パルプンテの巻物 2 |
ことの起こりはたった一つの巻物だった。 パルプンテの巻物、それがこの はた迷惑な巻物の名前だ。 教皇の間が近づくと老師はほっとする。 261歳の身体で十二宮の石段を登るのは一苦労なのだ。体力的にはなにも問題はないのだが、なにせ足が短すぎるので時間がかかってしかたがない。 「昔は三段跳びで駆け上がっていったものじゃがのぅ。」 そうつぶやきながらゆっくりと登る老師のそばをデスマスクあたりだと 「お先にごめんこうむります。」 と言いながら早足で登ってゆくのが常だが、これがカミュだと、少し遅れて同じ速度でついてきたりするのも老師としては気にかかる。 「先に行くがよかろう。」 と道を譲っても、「いえ、私はここでよろしいのです。」 と、三歩下がって師の影を踏まずを実践しているような性格だ。 まことに人は様々である。 若い黄金に比べてあまりに体格的に不利なのでアテナからは特例としてテレポートを許されてはいるが、若い者に示しがつかないといって老師自身はその権利を行使したことはない。 ミロに言わせれば、老師は別格なのだからテレポートでもAEでも好きなようにやってもらっていっこうにかまわないというところなのだが、老師としてはけじめはつけたいのだ。いや、AEはやはりまずかろう。 それはさておき、ようやく階段を登り切り、教皇シオンの執務室までやってきた老師は軽くノックをして中に入った。冥界との条約締結について意見を求められていて、すでに要旨は伝えてあるが進捗状況をみてみる気になったのだ。中にシオンとサガがいるのはノックをする前からわかっていたが、部屋に入ったとたんほかの誰かがいるような気がしてふっと左を見た。 ん?………なんじゃ? 視覚的にはなにも見えないが確かに何者かの気配を感じるのだ。 シオンとサガはなにも気付いていないようで老師に椅子を勧めてくれたが、いったいどうした事だろう。 教皇の執務室に未知の存在がいるというのは穏やかでない。 もしや冥界の手の者かと疑ってみたが、害意は一切感じられずただ静かに存在しているだけだ。 それとも、時空間の狭間からなにかが紛れ込んだか? いや、それならばADの使い手であるサガには必ずわかるはずじゃ 時々シオンに意見を述べながらひそかに首を傾げていると、シオンが大きく溜め息をついた。 「ふうむ、なかなか糸口がつかめぬ。 明日に持ち越したほうがよいか?」 「いえ、あと二時間ほどで先が見えましょう。」 「では次の案件にかかろう。」 疲れの見えていたシオンが再び次の書類を取り上げたとき老師の左後方で例の存在がゆらりと揺らめき、その瞬間、ほんのわずかだが老師の感覚に触れるものがあった。 これは………この存在は、もしやカミュか? 小宇宙を絶ち、気配まで消しているのはなぜだ? どうして姿を見せぬ? もしや冥界の手に堕ちて傀儡にでもされたかとも思ったが、いったん掴んだわずかな気配を探ってゆくと、そこに漂っているのは困惑と動揺、そしてこれがわからないのだが、どうも羞恥のようにも思われる。 さすがにどう考えていいのかわからず、ふと思い立ってカミュと思しき存在の後ろにある書棚の書物を取りにいってみた。 するとすっと脇によけて明らかに接触を避けようとしているのがわかるのだ。 そのとき老師は見た。 その存在のいる場所の絨毯が人の足の形に沈んでいる。 やはり……! しかし、靴のあとではない、素足だが? 執務室の絨毯は毛足が長い。 ドアからデスクまでの人がよく通る箇所はそれなりに毛足が寝ているが、いま足跡の見えているところはあまり人の行かない場所で、そのせいで明確に痕跡が残るのだった。 長身のサガより50センチ近くも背が低いので、屈まなくともよく見える。 すると姿が見えないが、たしかにそこにいるということになる いわゆる透明人間ということか? しかもその事実を隠しているのじゃな 事情はわからないが、ここから出られなくて困っていることが手に取るようにわかる。 