興 福 寺 ・ 阿 修 羅 像

人力車を降りるとすぐに興福寺の境内に入る。
「どうしてこんなに広々としてるんだ? だだっ広いといっても過言ではないが。」
ミロの言うのももっともで、普通なら伽藍が配置されているはずの場所には大きな空き地が広がっている。 そうはいっても寺社建築にふさわしいおおらかな間隔を持った礎石だけはあって、その場所がなんらかの建築の跡地もしくは建設予定地であることは明白だ。
「この場所に2010年に中金堂の建築をはじめるそうだ。 中金堂は1717年の火災で焼失して以来再建されておらず、こんどの計画は興福寺の悲願なのだろう。 このたび企画されている阿修羅展はそのための浄財を集めるという目的もあると聞いている。」
「ふうん、阿修羅自らが出向いて資金集めというわけか。 神仏も忙しいな。」
「興福寺は創建以来二十回以上も火災、地震、戦乱に会い、そのたびに伽藍の全て、またはその一部を失ってきた。 はなはだしきは明治に荒れ狂った廃仏毀釈の嵐で、政府の神道国教化による神仏分離政策のため各地で仏堂、仏像、経文などが破棄されたことがあり、そのときにこの興福寺の五重塔もなんとわずか250円で売りに出されたこともある。」
「なにぃっっ?! どうしてそんな馬鹿なことがっ!」
「しかし、おそらく買い手がつかなかったのだろうか、揚句のはてに火をつけて燃やしてしまおうか、という案も出されたが、これは近隣住民から火事になるかもしれないからやめてくれ、と言われてそれはないままに今に至っているらしい。」
「あ〜、よかった!」
ミロは盛大に溜息をついた。 あまりに衝撃的な話で唖然とするほかはない。
「いくらなんでもあんまりだろう! なんでそんなことをしなきゃいけない? 仏教は仏教でそのまま置いとけばいいじゃないか。 538年にはるばる大陸から伝えられて天皇も民間も信仰してきた立派な宗教になんてことをするんだ? 東大寺を建てた先人の思いを忘れたか? 親鸞も法然も聞いたら泣くぜ! 雪舟や一休禅師も然りだ!」
ミロの怒りももっともだ。 この暴挙には我々後世の日本人は言葉を無くす。
「当時の風潮と明治政府の強引な政策には抗しがたかったのだろう。 中には仏像を頭から斧で断ち割った僧もいたという。」
「えっ…」
ミロが心底嫌そうな顔をした。 聞きたくなかった話だったのだ。
「そんなことをしたら罰が当たるぜ、絶対よくない。」
「むろん、寺側も抵抗したろうが、時の風潮というものは恐ろしい。 我々はいま残っている仏堂伽藍を見られることに感謝しなければならぬ。」
「ふ〜ん……そう聞くと感慨深いものがあるな。」
広い境内のなかで二人が目指すのはもちろんあの国宝館だ。 数々の国宝、重要文化財が並ぶ中でも白眉の阿修羅像がいちばんのお目当てだ。
「阿修羅はまだ見られますよね?」
ミロが拝観料を払いながら質問した。
「はい、3月10日まではご覧になれます。」
「よかった!」
ミロの言うのは、その阿修羅像を始めとするほとんどの国宝級の仏像が大挙して東京にやってくる 『 阿修羅展 』 のことだ。
上野の東京国立博物館で3月31日から6月7日まで、そして九州国立博物館に7月14日から9月27日まで、なんと半年の長きにわたって興福寺を留守にするという予定が組まれているのである。
それを知らずにはるばる遠くから阿修羅像を見るのを楽しみにくる客もいるだろうから、これはファンにとっては一大事だ。
「う〜ん、やっぱりすいてる!」
展示室に入ったミロが感嘆したのは綺羅星の如くに有名な国宝、重要文化財が並んでおり、その中でもとりわけ人気の高い阿修羅像の前にはほんの数人しかいなかったためである。
「二年前に来たときとおんなじだ。 どうしてこんなにすいているんだ?」
「常設展示ゆえ、奈良の人々が大挙して見に来るというものでもないのだろう。 観光客の数も京都に比べて少ないと思われるので、団体客でも来ない限りは常にこのくらいの混雑度なのではないのか。」
「俺には混雑度というよりは閑散度としか思えんが。」
的を得た発言をして 「 旧山田寺仏頭 」 の前からちらちらと様子を窺っていたミロが、数分後に観光客がいなくなったのを見計らって待ち兼ねたように阿修羅像に近付いた。
「あ〜、感激だ!俺だけの阿修羅だ…!」
久しぶりの邂逅に嬉しそうなミロは硝子の前で右から見たり左から見たり、果ては五、六メートル離れて正面から見たりと様々な鑑賞ポイントを試してみるのに忙しい。
「ほんとに素晴らしいよ! 千三百年も前の、今は名もわからない仏師が彫った阿修羅のこの少年のような愁いをたたえた眼差しっていったらないぜ! これはもう、仏を彫ったというよりは、それに名を借りて人間の根源的な感情を芸術として表現したとしか思えない。」
My 阿修羅に見とれていたミロがカミュを振り返った。
「このころの時代は人物彫刻っていうと仏像だけなのか? 芸術という意味での彫刻はないのか?」
「聖徳太子や有徳の高僧の彫刻はあるが、それは芸術としてではなく、あくまで個人の遺徳をしのび面影を後世まで伝えるという目的で製作されたものだろう。」
「そうだよな。 この彫刻を彫ったときにもモデルはいたと思うが、それってどんな人間だったと思う?」
「どんなって……職業モデルはいなかったのだから、その仏師の身近にいた誰かに頼んだのではないだろうか。」
しかしカミュの答えは平凡すぎたようだ。 ミロが金髪を揺らして首を振る。
