「 旅行 」


それは突然だった。 ムウ、シャカ、ミロ、カミュの四人に極東の国、ジパングの視察が命ぜられたのである。二泊三日の小旅行でたいした準備も必要ないが、この人選には誰もが首をかしげた。
「なんだ、そりゃ?婚前旅行に行ってこいってことか?シオンのやつ、気が効き過ぎるんじゃないのか?」
「デス、口を慎み給え!だいいち、二組一緒の婚前旅行はあるまい。」
「じゃあ、どうしてシャカが入ってるんだ?あいつが視察に向いてると思うか?」
そう言われるとアフロディーテもぐっと詰まるのだ。 ムウ、ミロ、カミュの三人は現実的な感覚を持っているのでなんの問題もなく視察をこなすだろう。とくにムウとカミュは論理的な考察にみちあふれた報告書を提出するに違いない。
アフロディーテとてミロにはそこまでは期待しないが、カミュの補佐もあることだし、彼なりに実際的な内容をまとめあげてくるだろう。
しかし、シャカは………
「あいつがレポートなんか書くと思うか? 『それになんの意味があるのかね?』 って言うのが目に見えるぜ。」
そうなのだ、誰しもシャカのメンバー入りに首をかしげざるを得ない。そしてその疑問を真っ先にいだいたのはムウだった。
「シオン様、ちょっとお伺いしたいのですが、なぜシャカがメンバーに入っているのです?」
ミロとカミュはシャカのことをたいして気にしていない。ムウの見るところ、お互いしか見えていないようで、揃ってメンバーに選ばれたことに満足していて、日本のガイドブックをめくりながら旅行前の充実した時間を楽しんでいるのが見え見えだ。
しかし、シャカは、デスマスクの指摘を待つまでもなく、旅行には一切の関心を持たずに処女宮の奥で結跏趺座して瞑想に耽っているばかりなのだ。ムウが日本旅行についての下調べをしようと誘っても、関心がないから君に任せる、という返事が返ってきたのみだ。
「ムウよ、おぬしらは天蠍宮にあの二人の夜伽を見に行ったことがあったのう。」
夜伽とはまた古い言葉でムウはあきれてしまうのだが、それは気にしないことにした。そういうことを指摘するとシオンの機嫌はてきめんに悪くなる。
「ええ、それがなにか?」
「夜伽の実態を見るよりも、日常のなにげない様子を観察するほうがよっぽど違いがわかって参考になると思うが。」
「え?」
「ほんのちょっとした会話がおまえたちとどう違うのか比較するのもよかろう。汝自身を知れ、ということだ。」
「違い…ですか?」
「二泊三日も異国で団体行動すれば、ここにおるのと違って見えてくるものがあろう。それで、おまえたちの仲が進展すれば儲けものじゃ。」
「ただそれだけのためにこの視察旅行を?」
「年間五回の視察旅行の概要とメンバー決定は教皇の専任事項だ。わしに任せい。弟子がかわいいのはカミュだけではないぞ。」
いくら弟子思いのカミュといえども、氷河を公費で婚前旅行に送り出したりするはずはない。事業仕分けがあったら真っ先に俎上に乗せられるだろうと思いながらムウは教皇宮をあとにした。

いざ旅行に出てみると、なるほどさすがのシャカといえども瞑想に耽ってばかりはいられない。飛行機のシートでは瞑想していたようだが、日中は移動や見学が多く行動は普通の人と同じにならざるを得ないのだ。
いきおい、ミロとカミュの言動に注意がいき、シャカなりになにか思ったらしかった。
「よくしゃべるものだな。」
「なにがです?」
「ミロだ。よくもあんなにしゃべることがあるものだ。」
「あれくらいは人間として普通ですよ。あなたがろくに話をしないので私もやむなく黙っていることが多いのですが、カミュは話し掛けられればちゃんと返事をするし、話もまともに続いているではありませんか。」
「そうか?」
「そうですよ、あなたのお得意の慧眼で観察してみたらどうですか?」
たとえばこうだ。日本に着いてすぐに気がつくのは日本人の黒い髪と全般的に背が低いことである。
まずミロがこう言った。
「ふ〜ん、日本人ってのは背が低くて髪が黒いっていうのはほんとなんだな。」
「アジアでは遺伝的に黒髪が当然だ。身長については食生活の変化により今後欧米に追いつく可能性がある。」
「俺の金髪なんか珍しかったりして。さっき、さんざん見られたあげく写真を撮っていいですか、って頼まれて驚いた。もちろん断ったけど。お前以外に俺の写真を持たせる理由はないからな。」
「ほう!私はなにも言われなかったが。金髪ではないからか?」
「お前が綺麗過ぎるからドキドキして頼めなかったんじゃないのか。その点、俺は庶民的だから。」
「そういうものか?」
「そうだよ。」
そうして話題はほかのことに移っていく。当たり前のことだ。
しかし、このなんということもない短い会話の中にカミュの美の賛美とミロの独占欲までごく自然に加味されていて、ムウには羨ましくてしかたがない。ムウとシャカでは百年経ってもできない芸当だ。
この同じ話題がムウとシャカではどうなるか。
「ほう、日本人というのは背が低くて髪が黒いと聞いていましたが本当なんですね。」
「当然だ。」
ここで話は終わる。シャカとの会話のキャッチボールは成立しない。ムウが投げた球はシャカのすぐ横をかすめて銀河の彼方へ飛んでゆき、二度と戻ってくることはない。
カミュが気の利いたことや冗談を言うわけではないのだが、きちんと内容のある返事をするので、結果としてミロとの話が続く。ムウには望めないごく普通の会話がなんと羨ましいことか。
「あなたはあれを聞いてもなんとも思わないんですか?挨拶は人間関係の基本ですが、それに続く会話も大事です。」
「私にそれを望むのは無理だと思わないのかね?」
「あなたも人なんですから、夕焼けを見てきれいだとか思うでしょう?それを私に言えばいいんです。」
「今は昼間だ。」
すべからくこの調子である。

