ちょっと聞いて 1999年

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市労組の女性組合員で作る婦人部ニュース(月刊)には、毎回女性組合員の随筆「ちょっと聞いて」がシリーズとして掲載されています。

一回ごとに、新しい組合員が登場。身の回りのこと、悩み、思いを語ってくれています.。



☆ 1999年12月21日 NO.81

 今年でクラリネットを初めて15年近くがたちました。
・・・と言っても、受験やなんやかんやで、吹いている年数とお休みしていた年数が同じくらいだけど。

 高校の部活で始め、今は地元の一般バンドに入っています。
 何か楽器ができたらいいな、と言う単純な動機で入部。
  当時はチェッカーズの全盛期で、サックスをしたかったのだけど、「こりやあかんわ」と思っていたところに、「クラリネットができたらサックスもできるよ」という甘い言葉に誘われて始めたのでした。

 でも今では、サックスをする気は更々ありません。やればやるほど奥が深いんだもの。
 部活で一緒にしていた友人で、今もしているのは私だけ。

 「まだやってるの?」と言われるけれど、続けられる限りは吹き続けていきたいな。

 

☆ 1999.11.30 NO.80

 「シャドウBOX」ってご存じですか?  カードなどの絵を切り取り、重ねて立体的に作り上げるものです。
 定期大会などで、何度か展示したことがあるのでご存じでしょうね。

 もともとは平面だったものが、切り取り、何枚か重ねていくうちに「物」が浮き出してきて、豪華な絵に変身するのです。

 婦人部で月一回集まるようになって数年たちます。
 段々と、細かいところを見るのに苦労する日と格闘しながら、根気強く作り上げるのですから、一つの作品ができあがったときの喜びはひとしおです。
 クリスマスに向けて作り始めた作品に、2年もかかったという新記録(?)も持っています。

 とっても気さくな先生を囲んで、ワイワイと手を動かし、口を動かし、楽しい2時間がアツという間に終わってしまします。
 行けない月も多いのですが、月1回のこのペースで、ゆっくりとシャドウBOXを続けて、家の中に大小さまざまな作品が増えていくことを楽しみにしたいと思います。

 興味のある方は、ぜひどうぞ!

 

☆ 1999年10月26日 NO.79

 高槻市に就職して26年、駅に近い生活を良いことに、現在のマンション生活も22年が過ぎていました。


 子供が就職した今、思いきって転居を決断し、現在少しづつ準備中です。   決めた時は、娘と一緒に夢をふくらませていましたが、現実は手続きに走り回り、職場にも無理を言わせてもらってばかりです。


 胸をわくわくさせる楽しみより、「どうしよう。大変!」という苦しみの方が多いことを痛感しているところです。

 新居の準備を進めつつ、「この家にもずいぶんお世話になったなあ・・・ありがとう!」と言うと、娘は「いろいろあったね」としんみりしている。
 「でも二人で頑張れるよね」と、気持ちを切り替えている。
 落ち着くまでは、婦人部にも無理を言わせてもらい、迷惑をかけることになりますけど、自分なりに「頑張ろうと」前向きに考えています。

 近くを通られたら立ち寄って下さい。

 

☆ 1999.9.30 NO.78

 3人の子供たちも元気大きく育ち、子供から離て少しは自分の時間が持てるようになった。

 仕事や家事のことを忘れて、友達との食事会や旅行は、働き続けるための心と身のリフレッシュとして大きな楽しみになっている。

 特に趣味もない私だけれど、最近はガーデニングとまではいかないが、プランタンで花を育てることが楽しみの一つになちている。
 水やりや虫とりなど、きれいな花を見るためにはひと苦労もあるけれど、休みの日など、土に触れたり、虫がついていないかと、花の様子を見ていると、時間が過ぎるのがアッという間。
 友達から株分けしていただいた花もいくつかあり、大事に育てなければと思っている。

