セ ス ジ ス ズ メ

カミュと育てたオオスカシバがみんな飛び立ってしまい、ちょっと手持ち無沙汰になったころのことだ。
駅前のドラッグストアで買い物をしたミロがいつも立ち寄る和菓屋でカミュに頼まれた麩まんじゅうを買っていると店先で 「きゃっ!」 という声がした。
振り向くと通行人の女性数人が店先においてあるプランターを指差している。
「ほら、これ見て!」
「きゃっ!やだぁ!」
「すごすぎるわよ、あたし、こういうのだめなの!」
支払いを終えて包みを入れた紙袋を提げたミロが店の外に出て見ると、女性たちがなおもすごいすごいと感想を言い合っていて、ほかの通行人も立ち止まり始めたところだ。
「うわっ!気持ち悪いな!」
「毒かなんか、あるんじゃないの?」
なんとなく予想がついたミロが見て見ると、やはり幼虫だ。まだ4センチ位の細身だがこの先大きくなることがおおいに予想されるビジュアルで、黒地にオレンジの丸い斑紋が体側にきれいに並んでいる。尾のほうにはつんとした突起があるのもミロには見慣れた形状だ。
「こんなに葉っぱが食べられちゃってる!」
「このプランターって商店街が植えたやつだろ。消毒してないのはまずいよな。」
そこへ男の子を連れた親子が仲間に加わった。
「うわっ、すごい!これって、アゲハじゃないよ、きっと蛾の幼虫だよ、こういうの、図鑑にたくさん載ってたもん。」
「いやあね!お母さん、こういうのは見るのもいやなのよ。さあ、行くわよ!」
もっとよく見たがる男の子の手を引っ張った母親は足早に行ってしまった。
「やだ!蛾なの?気持ち悪い〜!」
「早く行きましょ。見たくないわ。」
そこへ騒ぎを聞きつけた和菓子屋の店主が出てきた。
「ありゃ〜、いつの間に!すぐに片付けますから、どうもお騒がせして申し訳ありません。」
お辞儀をすると箒とちりとりを持ってきて、我関せずともりもり葉っぱを食べていた幼虫を払い落とそうとした。
「あの、ちょっと待ってください!」
むろん声をかけたのはミロだ。黙って見ていたが、恐れていた結果が来ようとするのを無視できなかったのだ。
「その幼虫、もらいたいんですが。」
「えっ?」
突然の申し出に驚いた店主がミロを見た。誘い合って立ち去ろうとしていた女性たちも振り返ってミロを見て、こっちのほうはなぜか頬を赤らめた。
「これをですか?」
店主が箒の先で幼虫を指し示した。
「ええ、それです。」
うなずいたミロが見たところによると幼虫は3匹いるらしい。緑の葉に黒い身体はよく目立つ。ぜんぜん保護色にはなっていない無用心さが清々しいと言えば清々しいが、保身の術に長けているとは言いがたい。
「昆虫研究家なので、育ててみたくて。いただいてもいいでしょうか?」

   う〜ん、視線が痛い
   好きというよりは研究家のほうがいいと思ったんだが、間違いじゃないよな?
   なんにしても見殺しにするのはいやだ  寝覚めが悪い

「ええ、むろんかまいませんが。しかし、お好きなんですなぁ、私も子供のころにはいろいろとやったもんですが、このごろはとんと縁がありませんでしてね。」
そう言いながら箒とちりとりをしまってきた店主がビニールの袋を持ってきた。
「すいません、ホントはパックに入れたほうが持ちやすいんでしょうが、商売ものを入れるパックにこれを入れるわけにはいきませんので。」
「わかります、わかります。ビニール袋で大丈夫ですから。」
礼を言いながら袋を受け取ったミロが、ちょっとたじろいだ。もしかして、この幼虫を手でつまんで袋の中に入れるのを求められているのだろうか?

   そんなことが俺にできるのか?
   たしかに指に這わせたことはあるが、指でつまんだことは一度もない
   カミュがやってるのを見たことはあるが、
   しがみついている幼虫を枝から離すのはけっこう気力が要ったような気がする
   撫でるのは平気だが、つまんで持ち上げるって力加減がわからんっ!

それに、さっきからじっとこっちを見ている女性たちの視線が痛い。その数もいつの間にか増えていて、幼虫よりもミロを見ているのは明らかだった。
この土地に暮らすミロとカミュは知る人ぞ知る、実はかなりの有名人で、街に出れば好奇と羨望の視線が追いかけてくるのはいつものことだ。東京あたりならいざ知らず、もともと外国人の少ないここでは自分たちがやたらに目立つ存在であることはすぐにわかった。気にしないことにしているし、またそうするしかないのだが、さて、この状況はどうだろう?

