屋 久 島 ・ 到 着 篇

「ふうん! ちょっといいじゃないか!」
まったく日本のテレビはためになる。 夕食後にカミュがネット囲碁を始めたので、あきらめてテレビを見ることにした俺は思わず感嘆の声を上げた。
「………なにか、あったか?」
「うん、屋久島、世界遺産だ。」
「ほぅ………」
振り向きもしないカミュが石を一つ置いた音がした。 といってもネット囲碁なので、聞こえるのは味気ない乾いた音だが。
「ぜひ、行きたい! フロントに手配を頼むからな。」
「……うむ。」
ワクワクした俺は、部屋のパソコンを占領しているカミュのことはほうっておいて部屋を出ると、フロントにいた主人に屋久島のことを頼んでから娯楽室のパソコンを使って消灯時間の9時まであれこれと検索していた。

朝食後にフロントに寄ると、すぐに奥から主人が出てきた。
「ミロ様、ご要望の通りの宿が取れました。 今後一週間は天気も安定して申し分のない旅行ができると思います。」
「ああ、そいつはよかった、どうもありがとう! カミュ、そういうことだから午後には出発だ!」
「え? どこに?」
「屋久島に決まってるだろうが。」
「屋久島? なぜ?」

驚いたことにカミュは俺が昨日屋久島の紹介番組を見ていたことも気が付かなければ、自分が屋久島行きの計画に賛同したことすら知らなかったことが判明したのだ。
「お前も囲碁が面白いだろうが、少しは俺の言うことも意識の隅に置いてくれないか?」
「すまぬ……」
顔を赤らめたカミュと離れに向う道すがら、庭のナナカマドの実が赤く色づいているのが美しい。 今朝の登別の気温は11度でこの秋いちばんの冷え込みだ。 ナナカマドの葉もかなり紅葉して秋の到来を思わせる。
「でも、今ごろの屋久島は最高気温が32度、最低が25度だ。 亜熱帯地域に位置しながら、標高1936メートルの宮之浦岳があるためにその植生は亜熱帯から亜寒帯に及ぶ。 山頂の平均気温は札幌の平均気温より低い。 」
「ほぅ!」
どうもこの 「ほぅ!」 は、話の内容よりも俺がこれだけのことを説明したことに感心しているようなのだが、気のせいだろうか。
「年間降水量は平地で4,000mm、山地では8,000mmに及び、ひと月に35日雨が降るとも称される。 そして、この島でもっとも有名なのが樹齢2500年とも7000年とも言われる 縄文杉だ。 1966年に屋久町役場の観光課長に発見されていちやく有名になったこの木は屋久杉を代表する最大級の古木で、この木を見たいがためにこの島にたくさんの観光客がやってくる。 かく言う俺たちも明日にはその仲間入りだ。」
「詳しいな!」
俺だってカミュがネット囲碁に夢中になっている間、伊達にパソコンを見ていたわけじゃない。 屋久島や縄文杉に関する知識はカミュをはるかに凌ぐだろう。 今日ばかりはちょっと鼻が高い。

こうして俺たちは新千歳空港 17:10発の鹿児島行きの飛行機に乗った。 どうしてそんなに遅い時刻に、と思われるかもしれないが、鹿児島行きは一日のうちでこの便しかないのだ。 途中で飛行機を乗り換えるよりは直行便の方が手間がかからない。
鹿児島空港に定刻の19:45に到着しホテルで一泊した翌朝、鹿児島港からジェットホイル ( 水中翼船 ) に乗り込んだ。 屋久島までは二時間半の船旅だ。 港の目の前には桜島がある。
「ふうん! 桜島ってほんとに煙を吐いてるんだ!」
「有史以来三十数回の噴火が記録されており、中でも文明 (1471〜1476)、安永 (1779)、大正 (1914) の噴火が大噴火として記録されている。 大正大噴火の時には流れ出した溶岩が海に到達し瀬戸海峡を埋め、、それまでは島だった櫻島が大隈半島と陸続きになった。 ちなみにそのときの海水温は49度に達したという。」
「えっ! 物凄いんだな!」
「1985年には年間の爆発回数が474回に達し、翌年には桜島のホテルに直径2メートル、重さ5トンの噴石が落下して屋根と床を突き破り負傷者が出てもいる。」
「う〜ん、そんな物がいきなり降ってきたら、避けられるかどうか ちょっと考えるな。 」

   屋久島のことには自信があるが、その途中の桜島のことなんか考えたこともなかったな
   カミュの頭と百科事典はリンクしてるんじゃないのか?

そんなことを話しながら座席の番号を探す。 予約したのは一クラス上のスーパーシートで俺とカミュが寛ぐにはふさわしい。
カミュとこんなふうに船に乗るのはマルセイユ 〜 ピレウス間の旅以来で、あれよりはるかに短いとはいうものの久しぶりの潮の香りに心は躍る。

   デッキの手すりに寄りかかって潮風に髪を梳かせながら愛を語らったりして!
   青い海と白い雲を背景にしたお前はとても美しいことだろう!

