聖ザビエル天主堂は明治23年に京都河原町三条に日本人大工の手により建てられたもので、本来はレンガ造りと木造だったが、移築の際に本体は鉄筋コンクリートに替えられている。 しかし、内部の造作などは昔のままだ。
「どうしてそのころの日本人がこんな西洋のものを建てられたんだ? 日本古来の建築とは全然違うだろう? それを言ったら、三重県庁舎なんかも不思議だが。」
外から見上げる天主堂の上部には金文字のレリーフで天主堂という三文字があり、妙に日本的だ。
「三重県庁舎の設計は、もと伊勢久居藩作事方の清水義八の手になるものだ。 むろん、西洋建築を正式に学んだのではなく、東京に行って自分なりに勉強した知識をもとに見よう見まねで作ったという。 このような建築を擬洋風建築といい、もっとも有名なものに長野県松本市の旧開智学校がある。 やはり東京で西洋建築を学んだ地元の大工棟梁によって建てられた不思議な魅力を持った小学校で、昭和38年まで実際に使用され、国の重要文化財に指定されている。 卒業生には新宿中村屋の創始者相馬愛蔵がいる。」
「あ〜、それってインドの革命の志士ボースをかくまった人物だ。 ボースは中村屋にカリーの作り方を伝授してる。 不思議につながってくるな。」
ミロが覚えていてくれたのが嬉しい。
「この天主堂は明治20年に来日したフランス人のパピノ神父の設計で、フランス人神父の監督のもとに日本人に造らせたとある。 パピノ神父は日本で多くの教会の設計を手がけている人物だ。」
「どうして神父がここまで本格的な教会の設計ができたのか不思議だが。」
「パピノ神父はパリで建築技師の資格を取ってから神学校に入学している。 専門家だ。」
「それって、外国に赴任することを見越して建築を学んでから神学校に入ったのかな?それとも建築家になるつもりで勉強している途中で神父になろうと思ったのかな?」
「さて……それはわからぬが。 来日したときは27歳で、14年の間に7つの教会の設計をしている。 」
「27か。 ずいぶん若いな。」
27といえばサガくらいの年齢だ。 さぞかし意欲に燃えて、異国の地で布教に励んだに違いない。
遠い日本に布教のためにはるばるやってきて、土地の様子も、いや、日本語さえもわからないのに現地に根を下ろし信者を増やし寄付を募って教会を建てるとは、とてつもない努力の賜物だ。 信仰の力のなせる技だろう。 おそらく、教会を建てることを予想して建築学や設計法まで学んで国を出て来たことを思うと、その熱意に頭が下がる。 むろん、彼らは国に、フランスに帰ろうとは思わなかったろう。 遠い異郷に骨を埋める覚悟で海を越えてやってきたのだ。
しかし、パピノ神父は病を得て香港で静養し、その間二度来日して、ついにはフランスに帰り長い療養生活を送った後で亡くなった。 さぞかし残念であったと思う。
「ふうん……それにしても、河原町三条といえば京都の街中だぜ。 そこに明治23年にこんな大きな教会が出来たら、さぞかし京都人が驚いただろうな。」
この天主堂はたいそう大きくて、高台にあることもあり明治村の中でもひときわ目立つ。 白い外壁がよく目立ち、ここで結婚式を挙げるカップルが多いというのも頷けるところだ。
「ああ、中もとても綺麗だ!」
中に入ったミロが声を上げた。 といっても、場所柄をわきまえてささやくような小さな声だ。
「本格的だな。 よくも明治時代の日本人が造ったものだ。 」
「施工はペトロ横田となっている。 信者になった大工の棟梁だろう。」
「ふうん……京都の大工がキリスト教徒になって、こんな立派な教会を建てたのか……ふうん…」
入り口上部には直径3.6メートルほどのステンドグラスの薔薇窓があり、美しい光を透過している。 これと同じものが右手の床にあってすぐ近くで眺めることが出来る。
「ステンドグラスはあちこちで見るけど、明治23年だぜ、それも京都のど真ん中! 当時の日本人がこれを見た感想を聞いてみたいもんだな。 知恩院や東本願寺なんかは別格として、当時の京都の街中にこんな大きな教会が建っていたら恐ろしく目立ったろうな。 思うけど、もしこの教会が今も京都にあったらずいぶんな観光名所だろうに。 100年以上も地元に根付いてたのに、どうして移築しなきゃいけなかったんだ?」
そこのところは私にもわからないが、やむを得ない事情があったのだろうと思う。
側面にも正面にも極彩色のステンドグラスが数多くはめ込まれ、内部の柱から天井に向かって欅の柱の木組みが美しいカーブを描く。 この天主堂の美しさを正確に語る言葉を私は持たない。 実際に来て見なければわからないだろう。
「簡単な建築じゃないぜ。 とても複雑な構造で、完璧な設計図があったとしても、ろくに西洋建築を知らない大工にどうやって説明できたんだろう? とても信じられないな。」
この教会はそのころからはるか昔の戦国時代に日本にやってきたフランシスコ・ザビエルを記念するために建てられている。 ザビエルは京都に11日間滞在し、天皇や足利幕府の将軍から布教の正式な許可を得ようとしたが会うこともかなわずに失意の中で京都を離れていた。
中央の通路に立ち高い天井を見上げていると、急に日が差して輝かしい色彩の光に包まれた。 ステンドグラスを透過した赤や青の光が私を照らす。

   あっ…

「動くなよ、そこにいて。」
陰になっているところにいたミロが私に呼びかけた。
「綺麗だよ……とても綺麗だ…」
「ん…」
さっきまで曇っていたのに今は左のステンドグラスに陽光が当たり、暗い堂内をたくさんの色彩で染め上げていた。
「ミロも来るといい。」
無言でやってきたミロと二人で美しい光を浴びた。 染まった頬は気付かれなかったに違いない。 ほかには誰もいず、ミロがそっと私の手に触れた。 光に彩られた私たちは静かに立って神の祝福を受けていた。


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              聖ザビエル天主堂 ⇒ こちら  とても美しい写真たち。
                ここの写真も秀逸です。 ⇒ こちら   ステンドグラスを透過する光の美しいこと!
                模擬結婚式 ⇒ こちら   後半のほうで新郎新婦が花束を投げる木造家屋、
                                  啄木が住んでいたという床屋さんの二階のような気がします。
                移築の背景が書いてあります ⇒ こちら
              鶴岡カトリック教会 ⇒ こちら  聖ザビエル天主堂を設計したパピノ神父の設計した教会。
                                   とても立派な公式サイトです 。(注意:音楽が流れます)

              フランシスコ・ザビエルについて ⇒ こちら  
                   とても驚きました。 ザビエルのことをなにも知らなかったことに恥じ入ります。
              ザビエルの腕 ⇒ こちら  驚愕の一言です。


              聖ヨハネ教会堂 ⇒ こちら  明治村にあるもう一つの教会の驚くべき救出劇。 ぜひご一読を。
              
京都の教会 ⇒ こちら