「いや、ただそれだけじゃないね。 これほど感情を込めて彫ったからには、相当な思い入れがあったに違いない。 たとえば、これが少年の顔ではなくて少女の顔を写したものだとしたら? 阿修羅という設定だから男の顔だと思って見ているが、女の顔だとしてもなにもおかしくはない。 むしろそのほうが正解かなと思わせる顔立ちだとはいえないか? 仏師が注文を受けた彫刻におのれの恋人の面影をひそかに刻み込んだっていうのはどうだ?」
「それは……ずいぶん飛躍していると思うが。」
「そうか? 千年経っても人の心に訴えるこの写実性はすごいぜ。 よっぽどこのモデルになった人物に思い入れがあるんだよ。 そこに思いを馳せてしみじみと見るべきだと思うな!」
感嘆符つきのミロの語りにうながされたカミュが見上げる阿修羅は愁いを秘めた眼差しをはるか遠くに向けている。 今までもこれからも多くの人を魅了してやまない不思議な魅力を持った仏像だ。
すぐそばの展示ケースには鎌倉時代の力作、燈籠を掲げた天燈鬼、龍燈鬼があるのだが、そっちに移動しながらもミロは何度も阿修羅像を振り返る。
「なあ、この寺は長い間に数え切れないほど火災や地震に遭ったんだろう? よくもまあ、無事でいたものだ!」
阿修羅を始めとする八部衆、十大弟子立像が居並ぶ展示ケースの中には頭部だけの五部浄や腕が欠損した緊那羅など痛々しい姿のものもある。 そもそもここにないものに至っては、いつの時代かに災厄に巻き込まれてついに失われてしまったのだろう。
その一例が十大弟子の優婆離と伝えられる像で、東京の大倉集古館にあったものが大正十二年の関東大震災で焼失という憂き目に遭っている。
「阿修羅像は寄せ木造りのようにも見えるが、脱活乾漆造 ( だっかつかんしつづくり ) といって木の骨組みの周りに粘土をつけて原型を作り、その上に麻布を着せて漆で固めて外形を整える。 ある程度できあがったところで背中などの一部分をくりぬき中の粘土をかき出す。 そして漆と木屑を混ぜたもので表面を整えて彩色すれば完成となる。 ゆえに中は空洞で、阿修羅像の体重は台座を含めてもわずか25kg、像のみなら15sときわめて軽く、一人で抱えて逃げることも可能だったろう。」
なぜそんなことまで、と思うようなことをそらんじるカミュにミロは舌を巻く。
「えっ!彫刻じゃなかったのか! どっちかというと彫塑だな。 それにそんなに軽いとは思わなかった!」
「おそらく、たび重なる災害の経験から、万が一の危急の際にはまず本尊、脇侍などの仏像を手分けして運び出すという手順ができていたのだろう。 軽い造りゆえそれができたので、もし大型の仏像で重量があったなら運び出すことは不可能だ。 そうしたものは歴史の波の中でとうに失われ、今に残るものは災難のたびにかろうじて運び出すことができた像ということだ。」
千三百年の歴史は重い。
数え切れない不幸が興福寺を襲い、それをかいくぐってきた奇跡が目の前にある。
「ふうん………思うんだけど、火事で仏像を抱えて運び出すとき、泣きたい気持ちだったろうな……だって朝夕に経を読んで拝んでいたんだぜ。 滅多なことでは手を触れることもなく大切にしていたのに、炎と煙の中を横抱きにして必死に外に運び出したんだ。 途中の扉のふちにひっかかって破損したこともあったろう。 阿修羅の指先が何箇所も欠けているのはそのせいじゃないのか? そのときの僧の気持ちを思うとこっちまで切なくて泣けてくる。五部浄なんか頭部と胸までしか残ってないじゃないか。 きっと泣きながら詫びて拝んでいたに違いない。」
やはり少年の面差しを宿す五部浄の、愛らしいといってもいいような瞳が見る者の胸を打つ。
「明治21年の写真が残っているが、一時的に仏像を安置しておいた堂の中には雑多といってもいいほどに仏や菩薩の立像、座像が並べられ、阿修羅もその中にある。 これが、阿修羅が写真に撮られた最初のものだ。 今のもてはやされようとは隔世の感があるが、当時は仏像を芸術的な角度から鑑賞することもなかったので、寺の者以外の目に触れることも少なかったのだろう。 そもそも阿修羅を含む八部衆などは如来や弥勒の尊格に比べてはるかに低く、これが江戸時代であったなら本尊を差し置いて注目されることはなかったはずだ。 芸術としての観点から注目されるようになったのは、あの廃仏毀釈により宗教から離れて美術品としての見方が出てきたことにもよるという。」
「ふうん、わからないものだな。」
入口のほうから人声が近付き、高校生とおぼしき修学旅行の一団がやってきた。
「おっと、ご入来だ。」
揃いのタータンチェックのスカートに濃緑のジャケットといういで立ちの女子高生たちは、足早に阿修羅像の前に集まると一斉に溜息をついたりどよめいたりして興奮気味だ。
「ほんとに素敵ねぇ〜!」
「阿修羅様よっ、本物の阿修羅様!!」
「感動よねぇ…」
うっとりと眺めているものもいれば持ってきた資料と照らし合わせながら観察に余念のない者もいる。
「うっとりしてるのは俺タイプで、資料を見てるのはお前タイプだな。」
「そういうものか?」
「そうだよ、そうとしか思えん。」
阿修羅の前の人だかりから流れて来た何人かが、二人の後ろの天燈鬼と龍燈鬼にかじりついて歓声をあげる。
「こっちもすごい人気だな。」
「可愛い、と言っているがそうだろうか?」
「愛嬌があるのは確かだな。 可愛いという語句は、俺の場合は別なことの形容に使う。」
「仏の前だ。 それ以上の言及は避けてもらおう。」
「わかってる。」
阿修羅像に遠くから別れを告げて、修学旅行生の喧騒をあとに外に出た。

