修学旅行
「世間はどうやら夏休みらしいが俺たちには無縁だな。」
「うむ、聖闘士の私たちがそんなことをして気を緩ませている間に聖戦が勃発しようものなら、地上は再びの危機に襲われかねぬ。」
「しかし、」
「え?」
「聖域に張り付いていては見聞を広めることもできず危急の際の初動体制に支障をきたす恐れがあるとの叡慮がくだり、」
「……え?」
「二人ずつ組んで、世界各国に現代知識の吸収のため二週間を限度として派遣されることとなった。」
「えっ!」
「で、手始めに俺たちが日本に行くことになった♪」
「なにっ!なぜ日本なのだ?」
「知らないのか?昔から 『 黄金の国ジパング 』 って言うじゃないか、俺たちが訪問するのにあれほどふさわしい国は他にあるまい♪」
「そういえば、そうかもしれぬ。」
「だろ♪これで、今まで使う理由もないままに貯まる一方だった俸給も使えようというものだ。これが俺達の夏休み。どう?」
「中世ヨーロッパの貴族の子弟がイタリアあたりに遊学に行ったのと同義のように思える。かねてからスーパーカミオカンデの見学をしたいと思っていたところだ。新しい知識を吸収し、よい自己研鑽になるだろう。」
「決まったな!どうせ行くからには最高の贅沢をさせてやるぜ♪ まずは千年の古都・京都で瓢亭の朝粥、昼は萬亀楼の竹籠弁当、午後には鍵善で葛切、夜は嵐山吉兆で日本料理の真髄に触れる♪この店は一見の客は入れないが、すでにアテナから最高の紹介状を取り付けてあるからなんら問題はない。ああっ、楽しみだ♪」
「…え、そうなのか?」
「そうそう、肝心なことを言い忘れてた♪ 心配は要らん!吉兆のあとは、創業1818年、最高の格式を誇る老舗旅館柊屋の二間続きの和室でお前をしっとりと抱いてやるよ♪ タタミとフトンっていうのがエキゾチックでジャパネスクなアイテムらしい。むろん、総ヒノキの内風呂つきだ! どうだ、これで満足だろう?」
「ミロ、あの……私は…」
「いいから、いいから♪」


こうして京都にやってきた二人の滞在は、当然の如く延長されていつしか九月も半ばとなっている。
「保津川下りもなかなか面白かったじゃないか、来てよかったと思うな♪」
「まったくだ! 思ったよりも楽しめた!」
渓谷美を眺めながら亀岡から嵯峨までの16kmを船頭が操る舟で下るという経験はむろん初めてのもので、急流あり深淵ありの変化ある川筋が十分に二人を楽しませたのだ。
下船してからバスで京都駅へ戻って来ると、夕方というにはまだ早く、あと一箇所くらいは回れそうである。
「さて、これからどうする? 東福寺あたりもいいと思うが………あれ?」
「……え?」
言葉を切ったミロの視線を追ったカミュも思わず当惑したものだ。
広い京都駅の改札口の外側は真っ黒い服の日本人の集団で埋め尽くされており、髪が黒いこともあって、一面の黒尽くめの団体に京都駅が占領されたようにも見えるのだ。
「おいっ、なぜ、ぜんぶ黒いんだ? いまどきイタリアマフィアだって、あそこまで黒くはないぜ。 やつらはクラシコ・イタリアなんかで決めてるからな! すると今日は大きな葬儀でもあるのか??」
「それにしては笑っている者が多いし、年齢層も限られているのが不自然だ。それに人の葬儀に行くのに、あのような全員揃いの大きなバッグを持っていく必要はあるまい。」
「あ………そういえば………それに男ばかりなのはなぜだ?」
黒い集団が手に提げている大きなバッグも黒一色で、そこに小さく書かれているアルファベットも白字である。
「う〜ん、ここまで黒い団体は初めて見たぜ! それに、日本人なのに漢字を使わないのはなぜだ?どういうことか、お前、わかる?」
「いや、全然。」
笑ったりしゃべったりしている彼らのほとんど全員が携帯を手にしており、しきりとなにか操作しているのも妙なものだ。
「日本人の携帯好きも相当なものだが、色については個人の裁量で選べるらしいぜ、赤あり黄色あり、民主主義万歳だな。」
「民主主義とは関連性が薄いと思うが。」
「冗談だよ、どこの世界に個人持ちの携帯の色を強制する組織があるんだ?」
あれこれと推測しながら半ばあきれて見ていると、年配の男性が手持ちのスピーカーを持上げて大声でなにやら手短かに演説し、それを機に全体が列を作って駅の外へ移動し始めた。
「おい、危ない! 押し流されないようにこっちによけたほうがいいぜ!」
「まさか、そんなことが!」
そう言いながらも一応二人で脇に寄っていると、大人数の黒い集団は駅前に次々とやってきた7、8台の大型バスに整然と乗り込んであっという間に姿を消した。
「なんだったんだ、あれは?」
「なにかの団体の研修でもあるのではないのか?」
「でも、なぜ黒い?」
「……さぁ?」
「きっと、どこかの宗教団体だぜ、教義で黒服着用が義務付けられているのに違いない。」
「私にはそんなことは信じられないが。 そのようなことをすると世間の不安を助長することにつながりかねぬ。それに、年齢層が近すぎて不自然だ。」
「じゃぁ、ほかになにか論理的な説明があるか?」
「……ない。」
首をかしげながら宿へと戻り、気持ちよく湯を使ったころには二人の脳裏からはそんなことは消えている。
なんといっても京の宿の楽しみは、、季節感に溢れた繊細な料理と贅を尽くした和室に敷かれたふっくらしたフトンなのだったから。

