奥 入 瀬・十 和 田 湖

十和田湖は青森、秋田、二県の県境に位置する湖だ。 独特な形は日本地図上でもよく目立つ。 しかし残念ながら交通の便はよくない。 鉄道の駅から離れているため、西からは弘前、北からは青森、東からは八戸を起点として何時間もバスに揺られないと十和田湖の姿を見ることはかなわない。
「それでも人は来る。 それだけの魅力を持った湖ということだな。」
「十和田湖から流れ出す奥入瀬 ( おいらせ ) の急流も見逃すことはできぬ。 鉄道の駅から離れているがゆえに開発の手をまぬがれているということも言えよう。」
朝の青森駅をバスで発った二人は千人風呂で有名な古くからの湯治場・酸ケ湯温泉を過ぎ、標高1000メートルを越す八甲田の山並みを越え、明治の文人・大町桂月ゆかりの由緒ある蔦温泉を車窓から眺めたあと焼山 ( やけやま ) でバスを降りた。 ここから十和田湖畔までの14キロを4時間ほどかけて歩くのだ。
二人と一緒にかなりの客が降り、渓流沿いの小道を歩き出す。 若者もいれば中年の夫婦や家族連れもいて、共通するのは背中の荷物と健脚という点だろうか。
「さして高低はないが、十和田湖まではかなり距離がある。」
「日本屈指の渓流だろう。 楽しみだな。」
シルバーウィークと称されるほどの九月の五連休である。 行楽に出掛ける人は数多く、ここ奥入瀬でもかなりの人出だ。
「この時期でもこれじゃ、紅葉の季節はすごいんだろうな。」
「奥入瀬と十和田湖の紅葉といえばポスターでもよくお目にかかる。 大変な混雑ではないだろうか。」
「紅葉のときは思い切ってここまでテレポートしてみるか?」
「それはちょっと…」
そんなことができれば苦労はないが、いくらなんでもまずいだろう。 危険と緊急性を伴う敵情視察とは違うのだ。
木漏れ日の踊る渓流沿いの小道は踏みしだかれた落ち葉にしっとりと覆われ、適度な固さで足にもあまり負担がかからない。 傍らを走る車の排気ガスが少々気になるが、人と車の間を木立がほどよく隔てているところも多く、さして影響はなさそうだ。
「このパンフレットを見ると、特色ある滝や瀬に名前がついているようだ。」
「ふうん!たとえばどんな?」
これから先の行程には白糸の滝だの阿修羅の流れだの屏風岩だの、様々な見どころが待ち構えていて飽きそうにない。
ポスターやカレンダーでよく見かける奥入瀬の急流とは実際にはどんなものなのだろう? ああいった写真は最高の瞬間を最高のカメラで撮影し、しかも画像処理してあることも考えられる。
しかしそれは杞憂だった。

素晴らしかった! そう言っていいと思う。
まだ見ぬ十和田湖から流れ出てきた水は、歩き始めたあたりでは少し濁っていたがじきに綺麗に澄んで清流となった。 あるときは穏やかなたゆとう流れに、あるときは岩にせかれて二つに分かれ、様々な変化を見せながら俺たちの横を行く。 そんな流れを見ながら気持ちのよい木立の間を散策してゆくのは快感だ。
「こんなに歩きやすくて景色を楽しめるところも珍しいんじゃないのか? もっと早く来ればよかったな。」
「まったくだ。 流れの変化が面白いし、左右の岩肌にときどき現れる滝も、規模は小さいがいかにも日本的で楽しめる。」
そして圧巻は 「 阿修羅の流れ 」 だった。 どうしてこんなに、と思うほど水量が多く、丸みを帯びた大きな岩がごろごろしている傾斜のついた瀬をどうどうと音をたててほとばしり落ちる景観は素晴らしかった。 たっぷりとした水量が岩の間を流れ落ちて真っ白く見えるのは清涼感を呼ぶ光景だ。 流れの中に位置する小島には絶えることなくしぶきがかかり、しっとりとした緑に苔むして、その上に生えた若木の緑がみずみずしい。 水と緑の絶妙なバランスが見る者の目を楽しませる。 奥入瀬を見に来た観光客はみな見とれ、予想を超える景観にいずれも賛辞を惜しまない。
「驚いたな、すごい迫力じゃないか! さっきまでのおとなしい流れはどこにいった?」
「見事だ! とてもよくまとまっていて実に見応えがある。」
ポスターの写真は嘘ではなく、なんの誇張もしていない。 「 阿修羅の流れ 」 は見る価値のある存在だ。 これに紅葉が彩りを添えていたならどんなに美しいことだろう。 観光客が押しかけるのも頷ける。

十分ほども立ち止まって鑑賞したあと、何度も振り返りながら 「 阿修羅の流れ 」 をあとにした俺たちはさらに十和田湖へと向かった。 道の左右にときどき姿を現す滝は、ささやかだがいかにも日本的でつつましやかな美を見せる。 ヨーロッパでは名もつかないだろうが、こういったやさしげな印象の滝は日本人の感性に合うのだろう。 白糸、白布、白絹、玉簾などいずれの名前も繊細だ。

