「 箱根関所 」


箱根・芦ノ湖畔にある箱根関所は江戸時代の箱根の関所の姿をありのままに伝えようと史実に忠実に再現された施設である。 幕府が設置した関所には中仙道の碓氷関、甲州街道の小仏関、日光街道の栗橋関などの諸関があるが、明治二年に関所制度が廃止され取り壊されてからはその全容を知る手がかりは失われていた。
しかし、近年になって慶応元年に行なわれた箱根関所の詳細な解体修理の記録が発見され、その姿が初めて明らかになったものである。

「ふうん………水戸黄門ではたまに見かけるが、こんなふうだったのか。」
いろいろな展示物を見て感心しているのはミロだ。
「見てみろよ、関所破りをしようとした奴を取り押さえるための道具だそうだ。 ずいぶんと迫力があるじゃないか!」
ミロが指差したのは、刺股 ( さすまた )、突棒 ( つきぼう )、袖絡 ( そでがらみ ) のいわゆる三つ道具である。
いずれも7尺、今の単位でいえば2.1メートルという長さのたいへんな代物だ。 先端の金属部分には鋭いトゲ状の突起が無数にあって危険極まりない。
「こんなのでよってたかってかかってこられたら、なるほど逃げられないだろうな。」
「うむ、普通の人間では逃れることはとうてい出来ぬだろう。 関所破りは重罪だ。 」
「ええと……入り鉄砲に出女 って?」
ミロが次の展示の前で立ち止まった。
「江戸幕府は諸大名の謀反を警戒し、江戸に鉄砲が入ることと、大名が江戸の屋敷に留め置いている妻女が江戸から出ることを極端に警戒したという。 そのため、江戸から諸国への道筋に関所を設け、そこで鉄砲と婦女子の出入りを厳重に監視したのだそうだ。」
「ああ、参勤交代ってやつか! たしか、人質代わりに妻を江戸の屋敷に残して藩主だけ国許に一年間帰るっていうとんでもない非人間的な措置だな、許しがたい!」
「幕府が成立した当初は旧豊臣方の大名の恭順が確立していないと思われたため、そのような手段を取ったのだろう。 安定政権を確立するための方策だ。」
「俺は嫌だね、大事なお前と一年ごとに逢えなくなるんだぜ、冗談じゃない!お前からはなれて過ごす一年なんて無味乾燥だ!」
「それは杞憂だ。 幸い、私たちは江戸時代の大名のめおとではないのでその心配はない。」
ミロは幕府のやり口に憤懣やるかたない様子なのだが、カミュはまったく気にしない。
ミロにはおよそ字とは思えない通行手形の古文書をじっと興味深そうに見ているカミュの横で、ミロの思考は他のところに飛んでいく。

   たしかに俺たちは大名夫婦じゃないが、俺とお前が江戸から京都見物に行く二人連れだとしてみよう。
   いったい、どういうことになると思う?


