法 隆 寺

その日の午後、二人は観光バスに乗って斑鳩の法隆寺を見に行くことにした。 東大寺と興福寺はJRと近鉄奈良駅から歩いても行けるが、法隆寺はかなり離れたところにあって、観光バスを利用するほうが効率的だとはカミュの判断である。
「まかせるよ、お前の判断に狂いはないからな。 で、俺はせっかく奈良に来たんだからこの 『 大仏びっくりうどん 』 にする。」
「え? それはどういうものだろうか?」
「わからんが、面白そうじゃないか。」
「では、私もそれでよい。」
ミロが合図して店員を呼んだ。
「この大仏びっくりうどんって、なにかな?」
「そちらは量が多めになっています。」
「じゃ、それ二つね!」
観光バスに乗るために駅前にやってきた二人は昼食の場所を探してうどん屋に入ったところである。
「うどん屋に入ったのは初めてだ。」
「たまに宿でも出してくれるが滅多にないし、いい経験だよ。」
やがて運ばれて来たうどんの丼はさすがに大きくて二人を苦笑させた。
「七味は?」
「いただこう。」
このあたりの呼吸もぴったりだ。油揚げや葱の入った 関西風の薄い色の汁が好ましい。
「大仏びっくりって、 『 大仏! 』  って書くのかな?」
「なぜ?」
「だって、ええと、気を悪くするなよ。 アテナ・エクスクラメーションのことをアテナびっくり!、って言ったりする。 エクスクラメーションが長くて言いにくいし、エクスクラメーション・マークって 『 ! 』  で、意味的には、びっくり、だからだそうだ。」
「冗談だろう。」
「やっぱり、そう思う?」
「当然だ。」
うどんを食べ終えた二人は道の向かい側にある観光バス乗り場へ向かった。
「京都よりは数が少ないんだな。」
ミロの言う通りで、パンフレットを開いてみると、数え切れないほどある京都の観光バスルートよりはるかに種類が少ないのがわかる。 受付カウンターで予約番号を言ってチケットと引き換えたカミュが振り返った。
「寺社の数が京都ほど多くないことと、2月という季節がそもそも観光客が少ないので時期的にルートを減らしているのかもしれぬ。 ゆえに、」
「なに?」
「法隆寺コースの客は私たち二人だけだそうた。」
「ほんとに?」
「喜べ、お前の好きな貸し切りだ。」
「東大寺の貸し切りとは違って、それって寂しくないか?」
「しかたあるまい、不可抗力だ。」
しかし、いざ乗り込むと、これは思いのほかラッキーだった。 ミロが一番前のシートを選択したのでバスガイドの説明を間近で聞くことになり、カミュの知識欲をいたく満足させたのである。
なにしろ外人客なので、日本語がどこまでわかるか心配したバスガイドが説明のたびに、
「おわかりになります?」
と付け加え、それに答えるカミュの広範な知識がついに理解されてきわめて友好的な関係を結ぶに至ったのだ。
「もうすぐ通過いたします交差点のこちら側の電信柱に、とあるお寺の看板がついておりまして、皆様お読みになれますでしょうか?」
カミュがさっと目をやった。
「ああ、帯解寺 ( おびとけでら ) ですね!」
「さすがによくご存知でいらっしゃいますね!」

   その寺はなんだ?
   俺は知らんぞ!

「ずいぶんな名前の寺だと思うが、どうしてお前が知っている?」
「この寺は平安貴族が子宝祈願をした寺として有名だ。千年前の文徳天皇の皇后が懐妊祈願をしたところ子を授かったので、それを喜んだ 文徳天皇が、安産の帯が解けた寺ゆえ帯解寺と命名したという。 お前の好きなジャパネスクにも載っていたはずだが。」
「あ〜、そう言えば!帯解なんていうから、ついほかのことを連想させられた。」
「水戸黄門か?」
「まあね。」
日本通の方向性が間違ってないかとカミュは思う。

