「カルディア!おいっ、なにを…!」
「こりゃあ、ひどい……おい、部屋に戻るぞ!いいか、毒のことを俺が知ってるなんて絶対にデジェルに言うなよ。」
なにがなんだかわからないミロを従えたカルディアが早足で離れに向かった。途中で実を吐き捨てると、咳払いをしながら玄関を開ける。
「ああ、カルディア、ちょうど茶を淹れたところだ。……どうかしたのかっ!おいっ、大丈夫か?!」
苦しそうな表情でしきりに喉をさすってその場に倒れ込んだカルディアにデジェルとカミュが駆け寄った。
「さっき、きれいな赤い実を見つけて食べてみたらひどい味で……ううっ、苦しい……」
「カルディアっ!」
蒼白になったデジェルがカルディアを抱きかかえた。
「赤い実とは……まさかピラカンサか?!ミロ!食べたところを見たか?」
カミュの鋭い叱責にたじたじとなったミロが、
「いや、俺は…」
と口ごもったとき、
「俺が口に入れた時ミロに注意されたがもう噛み砕いた後で……デジェル…すごく気持ちが悪くて……まさかこのまま……」
「カルディア!!」
身体を丸めて苦しそうに咳込むカルディアをひしと抱きしめているデジェルは気が動転しているらしい。ピラカンサの効果は三日もすれば収まるし死ぬようなことはないとわかっ ているミロだが、カルディアの心臓のことに思い当たりだんだん不安になってきた。

   心臓移植をしてるとピラカンサってまずいのか?
   どうなんだ?
   カルディアのやつ、大胆すぎるだろう?!

カルディアの傍らに屈み込んだカミュは手首をつかんで脈を確かめている最中だ。
そのとき、デジェルに抱きかかえられて苦しんでいるはずのカルディアがちらりとミロを見て目配せをした。

   あ……

  (なっ、うまくいっただろ!)
「デジェル……デジェル…苦しい……」
人目もはばからず固く抱き合っている二人は他人など眼中にない。いや、デジェルはそうだろうが、カルディアは見せ付けているに違いないことをミロは知っている。
「カミュ、カルディアは大丈夫だろうな?ええと、俺が調べたところによると、何日か経てば口の中の違和感もおさまって平気になるらしいんだが。」
この期に及んで、ついこの間ピラカンサを食べた経験があるとはミロはとても言えない。
「文献にはそうあるが、個人差があることも考えられる。」
眉を寄せたカミュが生真面目に答えてカルディアの呼吸を確かめた。
「カルディア、よく思い出して答えてほしい。実を噛んだあと、少しでもかけらを飲み込んだかどうか覚えているか?」
「……いや、ひどい味だったんでここに来る途中で全部吐き出した。俺って……死ぬのか?」
「カルディアっ!」
ますます顔を引き攣らせたデジェルが声を震わせる。
「ともかく寝かせたほうがよい!私はふとんを敷いてくる!」
カミュが奥の間に立っていった。
  (あ〜…余計なことをするなよな。おい、ミロ、カミュをとめてこい!)
  (そんなことを言われても…!)
「デジェル……口の中がいやな味がして…もう最期かも……」
「そんなっ…!カルディア!」
「お前にはつらい思いばかりさせて……すまない…せめて別れのキスを…」
腕の中のカルディアに息も絶え絶えに訴えられてはデジェルもなりふりかまっていられない。心なしかぐったりしてきたカルディアの頭がのけぞっているのを支えながら迷いも見せずに口づけた。
  (うわぁ……デジェルはマジだが、カルディアにはめられてるんだよな…)
「あぁ、カルディア……かわいそうに!なんてひどいことに!」
そう言ったデジェルは少しでもカルディアの負担を減らそうと思ったらしく、口腔を舌で探ってはピラカンサの苦味をおのれの口に吸い取って畳に吐き出しはじめた。

    あ〜、この畳は播州赤穂特産の最上級の藺草で編んだ特注品で…!

