新婚さん

GWは過ぎたといっても観光地には人が多い。都心から電車で一時間ほどのこの小さな駅にも特別天然記念物に指定されている樹齢数百年の藤の花を見ようとたくさんの人が訪れていた。
「藤の花ってほんとに綺麗だな。絵になるというより絵そのものだ。花だけじゃなくて樹形も葉もトップデザイナーの作品みたいだよ。絵心のない俺だって絵が描けたらいいなって思う。」
「まったくだ。ほんとに美しい。私など、どんな場所で見ようとも、源氏物語を連想する。ゆかしくてならぬ。」
「すると牛車とか几帳とか十二単とか?」
「そういうことだ。藤裏葉 (ふじのうらば ) の巻の話だが、源氏の息子の夕霧がかねてからの恋人だった雲井雁との結婚のため頭中将(とうのちゅうじょう)の屋敷に行くと庭に藤の花が今を盛りと咲いている。若い二人の結婚を色鮮やかに象徴しているという演出が効果的でとても印象に残っている。父親の頭中将が藤の花にことよせて結婚をことほぐ歌を詠み、宴に花を添えるのだ。」
「ふうん、さすがは平安だな、優雅だよ。」
GWの賑やかな観光地で源氏の話をされてもミロはいささかも驚かない。カミュといればそのくらいは当たり前のことだ。ギリシャの名所に行けばギリシャ悲劇のことを語りだすに違いない。
最初こそアカデミックな話題に困惑したが、今ではそれにもすっかり慣れてそれなりに応じることができるのはたいしたものだ。カミュの教育の成果か、ミロの努力の賜物か、そこのところは判然としない。
「むろん俺の努力だ。」
「え?」
「いや、なんでもない。」

だいぶ歩いたので空腹を覚える頃合だ。このあと電車に一時間以上乗ることを考えるとここで昼食をとったほうがいいだろうということになり、手頃な店を探したがよさそうなところにはみな十数人の行列ができている。
「あそこはどうだろうか。」
カミュが言うのはいかにも大衆食堂といったおもむきの店だ。ちょうど四、五人の客が暖簾をくぐって入っていったところで、あの様子ならすぐに座れそうだった。
「俺はかまわないけど、お前、あそこでいいのか?」
「むろんだ。なにか問題でも?」
「いや、俺もあそこでいい。」
築何十年かのその食堂は看板のペンキ文字が剥げかかり、外に下がっている暖簾も油じみていてお世辞にも気の利いた店とは言い難い。今までに入ったことのないタイプの店だ。

   まあいい、これも経験だろう
   いつも三ツ星レストランというわけにはいかないからな

そうと決まれば話は早い。店に入るとテーブルが10ほどあって、そっちは満席だったがカウンターの隅にちょうど二席空いていた。
「なににする?」
「そうだな…」
カミュがメニューを取り上げた。あまりきれいとは言えない表紙を開くと丼ものや麺類などのごく一般的なメニューが並んでいる。
「私は親子丼で。」
「じゃ、俺はカツ丼を。」
注文してから気がつくと、壁の高い位置に小型のテレビがあり、店内の客たちはちらっと見上げたり食べることに専念したりと様々だ。カミュも最初に一瞥したのみで気にもしていなかった。
やがてにぎやかな音楽とともに始まったのは…

   しまった!これって、あの 『新婚さん、おいでなさい!』 だろう!
   まずいっ、まずすぎる!

そもそもテレビのついているところで食事をしたことはない。それだけでも珍しいというのに、よりによって、かかっている番組がもっともカミュにふさわしくないという事実がミロを動揺させた。

   頼むっ、早く持って来てくれ!
   来たらすぐに食べて店を出るから!
   できることなら、カミュをつれて今すぐ逃げ出したい!

