ピ ラ カ ン サ

十二月も半ばになると、離れに滞在している身にもなんとはなしにせわしない年の瀬が感じられるようになってきた。
カミュが昨日から一週間ほどシベリアに出かけているのでミロは退屈でならない。今日一日をどうやって過ごそうかと考えながら離れから食事処に行く途中に目についたのは回廊沿いに植えられているピラカンサだ。 秋から冬にかけて真っ赤な実がぎっしりとなるこの木は冬枯れの季節にはよく目立つ。目立つわりにはかなり遅くまでこの実は枝に残っていて、小鳥が食べにくるのはほかの木の 実に比べてかなり遅い。 ようやく年が明けて2月くらいになるとヒヨドリやシジュウカラがやってきてこの赤い実をつつき始め、ついには一つ残らず食べ尽くしてしまうのをミロはよく知っている。
「ということは食べられるってことだ。」

   それは柿なんかの果樹のほうが甘いに決まってる
   美味しいのを食べ尽くしてほかになにも食べるものがなくなってからやっとピラカンサの順番になるんだろう
   たいして旨くはないが冬場の貴重な食料ってわけだ
   ブルーベリーみたいにジャムになってないところを見ると、とくに気の利いた味ではないんだろうな

正月の花材によくつかわれる千両や万両は冬場のかっこうの鳥の餌である。餌が少なくなるとあっという間に食べ尽くされてしまうので、網をかぶせて保護していることも多い。その千両万両とピラカンサはよく似ている。
「なにごとも経験するのが大切だ。百聞は一見にしかずという。」 とは常日頃カミュが言っていることである。 あとから思えばカミュが戻ってきてから意見をきけばよかったものを、このときのミロは即断即決を選んだ。
独りの朝食を終えてから玄関に用意されている雪駄を履いたミロは柴折戸を通ってピラカンサに近寄ると真っ赤に熟れている実を一粒取って汚れのないのを確かめるとちょっと手 の平で転がしてから口に入れてみた。 少しは苦いかも、と思いながら奥歯で噛むと、ほろっと崩れて、たいしたことはないな、と思ったとたん猛烈な違和感がミロを襲った。
「うっ…」
慌てて実を吐き出して何回も咳込んだ。

   なんだっ!これはっ!
   ものすごく嫌な味で舌がめちゃめちゃに痛くなってきた!

吐き気やら刺すような痛みやら、ともかくただ事ではないのだ。

   まさか毒っ?!
   いや、鳥が食べても平気なんだから毒のはずはない! でもこれは…!

唾を飲み込んでも咳ばらいをしても口の中の刺激はおさまるどころかますますひどくなってきたようで、気分まで悪くなってきた。

   ともかくうがいをしよう、そうすればきっと治る!
   たかがピラカンサだ、たいしたことはない! そうに決まってる!

自分に言い聞かせながら急ぎ足で離れに戻り、洗面台に直行すると何度もうがいをしてみた。

   だめだ、なにも変わらん!

のど飴を舐めれば少しは改善するかと考えて、幸い引き出しに残っていた南天のど飴を口に入れてみたが気休めにもならず、口腔内の違和感は増すばかりだ。 鳥は大丈夫なのに人間には害があるとも思えないし、あちこちでよく見かけるピラカンサが毒だというならとっくの昔に世間に喧伝されているはずだ。現に、春を告げる福寿草や 水仙の球根に毒があって食用に適さないことはよく知られているではないか。
たしたことはない、きっとすぐなおる、と自分に言い聞かせても、刺すような痛みはまったく改善せず全身を覆う悪寒がミロをおおいに焦らせた。あまつさえ吐き気が込み上げてき てとてもではないが平静ではいられない。

   たった一粒のピラカンサでなんてざまだ! まさかとは思うが、死んだりしないだろうな?
   でももっと具合が悪くなって美穂に救急車を呼ばれたら恥ずかしすぎるし、
   そのときに俺の意識がなかったら、原因がわからなくて医者も対処に困るんじゃないのか?
   胃洗浄なんかされたくないっ!!

万が一の意識消失に備えて美穂にピラカンサを食べたことを告げるべきか思い悩んだミロが思い付いたのはパソコン検索だ。
「Googleだ!Google先生ならきっとなんとかしてくれる!」
急いでパソコンの前に座り、震える手でキーボードを叩く。
「 『ピラカンサ 食べる』 これでどうだ?」
するとさすがにGoogle先生である。検索候補の一番上にピラカンサを食べてみたという先人のページが見つかった。 ドキドキしながらそのページに飛んでみると真っ赤な実をつけたピラカンサの写真と詳しい文章があり、吐き気をこらえながら読み進めたミロは我が目を疑った。
「青酸!青酸カリの青酸か!?」
なんとピラカンサの実には青酸が含まれているというのだ。

   嘘だろ!俺ってまさか死ぬのか? 黄金がそんなみっともない死に方ができるかっ!

