「 悩 む 人 2」
うとうとしているうちにいい夢を見ていた。 カミュを抱く夢だ。
そんな夢を見ることは少ない。 なんといっても眠るときはたいていカミュをやわらかく抱いている。
そうするとそれが関係あるのかはわからないが、カミュを抱く夢は見ないのだ。
きっとあまりに手の中にありすぎるのでかえって夢の中には現われてくれないのだろうと思う。
今日の夢の中のカミュはとても………そう、よかったのだ。
どこがどうって、いささか言いにくいがともかくカミュは積極的だった。 あまりによかったので、夢のようだと思ったのを覚えているくらいだ。 思い出しても胸がどきどきしてくる。今までの想いがすべて満たされたようで、ほんとうに素晴らしかったのだから。
カミュが一日でも早くその域に達して俺と心から睦み合う日が来るのが待ち遠しくてならないが、これは急いでも仕方がないというものだろう。 以前と比べてたしかに進歩はしているのだ。
カミュからの積極的なアプローチはまだまだ少ないが、俺からの新たな接触は許してくれるようになってきているし。
お気に入りの椅子でくつろぎながら思い出し笑いをしていたとき、俺の意識はいきなり現実に引き戻された。
カミュがいる。 それもこの室内に。
なぜ気付かなかったのだろうと身体を起こしかけたとき、とんでもないことに気がついた。
カミュがひどく動揺しているのだ、かつてなかったほどに不安定な小宇宙が俺の神経をびりびりと刺激した。
「カミュ? どうした?」
カミュを待っているうちに眠ってしまっていたので、部屋は薄暗い。 いつの間にか日が暮れて、念のためにつけておいたわずかな灯りだけがベッドサイドにぼんやりと光の輪を落としている。
眼を凝らすとドアの横の壁にもたれかかっているカミュが見えた。 うつむいて身動きもせず、俺の声が聞こえただろうに返事もしない。
なにか、あったのか? どう考えても普通じゃない!
そっと近寄って肩に手を掛けたとき、カミュがびくりと身を震わせて身体を固くした。
……え?
「さわるな………もう……さわらなくていい………私たちはもう……」
低いかすれた声が俺の耳を襲った。
「なにを言っている? いったいなにがあったんだ? おい、カミュ、しっかりしろ!」
両手で肩をつかんで揺さぶった。 まるで夢の中にいるように表情がない。涙の滲んだ瞳は俺からそらされたままで、こわばった身体が嫌な感じに冷たいのだ。
なにか強いショックを受けたに違いないと考えた俺がともかくベッドに連れて行こうとするとカミュが全身で抵抗した。
「嫌だ! 私はあそこには寝ない!もう………そこは………………私のいるところではない!」
「いったいどうしたんだ! カミュ、俺が見えるか? 落ち着け!」
俺の腕から逃れようとして、それが叶わなくて、やがてカミュの身体から力が抜けた。
「いや………いやだから………」
熱に浮かされたように同じ言葉を繰り返すカミュをかかえたまま俺は途方に暮れていた。
ともかく、ベッドは嫌だ、の一点張りのカミュを居間に連れて行くことにした。
まったくわけがわからないが、こんなときには逆らわないに限るだろう。
精も根も尽き果てたといった様子のカミュをいつもの椅子に座らせて、様子を伺いながらブランデーをほんの少しグラスに注いだ。
グラスを持たせようとしても力が入らないらしく、いやいやをするように首を振るばかりなのでそっと頭を支えてやってわずかばかり口に含ませた。むろん口移しなんかではない。
とてもそんな甘い状況ではないのだ。
少し咳き込んだカミュが俺をちらっと見てまた眼をそらす。 それでも、帰るとか顔も見たくないとかの類の言葉を言わなかったのにほっとしながら俺も椅子を寄せた。
「もう落ち着いた? 大丈夫かな………? なにがあったか話してくれないか?」
そっと手を取ってやさしくさすりながら聞いてみた。真っ白だった頬に少し赤味がさし、やっとついた溜め息が震えて呼吸を整えるのも難しいらしい。
「私は………」
「ん?」
「嫌なものを見た………わかっているだろう…?」
「……え?」
以前、俺の横で寝ていて、生首が胸の上に乗ってきて気持ちが悪かった、という夢を見たことがあるが
今度もそんな夢を見たのか?
それが俺のベッドに乗っているという夢なら、それはたしかに寝たくはないだろうが
それにしても反応がひどすぎやしないか?
それに俺がわかっているってどういうことだ?
「何のことかわからないが、説明してくれるか?」
「………いやだ」
「えっ?」
さすがにあきれた。 いくらなんでも説明なしに納得しろというのはあんまりだろう。
思わずなじりそうになったが、ぐっと抑えることにした。 一応は落ち着いて話もできているのだ。
さっきのような状態になられたら話も何もあったものではないのだ。
「では俺はどうすればいい? お前が困っているのに、何も手助けできないのはつらい。」
嫌なものを見た。しかし、それを俺に説明するのは嫌だという。 そしてベッドに行くのをひどく嫌った。
ベッドは嫌だ、というのはごく端的に言うと、抱かれるのが嫌だということではないのか?
………なぜだ?
教皇の間の廊下で誘ったときは頬を染めていた あれはいつも通りのカミュだ
いったいなにがあったんだ?
