横 浜 み な と み ら い 2 1・「 ランドマークタワー 」 |
観覧車を降りてから、今度は行きとは違ったルートで帰ろうということになり桜木町に向かっていると、途中のビルの一階でミロがボードに目を留めた。 「おい、あんなことが書いてあるぜ。ちょっといいとは思わないか?」 「ほう!」 「ぜひ行きたい!」 こうして二人はランドマークタワーの展望室に向かった。 高さ296メートルの横浜ランドマークタワーの69階にあるスカイガーデンは、地上から273メートルという日本一高いところにある展望室だ。二階から乗る最高分速が750メートルに達するのエレベーターは立てた硬貨も倒れることがないというくらいの滑らかな上昇をして二人を驚かせた。 世界最速を誇るエレベーターに乗り込むとドア上部の液晶パネルに通過階の数字と分速が表示され、おおいにカミュを感心させる。加速する数字はあっというまに750に到達したかと思うとすぐに減速を始めて0になる。 「えっ、もう着いたのか!」 「約40秒だそうだ。」 「エレベーターとしては黄金クラスだな。たいした技術だ。」 すっとドアが開いた。 「69階展望室スカイガーデンに到着でございます。」 エレベーターを操作していた女性スタッフが深々とお辞儀をした。 「うわ…! これはすごい!」 つかつかと窓辺に歩み寄ったミロが声を上げる。 「見てみろよ、こんなにいいとは思わなかった!」 「素晴らしい!」 かなり広いホールの向こうに広がる夜景は実に美しかった。さっき観覧車から眺めた夜景を素晴らしいと思ったのだが、まるでレベルが違う。窓のそばに寄って夜景を眺めている人の数もそれほど多くはなくてフロアの雰囲気はとてもよい。 「こんな景色は見たことがない。綺麗すぎる。このガラスの透き通っていることはどうだろう!」 目の前の横浜港はそのまま東京湾の暗い海面に続き、たくさんの船の灯りが見えているが、それに気付いたのはあとのことだ。 まず目に入ったのは、真下から海沿いに広がるこの地区の斬新なデザインのビル群のイルミネーションで、その美しさにため息をつく。大小のビルがぎっしりと立ち並ぶ昔からの都会の夜景ではない。186ヘクタールという広大な面積の都市開発は環境に配慮した様々な工夫がなされ、白を基調とした建物がたっぷりとした空間の中に計画的に配置されているのがよくわかる。 「さっきの観覧車があんなに小さく見える。」 「日本丸があそこに!」 「ともかく高い。それに綺麗だ、その一言に尽きる。」 見とれる、というのが当たっているだろう。観覧車はどちらかというと面白くて周りの観察に余念がなかったが、ここからの眺めは二人を唸らせた。観覧車のイルミネーションが次々と色を変えてゆき、音のない世界の中で不思議な輝きを放つ。すべての色は不思議な透明感を帯びて都会の夜を夢のように縁取っていた。 「すごいものを見ているという気がする。贅沢だよ。」 「来てみなければわからない。都会のすごさを思い知る。とても静かでとても美しい。」 東京の方角に目をやると、東京タワーが小さく見える。その右手には建設中のスカイツリーらしい灯りも見えた。新宿の高層ビル群が案外近い気がして、東京を俯瞰していることに気付いたりするのも面白い。 ひとしきり堪能してから窓に沿って歩いてゆくと、観光地にはつきもののご当地アイテムの店もあり、横浜のカラーを生かした限定品がたくさん並んでいてなかなか盛況だ。ペルリ来航、赤い靴、港の見える丘公園、カモメに錨。 横浜ならではのテーマはバラエティーに富んでいる。 その売り場の横に大きな装置があって、記念写真の見本のようなものが何枚も飾ってあった。 「これは?」 「ええと……ああ!この機械で自分たちの写真を撮って、ここの景色の背景見本とコラボできるらしいな。ふ〜〜ん、面白いものがあるんだな。これもプリクラの一種かな?」 日本語がわかるようになってほどなくしてからプリクラという言葉を聞きかじったミロは、カミュに聞いてもわからなかったので美穂に尋ねることにした。 「プリクラってなに?」 「シールになっている写真のことですけれど……あとで離れにお持ちいたします。」 美穂が持ってきたのはシールがびっしりと貼ってあるプリクラ手帳で、その枚数とデザインが二人を驚かせた。 「えっ?これって……ああ、美穂が映ってる!どうしてこんなにたくさん?」 「こんなに小さい写真を何のために?それになぜシールに?」 どの写真にも美穂と同じ年頃の女性たちがにっこりと笑っていて、風景やイラストの背景に文字や図案が組み合わされている。全体的にピンクが多用されていて装飾過多の印象だ。ミロは面白がったが、カミュにはいささか受け入れがたい感覚だ。 「街に専用の撮影機械があって、好きなポーズで写真を撮ると好みの背景やイラストを選んで文字も自分で書き込めるんです。