 今プランタンは夏の花、インパチェンス、むらさきサルビアやコリウス、ポーチュラカ等々咲いている。  また先日、春の花パンジー、ネモフィラ、ナデシコの種をまいたが、うまく芽が出るか観察中。
 今年の春きれいな花を見せてくれた、わすれな草や桜草のこぽれ種から芽が出てきているのが嬉しい!
 毎朝、花の成長を見るのが楽しみで、いつまでも見ていたいきがする。  種から育てた花は一層いとおしく、かわいく感じる。

 まだまだ失敗も多くうまく育てられないが、花を見ていると心やすらぎ、花は大好きです。

 

☆ 1999.8.5 NO.77

 何世紀も前から、祖先が築き上げてきた歴史を大切にし、その中に、新しい自分たちの生活をつくり出していく。
 古さと新しさの見事な融合。

 今回は、東西ヨーロッパの接点とも云える、ハンガリー、チェコ、スロバキア、オーストリアを訪ねました。
 演奏者も聴衆(幼児から老人まで)も、一つになつて楽しむコンサート。
 出来上がったワインの一番良いものは売りにださず、自分たちのために残しておく。
 誰のためでもない、自ら積極的に生活を楽しむ、人々の生きざま。

 貧しさ故に羞別され、当然のごとく犯罪者扱いされるジプシー、今なお人々の心に残る不幸な時代の影、観光旅行とはいえ、学ぶことはいっぱい。
 念願のクリムトの絵画も実物が見られたし、かじりたての英会話と、身ぶり手ぶりでの珍道中に結構満足しています。

 心身のリフレッシュに加えて、かぎられた世界に住み、経験しなければわからないことだらけの自分が、少しでもイマジネーションを広げられるように、との思いをこめての年に一回の旅。

 厳しい現実に戻って、仕事に明け暮れながら、頭の隅では、「さて、来年とどこへ・・・・。」と考えている「不届き者」です。
 失敗話や笑い話は山ほどありますが、ここでは、ちょっと遠慮して、いつか美味しいワインでも傾けながら・・・・。

 

☆ 1999.6.29 NO.76

 先日、ふらっと琵琶湖へ行ってきた。
 天気もよくて、パス釣りで人がたくさん釆ていた。
 ちょっと高い所から見る景色も抜群!

 湖ばかりでなく山々もステキで、地元の人達は、どちらかというと、山の四季おりおりの姿を見る方がいいという人も多いと。

 急に一泊する事に決めて、近くにあった公共の宿にとびこんだら、素泊まりだったらOKとのこと。
 やった!
 夕食は自転車を借りてサイクリングだ。
 一杯飲んでいい気分。電柱が少ないので、閣の中にすいこまれそう。

 星、星は?
 あまり見えないなあ〜なんて、キョロキョロしていたら、急に体制がくずれて・・・。
 えっ何?
 これ穴の中?
 大きな溝なのに、鉄板がしていなかったんです。そんな〜。幸い大けがにはならなかったけれど。不覚でした。
 とんだサイクリングとなってしまいました。

 でも、ふだんとちがう景色を見るのは本当に気分がやすらぎます。
 私のリフレッシュです。

 

☆ 1999.5.30 NO.75

 私は、通勤に自転車を使っています。
 これから脂肪が燃焼する20分でついてしまうので、ダイエットにはならないのです。

 その自転車が重くなりました。
 職場への道は緩やかな上り坂なのに、その坂がしんどくなってきて・・・
 やっぱり年かな?
  しかも、こぐ度にキーキーと音が出始め、ちょっと賑やかな自転車だなあ、と思いながら頑張ってこいでいたのです。

 ある日、津之江を走っていったら、年配のご夫婦でやっている自転車屋さんが目に入り、見てもらうことにしました。
 さっそくおじさんはブレーキをかけて調整しています。
 すぐに音はならなくなり、さすがプロ!もう終りかなと思いきや、他の部分もていねいに見てくれているので、いくらかかるかなと心配していたら、たった千円。
 おかげで軽快に走るようになり、心も軽くなりました。
 こんなに気持ちよく走れるのなら、我慢しないでもっと早く見てもらえばよかったなあ。

