鯛 焼 き

「前から気になっていたんだが、あれは魚じゃないんだろう?」
ミロが指差したのは駅前の鯛焼き屋だ。 いつも10人くらいの行列ができていて盛況である。 店の前面上部には狭い間口いっぱいに 「 鯛焼き 」 という筆書きの字が踊り、いくぶんデフォルメされた鯛とおぼしき魚の絵が描いてある。
「え? そういえば私もよくは知らぬ。」
カミュも知らないというのは珍しいが、もともと食べ物に関してはあまり執着がない性格で、ましてや行列のできる店に自分も並びたいなどとは露ほども思わない。 店の場所もいつも通る道とは反対側で、あえて見に行こうとも思わなかったので鯛焼きについてはなにも知らないままに過ぎていた。
「しっぽまであんこ、って書いてあるが。」
「では、和菓子かもしれぬ。」
「お前って、しっぽがあるのか? 今夜確認させもらおうかな。」
「断る!」
「冗談だ。」
そんなことを言いながら道を渡ったミロが行列の後ろに並んだ。
「買うのか?」
「当然だ、買う気だから並んでる。 食べ物に決まってるし、行列ができてるということは人気のある証拠だ。」
並んでいるのは女性がほとんどでみんな辛抱強い。 10分ほど待っていると、やっと一人が箱のようなものが入った袋を下げて出ていった。
「一人が10分とすると、私たちの番になるまでには1時間半ほどかかることになるが。」
「嬉しくない計算をするなよ。 まるでディズニーだな。」
ビッグサンダーで一時間半待つのはいっこうにかまわないが、鯛焼き屋で一時間半待つのはちっとも嬉しくない。 時間の感覚というのは妙なものだ。
やがてさしもの行列も徐々に動いて、やっと二人が店内に入るときがきた。
「おい、面白いぜ! あんなことをやってる!」
「ほう!」
痩せた白髪頭の職人が、ずらりと並んだ鯛焼きの型になにやら見たことのない器具で溶いた小麦粉を流し入れている最中だ。 黙々と並んでいる客たちもなんとなく、もしくは興味深そうにじっと見ながら焼き方の手順を反芻しているらしい。
「ほう! 魚の側面が左右別々の型になっており、適切な焼き加減になった瞬間に双方の型を合致させて成型するのだろう。 極めて面白い!」
「二枚下ろしだな。」
ときどき宿の厨房にはいって観察に余念のないミロは魚のさばき方にも詳しくなっている。
じっと鯛焼きの状態を見ていた職人がなにやら細長い道具を持って半身の鯛焼きにあんこを落とし始めた。 へらを手際よく使って適量を乗せていく。
「ふ〜ん、ああやってあんこを入れるんだ。 うまいもんだな。 それでしっぽまであんこってわけね。」
「骨格は無いのだな。」
「あったら大変だよ。 鯛の骨は硬くて、喉に刺さったら危ないからな。 もっとも、七ツ道具がないのは残念だ。」
鯛の姿焼きで美穂から鯛の骨にあるという七ツ道具を教わったミロはおおいに喜び、それ以後 鯛が出るたびに皿の端にその形の骨を七つ並べて悦にいっている。
頃合いをみて左右の型をぱたんぱたんと合わせると、6個×4列の鯛焼きが一挙にできるのが目に見えてきた。
「型の周りにずいぶんはみ出てるが? ああ、錐みたいなのでどけるのか。 ずいぶんラフな仕上げだな。」
「察するに庶民の食べ物だろう。 鯛はめでたい魚とされているゆえ、縁起物に違いない。」
そんなことを考えている日本人はおそらくいない。
焼いている横で頭に三角巾をした年配の女性が次に使うあんこの用意をしていたが、型を何度かぱたんと返して焼き上がり具合を確認すると出来上がった鯛焼きを手早く集めて脇に置き、先頭の客に数を聞いてから慣れた手際で10個の鯛焼きを紙箱に詰めた。
「ふうん、あんなにたくさん買うんだ!」
「職場への手土産かもしれぬ。」
「俺たちもそうするか? たまにはいいだろう。」
「よかろう。」
一つずつ買うつもりだったが予定変更だ。 気がつけば数個買う客よりも箱買いする客のほうがはるかに多い。 それだから待ち時間が長いのだろう。 焼き方を観察しながら待っているうちに、当初の予想より早く順番が来た。
「おいくつ?」
「10個と、それとは別に2つね。」
「その2つとはなんだ?」
「あの紙箱に焼きたてのをぎっしり詰めたら、変形するし食感も変わるだろう。 俺たちは焼き立てを手に持って歩きながら食べようぜ。」
「えっ? 歩きながら食べるのか? そういうのはちょっと…」
「あれ? パリだったらエクレールを食べながら歩いたりするんじゃないのか? 歌にもあるし。 エクレールならよくて鯛焼きには難色を示すっていうのは論理的じゃないと思うがな。」
これはカミュの負けである。

小さな紙袋に入れてもらった鯛焼きはほかほかと温かい。
「それじゃ!」
「うむ。」
二人とも頭から食べる。 ミロは豪快に。 カミュはどことなくしとやかに。
頭から食べるか、しっぽから食べるかの論争があるなどとは思いもしないし、ましてや、昭和28年にしっぽまであんこがある鯛焼きを演劇評論家の安藤鶴雄が激賞して大論争を巻き起こした件など知りもしないのでそこは気軽なものだ。
「甘いな!」
「うむ、確かに甘い!」
やがてミロがしっぽまで食べ終えた。 続いてカミュも上品に食べ終える。
「あ〜、こんなに甘いとは思わなかった!」
「エクレールはここまで甘くないと思うが。」
「今度はお茶が恐い!」
「落語か?」
「もちろんだ。 シェークスピアの引用もいいが、古典落語の引用も洒落てるだろ。 というか、鯛焼きにはそのほうが向いている。」
「同感だ。」

宿に戻ってフロントにいた美穂に鯛焼きを渡すと、
「まあ、どうもありがとうございます! 駅前のあの鯛焼きはいつも行列ができていてすぐには買えないので、滅多に食べたことがないんです。 有り難く頂戴いたします。 ただいますぐにお茶を入れにあがります。」
そう言って美穂がこちら側に出てこようとするのを
「いや、そのくらい自分たちでするから。」
と断って離れに戻る。
お気に入りの抹茶入り玄米茶を飲んでほっとしていると、ミロがおもむろにこう言った。
「今度はカミュが恐い。」
「……え?私のどこが恐いと?」

   和やかに茶を飲んでいて、いったいなにが……?

見るとミロが思わせぶりに笑っている。
「あ……」
「そういうこと。」
「ばかもの…」
古典落語は応用が効く。





            鯛焼きでも色艶はできるというのが立証されました。
               ちなみに 「お茶が怖い」 が出てくる古典落語は こちら


          
  「 しっぽまであんこ 」 の大論争  ⇒ こちら
               鯛の七つ道具 ⇒ こちら   こちらはとても素晴らしい写真入りのブログ、
                                   このページを見つけなかったらお手上げでした。
               参考  「鯛の中の鯛」 ⇒ こちら