ホワイトデー

「明日はホワイトデーだから、」
「え?」
日本に暮らして四年近くもたてばバレンタインデーとホワイトデーのことは熟知している。なぜ、女ではないミロが私にチョコレートを贈る気になるのかいまひとつよくわからないのだが、ともかく凝りに凝ったチョコをさりげなく或いは勿体をつけて私に贈ってくれるミロの心情はよくわかっているつもりだ。
「お前へのプレゼントなら用意してあるが。」
催促かと思い、ちょっと照れながらそう言うと、案に相違してそのことではないという。
「それももちろん楽しみにしているが、ほら、美穂から洒落たチョコレートを貰っただろう。今年はこちらからも返そうと思ってさ。」
「なるほど。」
こうして私たちは美穂を誘って東京の高名なレストランを訪れた。
「私などをお誘いくださいまして、ほんとにありがとうございます!東京のフランス料理って夢だったんです!」
笑って送り出してくれた宿の主人に銀座四丁目交差点角の和光で気の利いたネクタイピンを買った美穂が頬を染める。
「俺達がいつも世話になっているほんの御礼だから。」
春を迎えた銀座は人通りが多い。日本人のバレンタイン好きの話をあれこれとしながら美穂を真ん中にはさんで歩いていると妙に人の視線が飛んでくる。
「なぜ私たちを見ている?」
「なぜって……俺の思うに目立ちすぎるせいじゃないのか。」
「私たちが外人だからか?さすがに銀座ともなれば珍しくはないと思うが。」
すると、ミロがギリシャ語で返してきた。
「普段でも俺達の容姿に注目が集まるのに、今日は美穂を連れてるだろ?俺達には感嘆の、美穂には羨望と嫉妬の視線ってわけ♪」
「そういうものか?」
「そう!」
美穂の興奮はどうやらフランス料理に由来するものだけではないようだ。

「ああ、ここだ!Maxim’s de Paris マキシム・ド・パリ!」
銀座は数寄屋橋交差点角のソニービルの地下にあるこのレストランはパリの本店を忠実に模してあり、古きよき時代のパリの面影を偲ばせる店として評判が高い。
「前に来たロオジエは例のミシュランの三ツ星に輝いたが、ここのほうが落ち着けると思うな。」
ミロの言うとおりで、二年前の五月に行った並木通りのロオジエは実にすばらしかったが、あまりに洗練されていて場慣れしていない美穂には肩が凝るに違いない。その点、このマキシムはアールヌーボーの暖かみのある装飾や白熱灯の暖色系の照明が好ましい雰囲気を醸し出している。
真紅の絨毯が美しい装飾性豊かな螺旋階段を降りてゆくとそこはもうベルエポックのパリそのものだ。 予約した席に案内されてメニューを開く。
「これがいいじゃないか、マリー・アントワネットのコース。 どう?」
ミロに聞かれた美穂が真っ赤になって頷いた。
「フランス料理には詳しくないのでお二人にお任せします。」
「それじゃ、俺達はドン・ペリの白で、美穂はまだ未成年だからソフトドリンクね♪」
テーブルの上にはグラスやカトラリーが整然と並べられ飾り折りの純白のナプキンが清新だ。
「普段は日本料理ばかりだからこういうのは珍しい?」
「そうですね、なんだか夢みたい。 素敵で素敵で。」
そっと店内を見回した美穂が溜め息をつく。 ほどよい広さのフロアは壁の一部に装飾的に使われている鏡の効果でさらなる広がりを感じさせていかにも居心地が良い。 店の格にふさわしく客質も極めてよく、いい雰囲気に満ちている。
「ええと、メニューは………
甲殻類のコンソメとカリフラワーの冷製クリームスープ デュバリー風 キャヴィアを添えて
舌平目のフィレ ポリニャック風
ブレス産雛鶏胸肉ポンパドール風 自家製ヌイユと共に 又は 和牛ランプステーキ マデラ酒風味ソース プリンセス風  又は  フランス産仔鴨ポワレ赤ワインソース ブルジョワ風
アヴァン デセール
マリー・アントワネットに捧げるデザート タンバルエリゼ
プティフール
コーヒー
マリー・アントワネットに愛されたシャンパンをフランボワーズとともに “ピペ・エドシック・ブリュット”

