翌朝の目覚めは早かった。
蚊帳の中には白檀の東洋的な香りが仄かに残り、隣りに眠るミロを見た私は、ふと昨夜のことを思い出して人知れず頬を染めた。
夏のこととて5時を回った頃にはすっかり明るくなっている。 雨戸の開いている箇所から障子を通して光が差し込み、風に揺れる蚊帳を見せてくれていた。
この家は古い造りで、淡い緑の蚊帳を通して見る天井板もくすんだ木目を見せており、ほんとうにトトロに出てくる家とよく似ているのだ。 先日見たばかりの映画のことや昨夜のことをあれこれ考えながらゆっくりしていると、やがてミロが寝返りを打った。
「ん〜、おはよう、カミュ………♪」
何を考えていたか、私を見ている青い瞳に見透かされそうな気がしてどきっとしてしまう。
「おはよう、さあ、暑くなる前に散歩に行くとしよう。 起きるぞ。」
「え〜っ、もう? 朝を楽しんむじゃ、だめなのか?」
「ここはトトロの宿だ。 トトロに散歩はつきものゆえ、私は散歩をしてみたい。 きっと朝顔がきれいに咲いているだろう。」
起き抜けにそんなことを言われて不本意そうなミロにはかまわずに、さっさと起き上がった私は説明のパンフレットを手に取ると、蚊帳の畳み方を読んでみた。
どうやら今の日本人も蚊帳の畳み方についての知識が失われているらしく、図解入りの説明は懇切丁寧で、それを英訳した文章も極めてわかりやすいのだ。
「ミロはそちら側の鉤をはずしてくれ。 私はこちら側のを引き受ける。」
「ああ、わかったよ。 鍋奉行ならぬ蚊帳奉行だな、お前は。」
やれやれ、といった顔で蚊帳の外に出たミロが手を伸ばして蚊帳の鉤をはずそうとしたときだ。
「あれ? 枕元に携帯を置きっぱなしだな。」
「あ…」
あとから思えば、携帯など蚊帳を畳んだ後でもいくらでも拾えるものを、そのときの私は深く考えもせずもう一度蚊帳の裾をくぐって中に入っていった。

   あっ………!

四隅の鉤が次々とはずされ、気が付いたときには私の上に蚊帳がすっかりかぶさっている。
「ミロ! 何を………!」
驚いて蚊帳を跳ね除けようとしたときは、すでにミロの手が私の肩を押さえ込んでいる。
「ふふふ………つかまえた♪」
ふわふわとした蚊帳の上からやんわりと私をとらえたミロが淡い緑のベール越しに抱きしめにかかり、突然のことに私は動転するばかりなのだ。
「よせ!………よさぬか、ミロっ! もうこんなに明るいのに……!」
「やだ!………もっとカミュと日本の朝を楽しみたい♪」
驚きもがいていると、たしかに蚊帳でへだてられていたのにどこをどうされたものか、いつしか帯がほどかれて浴衣も肩をすべり落ち、素肌に蚊帳をまとっている自分に気が付いた。
「やめよ、ミロ……!こんな……こんなこと………」
「でも蚊帳の感触って良くない? すべすべしてさらっとして気持ちいいと思うけど♪」
蚊帳越しに私をまさぐるミロの手の暖かさもいつもほど感じられなくて、そのかわりに身体中をゆるく包んでいるさらさらとした薄布が私の中の微妙な感覚を呼び覚ます。 先ほどから私の胸に触れているミロの繊細な指の動きがいつもより柔和に思われて、知らず知らずのうちに背をそらして身体を押し付けているとはなんとしたことだろう。
「ミロ………やめて………ミ…ロ………あ…」

   違う………それではまだ……足りぬ……………
   もっと………もっと……ミロ………

常とは違う中途半端な接触が私をじりじりとさせ、胸の中には違う言葉が浮かんでくるのに今の私にはそれを口にする勇気など出はしない。
耳に息を吹き込まれても、のどもとに唇を押し当てられても、なにもかもが物足りなくてかえって苦痛を覚えるけれど、どうして私にそれが言えようか。
「カミュ………カミュ………………初めての蚊帳の肌当たりはどうかな………気に入った?」
「ミロ………」

   ………抱いて欲しい………いつもみたいに………………肌を合わせて欲しい
   ああ………ミロ……このままでは私は………

やんわりと抱かれながらその抱擁を半ばしか感じられないで煩悶する私のつらさをミロはどれほどわかっているだろう。
蚊帳など要らないから………この肌でお前を確かめたいから………そう言えたなら、すぐにでもミロは蚊帳を押しのけて私を抱いてくれるだろうに。
「あ………」
ミロの手が唇が私を求めてくる。
言葉に出せぬ代わりにせめて抱き返そうとしても、蚊帳が私たちの間をへだてて思うにまかせずもどかしい思いは募るばかりなのだ。
「どう? まだ散歩に行きたい?」

   ……散歩など………そんなものは望んでいない……!
   ミロ………私は………………

焦燥の念がいっそう強まり、ついに重さと甘さの入り混じった吐息を吐いたときだ。
「………でも俺はお前の身体を散策したい♪」
私を放したミロが、すっと蚊帳をくぐって私のそばに来てくれた。
「それでいいかな♪」
くすっと笑ったミロが素肌の私を抱きしめ、その心地よさが私を酔わせるのだ。 蚊帳の中で見るミロの笑顔が嬉しくて思わず頬が染まる。
「ん………散策してくれて…よい…」
ミロのおかげで蚊帳が触れているのは腕だけになり、私は心ゆくまでミロを抱きしめることができた。

   ミロ………ミロ………………待っていたから……

心は伝わったろうか?

そう、きっと伝わったのだと思っている。
「待たせてごめん……」 とささやいてくれたから。




                 
朝顔は 「 朝の美女 」 の意味とか。
                 蚊帳と朝顔、まさに日本の夏ですね。
 
                 ミロボタンに比べるとはるかに登場回数の少ないカミュボタン。
                 カミュ様、心理表現において少しは進歩したと思いますよ、
                 一つ階段を上がれたかしら(笑)。