あと二時間はこの話が続くと聞かされて動揺したのも頷ける。 「おお、そうじゃ。 用事を思い出した。 わしはここで失礼しよう。」 自然に見えるように膝を叩いて立ち上がる。 挨拶をしてドアを開けたところで、カミュが出て行きやすいように少し戻ってシオンに話しかけていると、見えないカミュがすっと廊下に出てゆくのが感じ取れた。 ほっとしてこんどこそ本当に部屋を出ると、当たり前のことだが廊下の左右のドアは閉ざされていてにっちもさっちも行かない。 カミュが立ち往生しているのが目に見えるようで、内心の笑いをこらえながら外に向かうドアを開けてやる。 十分なゆとりをもって先に出してやり、それを繰り返すこと三度。 誰にも会わずに外階段まで出られた時には老師も肩の荷が下りたような気がしたものだ。 ここまで来ると、ひとたびカミュだとわかったものの存在がおぼろげながら見えてくる。 予想したとおりになにも身につけてはおらず、これでは名乗ることも出来なかったのも無理はない。 外に出たのはいいが、このあとどうするのじゃ? ずっとこのままではなるまいが、妙に落ち着いているのはなにか方策があるということか? 見えなくなった理由や執務室にいた事情、これからの見通しを聞きたいのは山々だが、そうすると、裸のカミュに気付いていたと知らせることになり、それもさぞかし恥ずかしいことだろうと気の毒になる。 下から吹き上げてくる風に吹かれながらそれぞれ逡巡しているとアイオリアがやってきた。 「これはよいところでお目にかかりました。 明日の講義の件でお伺いしたいことがあるのですが。」 「なんじゃな?」 応対していると少し離れたところに立っていたカミュが姿勢を正すと一礼をして階段を下りていった。 落ち着いた歩きぶりからするとこれで事態は収拾したものと見える。 そのうちに姿を現したら、問いただしたいことは山のようにあるのだが、どうしたものかと老師は考える。 本人がひた隠しにしたいというのなら、わざわざこちらから声をかけて恥をかかせることはないのだ。 なにも知らぬアイオリアと話していると、背の高い後ろ姿が曲がり角を曲がって双魚宮のほうへ見えなくなった。 足取りが軽かったところを見ると心配は要らぬようだった。 翌日、再び階段を登って教皇の間にやってきた老師は大笑いしているデスマスクと行き会った。 涙が出るほど笑い転げ、手でなにかを掴むような格好をしながら何もない空間をしきりに叩いている。 「なにをしておるのじゃ?」 「ああ、老師! これを………おい、待てっ、逃げるんじゃない!」 一人で興奮しているデスマスクがいきなり姿勢を変えて何かを抱きかかえるようなポーズをした。 「いやだっ!」 聴こえてきたのはミロの声だ。 ……ははぁ! 「あ〜あ、お前が騒ぐから変なところにさわっちまったかもな! まあ、気にするな、俺も忘れることにする! いや、ほんとにこいつは傑作だ! 透明人間とはね!」 そこで老師はカミュの陥った苦境だけでなく、その進退の見事さをつくづくと悟ったのである。 ……え? 身体の見事さはどうだったのかって? そんなことはここでは言えない。 このあと老師はパルプンテの巻物のことをミロから聞き取って、しかるべく処置を施します。 たぶんアテナの御札で封印をして、宝物庫にでも入れて厳重に鍵をかけておくのでは? ミロ様、やっぱり透明人間になって秘密行動をしてみたくなったらしいです。 で、デスに衝突しちゃった? このあとみんながわらわらと寄ってきて、あちこちさわられまくる? カミュ様だけは宝瓶宮ですやすやと寝ているのでなにも知りませんし、 ミロも老師も、カミュのことについては口を閉ざしています。 お姫様はいつも保護されるのでした。 |
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