松 茸 狩 り |
「松茸狩りをしてみたい。」 夕食後にテレビを見ていたミロがこう言った。 「それならば宿の主人に聞いてみたらよかろう。 たいていのことは手配してくれる。」 碁盤に向っていたカミュがパチリと石を置いた。 「松茸狩りをしてみたいんだけど、頼めるかな?」 翌日の朝食後にフロントに寄ったミロがにっこり笑って言った。 「松茸狩り………ですか?」 ちょっと首をかしげた主人が一つ咳払いをしてパソコンに向ったが、ミロがカウンターに寄りかかっていかにも返事を待っているようなのに気付くと、 「少し時間がかかると思いますので、のちほどこちらからご連絡いたします。」 すまなそうにそう言い、気軽に頷いたミロが離れに向うのを見届けるとその手は電話に伸ばされた。 一時間後に離れの電話が鳴りカミュが受話器を取った。 「明後日に松茸狩りをするので、明日の便で京都に向うことになった。」 「ふうん、さすがに仕事が速いな! なにか必要なものがあるとか言ってたか?」 「いや、すべて向こうで用意してあるそうだ。」 「楽しみだね♪」 その夜の食事には松茸の土瓶蒸しが出て、二人の気分を盛り上げる。 「この香りがいいんだよ。」 「最初は急須が出たかと思って驚いたが、実に面白い食べ方だ。」 「こんな小さい杯でスープを飲むなんて考えられんな。 小人の国に迷い込んだみたいじゃないか。」 蓋を取ると松茸はもちろんのこと、銀杏、鶏肉、才巻き海老、三つ葉がきちんと並んでいて目に美しい。 杯に注いだ出し汁に添えられているスダチを絞るといっそう香りが引き立つのだ。 「香り松茸 味シメジ、というがほんとに…」 カミュが一口飲んだ。 「こたえられないね!」 絶妙の間合いでミロが受けるところなどは見事なコンビネーションだ。 丹波地方のとある山が今回の松茸狩りの場所である。 世に松茸狩りのできる場所は多いが、見つかるかどうかは運次第だし、入山料を支払っての松茸狩りはそこまで期待できるものではない。 不作のときは6時間探して小さいものがたった一本というのもよく聞く話だ。 「でも、うちの山は期待していただけますよ!」 伊丹空港近くのホテルに泊まった二人を迎えにきてくれた納谷という男性は宿の主人の直接の知り合いではないようだが、ミロとカミュのことについてはそれなりに聞いているらしい。 「お二人には最高の松茸を堪能していただけると思います。」 「お世話になります。 二人とも初心者ですので、うまく見つかるといいのですが。」 「コツをお教えしますから大丈夫です。」 車は秋の実り豊かな山あいの田園風景を抜けてゆく。 丹波は栗に牛肉に黒豆に最高の呼び名が高く、水田では一面の黄金色の稲穂が重たげに風に揺れている。 車を降りたところは里山の奥深く、水田が途切れたあたりでそこにいかにも地元の人らしい五、六人の男達が待っていた。 いずれも日に焼けていかにも山歩きには長けていそうな農家の人間らしい。 互いに自己紹介をして山道に向うとそれぞれが背中に荷物をしょっている。 「この荷物はいったい? ガスボンベもありますが。」 カミュが納谷に尋ねると、 「ああ、あれは山の上ですき焼きをするので、その材料を運ぶのです。 人数がいないとたいへんでして。」 「えっ、すき焼きを?」 「どうして松茸狩りですき焼きなんだ?」 外人の二人が目を丸くするのがどうやら納谷には面白かったらしい。 「松茸を取ったら、その場で食べたくなるのは人情ですが、なし狩りやイチゴ狩りと違って松茸はいきなりかぶりつくわけにはいきませんので。 昔は山で枯れ枝を集めて火をおこして石をちょうどよく並べて鍋をかけたものですが、今ではガスコンロがあって便利になりました。 野菜や牛肉ももって行きますのでゆっくりと楽しめますよ。」 「ほぅ、それは面白い!」 「すると、万が一、収穫がなかったときは普通のすき焼きになるってわけだ。」 「その時にはシメジや舞茸を探しますが、大丈夫です、今年はいい松茸が出てます。」 どうやら納谷は毎日のように山に登って松茸の様子を見て歩いているらしい。 「どこに生えているかは秘密です。 どの山にも持ち主がいましてね、都会の人にはわからんでしょうが、人の山にはけっして踏み込みません。 ほら、そこの左側に見えている杭の向こうは隣りの山ですから、もしも向こうに松茸が生えているのを見つけても絶対に手を出してはいかんのです。」 「ふ〜ん、隣りの芝生ね♪」 「それとは違うと思うが。」 「そうか?」 話しながら登っているとだんだん勾配がきつくなってきた。 「お疲れではないですか?」 「いや、私たちは大丈夫です。 そちらこそ荷物が重くてたいへんでしょう?」 「いやぁ〜、慣れてますし。 それに先に楽しみが待ってますから。」 それほど高い山ではないのだが、規則正しい間隔の十二宮の石段と違って山の斜面は登りにくい。 