ちょっと聞いて 1998年

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市労組の女性組合員で作る婦人部ニュース(月刊)には、毎回女性組合員の随筆「ちょっと聞いて」がシリーズとして掲載されています。

一回ごとに、新しい組合員が登場。身の回りのこと、悩み、思いを語ってくれています.。



☆ 1998年12月3日 NO.71

 勤めて20、結婚15年という今年は人生の節目の年であります。

 ようやく子育ては肉体労働から精神労働へ変りつつあるのですが、中学3年の息子の進路先に悩み、中学1年の娘のクラプの朝練に合わせての弁当作りにおわれ、小学4年生の娘の肥渦と勉強のスピードの速さに悩み、祖母と主人と私の老いと、健康管理の難しさにと、日々悩み多く過ごしております。

 療育園で何の取り得もない私が勤めて来れたのは、ハンディを持った子ども達の頑張りと笑顔に支えられたと思います。
 そんな私に婦人部からの電話で役員の話しがありました。視野を広げ新しい自分捜しができたらと引き受けましたが、何回役員会にでれるかなあと、不安と迷惑をかけるだろう申し訳なさで一年過ぎそうです。

 組合事務所の場所も知らずに、地下でウロウロしてやっと見つけて第1回の会議で役員の方のお名前と顔が結びついたというスタートです。
 よろしくおつき合いください。

☆ 1998.11.4 NO.70

 昨年11月わらべ唄サークルに入りました。

 本を開いて歌ったり、体を動かし、とても楽しく勉強しています。
  それにぽっと出てくる沖縄のわらべ唄が嬉しく、故郷の海、空を思い浮かべながら歌っています。

 以前「あなたが歌うとどれも沖縄調になるといわれたことがある。物心ついたころから三線・踊りが身近かだったことが私の体にしみついているからだと思う。
 家族に一人以上は戦争の犠牲になった沖縄の人達は、三線を引いて歌い踊ることで、生きる道を探したのでした。

 わらべ唄サークルの皆さんが長い間続けてもらったお陰で、遅咲きの私も参加でき、本当にありがとう。
  あなたもご一緒にわらべ唄で遊びませんか。

☆ 1998.9.21 NO69

 和太鼓に触れて6年。
 いつの日だったか、大阪の中心地を歩いていた時に、和太鼓のドーンという響きがおなかの底にずっしりと入り込んで来た。
 そして、いつか私も和太鼓に触れてみたいと思っていた。

 ところが触れてみるとなかなか難しい。リズム音痴の私では並大抵のことではない。人の何倍もかかりひと苦労。

 でも自分の生き方、自分らしさを追求しながら打ち鳴らす。打てば響く心が響く。
 楽しい時には楽しく響き、悲しい時には悲しく響き、心の響きとなって帰って来る。
 人とともに、打つ時は暖かさを包んでくれる。そんな和太鼓が好きになった。
 そして、これからも、一人じゃない、仲間と一緒に心をあわせることの素晴らしさと楽しさ、そして、まわりの人とも共感しあえる太鼓や踊りを求め続けたいと思う。

 生活の中に文化を持つことは本当にいいものです。人間らしさを求めて

☆ 1998.8.24 番外編

 この葉っぱはもっと切った方がいいのかな、この花はどつちに向けたら・・・?と、苦心の末の出来上がり。
 「ウンなかなかいいじゃないの」と、自己満足してしばし自分の作ったフラワーアレジメントを眺めました。

 先生の適切なアドバイスで、ほんのちょっとの出来上がりに影響、さすがです。
 同じ花を使っていても、やはり個性が出て仕上がりはそれぞれ違って素敵でした。

 花を見ていると、本当に気持ちがなごんでくるのを感じます。
 花屋さんのウィンドウを見て、いつかはやってみたいと思っていたフラワーアレジメント。草花の持つ、自然の美しさがいつもとそう変わらない生活を、ちょっぴり豊かに感じさせてくれました。

☆ 1998.6.29 NO68

 市役所に勤めて早いもので半世紀がたちます。

 その間結婚・出産と、人生の節目をいくつか経験してきました。 いろいろな職場に配属され、多くの人たちとも接してきました。

 自分ではその時々、精一杯仕事に励んできたつもりですが、この頃なんだか先の見通しがたたないというか、将来に明かるい希望を持てなくなりました。
 公務職場にも、『リストラ・合理化』が進められてきています。
 私の職場でも、昨年の4月に1名減となり、係長を含めて3人で仕事をしています。
 休暇も取りにくく、毎日仕事に追われ、余裕のない生活です。

 就職した項は、「市民のために役にたつ仕事がしたい」と希望に燃えていました。
 今は目の前の仕事をこなすのが精一杯という状況です。

 でもこうして働き続けられるのも、理解のあるやさしい夫のおかげだと感謝しています。
 今年はリフレッシュ休暇が取れるので、二人でゆっくり温泉へでも行きたいなと思つています。