翌日である。
東山の清水寺で、二人はまた、あの黒い集団に遭遇した。
京都に来て初めて訪れた寺が清水寺で、あの有名な清水の舞台が気に入ったミロはそれからもたびたび訪れている。 三度目の今日はもはやガイドブックを開くこともなく、七味唐辛子や清水焼の店を物色しながら清水坂を登ってやってきたのだ。
「…あれ?」
「まただな。」
横道から出てきた黒服の集団が二人の前で曲って清水寺の方へ続々と向ってゆく。 昨日とは違って、大きな黒いバッグは持たずに、今度はやはりお揃いの KYOUTO と書かれた舞妓や寺社の絵が華やかにデザインされた大きな紙袋を提げているのが目立っている。
「驚いたな、昨日の団体に今日も会うとは!」
「いや、同じではない。 昨日の団体とはボタンのデザインが違う。」
「え? そうなのか?」
「昨日の団体のボタンは桜の花の意匠だが、この団体のボタンは幾何学模様だ。」
幾何学模様というのは、実は校名の一文字をデザイン化したものだったのだが、さすがにそんなことはわかりはしない。
カミュの観察眼に感心しながら少し離れてあとをついてゆくと、寺の境内に入ったところで五、六人ずつのグループに分かれて別々の行動を取り始めたようだ。
「もしかしたら学校の団体行動ではないだろうか。」
「学校? 確かにそれらしい年令だが、どうして同じ服を着てるんだ?」
「さぁ?」
「まあいいか、俺たちには関係ない。」
そう言ったミロがお気に入りの清水の舞台の手すりに寄りかかり、吹き上げてくる風に髪を揺らしながら京都の市中を眺め始めたときだ。
「How are you?」
ミロの隣りに三人の日本人の女の子が来て突然話しかけてきた。
「えっ!なんだ?」
「ミロ、お前が話しかけられたのだ。」
「どうして俺がっ?!」
「My name is Midori Tanaka. What is your name?」
真っ赤な顔をした少女はいかにも緊張した様子でミロの返事を待っているようなのだ。
「おいっ、これはもしかして英語か?なぜ、俺をアメリカ人だと思うんだ? いったい、なんて言っている?」
「初対面の挨拶と自分の名前を述べたところだ。 そして、お前の名前を訊いている。」
「なにっ? なぜ俺の名前を知ろうとしてる?」
「わからぬ。」
「おいっ、どうすればいい?」
「別に減るわけでもなかろうから、教えてやっても良いのではないか?」
「しかし俺は英語なんて話せないぜ、お前が引き受けてくれるのが筋だろう。」
「…え? 私が?」
「当然だな、国際親善の一環だと思えばいいじゃないか、よくわからんが。 うん、これはたしかにお前の出番だよ♪」
カミュにさっと場所を譲って彼女たちの質問の矢面に立たせると、もうミロは安泰である。
この理解しがたい状況を打開する方法を見つけたので、やっと彼女たちを観察する余裕が出てきたらしく、英語を話す少女がいかにもどきどきしていることや、両隣に立つ同じ年頃の少女たちが照れ笑いを必死で押し隠そうとしているのも手に取るようにわかるのだ。

