名 刺 |
「名刺を作ってみたい。」 ある日ミロがそう言い出した。 「だって日本に住んでたら当然だろ。名刺を持っているのが一人前の社会人の条件だ。」 「そうなのか?私も名刺のことについてはよくわからない。」 博識なカミュも日本のビジネス界における名刺の重要性についてはあまり詳しくない。ただ、以前テレビで日本に住む外国人の間で名刺を作るケースが増えているという話を紹介 していたのを見た覚えがあるので、異論を唱えることはしない。 「俺の知るところでは日本人は用紙にもこだわっていて、手漉き和紙を使うとか、環境に配慮して再生紙を使うとか、いろいろ配慮してたぜ。たしか、携帯で情報を読み取れるよ うにQRコードを印刷したのもあるはずだ。こすると香りが出るものもあったな。」 そんな工夫をするところはさすがは日本人だとミロはおおいに感心をする。するとカミュが思い出したようにこう言った。 「そういえば聖域にも聖闘士カードというのがあったように聞いているが。」 「えっ?それはいったいなんだ?俺は知らんぞ。」 たいていの読者がすっかり忘れているだろう聖闘士カードはほとんど黒歴史に近いと思われる存在だが、カミュはかつて氷河から聞いたことがある。 「我が師カミュ、星矢が聖闘士カードを持っているのですが、俺も作ってもよいでしょうか?」 「え?聖闘士カードとはなんだろうか?」 「敵を倒したときに自分の名前を印したカードをその場に残しておいて、責任の所在を明確にするためのものだそうです。」 「えっ!そんなことは聞いたことがないが、なにかの間違いではないのか?」 「いえ、俺は星矢から見せてもらいました。PEGASUSのマークとロゴが印刷されています。」 そう言った氷河が絵を描きながらペガサスの聖闘士カードについて説明したので、やっとカミュも理解した。 「それではお前もその聖闘士カードを持つがよかろう。しかしここではそうしたものを印刷するすべがないが。」 聖域を離れてこのかたずっとシベリアにいるため聖域の最新事情には疎かったカミュは、たった一人のおのれの弟子にそのカードを作ってやることさえできない自分が歯がゆくてならぬ。 「それなら大丈夫です。星矢が、必要なら魔鈴さんに頼んで俺のカードも作ってくれるそうですから。」 「そうか、すまぬな。魔鈴にはあとで私から礼を言っておこう。」 ほんのちょっとしたことも自力では解決できないこの土地の不自由さにカミュはため息をついた。 「今から思えば、星矢は日本人ゆえ伝統の名刺を使う習慣に乗っ取って聖闘士カードなるものを使うことにしたのかもしれぬ。星矢の師の魔鈴も日本人だと聞いている。名刺とは本来は初対面の相手に会ったときに渡すものだが 、闘う前に渡すのはどう考えても無理がある。そこで倒したあとに置いたのだろうな。」 そのあたりを考えたのかどうか、氷河は初対面の白銀聖闘士のバベルに最初からCYGNUSのカードを渡している。これなどは明らかに名刺本来の利用法であり、さすがは秩序を重んじるカミュの弟子であるといえよう。 「ふ〜ん、すると聖闘士カードってのは日本人限定のアイテムだな。まったく知らなかった。黄金は使ってないし。」 強大な小宇宙を有する黄金はそのようなものを使わずともその場に残留した小宇宙がそこにいた者の名前を容易に知らしめる。それに比べればはるかにささやかな小宇宙しか持たぬ青銅は聖闘士カードをその場に残すことによって、やっとおのれの存在を印象づけられると考えたほうがいいだろう。 最初から黄金になるべく運命づけられていたミロやカミュには、聖闘士カードは不必要な知識である。 「氷河からその話を聞いたときは、私が長くシベリアにいたためそうした最新の事情に疎く、師として弟子に細やかな配慮をしてやることができず可哀相なことをしたと思ってい る。」 当時を振り返るカミュは残念そうだ。 「しかたないさ。知らなかったんだし、お前のせいじゃない。気になるなら、こんど会ったときに名刺を作ってやればいい。きっと喜ぶだろう。」 「そうだな、そうしよう。」 氷河の話だからいたってのどかな会話だが、もしもこの世に冥闘士カードがあったとしたら、フログのゼーロスのカードなどはミロが即座に焚書坑儒することだろう。 さて、名刺である。 辰巳に相談すると駅前の印刷屋を教えてくれた。 「私もそこで名刺を作っております。名刺にもいろいろな種類がありまして、私は日本人向けと外国の方向けと二種類用意しております。こういったものですが。」 辰巳が懐から名刺入れを出し、二枚の名刺をカウンターに置いた。一枚は縦書きで漢字を使い、もう一枚は横書きの英文だ。 「なるほど!」 見本に二枚とももらい、ますますミロの名刺熱が高まってきた。 「やっぱり名刺だよ。挨拶のときに名刺を差し出してこそ対等の関係になれる。日本では名刺が必要だ。そうでなきゃ、覚えてもらえない。」 