しかしあいにくなことに調理場には一人しかおらず、先客の注文にかかっているのでどうみても時間がかかりそうだ。テレビを見たくないからという理由で店を出るとカミュに言っても怪訝な顔をされるだろう。ミロが内心で煩悶していると番組が始まった。
にぎやかな音楽とともに司会の二人が現れた。
『お待ちかね、日曜の午後は 『新婚さん、おいでなさい!』 でお楽しみください。最初の一組目の方、どうぞ〜!』

   あ〜、だめだ………始まった………

ミロの落胆をよそに若いカップルが手をつないで現れて腰掛ける。テレビがあまりにも真正面にあるので、自然に目に入る状況だ。あいにくなことに二人とも本を持っていなくて、手元にある読み物といえば、さっきもらった天然記念物の藤の花の説明のパンフレット一枚きりだ。
『ではまず、お二人のお名前から聞かせていただきましょうか?』
『太郎、25歳です。』
『花子、23歳で〜す。』
『えらいイケメンなご主人ですな〜!』
『いや、それほどでもないです。』
『ご主人はえらく立派な体格してらっしゃいますな〜。なにかスポーツでもなさっておられるんですか?』
『格闘技をやってます。』
『格闘技!えらいもん、やってはりますな〜、背ぇも高いし。奥さん、どこで知り合いになられました?』
『街歩いてたら、太郎くんにナンパされたんです。』
『はぁ、ナンパでっか。近頃はそういうのもありですな。で、どうしました?』
『太郎君、めっちゃ背が高くてええ男やし、あっ、これは逃がしたらあかん!って思って即OKです。』
『早いなぁ〜、あんた、身長何センチ?』
『自分は185センチあります。』
ここでカミュがチラッとテレビを見た。ミロは冷や汗ものである。
『ええ男やし、185センチもあったら女の子にとっては、そりゃぁ、かっこええですな。おまけに格闘技でっか。で、それからデートの約束しはりましたか?』
『はい。』
『どこ行きました?』
『次の日の夜に二人で海の見えるホテルに行きました。』
ここで司会者が盛大に椅子から転げ落ちた。アシスタント役の女性がひっくり返った椅子を元に戻すのがお約束だ。
『あんたなぁ、初めておうた次の日の最初のデートで、もうホテルでっか?早いなぁ〜!』
『善は急げですから。』
『それはそうやけどなぁ。奥さん、あんた、それでええの?』
『うちから誘うたんです、太郎君、うち、ホテル行きたいわぁ、って。』
『あんたから?近頃の女の子はえらい積極的やなぁ!そんなん、恥ずかしゅうないの?』
『だって、いい男見つけたらすぐにつばつけとかんと、心配やし。鉄は熱いうちに打て、っていうし。』
『そうやけど、あんた、初めてのデートではまだ鉄が熱くなっとらんわ。どうやって打つねん?』
『いえ、俺、熱くなってましたからすぐに打てました。』
ここで再びひっくり返る司会者。

ミロ、硬直である。いまさら、わざとらしくてパンフレットも広げられないし、カミュに話しかけることもできはしない。ただひたすらに時間の過ぎるのを待つだけだ。カミュは視線を落としたままじっとしている。
『で、そのあとはどうなりました?』
『もう意気投合したんで、そのまま結婚に一直線です。』
『そら、よかったですな。お父さんお母さんも賛成なさって?』
『はい。とても喜んでくれました。』

   頼む!このくらいで終ってくれ!
   これ以上、カミュに聞かせたくないっ!

しかし、その期待は裏切られた。
『奥さん、結婚生活はどうですか?』
『太郎君、すっごくやさしいんですけど、ひとつだけ困ってることがあるんです。』
『ほう!なんですか?』
『太郎君、夜がすっごく激しくて〜疲れちゃうんですよね。』
『あんたなぁ、昼間っからたいがいにしとき。そら、格闘技やってる旦那さんやから、激しいのはお得意やなぁ〜、くんずほぐれつ。』
『やだぁ、ちょっと!』
アシスタントの女性から合いの手が入り、ここで一組目の出番が終了した。
「へい、おまちどおさまです。親子丼とカツ丼です。」
目の前に頼んでいた品が置かれた。湯気が立っていて美味しそうだ。
と思うだろう、通常なら。しかし、今日は事情が違う。味よりも食欲よりも、ミロには自分たちの注意をテレビからそらしてくれるありがたいアイテムだとしか思えない。無言で箸を取り黙々と食べる。
CMの次に現れた次のカップルもさらに飛んでる発言でミロを驚愕させ、ますますカミュを石のように硬くさせただろうことは想像に難くない。ほかの客はくすくす笑ったりあきれたような声を出したり様々だった
そそくさと食べ終わり会計をすると、レシートのロールペーパーの交換で待たされて、その間にも背後のテレビからきわどい発言があっけらかんとした口調で語られてミロは顔から火が出るような気がした。
外に出るとほっとする。普通の景色、普通の道、普通の人々。
「ええと………ちょっと驚いたな。」
「うむ………私も驚いた。」
それきり、そのことには二人とも触れずに藤の話をしながら帰途についた。