すでに道などなくて、赤松の生えている斜面を斜めに折れながらゆっくりと登っているのだ。 「あっ、このキノコは?」 ミロが指差す方向に笠の開いた薄い褐色のキノコが三本ほど見えている。 「あれはハタケシメジですね、美味しいので保険のために取っておきますか。」 足場がよくないので納谷が自分で取りに行く。 「保険って?」 「松茸が見つからなかったときに備えるということだろう。 次善の策だ。」 「あ、なるほどね。」 てっぺん近くに送電線の鉄塔があり、その付近はちょっとした草地になっている。 「ここに荷物を置いて松茸を採りましょう。」 青いビニールシートが敷かれ、運んできた荷物が下ろされた。 二人にも軍手が渡される。 腰には紐で小さい竹籠を結びつけ、格好だけはいっぱしのキノコ採りの名人だ。 「いよいよだな♪」 「うむ。」 「言っておくが、お前よりたくさん採るからな!」 「そんなことはやってみなければわからぬ。」 「採れなかったら俺のを分けてやるよ。」 「余計なお世話だ。」 最初のころは菌類、すなわちキノコの植生を実地検分しようと考えていたカミュにも不思議と競争心が湧いてくる。 「探すコツをお教えしますから、こちらへどうぞ!」 手招きされて近づくと、納谷が斜面を見上げるようにして身体を低くした。 「松茸は上から見たのではわかりません、こうやって下から見上げると、笠が開いて周りの松の落葉や枯葉を押しのけ、笠の裏の白い部分が目立ち、すぐにわかります。 ほら!」 「え?」 手を伸ばした納谷がいい形の松茸を目の前の地面から丁寧に折り取ったので二人は驚いた。 「うわっ! ほんとに松茸だっ!」 「こんなにすぐに見つかるとは!」 魔法のような手際に二人が賛辞を贈る。 「いやぁ、遇然ですよ。 松茸狩りは運ですから。 あとの注意としては見つけたら慌てないで根元の枯葉や土をそっとどけて、途中で折らないようにやさしく折り取ること。 松茸かどうか判別がつかないときは誰かを呼ぶこと。 松茸は赤松の細根に寄生するので一本見つかればその近くにも生えている可能性があります。 見つけた松茸の近くの落葉の下にもある可能性があるので踏み荒らさずにそっと探すこと。 このくらいですかな、ではこのあたりで別れて二時間ほど探しましょう。 あとで鉄塔の下に集合します。」 一つ一つに頷きながら聞いていた二人もこれから先は競争のような気分になってくる。 「一緒に歩いていては効率が悪い。 別れて探したほうがたくさん見つかるだろう。」 「それはそうだが、一人黙々と探し続けるのもちょっと寂しくないか? もし一本も見つからなかったときに備えてしゃべる相手がいたほうがいい。」 「それも保険か?」 「そういうこと♪」 山の空気は清々しい。 湿った落葉を踏みながら木漏れ日の林の中を目を皿のようにして歩くのは珍しい経験だ。 なかなか見つからなくてミロが焦りを覚えたときカミュが、 「あった……!」 小さい声で言ったのが聞こえた。 「えっ、どこ?」 「あそこだ、あの松の根が横に這っているすぐ上のところに!」 「あ……」 たしかにそれは松茸で、売り物になりそうなほどよい形をしている。 「う〜ん、先を越されたか!」 「次も私がいただく!」 「あっ、そういうことを言う? 少しはやさしく、次の松茸はお前に譲ろう、とか言ってくれてもいいんじゃないのか?」 「勝負事に情けは無用だ。」 「お前ってベッド以外では冷たいのな…」 「なにか言ったか?」 「いや、なにも!」 そう言いながらカミュの目は笑っている。 先に松茸を見つけたので気分がいいらしい。 ちっ、優越感も今のうちだけだぜ、いちばん大きいのは俺が見つけるからな! そして今夜の勝負も俺がもらった♪ ミロの視線が斜面に向けられた。 こうして赤松山の斜面を探すこと2時間あまり。 集合してみると、思いのほかたくさんの松茸が採れていた。 「へぇ〜、こいつはすごい!」 「こんなにたくさんの松茸を見たのは初めてだ!」 持ち寄った松茸は、スーパーで使っているような黄色いプラスチックの籠に盛り上がるほど無造作に入れられている。 「とても松茸には見えないな、この世のものとは思えない。」 「椎茸狩りのような気がする。」 二人が感心している横では男達が慣れた手つきで鍋の用意をし、持参のネギや焼き豆腐が並べられている。 牛脂を焼くいい匂いが流れてきた。 「さあ、こちらにどうぞ!」 勧められて座った場所には薄い座布団が敷かれ、地面のでこぼこや小石が感じられて二人を面白がらせた。 「俺のところは少し右に傾斜してる。」 「私の腿の下にどうやら小石があるようだ。」 「愉快じゃないか、それ、我慢できる?」 「たいしたことはない。」 素晴らしい丹波牛のロースが鉄鍋に並べられ、玉子が配られた。 「ほう、これは新鮮だ!」 黄身と白身がはっきり分かれた玉子は割り箸で持上げてもすぐにはこわれてくれないのだ。 