「………あれ?」
航行中は必ずシートベルトの着用をお願いいたします、という注意書きが大きく書かれているではないか! 潮風に髪をなぶらせるどころか、シートから立ち上がることすらできないということか?
「飛行機だって、離陸後しばらくしたらシートベルトははずしてもいいんだぜ。 どうして必ず締めてなくちゃならないんだ?」
「この航路で去年の4月に航行中のジェットフォイルがなんらかの物体に衝突し乗客乗員110名全員が重軽傷を負うという事故が発生している。 クジラという説もあるが原因は特定できていない。 その事故の影響でシートベルト装着の強化が図られたのだろう。」
そういえばそんなニュースを見た覚えがある。
「う〜ん………それじゃ、しかたないか。」
こうして出航したジェットフォイルの座り心地のいいシートで俺はカミュの、揚力だの浮力だの姿勢制御だの波の高さだの、思いっきり専門的な話題を堪能することになった。 まあいいか、今夜は俺の好きなようにさせてもらうから覚悟しておいてもらおう。

やがて屋久島が見えてきた。
「縄文杉を見に行くのは明日だ。 今日はのんびりして英気を養おうぜ♪」
南太平洋の常夏の島とまではいかないが、なにしろ気温は32度だ。 青い空と海風がいかにも亜熱帯のムードを盛り上げる。

   寝椅子に横たわるカミュの素肌に最高級のアロマオイルをたっぷりと擦り込んで………
   ふふふ、マッサージのあとは………♪

ところがホテルでチェックインしたあとでこの計画を話したら、カミュが真っ向から否定した。
「せっかく来たのだから見られるものは全部見てみたい。 屋久島はウミガメが産卵に訪れることでも知られており、残念ながらシーズンは過ぎてしまったが来年以降のために現地の確認をする。 それから特産の屋久杉のことを知るために屋久杉自然館に行く。 さらに島内の自然環境を把握するために車で島内一周をせねばならぬ。」
「せねばならぬって………」
どうみてもカミュの頭の中は究極の自然科学探求モードになっているらしく、とてもアロマオイルの出る幕ではないのだ。
「まあいいけどさ………で、どれから始めるんだ?」
「あいにく私たちは運転できぬゆえ、フロントでタクシーを頼もう。 その途中で寄りたいところに寄ってもらえば良い。」
その寄りたいところというのが、滝あり砂浜あり展示館ありと盛りだくさんで一日では終わりそうもない気がしてくる。
ロビーでタクシーを待ちながらふと言ってみた。
「俺たちも車の免許って、取ってみてもいいんじゃないのか? これだけ長く日本にいるんだから少しは役に立つだろう。」
「それもそうだな。 では帰ったら早速!」
えらく早い回答で、帰った翌日には教習所に行きそうだ。 まあ、即断即決は聖闘士には必要不可欠な条件だから当然だが。
「理論ではお前に一日の長があるかもしれないが、実際に車に乗ったら俺の天性の勘がものを言うと思うぜ。」
「ほぅ! 理論に裏づけされた実践ほど強いものはない! 私が一歩先んずると今から言っておこう。」
ホテルのロビーで妙に小宇宙が燃え上がる。
そうと決まれば、これから乗るタクシーでも見方が違ってくるのは当然だ。 自分が運転するときのことを考えてなにか参考になるものを吸収することに努めよう。

………………予想外だった。
周囲約130kmの屋久島を一周する道路のほとんどは山と海岸の間の人家のない場所を通っており、むろんのこと信号や横断歩道はきわめて少ない。 「 西部林道 」 という箇所に至っては乗用車同士がすれ違うこともできなくて、運悪く行き会ってしまったときにはどちらかが延々とバックして道を譲らなければならないのだ。 バスがカーブを50メートルも後退していくのは神業としか思えない。
「私らは慣れてますから2時間程度で一周できますが、内地のお客さんは4時間半くらいかかる人もいますねぇ。」
そして、集落以外では街灯がまったくないので夜間はヘッドライトだけが頼りの運転となる。 暗くなるとカーブを曲るたびにシカやサルがたくさんいて、いちいち避けたり、移動してくれるのを待たなければいけないため通常の運転感覚ではとても無理らしい。 たまたま前方に現われたヤクシカの横をこともなげにすり抜けるタクシーの運転手の言うことには頷けるものがある。
北海道にもシカやサルや熊に注意、という道路標識があるが、ここまで頻繁に現われたりはしないだろう。
「今は大丈夫ですけど、台風直撃のときなんかはほんとにすごいし、そのあとも島中の道路に倒木だの折れた枝だのがあって、とても通れませんね。」
やっぱり違う。
俺たちは北海道で免許取得を目指すことを感謝すべきだろう。
「免許を取ったら………」
「……え?」
「お前を乗せて夕陽の海岸をドライブしてやるよ。 二人してどこまでも走っていこう!」
「そんなことを……!」
あきれたように言うカミュの頬がわずかに染まったのが嬉しかった。





            
さて、突然の屋久島旅行です。
            お目当ての縄文杉とのご対面はこの次に。
            さらに次の目標に免許取得まで現われました、どうなることやら?

            この壁紙の花は泰山木 ( タイサンボク ) です。
            屋久島に生えているかどうかは確認できなかったのですが、いかにもムードは出ています。

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