「 免 罪 符 」
「私も少しは飲んでみよう。」
カミュがそう言ってブランデーグラスに手を伸ばしたのには驚いた。
「おい、大丈夫か? ブランデーだぜ!」
「だから、少しだと言っている。 ミロは私に飲ませたくないのか?」
「いや、そんなことはないけどさ………ちょっと驚いただけだ。」
そう言いながらグラスに残っていた琥珀色を飲み干して、慎重にカミュにふさわしいだけの僅かの量を注いで、手渡してやった。
「よい香りだ。」
手のひらで暖めながらゆっくりとグラスを揺らしていたカミュは立ち昇る香りを楽しみ、ほんとに少しずつ舐めるようにブランデーを減らしてゆく。
「喉が焼ける。」
「アルコール度数が40から50くらいあるからな。 ワインが14度程度だからかなり強い。」
知っている、と頷きながらグラスを揺らすカミュがまたグラスを口元に運び、息を止めながら一口飲んだ。
初めてブランデーを飲んだとき、いや、飲もうとしたときは飲む瞬間にグラスの中の濃い香りを吸い込んでしまいかなりむせて涙まで浮かべたものだ。
今ではそんなことはなくなったが、たまにブランデーを飲むときにはいかにも慎重に、まるで儀式を執り行う司祭のようにグラスを扱うのが面白い。
10分ほどかけて飲みきると肩で大きく息をつきテーブルの奥にグラスを置いた。
「大丈夫か?」
「このくらいは平気だ。 見損なってもらっては困る。」
そう言いながら早くも首筋まで真っ赤にしたカミュが俺にもたれかかってきた。
「ほら、もう酔いが回ってきただろうに。」
「そんなことはない。 私は正気だから。」
そんなことを言うのがすでにいつものカミュらしくない。 手足も重そうで、力なくソファの上に投げ出した手も淡い紅になっている。
「お前とこんなふうに飲めて嬉しいよ。」
肩を軽く抱えてやりながらゆったりとグラスを揺らしていると、カミュが一つ溜め息をついて身じろぎをした。
「………どうした? 眠くなったらこのまま寝てもいいんだぜ。」
「そうではない………そうではなくて………………」
それきり何も言わないカミュは眼を伏せ、溜め息をつき、ゆるゆると首を振る。
「ミロ………私は……」
「ん?」
「どうやら………酔ったような気が……する………」
「飲みなれないブランデーなんか無理して飲むからだよ。 飲めないんだから、俺に付き合うことはないんだよ。」
このままベッドに連れて行って寝かせたほうがいいかな、と思っているとカミュがもう少し飲むと言い出した。
「ほんとに? ブランデーはきついぜ、歩けなくなるかもしれんが。」
「かまわぬ………もう少しだけでいいから…」
まあ、いいだろう、街で飲んでるわけじゃなし、隣のベッドに連れて行くのはわけもないことだ。
それにしても珍しいこともあるものだ。
「それじゃ、少しだけだぜ。」
グラスの琥珀をほんの僅か口に含んだ俺は花の唇にそれを流し込む。
「ん………」
わずかに眉をひそめたカミュはゆっくりと飲み下し、甘い息をついた。 眼がとろんとして吐く息は熱い。
「酔った………かもしれぬ……」
「そうだな、お前にしてはずいぶん飲んだ。」
「ん………」
それきり黙ったカミュは眼を伏せたままじっとしている。
「もう寝るか? 起きていられないだろう?」
「寝たくは………ない…」
「まだ飲むの?」
「ううん…」
そう言って首をゆるゆると振るのがいつものカミュではない。 正気なら、いや、もう飲まぬ、と言う筈のところを、ううん、などというのは滅多にあることではないのだから。
「カミュ?」
うつむいた顔をのぞきこむとますます顔をそむけて重い溜め息をつく。 様子がおかしいな、と思ったときカミュが動いた。
あ………
カミュが俺の首に手を回し口付けてきた。 遠慮がちだが明らかにカミュからの口付けで、甘い吐息とブランデーの香りで俺の頭もクラクラしてきそうだ。
そっちがその気ならと、ぐっと引き寄せてお返しのキスをする。 やさしく唇を重ねてやわらかく濡れた感触を丹念に確かめていると、身を揉みこむようにしてカミュが俺にすがりついてきた。
「ミロ………ミロ……………あの………私は…」
みなまで言わせなくとも、カミュの気持ちは痛いほどわかる。 なのに、その薄紅に染まった素肌を俺はむざむざとベッドに押し込んで眠らせるところだったのだ。
俺が気付かないでいたものだから、今日はカミュから誘わせるようなことになってしまったが、たまにはそれもいいだろう。
「わかっているよ………カミュ…」
ソファの横の明かりをごく淡い光におとすと熱い身体をやさしく横たえる。 ボタンを一つ二つとはずす間もカミュは待ちきれない様子で身悶えてそれもまた珍しい。
荒い息遣いはほとんど喘ぎに近くて、何もしていないうちから感じているとしか思えない。
だいぶ酔ってるな………途中で眠ってしまうのじゃないか?
