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バリ島ロングステイ報告

自分の見たまま、聞いたまま、感じたままのバリ島

期間 : 平成18年6月29日(木)〜7月27日(木)   旅行INDEXページ ・ HOME

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第1日目 平成18年6月29日(木)                                                    

自宅を6時45分に出ていよいよバリ島に向けて一歩踏み出した。
9時前に関西国際空港に到着。
関空出発は、定刻より少し早く11時前に出発した。
バリ島のデンパサール空港に到着したのは、定刻通りに現地時
間17時前であった。
入国の前に、ピザ取得のため米ドルで25ドル支払った。滞在
期間が7日以内であれば10ドルである。
入国手続きが終わった後、荷物を受け取り外に出たら、すでに
ホテルの出迎えに人が来ていてすぐにホテルに向けて出発した。
なお、空港の感じは、この島が観光で成り立っているだけあって、
南国らしいバリらしい建物になっている。残念ながら写真を撮る暇
がなかったので撮っていない。

関西国際空港出発 午前11時
ガルーダインドネシア航空 GA833便
この日から28日間滞在のサヌールにあるホテル「アリッツ・ビー
チ・バンガロー」ホテルに18時過ぎに到着。
右の写真のように、このホテルのロケーションは自分的に言えば
最高なのである。まず、宿泊費が安い。1ヶ月滞在して朝食付き
で5万円プラス税金。1日単位であれば3千円/日となる。
部屋は、ツインルームとトリプルルームである。自分の部屋は、
トリプルルームに一人で泊まることになった。さらに、部屋は、バン
ガロー形式なのでそれぞれ独立している。ドアの横は、テーブル
と椅子二つがあるバルコニーになっている。ゆっくり椅子に腰かけ
て本などを読むのに最高である。部屋の前は、庭園になっており
南国らしい庭園で手入れも非常に行き届いている。
ホテルのレストランのロケーションがまた最高なのである。
海辺に面しており、吹き抜けの席があり(写真の通り)、食事の時
心地よい潮風が吹き抜けて、暑くもなく寒くもなく本当に気持ちが
良くなってくる。食事をしながらの会話も弾むというものである。
写真のようにレストランの横は、小さなプールがある。プールサイ
ドで本を読みながら、過ごす時間が至福なのではないかと思う。
今現在(書いている現在)では、まだプールに入っていないが、
明日にでも入ってみようかと思う。

*バリ島観光におけるアリッツ・ビーチ・バンガローホテル立地
  バリ島を観光するにおいてサヌールにある当ホテルは、自分
  的に言えば最高の場所であると思っている。何より交通の条
  件がいいのである。その最たることが、ホテルから2分ほど歩
  いたところにプラマ社のバスターミナルがあるのである。ここか
  ら、島の主要地に殆ど行けるのである。もちろん、タクシーをチ
  ャーターしても人数が多ければ安くあげることは出来るのであ
  るが、一人旅の場合は、格安なプラマ社のバスが最適なので
  ある。また、ベモのステーションも、このバスターミナルの側で
  ある。それから、日常の買い物が出来るスーパーマーケットが
  徒歩15分位のところにある。マクドやケンタッキー、ダンキンド
  ーナッツなどのファーストフード店などもすぐ近くである。
  サヌールは、かつてはリゾートの中心であったらしいが、その
  後、クタやヌサドアなどに中心が移っていったようである。最
  近少し客が戻りつつあるようだが、クタやヌサドアに比べて観
  光客などの人が少なく、静かにゆっくり過ごせる感じである。
  また、人が少ないことにより、クタのようにテロに狙われること
  も可能性として非常に低いと思う。だから、自分的に言えば、
  サヌールのこのアリッツ・ビーチ・バンガローホテルは、最高の
  ロングステイ場所だと思っている。(ウブドにも一泊したが、
  やっぱりサヌールの方が自分的には好きである。)それに、
  このホテルのオーナー夫人が日本人であり、その意味で少し
  安心感もある。(別にオーナーからホテルの宣伝を頼まれた
  わけではありません。(笑))


自分の部屋は、61号室。2階建てのバンガローで下の階である。
部屋の中は、お世辞にも綺麗とは言えない。改装予定があるら
しい。ただし、改装されている部屋もあるが、その分、高くなるので
あえて未改装の部屋を頼んだのである。テレビは付いているが、
衛星放送は入らない。また電話回線もなし。また、時間によっては
浴室の湯がでないことがある。オーナーによれば来年になると瞬
間湯沸かし器を設置して1日中お湯がでるようにするとのこと。
まあ、自分としては、泊まれさえしたらいいという感覚を持っている
ので、部屋の設備について特に不満はない。しかし、電話回線が
ついていないので、インターネットにつなげないのが不満である。

ホテルに着いてすぐにレストランで食事した。食事しているときに
顔を見せた人がいた。我々LSC(ロングステイクラブ)のバリ島で
の主と言えるO氏である。年齢は、80代後半と聞くが、とてもその
年とは思えない聡明さと元気さを持たれていてすっかり感心した。
素晴らしい人生を送られているように思う。自分などは、同氏の爪
の垢を煎じて飲まなければならない思いである。同氏には、
その後色々人生についての話を聞かせて貰うことになる。

ホテルの中庭 部屋は、それぞれ独立したバン
ガローになっている。


プールと展望レストラン。前は海である。ここで
朝食をとるのであるが、心地よい潮風が吹き
抜け暑くもなく寒くもなく最高のロケーションであ
る。晴れた日には、海の向こう側に雄大な山を
見渡すことが出来る。(朝は曇っていることが多
く見えない日が多い。)


大変元気なOさん

第2日目 平成18年6月30日(金)                                    TOP

右の写真は、朝食として食べたバリにお粥「ブブール」である。炊く
のにかなり時間がかかるようで、前日に予約しておかなければな
らない。味は、まさにお粥で癖がなく、非常に食べやすいものであ
った。右の小皿は、中に入れる具で煮干しのようなものやゴーヤ
などである。さらに味付けとして、醤油の中に唐辛子を入れた非
常に辛い醤油を入れる。まずますの味であった。

下の写真は、昼食で食べたバリ庶民料理である。バリ料理は、
鶏を使うことが多く、右側は焼き鳥的なものである。自分は、
結構好き嫌いが激しい方なので、食べることが出来るかと非常に
不安であったが、何とか間食できた。ただ、美味しいとは思わなか
った。ちなみに、これは、スーパーの食堂で食べたのであるが、
値段は、なんと7500ルピアで日本円換算約98円である。
本当に安い。

2日目の日程

ここで約1ヶ月生活するについて、買い物をする必要が出てくるで
あろうという幹事さんのはからいで、まず市内のショッピングセンタ
ーを案内して貰った。
 1.大型メンバー制卸売りストアー 「マクロ」
 2.百貨店 「マタハリ」
 3.スーパーマーケット 「ティアラ」(ここで昼食)
 4.クタ海岸(先般テロ爆発があった近くの海岸)

上記のように大きな店ばかり3店回ったが、それぞれに品物が豊
富にあったが、1のマクロでは、店があまり大きすぎて、各品物の
ラックに空きが目立ち、我々が日本で見ているスーパーのように
ぎっしり詰まっておらず、店舗政策としては、あまり感心できたも
のではないと感じた。2のマタハリでは、品物の種類があまり多い
とは言えなかった。高級品は、食料品などとは違い、そこそこの
価格で売られており、決して安くはない。(特にブランドもの)
3のティアラは、スーパーマーケットで、とにかく食料品が安い。
米が5キログラムで300円ほどである。

クタ海岸は、広大な砂浜が続き波が大きくてサーファーにとって
最高の海岸であろう。多くのサーファーたちがサーフィンを楽しん
でいた。相対的に、ここは白人(たぶんオーストラリア人)が多か
った。先般のテロ爆発は、この海岸のすぐそばのクラブで起こった
ものである。オーストラリア人がターゲットにされたのではないか
と思われる。このクタの町は、バリ島滞在中に1日かけてじっくり
回るつもりである。我々の泊まっているクタと全く反対側の海岸と
比べて遙かに人が多いように思われる。

