雪 女

娯楽室でずっと本を読んでいたカミュが ほぅと溜め息をついた。
「なにを読んでいたんだ?」
「ラフカディオ・ハーンの 『 怪談 』 だ。 ハーンはギリシャ生まれだが、のちに来日し帰化して小泉八雲と名乗った。 日本人の妻から聞いた各地の説話や怪談を独自の解釈を加えて文学作品にしたもので、耳なし芳一などが有名だ。」
「ふーん、怪談ねぇ………なにも正月早々そんなものを読まなくても。」
「さほど怖いものではない。 幽玄とか不思議といった類のものだ。 私には上田秋成の 『 雨月・春雨物語 』 よりも好ましい。」
「まあ、もとが古典だからな。 今どきのホラーなんかよりはよっぽど風情とか余韻がある。 耳なし芳一なんか、はらはらする展開でちょっと面白いな。」
耳なし芳一の話ならミロも知っている。 屋島の合戦で海に沈んだ平家の怨霊に取り殺されそうになった琵琶法師が難を逃れるために全身にくまなく般若心経を書いてもらうが、うっかり耳だけに書くのを忘れたために怨霊に両耳を引きちぎられてしまうという話だ。
むろんミロの頭の中には芳一がカミュで、その全身に経を書いてやるのが自分という図式が出来上がっているのだがさすがに口に出すのははばかられる。
「雪女もしみじみとした話だ。 あとに残された男の心情も思いやられる。」
雪女とは、男に嫁いだ女が実は雪女で、子までもうけたが正体を知られたのをはかなんで去っていってしまうという話だ。
カミュが窓の外に目をやった。 昨日から降り始めた雪はまだやまぬ。 葉を落とした木々の枝にもきれいに降り積もり、自らの重みに耐えかねた白雪が音も立てずに地面に落ちてゆく。
「まだ降るかな?」
「今夜遅くにはやむかも知れぬ。」
「かなり冷え込むかもな。 今夜は早く寝ようぜ。」
カミュが頬を赤らめたようだった。

夜半過ぎにミロが目覚めると、隣りに寝ていたはずのカミュがいない。 すぐに戻ってくるだろうと気にもせず軽く寝返りをうち、すぐまた眠り込んだ。
もう一度目が覚めると2時半だ。 やはりカミュの姿はない。
「カミュ?」
ちょっと気になって呼んでみたが返事もないのだ。 さすがに気になって起き上がり離れの中を探してみたがどこにもいない。

   こんな夜中にいったいどこに?
   かりに聖域でなにかが起こったとしても、俺に声をかけないはずはない!

玄関に行ってみると雪駄がない。 してみるとこの雪の中をどこかに行ったようにも思われるが、服に着替えた形跡もなければ、寝るまで羽織っていた半纏さえ枕元にきちんと畳まれたままなのだ。
「カミュ…!」
蒼ざめたミロは急ぎ半纏を羽織りカミュの分を引っつかむと外へ飛び出した。 母屋からの回廊は冬のこの時期には戸を立てまわして雪と寒気の侵入を防いでいるが、離れを出てすぐのところにドアがあり簡単に庭に出られるようになっている。 内開きのドアを開けてみると果たして足跡が残っていた。 雪はすでにやんでいるが、足跡にうっすらと雪が積っているところを見ると、カミュが出て行ったときにはまだ降っていたのに違いない。
足跡をつけてゆくのは簡単だった。 こんな夜に出歩くものなどほかに誰もいないのでカミュの足跡を辿るのは容易だったし、雪明りがたいそう明るくて見失うこともなかったのだ。 もしも雪が降り続いて足跡が消えてしまっていたらミロにも難しかったかもしれない。

   雪がやんだのは幸いだったぜ  それにしてもいったいなにがあったんだ?

そうしてミロがカミュを見つけたのは庭を抜けて門を出て、かなり行った先のカラマツ林をさらに抜けた原っぱだった。 このあたりの方が雪は深く、雪駄が沈んで素足に雪が乗る。 すでに足先には感覚がなくてじんじんとした冷たさだけが染み入ってくる。
何一つ動くもののない一面の銀世界のただなかにカミュがぽつんと立っていて、やっと見つけたことに安堵しながらミロは不安に襲われた。 後ろ姿がなんともいえず寂しそうで今にも消えてしまいそうに思えたのである。
驚かさぬようにそっと近付き、やさしく名を呼びながら肩に半纏をかけてやる。
「どうした? こんなところまで来て、なにかあったのか?」
消えてしまわなかったことにほっとしながら顔をのぞきこむと涙に濡れた目がミロを見た。
「子が………」
「……え?」
「子がいない………どこを探してもいない………」
聞き違いかと思って当惑しているとカミュがミロの肩に頭をもたせ掛けてさめざめと泣き出した。
「見つからない………ミロ……私の子が見つからない………」
ちらちらと雪が落ちてきた。 すっかり冷たくなった身体を抱きながらミロは茫然と立ち尽くしていた。

