ちょっと聞いて 2001年

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市労組の女性組合員で作る婦人部ニュース(月刊)には、毎回女性組合員の随筆「ちょっと聞いて」がシリーズとして掲載されています。

一回ごとに、新しい組合員が登場。身の回りのこと、悩み、思いを語ってくれています.。



☆ 2001年12月21日 NO.100

 中国の旅は、機内のスチュワーデスの「無愛想」から始まるが、3〜4時間で行ける手頃な旅だ。
 現地の添乗員さんは、自分の村や町の良さを知ってもらおうと、日本のことも良く勉強されていて、そんなひたむきさに感心させられる。広場は人がいっぱいで、それぞれのグループが思い思いに楽しんでいる。人も車もマイペースだ。信号があっても関係ない!お互いが前進・前進のみだ。事故らないのが不思議なくらい。

 今回私は「アジア最大の滝と黄果樹の滝と天星橋を歩く」ツアーに参加した。安順は、カルスト地形特有の小高い山が路駝の瘤のようにそびえ山が幾重にも重なって、遠近感を作り出し、山水画の趣にあふれていて小桂林と呼ばれている。

 私はハイキングしながらそうした景観のすばらしさにしたる旅を楽しんでいるが、独学で中国語の勉強をしているという人が
、積極的に現地の人との会話を楽しんでいるのを見て次には簡単なあいさつくらい現地の人と交わせるよう勉強していこうと思った。

☆ 2001年10月31日 NO.99

「朝の十三分」

 私は毎朝通勤に自転車を使う。
 如是川の土手をおばはんがドタドタと自転車をこぐのはみっともないと思いながら、
 そんなことには構ってられない。ゆっくりしていてたら遅刻だ。

 でも私はこの13分程の時間が大好きだ。土手には草が生えている。

 葦が茂っている。川には鴨がいる。子鴨が大きくなった。白鷺が飛ぶ。青鷺がひっそりと立つ。
 草の霹が光った。明け方まで雨だった。

 おやっ、薄紫の花。見たこともない、と思ったら違う。しじみ蝶だ。いくつもあった。何ときれいだ。
 葦が茂る。夏ほどの背丈ではないが、縦の美しい線、何本も目に止める。
 その葉の付け根は白く柔らかくしかも強い。

 暑い夏には生い茂っていた葦が皆バッサリ刈られていた。
 その脇を自転車で走った。葦の青臭いむんむんとした香りが晴天の空に向かって立ち上がっていた。
 その中を自転車で駆けぬけて行った。
 
 春にはげんのしょうこが咲いていた。
 濃いピンクの花。毎日同じ場所に目をやる。咲いているのを見て安心した。
 ずーと自転車に乗っていたい気がする。



☆ 2001年7月25日 NO.98

 今年から学童保育もなくなり、一人で過ごす長い夏休みが始まりました。

 親も子も不安があるのですが、今のところ指の体操と称するTVゲームやテレビそして宿題のプリントで時間を過ごしているようです。

 これまでいつも大人がついていたけれど、今年になってプールに行ったり、公園へ探険にいったりと、友達と一緒の行動範囲も広がってきています。

 甘えん坊さは残っているものの、少しずつ親離れしていっているようです。

 日頃は口数の少ない子だけれど、野球の事になるとしんどくても頑破り、無口が六口になって一生懸命話しかけてきてくれます。
 ルールのわからない私も息子に教えてもらっている次第です。
 最近はパソコンの使い方も同様です。

 この夏休みは親子で近場を旅行したり、地下鉄乗り放題で大阪の街を再発見したいなと思っています。
 夏休みはまだ始まったばかり、子供が一人でいることも多いけれど、有意義に過ごし、心も休もたくましくなってくれることを願っています。

☆ 2001年6月27日 NO.97

 4年間幼児クラスを担任し、今年は8年ぶりに0歳クラスの担任になった。

 何とも言えない赤ちゃんの肌の感触に触れ、汚れのない瞳と、天使のような微笑みを見つめながら、すくすくと元気に育ってほしいと願いつつ保育に励んでいます。

 ところで、ついこの間池田の教育大付属小学校で児童殺傷事件があり、保護者の方々の心情を思うと胸が痛みます。

 私は結婚して2年間池田に住み、あの小学校の近くを通ったり、毎日通勤する際に駅で付属小学校の制服を着た子供たちによく出合っていましたので、人ごととは思えません。

 又、緑の多い、とても環境の良い所であんな事件が起きるなんてショックです。

 この容疑者だって、生まれた時は普通の赤ちゃんで、今私が担任している子たちと何ら変わりなかったと思うのです。

 この様な事件を防ぐには、子供の時から常に愛されていることを感じ、相手と同じ立場になって考え、他人の心の痛みがわかるように、親や周りの大人が育てていかなくてはだめだと、つくづく考えさせられました。

 私も、わが子や保育所の子供たちを育てていく中で、今まで以上にそう接していきたいと強く思いました。

☆ 2001年5月31日 NO.96

 我が家には、10歳になる三毛猫「風(ふう)」がいる。十年前の母の日に娘の腕に抱かれてやってきた。「お母さん、3日だけこの猫預かっていい?明日から飼ってくれる人捜すから。」

