはいささか違うというものだ。自然の山あいをそのまま生かして美しく整えられているここは、紅葉の時期はいざ知らず、普段はこの奥にあるロープウェイを目指す観光客しか通らない静かなところでとても趣がある。
今宵の宿はその公園の中にある岩惣だ。岩惣といえば宮島にこの宿ありと言われる名宿で、昔から多くの各国貴賓・文人墨客が逗留したことで知られている。
「ああ、これはよい!」
宿の正面を見たカミュが嘆声を上げた。塵一つなく掃き清められた公園の一角に佇む数奇屋造りの旅館が見事に風景に溶け込んでいる。
「どうだ、なかなかのものだろう。」
「たしかに。」
「厳島神社にふさわしい宿を選んだつもりだ。満足してくれた?」
「もちろんだ。」
頷いたカミュが格子戸をからりと開けた。






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