メイドカフェ

「あ〜、ここだ! いちばん有名なメイドカフェは!」
「ほんとうに入るのか?」
常にクールを標榜する私の信条に反するが、思いっきりいやそうな顔をしてみせた。 この際、背に腹は変えられぬ。 もしかしたらミロが気持ちを変えてくれるかもしれぬからだ。しかしその期待はあっけなく裏切られた。
「もちろん! そのためにわざわざ秋葉原まで来たんだからな!日本探訪だよ。」
「でも……」
さらに信条に反するが、努力して涙目というのをこしらえ上げてミロの方をちらりと見て目を伏せてみた。 私の心痛を感じ取ったミロが情にほだされて、お前がそんなに言うんなら…、ときびすを返してくれるかもしれぬではないか。
しかしミロの決意は固かった。
「ゆうべ、許してくれるならなんでもする、って言ったのは………あれは嘘?」
眉を寄せたミロが寂しそうに私をちらと見て目を伏せると小さな溜め息をつく。
「そうか………そうなのか……お前の約束はその場限りのことなのか?」
「いや、あの………」
ビルの入り口で最後の抵抗をしていると私たちの後ろに何人もが並び始めているのに気がついた。 狭い入り口の奥に一つしかないエレベーターからは6、7人の客が出てきて入れ替りに並んでいた客たちがどんどん前に進んで行き、私たちも流れにのって前に進む破目になる。
「状況的に見て引き返せそうにないと思うが、どうする?」
狭い通路のそのまた奥のエレベーターの扉の前にいるのではどうすることもできはしない。
「………わかった。」
短く答えた私は、すぐ横の壁に貼ってある掲示物を眺めてみた。 ピンク色を基調としたレイアウトで店名が大きく書かれており、なぜか手描きのイラストが貼ってある。 瞳の大きい少女が微笑んでいる絵はかなり手慣れていて、『 お帰りなさい、ご主人様! 』 という文字がシンプルな字体で台詞となって踊っていた。
「ミロ、この 『 ご主人様 』 とは何のことだ?」
「メイドは屋敷の使用人だから、ここでは来店する客はその屋敷の主人に相当するという設定なんだよ。 お客様ではなくて、主人ということだ。」
「ああ、なるほど。」
たしかにそれも一理ある。 納得しているとエレベーターのドアが開き、数人の客と入れ替りに私とミロを先頭にして狭い空間はすぐに一杯になった。
「4階から7階までのフロアはすべてこの店のようだが、何階で下りればよいのだ?」
「ええと………4階に本店っていうシールが貼り付けてあるからそこでいいんじゃないのか? よくわからんが、いちばん下の階は入り口と考えていいだろう。」
私たちのほかに三名が4階で降り、残りの客は上の階まで上がっていったところを見るとそれぞれの階に入り口があるのだろうと思われた。
「ふうん! ずいぶん混んでるな!」
「え……」
すぐ目の前が入り口だが、入店待ちの客の列はすぐそばの非常階段に伸びており、階下に向って10人ほどが並んでいた。
「ここに並ぶのか?」
「しかたないよ。 日本人は行列が好きだからな。 行列が長いほど人気がある証拠だ。」
渋る私をせきたてたミロは建物の外側に作られている鋼鉄製の非常階段に伸びている行列の最後尾についた。
「ミロ、私はこういうのは…」
「俺もとくに好みはしないが、他の店に行ってすぐに店内に入れたとしても客が数人だったら間がもたないぜ。 これだけ行列ができているなら安心だ。 俺たち自ら写真やゲームをすることなく、メイド喫茶の醍醐味を味わうことができるだろう。」
「え?」
写真やゲームとは何のことだろう? 質問しようとしたときに列が前へ ( いや、この場合は上へ、と言うべきだろうか ) 進み、ほっとしたところに店のスタッフが人数と名前、それから来店回数を確認にきた。
「お客様は日本語は大丈夫ですか?」
「大丈夫です。」
ミロが答え、携帯を使用しないこと、制限時間は60分以内、迷惑行為をしないことなどの諸注意が書かれているカードを渡される。
「つまり携帯でメイドの写真を撮ることは禁止ということだ。 」
「なぜ写真を撮る必要がある?」
「さて? よくわからんが、記念のためじゃないのか。 なにしろ日本人は写真が好きだからな。」
列には女性も並んでいるが圧倒的に多いのは二十代の男性だ。 私たちが物珍しさの物見遊山であることを正しく理解してもらえると嬉しいと思う。