この日は、幹事のなじみのタクシーを使った。バンに5人乗車し
て一人あたり6万ルピアで一車30万ルピア、日本円換算780円
/人、3900円/車であった。

夜ホテルに帰ってから、長老O氏の音頭取りで歓迎会を催してく
れた。自分を入れて全員で12人であった。このホテルに泊まって
いる日本人全員である。(インドネシアのビザは、最長1ヶ月であ
り、我々の来る前に東京のLSCメンバーが何人か帰国している。
)皆さん人生経験が豊富な方ばかりで、明るく楽しく会話が弾み、
最後には、一部の人がダンスまで披露された。非常に楽しい一時
であった。

朝食のバリのお粥「ブブール」


昼食のバリ庶民料理
値段は、日本円換算98円


クタ海岸にて


夜の歓迎会

第3日目 平成18年7月1日(土)                                      TOP

3日目の日程

本格的観光を開始
 1.タマン・アユン寺院
 2.バリ・バンダラ廣済堂カントリークラブで昼食
 3.ウルン・タヌ・プラタン寺院
 4.バリ植物園
 5.タナロット寺院

午前9時に昨日と同じタクシーに乗り本格的バリ島観光に出発した。
このチャータータクシーの運転手は、ディルガさん。バリ島は90%がヒ
ンズー教信者であり、ディルガさんは、ヒンズー教のカースト制度におい
て最も地位の高い高僧であるとのこと。聞いた話によるとヒンズー教に
おいての地位は、経済的地位は関係なく企業オーナーがカースト制度
において位の高い従業員に敬語(敬語があるのかどうか知らない。)を
使い敬うようである。ディルガさんは、その高位の身分から来るプライド
からかどうか判らないが、非常に紳士的で真面目な人柄で非常に好感
が持てた。聞いているところのバリ人の相対的な時間のルーズさなど
全くなく、以降何回かお世話になったが、約束の時間の15分前くらい
には必ず来て待っていた。また、自ら水やバナナなどのフルーツを用意
してくれて途中でサービスしてくれたのは、本当に信頼の出来る人だな
という印象を持たざるを得なかった。
この日の観光は、丸1日でホテルに戻ったのは、かなり遅くなったので
あるが、チャータータクシー料金は、一人10万ルピアで合計60万ルピ
アであった。
途中バリ島の道路を走っている時に見たのが、右上の田園風景である
。都市部から郊外に出ると写真のような対面二車線の道路である。
やはりここは南国バリ島であり、日本とは全く違う田園風景であり、趣も
違っていた。ここは、1年三期作のようである。トラクターなどの機械式
農具は殆ど見かけられず、もっぱら人と牛の作業であった。

1.タマン・アユン寺院
  最初に行ったところは、タマン・アユン寺院。もちろんヒンズー教寺院
  である。一部藁屋根の葺き替え工事中であった。何年か毎に葺き替
  えるらしい。当日は、学生が夏休みになったのか勤労奉仕か何かで
  独特の箒を持って掃除をしにきていた。

2.ライステラス
  山岳部に行くと写真のようなライステラスが見受けられる。見事に
  ライステラスという棚田が作られている。

3.バリ・バンダラ廣済堂カントリークラブ
  昼食に立ち寄った世界の三十指に入る名門ゴルフ場で日本人の経
  営である。ロビーではジェゴクという楽器が演奏されており、我々の
  メンバーの一人が演奏させて貰っていた。
  このホテル周辺の気候は、高地ということもあって非常に涼しく爽や
  で実に気持ちよかった。このようなところでゴルフをするのは、ゴルフ
  ファンにとってはたまらないであろう。ただし、プレー費も一流のよう
  で日本の一流コース並であるらしい。とても現地の平均的な給料の
  人ではプレー出来ないとのこと。
  昼食中に話が盛り上がって、来年同じように今回のようなツアーが
  企画されるならば是非このゴルフ場でゴルフをしようということにな
  った。さっそく、我々のメンバーの方で、インドネシア駐在員だった方
  がおられ、マネージャーと価格の交渉をされた。交渉の結果、何とか
  特別価格にてプレーさせて貰えるような方向で話が進展したようであ
  る。(結論は来年のこととなりそうであるが。)
  それから、このゴルフ場で驚いたことがあった。我々は日本人である
  し経営者も日本人なので昼食時の日本茶は無料だと思い注文した
  のであるが、勘定書を見てびっくり。何とそのお茶が日本円換算
  200円もついていたのである。みんな唖然としてしまった。それは
  ないだろうといった感じ。しぶしぶ払うことになった。今後もし、この
  コースでプレーして食事をするなら、余程日本茶が飲みたいなら別
  として日本茶は注文しないことである。(もちろん、食事代も日本の
  ゴルフ場並みである。(現地物価からしてべらぼうに高い。)

4.ウルン・タヌ・プラタン寺院
  プラタン湖の中に立つヒンズー寺院。4つの境内に別れているが、
  そのうち2つは完全に湖の上にある。
  自分の感想としては、自分は、それほど寺院や美術や芸術には、
  あまり興味がなく、旅行した場合、有名な寺院に案内されても、ああ
  こういうところにあるのかというような印象しか持たない。いわゆる
  有名な場所の確認だけに終わっているようなところがある。だから、
  今まで多くの場所を旅行したが、寺院や美術や芸術でもう一度見て
  みたいというような場所はあまりない。自然の景色を見ることの方が、
  好きである。

5.バリ植物園
  プラタン湖を眼下に見下ろす場所にある広大な植物園。
  広大なのでいちいち車から降りて見学することなく、車上からの見学
  となった。写真の場所で小休止した。

6.タナロット寺院
  海の中に浮かぶヒンズー寺院。


雲がかかっていなかったら夕陽にシルエットが映し出されたタナロット寺
院の荘厳な姿が見られるのであるが、残念ながら、そのようなロマンチ
ックな姿を見ることが出来なかった。

車窓から見た田園風景


タマン・アユン寺院


ライステラス(棚田)


バリ・バンダラ廣済堂カントリークラブの玄関
にて楽器を弾きご機嫌のTさん


バリ・バンダラ廣済堂カントリークラブ


プラタン湖の中に立つ
ウルン・タヌ・プラタン寺院


バリ植物園


海に浮かぶ寺院
タナロット寺院にて

コラム
バリ島の道路交通事情
バリ島の道路交通事情は非常に印象に残る。
1.バイクが滅茶苦茶多く運転も乱暴である。さらに、2人乗り、3人乗り、4人乗りなどへっちゃら。さらに、
  道路を我が物顔に走っており、大きな車が側に来てもよけない。全く命知らずとしか言いようがない。
  乗用車もそんなバイク  に慣れているのかバイクが前にいようが、横にいようが我関せずというよう
  に平気である。
2.信号は非常に少なく道路を横断する場合、慣れない我々日本人は非常に苦労する。
3.タクシーの助手席に座っていると急ブレーキや前の車との急接近などで急接近で足を何回も踏ん張
  らさせられる。
4.発展途上国などでよく見かけるが、信号で車が停まると新聞売りが近寄ってきて新聞を売ろうとする。
5.信号は少ないし、その信号のルールがよく判らない。
6.スピード規制があるのかどうか判らないが、とにかくよく飛ばす。
7.幸い交通事故は見かけなかったが、残念ながら、あのような道路交通事情であればきっと事故は
  多いであろう。

