「 正しい球の使い方 」
シベリアで弟子の育成に励んでいるカミュを訪ねるときになにを持っていくか考えた俺は石鹸を手作りしてみることにした。むろんアテネに行けばいくらでも売っているのはわかっているが、たまにはこういうのもいいだろう。
もちろんただの石鹸では面白くもなんともない。あれこれと考えた末に選んだのはカモミールの香りのする石鹸だ。こういえば勘の鋭い読者諸氏にはすぐにわかってもらえることと思う。そう、カモミールの花の香りは林檎の香りとよく似ていて、その名の語源は大地の林檎という意味のギリシャ語に由来する。
そのカモミールの石鹸を持ってシベリアに行った俺は、アイザックと氷河が寝入った後で渋るカミュを説き伏せて一緒に風呂に入ることに成功し、二人でカモミールの石鹸を楽しんだ。
「ミロ…‥私はもう…」
「わかった。寝室に行こう。」
はやる気持ちを抑えきれないままにカミュをかかえて寝室にゆき、あとはもう情熱のおもむくままに幸福な時間を過ごしたというわけだ。
カミュを抱いたまま寝入ってしまい、はっと気が付くと窓の外はすっかり明るくなっている。
しまった!寝過ごした!
アイザックと氷河が起きているのではないかと思ったとたん、浴室を片付けないままに寝室に来てそのままになってしまったことを思い出す。
まずい!実にまずい!浴槽の中でカミュを愛して、湯も抜かずにそれっきりだったのだ。あれをアイザックたちに見られたらと思うと冷や汗が出る。カミュを起こさないようにしながらそっとベッドからすべり出て手早く服を着ると廊下に忍び出た。ドキドキしながら浴室に向かうと、ああ、時すでに遅く、中からアイザックと氷河の声がする。それと同時に湯を抜く音が聞こえてきて俺は狼狽するしかなかった。
「見て、アイザック!掃除もしてないし、お湯も抜いてない!」
「ミロもミロだよな。使ったタオルもほったらかしだし。自分が使った後くらい片付けるのが常識だろ。先生もいつもそう言ってるのに。」
「うわっ!中に石鹸が沈んでた!べとべとだよ、どうしよう?」
「この石鹸って……ふ〜〜ん……なんだかなぁ……いいよ、もう、ほっとこう。俺たちが片付けることはないからあとでミロにやってもらえばいい。自分のしたことは自分で責任取るべきだ。それよりも朝食の用意をするほうが先だし。」
「そうだね。」
なんだかんだと話し合った後、アイザックと氷河が風呂の掃除をせずに出て行った気配がしたので、廊下の角に隠れて気配を窺っていた俺はそっと風呂場に戻って隅から隅まできれいにする作業に没頭した。
今朝は俺が朝食を作るつもりだったのにすでに台所ではアイザックと氷河がいつも通りに飯の支度を始めている物音がする。
今さら、どの面さげてあいつらに会えるっていうんだ??
お子様の氷河はともかく、アイザックはまずい、実にまずい!!
あいつはきっと気付いてる!
溜め息をつきながら浴槽の底で惨めな姿を晒している石鹸を拾い上げると、悔しいことに昨夜の情事の証拠までしっかりと絡み付いている。これを見られているとしたら、とても言い逃れできる状況ではない。
ああ、俺ってやつは………
情けなさのあまり涙が滲んできた。 あの時は頭に血が上っていたのに、今となっては血の気が引く思いだ。
証拠物件は取り除くとして、せっかくカミュのために手作りした石鹸をなんとか復元できないかと思うのだが、ここまで水分を含んで半ば溶けかけている石鹸をいったいどうすれば??