「一緒に探してやろう。 あっちかもしれない。」
連れ帰る途中もあちこちに目を走らせるカミュはどうやらほんとうに子を探しているらしく、途切れ途切れに話す言葉にもそれを匂わせミロを冷や冷やさせた。 あまり逆らわないようにしながらなだめすかしてやっとの思いで宿まで来ると、さっきまでは見えていた足跡も雪に隠れてなにも見えはしないのだ。
髪や肩に積った雪を払って離れに入り、カミュをコタツに押し込んで暖かい茶を飲ませるとようやく元に戻ったようにも見える。 それでも心配なミロはカミュから離れがたくてやわらかく抱きしめずにはいられない。
「私は…そう………女だったのだ。 お前がそう呼ぶのなら、夢の中では私は女だったのだ。」
「それで子を……?」
「そうだ。 私はお前と暮らして子を産んだ。 とても可愛い赤ん坊で、お前も可愛がってくれて幸せで………」
「それって、いまの時代? それとも昔のことか?」
「……よくわからない。 でも私もお前も着物を着ていた。」
「着物か………今の俺たちも浴衣だから着物には違いないが。 ほら、もう一口飲んで。」
「ん………」
つまりカミュは夢を見たのだ。 それも自分が女でミロとの間に子を生んだのだという。
その世界に入り込んだまま目が覚めてみると、三人で川の字になって寝ていたはずなのに子がいない。 それで不安に襲われて探しに出たものらしかった。
「それ………夢だったってわかってる?」
「ん………」
黙り込んだカミュがうつむいた。 返事がないところをみると心の整理がつかないのではないだろうか。
「もしかして………俺との間に子が欲しいとか?」
「そんな………そんなことは…」
真っ赤になったカミュが唇を噛む。
「俺たちは聖闘士だから。 男だからあとにはなにも残さない。 残せない。 どんなに愛し合っていてもそれはできないことだ。」
「わかっている、それはよく…」
「今までに一度もそんなことを考えたことはなかったが、たしかに俺たちが子供を持つことができたら楽しいし、さぞかし嬉しいだろうと思う。」
「……そう思ってくれるか?」
「思うさ! 俺とお前の子供なら最高の遺伝子で究極の美と天分を併せ持つ素晴らしい子だろうよ!」
「そう……かな?」
「そうだよ。」
カミュを抱く手に力がこもる。
「なぁ………いずれそのうち俺にも弟子を持つ日が来るだろう。 そのときになったら二人で育てないか? きっと立派な聖闘士になるぜ!」
「二人で?」
「ああ、そうだ。 アイザックと氷河は俺たちとは年が近すぎたし俺たちもまだ大人とはいえなかったが、今後俺が弟子を持つとすれば年齢的には親子といって言えないことはない。 俺たちにはそういうのが向いてるよ。 まさか、ここで星の子学園から子供をつれてきて養子にするわけにもいかんだろう。 そんなことをしたら美穂があきれるぜ。」

   どんなに望んでもカミュが子を生むことはないし、俺も生ませることなんてできやしない
   それならいちばん現実的なことを考えたほうがいい

現実に戻りきっていないカミュの関心を弟子の育成に向けるのはいい考えだ。
「お前の弟子か! たしかにその可能性はある。」
「だろ♪ 次代の蠍座が凍気の技も身につけているっっていうのはちょっといいぜ!」
「そうだな、そうしよう。」
このあたりでカミュの心理も元に戻ったようだ。
「じゃあ、メンタルケアはここで終わりってことで。 次はフィジカルケアでいいかな?」
くすっと笑って覗き込むと白かった頬が真っ赤になった。

「もしも目が覚めて子供を捜したくなったら一人で行くな。 俺を起こしてくれればいい。 一緒に行こう。」
幸せに満たされたカミュが眠りに落ちる前にミロがささやいた。
「俺たちの子供なんだからな、二人で探すのが当然だろう。」
「ん………ありがとう…」
その夜もそののちも、カミュがこの類の夢を見ることはなかった。
胸の奥に封印された母性はいつかミロが弟子を持ったときに発揮されることになる。







        
雪女の伝承はいろいろで、
        湯に入れたら消えてしまってつららだけ残っていたとか、春になったら姿を消したとか。
        小泉八雲の話では、雪女に出会ったことを誰にも言ってはいけないという約束をしたのに、
        そのことを話した妻が実はその雪女だったということになっています。
        正体を知られた彼女は生んだ子を残して泣く泣く姿を消したということに。

        なにしろ雪女ですから、古典読本で昔の話に仕立てると添い遂げられない哀しい話になるのがお約束。
        しみじみと素敵でしょうが、それではサイトの主旨にそむきます、ですから見聞録に。

        蠍座の弟子、ほんとにいつか来ますよね、
        そのときにはきっとミロ様はカミュ様に助けを求めます、というか、それにかこつけて一緒に暮らせるようにします。
        
「お前の方が弟子に関しては大先輩だからな、ノウハウを教えて欲しい。」
        ミロ様、弟子そっちのけでカミュ様に溺れないようにお願いします。


    「ちょっと聞いてもいいか?」
    「なんだ?」
    「夢の中で俺と結婚したときさ………ええと、子供ができるようなことを経験したわけだろ。 その記憶って具体的なわけ?」
    「つまり、女の私がお前とどのような夜を過ごしたか知りたいということか?」
    「そういうことだ、後学のために、いや、なんの後学にもならないが聞いておきたい。」
    「それは………」
    「それは?」
    「言わぬが花だ。」
    「え〜〜〜〜っ!」
    「世の中には知っていたほうがいいことと知らないほうがいいことがある。 そうではないか?」
    「で、でも俺は知りたいっっ!」
    「でも私は言いたくない。」
    そうしてカミュが真っ赤になったのでミロはそれなりに満足したのだった。



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