デンパサール市内にて

第4日目 平成18年7月2日(日)                                      TOP

バリ島に到着してから休み無しで観光してきたので、ここらで小休止にして1日荷物の整理や到着後一度も日本へ
連絡を入れていなかったので電話やメールなどを入れた。

バリ島の通信事情
電話
バリ島には、公衆電話はそんなに多くなく、あっても国際電話をかけることが出来ない電話が殆どである。その代
わりに「WARTEL」という看板を掲げた店で電話をかけることが出来る。精算は、使用した時間分だけ店を出る時に
払う。通話時間は、電話に直結されたパソコンに記録されており、料金を支払った時にレシートを要求すれば貰える
ので誤魔化される心配はない。

インターネット
インターネットカフェが結構多く、インターネットをするには困らなかった。ただし、使用料は1分間で400ルピア日本
円換算5円でかなり割高である。(地域によって多少違う。)また、回線速度は、ブロードバンド回線があまり発達し
ていないようで、遅いと考えていた方が無難であろう。

自分自身の通信事情
自分は、海外旅行する場合必ずノートパソコンを持参して、
現地ホテルの電話回線に繋いでインターネット通信を行っている。
しかし、今回宿泊したホテルは、残念ながら部屋に電話回線が来
ておらず、部屋の中でインターネット通信が出来なかったことが不
便であった。だから、仕方なくインターネットカフェを利用した。
回線速度は、ADSLにも関わらず非常に遅かった。しかし、最低
必要限度の機能は果たしていた。また、インターネットやメールの
他にスカイプ電話も使い、日本と電話した。スカイプは、1分間
2.5円で日本と通信可能である。(プリペイド式)しかしながら、たぶ
ん回線速度に問題があり、話すについて非常にタイムラグがあ
り、通話は不便を感じた。バリ島のインターネット回線速度が改善
されれば、この問題は解決するかもしれない。それにしても、非常
に安くて便利である。通話の仕方さえ通話相手とルールを決めれ
ば、十分に意思疎通は行える。
そんなことでほぼ毎日インターネット通信をしていたので、インタ
ーネットカフェの店員とも非常に懇意になった。右の写真は、19
歳のマヤさんと我々と同行のTさんである。相対的にバリの人た
ちは、非常に人なつっこく気軽に話しかけてくる。さらに、ある程度
の人は、完璧なまでではなくともそこそこ英語が喋れるのである。
このマヤさんも例外ではなく、非常に我々に対して、日本語を教え
て欲しいと話しかけてきた。自分は、英語もインドネシア語も出来
ないので、片言で話していたが、Tさんは、堪能なインドネシア語と
英語で盛んに日本語を教えてあげていらっしゃった。ホテルの部
屋に電話回線が来ていなかったことで、こうして現地人と気軽に
話を出来たのは、怪我の功名と言ったところか。オーバーに言え
ば、ある意味で国際交流を果たしたと言うことであろうか。


インターネットカフェの店員マヤさん
と我々と同行のTさん

第5日目 平成18年7月3日(月)                                           TOP

今日の朝食は、右の写真のナシゴレンを食べた。ナシゴレンとは
インドネシアのチャーハンのこと。ナシは米。ゴレンは炒めるという
意味でナシゴレンという。ナシゴレンの上に目玉焼きをトッピング
してある。味は、まさにチャーハンである。癖もなく普通に食べる
ことが出来る。油は、インドネシア料理の特徴であるが、殆どが
ココナッツオイルを使っている。多少臭いに癖があるが、オリーブ
オイルを初めて食した時のような強烈な癖はないと思う。食べる
時の調味料としては(もちろん調味料なしでも食べることは出来
る。)名前は忘れてしまったが、日本の醤油のようなものと辛み
の強い唐辛子を混ぜたもので、万能調味料のようなもの。辛み
が非常に美味しいと思った。このホテルの朝食は、「ナシゴレン」
「ミーゴレン(焼きそば)」「アメリカンブレックファースト」「ブブール
(お粥)」の4種ルイから選べて、毎日ローテーションして食べて
いた。

5日目の日程  観光を再開
 1.バロンダンス鑑賞
 2.バリ・バード・パーク
 3.キンタマーニ周辺
    バトゥール山麓、バトゥール湖、トヤ・ブンカ温泉
 4.スパイス植物園
 5.ティルタ・エンプル寺院・故スカルノ大統領別邸
 6.ウブド − ウブド王宮、ウブドバザール、ウブドモンキーフォ
          レスト

1日の休日を挟んで観光を再開。今日もディルガ運転手に依頼。
朝の9時頃に出発してホテルに帰着したのが19時頃であった。
タクシーチャーター料は、一人10万ルピア 合計60万ルピア

1.バロンダンス鑑賞
  バロンダンスは、ひとつの物語になっている。物語の結論を言
  うと、世の中には必ず善と悪とがあり、善悪が限りなく争ってい
  るのが常であり、解決しない問題だというものである。
  この世の中は、このバロンダンスのストーリーそのものである
  と自分は思う。マクロにもミクロにも必ず善と悪とがいるので
  ある。理想を言えば、善ばかりであればいいのであろうが、
  それを否定するわけではないが、世の中バランスと言うことが
  非常に重要であるので、善悪混在は致し方ないのである。
  世の中、男ばかりだと子孫は出来ないし、頭のいいエリー
  トばかりだとエリート同士の権力闘争が生じるであろうし、
  労働的に言えば、仮にオフィスワークしかなければ、物は生
  産出来なくなるし、何事もすべてバランスの上に成り立ってい
  るのである。このダンスは、たまたま善と悪ということをテーマ
  にしたのであるが、世の中はすべてバランスの上に成り立って
  いると言いたかったのであろうと思う。自分は、このダンスを見
  てそういう風に感じた。芸術的に見れば、自分的には、あまり
  興味のない部分であり、面白くなかった言うのが本音であり
  次回バリに来た時に、もう一度見るかというと見ないであろ
  う。以降、ケチャダンス、レゴンダンスを見ることになるのであ
  るが、ストーリーは別として、芸術としての面白みは感じなか
  った。演技している人には申し訳ないが、ただ、バリに来て
  観光名物  を、話の種、程度に見たに過ぎない。
  入場料:5万ルピア 650円
  
2.バリ・バード・パーク
  珍獣であるコモドドラゴンを見ようとのことでいった。世界中の
  鳥が集められており一部は写真のように放し飼いにされてい
  る。鳥インフルエンザの影響かもしれないが、入園する時に
  我々の体を消毒液で消毒させたれた。動植物園に入園する際
  に、消毒されたのは今回が初めての経験である(?)。残念な
  がら、目的の一つであった、コモドドラゴンは、繁殖の関係で
  別の場所へ移されているとのことで非常に残念な思いをした。
  びっくりしたのは、このバードパークの入場料の高いこと。
  何と何と128千ルピア、1650円もしたことである。現地の
  様々な物価と比較して法外に高かった。何故か判らないが、
  鳥を保護するのに費用がかかると解釈しなければ仕方ない。
  この値段では現地の人たちは、とても気軽に来ることは出来
  ないであろう。目的のコモドドラゴンを見ることが出来たならば
  、入場料が高くても少しは我慢出来たと思うが、それも見るこ
  とが出来ずに、この入場料。少し納得出来ない。
  (値下げしろ!! 笑)