「いや待て!食べてからブログを書いてるんだから死んでないだろう。何十粒も食べたならともかくたったの一粒だし。」
自分を宥めながら先まで読むと、12月ころのピラカンサの実には青酸が含まれているが、年が明けて2月くらいになるとその成分が抜けてほとんど無害になるらしい。 経験上それを知っている野鳥は食用に適するようになってから悠々と食べに来るというのだ。
「そういうわけか!全然知らなかったな。」
ブログによると果敢にチャレンジしてみたその人物は三日間ほど口中のひどい違和感に悩まされ、思い付く限りののど飴やうがい薬を試してもなんの役にもたたなかったそうだ。
「とりあえず安心したな。我慢してればそのうち治るというわけだ。」
ミロは焦眉をひらいたが、それで症状がおさまるというわけではない。こんなときにはなにも食べないでじっとしているほうがいいにきまっているが、三食用意されてしまう暮らしはこんな ときにはたいそう困る。 考えた挙句にミロは聖域に戻ることにした。用意されている昼食はスタッフの誰かが食べてくれるだろう。
吐き気を押さえ込みながらフロントに行き、美穂に三日ほど留守にする と告げ、背中に「いってらっしゃいませ」の声を聞きながらさりなげく外に出ると人目のないことを確かめてから夜中の天蠍宮に直接跳んでそのままベッドにもぐり込む。
「う〜〜、気持ち悪い……こんなざまをカミュに見られたら再起不能だな。いくらなんでも馬鹿過ぎる。」
体調はあいかわらず良くなかったが、誰にも見られていないと思うと安心で、このままピラカンサ禍が過ぎ去るのをじっと待っていればいいのだから気が楽だ。 そうしてミロは三日間を天蠍宮で過ごし、ミロが在宮していることを聞き付けたデスマスクがさっそく飲みに誘いに来たときには、ちょと胃の調子が悪いから、と言い訳しながら わざとらしく胃のあたりを撫でてごまかした。
そんなミロが離れにもどった翌日に予定より早くカミュが帰ってきた。
「おかえり。予定より早かったな。」
「うむ、思いのほか調査がはかどった。こちらも変わりはなかったか?」
「ああ、いつも通りの日常だ。ちょっと聖域に帰ったけど。」
「そうか。それは知らなかった。久しぶりのシベリアは身体が冷える。家族風呂の予約をしたゆえ行ってくる。」
「俺も行く。」
軽く頷いたカミュはミロが帰還した理由を聞くわけでもない。

   ちょっとは聞いてくれてもいいんだが いや、やっぱり聞かれないほうがいいな

二人でゆったりと湯につかりながらなにを話すでもなくのんびとしていたが、やはり気になるのはあのことだ。
「ピラカンサだけど、」
「ピラカンサがなにか?」
「ええと、ほら、ギリシャにも似たようなのが生えてた気がするんだが。」
いきなり、実が食べられるのかどうか、というのは言い出しにくくてすこしそれた方向にまぎらわす。
「ピラカンサはヨーロッパ南東部からアジアにかけて分布する。園芸種も数多く作られており品種を同定することは困難だ。」
「あれって赤い実がきれいだよな。」
「うむ、ピラカンサの名は、私たちにはなじみのギリシャ語の pyro (炎)  と acantha(刺) が語源だ。」
「えっ!そうなんだ。そいつはすごく理解できるな。」
「だが、あの実は青酸配糖体を含んでいるので食べてはいけない。」
「え……青酸配糖体ってなに?」
手のひらですくった湯を肩にかけているカミュをいつもなら心ひそかに愛でるミロだが今日はそれどころではない。
「青酸配糖体 Cyanogenic glycosides はシアンヒドリン配糖体とも言われ、糖に青酸が結合したものだ。バラ科の植物の種子などに多く含まれており、詳細は省くがこれらを生食すると腸内で青酸を生じる。」
「ふうん…すごいんだな。」
「このことはお前にも説明したはずだが?」
「えっ!俺は聞いてないぞ!」
「そうか?この宿に滞在を始めた時、ギリシャとはあまりに植生が異なるのに感動して目についた植物についてあらかた調べ、その結果はお前にも逐一話したはずだ。ここに来たのは五月のことだがちょうどピラカンサが真っ白な花をつけていたのをよく覚えている。お前もきれいだと感心していた。」
「そういえばそんな気も…」
「ピラカンサの実を食べるはずもないが、ともかくそういうことだ。ただし年が明けて二月にもなると果実が成熟し果肉中のエムルシンによって毒素が分解されるが、種子の核内の青酸配糖体はそのまま残っている場合が多いので注意する必要があるだろう。」
「わかった。万が一ピラカンサを2月に食べても種は吐き出すことにしよう。」
「うむ。」
それきり会話は途絶え、静かな時間が流れてゆく。
「炎の棘か。ちょっと俺的だな。」
「え?」
「ほら、スカーレットニードルとちょっと共通するものがあるだろ。」
「そういえばそうかも。」
「そうだよ。」
ミロが満足そうに笑った。






         
ピラカンサ → こちら
         実際にはここまで症状はひどくなさそうですが、そこはお話ですから。
         北海道では寒すぎて地植えは難しいらしいのですが、函館で見かけたという説もあるので、まあいいかと。
         救急車の心配をするミロ、ちょっと可愛いです。
         美穂ちゃん、母性本能を刺激されるかしら。
         「どうせならカミュの母性本能を刺激したい!」
         「ミロ!」

         ※ 壁紙はツルウメモドキ    ピラカンサの素材が出たら差し替えます