金 髪 碧 眼

二人の日本滞在もかなり長くなるが、友人を作るまでには至っていない。 
なにしろ一泊五万円の宿である。たいていの客は一泊しただけで帰っていくし、たまに二泊する客がいてもそれで顔見知りになるというわけでもない。長逗留していて親しくなったのは囲碁の桑原本因坊とピアノ教師のれいこだけで、それもかなり前のことになる。 
むろん、欧米人に憧れる傾向が強い日本人はミロとカミュにおおいに注目してくれるのだが、それと話し掛けてくるかどうかは別問題だ。たいていは遠くからさりげなく眺めて、それこそ観賞するにとどまっているというのが実態だ。 
ともかく日本人と話が弾んだことがほとんどない。 
 
美穂に言わせると、気おくれするからではないかという。 
「気おくれって?」 
「あの、こんなことを申し上げてはなんですけれど…」 
「いいから言ってみて。」 
「お二人ともたいへんに…その……おきれいで素敵でいらっしゃるので、ドキドキしてしまってなにを言っていいのかわからなくて、結局、形だけの会話に終わってしまうのではないかと思います。」 
「…え?」 
「あの、日本人はまだまだ外国の方に慣れていなくて、どこかで見かけると 『 あっ、外人だ!』 と思って身構えてしまうことが多いんです。」 
「身構えるって………まさか防御?俺たちに?」 
ミロの頭に、自分たちを見て防御体勢をとっている日本人の姿が浮かぶ。 
いや、宇宙人ではあるまいし、そんなことをされた覚えはないのだが。それに聖闘士の小宇宙を感じ取って身構えることができるのは冥闘士くらいのものだろう。 
「いえ、そんなふうに身構えるのではなくて!」 
さすがに慌てた美穂が手を振った。宿泊客としてごく普通に接しているミロが聖闘士であることを突然思い出す。聖衣姿を見たことのない美穂にはまったく実感がないが、敵と闘うこともあると聞かされてはいる。

    いつもはおやさしくて朗らかでいらっしゃるけれど、闘うときはきっと厳しい態度になられるのだわ 

厳しいもなにも、本格的戦闘モードのミロを美穂が見ようものなら、たいへんなことになる。もともと好戦的なミロが実力伯仲した好敵手に相対して闘争本能と生存本能に身を委ねたら、その技の特性もあって流血おびただしい凄惨な場面が展開されるに違いない。一般人の美穂がその有様を見るはずもないが、万が一見られたら、その後はミロを見る目が変わってしまうに違いない。けっして歓迎できないフィルターである。 
 
「英語ができない人は外国の方に話しかけられたら大変だと思うので近くに寄らないようにするとか、」 
「えっ!」 
外人が全部英語を話すと思い込んでいるところがそもそも間違いだが、英語以外の言語で話しかけられたらますますアウトだろう。 
「きちんとしていないと日本人として恥ずかしいと思うので背筋を伸ばして真面目な顔をするとか、」 
「ふ〜ん!」 
「もし道を尋ねられたらどんな風に返事をするか心の中でシミュレーションするとか、」 
「……そこまでする?」 
人にもよるが、かなりの日本人がなんらかの意識をするのは間違いのないところだろう。
「でも俺たちは日本語ができるから、いったん話が始まればなにも問題ないんじゃない?」
「いえあの、そうすると今度は、この人はこんなに日本語が上手なのに学校で6年も英語を習った自分はなにも話せない、と思ってがっかりして自信をなくしたりします。」
「それは…」
日本の外国語教育の問題点が急浮上する。たしかにこれは大いなる無駄だ。
「で、あのぅ、普通の外国の方に対してもそうなのに、お二人のように特別におきれいでお背も高くていらっしゃると、圧倒されてしまって、とても、あの、普通の感じではなくなってしまって、照れたり緊張したりしてうまく話ができないように思います。」 
「ほんとに?!だって美穂もほかのスタッフも普通に話してくれてるけど?」 
「それはうちのお客様としておいでになられましたので、お話しするのが当たり前でしたから。それでも最初は緊張してドキドキでした。もしも町で出会っていたら、あがってしまって恥ずかしくてとてもお話しできなかったと思います。今はもうすっかり慣れましたけれど、知り合いにはよく羨ましがられます。」 
「なにを?」 
「あの、こんなことを申し上げていいのかしら……」 
「だから、いいんだってば。」 
「あんな素敵な人たちとずっと一緒にいられて話も出来て羨ましいって言われていまして。」 
「え〜と、でもそれは仕事だから当たり前だし。俺たちも普通の人間だから気にするほどのこともないと思うんだけど。」 
「はい。でもあの、日本人の目から拝見しますとあまりに素敵過ぎて特別な方としか思えないようです。」 
「そうなんだ……そうすると、もしかして、俺たちって日本人には親しくしてもらえないってことかな?」 
「いえ、あの、そういうわけでは……ただ、親しくなる機会もありませんし、ともかくお二人とも映画俳優よりずっとおきれいでいらっしゃるので雲の上の人に思えます。」 
「う〜ん……」 