   ふうん………真っ赤になってるのは、日本人にとってはまだまだ珍しい外人と話してる緊張のせいなのか?
   京都には外人観光客が多いから、そんなに珍しくはあるまいに………
   それともカミュのあまりの美形ぶりに圧倒されてるとか?
   ………でも、どうして三人とも同じ服装なんだ?
   よくわからんな?

英語がわからないなりに横で聞いていると、会話そのものはごく単純なものらしく、双方とも考えながら何度も言い直したりしている。

   カミュは英語に堪能に違いないが、向こうは、まだ子供だからな
   互いに英語を母国語にしているわけではないのだから、うまく通じないのかもしれん
   それにしても、国際交流は時間がかかるものだ!

カミュの能力に無条件で全幅の信頼を置いているミロにはわからないことだったのだが、実はカミュの英語の基本はシェークスピアの原典を机上で独学しただけで、生粋のキングズイングリッシュといえば聞こえはいいが、実に時代がかって格式に満ち溢れたものなのだ。 語彙も言い回しも1600年ごろに活躍していたシェークスピアからの引用が数多いのだから、現代日本の高校生の手に負えるはずがないのであった。
今まで暮らしてきた聖域には英語圏の出身者はただでさえ少ないのに、黄金聖闘士に英語を話せる者などいはしない。 仮にいたとしてもギリシャ語で話せば済むのだから、カミュが英語で実際に人と話したのはなんとここ日本が最初なのである。
そもそも日本の公教育は米語を基本としていて、いにしえの大英帝国の文豪シェークスピアを基本とするカミュとの差は実に大きい。 「 生きている英会話 」 の実践練習を考えている高校生とは話がかみ合わなくて意思の疎通は困難を極めているのだが、双方の生真面目な性格が災いして、なかなか話を切るきっかけがつかめないというのが実情なのだ。
ふと気が付くと回りを同じ服装の十数人の少女が取り囲んでおり、ミロをびっくりさせた。
真剣な表情で聞き耳を立てている者もいれば、カミュを見つめて明らかにぼ〜っとなって赤い顔をしているものもいる。
携帯で目にも止まらぬ速さでメールを打っているのは、この場にいない友人を呼び集めているのではないか、という疑念がミロの心に湧いてきた。
「おい、話し中だがこの状況はなんだ? まだ終わらないのか?」
「あ………それがなかなか話が切れなくて…」
彼女たちより20センチ以上背が高い二人の様子は遠くからでも目立ったものと見え、だんだん人垣の厚さが増してくるようだ。
「おいっ、俺は逃げるぞっ。 なにがなんだかわからんが、国際交流の限度枠には充分達したと思う!」
ミロに手を引かれたカミュが早口で別れの挨拶を言ったらしく、相手の少女がなにか言って丁寧にお辞儀をしたのがミロの目の隅に映った。 早足で立ち去るときに後ろからピロリン、ピロリンとなにかの音がしたが、それが何かを考える暇はなかった。