 なかなか飼ってくれる人は見つからず、一週間過ぎ十日すぎた頃一番反対していた夫がなぜか首輪を買ってきたことでこの猫は我が家の一員になってしまった。

 あれから十年。

 この間、母の日が近づくと娘が猫を連れて帰ってきた。
「お母さん、この猫病気みたいやねん。」病気では仕方がないと動物病院に連れていった。
 一週間入院して結局死んでしまったが、この獣医さんのあたたかい言葉が今でも忘れられない。
 「死んでしまった事を、娘さんに私から言いましょうか。捨て猫だったけれどもあの猫は、娘さんに拾われて幸せに死んでいったと思います。」とおっしゃった。結局、治療費はほんの僅かしか受け取られなかった。

 娘は、あんな獣医さんになりたいと希望を持っていたが、現在動物看護の専門学校に通っている
 そして我が家の「風」は娘の溺愛を受けながら時には実習につき合わされ、もうすぐ猫年で選暦を迎えるらしい。

☆ 2001年4月20日 NO.95

 修了式を終え、茶話会ではこどもたちやお母さんたちと思い出話に花を咲かせ「入学式にはみんなで来るからね」と、別れて数時間後に転勤の内示。「まさか」と思いつつ六年前を思い出しました。

その時も修了式の余韻を残したままの転勤に(新しい職場に慣れなくては)と思いつつも、一年生になった子どもたちのランドセル姿を思い浮かべていたものです。


 今回も又同じ体験をしました。なんてタイミングの悪い話なのでしょうか。「おわかれが悲しいよ」と泣いてくれたこどもたちを抱きしめながら、「ごめんね」と涙が出てしまいました。集まってくれた子どもたちやお母さんたちに囲まれ、別れの辛さや悲しみを心から味わいました。

「修了児を受け持ったらせめてその年は保育所に残っていたいね」当たり前のように話していたことだけど、実際は何もできないということをまたもや痛感しました。(個人的に考えるとどうもしっくりしなかった)

 四月になり新学期が慌ただしく始まりました。園庭のチューリップや桜草がとてもきれいに咲いています。春風のようなこどもたちの笑顔が輝いています。新たな出逢いに胸ドキドキの毎日ですが、「おせわになりました本当にありがとう」という言葉と「よろしくおねがいします」という言葉をかみしめている今日この頃です。

☆ 2001年3月22日 NO.94

 桜の芽もー雨ごとに膨らみ始め春を感じる今日この頃ですが、一年前学校を卒業した息子と娘も社会人となり早いもので一年がたちました。

 娘は今長浜で看護婦として寮生活を送っています。人の生命を預かる大変な仕事ですが「上田さんの笑顔はええなア一元気が出るわ」と入院患者さんからも可愛がられ頑張っている様子。親とし人てうれしい限りです。

 末娘も高校生となりだんだん親の干渉をきらいだし自立しようとしています。

 これから私自身うまく子離れしていかないといけないようです。人生やっと半分。残りの半生は自分自身を磨くためにさあ何から始めましょうか。やりたい事がいっぱいです。

☆ 2001年3月1日 NO.93

 何十年ぶりに赤倉スキー場に行ってきました。
最初は行く気がなかったのですが、友人に誘われて、ちょっとスキーをして気楽に温泉にでも入って命のせんたくをしてもよいかとこころ良く引き受けました。

 出発直前になって誘った人がキャンセルとなり一人でホテルに居るのもつまらないのでスキーをすることになりました。
 骨折だけはしないように心がけ、2日半全部滑りました。

 しかしハプニング・・・リフトに乗り損ねてしまい、ひざが骨折かと頭をよぎりとっさにカエルをペチャンコにしたようなスタイルになって、リフトが通り過ぎるのを待ち・・・外傷はまぬがれました。帰りのバスの中でこのことを報告されて笑われてしまいました。

 転んだり、足の筋肉痛やらあざなど痛かったけれど温泉よし、墨絵の世界のような雪景色に引き込まれホッとしたり、ボーゲンしかできなかったのがパラレルも少しマスターでき、楽しい出会いのひとときを過ごしました。

☆ 2001年1月29日 NO.92

 世の中IT革命といわれだしてからというもの、あっという間に身近なところに、パソコンが行き渡っているのにいまさらながら驚かされています。

 30代くらいまでの若い人が使いこなしているのは何故だか納得してしまうのですが、私と同年代の50代60代の婦人が多いのです。

 一人は、電機メ−カ−を定年退職前に企業で研修があったとか、今は悪戦苦闘しつつも文章書きや、チラシ作りを依頼されているらしい。

 別の知人は娘との連絡のため必要に迫られてメ−ルのみマニュアルを作ってもらってとのことらしい。
 彼女の娘が仕事を捜す時、インタ−ネットで検索、「求職」「ダンス」「スペイン語」で出た仕事先がメキシコで、正月明けさっさといったらしい。

 仕事を捜すのは「インタ−ネットで」は、さすがの私でも知っていたが、世界中となっていることに、知人共々「今頃の子は捜すのも決めるのも早い」とますますついていけなくなっています。

 携帯電話すら持っていない私など、時代にすっかり取り残されています。

 でも苦労話しを聞いているうちに、何だか私にもできそうとその気になりつつあります。この気持ちが萎えないうちに、妹にでも教えてもらいましょうか。