   それって殿上人か仙人扱いってことか? 
   黄金聖衣を着てればともかく、今は普通のつもりなんだがなぁ 

さすがのミロも唸ってしまった。ギリシャでもフランスでもたしかに容姿は際立っているだろうが、それで違和感を覚えられたことはない。ちょっとは感心されても、それだけのことだ。誰とも普通に会話ができる。 
しかし、ここ日本では事情が違っていた。一言でいえばかっこよすぎるのであるが、その言い方は軽すぎると考えた美穂がそうは言わなかっただけの話である。 
 
 
「…だそうだ。」 
「えっ!どうしたらよかろう?」 
「どうしたらって、どうしようもないだろうな。」 
「そんなふうに思われているとは知らなかった。」 
「俺もだよ。美穂の言うには、俺なんかの髪と目は金髪碧眼といって、まさしく典型的な憧れの対象なんだそうだ。これってヨーロッパでも羨ましがられる組み合わせだが、日本じゃそれに西洋崇拝が加わってるらしい。」 
「崇拝?」 
「お前、舶来って知ってるか?」 
「舶来とは、船舶で来ること、すなわち海外から輸入された品物や来日した人間のことだろう。」 
「字義的にはたしかにそうだが、270年間鎖国を続けてきた日本に明治維新になってから一気に西洋の文化や技術が押し寄せて、それと同時にたくさんの外国人が来日するようになると、それまでの畏怖とか蔑視とか好奇心から打って変わり西洋のものに対する評価が高まって、それが西洋崇拝に変わっていったらしい。舶来という言葉は、そういった西洋から来た文物に対する憧れや感嘆を含んでいるという。日本のものより外国のもののほうが優れているっていう考え方だな。舶来品を尊重するという風潮がずっとあったらしい。このごろはそうとも限らないようだが。」 
「ほぅ、そういうものか?」 
「だから俺たちも舶来ってわけ。明治に飛行機はないから、すべてのものが船で来た時代の名残りの言葉だ。」 
「私たちが舶来…」 
舶来と聞いてカミュの頭にかろうじて浮かぶのはフランスの香水やバーバリのコート、ヘンケルの刃物くらいのものである。自分たちが舶来というのはどうにもわからない感覚だ。 
「で、金髪はわかるが碧眼ってなんだ?どうして青い目が碧眼?」 
「碧は青の異名で詩語や雅語の類だ。碧眼は青い目のことだ。」 
「それが、単なる金髪と青い目、っていう意味に加えて、憧れとか驚嘆とか羨望の意味があるらしい。で、俺がその典型ってわけ。だからますます近寄りがたいんだそうだ。」 
「ほぅ〜!では私は黒髪で、目もお前ほどには鮮やかな青ではないゆえ、さほどのことはないのだな。」 
「いや、お前は神々しいほどきれいできちんとしているから近寄りがたくて、普通の日本人は口もきけないだろうと言っていた。」 
「えっ!」 
これはかなりショックである。もっとも美穂は神々しいとまでは言っていない。そこの部分はミロの脚色だ。