「それはうちのニワトリが今朝産んだ卵ですよ。」 「えっ!」 「ネギもわたしんとこの畑のネギだし。」 「ほぅ〜!」 「で、牛肉はうちの♪」 「なんと!」 二人がまじまじと納谷を見た。 とたんにみんなが笑い出す。 「いや、冗談です! たしかに牛は飼ってますが酪農です。 それに、もし肉牛でも切り身にして持ってくるのはちょっとできませんな!」 笑いの渦の中で松茸が大胆に手で裂かれてどんどんと入れられた。 一時的に松茸で盛り上がり、肉が見えないほどである。 「包丁を使っちゃいけません、松茸の味が落ちます。」 むろん、採れた松茸を洗ったりはしない。 手で軽くはたいて笠についている松葉や根元の土を落とすだけである。 山の料理はまことに大雑把なのだ。 「さ、ビールを!」 「いただきます!」 納谷から注がれたビールをミロが一気に飲み干した。 コップはガラスだが、キリンビールなどと白い字で印刷してあるのも二人には珍しい。 「私らだけなら缶で直接飲むんですが、今日は大事なお客さんだから♪」 カミュにはノンアルコールビールが用意されていたところをみると、宿の主人がきちんとそこまで伝えておいてくれたのだと知れる。 「ところでお二人は何本採れました?」 「私は六本。」 「俺は八本だ、勝ったな♪」 「しかし、形は私のほうがはるかによい。」 「俺の方が大きいのを採ったのはわかっているだろう?」 みんなでわいわい言いながら飲んで食べても、籠の松茸はそれほど減っていない。 「今年の松茸はここ十年くらいでいちばんの出来ですな、最高のをお目にかけられてよかったですよ!」 「ほんとにいい経験です! 日本はいいですね!」 「こんな贅沢は山を持ってないとちょっと無理ですね、外国産の松茸もたくさん出回ってますが、やはり国産ですよ!」 それからはめいめいがネギや玉子の自慢をし、それを褒めちぎり、しまいには日本の農政や農家の後継者問題まで飛び出して、それについてのカミュの勘どころをついた意見がやんやの喝采を受けた。 見上げると送電線の上を白い雲がゆっくりと流れていく。 丹波の山はこれから本格的な秋を迎えるのだ。 「牛肉も美味かったが松茸のボリュームもすごいな!」 「一生分、食べた気がする。」 「俺なんか口いっぱいに頬張ったぜ!」 上品な土瓶蒸しもいいが、山ですき焼きを食べるのも豪快でいい。 たくさんの松茸を土産に二人は帰路についた。 「まあ〜、こんなに松茸を!!よろしいんですの?」 フロントで美穂が嬉しい悲鳴を上げた。 「俺たちには料理のしようがないから。 ここの厨房で使ってもいいし、スタッフの皆さんで分けてもいいし。」 「では、さっそく今夜のお客様に焼き松茸でお出しいたしましょう。 ほんとうにありがとうございます。」 主人が籠を受けとリ頭を下げる。 「いや、こちらこそ。 たいへんに楽しい経験をさせていただいた。 お手数をおかけしたことだろう、どうもありがとう。」 鍵を受け取った二人が離れに行ってしまうと美穂が溜め息をついた。 「それにしてもほんとに立派な松茸! ミロ様のお話をうかがうと、とってもたくさん採れたみたいですね。そんなすごい松茸山をお持ちのお知り合いが?」 いかにも感心したように訊かれた主人が苦笑いする。 「いや、私の直接の知り合いではなくてね。」 「では、お客様のどなたかの?」 「これはミロ様にもカミュ様にも内緒だが、」 「はい。」 「実は沙織お嬢様にお願いをした。」 「あらまあ!」 「すると、お嬢様が毎年招待されている松茸山を御紹介くださってね。」 「お嬢様はご一緒なさいませんでしたの?」 「お二人が緊張なさって、ゆっくり松茸狩りをお楽しみになれないだろうとのご判断で今年は見送りになられた。」 「まぁ………」 こうして美穂が厨房に持っていった松茸はそこにいた全員にどよめきを上げさせた。今年になって最高の姿かたちの松茸だ。 「やっぱり国産は香りが違うね!」 若い板前が、固く絞った濡れ布巾で丁寧に松茸の汚れを取りながらたいそう満足げに頷いた。 はい、松茸狩りです、見聞録にこれを書かねば片手落ち。 松茸は高いという印象があり、松茸狩りというのはさらに縁遠い世界です。 でも、贅沢が日常化しているお二人にはぜひ体験していただきたく。 初めて沙織さんが存在していましたね、電話口の向こうで。 あとは、十二夜でミロ様が、美穂の描いたイラストを見て驚いたときと、 訪問記で氷河がザッハトルテに言及したときだけのはず。 出番の非常に少ない人です。 そして納谷さんも出ました。 名前を決める必要があり、どうせなら納谷さんにしようと。 池田さんならもう出てますよ、古典読本の 「春よ こい」 に。 豪雪の現地でカミュ様の連絡係になるグラード財団の人です。 |
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