素人考えでは、ある程度水分を取り除き、型にはめて成形をやり直し、さらに水分を除けば何とかなるような気もするのだが、この極寒の地で太陽熱での自然乾燥は望めない。
それができるのは凍気を操れる聖闘士だけで、この地でそれが可能なのはカミュと氷河とアイザックで………とてもじゃないが、
頼めるわけがないのだった。
朝食は散々だった。
食卓の用意ができたところで氷河がカミュを起こしにいき、いつになく寝坊したことにやや頬を赤らめたカミュが席に着いた。
どうせ外はブリザードが吹き荒れて訓練などできるはずもないのだが、昨夜遅くまで俺との時間を過ごしたカミュとしては、弟子たちの手前内心恥ずるところがあるのだろう。 普段よりも口数が少なくて、静かにフォークで皿をつついている。
それに輪をかけて俺も沈黙してしまうのだが、どんなに心を励ましても話題のかけらも口からは出ない。 むろんアイザックも、紅茶のお代わりやら遠くのジャムを取ってくれたりはしてくれるものの、ときおり俺に向けてくる視線は永久氷壁よりも冷たく固い。
ただ一人、事情をさっぱり察していない氷河だけが、オーロラを初めて見たときの感動だの、冷たい海の何メートル下まで潜れるようになっただの、涙が出るほど明るい話題を出してくれて俺をほろりとさせた。
この純真さ、素直さはこいつの最大の長所だろう。 この際、洞察力・推理力に欠けるなどというシニカルな見方は俺はけっして採用しない。 氷河はほんとうにいいやつだ。
「後片付けは俺がしよう。」
そう言って立ち上がると、
「ではミロにはここを頼んで、お前たちは私とギリシャ語の勉強をしよう。 昨日ミロがお前たちのために持ってきてくれた本が教科書代わりだ。」
カミュが暖炉の上に置いてあった神話の本を手に取った。
「僕、早く読めるようになりたいです! ほんとにありがとうございます!」
氷河のやさしい言葉が俺の胸を刺し、アイザックの軽い会釈が神経をギリギリと締め付ける。
ひそかに溜め息をつきながら皿を洗っていると、いったん出て行ったアイザックが戻って来た。
「ミロ、ちょっと話があります。」
きた〜〜〜っっ!
「………話って………なにかな?」
振り向かずにひたすら丁寧に皿を洗う。 とてもまともに顔をあわせる勇気など出るわけがない。
ああ、昨日までの自信にあふれたスコーピオンのミロはいったいどこに行ったのだ?!
「わかってると思いますが、ああいうのは迷惑です。 俺たちはここで真面目に修行しているのに、どういうつもりなんですか?」
「どういうつもりって………」
とっくに洗い上がった皿だが、それこそ眼を皿のようにして見えない汚れを探してみる。 一応心の中に用意してみた言い訳の台詞はいったいどこに行ってしまったのだろう。
「氷河はなにも気付いていませんからまだしも、妙に曖昧にわからせられちゃった俺は困るんですけど。」
「………ああ……もっともだ………すまん、あやまる…」
くそっ、これが聖域に冠たる黄金聖闘士の取る態度かっっ!!
いくら身から出た錆とはいえ、口惜しいっ
しかし、やつの言うことにいったいなんの反論ができる?
「物事は中途半端にわかるよりも真実の核心に迫るまで追求すべきだ、曖昧にしておくのはよくない、といつか先生に教わったことがあります。」
………え? なにを言おうとしているんだ?
なんとなく嫌な予感にかられて、皿を洗っていた手が止まった。
「だから………」
アイザックがひとつ咳払いをした。 悔しいほどに交渉、というより通告の呼吸を心得ているんじゃないのか?
「俺が大人への階段を一つ上がれるようにしてもらいます。 今のままでは上げた足を空中から降ろせなくて不安定で、これでは落ち着いて修行に臨めませんから。」
なにぃ〜〜っ、それってまさか……!
さすがの俺も振り返った。
「アイザック!………つまりお前の言うのは……!」
「ええ、そうです。 ミロと先生の様子をはっきりと見せてください。 そうすれば俺もきっと納得できます。 ああ、先生はこんなにミロに愛されているんだな、幸せなんだな、って確信できます。
俺たちを聖闘士にするためにこんなに人里離れた厳しい土地に何年もいてくれる先生にも
『 こんなに いい友達 』 がいてくれてよかったなって思えるでしょう。俺がそう思って安心して修行に取組めるように、配慮してください。
俺にこんなことを考えさせたのはそっちの責任ですからね。」
一気にそう言うと、
「じゃあ、俺、勉強してきますから返事はあとで聞かせてもらいます。」
真っ赤になった俺に爆弾を落としたアイザックが出てゆき、後には泡のついた皿を持った俺が残された。
情事を見せろって………そ、そんな破廉恥な!