郊外の畑や住宅が点在する道路をかなり走ったところで右に曲がったバスが広い駐車場に停まった。
「お疲れ様でした、法隆寺に到着でございます!」
バスガイドはすっかり慣れていて、拝観劵売場の係員に、
「こんにちは!よろしくお願いしま〜す!」
と声をかけ、いかにも顔見知りらしく合図をして通り抜け、そんなものかとミロを感心させる。
「二人だけなんていうのは珍しいんですか?」
「時々ありますよ、今の季節はお客様が少ないですし。」
「申し訳ないですね、たった二人のために説明してもらっちゃって。」
「そんなことないですよ〜、お気になさらなくて大丈夫ですから。」
車内で気のおけない仲になってはいるが、そこはさすがにプロで、歴史的背景や美術的鑑賞ポイントをきちんと解説してくれて、カミュとの問答もよく弾む。
「ああ、この柱があの有名な!」
「ええ、ギリシャ文明の影響を受けたエンタシスの柱とよく言われているんですが、実はそうではないらしいんですよ。 」
「日本の建築学界では認めていないらしいですね。」
「え? そうなのか?」
「その説を言い出したのは、法隆寺が日本最古の木造建築であると立証した建築家の伊東忠太だが、彼はそれを証明するために日本を出発して中国、インド、ギリシャへとロバに乗って3年かけて旅をしてたくさんの建築物を見て歩いた。 その結果、日本の木造建築につながるものをなにも発見できず、その後は法隆寺の柱がギリシャ建築のエンタシスに関係しているという説についてはなにも言わなくなるのだ。 しかし、エンタシス説は広く流布して、いまだに多くの人がそう信じている。」
「ギリシャ神殿の柱は上に行くほど細くなっているのだそうですが、ここの柱は真ん中より下が少し膨らんでいる形で、そこのところも違っています。」
「ああ、そういえば俺のところも確かにそうだな!」
「はい?」
「ええと……実は私たちはギリシャから来てまして。」
「まあ! そうなんですの?! それなら時々はエンタシスの柱の実物もご覧になるのでしょう?」
「時々というか………ええ、まあ……」
「すばらしいですね〜、あんな立派な世界遺産のあるお国にお住まいで! いつでも見にいけていいですね! パルテノン神殿って、一度行ってみたいんです!」

   見に行くもなにも………俺たち、その世界遺産に住んでるような気が………
   しかも、時々派手にぶっ壊したりして………あれって世界遺産の破壊か?

いまだに修復の終わっていない白羊宮や処女宮のことを思い出し、ミロが苦笑する。 ちらっとカミュを見ると、やはり同じことを考えたらしく少し頬が赤い。 処女宮の破壊については二人とも例の 『 アテナびっくり! 』  の当事者なので、いま思い出しても冷や汗が出る。
「お前が詳しいから向こうも説明のし甲斐があるんじゃないか。仮に、なにも知らなくて興味もない人間にバスに乗られたとしたら、説明するのがいやになるんじゃないかなぁ。」
「それもあるだろうが、あまり詳し過ぎるのもどうかと思って控え目にするのも気をつかうものだ。」
「あ〜、そうなわけ?」
バスガイドよりも客が専門的なのも問題ありだな、と思ったミロが、
「修学旅行の団体なんて、やっぱりたいへんですか? 説明を聞かない生徒もいるんでしょう?」
と聞いてみると予想に反した答えが返って来た。
「そういう生徒さんもいますけど、このごろは別の苦労があるんですよ〜。」
「え?」
「最近の教科書では、聖徳太子じゃなくて厩戸皇子というのだそうです。 ついうっかり聖徳太子っていうと生徒さんから一斉に訂正されます。 死後100年くらい経ってから聖徳太子と呼ばれ始めたのだそうで、存命中の名前のほうがいいということです。」
「ほう!そうなのですか!」
「あと、堺市大仙町にある仁徳天皇陵はこのごろの教科書には大仙古墳って書かれているらしいですよ。 宮内庁が発掘調査を認めないので、仁徳天皇が埋葬されているという確証がなく、考古学者が、ほかの古墳に倣って地名をつけて呼ぶべきだって主張してるのだそうです。」
「それは知らなかった!」
「ほかにも、今は、いい国 (1192) 作ろう鎌倉幕府じゃないんです。」
「えっ?」
「なんでも、1192年は頼朝が征夷大将軍に就いた年で、鎌倉幕府が成立したのは守護・地頭を任命する権利を得て幕府の制度を整えた1185年 というのが正しいらしくて、私たちも覚えるのがたいへんなんです。 修学旅行の子達が来ると、今度はなにを言われるかとどきどきします。」
「ふ〜ん!」
「でも、大人たちはそんなことは知りませんから、いつまでたっても、いい国作ろう鎌倉幕府ですのよ。 そのほうが語呂がいいんですけどね。」
現代の学習事情はどうにも忙しい。
目の前に聳える五重塔は幽久の歴史を今に伝えて、そんなことは枝葉末節のことだと言っているようにミロには思える。