だそうだ。」
「どうしましょう、私、キャビアとプティフールくらいしかわかりませんわ。」
「気にすることはないさ、フランス語はカミュの専門だからその時々で適切な解説をしてくれる。」
「それはむろん任せてもらってよいが、このデュバリー風、ポンパドール風、ポリニャック風については不案内だ。」
プリンセス風、ブルジョア風についてはわからなくもないが、フランス宮廷の寵姫となったこの三人の女性の名を冠した料理とはいかなるものか?
「あ〜、それは気にすることはない。」
「そうですわ! マリー・アントワネットフェアの特別な献立ですもの、きっとどれも素敵なんですのよ! ワクワクします!」
美穂が嬉しそうにミロと顔を見合わせる。 
「私、デュバリー夫人は嫌いです。」
「俺もだ。 高慢で鼻持ちならないね。 今日のベルサイユはたいへんな人出ですこと、って言わせたんだぜ。 ポリニャックも嫌だ。」
「ほんとに、ひどい人ですわ!文句があるならベルサイユにいらっしゃい、ですって!」
「最低だね!」
よくわからない会話だ。

そんなことを話しているとデュバリー風のクリームスープが出てきて、まことにけっこうな味なので二人とも褒めちぎる。
「デュバリー夫人が嫌いなのでは?」
「デュバリー風だからいいんだよ♪」
「ええ、とってもいいお味♪」
舌平目のフィレもポリニャック風にもかかわらず極めて美味だ。
「つまり贅沢で凝っている料理ってことかな。」
「ほんとに素敵ですわ!」
美穂に喜んでもらうのが目的なのだからよかったと思う。マリー・アントワネットにちなんでいるメニューのせいかデザート類の充実が著しく、新しいものが出てくるたびに美穂の目が輝くのが面白い。
「まあすてき! どうやって作るんでしょう!」
「マカロンがこんなにたくさん! 小さくてとっても可愛くてどうしましょう!」
マリー・アントワネットのお気に入りだったというシャンパン “ピペ・エドシック・ブリュット” が供された。
「どうしましょう、ミロ様、カミュ様、私、まだお酒は飲めないのですけれど。」
「今日くらいはいいんじゃないのか。 フランスじゃ子供のときからワインが水代わりだっていうし。」
ここは日本だが。
「マリー・アントワネットのイベントなんだから女の子が飲むのは許されると思うな。」
そうなのか?
「そうですよね、今日はほんとに特別ですもの。 お二人にご招待いただいたこの日のことを一生忘れませんわ!」
まあ、いいことにしよう。 いつも宿で身を粉にして働いている美穂なのだ。
「では、乾杯を。」
私たちの健康と地上の平和を願って乾杯をした。
いい日だったと思う。

「知ってるか?」
「え? なにを?」
帰りの飛行機で美穂を窓際にして座っているとミロがギリシャ語で話しかけてきた。
「写真だよ。 マキシムでたくさんの客が記念に写真や写メールを撮っていたが、たいていは背景に俺たちが写るようなアングルを工夫してた。」
「えっ? なぜだろう?」
「だから、記念じゃないのか。」
「なんの?」
「俺たちみたいな美形にめぐり合った記念。 それも場所はパリの香りゆかしいマキシムだ。 きっと絵になると思われたんだよ。」
「そういうものか?」
「そうだよ、そうに決まってる。」
ちょっと考えた。
「今日のマキシムはたいへんな人出ですこと、ということか。」
ミロが破顔した。
「それから、帰ったら俺にもプレゼントね♪」
「わかってる。」
「プレゼントがあるならフトンにいらっしゃい♪」
「ばかもの……」
私たちを乗せた飛行機は一路北海道へ向っていった。





       
 ホワイトデーの話なんだか、銀座マキシムの話なんだか?

        映画 「マリ−・アントワネット」 が公開されたとき日本に一大ブーム出現。
        ゆかりの展覧会は開かれるし、洋菓子のマカロンに光は当たるし!
        そんな中で偶然にネットで見つけたマキシムのマリ−・アントワネットフェア。
        これこそ憧れのマキシムで食事できるチャンスだと家族みんなで出かけたのは去年のことです。

        ほんとに素敵でしたよ、行ってよかったお店です。
        この企画は10500円のランチコースでしたが、
        ケーキとお茶という注文も出来ますからお近くの方はぜひどうぞ。
        インテリアが実に素晴らしく、ミロ様カミュ様に一度お越しいただきたいと切に思ったことでした。
        しかし、美穂ちゃん、羨ましいです〜。

                      Maxim’s de Paris ⇒ こちら