闇夜に奔るのは、希代の暗殺者。
そして、意志を持たぬ雑兵の群れ。
不自然なほどに静まり返った三咲の街を、進んでゆく。
まっすぐに坂の上の洋館を目指していく。
寝静まった街を、ただ進んでいく。
Ｃｈａｐｔ４ 暗殺者の楔
ガラスの割れる音が響いて少し。
ぞろぞろと、垂れ流しの気配が辺りを取り囲んでいた。
比較的夜目がきくアルクェイドたちが、翡翠や琥珀などを囲むように全員が固まる。
やがて、非常システムにより電灯が復旧して。
そこにあったものに翡翠たちが息を呑んだ。
現われたのは、亡者の群れ、とでも表現すべきもの。
肉体は崩れかけ、手足もどこか不自然に曲がっている。
ただ一様に、錆付いた剣のようなものを握っていた。
その数、見えるだけで約五十。おそらく、屋敷の周りも取り囲まれているのだろう、追いきれないほどの気配が満ちていた。
「後手に回らされたわけか……。」
苦々しげに凛が呟く。
「……？」
しかし、ぞろぞろと現われる亡者は何故か取り囲むだけで進んでこようとはしなかった。
焦って動くわけにもいかず、志貴たちに焦れた空気が流れる。
「ああ、すまん、通してくれないか。」
そうしてしばらく。突然亡者の群れが割れて、くたびれた背広の男が現われた。
「……！？」
その男の顔に、士郎とイリヤが息を呑む。
ぼさぼさに伸びた髪と、中途半端にそられた無精髭。
銃を片手に、亡者を渡ってくるサマは、どこかサラリーマン染みていた。
しかし。
「抵抗はしないでくれないか。無駄な殺しはしたくない。」
亡者の群れを抜けた途端、その男から、殺気があふれだしてくる。
それは、血に慣れて他の面々とは比にならないほどいくつもの修羅場を越えてきたはずの、アルクェイドやシエルですら一瞬息を呑むほどのもの。
「翡翠ちゃん！？」
当然のように真ん中で翡翠が、青い顔をしていた。膝も笑っており、嫌な汗が全身から吹き出ていた。
脇から心配そうに琥珀が支えている。その琥珀も、軽く汗が浮いていた。
「ああ、すまない。自己紹介を忘れていた。僕は衛宮切嗣という。」
凛たちの視線が士郎に向く。
その先で、士郎は見てはいけないものを見たような顔をしていた。
「嘘よ！」
イリヤが取り乱したように叫ぶ。
「あなたがキリツグ！？ 笑わせないで！」
「イリヤ！？ どういうことよ？」
士郎の様子を見れば、その姿が衛宮切嗣のものであることは間違いないであろう。
しかし、イリヤはそれを違うという。本人を知らない凛たちには分かるはずも無い。
「ふん、簡単よ。アレはキリツグなんかじゃない。アレは」
それを遮って、一発銃声が響く。
「少し黙っていてくれ。交渉がしたい。」
見れば、切嗣らしき男が銃を天井に向けていた。その銃口からは煙も漂っている。
向けられた眼光に射抜かれたように、全員が押し黙ってしまった。
「結構だ。まず始めに、僕は、クリスティーン＝ミーディアムと、オットマン＝マリウォーカーの使いでココに来た。こちらから提示する条件は君たちの命の保障。要求は、僕たちを見逃しておとなしく時計塔と穴倉に帰る事。それ以外の要求も妥協も質問も許さない。ただ、承諾してくれればいい。」
何も無い。ただ、従わなければ殺す。切嗣の目はそう物語っていた。
もちろん、凛たちとしては従えるはずもないし、シオンたちも同じである。
ただし、むやみやたらにＮｏとはいえない。言えば次の瞬間、この世とおさらば、という事もありえるのだから。
「まあ、いい。君たちが答えられないことは予想していた。今日のところは、僕は退こう。明日の晩、もう一度来る。よい返事を期待しているよ。」
沈黙が長く続き、埒が明かないとみたのか、切嗣は銃を収めた。
「……甘いな、衛宮。」
そのそばに、黒装束の男が降り立つ。その手には、ぐったりとしたイリヤスフィールが抱えられていた。
「！ いつの間に……」
見れば、イリヤスフィールのいた場所はぽっかりと空いていた。
隣にいた者、自身の感覚の強さを自負している者たちは、呆気にとられる。
いくら切嗣に意識をひきつけられていたとはいえ、自分たちに何も感じさせずに人一人気絶させて連れて行けるものなのか。
そんな様子を無視して、隣の男は切嗣にイリヤスフィールを手渡す。