などと言えるわけはない。カルディアの死に目に遭っている気分のデジェルにどうして畳の品質保持について注文できようか。

   いまさら全部カルディアが作為的にやったことだなんて言えん!
   連帯責任で俺も非難されそうな気がする!

「用意ができた!早くこちらへ!」
緊張した面持ちのカミュが声をかけ、今度ばかりはミロとカミュも手を貸して三人でカルディアの身体をそっと抱え上げると隣室の布団に横たえた。
  (ちっ!せっかくのいいところだったのにカミュのやつ余計なことを!)
  (カミュがいなくてもそもそもデジェルが布団に寝かせたと思うんだが)
  (それはそうだろうが…なぁ、デジェルに添い寝してほしいって言ったらやってくれると思うか?)
  (はぁ?そんな無茶な!だいいち俺とカミュがいるんだから有り得ないだろう?)
  (じゃあ、牧場に行って馬にでも乗ってろよ。人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んじまえって言うだろうが。)
  (牧場に行くんなら邪魔どころか応援してるも同然だから、蹴られはしないと思うぜ。)
デジェルに手を握られたまま布団に寝かされて荒い息をついているカルディアと内心の呆れを押し殺して心配そうな顔をしているミロがそんな会話を交わしているとは想像もしないカミュが空いているカルディアの腕に手早く血圧計を巻きはじめた。


数日後にカルディアの復調祝いの昼食を摂った後でミロがカルディアを娯楽室に連れ込んだ。
「あのときはほんとに驚いたんだからな。」
「お前らがあんまり真面目だから、少しからかってやろうと思ったんだが、どうだ?正直に羨ましかったって言っていいんだぜ。」
「誰が!」
「羨ましいからって、福寿草や水仙の球根は食うなよ。本気で死ぬっていうからな。」
「誰がそんな馬鹿なことを!そのくらいなら素面で抱く!」
「ほぉ〜、そいつは楽しみだ。俺たちの視線を感じて恥じらうカミュがお前の手から逃れようとして悶えるのを楽しむとはさすがは蠍座だな。」
「そんなことはっ…」
「デジェルのやつも、こないだはつい夢中になってお前らのいる前で熱く燃えたんで居心地が悪いらしい。さっきも黙り込んでうつむいてたのは気付いているだろう?可哀そうだと思ったら、バランスを取って今度はそっちでよろしく頼む。」
「そんなことは俺のせいじゃないし!」
「カミュは嫌かもしれんが、見せ付けるのはお前も好きなんじゃないのか?そうじゃないとは言わせない。俺の目はごまかせないぜ。」
「でもっ……そんなことをしたらあとでフリージングコフィンを喰らう!」
「そんなのは口ばかりだろ。実際に喰らったことがあるとでも?」
「それは…」
たしかにそれはない。せいぜい室温が急降下して氷の視線が飛んでくるくらいのもので、ほとぼりの冷めたころをみはからって謝罪の言葉を口にしながら優しく抱いてやればカミュの機嫌は直る。もともと過ぎたことをいつまでも根に持つ性格ではないのだ。
「なにも本気で抱けといってるんじゃない、そんなのは俺も見たくない。」
「当たり前だっ!」
「ちょっとディープなキスをしてやりゃいいんだよ、それでデジェルも安心する。」
「でもっ…」
「お前、俺たちに協力しないわけ?デジェルの幸せのために先代の俺が頭を下げて頼んでるのに?」
頭を下げられた覚えなどミロにはさらさらないのだが、だんだん自分が不人情な仕打ちをしているような気になってくるのはなぜだろう?
「ともかくよろしくな!当代の蠍座が物分かりのいいやつでよかったよ。スコーピオンの聖衣を纏うにはふさわしい人物だ。アテナにはほんとうに感謝してる。じゃあ、俺はこれからデジェルと露天風呂に行く約束があるから。」
「えっ、そんな…!」
あろうことか、アテナの名前まで出されて虚を突かれたミロが返事もできないでいるうちにカルディアはさっさと部屋に戻ってしまった。理屈と膏薬はどこにでもくっつくと言うが、 なんでカルディアとデジェルがいる前でカミュにディープキスをしなくてはならないのかミロにはまるでわからない。