夕食は京都嵐山 「吉兆」 の超高級懐石料理だ。アテナの紹介があるのできわめて格調の高い座敷に通される。この店はミロの事前研究により選ばれたもの で、どうやらそのコンセプトは、大事なカミュに最高のものを食べさせたい、というところにあるらしい。そんなことを思うはずのないシャカが恋人というのは ムウには少し悔しい。
「どうせ費用はグラード財団持ちだからな。せっかく来たからには、日本料理の真髄を味わうべきだ。凍気の真髄はお前に任せるが。」
「では、お前の真髄はなんだ?」
「ふふふ……ここでは言えない。あとでゆっくり教えてやるよ。」
軽く頷いて手の込んだ料理に箸を伸ばしたカミュの耳が真っ赤に染まっているのを見たムウは思わず唸ってしまった。

   う〜ん、この二人の意思の疎通は完璧です!
   シャカには今の会話の意味するところは、百年経ってもわからないに決まってますね

「これ、なんだかわからないが美味いな!ほんのちょっとしかないが、すごく凝ってるぜ!酒の肴に最高だ!」
「私が飲めなくてすまぬ。さ、もう一献。」
「うん、気分だけでも味わって欲しいから、お前にも注がせてくれ。」
「それでは……ほう!金箔が!」
「う〜ん、俺たち、黄金にふさわしい酒だな!この酒を買って帰れるか、聞いてくれないか?」
ミロの要望に応えたカミュが仲居を呼んで英語で交渉した結果、帰りがけには金箔入り大吟醸が用意されることになった。
「そっちの分も頼むか?」
「……え?ああ、お願いします。」
「じゃ、ムウたちの分も追加ね。」
「わかった。」
なんでもない会話だ。料理を褒めて気に入った酒を頼む。 しかし、ムウには望めない。今のムウには目の前で和気藹々と懐石料理を楽しんでいる二人が別世界の人間に見えた。この間、シャカは少しだけ目を開いて朱塗 りの半月盆に載せられた美しい料理の数々をゆっくりと食べていた。

「それじゃ。」
「おやすみなさい。」
京都、柊屋の隣り合う二部屋に別れて入り、日本での初めての夜が来た。初めて見るフトンが珍しく、ムウが目をみはる。
「ほう!話には聞いていましたが、これがあの…」
「静かに。」
「…え?」
シャカを見ると、フトンの横に立ったまま、隣りに顔を向けている。   

   あ……

隣から流れて来るのは明らかにミロの攻撃的小宇宙で、しかし、その攻撃は現実の敵に対するものとはまるっきり違っていて、要するに……
続いて流れて来たのはカミュのものに違いない。やわらかくしっとりとしてミロの小宇宙に寄り添うようで。
「あ…」
なにが起ころうとしているか悟ったムウが顔を赤くしていると、シャカに肩をたたかれた。
「なにをしている?ミロに負けてどうするのだ?」
「えっ…」
「私には彼らと違ってたしなみというものがあるのでね。人前で顔の赤くなるようなことを言う気はさらさらないが、ミロごときに遅れを取るつもりは金輪際ない。」
「シャカ!」
たしなみがありすぎるのも考え物だが、なにも感じてなかったわけではなさそうだ。
「それでは…」
明かりが落とされて白い裸身が浮かび上がる。隣から流れてくる甘い小宇宙が気になるが、それを跳ね返すくらいにこちらも小宇宙を高めればすむことだ。
「シャカ、愛していますよ…」
「ん…」
四つの想いが溶け合って、京都の夜を染めていった。

「ほら、うまくいっただろ。」
「私はいささか恥ずかしかった…」
「大丈夫だよ、見られてたわけじゃないし。シャカがあんなに堅物じゃ、ムウが気の毒だからな。俺たちだけ楽しんじゃ悪いし。で、今夜もよろしく!」
「えっ、また小宇宙を送るのか?」
「いや、今夜は向こうのほうが先だろう。ギブアンドテイクだからな。あのムウがこのままでいるはずはない。よろしくっていうのは、こっちも楽しくやろうってこと。」
「わかった…」
こうして二組の蜜月旅行はそれなりに成果をあげたのだった。

「それみたことか、うまくいったではないか。次の視察旅行には誰を派遣しようかのぅ?ロスサガはどうじゃ?お前がよければ、カノサガでもよいが。」
「ごめんこうむりますっ!」
サガが即答する。そんな事実と異なる噂が立つのはまっぴら御免だ。
「では、ラダカノはどうじゃ?あそこも煮え切らんが。機会を与えてやるのも友愛じゃろう。」
「シオン様、冥界に所属する人間に予算は支出いたしかねます。」
財務局の役人からさっそく仕分けが入る。
「つまらんのう。では、ここは一つ、わしと童虎で行くのはどうだ?18歳といえば人間がいちばん美しく輝くという最高の…」
「すまんが、史記のギリシャ語訳をアテナから頼まれておってのう。御用繁多で聖域から離れるわけにはいかんのじゃよ。」
シオンが溜め息をついた。