「次の者、出ませい!」
取次ぎの侍の声にミロとカミュが面番所に入ってきた。 いかにも江戸っ子らしいいなせなミロと知的な美貌のカミュである。幼馴染みの二人が連れ立って京の都に行こうというのだから、よほどに気が合うのだろう。
役人があらかじめ差し出されていた通行手形を改める。
「ふうむ、日本橋蛎殻町の飾り職人ミロと蘭学医のカミュと申すか。」
上座に座っているのは小田原藩から赴任してきた嵯峨双児之助、当年とって二十八歳、爽やかな面貌の青年武士である。
「取り立てて不審の点もございませぬな。」
次席の役人が通行手形をたたんでミロに返そうとしたときだ。
「待て、いま少し詮議したい。 カミュとやら、そのほうにはいささか尋ねたいことがあるによって、 ミロはしばらく控えておれ。」
「…え?」
二人は顔を見合わせた。 簡単に通れると思ったのが、案に相違して時間がかかりそうではないか。
「私だけとはいったい何のご詮議だろうか?」
「なあに、たいしたこともないだろう、蘭学に興味があるのかも知れん。 夕方には宿に着けるはずだ。じゃあ、待ってるからな。」
下役人がミロを外に連れ出すと、嵯峨がすっと立ち上がった。
「カミュとやら、ついて参れ。」
「え?」
この場で詮議をすると思ったのだが、どうやらそうではないらしい。 どうしたものかとためらっていると、
「早う立ちませい!」
下役に促されて、カミュは嵯峨のあとについてゆくことになった。
連れて行かれた先は番所から渡り廊下で繋がっている奥の建物で、どうやら嵯峨の居室とおぼしいのだ。
「入るがよい。」
「あの……」
「よいから入れ。」
先に立って入った嵯峨にうながされ、わけがわからないままにカミュは中に入り障子を閉める。 六畳と八畳の続き間は木の香も新しく畳の色も美しい。 床の間には山水の軸と高雅な香りを放つ菊が飾られ、嵯峨の趣味を語っていた。
「ありていに申せ。 そのほう、まことは女であろう。」
「えっ!」
思わぬことを言いかけられてカミュは驚いた。
「なにを馬鹿なことを…!」
「それほどの美形が男と言いぬけて関所を抜けようともそうはいかぬ。 この嵯峨の目はごまかせぬぞ。」
「なにをなさるっ!」
すっと動いた嵯峨があっさりとカミュの身体を捕らえた。
「女が男のなりをして関所を抜けようなどとは不届き千万! この嵯峨みずからがとくと詮議して、きつく仕置きしてくれようぞ!」
「私は女などでは……!」
「果たしてそうかな………では身体で教えてもらおうか…」
「ああっ…」
「ふふふ……」
小田原藩でも剣の腕では三指に入るほどの嵯峨の腕から逃れることはとうていカミュにはできぬのだ。 やすやすと組み敷かれて耳元に暖かい息を吹き込まれたカミュがぞくりと身を震わせる。
「ほう………なかなかいい肌身をしておるな。 なにも恐れることはない、呼ぶまでは誰もここには近づかぬ。安心して抱かれるがよい。」
「い、いやっ……」
危急の際にも、人に聞かれるのを恐れるあまり声を殺して震えることしかできぬカミュなのだ。 嵯峨の胸を押し返そうにも相手の力の方が数倍まさっている。 手慣れた様子で襟元にすっと手を差し入れた嵯峨が、おや?という顔をした。指先に触れたのは………。
「ほぅ!………そのほう、まことに男か?」
「あ、当たり前だっ、わかったら離してもらおう!」
「いや、気が変わった。」
「なにっ?!」
「男というならさらによし。 春の箱根の夕暮れにしっぽりと濡れるのも一興ぞ。 しばし付き合え。」
「え………」
ああ、なんということか! この嵯峨双児之助は小田原藩で男色にとかくの浮名を流し、ついに刃傷沙汰まで引き起こしたのだが、当人が次席家老の次男であったため表立った処罰もできず、形ばかりは重いお役目ということで箱根の関所の筆頭に追いやられているのであった。 これ以上騒ぎを起こされてはという藩の配慮で、関所詰めの侍はみな無骨でおよそ美形とはほど遠いご面相の年配者ばかりが集められており、さしもの嵯峨もまったくその気にならぬのは言うまでもない。
それではと、関所を通る者の中から美しい男と見ればこのように居室に引き込むことも数知れないのだが、他藩との揉め事はまかりならぬとの親の意見は身に沁みているとみえ、侍にはかまえて手は出さぬ。 あとくされのないように町人を選んでことに及ぶのだ。
下役は見てみぬふりで、どうしようともせぬ。 なにしろ不審の点の詮議を責任者みずからが時間をかけて執り行うというのだから口を出す筋合いではないのだ。 これで嵯峨の困った病が発散するのであれば、藩には痛くも痒くもない。 町人風情の詮議に手をかけ時間をかけたからといって、その内容に異議申し立てなどあるはずもないのだ。
このところ、好みの男が見つからぬ日が続き、嵯峨の機嫌がだんだん悪くなってきていた折も折、日暮れ時に現われたカミュを見て、下役一同ほっとしたというのが事実である。

