「 正しい球の使い方 2 」


氷河が寝息を立て始めた。
当たり前だ、もう10時を過ぎてるし、今日の訓練は先生とミロを相手にそれはそれはハードだったのだから。

たぶんいつもの1.5倍は身体を動かしたと思う。
一瞬は、俺の提案に対するミロの報復かという考えが頭を掠めたが、氷河を徹底的に疲れさせて完全に熟睡させるために違いないと思い直した。 ミロはいくら相手が子供の俺だとしても、いったん交わした約束を破るようなことはしないはずだ。 だって、あの先生が好きになった相手なんだから完璧な人間性を持っているにきまってる。 そうでなきゃ、先生の恋人だなんて俺は絶対に認めない。
もし氷河が眼を醒ましてしまったら俺は球を見るのをあきらめなくてはならないし、そうすると先生との様子を見せるというミロの約束は果せないことになってしまう。 俺が眠気に負けて眠ってしまったらそれは俺のせいだけど、氷河が起きてしまうというのはこの計画を邪魔する困った要素なのだ。 俺は氷河より年上だし、このくらいの疲れで目的を放棄するようじゃ一人前の男じゃないってことになる。 今夜はどんなに眠気が襲ってきても、起きていなくてはならないのだった。

ミロが俺に教えてくれた時刻は11時だ。 でも、氷河が寝てからベッドの中で息をひそめていた俺の耳に廊下からのかすかな気配が聞こえてきたのは10時半ごろだ。

   え………もう?!

ドキドキしていると隣りの先生の部屋のドアの蝶番がかすかに軋む音がして、たしかに誰かが中に入っていった。 ミロだっ! その瞬間にそれまで静かに流れてきていた先生の小宇宙がぷっつりと消えた。

   あ……!

今の今まで考えたことがなかったけれど、黄金聖闘士はつねに身体から発散している小宇宙を完璧に断つことができるらしいのだ。 いったいどうすればそんなことができるのか、今の俺には想像もつかない。
俺がミロから球をもらったときには先生の姿が見えていたが、その後なにも見えなくなったところをみるとおそらく球に布でもかけてあるのだろう。 俺だって、先生があくびをしたり歯を磨いたりパジャマに着替えるのを見たいというわけではないのだし、ミロだって先生のそんな姿を見せるつもりはないのだからこれは当然だ。

   ………そんな姿って………
   歯磨きや着替えより、ミロと一緒に夜を過ごす先生の姿を見るほうがよっぽど問題だよな………
   俺の考えって、間違ってないか?

   風呂場は髪や身体を洗うところだから裸になるのは当たり前だけど、
   もしかしてベッドで裸になったりしたら………俺、どうしよう???
   ………そんなの見てていいのか?

   まさか、そんなのないよな………うんっ、あるはずがない!
   風呂だから服を脱ぐのは当たり前だ、なにもおかしいことはない、ただ一緒に浴槽に入るのが問題なだけで。
   寝るときはパジャマに決まってる、ただ一緒にベッドで寝るだけだ
   好き同士だから抱き合ったりキスしたりはするかもしれないけど、それだけだ、うん、そうに決まってる!
   俺が一緒にいるところを見せてくれって言ったから、ミロは先生と一緒に寝るところを俺に見せてくれるんだ
   裸になるなんてことを考えた俺って、どうかしてる!

いろいろなことを考えていると時計が11時を指した。
見つめていた球にいきなりなにかが映った。 
ミロだ! こっちをみてウィンクしてる!部屋は薄暗いけどなんとか様子はわかるのだ。
ドキドキしながら見ていると、ミロがくるりと背を向けて向こうに行く。
ミロの金髪はほんとにきれいで………うわっ、背中がっ………ミロ、裸になってる?? ど、どうしてっ?

俺の目はミロの予想外の後ろ姿に釘付けになった。 肩幅が広くて肩の筋肉が盛り上がって背筋もきれいだ。 そして腰がきゅっと引き締まって、ああ、どうしよう、向こうに離れていったらお尻も見えてきた! すっごく引き締まった大人の身体だ。 俺と氷河の子供っぽい体つきとは全然違う。
ここで俺はやっとミロの歩いていく方向になにがあるのか悟った。 先生のベッドだ。 そしてそこには先生が寝てた。

   裸のミロが一緒に寝るのか? ほんとに???
   そんなの、先生も恥ずかしいよ、きっと!
   だって、だって裸なんて………!

先生がうつ伏せになって寝ているのがちらっと見えて髪の毛がきれいだと思った瞬間、ミロが毛布をちょっと持上げて慣れた様子でするりと先生の横に入りこんだ。
そのとき先生の上半身がほんの一瞬見えたのだ。
先生も裸になってる〜〜〜っっ!!

   え、え、え、どうしよう〜っ、どうして先生も裸っっ??!!
   なんで? なんで? なんで〜〜っっ??
   寝るときはきちんとパジャマを着て寝なさいって教えてくれたのに、今日はどうしてっ?
   何も着ないで寝たら風邪引いちゃうのに!