境内は相変わらず人の姿がまばらで遠くの道沿いに鹿の姿が見える。 こんなところがいかにも奈良でミロを微笑ませた。
「阿修羅が上野にきたら凄まじい混雑だろうが、俺は絶対に見に行くぜ!真後ろからも眺められるという絶好のチャンスはのがせない。 いくら奈良ではすいているといっても、後ろから見るのは不可能だ。」
「そこまで惚れ込まれているのなら阿修羅も本望だろう。」
「もっとも、後ろ姿はお前のほうがきれいだろうけど。」
「え……」
ミロがまじめな顔でカミュを見た。
「もし宝瓶宮が火災に遭ったら俺が横抱きにして助け出してやるよ。 任せてくれ。」
「気持ちだけもらっておこう。 降りかかる火の粉は自分で消せる。」
「うん、それもわかってる。 でも俺はお前を抱いて外に連れ出したい。」
顔の赤さをごまかすようにあわててパンフレットを広げたカミュが指をさす。
「午後からは法隆寺と薬師寺を見る予定が組んである。 かなり離れているので観光バスを予約した。」
「柿の季節じゃなくて残念だな。」
「ではまた秋に。」
「その前に上野で阿修羅だ。」
「うむ。」
まだ見ぬ阿修羅の背を思い描きながら二人は興福寺をあとにした。





           寺社ものには、つい力が入ります。
             関東ではほとんど半世紀ぶりに開かれる興福寺の宝物のご開帳。
             興福寺に伝わる十大弟子と八部衆の合わせて十四体が寺外では初めて一堂に会します。
             それも、興福寺ではガラス越しなのに、今回は破損が激しい五部浄以外は露出展示の大盤振る舞い。

             昭和27年に日本橋三越で春日大社と興福寺の宝物が公開されたときには
             わずか18日間で50万人を超す人が詰めかけたとか。
             今度は会期も長いのでそれを上回ることは確実かと。
             お勧めは閉館間際の時間帯、昼間に行っても人の山。
             金・土・日・祝は20時までです、これが狙い目!
             むろんミロ様カミュ様もこの時間にお出かけです。
             目指せ、阿修羅の美しき背中!

             そうそう! 顔が三面あるこの像の右のお顔がずいぶん素敵です。
             眉も目も口元も決意を表す造形美!
             私的には 「よいな、カミュ!」 って言ってるミロ様の表情に当てはまるかと。
             ご覧になる方は、ぜひ右のお顔にもご注目ください。

              ※ 阿修羅展は終了しました。