☆ 1998.5.19 NO67

 早いもので私も高槻に勤めて、24年近くになります。
 普通だったら子供も就職、独立して、後は自分の老後のことを考えて貯蓄に勅むなり、趣味の道にはげむなりして、少しは楽しい生活をしてもよいはずなのですが。

 ところが我が息子は大学を出たものの、ある資格を取って就職すると言って、いまだに専門学校の学生です。家を出ての一人暮らしで親は仕送りです。
 昔の同僚などに、たまに会うと、「もう、いつ仕事をやめてもいいんでしょう」なんて言われ、いちいち言いわけをしなければならない有様です。

 この言いわけをしなければならない、というのが曲者です。
 少し前までなら、60歳の定年まで勤めて当り前だったのに、最近は本当にこのまま定年までいけるのかしらと心配にになってきます。
 仕事柄、自分の体力がいっまで続くことやらといぅこともあるのですが、それ以上に、まわりからジワジワと浸透してくる人減らしの話の影響です。
 勿論、具体的にどうこうというのではありませんが、腰を据えていられないような雰囲気作りがされたのではたまりません。

 長い間、頑張ってきた仕事をやめるというのは、定年まで勤めたという満足感か、定年前であれば仕事以上に魅力のある何かがあって初めて考えられると思うのです。

 少なくとも今の私はそう思っています。

☆ 1998.4.27 NO.66

 3月になって・・・・、春らしい風が吹きはじめた時、ポカポカあったかいと心もあったかくなります。

 でも、私にとってこの季節はちょつとつらいです。 『クシュン』もうわかりますよね。花粉症が出てくる季節。

 15年ぐらい前に、突然、本当に突然に花粉症になり、毎年春になると、くしゃみ、鼻づまりが始まります。もうくしやみが始まっています。そして昨年3月の末に、父が亡くなりました。私は父が大好きでした。父の葬儀の日に、ふと車から外を見ると、桜がとてもきれいに咲いていました。
 花が好きだった父を、見送ってくれているようでした。その後数日間雨が降って、桜も散ってしまいました。花といっしょにいってしまったように思われました。

 だから、もうすぐ桜の花が咲いて、新しい出発の時がやってくるのに、私にとってはちよっとつらい季節です。

 でも、父が見守ってくれているので、気持ち新たにがんばろうと思っています。

☆ 1998.3.16 No.65

 日課の散歩でどこからか甘い香り満開の沈丁花・・・先日まで蕾だったのに・・・と思いながら、いつもの池のほとりに行く。
 しだれ柳は淡い黄みどりの枝を垂れ、万作の枝にあざやかな黄金色の花、足元を見ると可愛い青い花のオオイヌのフグリ、たんぼぽ・よもぎの新芽、それぞれが春を告げてくれる。
 穏やかな気持ちに浸りがら、自分の心の中をのぞく。
 この春は転機の春だと。ワクワクする想いと淋しい想いが交差する。
 退職は体力的に問題もあり決心した。
 毎年4月に新しい子ども、人達との出会いに、宜びと緊張感、それがなくなると思うとやはり淋しい。
 保母の仕事は、ほかの方より十数年遅い出発でした。20数年前わが子の散歩で、保育所の子どもと保母さんに出会い、その時の保母さんの姿に、「私もやってみたい」と思い、家族の猛反対を押しきっての就職でした。

 振り返ると、そうして働けたこと、「本当によかった」と思う素敵な保母さんに出会いました。
 その方々とのかかわりは、今後の人生の中で励みになり、また一番の宝物になります。
 一緒に仕事をしてくださった方々、本当にあれこれありがとうございました。

 皆様も元気でがんばって下さいね。

 日頃、口の悪い夫や息子達、「仕事やめたらボケるんちゃうか」という。
 「したいこといっぱいやからポケヘん」と強がるものの、内心お給料もなくなるしな・・・と弱気にもなる今日この頃です。

☆ 1998.2.25 NO.64

 組合のこと、今まで「これではいけない」と思いながらも、ついつい甘えてしまって何もしてこなかった私。

 今年19才の息子と16才の娘。手のかかる年でもないが、ここ何年も出張続きで週末にしか帰ってこない夫。そんな時、思春期まつただ中、いろいろあった。ただ家にいてやりたかった。
 そんな子ども達も少しは成長?
 連日持ち帰る仕事に(ただいま5才一人担任) 「おかんも頑張るなあ−」と声をかけてくれる。

 今年はなにかやってみようかなぁと、婦人部役員を引き受ける。  こんな私に出来るだろうかなぁと不安はいっぱいだが、とにかく一年やってみよう。 よろしくお願いします。