海 鼠 (ナマコ )

「前から思っていたんだが、これはいったいなんだ?」
朝食の席でミロが小鉢からすくい上げたのは白から淡い灰色をぼかしたようなアルファベットのCの形に薄切りにしたつるんとしたものである。 こりっとした、しかし弾力のある歯ごたえはなかなかに特徴的で箸休めに向いており、以前からミロのお気に入りなのだ。
「それは海鼠だ。」
「ナマコって?」
「棘皮 ( きょくひ ) 動物門、ナマコ網に分類される生物だ。 棘皮動物門ではこの他にヒトデ、ウニなどが知名度が高いと思われる。」
「ウニの仲間ってことは海の中に住んでるのか。 海の動物といえばクジラやイルカあたりを連想するが。」
「動物とは一般的には運動能力と感覚を持つ多細胞生物のことだ、むろん例外もあるが。 動物界は33の門に別れているが、もっとも数の多いのが節足動物門。 これには昆虫類、甲殻類、クモ類などが含まれる。 次に多いのが軟体動物門。 貝類、ウミウシ、クリオネ、イカ、タコなどがそうだ。 棘皮動物門はウミユリ類、ヒトデ類、シャリンヒトデ類、クモヒトデ類、ウニ類、ナマコ類の6グループに分けられる。 興味があるようだから、この表を見ればさらによくわかるだろう。」
「興味って言われても………………あれっ? おいっ、人間がいないっ!! 哺乳類はどうなっているんだ?! クラゲだの回虫だのミミズだの、変なのしかいないじゃないか!!牛や馬はどこにいるっ?」
「食事中に大声を出さないでもらいたい。 人間はこの表の一番下の脊索動物門に含まれる。 ホヤの次に脊椎動物と書いてあるだろう。」
「脊椎動物って………あ……ほんとだ。 なぜ、ホヤなんかの次に………?」
「その中に魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類などが含まれている。」
「どうしてまた哺乳類が最後になってるんだ? 人間が一番偉いんじゃないのか? どうしてホヤに先を越されてるっ?」
「それは主観的に過ぎる。 分類学上は、地球上に現われたのが新しい生物ほど、あとに書かれることになっている。」
「あ、そう………」
「そういうことだ。」
説明を終えたカミュがナマコに箸を伸ばす。
「古来から日本では、長崎のカラスミ、越前のウニ、三河のコノワタを天下の三大珍味といっているが、コノワタというのはこのナマコの腸を塩辛にしたものだそうだ。」
「ふ〜ん! カラスミは確かに美味い! あれは絶品だ! 前にデスの奴が来たときは、あれを臆面もなく追加注文したからドキッとしたぜ。 すると、このナマコ自体も高価なのか?」
「さて、それは……?」
そこへ美穂が揚げ立ての天麩羅を運んできた。
「ちょっと尋ねるが、ナマコとは高価なのだろうか?」
「ナマコですか? いえ、それほどでも。 ナマコには赤と青がありますが、アカナマコの方が身がしまってこりこりとして美味しいらしく、やや高価ですけれど特に高いものではありません。」
「これって、もともとはどんな形かな?」
ミロがナマコの最後の一切れを箸ですくい上げた。
「そうですねぇ………このくらいの大きさでちょっと平たい円筒形みたいですけれど。 ああ、たしか、明日の夜のお食事にもナマコをお出しする筈ですから、そのときに厨房でご覧になったらいかがでしょう?」
「ああ、それはよい。 ぜひ見たいものだ。」
こうして二人に明日の予定ができた。

翌日、離れに電話が来た。
「厨房にナマコが届いたそうだ。」
「よし、行こうぜ!」
ときどき覗いたことのある厨房だが、ここまで目的意識を持っていくのはピーチパイを作ったとき以来で、ミロの足取りは軽い。
「こちらですわ、ミロ様、カミュ様。 とても生きのいいのが入ったそうですの。 なんでしたら、お二人の分をご自分で調理なさってもよろしいそうですわ。」
「ほう! それは面白い。」
「料理には、ちょっとは自信があるぜ♪」
二人がやってきたのを見た板前が、トロ箱からまな板の上に何かをひょいっと置いた。 二人の目が吸い寄せられる。
「……え?」
「なるほど、棘皮動物に違いない。 表面には円錐形の大小の突起が多数あり、腹面には運動器官として管足が密生している。 皮下にある多数の微細な骨片が分類上の大きな特徴だ。」
カミュが近寄って、板前から箸を受け取ると検討を始めた。
「これが口だ。 体の先端にあり、その周囲に房状の触手が二十本ほどある。 この触手で海底の泥や砂の中にいる微生物やケイ藻類などを捕らえて砂泥ごと食べるのだろう。」
「調理方法をお教えしましょうか?」
「ぜひ、お願いしたい。 では手を洗ってこよう。 ミロも、さあ!」
「あ………うん…」
板前の隣りでカミュが包丁を握る。 その隣りでミロがカミュをちらっと見た。
「まず塩を付けてぬめりを取ります。」
板前が慣れた手つきで三匹のナマコに塩をまぶすと手で揉んだ。 むにゅむにゅとした触感がひしひしとわかる。 カミュが興味深そうに覗き込む。
「ナマコは腹の方から切り開きます。 こんなふうに…」
「ああ、なるほど!」
「では、どうぞ。」
板前が二人の前にナマコをぼたっと置いた。 気のせいかぶるんと動いたように見える。
包丁を構えたカミュがさっそくナマコを押さえようとすると、まな板の上でナマコがなんともいえぬ弾力感で身体をひねったようにミロには思えた。
「ほう、まだ生きている!」
「ええ、ナマコは生きているのをさばくのがよろしいです。 うちでは常に鮮度のいいのをお出ししております。」
「うむ、包丁もさすがによく切れる!」
カミュが一気に切り開くと海水がどっと出てきた。 ナマコがゆっくりと収縮を繰り返す。
「この中に入っているのが………これですね、コノワタと申しまして、またとない珍味ですね。」
「ああ、ミロ、これがナマコの腸管だ。体長の三倍はある。」
カミュが明るい橙色の細長いものをにゅるりと引き出した。
「この中には砂が詰まっていますので、このようにして………指で丁寧に砂をしごき出します。」
「ほう、なるほど!」
「これはさっと洗ってから小口切りにして軽く塩を振ってお召し上がりください。 あとは両端を切り落として………ええ、そちらが肛門ですね。 口の側を切り落としたあとに残っている触手を取り除き、輪切りにいたします。」
「なるほど、なるほど! やはり、酢の物が美味しいのだろうか?」
「はい、柚子入り二杯酢に大根おろしと唐辛子を添えるのがよろしいかと。」
「ミロ、できたか?」
満足そうなカミュが横を見ると、隣りには誰もいなかった。


「お前って………やっぱりクールだな………」
「え………あぁ……ミロ……」
「今日は驚いたよ………新たな一面を発見した気がする………」
「ミ…ロ………」
「もっと違う面を見せてもらえるかな? クールじゃないのを希望する♪」
「あ………」
「ふふふふふ………」






                
昼の失態を取り戻すミロ様の秘策とは??
                それは、ひ・み・つ♪

                以下は、ミロ様と同じ感性の方は見ないでください。

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