「従わなければ殺せ、というのが俺たちの仕事だろう。時間をやるなど悠長なことだな。」
イリヤスフィールを受け取って、切嗣は笑いかける。
「そういう君は、仕事に厳しすぎると思うよ？ 七夜。」
ざわり、と志貴の中で何かが反応する。あの男が、いや、あの男も、七夜？
嫌な感覚が走り抜けた。
「でもどうするんだい？ 暗殺者・七夜黄理ともあろう人が標的の前に姿を現したりして。」
「よく言う。この娘を連れてこいと盛んに合図してきていたくせに。何か算段があるのだろう。」
「まあね。まあ、僕は行くよ。ゴーレムも半分くらい置いていくから君は自由にすればいい。」
そう言って切嗣が消えていくのも目に入らない。
「待てよ、爺さん！」
「士郎、落ち着いて！」
士郎の叫びも凛たちの静止も耳に入らない。志貴の中でごそごそと何かがうごめいている。
あの男が出てきてから、亡者たちに感じていたざわめきが大きくなっている。
「ぐ、う……」
たまらず、胸を押さえてうずくまる志貴。
「兄さん！？」
「志貴！？」
秋葉たちに支えられ、何とか立っている、そんな状況。
「……さて、衛宮はああ言ったが、俺としては依頼を放り出すわけにはいかない。」
それを一瞥して、黄理はため息をつき。
「答えなかった以上、死んでくれ。」
その姿をかき消した。
同時に周りを囲んでいたゴーレムたちが襲い掛かってくる。
その後は、ある種の戦争だった。押し寄せてくる波を、ひたすら削り、押し返す。
「そーおれっ！」
「消えなさい！」
先陣を切るのはアルクェイドと秋葉。無造作に腕を振り回すだけで起こる轟風は、無慈悲に亡者たちを飲み込んでいき、その視界に捕らわれたものは熱を奪われて消えてゆく。
だが、当然打ち漏らしは出てくる。それをシエルの黒鍵が、凛とルヴィアのガンドが叩き伏せた。
「一体どれだけいるってのよ！ キリがない！」
しかし、亡者は尽きない。数の力を持って、亡者は魔術師たちと拮抗していた。
その均衡が破れたのは、しばらく続いてから。
「あぐっ！？」
「ちょっと、妹！？」
アルクェイドの横から秋葉が吹き飛ばされる。
凛とルヴィアを巻き込んで壁に叩きつけられた。
「う、痛ぁ……」
「なんですの、一体。」
ひび割れた壁のカケラを払いながら、凛とルヴィアは身を起こす。その隣で、秋葉がぐったりとしていた。
「秋葉さん！？」
「秋葉？」
凛の声に駆け寄ってきた志貴が揺さぶっても、何の返答も無い。
その傍へ、シエルが飛ばされてくる。
「先輩！」
「つつつ……」
唸りながら首の後ろを押さえているが、こちらは意識をはっきりと保っていた。
それでも、立ち上がるのには力を要するらしく、尻餅をついている。
「ちょっと、ちょっと！ 何をやってんのよ！」
前線で孤軍奮闘するアルクェイドが、後ろを振り返らずにわめいていた。
うっとおしい、などと叫びながら、腕をさらに勢いよく振り回している。
「……アトラシア、俺、出たほうがいいですかね。」
エーテライトであぶれた亡者たちを砕いていたシオンに、レイが背中を合わせて囁く。
「そうですね、行ってきなさい。少しくらい役に立っても罰は当たりませんよ。」
いい加減シオンもうんざりしてきているのだろう。部下への皮肉に、レイは苦笑して答えた。
「了解。何本はずせばいいですかい？」
その手は腕輪にかかっている。
「そうですね、腕輪と、両手の小指薬指、位でいいでしょう。」
「了解しました。じゃ、いってきますね。」
レイが言われたとおりに指輪と腕輪をはずす。
自分の内側から、ナニカが溢れてくる感覚。蠢く感触。
「Open」
かすれる声で、呟き一つ、ソレを逆らわぬままに開放した。
自分の体を抱きしめ、膝をついた。
開放されたソレはレイの体を末端まで走りぬけ放出されていく。
同時に、感覚が塗りつぶされていく。
それは、人がヒトでなくなる証。魔術を行うモノの一部となる印。
人としての正常な感覚が上書きされ、別のものへと書き換わっていく。
「……Begin……」
かすれきって息も絶え絶えな声。ひりひりと乾く舌、喉、口腔。やりにくい。なれば味覚などイラヌ。
高い耳鳴り、澄み渡る静寂、同時に聞こえるありえないほどのザワメキ。邪魔だ。なれば聴覚などいらぬ。
「Break……」