この番組のことをミロはよく知っている。
カミュが出かけていたときにたまたま見かけて、あまりにあけっぴろげな内容にびっくりしたことが始まりで、それ以来、一人きりのときに五回くらいは見たろうか。
慣れてくると、そこまですごいわけではない。言い方があっけらかんとして、笑ってしまうたぐいのものだ。ただ、カミュが聞くにはふさわしくなさ過ぎるので、ミロからはこの番組について一切の言及を避けている。しかし、面白い。

   どうして自分たちのことをここまであからさまに全国放送で話せる?
   友人知人親戚に見られたらまずいんじゃないのか?

ミロは真剣に心配するのだが、結婚3年以内の夫婦、という条件をクリアーしていれば誰でも応募できるというので希望者がかなりいるらしく、出場するのは至難の業らしい。

   面白いのは事実だ、俺も嫌いではない
   しかし、カミュと見るのは金輪際ありえない

そのカミュと見てしまったのだ。地雷を踏んだも同然だ。

その夜、ミロはいつもの通りにカミュを抱いた。昼間に見た番組の印象も薄れていて、気にもしていなかった。
丹念に扱ってさらに先に進もうとしたとき、カミュが急に身体を震わせた。違和感を感じながらさらに手を進めたときカミュが笑い出した。
「…え?」
「すまない、ミロ………もうおかしくて…!」
やっとそれだけを言ったカミュが今度は身体を折り曲げてこらえきれずに笑いを漏らす。
「おいっ!」
「だって………おかしいっ……鉄を熱いうちにって…………しかも、もう熱くなってるって…」
カミュの笑いが止まらない。しきりに謝りながらくすくす笑い続ける。ミロもすっかり力が抜ける。
「そりゃあ、俺だっておかしいけど。」
「なら、ミロも笑ったほうがいい。私だけを笑わせるな。熱いからすぐに打てるって…!」
ミロも胸の奥から笑いがこみ上げてきた。身長185cmの格闘技をこなすイケメンの夫を思い出す。
「身長185cmのイケメンで聖闘士っていうのはどう? めったに見つからないから、つばをつけとくか?」
「ずいぶん……前に…つけたっ!」
笑いの合間にカミュが返す。ミロもおかしくておかしくて笑いが止まらない。こんなときに笑っている自分がおかしくて、さらに笑いが誘発される。
「もしも聖域であんなイベントがあったら、出場してお前との付き合いを思いっきりのろけてやるからな。」
「それは困る!」
「気にするなよ、こんなにイケメンの恋人がいるって自慢できるぜ。昼も夜も可愛がってるってぶちまけてやる。」
「そんなことをしたらシオンが玉座から転げ落ちるからだめだ。教皇の名にかかわる。」
「じゃあ、司会はデスマスクに頼もう。きっとやってくれる。」
「それでもいやだ。」
「わがままだな。」
「わがままでもいい。」
「じゃあ、内緒にしておこう。人に話すなんてもったいないからな。俺とお前だけの秘密にする。」
「それがいい。」
「源氏のほうが優雅だよ、お前に似合ってる。」
「お前にも、だ。」
「うん。」
「それにしても…」
初夏の夜の睦言は終らない。忍び笑いが闇に溶けていった。





                 
たまに見るこの番組。
                 そのたびに、もしもこれをカミュ様が見たら………と思っていました。
                 お疲れ様です。