推理小説

先代二人の日本滞在も長くなると、当初は目新しい現代の技術や知識の習得に夢中で日を送っていたデジェルの興味関心がほかのことに向けられるようになってきた。日本語もほどほどにわかるようになってきたので新聞やテレビの文言にも気を惹かれることがある。
「するとこのような文章をエッセイというのだな。個人の思想や感想を出版してそれが売れるというのは面白い。」
「すべての本が高い評価を得るというわけではなくて、人々の嗜好やその時代に適合したものが受け入れられるということだ。」
「では、売れ残った本はどうなる?ずっと書店には置いておけないだろう?新しい本は次々と届くのだし。」
「おそらく回収されて古紙として裁断され再生紙となると思われる。」
「えっ!それはもったいない!本は貴重なのに!」
「しかしほかに方法がないと思う。毎日大量の本が新規に出版されるので、そのすべてを保管することはできないだろう。」
「それはそうだが。」
宿の娯楽室には200冊ほどの本が並んでいるがむろんすべて日本語で印刷されており、デジェルにはまだまだ読みにくい。いくら日本語になじんできたとはいえ、頻繁に使われている漢字を読みこなすのは至難の業だ。辞書を片手にというのも手間がかかるし、だいいちあの小さな活字の漢字を見分けてどうやって辞書を引けというのだ?

そこでデジェルはカミュに頼んで聖域から本を持ってきてもらうことにした。わざわざ書店で買わなくても宝瓶宮にはたくさんの蔵書があるし、同じ水瓶座のせいかどうかはわからないが、デジェルとカミュの本の嗜好は似ているのである。
当初は博物学、歴史、科学などの本を片っ端から読破してはカミュに質問したり議論していたデジェルもこの頃では読書の幅が広がってきたようで、エッセイや小説の分野にも手を出し始めた。
「ふ〜ん、お前でもそんなのを持ってるんだ。」
宝瓶宮から戻ってきたカミュが抱えていた本の山を覗き込んだミロが言う。
「私とてそのくらいは読む。一般常識の補完に務めるのは当然だ。」
「恋愛感情のほうは俺が担当するからその方面の本は要らないな。」
「また余計なことを。じきにデジェルたちが来るから慎んでもらおう。」
「わかった。」
くすくす笑ったミロが積んであった本の一番上の新書版を手に取った。 『夜は暗くてはいけないか 〜暗さの文化論〜』。これはひところ話題になった本で、この本のことはミロもよく知っている。カミュが絶賛し、題名に惹かれたミロも勧められて読んでみておおいに共感したのだ。
「こいつは好きだよ。俺の嗜好にもぴったりだ。」
広縁の籐椅子に掛けたミロがさっそくページをめくっていると、デジェルとカルディアが露天風呂から戻ってきた。
「ああ、カミュ、また本をありがとう。」
「適当に選ってきたが、どうだろうか?」
「どんな本でも読んでみる。時々思いもかけないジャンルのものがあって面白い。」
さっそく手を伸ばすデジェルを横目で見たカルディアはたいして興味もなさそうだ。
「俺はお前ほど本好きじゃないな。映画のほうがわかりやすくて面白い。おい、ミロ、また蟹座からなにか面白そうなやつを借りてきてくれ。こないだのインディなんとかは面白かった。ああいうのを頼む。」
「スターウォーズじゃ、ダメだったか?」
「ああいうのはわからん。あんな戦いは性に合わんな。」
カルディアに宇宙船やライトセーバーの戦いは向かないらしい。もっと直接的な一対一のぶつかり合いのほうが好みなのだろう。

   フォースならちょっと小宇宙と似ているからいいかと思ったんだが
   あのラダマンティスとやりあったくらいだから、メカニックな要素の多いスターウォーズじゃ物足りないのかもな

「じゃあ、今度はロード・オブ・ザ・リングだな。俺は日本語版と英語版しか持ってないからこれから巨蟹宮に行ってくる。三部作の総計9時間だからきっと見甲斐があると思う。」
「すまんな。頼む。」
口ではそう言いながらカルディアはちっともすまないとは思っていない。実際ミロのほうでもなんとも思ってないし、あっさりしたものだ。ご面倒をおかけして申し訳ありません、だの、ほんとにいいんですか?だの、遠慮と気遣いと社交辞令を何回も交わしてやっと実行に至るケースも多いことを思うとこの簡潔さは見習いたいものである。

15分ほどしてミロがDVDを持って戻ってくると籐椅子でデジェルが熱心に本を読んでいた。カミュはパソコンに向かい、カルディアは退屈そうにギリシャ語の新聞を開いているところだ。
三人三様だがほかにどうしようもない。暇を持て余すカルディアが興味を持てることを見つけられるといいのだが、これがなかなか難しい。本来身体を動かすことが好きな蠍座なのに、心臓移植をしたせいでどうしても行動は抑制される。乗馬でもできればいいのだが、感染症の恐れがあるため動物には近づけないのだ。
「借りてきた。ほかにも2、3、良さそうなのを持ってきたがどうかな。 『タイタンの戦い』 、これは神話物で、なんとでかい蠍も出てくるんだぜ、ちょっといいかも。」
「ふうん、蠍が?そいつは楽しみだ。」
タイタンの戦いに登場する何匹もの巨大蠍は主人公に倒されるのだがそこのところをカルディアがどう考えるかは謎である。いや、その前に冥界を統べるハーデスが出てくるほうがよっぽど問題かもしれない。

   ついうっかりしていたが、カルディアってハーデスに過剰に反応するんじゃないのか?
   創作だから気にしないでいてくれるといいんだが
   ……あれ? もしかしてロード・オブ・ザ・リングにもしっかりと冥王が出てこないか?
   サウロンって名前だからぴんと来なかったが、あいつって冥王だよな!
   怒り狂ったカルディアが頭に血を昇らせて血圧が上がったり拍動が切迫したりしたら俺の責任か?