放出されて空になった分は、新たに大気から取り込まれる。
その注ぎ込まれるモノに、耐え難い悪臭と心地よい薫風、無臭を感じる。壊れたか。なれば嗅覚など不要。
注がれるモノの濃さに、目の前が白くなる。白、緑、赤、青、黄、紫、黒。いよいよもって何も映さない。面倒。なれば視覚などイラヌ。
痛い。暑い。寒い。熱い。冷たい。痒い。重い。軽い。痛い。ワケが分からん。うっとおしい。なれば触覚などいらぬ。
見覚えがあるはずなのに、ソレがナニカ分からない。何も考えられない。無駄だ。ならば思考など不要。
おぞましい。どれだけ塗りつぶされようと、やはり、人は人なのだろう。ヒトの身で部品となるのをナニカが許してくれないのだろう。
だから、感覚がおかしくなる。意識がオカシクナル。ジブンがワカラナクナル。
ヒトの身で魔術トイウ偉業を行ウノガ問題なのダロウ。
ナラバヒトでなければイイ
ならば、イラヌ、いらぬ、不要、いらぬ、不要、イラヌ。
この身に人格など、自我など必要ない……。
「Start」
今よりこの身はレイゼン＝カレイドではない。そんなモノは存在しない。
この身はただ、破壊を起こす魔術の一部なり。
腕を振り回すアルクェイドの脇を、レイが駆け抜けていく。
まっすぐに亡者の群れに飛び込んだソレは、見る間に次々に人形をなぎ倒していった。
アルクェイドの衝撃波には及ばないものの、それに並ぶほどの威力で亡者たちを削っていく。
「うわー、凄いわねー。」
レイが飛び込んでいった方向の逆側に腕を振りながら、どこか暢気にぼやくアルクェイド。
それを耳にしつつ、手元の秋葉を揺さぶる志貴だが、反応は無い。
隣のシエルも、ようやく体に力が入るようになったのか、カソックの懐から黒鍵の柄を取り出し、掃討に参加しようとしていた。
「寝ていろ。」
それを、無慈悲な一撃が再び叩き伏せる。
「あぐがっ！？」
「先輩！」
額が割れたのか、倒れ伏すシエルの顔の辺りに小さな血溜が見えた。
姿は見えない。ただ霞のような揺らぎが見えただけ。
その揺らぎが、今度はアルクェイドの背後に現われる。
駆け出した志貴が名前を呼ぶ間もない。
首筋に一撃、体勢が揺らいだところで頭上から一撃。
何の注意もしてなかったアルクェイドは、完全に不意を突かれて崩れ落ちた。
そこへ、止めとばかりに一撃が振り下ろされる。
間に合わない。そう感じながらも、志貴は駆けていた。重い体を引きずって懸命に。
瞬間、身をすくませるような咆哮が走る。衝撃波となって伝わったそれは、まっすぐに止めをさそうとしていた男・七夜黄理を目指していた。
もちろん、歴戦の暗殺者たる彼がそんなモノで仕留められるはずも無い。
しかし、彼がそれをかわして、再びアルクェイドに近づいたときには、既に志貴がそこに立ちふさがっていた。
息は乱れ、冷や汗はシャツに染みを作るほど。黄理と正対するごとに感じている嫌な感覚は直立する事を許さないまでに大きくなっており、志貴は片膝をついて、それでもアルクェイドを背にかばい、ナイフを構えていた。
「お前は、さっき倒れそうになっていたヤツか。」
志貴を、黄理は興味深そうに眺めている。上から下へ、下から上へ。何度か視線を往復させていた。
その間志貴は何も出来なかった。黄理に隙がなかったのも事実だが、何より蓄積する気持ち悪さがそれを許さなかった。
と、黄理が、ふと視線を止める。
「そのナイフは……？」
何かを思い出そうとしているような、不思議そうな表情。
だが、何も思い当たることは無いのか、手にした撥を構え、志貴に冷たく言い放った。
「まあいい。どけ、とは言わん。だから、後ろの吸血鬼共々死ね。」
瞬間、黄理の体が揺らいで、志貴がアルクェイドを抱えて横に跳び、元いた床がえぐられていた。
いや、長らくお待たせしている月夜、第四話目です。
更新速度が緩やかすぎるので、ssリンクのほうには完結してからきちんと登録しようと思ってます。
だってあんまり更新速度が遅いと、前の話を忘れて、読み返して、ってしてると無駄な気分になりませんか？
とにかく未だにこの作品を楽しみに月２００アクセス位してくれる方々のために、がんばりますよ！
迷走を続けているようなこの企画ですが、これからも見捨てないでよろしくお願いいたします。
Fisher man