3.キンタマーニ

  
バトゥール山麓、バトゥール湖、トヤ・ブンカ温泉
  キンタマーニとは、バリで最も覚えやすい地名であった。(笑)
  バトゥール山を中心として、その周辺をキンタマーニという。
  バトゥール山は、休火山で海抜1717メートルの高さである。
  その側にあるカルデラ湖である
バトゥール湖
がある。
  昼食は、バトゥール山とバトゥール湖をのぞむ見晴らしの良い
  レストランでした。インドネシア料理を中心としたビッフェ形式で
  あった。料金は、6万ルピアで昨年の半額だという。(タクシー
  運転手が交渉してくれて安くなったようである。)内容的には、
  まずまずであった。昼食後は、レストランの位置から下って
  (非常にきつい勾配で逆の方向から登ってくるトラックなどは、
  真っ黒な煙を出し  スピードが全く上がっていなかった。)
  バトゥール山の
麓を走り、バトゥール湖畔まで行った。途中ト
  ヤ・ブンカ温泉があった。当初の予定では、水着を着て入る予
  定であったが、時間の都合で割愛。見学しただけにとどまる。
  温泉と言っても、温泉プールといた感じである。客も少なくのん
  びりした風景であった。そこから、すぐの湖畔に、オーナー夫人
  が日本人のホテルに立ち寄った。世界中どこにでも我々同胞
  のそれぞれの人生があるようである。聞くところによると、イン
  ドネシア人と結婚した夫人は、夫婦の生計  を立てるために、
  私財を出して、この地にホテルを立てたそうである。インドネシ
  アの法律では、外国人はインドネシアの不動産は、所有出来
  ないらしく名義は夫のものになっているらしい。その日本人夫
  人は、我々が行くと出迎えてくれたが、アリッツホテルの日本
  人夫人と違い何だか淋しげで疲れたような表情のように自分
  の目から見て思った。やはり、遠く日本から離れてバリ島の
  僻地に住むことは何かと苦労が多いのであろう。しかし、人そ
  れぞれの価値観があり、表面的には元気なく見えても内面的
  には、幸せ感を感じておられるに違いない。いずれにしても、
  世界各地で頑張る我々同胞に対して「頑張って下さい!!」を
  エールを送りたい。
  
  この湖畔の対岸にトルニャンという死んだ人を風葬する村があ
  る。聞くところによると、その村は、やはり死臭がするとのこで、
  気味が悪いし、金金金と観光客に対してあまり評判が良くない
  とのことなので当初から行く予定はしていなかった。(好奇心と
  しては、非常に興味をそそるがトラブルには遭いたくない。)

4.スパイス植物園
  帰途の途中でスパイス植物園を覗いた。熱帯のスパイスやフ
  ルー  ツなどの木が一杯植えてあった。右の写真は、スネー
  クスキンフルーツというフルーツ。食べてみたが、それほど美
  味しいとは思わなかった。スネークという名前から食べるにつ
  いて、いいイメージがなく美味しく感じなかったのかもしれな
  い。(自分は、蛇などの爬虫類が大嫌いである。)自分は、
  料理の勉強を1年間したが、料理の味という物は、物理的な
  味そのものもあるが、イメージや雰囲気で感じ方が変わるもの
  だと、この件に関しても改めて感じた。(食わず嫌いという言葉
  があるが、これは、人間の持っているイメージのなせる技で、
  好き嫌いのある自分にとっては、このイメージの影響が特に
  大きいように思う。話は、オーバーになるが、何かの苦手を
  克服するには、イメージチェンジするのが最も効果的な方法か
  もしれないと思う。)
  スネークスキンフルーツの下の写真がバニラの木である。
  写真では判りにくいが、先の鶴のような物を乾燥させたら
   、あの何とも言えない素敵な香りが生まれるのである。
  (アイスクリームやカスタードクリームなどの臭い。)

5.ティルタ・エンプル寺院・故スカルノ大統領別邸
  
聖なる泉のあるティルタ・エンプル寺院を訪れた。もちろんヒン
  ズー寺院である。写真の泉は、こんこんと地下水がわき出して
  おりその透き通った泉を見ていると、まさに聖なる泉、聖なる
  水を思わせるものであった。その横には、写真の沐浴場があ
  り、信者達が沐浴をしていた。実際のところをいうと、神聖なる
  沐浴の場所で沐浴している人たちを撮影するのは、不謹慎か
  と思ったが、思い切って撮ってみた。誰も苦情を言うものもな
  く、撮れたわけであるがその辺も、バリ人のおうらかさかもし
  れない。ティルタ・エンプル寺院の横は、インドネシアの生みの
  父、故スカルノ大統領の別邸があった。今も、スカルノ一族が
  利用しているらしい。寺院よりかなり高い位置にあり、寺院を
  見下ろしているような感じである。もちろん、きれいに整備され
  ていた。
  この聖なる泉の寺院で実に不愉快なことがあった。我々のメン
  バーの一人が、スリにあったのである。寺院を出てから、その
  人が有料トイレに入ろうとして、ポーチの中を見たらお金が無
  かったので気が付かれたのである。寺院にもう一度探しに行
  かれたが、なかったので、すられたのであることが判った。一
  般的に言って(どうか判らないが)、ほとんどスリなどの悪いこ
  とをするのは、バリ人ではなく、貧しいジャワ島などから渡って
  きた連中が多いとのである。この辺を考えても、バリ島はインド
  ネシアの他の島に比べて豊かなことが判る。
経済的に貧困で
  あることは、犯罪の発生が多くなることは間違いない。人間は
  、誰でも生きていかなければならず、生きるためには食べな
  ければならない。その為の、金がなければ、犯罪に走ることは
  、ある程度避けることが出来ない問題なのかもしれない。

  
6.ウブド
  ウブド王宮、ウブドバザール、ウブドモンキーフォ
レスト
  帰りに少しだけ立ち寄った。すでに日が沈み薄暗かった。
  ウブド王宮は、自由に入ることが出来た。実際は、入ってはい
  けないのかもしれないが、中にいる人は、外部の人が入って
  きても、何にも言わないのである。この辺は、バリ人らしいお
  おらかな部分なのかもしれない。
  ウブドは、後日単独で訪れることになるので、その時に詳しく
  記したい。

ホテルに帰着したのは、19時過ぎであった。夕食は、ホテルのレ
ストランでイーフーミーという固い焼きそばを食べた。

ホテル朝食のナシゴレン
フルーツ又はジュース
コーヒー又は紅茶が付く


バロンダンスの1コマ


バリ・バードパーク
一部の鳥放し飼いにされている


パトゥール山


パトゥール湖を背景に


トヤ・ブンカ温泉


スネークスキンフルーツ


バニラの木


ティルタ・エンプル寺院の聖なる泉


信者達が沐浴をしているところ

第6日目 平成18年7月4日(火)                                             TOP

5日目の日程
 1.バリ島の銀行見学
 2.オーナー夫人の工場見学
 3.ブノワ港
 4.ウルワトゥ寺院
 5.ケチャダンス鑑賞
 6.ジンバランの海鮮レストラン街


1.バリ島の銀行見学
  同行者の一部の人が、銀行に所用があるというので、バリ島
  の銀行は、どんな様子なのか好奇心から見てみたいと思った
  ので同行させて貰った。その銀行は、デンパサールの中心部
  のはずれにあり、その銀行の中心的店舗であるとのこと。中に
  入ると日本の銀行と違いかなり閑散としていた。お客さんの人
  数も少ないと同時に行員の人数も少なかった。内容はよく判ら
  ないが、行員の業務スピードも何だかのんびりした感じで、お
  客さんが多かったら、とても回っていけないのではないよう感
  じであった。定期預金などの金利を呈示しているところを見る
  と、いくらか忘れたがかなりの高金利であるようであった。
  バリ島でのATMの設置は、かなり進んでいるようであちこち
  に見受けることが出来た。頻繁にバリ島に行くのであれば、
  こちらに預金口座を開いてもメリットがあるように思う。金利
  は、高いし日常の出し入れも問題なさそうである。ただ為替
  リスクがあるのでその辺の問題だけである。

2.オーナー夫人の工場見学
  ホテルオーナー夫人は、日本人であるが、かなり前向きのや
  り手であるように思う。右写真のような従業員10人程度であ
  まり大きくはないものの、「M&K」というブランドを立ち上げて
  、洋服、ハンドバックなど、自分でデザインしたものを製造販売
  している。家族への土産として、ハンドバックを2個購入した。
  自分は、ハンドバックや服などのデザインの善し悪しを見分け
  るのは全くの苦手であり、センスがないのであるが、オーナー
  夫人に年齢を言って選んで貰った。それにしても、日本から遠
  く離れた土地で、こうして事業を営んでいるのは立派なもので
  ある。逞しいし頼もしい限りである。自分などオーナー夫人の
  爪の垢でも貰って飲まなければと思うくらいである。