「これ、余計な力を抜かぬとそのほうがつらいだけだ………じっとしておれば、すぐに具合よくしてやろう………ん? もしかすると………」
嵯峨が手を止めた。抱きすくめられた カミュの肌はすでに汗に濡れつくしており、心なしか甘やかな香りさえするようだ。
「そのほう、すでに男を知っているな!」
「あ…」
カミュが真っ赤になった。顔をそむけて必死に耐えているのだが、弱いところを次々と責められてこれ以上甘い喘ぎを抑える自信がなくなりかけていたところをこの道には慣れている嵯峨に早くも見抜かれたのである。
「なるほどな………これは面白い! 相手はミロか?」
「っ………」
「図星か………ふうむ……面白くなってきた。 表からミロを隣りに連れてきて一切合財を聞かせてやってもよいのだぞ。 ぞくぞくせぬか? 」
「……そんなっ!」
「嫌か?」
「い、嫌だっ……そんなっ、そんなこと!」
「ならば言うことをきけ! いつまでも抵抗するなら、ミロにお前の声を聞かせるがよいか? さぞかし驚くだろうな、ますます興が加わるというものだ。 声を出さぬというなら境の襖を開けてやってもよいのだぞ。」
カミュが息を飲んだ。 おののき震えていた身体から力が抜けて観念したように眼を閉じる。
「わかったようだな、言うことをきけば悪いようにはせぬ。 それに………」
嵯峨が含み笑いを浮かべた、
「お前のミロより上手いかも知れぬぞ、とくと味わうがよかろう。」
嵯峨の手が伸びた。

四半時ほどして小廊下のほうでカタリと音がした。 思わぬ獲物に我を忘れていた嵯峨が気にも留めずにいたとき、いきなり右腕をねじ上げられて引き起こされた。 間髪を入れず かんざしの尖った先が喉笛に押し当てられる。
「騒がないでもらおうか。 様子を見に来ればこのざまだ!とんでもないことをしてくれたな!」
不覚を取った嵯峨がさすがに蒼白になった。声は抑えているものの、ミロの怒りが肌を通して伝わってくる。
「カミュは返してもらう。 まさか異存はあるまい。」
手荒く畳に突き飛ばされたときには、どこをどうされたのか肩を脱臼していて床の間の刀を掴むことさえできはしないのだ。
打ち伏したまま顔をそむけているカミュにふわりと着物を掛けておいて、
「おい、貴様、人の上に立つ身でありながら今までにもこんなことを散々やっているな。 どうしてくれようか。」
そう言うミロの目が氷のようで、さしもの嵯峨をぞくりとさせる。
「貴様こそ このままですむと思うなよ! 関所破りは天下の大罪、江戸送りにして磔刑になるのは貴様らの方だ!」
「ほぅ………そうかな?」
助け起こしたカミュに手早く帯を結んでやりながらミロは余裕を見せる。
「貴様は知らんだろうが、このカミュの父御は将軍家 吉宗公の侍医 荻生北渓殿だ。 その兄の荻生徂徠殿の名は貴様風情でも聞き及んでいよう。 去年の秋には品川の浜御殿で上様に拝謁も許されて、蘭学について直々のご下問も受けているのだ。 そのカミュに手を出したおのれがどうなると思う?」
意外な言葉に嵯峨が蒼白になる。
「そ、そのような出まかせを………っ!」
「疑うなら江戸表に使いを出すがいい。 返事が来るまで何日でもここに逗留して貴様の今までの素行を役人どもから聞き取ってもよいがどうする?」
形勢逆転は明白である。 嵯峨が唇を噛んだ。
「得心がいったら下役を呼べ。 俺たちの通行を許可してもらうおうか。 通行手形も忘れるな。」
ミロの背で重い溜め息が聞こえた。



   ざっとこんなもんだな!
   まったく、関所なんてけしからん! 

「ミロ、なにをしている? 早くせぬとお前の乗りたがっていた海賊船が出てしまうが。」
「あ………ああ、今行く!」
ミロが急ぎ足で出口に向っていった。





             
時代物、万歳! 面白すぎですっ!
             最後まで残っていた禁断のジャンルに手をつけてしまったような気が。