鈴 虫 |
夕食を終えて玄関ホールまで来ると、どこからか鈴を転がすようなきれいな音が聞こえてくる。 「あれ? 今まではこんな音は聞こえなかったはずだが。」 不思議に思ったミロが音の出所をさがすと、どうやらフロント横の猫足のテーブルの上に乗っている籠から聞こえてくるようだ。 「おい、見てみろよ、なんだか虫がいるみたいだぜ。」 「え……? ああ、これは鈴虫に違いない。 本物を見るのは初めてだ。」 覗き込んだカミュが目を輝かせた。 ケースの中には黒い昆虫が何匹か背中の羽根を立てていて、仔細に見るとその羽根をたいへんな速度で小刻みに動かしているようだ。 「鈴虫って?」 「コオロギ科の昆虫で、日本では平安の昔から上流貴族がその鳴き声を愛でていたという。 江戸時代には飼育技術も高度に発達して庶民の間でも鈴虫の鳴き声を楽しむことが盛んになった。」 「そういえば、日本人はこれを 『 虫の音 』 じゃなくて 『 虫の声 』 って言うんじゃなかったか?」 「うむ、我々西洋人は虫の声を雑音を聞くのと同様に右脳で聞いているのに対し、日本人と中国人は言葉や音楽を聞くのと同様に左脳で聞くといわれている。世界で虫の声を楽しむ文化を持っているのは日本と中国だけらしい。」 「う〜ん、よくわからんな? 耳に聞こえる音をどうやって頭の中で右と左に分類するんだ??」 「……さぁ? それは…」 「なんにしても俺にはいい声に聞こえるぜ。 こうも長く日本にいると左脳で聞けるのかな♪ うん、ほんとにいい声だ!」 そんなふうに鈴虫を覗き込んで楽しんでいると美穂がやってきた。 「鈴虫の声、よろしいでしょう♪ 寒すぎて北海道には住んでいないのですが、趣味で飼育している方が置いてくださっているんですの。」 「実にいいね、気に入ったよ♪」 満足そうな二人を見て美穂も嬉しそうである。 「なんでしたらお部屋にお持ちいたしましょうか?」 「え? でも…」 「ほかに楽しみにしている客もいるんじゃないのか?」 「大丈夫ですのよ、事務室の奥にもまだ二籠あるんです。」 そう言って美穂が持ってきてくれた籠の中にも、なるほど五、六匹の鈴虫がいるが、急に動かされたのに驚いたのか声は聞こえない。 「静かなところに置いておきますと、じきに鳴きます。 あまりうるさいようでしたら、玄関に置いて境の襖を閉めればよろしいのです。」 「なるほど、そいつは風流だ! じゃあ、俺たちも日本文化に触れるとするか♪」 受け取ったミロがくすりと笑った。 灯りを落としたカミュの耳に、リーン、リーンという涼やかな声が聞こえてきた。 「どうかな? うるさすぎないし、なかなかいい風情じゃないか。」 あれこれと置き場所を試してみたミロが奥の間に戻ってきたところをみると、どうやらスズムシの今宵の宿は玄関の飾り棚の上に決まったようだ。 「襖を閉めると聞こえにくいし、隣の部屋ではちょっと声が大きすぎる。」 「良いのではないか。 いい声に聞こえるところをみると、どうやら私たちも日本人化したらしい。」 「ふふふ………俺はスズムシのほかにもいい声を聞きたいね♪」 「あ…」 まだフトンにも入っていなかったカミュをすっと後ろからとらえたミロが白い首筋に口付ける。 「ミロ………」 予想外のミロの動きにあわてたカミュが身をそらして逃れようとするが、そんなことが許される筈もない。 「いいからこのままで楽しませて………お前のきれいな鳴き声を愛でたいから………」 「………そんな……ミロ…………あ……いや…」 白かった肌にたちまり朱の色がのぼり、絶え絶えに洩らされる声は震えを帯びる。 寝かされていても耐え難いというのに、この姿勢でどうして平静でいられよう。 いつになく性急なミロの愛し方にたえきれなくなったカミュの唇から、ついに抑えようもなく甘い吐息が洩らされた。 「カミュ………カミュ……愛してる………もっと聞かせて……」 「ミ…ロ………」 スズムシの澄んだ声が耳に重なり、二人の想いを刺激する。 「俺のために鳴いて………一晩中でも聞かせて欲しい……」 「あ………ミロ…ミロ………」 鈴を転がすような声に鈴虫の声が重なっていった。 ある方からメールをいただきました。 「あ〜、鈴虫が鳴いている。ミロカミュに似合う声です。」 で、この話を書きました、とっても書きたくなったのです。 ミロカミュで鈴虫っていったら、この展開しか頭に浮かばなかったんですが、 いかがなものでしょう? 「違う展開もあるぜ♪」 「すると、野外に鈴虫の声を聞きに行くとか? 私は外での逢瀬は御免こうむる。」 「そうじゃなくてさ…」 「………知ってるか? 鳴いてるのはぜんぶオス、縄張りを主張してメスを引きつけるためだ。 そしてメスが寄ってきたら後ろ向きにそろそろと近付いて交尾をする。」 「……それは生物に共通した種の保存のための自然の行為で…」 「そのときはメスがオスの上に乗るのだそうだ。 おっと、深く考える必要はないぜ。 そして秋が深くなりオスが死ぬ直前になると、メスの中には弱ったオスを食べるものもいる。」 「え…!」 「栄養をつけていい卵を産むためらしい。」 「あの………私は…そんな………そんなことは…」 「わかってるよ、今のは鈴虫の話。 いくらお前がいい声で鳴いたって、鈴虫じゃないからな、 お前は俺にそんなことはしないし、俺を食べたりもしない。」 「ん………」 「でも俺はお前を食べてみたい♪」 「………え」 「声……聞かせてくれる?」 「………」 「秋の夜長をしっとりと楽しみたいな♪ どうだろう?」 「ん………」 「じゃ、了解ってことで♪ 心配しないで………大事に籠に入れて可愛がってやるよ♪」 「ん………」 「大好きだ、カミュ……」 「この展開はどう?」 「どうって………」 「いいと思うがな。 それとも何かほかの希望でもある?」 「いや…あの………とくに……」 「じゃあ、決まりだ!」 「あの………ミロ…」 「いいから、いいから♪」 ※ 中国の虫事情 ⇒ こちら |
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