しかしそれは杞憂だったようだ。 露わになった胸に唇を落としてゆくと俺の髪に手を差し入れたカミュがまるで逃すまいとするかのようにやさしく力を込めてきた。
それに応えてこちらも若い蕾を含んでやわらかく舌先で転がしてやると、たちまち上がる嬌声は俺の名を交えながら高く低く糸を引くように薄闇をつたうのだ。
「ミロ………ああ、ミロ………もっと………いやぁ………………いやだから……」
精一杯に背をそらし、あらぬことを口走りながら足を絡ませてくるというのも珍しい。
ともかくカミュが俺を求めているのは明白だ。 酔いが回って眠り込まぬうちにと、俺も思い切ってカミュを可愛がってやることにした。
「なんでもしてやるから言ってみて。 お前が喜ぶならなんでもしよう………ほら、こんなことも……」
「あ、………ミロ、ミロ………」
カミュは後ろから抱かれるのを好む。
むろん自分からそんなことを言う筈もないが、毎日のように抱いていればすぐにわかることだ。
たぶんそれは、快感にとろけそうになる顔を見られることなく存分に俺の愛撫に身を任せられるからではないかと思うのだが、カミュに聞いたわけではないので真偽のほどはわからない。
ただ、立っていても寝ていても、そして今のようにソファに腰掛ける体勢になっていても後ろからの愛撫には反応するのが早い。
声も正面から向き合っているときよりはあまり控えることなく素直に出せるようだ。
俺としても小さい蕾に愛を与えてしなやかに反り返る身体の重みを楽しみながら手を伸ばしてゆくのがなんともいえぬ歓びなのだ。
「ここも………待っててくれた?」
「………ああっ………いやぁ……っ」
湧き上がる嬌声を押さえ込もうとして果せずに、甘い悲鳴が闇を縫う。 酔いが回って力の入らない手足が熱くて俺に身体をあずける四肢の重さも快い。
ブランデーの酔いも手伝ってもっと可愛がってやろうと姿勢をこちらに向けさせたときだ。
「ミロ………私も…」
荒い息の下からやっとそれだけ言ったカミュが床に膝をつきながら俺の胸に唇を寄せてきた。
カミュは自分からはあまりそういうことをしない。 俺があまり可愛がってばかりいたので、夜の過ごし方というのはそういうものだと思っているのかもしれない。
むろん俺はカミュにしてやることが嬉しいし、それでカミュが喜んでくれるのならそれに優るものはないのだが、こうしてカミュから奉仕されてみると………うん、なかなかいいものなのだ。
「ああ………とてもいい……カミュ、いい気持ちだよ…」
俺の胸にかかる真っ直ぐな髪を指で梳いてやると熱い溜め息が胸にかかりますますいとしさが増してくる。 カミュの仕草はまったくの初心者のようでとても上手とは言えないが、それがかえって俺を感激させる。
「ミロは………」
「…え?」
カミュが慣れつけない愛撫をとめて上目遣いに俺を見る。 酔いと羞恥に頬を染め、潤んだ瞳がきらきらとして美しい。
「私に……されて……嬉しい?」
「もちろんだ! 嬉しくて嬉しくて天に昇りそうだよ。」
真剣に聞いてくるカミュが可愛くて、形の良いあごに手をかけてやさしく口付けた。
「とても嬉しいよ………俺のカミュ…」
「私はどうやら………ほんとうに酔ったみたいで………」
眼を伏せたカミュはおのれの仕草に恥じらったようでそんな言い訳をするのだ。
「素敵な酔い方だ、歓迎するよ。」
「もっと………」
「ん?」
「もっと………あの……ミロを嬉しくさせるから………」
小さな声だったが、たしかにそう聞こえたのだ。
もっと……嬉しくさせるって?
すぐにはピンとこなかった俺も、カミュが背を丸めて唇を寄せてきたときにはっきりとわかったのだ。
熱い唇がおずおずと触れて、そっとそっと柔らかく俺を包みこみ、そしてどうすればいいかわからずに息を止めているらしい様子が俺をドキドキさせた。 きれいな髪が滑らかな背を流れ落ち、俺の腿をくすぐってゆく。
「カミュ………」
カミュを脅かしてしまいそうでほんのわずか動くことさえできなくて、心臓が破裂しそうだ。
そして何秒たったろう。 カミュがわずかに舌を動かした。 たぶんそれは意図してやったことではなくて、この先どうしていいかわからぬもどかしさが偶然にさせたことなのだろうと思う。
えもいわれぬ熱さの中でじっと緊張に耐えていただけに、その刺激は強烈で思わずうめいてしまう。
驚いたのか、カミュがやっとのことで (と、俺は思う ) 唇を離し、震えながら溜め息をついた。
「あの………」
「……なに?」
「どうしていいのか………わからないのだけれど………」
蚊の鳴くような小さな声でやっとそれだけ言ったカミュが真っ赤になった。
「あの………私はとても酔っていて………あの……」
艶やかに震えるこの赤い唇が俺を愛してくれたのだ。
「わかってる……酔っていて覚えられないかもしれないが、お前さえ良ければ手本を見せようか?
どうすればいいか、きっとわかると思うから。」
「ん………そうしてくれてよい………」
そうして俺は手本を見せた。
手というよりも、それはむしろ唇で。
「ミロ………ミロ………」
両の手で顔を覆ったカミュは羞恥に身をすくめ、嗚咽しながら俺の名を呼んだ。
返事の代わりに俺はカミュを愛撫する。この上なく丹念に、幾度も幾度も繰り返し。
こうして勇気を振り絞ったカミュはまた一つ大人への階段を上ったのだ。