宝 塚 |
「宝塚を見たい!」 ミロがこう言った瞬間、それは実行されることが確実となった。 いつもそうなのだ。 「お前も知っているだろうが、日本の芝居というのは、かの出雲の阿国が安土桃山時代の京都で勧進興行を行なったことに端を発し、歌舞伎に形を変えていったものらしい。 阿国のときは女が男役をやることがけしからんといわれたこともあったようで、江戸時代には男がすべての役柄をこなす歌舞伎になったのだという。 歌舞伎は現在も盛んだが、1913年に結成された寶塚唱歌隊を前身とした宝塚、すなわち宝塚歌劇団は未婚女性のみで構成され、おもに兵庫県宝塚市の宝塚大劇場と東京の東京宝塚劇場で通年公演を行なっている。」 「詳しいな。」 そう話している私たちは、有楽町にある東京宝塚劇場の当日券を入手すべく早朝から並んでいるところだ。 「なにもこうまでして並ばなくても。 宿の主人の勧めに従い、SS席をとってもらってもよかったのではないか?」 「そいつはちょっと………。 アテナの顔で楽をするのも遠慮したい。 このほうがありがたみが湧くぜ。」 去年の松茸狩りのときは思いっきりアテナの世話になったではないか、と言おうとも思ったがやめておこう。 たしかにあの松茸は素晴らしかった。 いい思い出だ。 あれは行列に並べば参加できるという趣旨のものではなかったのだし。 「それにしてもこの行列は………。」 「うん、確かにすごい!」 はるか後ろまで連なる人の列が私を圧倒する。 宝塚の公演はたいそう人気があって、評判の高い演目だと前売り券はあっというまに売り切れて入手が難しいという。 ただし、初日、千秋楽、新人公演以外の日は当日券が発売され、はやく並んでいれば必ず買うことができるのだという。 「だから、俺たちもこれに並べばいい。 たまにはアテナの世話にならずに自分たちで努力してみるのもいいんじゃないのか? 席は二階席の一番奥の一列だけで見やすいとはお世辞にも言えないだろうが、ともかく見ることはできる。」 「そんな隅っこの席に? 俗に言う天上桟敷という物件だろうか。なにも慌てなくても、次の公演のチケット売り出し日に購入を図るというのはどうなのだ?」 「だって、この演目が見たいんだよ、スカーレット・ピンパーネル、フランス革命の時の貴族の活躍を描いた活劇だ。 いかにも黒い騎士を彷彿とさせるだろう!」 黒い騎士 = ミロ、という図式が出来あがっているのでその気持ちはわからないでもない。 さらに、ミロがアテナに頼みたがらない理由は私にも容易に想像がつく。 アテナが宝塚好きだという噂を私たちに教えてくれたのはデスマスクだ。 「おい、知ってるか? アテナは日本の宝塚っていう劇団が好きなんだそうだ。」 「宝塚とは?」 「女ばかりの劇団で、やたらきらきらした衣装と化粧でミュージカルをやるらしい。 一言で言えば派手だ。」 「派手!」 「お前にはまったく向かないな。 万が一 宝塚に興味なんか示そうものなら、日本にいるあいだじゅうアテナに付き合わされることは間違いなしだ。 うっかり、ベルばらは面白い、なんて口走った瞬がえらい目に遭ったっていうぜ。」 「そうなのか、気をつけよう。」 このような経緯があったので、ミロも自力で、すなわちアテナには内密でチケットを入手しようというのだ。 この公演が人気だという話を聞いたミロがインターネットであれこれと調査したあげく、当日券の列に並んだのは5時半だった。むろん早朝の5時半、これは想像を絶する時刻だ。 「なぜそんなに早くっ?! 「だって、始発に乗ったら前から十番目だった、とか、7時を過ぎたらどんどん人が増えてきた、ってブログがあったんだぜ。 せっかく行って、買えませんでした、じゃ困るだろ。 五時半でも危ないくらいだ。 すごすごと引き返して皇居のお堀の鯉に餌でもやって時間をつぶすか?」 なぜ鯉に餌をやらなければいけないのか疑問だが、並ぶからにはチケットを買えなければ意味がない。 頷いた私は東京のホテルに宿泊することに同意し、今朝は5時に部屋を出て、こうして列に並んでいるというわけだ。 発売されるチケットは最後列の42席と立見席が49席。 「立っているのに、立見席という名称はいかがなものか?」 「しょうがないだろ、そんなことに疑問を持つなよ。」 私たちは立って並んでいるが、他の日本人、その9割5分までは女性であるが、ほぼ全員が持参のシートやクッションの上に座って本を読んだり携帯を打ったり目を閉じていたりする。 発売開始は10時なので時間は有り余るほどある。 英語の練習台にされるのを避けるためギリシャ語で話していると、私たちが日本語がわからないと考えるためか、彼女たちの会話が聞こえてくる。 「ねえ、あの外人さん、かっこよくない?」 「すてきよねぇ〜、やっぱり宝塚が好きなのかしら?」 「好きだから来てるのよ! そうに決まってる! でもいくらかっこよくてもトップさんの方がねっ♪」 「もっちろんっ!」 トップさんとはなんだろう? 「それはトップスターのことだろう。 宝塚には花組、月組、雪組、星組、宙組 (そらぐみ)、の5つのチームがあって、そのそれぞれのチームの男役と娘役に最高の地位のトップスターがいる。ものすごいカリスマ性があってファンが多いそうだ。」 日本に来てさんざん注目されていい加減恥ずかしさにも慣れてきた今日この頃だが、誰かに比べられて負けたのは正直言って初めてだ。 トップさんがどれほど 「素適」 なのか、興味も湧こうというものだ。 今日はじっくりと見せていただこう。 そうこうしているうちに列はどんどん長くなり、どうみても立見席さえ買えないだろう遠方にまで最後尾が伸びている。 