しかし、説得してあいつが要求を引っ込めるか?
それにいくら無理な要求だとしても、原因を作ったのは明らかにこっちの方だ……
昨日は泡に包まれたカミュを幸せに愛でていたのに、今日の俺は泡だらけの皿を掴んで最低の気分なのだった。
静かな昼食のあとで氷河とカミュに皿洗いを任せると、意味ありげにこちらを見ているアイザックに目くばせした俺はリビングに行った。
「要求はわかった。 そのかわり一回だけだし、金輪際、カミュにはこのことを言わないと誓え!そして明日からは、このことを一切持ち出さないでもらおう!」
「当然ですよ。 こんなことを知ったら先生は不幸になりますし、それは俺がもっとも望まないことです。
自分の目でたしかに先生が幸せだと確信できればいいんです。 そうすれば俺はミロの存在を認めて、先生のためにおおいに喜びますよ。信じてくれていいです。」
こいつはネゴシエーターに適性があるんじゃないのか?
もしも聖闘士になれなかったら、その道を示唆してやってもいいと俺は思う。
「いいか、部屋に入れるわけにはいかん、カミュに気付かれる。 この球を使え。」
「え? これって……」
その夜、食事のあとで俺はアイザックに直径20センチほどの黒光りのする球を手渡した。
これはいつだったかカミュと二人で小宇宙を凝縮させて作ったもので、まだ小さかったアイザックと氷河にオーロラを映して見せるためのものなのだ。
暗い部屋に置くと球の中で俺たちの小宇宙がまるでオーロラのように輝きながら渦巻いているのがとても美しく見える。
しかし、今夜の用途は特別だ。
この球はアイザックと氷河用に二つある。 一つをアイザックに持たせ、もう一つは不本意ではあるがカミュの部屋の書棚の隅に置いてある。
「この球は俺とカミュの小宇宙に反応し、そのままお前の持っている球に直接リンクして、現在の状況を映像として映し出す。 今なにが見える?」
アイザックが眼を凝らして球を覗き込んだ。
「あ………先生が本を読んでる!」
カミュのプライバシーを覗かせるのは気が引けたが今夜限りのことなのだ。腹をくくるしかない。
「お前たちが完全に寝たはずの時刻、そうだな、11時ごろには………」
さすがに、なにをどうする、とは言いにくかった。
「まあ、そういうことだ。 氷河には気付かれるなよ。」
「わかってます。」
短く言ったアイザックが大事そうに球を抱えて部屋に入っていった。
11時までは球に布をかけておいた。 愛の行為を見せるといっても、俺たちが服を脱ぐところや、ベッドに入る前のやさしい内密の仕草まで見せる必要はないからだ。さりげなく時間を見計らってカミュの部屋に忍び入り、それなりのことをアイザックに見られていないうちに綿密に行なった。
オフィシャルタイムの前のプライベートライフといったところだ。 いよいよかと思うとどきどきし、心拍数が上がってくるのはどうしようもない。
しなやかに立つカミュを抱きしめて思う存分に愛を施してから横目で時計を見るとまもなく11時になろうとしてる。
さて、これからだ!