   けっして間違いじゃないからな 
   俺に言わせれば、語呂合わせの好きな日本人はカミュの名前に「神」という意味を感じ取っているに違いない 
   ミロだって「見ろ!」って思われてる可能性すらある 
   オバマ大統領を応援した福井県小浜市の例もあることだ 
   名前の読み変えなんて日本人にとっては朝飯前だろう

「ほら、日本人の目ってみんな黒いだろ。真っ黒ではないけど、ともかく黒だ。それに慣れきってるから俺みたいな目の色は、憧れと同時にどうも違和感があるらしい。じっと見られると吸い込まれるような気がするって言ってた。お前は俺の目のことをどう思う?」 
「どうって……」 
普通に話しているときにミロにじっと見られることはない。時々目が合うくらいのものだ。じっと見られるといえば、やはりあのときの… 
「あの…私は…」 
もとより見つめ合うことなど滅多にないのだ。恥ずかしさにいたたまれなくて目をそらし、ミロにうながされてそっとミロを見てまた目をそらす。その繰り返しである。そんなときの状況を思い出すだけで頬が熱くなる。 
「ああ、すまん。聞いた俺が悪かった。」 
「いや……べつに…」 
なんとなくきまり悪くなってその場は終った。 
 
そして次の日の朝だ。ミロが布団の温かさと隣りのぬくもりを楽しんでいるとカミュが話しかけてきた。 
「白眼視という言葉を知っているか?」 
「むろん知っている。誰か、もしくは何かを冷遇したり蔑視したりすることだろう。白い目で見る、とも言うな。ギリシャ語にはない日本独特の表現だ。」 
「それが、出典をたどれば中国だ。」 
「ふ〜ん、日本語にはそういうのが多いからな。史記あたりから出たのか?」 
「いや、晋書の阮籍伝に、晋の阮籍がやたら礼儀などにこだわっている俗人に会うと白眼で見たとの故事による。晋書とは唐の太宗の命により編纂された西晋、東晋の歴史書のことだ。」 
「ふ〜ん、白目で見ることがそもそも難しそうだな。」 
「しかし、もう一つのほうが重要だ。阮籍は親しい人を迎えるときは青眼で見たという。」 
「えっ、どうしてそんなことができるんだ?白眼視のほうがまだ可能性が高いが。」 
「白眼とは冷たい視線ということだろう。一方で、青春という言葉が示すように古代中国の五行思想では春には青が当てられる。さすれば青い目は春の目、すなわち温かいまなざしとも考えられる。よって、青眼は人を歓迎する心を表すことになったのではないだろうか。」 
カミュがひたとミロを見た。 
「お前の青い目はただ美しいだけではない。人を歓迎する心の現れだと私は思う。」 
「カミュ…」 
「その目で私をいつも見てくれていることがとても嬉しい。」 
「ん…」 
憧れという一面もあるにしろ、どうやら青い目に違和感を持たれているらしいことにいささか傷ついたに違いないミロを慰めようとしたカミュが思いついたのは1400年も昔の中国の故事だったというのがおかしくてミロはくすりと笑う。笑いながらカミュのやさしさが心に沁みる。 

   もしもカミュの目が赤かったら、どんなにつらい思いをしたことだろう 
   それに比べれば俺の目なんてなんてこともない 
   距離を置かれているかもしれないが、なにしろ金髪碧眼だからな 

「恋人が金髪碧眼で嬉しい?最高の組み合わせだぜ。」 
「…ん……実のところはとても誇らしい。」 
そのあとカミュが朝にあるまじき振る舞いに及んだのでミロはおおいに満足したということだ。 





        思わず長くなりました。
        実際にこの二人が近所に住んでいたとしてもとてもお友達になれるとは思えません。
        あまりに違いすぎて釣り合いがとれなさ過ぎて我が身の卑小さが思いやられて涙ぐむ日々。
        時々お見かけするのを僥倖と思ってつつましく暮らしていきます。
        だから今、お二人はお友達作りの真っ最中なんです、イタリア人とスペイン人のお友達。
        グローバルなお付き合いの始まりです。