「では、こちらの大宝蔵院にお二人でどうぞ。 時間が短くて申し訳ありませんが、30分後にバスでお待ちしています。」
「じゃあ、あとで!」
平成10年に新しく作られたこの建物には、その名にたがわず素晴らしい収蔵品があって二人を驚かせた。
「ふ〜〜ん、これが本物の玉虫の厨子か!」
「思っていたよりも、ずいぶんと大きいのだな! あそこの透かし彫りの金具の下に玉虫の羽根を敷き詰めたのだろう。」
「今は黒ずんでいるが、作られた当時は目が覚めるほどきれいだったろうな!」
本物の重量感はたいしたものだ。 歴史の重みが刻まれて、この寺の古さを偲ばせる。
やはり有名な夢違観音 ( ゆめたがいかんのん ) は悪夢をよい夢に変えてくれるという言い伝えがある90センチに満たない仏像で、そのやさしい表情がミロを微笑ませた。
「お前がつぎに悪夢を見たときには俺がここまでテレポートしてきて祈ってやるよ。」
「赤外線監視装置に触れぬようにな。」
「気をつける。 でも、俺がいない間、悪夢に怯えたりしない?」
「我慢する。」
声をひそめて話しながらめぐってゆくと百済観音に遭遇した。 とても長身のこの像は、横から見ると緩やかなS字カーブを描くポーズで立っていて、そこも人気の一つだ。
「ほら、アルカイック・スマイル! お前の微笑みも素敵だけど。」
「またそんなことを……」
冗談を織り交ぜながらミロも真剣に鑑賞し、ほかにもたくさんの国宝や重要文化財が二人の目を楽しませた。
「30分ではとても足りないと思うぜ。」
「そこが観光バスのつらいところだ。」
時間に合わせてバスまで戻り、ふたたび車中の人となる。
「いかがでしたか?」
「素晴らしいですね!さすがは法隆寺です!」
「次は薬師寺にお連れします。国宝の東搭だけが創建当時からの建物で、あとは残念ながら後世に建てられたものとなっております。 この東塔、一見しますと六重の搭に見えますが、実は一、三、五番目の屋根に見えるものは裳階 ( もこし ) と申しまして屋根ではございません。 実際には三重塔となっております。 搭の階数は屋根の数でなく、部屋の数で数えるそうでございます。 この屋根と裳階のデザインがたいへんに美しくなっております。」
「ああ、凍れる音楽ね♪」
「フェノロサだ。」
「ほんとによくご存知でいらっしゃいます!」
車内に明るい笑いがあふれた。 斑鳩の里にもうすぐ春がやってくる。





        
明治時代に薬師寺の東搭を見たフェノロサが 「凍れる音楽」 と形容したという話は有名です。
        もっとも調べてみると、それ以前にドイツでは、
        建築のことを 「凍れる音楽 erstarrte Musik 」 と表現することが行われていたとか。
        でも、フェノロサがそう言った、という話は伝説になってもいいと思います、素敵です。
        薬師寺でこの塔を見上げながら、
        「凍れる音楽か…!」 というのが旅の醍醐味です、気分はフェノロサ。

        「お前って、凍れる聖闘士?」
        「え?」
        「もしそうなら俺が溶かしてやるけど。」
        「……」

                                   
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