それをこのくらいのシールにしてみんなで分け合って手帳に貼ったりいたします。一人で撮ることはなくて、友達と楽しむためのものですわ。みんなで分けるので、枚数も設定できますし大きさも選べます。」 「ふ〜ん、それがプリクラっていうのか。」 「プリクラとはなんの意味だろうか?英語の略語にも思えるが。」 「え?そういえば、存じませんわ、申し訳ございません。」 「いや、なにも謝らなくても。こちらで調べるから。」 「やたら可愛く撮れてるから、プリティーとかプリンセスの略かも。」 ミロもそのくらいの英語は知っている。というより日本に暮らしていると、日本語の中に多くの英語が取り込まれているため、いつのまにか身についてしまうのだ。 その後 「 プリント倶楽部 」 の略であることが判明し、あまりの単純さに二人して感銘を受けた覚えがある。 ランドマークタワーのプリクラは、みなとみらいの夕景、夜景、横浜港、観覧車などを写したたくさんの写真が用意されていて、これらの中から好みの背景を選んで自分の写真と組み合わせることができるといういかにも I T 時代らしいシステムだ。小さなシールのプリクラとは違って絵葉書ほどの大きさになるという。 「よく考えるものだ。」 納得したカミュが通り過ぎようとしたとき、ミロに腕をつかまれた。 「待てよ、俺たちもやってみよう。」 「え?なにもわざわざそんな恥ずかしいことをしなくても。」 「あれ?昨日、許してくれたらなんでもするって…」 「わかった。」 ちょっと頬を染めたカミュが即答するのもいつものことだ。 「どの背景がよいだろう?」 「やっぱりこれだろう、夜景がいい。」 きらきらしたみなとみらい21地区の夜景をバックにして日本人の男女がにっこり笑っている見本写真をミロが指さした。 「では、手早く撮ろう。人が見ている。」 「気にするなよ、外人が面白い機械を珍しがってるだけだ。浅草でキモノやカタナを買うのと変わらない。日本人は微笑ましく思ってるさ。」 「そうか?」 「そうだよ。」 ちょっと恥ずかしそうなカミュと満面に笑みをたたえたミロが写真に納まった。いい記念だとミロはご満悦である。 「ほんとにお前ときたら…」 「いいんだよ、こういうのを楽しむのが旅の醍醐味だ。観覧車に乗るのもいいがハイテクの記念写真もいいものだ。いつかギリシャに帰ったら懐かしく思い出せる。」 「そうだな…その通りだ。」 いつか来るその日を思いながらさらに歩いてゆくと、窓に面して二人掛けの黒いソファーが少し間をあけて六つ並び、夜景を楽しめるようになっている。窓に接して低いテーブルがあり仄かな灯りの洒落たスタンドがついているのもよい雰囲気だ。まだ幾つかの席が空いていて、すぐそばのカフェで飲み物を注文できるらしかった。 「これはいいな。だいぶ歩いたから、少し休んでいこう。せっかくの夜景をゆっくり楽しみたい。」 「え、ここにか?」 どう見ても二人限定のソファーにカミュが難色を示した。かなり暗くて目立つ様なことはないのだが、それだけにごく親密な雰囲気が醸し出されているのは明白だ。 「写真だけで終るんじゃ、つまらないだろう。アルコールも軽食もあるし。俺はお前と横浜の夜景をゆっくりと楽しみたい。それに昨夜…」 「わかった。」 カフェに入っていったミロがカクテルとサンドイッチを頼んで、スタッフに席に案内してもらう。 「ただいまから20時50分までのご利用となります。どうぞごゆっくりとお楽しみくださいませ。」 お辞儀をしたスタッフがさがってゆき、しばらくすると綺麗な青色のカクテルが届いた。 「綺麗だろ。ここには青が似合うと思って。お前のにはアルコールは入ってないから。」 頷いたカミュがそっと周りを伺うと、どの席に座っているのも恋人同士のようで、いかにもというムードが溢れている。 「ミロ、ここは……」 「こんなに素晴らしい夜景を恋人と二人で眺めたいと思うのは当然だろうな。いつもは予約で常に満席なんだそうだが、たまたまキャンセルがあったらしい。天の配剤だよ、そうは思わないか?」 「ん……」 暗い夜空を背景にしたガラスに二人の影が映っている。豊かに波打つミロの金髪が暖かい色の明かりに照らされて横浜の夜景に華を添えていた。 「綺麗だよ、お前もこの夜景も。」 そう言ったミロがカクテルグラスを持ち上げた。ガラスに映ったカクテルの青がミロの瞳の色に重なってそれがカミュには眩しく映る。 「大好きだ、カミュ。お前とここにいられて嬉しい。」 一口飲んだミロが少しカミュに身体を寄せてささやくようにそう言った。 「私は……」 そうだ、今日は言ってみよう ギリシャ語だから誰にもわかるはずはない こんなに綺麗な夜景を見ながらなら、きっと言えるだろう 「私もお前が…好きだ。あの……ほんとうに…そう思う。」 ミロがびっくりしたようにカミュを見てから視線を戻した。ガラスに映っているカミュはうつむいてしまい表情がわからない。 