   『 あの素敵な外人さん 』 って呼ばれてる人間が幼虫をつまんだら、
   ほかのキャッチフレーズがつくんじゃないのか?

それも面白いけど、と思いながら手を伸ばしたミロの頭の中で今度はほかの警報がなった。

   まさかと思うけど、これって毒はないだろうな?

毛虫ならともかく、芋虫にはたぶん毒はないだろう。ないだろうが、こんなときに限って、例外のない法則はない、という格言が頭をよぎったりもする。だが昆虫研究家と名乗ったからには毒があるかも…などと言い出せるわけもない。
「ええと……幼虫だけだと不安定すぎるので葉っぱについたままもらってもいいですか?」
「ええ、かまいませんよ。よく育つ植物ですから、どうぞ葉っぱごとお持ちください。」
咄嗟に葉っぱごと貰おうというアイデアが浮かんだのは幸いだった。ほっとして葉を2、3枚つけて柔らかそうな茎を手でちぎると幼虫は身を硬くしてじっとしている。続けて残りの2匹もそっと袋の中に収めて戦利品の回収は無事終了した。
しかし食草が要る。ただ連れて帰っても食べ物がなくては飢え死にだ。幼虫がおいしそうに食べているこの花はよく見かけるのだが、あいにくミロには名前がわからない。
「ええと、この花はなんという名前でしたっけ?」
昆虫研究家と名乗った手前、気恥ずかしかったが聞いてみた。宿では見かけていないし、仮に宿にあったとしてもこの幼虫のために丸坊主にするわけにはいかなかった。
「これはええと……配られたときに聞いたんですがカタカナの名前はどうにも覚えにくくて。さて?どなたかご存知ないですかね?」
首をかしげた店主が見物人に聞いてくれて、そのうちの年配の男性が、
「それはインパチェンスですよ。一年草で強い日差しには弱くてすぐ葉っぱがしおれますけど、ちゃんと回復するから大丈夫です。」
と即答してくれた。
「ああ、どうもありがとうございます。インパチェンスですね。」
インパチェンス、インパチェンスと心の中で唱えながら膨らませたビニール袋の口を輪ゴムで結ぶとミロはその場を離れ、花屋へと向かった。集まっていた人垣も崩れ、ほっとしたことに一人になれた。袋のまま提げて歩くのは気になるので、さっき買ったばかりの麩まんじゅうの紙袋の中にそっと置く。カミュが気にしないことはわかっているので気楽なものだ。。

通りを渡ったところに花屋がある。
「インパチェンスはありますか?」
「いま、そこに出てるだけなんですよ。」
見るとほかの苗に混じって五つ六つあったがいずれも黒いビニールポット苗で、全部買っても2、3日しかもちそうにない。
「もっと大きい株はありませんか?」
「インパチェンスはこのくらいの苗で売ることが多いから、大株は置いてないですね〜。」
ミロ、困惑である。すぐに買えると思っていたのにあてが外れた。
「どこで買えるでしょう?」
「そうですね〜、大きなホームセンターの園芸売り場ならあるかもしれないですが。」
さっそくその場所を教えてもらってタクシーで行ってみると、花壇には植えてあったが、売り物はやはり小さなポット苗しかない。
暗雲が立ち込めてきたのを払いのけながらさらに二箇所を回り、隣の自治体まで行っても大株が見つからなかったときにはミロも途方に暮れた。こうなってはカミュの知恵を借りるしかないかと携帯にかけてみる。
「インパチェンスを食べる幼虫を手に入れたんだけど、肝心のインパチェンスが手に入らない。ごく小さいポット苗しか売ってないんだが、どうすればいいと思う?」
「インパチェンス?その幼虫の写真を送ってくれ。」
「わかった。」
さっそく写真を送るとカミュからすぐに返事が来た。
「それはセスジスズメだ。食草はインパチェンスに限らない。ヤブガラシ、サトイモ、ホウセンカ、サツマイモ、マツヨイグサなどなんでも食べる。」
「えっ?インパチェンスだけかと思ってたんだけど。」
「特定の食草しか食べないものも多いが、セスジスズメはそうではない。ヤブガラシならこのあたりの道端にいくらでも生えているから心配は要らぬ。」
「あ、そうなんだ。じゃあ、これから帰る。」
やれやれと苦笑して再びタクシーに乗り、宿に入るとカミュがロビーで待っていた。
「ただいま。ほら、これが収穫。」
例のビニール袋を見せると、3匹の幼虫は一緒に封入されていた葉っぱをほとんど食べ尽くしていた。
「うむ、セスジスズメだ。ではヤブガラシを取りに行こう。」
あれほどインパチェンスを捜し求めたというのに、ヤブガラシという植物は宿の向かい側の道沿いにいくらでも生えていた。やたら元気な 「雑草」 としか考えていなかったミロにとっては、ちゃんとした名前があって、しかもそれをカミュが熟知していたというのが驚きである。いや、驚くのは間違いだが。
「あ〜あ、こんなところにあるとはね。てっきりインパチェンスじゃないとだめだと思ってた。」
「セスジスズメの幼虫が枯れた水仙の葉を食べていたという報告もあるくらいだ。食草が決まっていないほうが生き抜くには有利だろう。」
「セスジスズメはオールマイティかもしれないが、俺はお前ひとすじだから。」
「え……」
ヤブガラシの柔らかそうな葉を摘んでいたカミュの手が止まる。
「ほかのなんか食べられないんだよ、まったく食指が動かない。お前がいなかったら飢え死にだ。」
「そんなことを…」
「だからいつも一緒にいる。不即不離だ。で、このくらいあれば十分かな。」
カミュが赤くなっている間にミロが摘んだヤブガラシの葉は3匹分には十分だ。もう戻ろうと思ったとき、
「あれ?ここにもセスジスズメがいるんだけど。」
あれほど手間隙かけて連れ帰ってきたのと同じ模様の幼虫がもりもりとヤブガラシの葉を食べている。
「お前が喜ぶかと思って持ってきたんだが。普通にいるんだな。」
ミロがちょっとがっかりしたのが伝わったらしい。
「私は十分うれしい。お前が助けなければその幼虫はいまごろ生きてはいない。手塩にかけて育てよう。」
「手塩にって…」
カミュの言い方がおかしくてミロが笑う。
「きっと立派な蛾になるぜ。こんなに立派な里親はいないからな。それじゃ、戻って麩まんじゅうを食べるとするか。」
そして離れの玄関の下駄箱の上に置いた飼育箱が幼虫たちの新たな住まいとなった。