万が一を考えたミロのほうが心臓がどきどきしてきた。
そんなことになったら一大事であるが、いまさら遅い。カルディアはミロが持ってきたDVDのジャケットの裏表を面白そうに検分している最中だ。
「ええと……じきに夕食になるから見るのは後にしたほうがいいな。中断するのは惜しいだろう。」
「うん、そうだな。映画ってやつは続けて見なけりゃ面白くない。戦いを中断できないのと同じことだ。」
そこへデジェルが声をかけてきた。
「カルディア、平和時なのだから戦いのことなど考えることもないだろう。少し本でも読んだらどうだ?」
「う〜ん、俺ってそういうのは性に合わないんだよな。辛気臭い。なんで長々と時間をかけなきゃいけないんだ?一気に結論が出せないのか?」
「無茶を言うな。時間をかけて読む過程が面白いのだ。」
「そういうものか?だいたい今何を読んでるんだ?」
「推理小説だ。犯罪が起こり、それを調査して犯人を指摘するという趣旨の物語だ。実際にあった事件ではなく、筆者が考えて作り上げた話で殺人事件の話が多い。」
「ふうん…なんでそんなものを読まなきゃならない?ありもしない作り話を読むのに時間をかけるなんて意味がないな。犯人を探すんなら現場に残された小宇宙を辿って行けば一発だぜ。」
「一般人には小宇宙はない。」
読書に横やりを入れられて迷惑そうなデジェルが再びページに目を落としたとき、手を伸ばしてきたカルディアがその本を取り上げた。
「あっ、カルディアなにを…!」
「いいから貸せよ。ええと……ふうん、バスカーヴィルってなんだ?犬の名前なのか?変な名前だな。」
「それは犬の名前ではなくて。」
「じゃあ、飼い主か?どっちにしても変な名前だ。犬の話のどこが面白いんだ?」
ぱらぱらと後ろのほうまでページをめくったカルディアがにやりと笑う。
「犯人を当てりゃいいのか?そんなことは簡単だ。」
「簡単って、ホームズでも手こずる難事件なんだぞ。カルディアにわかるわけがなかろう。」
「あっ、言ってくれるじゃないか。犯人当てなんて簡単だ。ここにちゃんと書いてある。わかったぜ、この○○○って奴が犯人だ。しかもなんと驚いたことにこの男のほんとうの正体はあの女の実の…」
「ばかものっ!なぜそれを言う!」
オーロラエクスキューション炸裂!
と言いたいところだが、危ういところでカルディアの心臓のことを思い出したデジェルが寸止めをし、カミュも瞬時にカルディアの前に立ちふさがってガードしたので事なきを得た。ミロ、突然の修羅場に茫然である。瞬時に反応できなかったおのれを悔やむことしきりだ。
「あっぶねぇ〜〜〜っ!今、本気だっただろ!お前、場所柄を考えろよな!」
「お前こそ、空気を読まな過ぎる!人が楽しみかつ真剣に読んでいる推理小説の犯人を先走りして言うやつがどこにいる!」
「さっさと結果が分かったほうがいいに決まってるだろ!人の親切は黙ってうけたらどうだ?」
「そんなのは親切ではない。余計なおせっかいだ!」
カルディアの身体になんの心配もなければもっとこの舌戦は続いたのかもしれないが、やがて気を取り直したデジェルが諦めた。
「わかった、もういい。そのかわりお前が映画を見始めたらとことん口を挟んで非論理的な点を洗いざらい指摘するからそのつもりでいてくれ。」
「えっ!」
「台詞の文法や発音も逐一俎上に上げる。そのために話の筋がわからなくなっても私は知らぬ。むろんパソコンで粗筋を調べ上げて最初に詳述するゆえ、そのつもりでいてくれ。」
「そんなぁぁ〜〜!デジェル!それはないだろう!」
まるで子供の喧嘩である。脇で聞いているミロとカミュはおかしくて仕方がない。
「俺たちとはちょっと違うかも。」
「うむ、私たちにはああいうことは有り得ない。」
「しかし宝瓶宮の書庫にホームズがあるとは思わなかったな。お前っぽくない。」
「あれはサガがくれたのだ。」
「えっ、サガが?」
「論理的思考のいい手本になるだろうと言って、私がシベリアに行くときに餞別の品として手渡された。」
「ホームズが餞別とはね。それは予想外だったな。俺なんか赤い手袋だったのに。」
カミュがシベリアに行った年齢を考えると、くまのプーさんとかアラビアンナイトあたりが妥当な気もするが、さすがはサガである。それを平気で読みこなしたらしいカミュもカミュだが。
「さて、そろそろ食事に行くとしよう。どうやらあちらも収まったようだ。」
どうやって話をつけたものか、ちょっと頬を赤らめたデジェルがカルディアにバスカーヴィルの犬のコンセプトについて説明を始めていて、カルディアがふんふんと頷いている。
「俺もなにか推理小説を読んでみるかな。おすすめはなんだ?」
「ホームズもよいが、クロフツの 『樽』 も名作だ。念のために言っておくが私は最後まで読まずとも犯人がわかった。」
「えらく単純なタイトルだな。樽がどうしたんだ?やっぱりワインか?」
「それは読んでのお楽しみだ。」
お楽しみもなにもあの樽の中身は………いや、これは読んでのお楽しみである。ミロの驚く顔が目に見えるような気がした。







        
  NHKのBSで放送した 「シャーロック」 があまりにもよくて、勢いで書きました。
          ご覧になった方、おいででしょうか?