「ああ、驚いた! 結局あれはなんだったんだ?」
「うむ、何度も聞き返してやっとわかったのだが、日本の学校では卒業年度に達したときにその学年全員で旅行をする習慣があるそうだ。」
「全員で旅行? なぜだ?」
「理由は、見聞を広めるためだそうだ。 旅行前の数ヶ月は旅行先の風土・歴史・地理・経済・文化などについてかなりの時間をかけて学習するという。 最初のグレードの学校卒業時には一泊、次の段階では二泊、彼女たちの在籍するレベルになると三泊というのが標準らしい。当然、行く先も徐々に遠くなるのが通例だ。 最近では海外に出かける例もあるという。 服装や持ち物が同一なのは、学校側がそれを入学の条件にしているためだそうだ。」
「ふうん………そんなことをするのか。 全員が同じ服を着て同じところに行って同じものを見るんじゃ、つまらなくないか? 俺は好きなもの、興味のあるものを自由に見たいが。 黄金聖衣だって材質こそ同じだが、デザインはそれぞれ個性的だし色も微妙に異なるぜ。」
清水の舞台を離れて釈迦堂脇から勾配の急な石段を降り音羽の滝までやってきた二人は、ほかの観光客に倣って長いひしゃくを伸ばして寺の名の由来となった清水を汲むことにした。 頭上から石造りの三本の筧 (かけい) が空中に伸びていて、それぞれの水には常に五、六人の行列ができている。
「真似して汲んでみたが、どうする?飲んでみるか?」
「郷に入っては郷に従えという。 こうやって………唇をつけずに飲めばよかろう。」
「なるほどね。」
琵琶湖の水を引いて上水道にしている京都市の水は美味いとは言いがたいのだが、さすがに古来から名水として名高いこの音羽の滝の水は二人の気に入った。
「ああ、なるほど!これは美味い!」
「まろやかで甘い気がする。」
満足した二人がすっかりくつろいで古都の遊山を楽しんでいると、音羽の滝より一段低いところにさっきの少女たちと同じ服装の一団が来て盛んに音羽の滝の写真を撮り始めた。 滝を背景に自分たちの写真を撮りあったり思い思いに風景を撮ったりしてまことににぎやかなものである。
「ほんとに日本人ていうのは写真が好きな民族だな!」
「浮世絵の風景や人物の描写の伝統が、形式を変えて国民に浸透しているのかも知れぬ。」
「ああ、なるほど、浮世絵ね♪ それはすごいことだな!俺の知る限り、今どきのギリシャ人は大理石の彫刻なんかやらないぜ。」

優雅に日本の初秋を楽しんでいる二人には、見聞を広めるための修学旅行中の彼女たちが美形の外人の写真を欲しくて風景に紛れて撮影を敢行したことなど想像できるはずもない。 中には発売されたばかりの1000万画素のデジカメを持つものもおり、その光学6倍ズームの威力がモニターで被写体を確認した持ち主を唸らせて、この最高機種を親にねだって買ってもらった我が身の幸運を深く感謝させたのである。
まことに日本は技術立国である。

                     ※ 清水の舞台 ⇒ こちら
                     ※ 音羽の滝   ⇒ こちら






          「ミロカミュ サマーフェスティバル2006」 に出した 「二人の夏休み」 に大幅加筆。
            京都を訪れる話だったので、かねてから書きたかった修学旅行にメス(笑)。

            京都はいいけれど、あちこちで遭遇する修学旅行生が少々興趣をそぐという側面も。
            学校側にもたいへんな気苦労がありますが、泊める旅館も一苦労です。
            それにしてもミロ様カミュ様に遭遇するとは、なんと運のいい彼女たち!
            きっと出会う直前に、地主神社でいいおみくじを引いたに違いありません。

                 ※ 地主神社 ⇒ こちら
                 ※ 地主神社・星座お守り 「さそり座」   ⇒ こちら     ← ………独占欲??
                 ※ 地主神社・星座お守り 「みずがめ座」 ⇒ こちら     ← 理論好きに火が??


            
「おいっっ、音羽の滝で三筋ある滝の水のどれを飲んだか覚えてるか??」
            「え? とくに覚えては………ああ、確か一番手前の水だったと思う。」
            「なにッ!すると学問成就じゃないか! ああ、何てことだ、お前の学問はとっくに成就してるから
            必要ないんだよ!俺なんか一番向こうの延命長寿だぜ! あああ、せっかくの恋愛成就の水がっ!」
            「それは必要あるまい。」
            「………え?」
            「すでに成就していると思うが……」
            「カミュ〜〜〜っ♪♪」