バス停の横に差し掛かると、ちょうど停まった路線バスに20人くらいが乗り込もうとしていたが、ほんの数人しか乗れなかったようだ。
「ふうむ……混んでいて乗り切れなかったようだ。」
「やっぱり紅葉はテレポートか?」
「う〜む…」
奥入瀬は好きな区間を歩いて、疲れたら途中のバス停からバスに乗ればよいというのが謳い文句だが、肝心のバスが混んでいて乗れないのではしかたあるまい。 もっとも紅葉の時期には増発するらしい。
「足に自信があって時間が許すならば、歩くのがよいということだ。 バスの窓から見るよりもそのほうが奥入瀬を堪能できる。」
「まったくだ。 美を堪能するには手間と時間をかけなきゃな。」
そう言ったらカミュがぱっと顔を赤らめた。

   ……え?
   おいおい、考えすぎじゃないのか?
   そういえば夜に似たようなことを言ったような気もするが、なにも俺はそんなつもりで……

俺が毎夜ことあるごとにカミュの美を褒めたたえたものだから刷り込まれたんだろうか? 急に夜のことなど考えてしまい、こっちも顔が赤くなる。 紅葉よりも早く赤くなってどうするんだ?

そうやって奥入瀬を楽しみながら歩いていくと、ついに十和田湖が見えてきた。 車で来た観光客は湖畔をドライブするのかもしれないが、俺たちはもちろん遊覧船に乗る。
「箱根の芦ノ湖のは派手な海賊船だが、ここのは普通だな。」
「外海につながっていればともかく、閉ざされた湖に海賊船の存在する理由はない。」
こういうことにはカミュは手厳しい。 そりゃそうだ、芦ノ湖に海賊船がいる論理的な説明は俺にもできない。
「ああ、気持ちがいいな! デッキで風に吹かれるのはなんとも言えない快感だ!」
「まったくだ! この気分はなにものにもかえられぬ!」
しかし海賊船であろうとなかろうと、手摺りに寄り掛かって周りの景色を眺めているのは最高だ。 十和田湖はかなり大きな湖で、湖畔はあまり開発されておらず自然の景色がよく保存されている。
「十和田湖は日本で第三位の深さを誇り、一番深いところは327メートルあるそうだ。」
「そんなに深いのか? 俺が聖衣のままでここに落ちたら327メートルも沈むのか? そいつは嫌だな。」

   それに300メートル以上も息は持つまい
   人って、何メートル沈んだところで死ぬのかな?

聖衣のままでは泳げない。 そんな羽目には陥りたくないものだ。 絵になると言われるかもしれないが、沈む本人としては笑えない。
「もちろん瞬時にテレポートすればすむんだが、落ちるってことがそもそも緊急事態だ。 意識を失ってるってことも有り得るからな。」
穏やかな湖面を見ながらそんなことを考えていると不意にカミュがこう言った。
「安心するがいい。 そんなときには世界のどこにいようとも私がお前を救い出す。 水で死なせてなるものか。」
「あ……うん、そのときには頼む。」
気軽に言った言葉にこんな真剣な返事が返ってくるとは思わなかった。
顔を赤らめた俺に船内放送が 「 ただいま航行している地点がもっとも水深の深いところです 」 と教えてくれる。
「こんなところがいちばん深いとはね。 岸からそんなに離れてないぜ。 ものすごく深い穴に水が溜まったようなものだな。」
「十和田湖は火山が噴火したあとにできた二重カルデラ湖だ。 以前は魚が棲んでいなかったが、明治時代に和井内貞行が二十二年の苦労の末ヒメマスの養殖に成功したそうだ。」
なるはど、噴火口に水が溜まっただけでは魚がいたはずはない。 先人の苦労があって今があるのだった。

十和田湖の周囲は秋には見事な錦に染まる。 いまはほとんど緑だが、晴天の今日はそれでも十分に美しい。
「う〜ん、やっぱり紅葉を見たい! きっと見事だぜ!」
「せっかく日本にいるのだ。 秋にもう一度来るか。」
「じゃあ、そういうことで。」
湖畔のひらけたところに高村光太郎の有名な彫刻 「 乙女の像 」 が見えてきた。 二人の裸体の乙女が向かいあって立っているポーズはポスターにもよく取り上げられている。
「あれって女性の像だから、なんてこともなくみんな見てるが、もしも男同士だったら気まずいのかな? どう思う?」
「…え?」
なにげなく言ったのだが、カミュは気にしたらしい。
「そ、そんな恥ずかしいこと…」
「…え?」
とたんに頭の中に俺とカミュが向かいあっているポーズの彫像が浮かび、恥ずかしいったらないのだ。 乙女の像の周りは散策コースになっているらしく、たくさんの人が湖を眺めたり像を背景に写真を撮ったりしてる。 たぶん絵葉書の題材にもなっているだろう。 有り得ない話だが、もしもあれのモデルが俺とカミュだったら…………
「ええと……」
笑っていいのか慰めるべきなのか、どっちだ?
「ともかく秋にまた来よう。 うん、それがいい!」
俺たちの頬は紅葉より赤くなっていた。





         
青森三部作は十和田湖で締めくくります。
         念願かなってお二人に奥入瀬を歩いていただけたので嬉しいです。
         壁紙の赤い実はナナカマド。