大混乱した俺がどう考えていいのかわからずに唖然として球を見つめていると、先生がミロのほうに腕を伸ばして顔をくっつけた。 その腕がとてもしなやかできれいでびっくりしてしまう。
ミロが先生にキスをした。 ミロの陰になってて先生の顔はほとんど見えないけれど、たしかにキスしたに違いない。

   わぁ………好き合ってるとほんとにキスするんだ………俺、初めて見た………

でもこれはほんの序の口だった。
次にミロは先生の耳にキスしたらしい。 先生が眼を閉じて顔をのけぞらせて苦しそうに見えるけど、どうなってるんだろう? 半分見えてるミロの背中は落ち着いてるけど、毛布の下で先生がしきりに身動きしているのがわかる。
と、ミロがいきなり身体を起こしてその拍子に毛布が腰の辺りまでめくれてしまった。

   わっ! そんなことしたら先生の胸が見えちゃうじゃないか!

俺が慌てているとミロが先生の胸に唇を押し当てた。

   あれ? どうして?  なんで、そんなことするんだ?
   唇とかほっぺたにキスするのはわかるけど、なんで胸に?

そのうちに先生がミロの頭を抱えるようにして髪を梳き始めた。……… あれ?いつの間にかミロは手を伸ばして先生の………え? ええと、乳首にさわってる………なぜ?もしかして、キスしてるのはもう片っ方の乳首??………え?なんで?
先生はしきりに身体を動かして、逃げたいけど逃げられないみたいなそんなふうに見える。
どうして? どうして? どうして??
じっと見ているうちにだんだんとわかってきた。 先生は気持ちがいいみたいなのだ、どうもそうらしい。
暗いけれど表情はなんとかわかる。 今までそんな先生を見たことがなかったけど、ほんとに嬉しそうでしきりにミロを抱き締めて背を撫でたりしているのだ。

   先生、ミロのことがほんとに好きなんだ………

そのうちに先生が姿勢を変えた。 
いや、変えようとしたみたいだったけどミロに引き戻された。ミロの向こう側で横になっている先生の手がこちらに伸ばされてミロの手を探り当てる。
………あれ? その手を自分の方に引き寄せた先生は………あ………
ミロは完全に横向きになっていて俺からは均整の取れた後ろ姿だけが見えている。 こちらに顔を振り向けた先生にミロがキスをした。 何度も何度も繰り返されるそれはとてもやさしくて、仲がいいのが俺にもわかる。 ミロの手はその間も静かに動かされていて………。

胸がどきどきする。 
だって、二人とも裸で………きっとこれは秘密のことなんだ、そうに決まってる!
でも、俺はミロに無理を言って先生の秘密を見てる。
先生はこれを知ったらどう思うだろう………そんなこと考えるまでもない、怒るどころか蒼ざめて絶句するだろう。
俺の顔が見られなくて、部屋に閉じこもってしまうかもしれない。 
それを許したミロと気持ちが通じなくなるかもしれない。
そしたら………そしたら、先生が孤独になってしまう!

だめだっ! これ以上見ちゃいけないっ!!
俺は球をおっかなびっくり抱えると、氷河を起こさないように注意しながら箪笥の引き出しにそっと入れた。 音を立てないように引き出しを閉めるとき、ちらっと見えたのはミロが先生を抱きしめようと腕を伸ばしている姿だった。



暗い天井を見ながら考える。

   無理を言って大人の世界を見ちゃったけど、やっぱり悪いことをしたみたいだ
   先生には先生の世界があって、俺みたいな子供が勝手に踏み込んじゃいけないんだ!
   ミロはあんなふうに先生を愛してくれていて、それは俺に見せられるほど自信がある愛しかたで
   先生もこのときだけは俺たちを育てることを忘れてミロを愛せるだいじな時間なんだ

隣りからは相変わらず何の小宇宙の気配も感じられはしない。
半年に一度くらいやってきて三晩ほど泊まっていくミロを先生はどんなに心待ちにしていることだろう。 きっと会いたくて会いたくて仕方ないのに、たったそれしか会えないんだ。
聖域にいる黄金聖闘士にはいろんな使命が下るって聞いたことがある。 ここにいて俺たちを育ててる先生にはそんなことはないけれど、ミロだって時々は危険な目に遭ってるんじゃないのかな。 ただ俺たちにはなんにも言わないだけで。
もしかして黄金より強い敵だっているかもしれない。 でもきっとミロは恐れずに立ち向かっていくだろう、だって黄金だから、アテナを守る聖闘士だから。
けれどミロが無事かどうかは先生にはわからない。 半年たってミロがやってきたときに、やっと先生はほっとするのだ。 不安で不安でたまらなくなっても、先生は俺たちとの訓練を欠かさない。

先生が大好きだ。 その先生をあんなにまで愛してくれているミロのことも大好きだ。
俺たちがいるから滅多に逢えなくて、たまに逢えても気付かれないようにしなくちゃいけなくてどれほど不自由かけてることだろう。

もう球は見ないから。
もっと自由に先生にやさしくしてくれていいから。
あんなこと頼んだ俺がいけなかったです、俺たちじゃミロのかわりにはなれないんだってよくわかったから。
風呂場の掃除だけきちんとしてくれれば、それでいいです。

目を閉じると、凍気を指先に集めて一気に放つ先生の姿とミロに手を伸ばす先生の姿が重なって見えた。
どっちも大事な俺の先生の姿だった。





           
結局、アイザックは途中で見るのをやめました、いかにもうちらしい結末です。
           でも、たしかにアイザックは大人への階段を一歩のぼりました。

           え? 氷河は階段をいつのぼるかですって??
           彼は白鳥の舞いを会得して、聖闘士への階段をまっすぐにのぼっていくのです、
           先生とミロとの関係にはずっと気付きません、そのほうが氷河らしいでしょ。