列が進んで私たちが店内にはいるときがやってきた。
「次の二名様、どうぞ!」
一歩足を踏み入れると、
「おかえりなさいませ、ご主人様〜♪」
と一斉唱和で迎えられたのには驚いた。 およそ聖域にいては百年経っても聞かれないであろう種類の発声で唖然とさせられる。
「声にピンク色がついているような気がするぜ。」
そんな理不尽な現象があるはずはないが、ミロの言わんとしていることは私にもわかる。
店の中のカウンターやテーブル席は人でいっぱいで、その中を例のメイド服姿の若い女性が動いたり客と話をしていたりする。
「ご主人様、こちらのお席にどうぞ!」
示された席は店の奥に設けられたステージとおぼしき空間を囲むカウンター席で、案内してくれたメイドがすぐにカウンターの向こう側に回り、
「お帰りなさいませ、ご主人様! こちらがメニューになりますが説明させていただいてよろしいですか?」
と聞いてきた。
「もちろんどうぞ。」
ミロが平気な顔で答えている。受け答えはミロにまかせよう。
「どうもありがとうございます〜!それでは説明させていただきます!」
メニューくらい説明されなくても私たちは日本語に堪能していると言おうかとも思ったが、この場合のメニューはいわゆる献立表とは一味違っていた。
   ・好みのメイドと一緒にチェキを撮る (500円)
「ちょっと待て! チェキとはなんだ?」
「俺も知らん。」
質問した結果、富士フイルム株式会社が発売しているインスタント写真システムの総称であることがわかった。 ちなみに、この会社の正式名称はあくまで 『 富士フイルム 』 であり、フィルムではない。 誤読及び誤記されているケースが多いようだが極めて遺憾だ。 なお、私の名前の発音については拘泥しない。 日本では 『 かみゆ 』 で結構だ。
   ・メイドとゲームをする (500円)
「なぜゲームをする?」
「わからん。」
舞台ではマイクで呼び出された客が嬉しそうにしてメイドの一人となにやらプラスチック製の玩具で対戦しているところだ。
「こちらのドリンクをご注文になりますと、ご主人様の幸せを祈って萌えを込めさせていただきます!」
ドリンクは普通の品のようだが、その萌えとはいったいなんだろう?
「こちらのスパゲッティはご主人様への愛をこめてまぜまぜさせていただきます!」
………え?………まぜまぜ?
「ぴぴよぴよぴよ♪ひよこさんライスは、こちらのオムライスの上にケチャップでお好きな絵や言葉を書かせていただきます!」
カエルぴょこぴょこみぴょこぴょこ と似ているが、早口言葉か?
「ええと、俺はダージリンティーで。」
「あ………私はブレンドコーヒーを。」
「かしこまりました! 少々お待ちくださいませ、ご主人様!」
メイド服の女性はにっこりお辞儀をするとメニューを持っていってしまった。 後ろでは、「お帰りなさいませ、ご主人様!」 と唱和する声がする。前を見れば舞台では背の高いあごひげを生やした男性が小柄なメイドとむやみに楽しげなポーズを作り、もう一人のメイドに写真を撮ってもらっていることろだった。
「ほら、あれがチェキだ。 お前も撮りたい?」
「笑止!」
「あっ、すごい聖闘士モード!」
「お前は撮りたいのか?」
「お前と一緒なら撮りたい♪」
「ばかもの…」
ミロを睨んでいると隣りの席の客にスパゲッティーが運ばれてきた。
「それではご主人様、ご一緒にまぜまぜの声とポーズをお願いします! まず練習です! はい、まぜまぜ♪ きゅんきゅん♪ ぴょんぴょん♪ こんどはご一緒にどうぞ!」
客と声を合わせながらミートソースとスパゲティーを二本のフォークで手早くまぜたメイドはにっこりと笑うと下がっていった。 客の方は大ニコニコで今にもとろけそうに見える。
「ミロ………」
「ああ、俺も見た。 信じられんな………」
「スパゲティーを頼まなかったことを神に感謝しよう。」
そこへミロと私の飲み物が来た。
「それではご主人様の幸せを祈って萌えを込めさせていただきます! ご主人様もご一緒にどうぞ!」
………え?
メイドは胸の前で親指と人差し指でハートを形作るとその手を左右に動かしながら、
「萌え萌え♪ 萌え萌え♪ ふうぅ〜〜♪」
と私のカップに向って息を吹きかけた。 続いてミロのダージリンティーにも同じ儀式が繰り返されて、学習能力のあるミロは、なにもできずに固まっていた私を他山の石として、とびきりの笑顔でメイドと同じアクションで応じたものだから、
「ご主人様の笑顔が素敵でいやされます〜〜♪」
との誉め言葉が返ってきた。
「よかったな、誉められて。 さぞかし嬉しかろう。」
「おい、言葉にとげがないか?」
「いや、萌えを込めさせてもらった。」
「そうか?」
店内には女性客もちらほらといて、「可愛い〜!」 とか 「うっそぉ〜!」 とかの感嘆詞を発している。 同じ客が何度もチェキで写真を撮るためにステージに上がり、メイドに合わせてポーズをとるのも手慣れたものだ。
「ふ〜ん、こんな世界があるとはね。」
「なにがいいのかわからない。」
「美穂も、俺たちが外出から帰ってくると、お帰りなさいませ、ミロ様、カミュ様、って言って出迎えてくれるが、すごく自然だぜ。ここの台詞は全部ピンク色の声に聞こえるが俺の気のせいか?」
「いや、きわめて論理的だと思う。 物理的には有り得ないが、感覚的には真を突いている。」
「真央点なら任せてくれ。」
となりで、萌え萌え、ふぅ〜♪、が始まった。