思い切って聞いてみることにした。
「カミュ………俺に抱かれたい? 抱かれてくれる?」
うつむいていたカミュの頬が赤くなり、すぐに蒼ざめた。 唇が震えて、なにか言おうとしても言葉にならないらしい。
「俺はお前を抱きたい。 大好きだからだ。 ……お前はどう? 俺のことが好き?」
握っている手がびくりと動いた。 一つ息を吸ってそれが震えながら吐かれて、閉じたまぶたから涙がはらはらと落ちた。
「好きだ………………でも…」
「………でも、なに?」
「もう………抱いてもらえない………私では……だめなのだから………」
「……え?」
「もう愛してもらえない………私は………」
「なにを言うっ!」
俺はカミュを抱き寄せた。
「ここにいる俺がお前を愛しているのに!抱きたいといっているのに、どうしてわからないっ! いつでもお前のことを考えている! 昨日も今日も明日もお前しか目に映らない!
眼をひらいて俺を見て! こんなにお前をいとしいと思っている男がここにいる!」
「ミロ………」
カミュはこのとき初めて俺の名を呼んだのだ。 今まではそれさえ避けていたのにやっと呼んでくれたのだ。
「信じて………俺を信じて………………大丈夫だから…安心していいから……」
蒼い目がまぶしそうに俺を見た。
「ほんとに………ほんとに?」
「ほんとうだ……………愛しているよ、俺のカミュ…」
「ん………」
抱かれたままでカミュはさめざめと泣いた。 俺に身体をあずけて心ゆくまで泣いていた。
「すると、俺がベッドで誰かを抱いていたと?」
「そうだ………そしてお前は………」
今は落ち着いたカミュとゆっくり話をしてる。 ベッドに行くのはまだ時期尚早というもので、居間の長椅子に座ったカミュは俺に軽く抱かれている。
「……えっ?そんなものを見たって言うのか? そいつは強烈だな!想像を絶するぜ!」
「笑い事ではない!私はほんとうに見たのだから!」
身体を起こしたカミュが抗議する。
「おい、待てよ。それが事実ならえらいことだが、有り得ないね。」
俺はカミュを寝室へいざなった。
「このシーツは今日の昼間に敷き込んだものだ。 俺が包装を開けてぴったりと敷いた。 どうだ?
しわが付いてるか?」
「……いや、人が寝た形跡はない。 袋から出したばかりの新しい品だ。」
「だろ? 誰も寝ていないから当然だ。 お前を横たえるまではと思って、俺も横になったりはしていない。」
カミュが淡い緑のシーツを撫でた。 最初の様子からは考えられないことだが、これにさわれるくらいならほとんどいつも通りのカミュに戻ったと見ていいだろう。
「ではあれはなんだったのだろう? 私はお前のところに来るときに多少は………その、そういった類のことを考えたりはするが、あまり具体的ではない。 自己の妄想を幻視するほど精神が病んでもいない。」
「思うに………」
俺は咳払いをした。
「俺の意識に直接触れたんじゃないのか?」
「……え?」
「お前が来る前に、その………いろいろ考え事をしてた。 こうだったらいいなとか、あんなふうにしたいとか………まあ、そういったことだ。 そして、そのうちに眠ったと思う、あの椅子で。」
指差したその椅子は俺のお気に入りでベッドに向かい合っている。もしあの椅子が口をきけたらいろいろとまずいことになるだろう。
「で、お前がざっと話してくれたことは俺が見ていた夢に等しいと思う、たぶん…」
「するとつまり…」
「むろん、俺が夢見ていたのはお前との………だから、お前は俺の考える、ええと、理想の愛の形を現実のものと混同したんだと思う。
妙なところで心が通じたんだよ。」
「あれが……私?」
「ええと………」
俺は真っ赤になった。
「あんなふうだったらいいな、と思ってた。 お互いにいつくしみあえたらいいな、って………で、それを心の中でシミュレーションしてた。 未来のお前の姿だと考えてくれていいと思う。」
「あれが私………あれが…」
カミュがうつむいた。自分の艶っぽい有様を見て嫉妬し羨望したのだ。 さぞかし変な気持ちだろうと思う。
「で、そろそろいいかな?」
「………え?」
「リベンジで抱いてもいい? 緑のシーツの寝心地を試してみたいし。」
「ん…」
こうしてカミュは俺に抱かれてくれた。
新しいシーツに横たえたカミュはやっぱり美しくて俺の溜め息を誘う。
「ねぇ、夢の通りにするのは………まだ無理かな?」
「あの……それはまだ………いささか強烈すぎて私にはちょっと…」
頬を染めて顔をそむけたその唇を追いかけてやわらかく包み込む。
「でもいつかきっと………そうだろう?」
「ん………」
実はカミュの名誉のために黙っていたことが一つある。
あの素晴らしいフルコースの夢のことだが、カミュの目に焼きついていた愛の儀式、とカミュは言っていてなかなか面白いのだが、その愛の儀式のうちたった一つだけ、いちばんあとのそれは俺が思ってもいないことだったのだ。
それまでのことは俺のシミュレーションとぴったり一致するのに最後の儀式だけは違っていた。
つまり、それはカミュの願望で………。
「ミロ………もっと…」
「わかったよ……」
しなやかな身体を俺は抱きこんでいった。