いや、ミロほどの金髪碧眼の美形を忘れる人間はいないだろう。一度でも会えば深く心に刻まれる。 「ああ、この店だ。すみません、名刺を作りたいんですが。」 「いらっしゃいませ。ではこちらに見本がございますので、お好みのタイプをお選びください。」 かなり厚い見本帳が示された。カミュと二人でワクワクしながらページをめくったミロは様々なデザインに驚かされた。 辰巳からもらった名刺は白いシンプルなものだったが、色付きのものもあったし金文字を押したものもありさまざまだ。型押しをして流麗な唐草模様が浮き出ているのも美しい。形も角が丸くなったのやレース状にカットしてあるものまで種々多様な品揃えである。 「驚いたな!これなんか隅のマークのところを押すと音声が流れるんだそうだ。考えられんな。」 「ほう!さすがはよく考えるものだ。」 ミロの音声が流れる名刺はプレミアカードである。 ” はじめまして。私がスコーピオンのミロです ” きわめて強力な本気の聖闘士カードだろう。 だいたいのデザインを決めたあとはいよいよ記載事項を用紙に記入することになった。 「まず氏名、と………あれ?記入欄が苗字と名前に分けられているけど、ミロだけじゃだめなのか?聖闘士に苗字があるやつなんていないぜ?スコーピオンのミロ、ってよく名乗るけど、あれって苗字じゃないよな。」 「守護星座ゆえ苗字ではあるまい。」 正直言って、苗字がなければまるで源氏名である。およそビジネス界では通用しそうにない。 「まあいい。住所は、と……勤務先と自宅ってあるな。勤務先って、俺たちの場合どこだ?無職じゃないから書くべきだが、グラード財団じゃないよな。でも十二宮って勤務先じ ゃないだろう?どう思う?」 「え〜と…」 「それに自宅の住所はどう書けばいい?ずっと住んでるんだから宿の離れでいいのか?日本で使う名刺なんだから天蠍宮のを書いても無駄だろう?だいいちあそこには郵便物も届 かない。」 そんなものを書いたら黄金のプライバシーだだ漏れである。 「電話番号、これは書けるな。090−〇△◇□−1136 と。」 やっとまともに書ける項目があったのでミロは安心である。 「次はFAXか。え〜と俺はFAXは…」 「携帯では無理だ。FAXは固定電話に対応している。」 「だよな。ふ〜ん、メルアドも書くんだ。ええとgold−scorpion1108−…@……」 またまた貴重なプライバシーが惜しげもなく書き込まれた。そんな名刺をばらまいたりしたら、速攻でネット上に流出するだろう。一日で数千通のメール殺到である。 「あとは……え?部署・役職名・肩書き・資格などって?」 「それはおそらく、業務二課とか部長とか救急救命士などのことではないだろうか?」 「ああ、なるほど。で、俺たちってなんて書けばいいんだ?」 「さて?」 聖闘士と書いても一般社会では意味がない。黄金聖闘士は聖闘士の最上位に君臨するがますます一般的ではないだろう。といってグラード財団とはなんのかかわりもない。 「とすると俺たちって肩書きなしか?天蠍宮主って書いても意味ないし。苗字に該当するものもないから、もしかして俺の名刺って 『 ミロ 』 だけ?」 たとえ源氏名でも店の名前くらいは書くだろうに、これではあんまりだ。そんな名刺を渡したら誰でもこの人物は何者か?と疑問を持つだろう。 怪しさ100%である。 「なんだかなぁ……名刺を作る意味がないような気がしてきた。例の聖闘士カードのほうが目的がはっきりしているだけまだましなんじゃないのか?」 「う〜む…」 結局ミロは名刺を作るのをあきらめた。 「でも身分とか氏名を証明するものが外国人登録証しかないっていうのも面白くないな。日本人なら保険証とか住基ネットのカードがあるし、運転免許証もあるのにな。そうだっ!俺たちも免許を取 ろう!」 「えっ!私たちがか?」 「そうだよ、どうしてもっと早く気がつかなかったんだろう!俺たちの運動神経と日本語の理解能力があれば確実に取れる。さっそく自動車学校のパンフレットを手に入れようぜ 。免許を取ったらお前を乗せて夕日の海岸をドライブだ!」 「私もお前を乗せて走れるが。」 「気分だよ、気分。スポーツカーでドライブってよくない?」 「たしかに面白そうだ。」 「じゃあ、決まりだな。」 かくて登別の自動車教習所に超注目の大型教習生の入校が突然決まったのだった。 久しぶりに原作を読んで、聖闘士カードの存在を再認識。 ・ 魔鈴さんが作ってやって星矢に持たせたのか? ・ 聖衣には秘密のポケットがある? ・ 白銀聖闘士も知っていた聖域公認のアイテムなのにほかでは使われていない? カミュ様の聖闘士カードは青いホログラム付きの美品で、 プレミアカードとして高値で取引されているとのもっぱらの噂です。 もしかしたら指紋が付いていたりして? |
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