「あのあたりはもう無理なのではないのか?」 「座席が42で立ち見が49。 無理だな。」 並ぶまでは、正直なところ最後列狙いというのが一種の哀しみを伴っていたのだが、ここまで来るとプラチナチケットに見えてくるのはおかしなものだ。 私たちの位置は先頭からどうみても30番以内なので座席確保は確実である。 8時半ごろになると揃いのジャケットを着た一団がどこからともなくやってきて私たちよりも歩道側に並ぶとなにかを待っている風情である。 「あれは?」 「たぶん、スターの入り待ちだと思うな。 自分のひいきのスターが来るのを待ってるって話だ。 それと同じく、公演がはねたあとには、出待ちの列が出来るとかつて老師にお聞きしたことがある。」 「………ほんとに?」 「冗談だ。」 老師に聞きはしなかったが、入り待ち、出待ちは常識だそうだ。 スターは一人ずつやってきて自分のファンと和やかに話をし、手紙に類するものをにこやかに受け取ると手を振りながら楽屋のや入り口に姿を消し、そうするとファンの団体は次のスターのファンたちと場を交代するのだ。 極めて整然としていて統率が取れている。 宝塚ファンをヅカファンといい、伝統的に礼儀正しいので有名だ、とはあとで美穂から聞いた話である。 あまりにも多人数が並んでいたためか、チケットの発売は30分早められた九時半からだった。 窓口では座席表を示され残っている中から選ぶことが出来る。 選択はミロに任せて周囲を観察していると、座席と立ち見の境目あたりの順番の位置が緊張ただならぬ様子であったのが印象に残った。 「OK! 買えたぜ! まさしくプラチナチケットだ!」 「私たちは黄金だが。」 「どっちが価値が高い?」 「言わぬが花だ。」 こうして私たちは早朝から4時間並んで当日券を入手した。 「う〜〜ん、すごく後ろだ!」 「天上桟敷だな。」 急勾配の二階席の一番後ろはまさしくてっぺんにいるという印象がある。 劇場内でオペラグラスを借りたのでポイントポイントで使うことにしよう。 もっとも聖闘士の視力は並みの人間より優れているが。 劇場内は満席で期待に満ち溢れているのがよくわかる。 ミロが購入したパンフレットを開いてみると、舞台化粧をした写真はどれもこれも同じに見えて区別するのが難しい。 「よくわからないが。」 「いいんだよ、俺たちは初めてなんだから。 宝塚の雰囲気を味わえればそれでいい。」 そして舞台が幕を開けた。 芝居を見たのは初めてだし、ミュージカルというのも初めてだ。 聖域にいてはおよそ考えられないことで、華やかな宝塚の舞台を見ている今の自分が不思議に思えてくる。 舞台では、ギロチンにかけられようとするフランス貴族を助け出そうとするイギリス人貴族の主人公が活躍し、黒い騎士に入れ込んでいるミロは我が身と重ねたようだった。 歌も踊りもよかったし、衣装もいささか派手だったかもしれないが、遠目にも目立たなくてはいけないという舞台の特性を考えればあのくらいは当然なのだろう。 狭い舞台で場面は次々と変わり、なかなか面白かったと私は思う。 「なあ、あのトップの男役、やたらかっこよくないか! 女であって女でない。 男であって男でない。 一種独特の妖しい魅力があったりして!」 「それはたしかに。」 「なんだ、あんまり感心してないんだな。 俺はおおいに感心したが。」 「ええと…」 しかたあるまい。 私の目にはミロのほうが層倍して 「 かっこよく 」 見えるのだから。 しかし、これを言ったらミロが増長するので黙っていることにこしたことはない。 「うむ、たいしたものだと思う。」 「そうだろ!」 これでミロの熱も落ち着いたと考えた私がホールに出ると、急にミロに引き止められた。 「おいっ、あれを見ろ! 今度は仮面の男をやるぜ! あれもぜひ見たいっ!」 この先の公演予告のポスターがあり、そこにはフランス銃士隊の制服を身に着けた男役のトップスターが剣を構えた凛々しいポーズで写っている。 映画では見ているが、これもなかなかかっこよい。 たしかにこれは 「かっこいい」 というべきだろう、それは認める、いかにもはまっている! しかし……… 「私としては………」 「え? なに?」 「銃士よりも…」 「ん?」 「やはり聖衣をつけたお前の方が…」 「なになに?」 「かっこいいかも知れぬと思わないでもないかもしれなくて……」 「え〜と……」 ミロが真っ赤になった。 「お前の聖衣姿も、うん、素晴らしいと俺は思う。」 「ん…」 なぜだか真っ赤になった私たちは早々に宝塚劇場を立ち去った。 宝塚鑑賞記。 はい、先月、東京宝塚劇場で当日券に並びました。 まったく初めてだったので、詳しい人に聞き、ネットで情況を調べたうえで乗り込みました。 4時45分の始発に乗り、現地に着いたのは5時半、それでも前から30番目くらいです。 人気の演目だとものすごいことになってます。 いやぁ、トップの男役、かっこいいっっ!! 歌が完璧で立ち居振る舞いがかっこよくて眼からうろこです、宝塚ってこうだったのね! 最後の大階段から降りてくる、テレビでもときどき映るあのシーン。 トップスターは背中にそれはそれは見事な羽飾りをつけていて、 正直なところ 「……なんだあれは?」 みたいに思ってたんですが、違うっっ!!! あれがすごくかっこいいんです、最高にステイタス! 見なきゃわかりません、見てから判断しましょう、百聞は一見にしかず、です。 |
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