自分に気合いを入れてカミュをやさしくベッドに導いてから 「 ちょっと水を飲んでくる
」 と言い訳して、そのついでに球の布をはずすことにした。 ちらりとカミュを見ると、満足げに枕に顔をうずめていて俺のほうは見ていない。
すっと布を取り、球に向って一つウィンクしてから俺もカミュの横に滑り込んだ。
いよいよだ。
カミュが腕を絡めてきた。
「ミロ………」
いつもの通りの甘いキスを贈り、枕元に流れる美しい髪を幾度も梳いてやる。
昨夜の浴室でのことが鮮烈にカミュの心に残っているのか、いつになく積極的に身を揉み込むようにして愛をせがんでくるので慌ててしまう。
「急がないで………時間は十分にある……」
耳元でささやいてから耳朶を含み暖かい息を吹きかけてやると小さな悲鳴が上がった。
「いや…そんなこと………」
そう言いながら身体をしならせてくるのは胸の蕾への愛撫を求めるときのカミュのいつもの癖だ。
どこまで見せるか迷いながら、しかし、俺がカミュを十二分に幸せにしていることを知らせなければならないので、そのあたりの判断は難しい。
胸くらいはよかろうと唇を寄せ、いつものように丹念に愛してやるとたちまち抑えかねた嬌声が上がる。
「抑えて………二人に聞こえてしまうから………」
「ん………でも………ああ、ミロ……」
ささやくような声にほっとしつつ、それでもアイザックに見られているという意識が俺を興奮させた。
人に見られながらカミュを愛する日がこようとは思いもしなかったが、いつの間にか俺はカミュの美しさしなやかさを見せることに夢中になってきた。
球からの角度を考えて、カミュの身体の大事な部分はけっして見せないように注意を払いながらいつものように愛してゆく。
俺はどこをどう見られてもかまわないが、大事なカミュだけは守らねばならない。
「ミロ………ミロ……もっと……」
白い喉をのけぞらせて歓びに震えるカミュがいとしくてたまらない。 隣りの部屋からの視線を考えていた筈が、いつの間にかそんなことは忘れ果てている自分に気付いて手綱を引き締める、その繰り返しだ。
やがてカミュが姿勢を変えた。
あ………それはちょっと…!
滅多にないことだが俺に………唇を寄せようというのだ。 いくらなんでもアイザックには刺激が強すぎるだろう。
同じことで、俺の方からも今夜はカミュにその行為を施すわけにはいかないのだ。
俺のほうに身をかがめてきたカミュの肩をすいっと引いて俺の身体に半ば寄りかかるように仰向けに寝かせると、溜め息をついたカミュが俺の手を取って自らに導いたではないか。
いつになく大胆な仕草にどきっとしたが、幸いなことに球からは陰になっていてはっきりと見えるはずはない。
そうそうやめさせてばかりでは不自然だ
このくらいの階段は上らせてもいいだろう
やさしく包み込み、耳元で甘い言葉をささやきながらゆっくりとした、しかし的確な愛撫を施してゆく。
動きに合わせてしなやかに身をくねらせたカミュが俺の唇を求め、俺も唇を重ねながら左手で胸の蕾にそっと触れて甘い歓びを与えてやった。
「ミロ………ミロ………愛してるから………」
切なげに何度も同じ言葉を繰り返しゆるゆると首を振るカミュは、アイザックの目にどんな風に映っているのだろうか。
「俺もだ………こんなに、こんなに愛しているよ……」
ひとしきり加えていた愛撫に堪能したのか、カミュが身体を返して俺に重なってきた。
息を飲むほどに熱い想いがダイレクトに伝わってきて俺を瞠目させる。指が絡み、熱い吐息が混ざり合う。
想いを込めた視線を交わした俺たちはそのまま濃密な時を堪能し、やがて深い眠りに落ちていった。
翌朝、アイザックが誰もいないときを見計らって球を返しにやってきた。
「あの………これ、ありがとうございます。」
「あ………ああ、そうだな」
なんといっても昨日の今日だ。 頭の中に、とても口にはできない映像がいっぺんに浮かんできて恥ずかしいったらないのだ。
ベッドでカミュを抱いているときと明るい居間とでは、天と地ほどの違いがある。
なんと言っていいかわからないままに球を受け取ると、アイザックが真っ赤な顔で言った。
「あの………ミロが先生をどれほど幸せにしてるかよくわかりました。 あんな失礼なことを頼んだりしてほんとに申し訳なかったです。 これからもいつでも何度でもここにきて………あの………」
絶句したアイザックが泣きそうな顔になった。
「よろしくお願いしますっ!」
一息に言うと後も見ないで走るように部屋を出て行った。
俺は唖然として、それから妙におかしくなって苦笑しながら球を棚に戻した。
終りよければすべてよし。
「さて、修行の手伝いでもするか!」
大きく伸びをした俺も外へ出て行った。
うちのサイトでは、シベリア修行時代はミロの片思いで終っていますので
このような設定はありえません。
うちにはちょっと大人すぎ。
一つの仮想現実とお考えください。