料金を支払い外に出ると、ごく普通の秋葉原の街にほっとする。
「日本に暮らしてずいぶんになるが、新しい世界を発見したな。」
「うむ、見聞録にはある意味ふさわしい。」
「デスなんか、喜ぶのかな?」
「………さあ? サガは入った瞬間にきびすを返すだろう。」
「老師とシオンは気に入るんじゃないのか。 可愛いのぅ〜、なんか言って入り浸るような気がする。」
「それで、萌え萌え、ふぅ〜♪ を?」
「う〜〜ん………」
有り得ない光景が脳裏に浮び、慌ててそれを打ち消した。
「さあ、次は純粋な江戸情緒にひたりに行くとするか。 入谷は地下鉄日比谷線ですぐだ。」
真夏日の陽射しを避けながら私たちは秋葉原駅に向っていった。





             
初めて行ったメイドカフェ。
             テレビで見たのとほんとにそっくりで笑えて笑えて困りました。
             男の人は自分をかっこよく見せようとしているけれど、女の私は気楽なもので、
             「ほんと、可愛いわねぇ〜、私も若かったらやって見たいわよ。」
             とごく普通にお話しちゃいました。
             男の人は普通の話題を探せないのではないかしら。

             女の人は 「お帰りなさいませ、お嬢様!」 といわれます、はい年齢不問です。
             執事喫茶は行ったことありませんが、こっちの方が面白いと思います。
             男性客を見ているのがとても愉快です。