3.ブノワ港
  夕方からケチャダンスがウルワトゥ寺院側の演舞場で行われ
  るとので15時にいつものタクシーをチャーターして出かけた。
  途中バリ島最高級と思われれるヌサドアのリゾート地を通って
  行ったが、その辺一体は租界を思わせる感じで、地区に入る
  時と出る時には、検問所があり、そこを通らなければ中に入れ
  ないのである。バリ人の生活と完全に分離されている感じであ
  る。クタなどでテロがあったことで、より警備が厳しくなっている
  ようである。時間調整の為に何の変哲もないブノワという漁港
  を訪れて、しばらく散策した。

4.ウルワトゥ寺院
  この寺院は、中に入って見学しなかった。それほど大したもの
  ではないのであろう。ここは、位置的に言えばバリ島の最南
  端地域である。寺の付近に野生の猿がたくさんおり、見学者
  の様々な悪さをしているらしい。特に、どういうことか判らない
  が、眼鏡をよく取られるとのことである。だから、その付近に
  行く時は、眼鏡を外すように事前に言われていた。しかし、
  油断も隙もなく、その周辺を通り過ぎた思い、安心して眼鏡を
  かけるとさっと盗られるということがよくあるらしい。猿も賢くな
  っており、餌を与えると盗った眼鏡を手から離すそうである。

5.ケチャダンス鑑賞
  
日が暮れる前から、ケチャダンスが始まった。前に見たバロ
  ンダンス同様にストーリーがあり、それにそって進行していく。
  特徴的なのは、このダンスの題名になっているケチャというよ
  うなかけ声が、ストーリーの全体を通じて流れている。(日本
  のテレビのCMに写真のようなシーンがあったと思う。)
  リズム感的には、こんな言葉で表せる。
  「チャ・チャ・チャ・チャ・ケチャ・ケチャ・ケチャ・ケチャ・何だ坂、
  こんな坂、何だ坂、こんな坂・・・・(繰り返し)」というような小
  気味のよいリズムとなる。
  ストーリーは、平和な森の中に住む王子と王妃がおり、王妃
  を見そめた魔王が王妃を奪い去り、王子が王妃を奪い返すま
  での過程を描いたものである。
  右の写真の男達は、単純な踊りとかけ声を発している。
  見るからに簡単そうである。自分にも出来るかもしれない
  (笑)。女性の踊りについては、自分は芸術的センスはあまり
  ないので、少し鼻の下を長くして見てしまう部分があるが、動
  きが非常にセクシーなのである。(ストリップを見ているのでは
  ないでと、笑われそうであるが。)お尻を後ろに突き出して独特
  な足運びで、そろりそろりと踊っている。その足運びをみている
  と日本の狂言師が舞う時の足運びが非常に似ているように感
  じた。同じアジア民族であるし、何らかの関連があるのかなと
  思わざるを得なかった。まあ、一生懸命踊ってくれている踊り
  子さん達には、申し訳ないが、芸術的感性の乏しい自分にと
  っては、前に見たバロンダンスと同様にもう一度見たいかとい
  うと見たくないというか見ても面白くないと言ったところである。
  
6.ジンバランの海鮮レストラン街
  ケチャダンスを見終わってから、帰る途中になるので結構シ
  ーフード屋台で有名なジンバランでシーフードを夕食として食
  べようということになった。しかし、それが全くの期待はずれで
  あった。魚介類の鮮度が悪い上に非常に高いのである。高い
  のは我慢出来るのであるが、鮮度が悪いのはどうも駄目であ
  る。鮮度が落ちる原因は、バリ島全体に言えることなのかもし
  れないが、冷蔵冷凍設備の不備にあるようである。暑い地方
  なので、余計にその辺を気遣わなければならないところである
  。しかし、その辺は、清潔感にかなり神経質すぎる我々日本人
  との文化の違いなのかもしれない。鮮度が悪いと言っても腐っ
  ているわけではない。もちろん、刺身など生で食べるわけには
  いかないが、煮たり焼いたりすれば問題はないのである。我々
  の持っているジンバランのイメージとして高級シーフードという
  のがあり期待はずれであったのである。結局、2件ほどレスト
  ランを回ったのであるが、ジンバランでの食事は中止となった
  。(自分としては、話の種にもなるので、ジンバランで食べても
   よかったのであるが、団体行動なので全体に従った。)

オーナー夫人の工場


ブノワ港


断崖の端のウルワトゥ寺院


ケチャダンス会場から見るサンセット
残念ながら雲がかかって鮮明に見れない


ケチャダンス


ケチャダンスの女性の踊り子

第7日目 平成18年7月5日(水)                                             TOP

7日目の日程
 1.早朝に近くの朝市に行き昼食用の魚介類を購入
 2.ダイバーショップに行きスキューバーダイビングの申込
 3.昼食
 4.ゴルフの打ちっ放し練習
 5.ホテルオーナ主催の歓迎会

1.早朝に近くの朝市に行き昼食用の魚介類を購入
  少し早起きして、みんなで朝市を見学してみようということに
  なった。まだ、夜が明けていないうちにホテルを出て、砂浜沿
  いに歩いて朝市に行った。ここバリ島は、赤道直下近く
  (南緯9°)にあり、今は冬であるものの夜明けは、6時35分
  頃である。(たぶん、12月の夏になれば多少夜明けが早くな
  るかもしれない。ただ、日の出、日の入りの時刻は1年を通じ
  てあまり変わらないと思われる。そんなことで、日の出が出て
  くるのを横目で見ながら歩いた。残念ながら、夜明けは、だい
  たい曇っており、完璧に日の出を見ることは出来ない日が多
  い。この日は、太陽の頭が見えたが、完全に昇りきった時は、
  上3分の1はかけて見えなかった。ホテルから、歩いて20分
  くらいのところに市場があった。卸売市場とというのではなく、
  小さな小売市場といった感じ。場所は、そんなに広くなく、実
  にせせこましい感じがした。奥に行けば行くほど薄暗く所狭
  しと物を置いているので、すれ違うにも非常に歩きにくかっ
  た。物は、非常に豊富であり食料品から日用品まで何でも
  そろっている。我々は、昼食用に魚を買った。朝に捕れたば
  かりのものであろう。ただ、ジンバランもそうであったように、
  ここでも冷蔵設備がなく、わずかの氷で冷やしているのみで
  あった。しかし、この市場は、10時頃で店じまいするので、
  それはそれで問題はないのであろう。我々は、海老と適当
  な魚を3匹購入。昼食のおかずにすることにした。代表の人
  が、お金を払っており(もちろん割り勘。インドネシア語でバ
  ギバギという。)、いくらか判らなかったが、とにかく安いこと
  は間違いない。


2.ダイバーショップに行きスキューバーダイビングの申込
  タクシー運転手のディルガさんの紹介でインドネシア・カクタス
  ・ダイバーズというダイバーショップに行った。時間もたっぷり
  あるし、この際だと思いオープンウオーターダイバーズという
  入門ライセンスコースを申し込むことにした。料金は、ホテル
  送迎、昼食、器具、テキストなど全部含めて4日間で360ド
  ル、日本円で約41400円であった。安いのか高いのか判ら
  ないが、たぶん日本で取るより安いであろうと考えた。カリキ
  ュラムは、1日目が学科の講習、2日目がプールで基礎実習
  、3日目が近くの海で実習、4日目が遠くの海で実習というこ
  とになっている。もちろん、インストラクターは日本人である。
  この店のオーナーも日本人女性であり、最初からの日本人
  のインストラクターが条件であったので問題はなかった。期
  間は、7月11日(火)から14日(金)まで、おおよそ時間は、
  9時から15時くらいまで。この日のうちに、テキストをホテル
  まで届けてくれるとのことで、それで講習を受けるまでに予
  習をしておいてくれとのことであった。だから、講習の始まる
  3日前は、観光などの予定を何も入れずにホテルにこもって
  予習に専念することにした。