その翌朝、起きてすぐに玄関に行ったカミュがミロを呼んだ。
「脱皮しているから見てほしい。模様が違っている。」
「どれどれ?どんな模様だ?」
覗き込んだミロは仰天した。昨日までは黒地にオレンジの斑紋が控えめに並んでいたのに、目の前にいる幼虫はなにやらおどろおどろしい茶褐色の大きい身体に丸い模様が堂々と並んでいて、ちょっと見にはヘビのようにも思われる。脱ぎ捨てた皮はすぐそばにくしゃくしゃになってく丸まっている。
「わっ!脱皮するとこうなるのか?すごすぎないか?ヘビに似てると思うのは気のせいか?」
「さて?ヘビに擬態して鳥を驚かせるためという説もあるが、真偽のほどはわからぬ。」
「いや、べつに真相を知らなくてもいいんだけど。本人にインタビューしても知らないだろうし。ふ〜ん、脱皮するとこうなるのか。」
「これは終齢幼虫だ。あと数日するとサナギになるのはオオスカシバと同じだ。」
脱皮といえば老師が童虎になるのを連想するが、あれは若くてピチピチの18歳になるのだから問題ないが、蝶や蛾の世界では驚異もしくは驚愕そのものだろう。
「そういえば老師が脱皮した後の脱ぎ捨てた皮ってどうなってるんだろう?」
「え?」
「いや、なんでもない。」
立派な体格の幼虫がヤブガラシの葉をもりもりと食べ始めた。
「可愛いな。」
「うむ、可愛い。」
世間では 『素敵な外人さん』 と言われている二人の日常は案外マニアックかもしれない。







      インパチェンス → こちら
      ヤブガラシ   → こちら

      セスジスズメ  → こちら

        一応、これもリンクしておこうかと。
        ほら、どんなのかなぁ?って思う人もおいでだと思うので。
        幼虫を手のひらに乗せている写真がありますが、愛情こもったコメントついてるし許容範囲かと。
        末尾にリンクされている飼育記録も写真が豊富でわかりやすいです。
        幼虫が怖くない方はぜひどうぞ。


        セスジスズメを検索していて とあるページを気軽に開いたら、
        全画面に20センチくらいの迫力で幼虫が横たわっている雄大な写真のサイトに遭遇!
        さすがにぎょっとしたので、お勧め安全ページをリンクするのが礼儀だろうと思いまして。
        そんな巨大な写真、普通は見たくないでしょ、心の準備なくいきなりってキツイです。

        ミロ様は、セスジスズメの幼虫を手に乗せて愛でるほどには根性座ってません。
        カミュ様は………知らない…

        「私は、」
        「待てっ! そこから先は言うな! 企業秘密だ!」


        バレバレです。