   いったいこれのどこに理屈があるんだ?
   俺ってカルディアのペースに流されすぎ?
   ピラカンサの危険を知っているカミュが実を食べるはずはないし、
   かといって実力行使でいきなりディープキスなんかしたら張り倒されそうだし…

悩んだ末にミロは正面からぶつかってみることにした。カミュにわけを話してデジェルの気持ちが楽になるように計らいたいと相談を持ちかけたのだ。
「それは無理だ。有り得ない。」
「だと思うけど、今のままじゃ、たしかにデジェルの立場がないし。なんとなならないか?」
「そもそもデジェルがカルディアに施したのはディープキスなどではなくて、緊急の救命措置だ。なんら恥ずかしがる性格のものではないだろう。」
「そりゃそうだけど、当のデジェルが恥ずかしがってるんだから。」
「しかしっ……ともかくそんな恥ずかしいことは御免こうむる。そのかわりに手をつなぐのではだめか?」
「……はぁ?それってどんな状況で?」
「ええと……四人で食事処に行くときはどうだろうか。むろん美穂たちが見ていないという条件下だが。」
「幼稚園の遠足じゃないんだぜ。だいいち俺たちって手をつないだことがあったか?かえって緊張して手がじっとりと汗ばみそうだ。俺としてはディープキスのほうがまだ自然にできる気がするが。」
「氷河とは手をつないだことはあるのだが。」
「お手々つないでハイキングってか?優雅だな。」
「いや、修行を始めて間もないころにクレバスに落下した氷河の手を間髪を入れずつかんだ時のことを言っている。」
「あ、そう…」
色気もなければ優雅でもない、それはいかにも凍気の聖闘士にふさわしい生死をわける一瞬だ。
「そうだっ!ディープキスがだめでもマウスツーマウスがあるぜ!あれならお前も恥ずかしくないだろう?」
「私がそれを必要とする状況に陥るとは考えにくいが。」
「う〜〜ん、そりゃそうだ。」

結局キスをあきらめたミロは、翌日の朝食に出かけるときにカミュと手をつなぐことにした。キスに比べていかにも穏当だし、だいいちカミュが言い出したことなのだからなにを恐れることもない。いつもの通りに8時に玄関を出ると隣の離れからカルディアとデジェルがやってくるのが見えた。
「それじゃ。」
「あっ…」
さっとカミュの手をとったミロがちらりとカルディアを見てから先に立って歩き出す。後ろからの視線は極力気にしないことにして柔らかい手の感触を楽しむことにした。
「ミロ、まさかほんとにやるとは…!」
「いやならここでディープキスをしてもいいんだぜ。俺はそれでもかまわない。」
「私はかまう!」
「だからこのままで。」
「わかった…」
どことなくぎこちない後ろ姿を笑っていたカルディアの手もいつのまにかデジェルの手をとらえている。
「あいつらってほんとに仲がいいんだな。」
「ん…そうだな。」
回廊から玄関ホールに出るころには手は離れていたが心は浮き立ったままだ。
「今朝は一本つけたいね。」
「それもいいな。」
ミロの提案にすぐカルディアが賛成する。連れだってゆく二人の後ろからやや頬を染めたカミュとデジェルが歩いて行った。




 

       「人事不省になるのが常に私とは限らない。」
       「え?」
       「天秤宮で老師がお倒れになったらすぐにマウスツーマウスを実行することも考えられる。」
       「えっ!!」
       「まさか嫌とは言うまいな?」
       「え〜と、え〜と…うわぁぁぁ…」