3.昼食
  朝市で購入した海老や魚をレストランの調理場に頼んで調
    理して貰い(もちろん料理の仕方は、我々のメンバーの中
    に食通の人がおり、その人がすべて指示し調理して貰った
    。)、我々のメンバーの中で、最も良い部屋(NHKBSテレ
    ビ、台所など設備が整っている。ただし、料金は高い。)の
  前のバルコニーでメンバー全員で食事した。こういう雰囲気
  で食べるのも趣があっていいものだ。右の写真は、メンバー
  の一人がスーパーで赤米と黒米を買ってきており、それをブ
  レンドして炊いたもの。目をつぶって食べたとしたら、赤飯と
  間違うであろう。結構美味しかった。

4.ゴルフの打ちっ放し練習
  4時頃からみんなでゴルフの打ちっ放しに行こうかということ
  になり行った。打ちっ放し場は、歩いても行けるところにある
  が、行きは一度現地の人たちの足であるベモ(軽自動車の
  ライトバンを改良したミニバスといった感じの車)に乗ってみ
  ようということになった。5人で乗ったのであるが、貸し切り状
  態になる。最初は、ベモの運転手と交渉すのである。最初の
  ベモの運転手は、我々の希望である一人3千ルピアを拒否。
  ジャランジャランで行けという。(散歩、歩くという意味)次のベ
  モの運転手はOKして乗ることにした。このベモは、あくまで
  乗り合いであり、他の人が乗ってくるの当たり前である。バス
  と言ってもバス停はなしで、道の何処でも停まってくれる。歩
  いていると、クラクションを鳴らして、乗らないかとの合図をよ
  く送ってくる。料金については、決まりはない。基本的に、ツ
  アー客料金と現地人料金があるようである。もちろん、ツアー
  客料金の方が高い。しかし、それも交渉なのである。まず、
  ツアー客は、慣れないと乗れないであろう。価格交渉は、あく
  まで強気でいくべきであろう。パターンとして、ケースバイケー
  スであるが、その辺は、需給バランスの問題で客が誰も乗っ
  ていない時には、こちらの指し値が通らない場合は、ノーと言
  って乗らないこと。すると、ほとんど「ちょっと待って。OK」とい
  う答えが返ってくるのである。その辺の駆け引きは、現地人
  にとって日常的なものであり、神経質に考える必要は全くない
  のである。これも慣れが必要であろう。話は、それたが、写真
  のようにゴルフの打ちっ放しをしたわけであるが、自分にとっ
  ては、5年ぶりくらいのゴルフである。まともに当たるわけな
  かった。ゴルフ球代は、50個で15000ルピア、日本円で
  200円弱  。貸しクラブは、1本25000ルピア、330円弱。
  それから、この打ちっ放し場で日本では見られない光景が見
  られた。貧富の差というのかどうかわからないが、写真でもわ
  かるように、係員が、客の正面に座ってボール置きをしている
  のである。当然チップ目当てなのであろう。

5.ホテルオーナー主催の歓迎会
  夜の夕食時にホテルオーナー主催で我々に対して歓迎会を
  開いてくださった。内容的には、質素なものであったが、その
  気持ちが嬉しいものである。あいにくオーナーは、所用で出
  席されなかったもののオーナー夫人が出席されていた。やは
  り、そのあたりは、オーナー夫人が日本人であり、その辺から
  もお互いに親近感を感じるのであろう。まあ、その辺のオーナ
  ーの気遣いに対して、我々は、奢らず、甘えず、威張らず接し
  ていくべきだと、ふと感じた。

朝市の市場


昼食


赤米と黒米


ベモ内部


バリ島のゴルフ打ちっ放し場
下手丸出しのフォーム






コラム
旅行をしていてもやはり日本のことが気になる。
NHKBSテレビが受信出来るテレビがある人から聞いた
情報によると、北朝鮮が、ミサイルを7発も発射したとの
こと。種類は、定かではないがテポドン2号かもしれない。
それにしても、北朝鮮という国は、実に厄介な国である。
幸いというか、北朝鮮の意識的な操作か判らないが、着
弾したのは、日本海とのことで大事には至らなかった。打
ち上げが失敗した可能性も十分ある。
北朝鮮のやり方は、いつも瀬戸際外交でギリギリの線で
動いている。全くやり方に進歩はない。そのやり方は、関
係各国には、見え見えで全く効果はないのである。かえっ
て心証を悪くするばかりで何のプラスもない。自分で自分
の首を絞めているようなものである。早くその辺のことに
気付いて欲しいものである。

第8日目 平成18年7月6日(木)                                              TOP

8日目の日程
基本的には、決まった予定無し。1日自由行動であった。

自分自身の行動
 1.スーパーマーケットへ食料などの買い出し。
 2.インターネットカフェ
 3.ホテルのプールで泳ぐ
 4.O老人の部屋で人生について話を聞く
 5.所用で先に帰国されるT氏の見送り

*自分の泊まったホテルの部屋
  
右の写真は、ホテルの正面玄関と下2枚は、自分の泊まった
  部屋である。写真のようにバンガロー形式になっており、自分
  の部屋は、1階の61号室であった。部屋は、トリプルベッドで
  あったが、もちろん泊まったのは自分一人だけである。ただ、
  夜中になると賑やか(?)というか、壁や天井をヤモリが徘徊
  するのである。最初は、少し気味悪かったが慣れてくると何も
  感じなくなった。もちろん、壁や天井をはい回っているだけで
  人間を攻撃することはない。バリ島では、どこの家にでもいる
  らしい。どちらかというと、蚊など害虫を食べてくれるので、益
  虫の部類に属するのかもしれない。日本の家庭にいるあの
  嫌なゴキブリがいなかたことは幸いであった。部屋の前には、
  写真のようにテーブルと椅子が置いてあり、何も行動予定が
  ない時は、椅子に腰掛けて本を読んでいた。この場所は、
  風がよく通り、本当に心地よく過ごせる場所であった。ここで
  本を読んでいると何だか時間がゆっくり流れているような気
  がした。

*バリ島の歩道
  自動車道の両側に歩道があるが、写真のようにマンホール
  の蓋がないところが、多く見受けられる。知らない人が、
  夜歩いた場合非常に危ないのである。これは、ここサヌール
  だけではなくバリ島全体が、このような状態である言っても
  過言では無かろう。もし、歩いていて、ここに落ちた場合、
  関係役所に文句を言っても、よく見て歩かないのが、悪いと
  言われるそうである。(実際確認したわけではないが。)
  その辺は、文化の違い、経済力の違いと言わざるを得ない
  のかもしれない。

この日の行動
 1.スーパーマーケットへ食料などの買い出し
   バリ島に滞在中の食事は、外食ばかりしていたのではな
   く、日本から持参したラーメンや味噌汁を食べたり、ホテ
   ルから歩いて10分くらいのところにある写真のスーパー
   マーケットに食料を買い出しに行ってそれを部屋で食べ
   るというような繰り返しであった。スーパーでは、食料以外
   でも何でもそろっており、非常に重宝した。また、ものによ
   って様々であるが、やっぱり相対的に非常に安いのであ
   る。ただ、輸入品や有名ブランドの食品は、そこそこ高かっ
   た。高いと言えばスーパーと同じ道筋にあるマクドナルド
   のハンバーがーである。ハンバーガーとコーラ、ポテトフラ
   イのセットで24千ルピア、日本円換算約300円である。
   日本で食べることを思えば安いのであるが、現地の所得
   水準からして非常に高いものとなっている。後で書くが、
   屋台で食事したが、そこのナシチャンプルが6千ルピアで
   あったことを考えれば如何に高いかが判る。スーパーで
   買い物をした後で、道を変更して歩いてかえったが、途中
   に写真のような大衆食堂的なところがあった。そこでは、
   食べなかったが、おそらく5千ルピア前後で昼食が出来る
   のであろう。写真のような砂浜の測道も歩いた。非常に
   南国リゾートらしい風景である。