 これまで、保育所への送り迎え、通勤で、何度もタイヤは変わったけれど、私の足でもある自転車さん、もう少し働いてね。

 

☆ 1999.4.27 NO.74

 日曜日の朝、ボーと庭に出ると、出てる出てる小さな芽が。
 面倒臭がりの私が、花が終わったあともしばらく放りっぱなしにしてあったプランターからのこぽれ種が芽を出したのです。

 今、流行りのガーデニングも、苗を買うとけっこう高くつくけれど、時期をかえて、ノースポール、キンギョソウ、インパチェンス、サクラソウなどが、毎年律儀に芽を出してくれるから嬉しくなります。
 この小さなお花の赤ちゃんを、そっとプランターに移してやり、お水を飲ませてやると、また美しい花を楽しませてくれるのです。
 まめな人は、プランターの土を入れ替えすぎたり、雑草と思って摘んでしまったりして、かえってうまくゆかないらしいですよ。

 2匹のネコに話しかけながらの土いじり。
 休日にこなしてしまわなければいけない、掃除や青物のこともしばし忘れて、ほっこりした気持ちになれるひとときです。

 みなさんもいかが?

 

☆ 1999.3.16 NO.73

 2年前の6月、実家の父が脳出血で倒れた。

 姑を看取り、子供も成長し、これからは親孝行をと思っていた矢先のことだった。
 医者は「助からない。良くて植物状態だ。」といった。意識のもどらぬまま、体中につけられた命をつなぐ管をはずそうともがく父に付添ながら無念でならなかつた。
 どうにか一命をとりとめた父は、その体の殆どの機能を失って、まるで赤ん坊の様に他人の手に頼らなければ生きていけなくなった。
 リハビリを続け、話し合いを重ね、昨年末、病院から実家に戻った父母は、休日ごとに手助けに通う弟と、ホームヘルパーや訪問看護のナース、デイサービスの方々や、生まれ育った土地の仲間たちと、たくさんの人達に支えられて生活を再開した。

 力になれない切なさを抱えて離れて暮らす娘に、「親のために子供の生活を壊すことだけはしたくない。無理せんでええ。」と母親はやさしい。

 団塊の世代の私たちは今、老親の介護問題の真っ只中にいる。
 私たち自身やその連れ合いの老後もそう速い先の話しではない。
 老いは誰にも訪れる。
 介護が必要になった時、家族が過剰な負担に苦しまなくてもよい様に、本人が望みをあきらめて生きていかなくても良いように、まだまだ不十分な現状を少しでもよくしていくために声を上げていきたい。

 

☆ 1999.1.26 NO.72

 私は体調をくずし、しばらくの間、職場に出ることができませんでした。
 ひたすら職場に戻れる日を待ち望み、治療に専念していました。

 身体の中の自然に動いてくれる部分の力が、ぐっと落ちてしまつている状態でした。
 自然に呼吸すること、自然に心臓が動いていること、また胃腸の働き、睡眠、感情など、薬を使わなくては正常に働いてくれませんでした。

 ぐつすり眠れること、きちっと食べられること、便が出ること、まわりの人と楽しく会話ができ、心のそこから笑えることなど、自然み身体が働いてできる部分が多かったのですね。

 今回、たくさんの薬やカウンセリング、休養など治療で、保育所という私の職場、誇りを持って仲間と働き続けた職場に早く戻りたいと思い続けました。

 やっと戻ることができ、まだ薬に頼る生活ですが、とても嬉しく思っています。

 正しいことは正しいと、間遠いは間遠いと言えて行動でき、まわりの人の立場も考える、心の優しい子供たちに育てる保育を、仲間と共に続けてきました。
 焦らず、まわりの皆さんの力も借りなければなりませんが、婦人部活動に参加できる喜びを身体中に感じています。