「誰もいなければお前にキスをしてるのに。ここって俺たちには向かないかな。」 「そんなことは……そんなことはないと思う。とても…あの…よいところで…」 「気に入ったなら、また来よう。横浜はいい街だよ。」 右手に伸びる三浦半島の影に目をやったミロが、ガラスに映るシルエットに気付いた。それは隣の席のカップルで、顔を寄せ肩を寄せ合い、いかにもキスを交わしているようにも思われる。 「……なぁ、光速でキスしちゃだめかな?」 「だめだ。」 カミュの声が小さくなった。 「こんな人のいるところでなんて…」 声に逡巡の色がある。むげに断るのではあまりにも情がなさすぎると思ったらしい。 「それにあの……早すぎるキスでは…わからない。」 「じゃあ、あとでゆっくりと。」 「ん…」 カミュがソファーに深く身を沈めた。海岸沿いに三日月の形をしたホテルが見える。漆黒の空の下、はるか遠くまで広がる光の海がたとえようもなく美しかった。 「ただいま!」 「お帰りなさいませ、ミロ様、カミュ様。」 玄関先で出迎えた美穂にお土産の横浜サブレを渡したミロが観覧車のことを話して感心させた。 「それから、そこのそばにあるランドマークタワーっていうところに昇ってね。」 「まあ!あそこの展望室は夜景が素敵なので有名ですのよ。」 「うん、とてもよかった。窓際には眺めのいい席もあったし。」 「ええ、存じてますわ。あそこにはラブシートがあるんです。」 「…え?ラブシート?」 「はい、あの展望室は横浜でも有名なラブスポットで、あそこで結婚の申し込みをしたりデートをするのは憧れなんですのよ。横浜に友達がおりまして、いつも恋人同士でいっぱいだと聞いたことがあります。」 「…ふ〜ん、そうなんだ。それは知らなかった。」 「やっぱりそういう方がいらっしゃいました?」 「ええと、うん、そんな気がする。」 その間、カミュは黙って横に立っていた。 無言で離れに戻ったカミュはさっそくパソコンを開き、あの席の予約が Sky Lover's Plan と名づけられているのを知った。 「これは…」 「そうとは知らなかったな。でも知り合いに見られたわけじゃないし、気にすることはないんじゃないか?」 「でも…」 「それに俺たちはれっきとした恋人同士だろう?まさかそうじゃないとでも?」 「それはあの…」 「あそこの夜景はとてもきれいだったし、カクテルを飲んでゆったりと時間を過ごせたことはいい思い出だ。あんな景色をお前と一緒に見られたことが最高に嬉しかった。」 「ん……」 「なぁ、カミュ…」 パソコンの前に正座しているカミュを後ろから抱きしめたミロが艶やかな髪に頬を寄せた。 「誰に恥じることもない。俺はお前が好きだ。」 抱きしめる腕に力がこもる。 「出来ることなら街中で手をつないで歩きたいし、キスだってしてみたい。でもそれは叶わない。」 腕の中のカミュの動悸が高まった。 「二人だけの秘密という殻から飛び出して、広い世間に認めさせたいと思ってる。ああ、あの二人は恋人同士なんだな、愛し合ってるんだなって。」 「ミロ……」 「あの夜景を見ながら、俺たちも世間並みの恋人なんだって思ったよ。回りのカップルとなにも変わらない。どう思われたかは知らないが、俺は満足だった。あれが俺たちの恋人デビューだ。」 「…恋人…デビュー?」 「世間へのお披露目だよ。地上273メートルで世の中の恋人たちに仲間入りだ。守護星座を持つ俺たちにふさわしいとは思わないか?」 「ん……それはたしかに…」 「好きだよ、カミュ……愛してる。 なにも気にすることはない。俺とお前は最高の黄金で最高の恋人同士なんだから。」 小さく頷いたカミュが振り向こうとしたその横顔を捕らえたミロが頬にキスをした。上気した頬がますます熱くなる。 「放せっ…」 「やだ!」 そのまま横に倒れこんだミロがカミュの耳元にささやいた。 「座布団だってラブシートになれるんだぜ。」 「でも…まだ夜景が見えないのに…」 「気にするな。目をつぶればいつでも夜だ。」 「ん…」 観念したカミュが目を閉じる、いつだってミロにはかなわないのだ。 夕食の時刻はいつもより遅くなった。 建設中のスカイツリーは第一展望室が地上350メートル、第二展望室が450メートル。 とてつもない高さです。 詳しくはこちらを。 ランドマークタワーのようには広くなさそうですのでラブシートは望めなさそう。 それに大混雑の大行列で、いつになったら空くことか。 いえ、いつまで経っても行列ではないかしら。 さぞかし素晴らしい夜景でしょうけれど、昼間よりさらに長蛇の列かも。 一度は昇ってみたいけど、そこが最大の難点です。 ランドマークタワーからの夜景 → こちら スカイカフェ → こちら |
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