 2.インターネットカフェ
   ホテルの部屋で昼食後、インターネットカフェに行った。
   日本に帰国する日まで、かなりの回数行くことになったが、
   前にも書いたが、結構店員とも親しくなった。ヨイショされた
   のかどうか判らないが、自分の歳を30歳くらいかと言われ
   た。例えお世辞でも若く言われたら嬉しいものであるが、
   本気で言っているようであった。相対的には、バリ人はすご
   く老けるのが早いような感じである。店員のマヤさんのお母
   さんの写真を見せて貰ったが、50歳くらいらしいが、何とす
   ごく老けていた。そんなことからすると、満更自分に対して
   30歳くらいと言ったのは、なずけるのである。インターネット
   メールは、当初受信のみで発信が出来なかったが、
   yahooメールを使ったら出来るようになった。その他、阪神
   タイガースの情報など問題なく入手出来た。

 3.ホテルのプールで泳ぐ
   バリに来てから初めてホテルのプールで泳いだ。時間的に
   言えば、夕方に近かったので、プールにはいると寒いくらい
   であった。少しだけ泳いですぐにあがった。その時、プール
   サイドにO老人がおり、後で部屋に話に来ないかと誘われ
   たので、好奇心もあり、老人の含蓄ある話を是非聞きたい
   と思い後で訪問することになた。

 4.O老人の部屋で人生について話を聞く
   少し遅くなったが、18時頃にO老人の部屋を訪問した。
   仕事の話や、昔の恋の話(フランスのパリでのフランス人と
   の恋、インドネシアでの日本人との恋などで、非常に話し
   上手にドラマチックに話され、まるでフィクションを地でいっ
   ているような素晴らしい恋物語ののようであった。結果とし
   ては、悲恋というかハッピーエンドではなかったようである
   が、すごく老人の若き日の胸ときめかせた時代の話で感動
   した。)など、3時間ほど話を聞いた。年をとってから、この
   O老人のように、自分自身の若かりし時の話を人に聞かせ
   ることが出来るというは、まさにその人の人生を語っているこ
   とであり、素晴らしいことであると感じた。果たして、僕自身、
   この老人のように人に話せるような素晴らしい人生を送って
   いるのであろうかと、今更ながらに自分の今までの人生とい
   うのを考えさせられてしまう。このO老人の話を聞いた人の中
   には、80%作り話だという人もいたが、話がドラマチックすぎ
   るので、僕自身も100%本当だとは思わないが、しかし、絶
   対言えるのは全く根も葉もない話ではなく、紛れもない事実
   が含まれていると言うことであり、それだけ人に話出来るだ
   けの意義のある人生を生きてこられたということである。果
   たして、O老人のように自分の人生を堂々と話せる人が何人
   いるのだろうか。そうは多くないと思う。また、改めてじっくり
   O老人の話を聞いてみたいと思った。こういった出会いも縁
   があるからこそで、こういった縁を大切にして、色々な人の
   人生を聞いて、見て、少しでも自分の人生にプラスになれば
   と感じた。

5.所用で先に帰国されるT氏の見送り
  O老人の部屋で話しているうちに、今回のバリ島ロングステ
  イで最もお世話になっているT氏が、所用があり帰国されると
  のことで、ホテルの玄関のところまで見送りに行った。T氏は、
  自分の会社の先輩で、退職後も何かとお世話になっている人
  である。出来るなら、最初から最後まで一緒に滞在することが
  出来ればよかったのであるが、所用であり仕方のないことだと
  思った。



                        砂浜
サヌール海岸の砂浜であるが、このような特徴的な砂浜がか
なりの範囲で広がっている。サヌールの反対側のクタの海岸
は、もっと大きな砂浜であるが、どちらもバリ特有の景色のよ
うな感じがする。

アリッツ・ビーチ・バンガローホテル玄関


自分の泊まった61号室


自分の泊まった部屋全景
2階は62号室


所々に見られる歩道の蓋のないマンホール


ホテル近くのスーパーマーケット


スーパー前の道路
マクドも見える


食堂

第9日目 平成18年7月7日(金)                                               TOP

9日目の日程
観光を再開した。今日は主に島の北部を重点的に観光

 1.ギッギの滝

 2.シガラジャ(車窓観光)
 3.バンジャール・テガ温泉
 4.バンジャール・テガ仏教僧院
 5.ウルン・ヌタ・プラタン寺院


*右の写真は、いかにも南国バリらしい田園風景である。椰子の
 木が植えられた風景は、ここは日本ではないことの象徴的風景
 である。バリ島の米作は、三期作ときく。広さあたりの生産性は、
 判らないが日本の米作よりかなり劣るのではないかと思われ
 る。しかし、1年に三度も米が、採れるので生産性はあまり考え
 なくてもよいのかもしれない。(日本のような機械による耕作は
 殆ど見ら れず、牛がその役目を果たしているようである。)


1.ギッギの滝
   右写真のような滝であるが、特にここでしか見られないよう
   な特徴的な滝ではない。落差もそこそこあり水量も豊富で
   あった。ここでの印象は、滝ではなく途中の土産物売り屋
   が特に記憶に残っている。特徴的なものではないのである
   が、他の場所もそうでるものの、ここでの子供の売り子が
   目立った。彼ら彼女らに同情的な目で見るのは、失礼なの
   かもしれないが、本当に小さい子は、幼稚園に行く前の年
   齢のような子が、しつこく値段を言って勧誘してくるのであ
   る。我々の目から見て、非常に哀れに見えて可哀相なくら
   いである。しかし、本人達は、そのようなことは思っていな
   いと思う。親から命令通りに動いているだけだと思う。やっ
   ぱり、貧困というのはそこまでしなければ食べていけない
   のであろう。また、親たちは、旅行者の同情を誘わせものを
   売るた めの手段だとしか考えていないであろう。こんなと
   ころを見ると、今の日本は、何と豊で恵まれた国であると思
   う。ただし、 物質的には、そうであっても、精神的には、
   どちらが幸福感を感じているか判らないと思う。

2.シガラジャ(車窓観光)
   最も北の大きな街に入った。オランダが支配している頃の
   バリ島の中心であったところである。街中が非常にきれい
   に整備されている感じ。都市計画をきちっと立てて整備して
   いったのであろう。西洋的な香りがぷんぷんするような街
   であった。シガラジャから、少し西に行ったロビナで昼食を
   した。ここの客は、殆どが白人であった。どちらかというと、
   この辺は、圧倒的にオーストラリア人、オランダなどヨーロッ
   パ人が多いのであろう。料理は、インドネシア料理のビッフ
   ェ形式であった。昼食代は、6万ルピアで現地で言えば高
   級レストランである。

3.バンジャール・テガ温泉
   写真は、温泉なのである。一見プールのようであるが、
   湯は、非常にぬるいのであるものの温泉である。現地の人
   たちは、温泉につかるという習慣はないとのことで、熱い湯
   を嫌うらしい。だから、かなり水で薄めて温度を下げてある。
   我々日本人からして、非常にもの足らない。日本の温泉の
   イメージとは全く異なる。写真は、一般用の温泉で、少し汚
   いよな感じがしたので、我々はプライベートの部分で1万ル
   ピアを払い入った。(もちろん貸し切りとなる。)いずれにしろ
   日本で言う露天風呂であるが、バリ島のきつい日差しが入
   る中での入湯は、何とも味気ない気がした。さらに湯はぬる
   いし、温泉の爽やかさを感じることが出来なかった。日本人
   は、日本人特有の温泉のイメージがあると感じた。(もちろん
   水着を着て入浴。入浴という寄りプールに入った感じ。)

