スーパーカミオカンデ

日本に来て社会参加に目覚めたカミュがあらゆる事象に興味を示し始めてもう何年になるだろう? 目にうつるすべてのものがギリシャと違っているだけでも驚きなのに、日本の誇るロボットや宇宙開発の最先端の科学技術を目の当たりにしたカミュが本来の理系の探究心をおおいに刺激されて科学的事象の探究に夢中になったのは当然だ。
「今年もはずれたな。」
「こればかりはしかたがない。来年に期待しよう。」
そう言い続けて九年が経ち、ついに今年、俺達の上に運命の女神が微笑んだ。いや、ここはやっぱりアテナというべきかな?
「当たった!ミロ!当選だ!」
「やったな!これでついにスーパーカミオカンデに行ける!」
快哉を叫んだ俺は、幸運を運んで来てくれたメール画面を見ながらカミュと固い握手を交わした。

京都大学の小柴教授がニュートリノの研究で2002年にノーベル賞を受賞したことで一気に有名になったスーパーカミオカンデは岐阜県の北部、富山県と接した神岡町の山中にあ る。 山中というと普通は山奥のことで、近付けば普通に指差すことのできる場所のことだが、スーパーカミオカンデに関しては山中の意味が違う。 宇宙から地球に降り注ぐ無数の宇宙線を正確に捉えるためにこの東大附属の研究施設は地中深くに作られた。地表から1000メートルの地下にあるため、建物の外観写真という ものは存在しない。スーパーカミオカンデというと、山の写真か研究施設内部の写真しかないのはそのためだ。 もっとも地下といっても垂直坑をエレベーターで降りるようなことはない。スーパーカミオカンデは既存の神岡銅山の坑道を利用してつくられており、坑口から水平に1200メ ートル進むとそこに研究施設のエリアがあるのだ。 頭の上には高さ1000メートルの山があるので結果として地下1000メートルにあるということになる。 スーパーカミオカンデが山中にあるというのはそういうわけだ。
その研究施設をカミュが見たいと思うのは当然で、しかし、一般の人間がその中に立ち入ることができるのは年にたったの一回だけ、7月の二日間に行われる見学会に応募して当選すれば可能になるという話なのだ。日本に来てそのことを知ったカミュは倦むことなく毎年応募を続け、ついに幸運の女神はカミュの上に微笑んだ。
「えっ!今年は当選なさいましたか!それはおめでとうございます!」
「よかったですわ!ずっと楽しみにしてらっしゃいましたもの!」
見学会に当選したことを告げると辰巳さんも美穂も自分のことのように喜んでくれて、夕食には頼まないのに金箔入りの大吟醸と尾頭付きの鯛が出た。
「苦節十年だな。やっとお前の夢が叶う。」
「正しくは九年だが。」
「いいんだよ。十年のほうが語呂がいいし、四捨五入するから。」
2002年に小柴教授がノーベル賞を受賞して数年は倍率がすごかったらしいが、十年も経った最近では二倍くらいに落ち着いてきたらしい。何度も見学する人間は少ないだろう から、回数を重ねるほど当選しやすくなるのだろう。 ついに願いが叶ってスーパーカミオカンデの見学ができることに欣喜雀躍したカミュと二人でさっそく宿の選定をして予約を入れると、あとは出発の日を待つだけだ。
しばらくすると見学会の要項や神岡町の地図などがひとまとめになった大きい封筒が届いた。この見学会を主催するのはスーパーカミオカンデそのものではなくて、ジオという地 元自治体の有志が中心となった団体らしい。 普段は研究者とわずかなマスコミしか来ないこの町も、年に一度のスーパーカミオカンデが公開される7月の二日間は突然賑やかになるというわけだ。 車を運転できない俺たちは現地にはバスで行くしかないが本数はそんなに多くない、というよりごく少ないといったほうが正しいだろう。 朝7時から始まって30分刻みで13時まで行われる見学の参加者は各回50人、それを二日間にわたって行うので全体での参加者は千人ほどになる。研究者ではない人間がスー パーカミオカンデを見学できる機会はほかにない。
「当選したのは11時の回だから、前日に行ってどこかに泊まらないといけないな。」
「現地は交通の便がいいとはいえぬ。集合場所に徒歩で行ける地元の民宿に泊まるのが便利でよいだろう。」
「え〜っ、俺は源泉かけ流しの老舗旅館がいいと思うぜ。せっかく日本にいるんだからな。あのあたりにもいい宿はあるはずだ。」
「では任せる。」
そうして俺が見つけだしたのは、けっして近いとはいえないが、温泉の質としては折り紙つきの福地温泉だ。
「新宿から中央線で松本に行って、そこからはバスに一時間ほど乗って平湯温泉、さらに乗り換えて15分くらいで福地温泉に着く。」
「で、福地温泉からスーパーカミオカンデへは?」
「バスで一時間だ。参加者がどこに宿を取るかはわからんが、福地温泉は遠い方だからそんなには混まないと思う。」
「では、福地温泉ということで。」
今回の旅行は目的がきわめて明確だが、やはり旅の楽しみは宿が大きなウェイトを占めている。カミュがスーパーカミオカンデに関心を示し出してからは、いずれは見学に行く ことを見越して周辺地域の評判のよい温泉を探しておいたのがやっと役に立つ。

はたして深い緑の中にある福地温泉は俗化していなくてカミュの好みに合った。派手な温泉地ではないので宿の一軒一軒が落ち着いていて客筋もよい。 俺とカミュは緑の木立に囲まれた静かな湯に浸かり、翌朝は囲炉裏のそばで朴葉味噌を焼きながら風雅な朝食を楽しんだ。
「さて行くか。ついに念願のスーパーカミオカンデだぜ。」
「うむ。」
宿から数分歩いた先のバス停からバスに乗ると客は俺たちだけだ。
「空いているのだな。」
「今日と明日の二日間で1000人くらい集まるんだろ。この福地温泉からバスで行くのは俺たちだけみたいだから、ほとんどが車なのかな?あ〜、俺たちも免許をとっておけば よかったな。そしたらもっと自由が利くぜ。」
「ではそろそろ本気で考えたほうがよいかも。」
東京などの人口密集地と違ってこのあたりのバスはきわめて本数が少ない。いや、少なすぎる。俺たちが当選したのは11時からの見学だが、8時5分発のこのバスを逃すとあと はタクシーで行くしかないのだ。 だから、当選したことがわかってから喜び勇んで宿泊する温泉を探すときは大変だった。集合時間に間に合うようなバス便があり、なおかつ朝食を食べてからバスに乗れないと困 るのだ。 最初に当たった宿は8時からの朝食だったので間に合わず、次に電話した宿も同様だった。いささか焦りながらさらに電話した三軒目が7時半からで、朝食はそんなに時間がかか らないしバス停も近いからから大丈夫だろうと言う。
「スーパーカミオカンデにおいでになるのでしたら、お食事を早めにお出しいたします。」
「それならお願いします。大人二人で二泊です。」
見学が終わってからいきなり帰るのはもったいない。スーパーカミオカンデを見学後の余韻を楽しみながらカミュと二人で温泉に浸かるのが望ましいのは言うまでもな い。

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カミュ様の夢がついに叶いました。
         というより実際には、この話を書くために一念発起してスーパーカミオカンデを見学しに行ったんですが。
         私って行動力ある〜!