4.バンジャール・テガ仏教僧院

   温泉のすぐ近くにヒンズー教が中心のバリ島にあって、
   非常に珍しい仏教僧院があった。閑散とした高台の上に
   それはあった。参拝者は誰も見あたらず非常に淋しい感じ
   がした。特に、仏像や寺院に興味のない自分にとって見る
   べきものはなかった。ただ行ったという感じ。(バリ島の宗教
   は、ヒンズー90%、仏教2%、イスラムとキリスト合わせて
   8%)ただし、高台からの展望は、すばらしく前には、バリ海
   が広がっており非常に雄大な景色であった。


       バンジャール・テガ仏教僧院

田園風景


ギッギの滝


ロビナのレストラン


バンジャール・テガ温泉一般用


バンジャール・テガ温泉特別用




第10日目 平成18年7月8日(土)                                              TOP

10日目の日程
この日の予定は、何もなく全日フリータイムとした。この日の過ごし方は、以下の通り。

1.絵はがきを購入して投稿
   ホテル近くの土産物屋で絵はがきを購入。1枚1500ルピアで1枚20円程度。お金を支払う時も、誤魔化され
      ないように慎重に対処。油断すれば簡単に誤魔化すらしい。聞くところによると(確認したわけではないが。)、
      全部が全部では決してないらしいが、相対的に計算は弱いのであるが、お金を誤魔化すのはうまいらしい。
   ホテルに帰ってはがきを書いた。すぐにポストに投稿しようと思ったが、ここバリでは、郵便ポストがほとんど
      ないのである。同行の他の人に投函方法を聞いたら、雑貨店や土産物屋で投函してくれるとのこと。その店
      で、切手を買い投函して貰うのであるが、これも気を付けなければ切手代を誤魔化されるらしい。何と郵便局
      へ行っても窓口の人間が、当該送り先の送料を誤魔化して言うらしい。公的機関の人間であってもそういうこ
      とをするのであるから、全く油断も隙もあったものではない。ましてや、一般の雑貨などであれば尚更である。
     (確認したわけではないし、全部が全部ではなく善良な人も多くいることは間違いない。)日本までの切手代は
      、6千ルピアで約80円である。まあ、慣れれば誤魔化されることはないであろう。結局自分は、同行の人に教
      えて貰った信用のおける店に行ったので全く問題なく投稿することが出来た。

2.スキューバーダイビングの予習
   7月5日にスキューバーダイビングショップにライセンスコースを申し込んだ際に、当日夕方までに予備知識を
      入れて貰うためホテルのフロントにテキストを届けておくということになっていた。しかし、それについて問題が
   あった。これも全部ではないと思うが、バリ人の文化というか国民性が原因と思われることであるテキスト
   が届かないのである。翌日にホテルのオーナを通じてフロントに、テキストが届く件を言っておいた。すると
   しばらくしてすぐにテキストが届いたのである。おそらく、前の日がから届けられていたと思う。(スキューバー
   ダイビングショップは日本人経営である。)その辺は、我々日本人から見るとかなりルーズに思う。ただ現地人
   であるバリ人は、そのようなことに対しては、あまり申し訳ないと思っていないようである。ことこのホテルに関
   しては、伝言などをフロントに頼んでもきちっと伝えて貰えないと考えていた方がよいみたいである。これと同
   じようなことが他にも2回あった。ひとつは、我々の同行者が、スキューバーダイビングに行く計画をしていて、
   (自分とコースが異なるので時間が別)ショップの方から時間がホテルのフロントに伝言しておくとのことであ
   ったが、それも本人には全く伝わっていなかった。(ショップの方は伝言したといっていた。)
   それから、もう一件は、ジャワ島で自身があった時、日本にいる自分の家族が心配してホテルへ電話して日本
   に電話をかけるよう伝えてくれと伝言したのであるが、全く自分に伝言はなかった。そのことは、日本に帰国し
   てから判ったことなのであるが、たまたま、家族が電話してきた後、自分が電話したので伝わってものと家族
   は、考えていた。しかし、帰国後その話をしているうちに真相がわかり、全く日本からの伝言が伝わっていな
   かったのである。たまたま、自分が自主的に電話しただけのことである。
   このような面に関しては、バリ人の文化、国民性、性格が現れていると言わざるを得ない。我々日本人にとっ
   て厄介なのは、そのことに関して彼らは、申し訳ないことをしたと思っていないことである。ティダアパアパであ
   る。(気にしない。気にしない。どういうことはないというような、感覚なのである。)この辺は、異文化との交流
   において、常に相手のそういう感覚を頭に置きながら接触した方がよいのかもしれない。いちいち、ことを荒立
   てて問題にすれば、摩擦を生じるし、何も言わないのも、またお互いの疑心暗鬼にも繋がるから、その辺は、
   心して当たっていかなければと思う。まあ、腹が立つ部分があるかもしれないが、バリ人の文化は、そのような
   文化であると言うことを頭に入れて接触するのがベターなのかもしれない。(よく判らないが)
   
   話は、大きく脱線してしまったが、この日は、ホテルの自室のバルコニーの椅子に腰掛けて、殆どの時間を
   テキストを読んで過ごした。テキストは、250頁もあり本番まで3日しかなく全部読めるかどうか判らないが、
   出来るだけ頑張ることにした。日中は日差しがきつくて暑いのであるが、日陰になるバルコニーには心地よい
   風が吹き抜け、本当に気持ちよく勉強や読書が出来るのである。庭園には、小鳥たちがたわむれ何だか楽
   園にいるようで時間がゆっくり流れている気持ちがした。どう表現してよいか判らないが、ゆったりした幸せな
   時間を過ごしているような感じである。こんなに平和な、ゆったり時間が流れて、気候の良い中に住んでおれ
   ばバリ人のようにのんびりしてティダアパアパの性格になるのかもしれないと感じた。   

3.散歩とプール
   夕方なり日差しが和らいだのを見計らって、散歩に出かけた。以前にスーパーマーケットに行った時のコース
   を歩いた。ホテル前の道路を通り(歩く時は、必ずと言っていいほど、タクシー?というように声をかけられる。
   それに、土産物屋のおばさん達が、見るだけ見るだけといってしつこく声をかけてkる。)、大きな通りに出て
   スーパーの方に歩いていく。ガタガタの歩道をマクドナルドの方まで歩いて行き、そこを左に曲がる。その道を
   まっすぐ行けば砂浜の海岸に突き当たる。そこを、海岸づたいにホテルの方まで歩いていくのである。その
   砂浜の遊歩道は、ホテルあり、土産物屋あり、レストランあり、貸しボートなどマリンレジャーのショップ、マッサ
   ージなど店があり非常にバラエティーに富んでいる。もちろん、勧誘の声がどんどんかかる。いい加減うんざり
   するのである。そんな勧誘を無視して、ただひたすらに周りの様子を観察しながら散歩するのである。
   ホテルに付くまでに約30分程度かな。距離にして3q強であろう。完全な周回コースである。帰国するまでに
   何回か歩いた。ホテルに帰ってから、体を冷やすためにしばらくプールで泳いだ。ここのプールは、浅いところ
   と深いところがアトランダムにあり、何だか変な感じであったが、深い部分では、スキューバーダイビングなど
   の練習をするみたいである。

4.夕食
   夕食は、ホテル泊まっている日本人の有志でホテルのレストランでとった。O老人の友人がジャワ島から来て
   いるとのことで、その人は、O老人の戦友の子息であるとのことであった。(インドネシア人とのハーフ)その人
   も一緒に食事した。その人は、インドネシア日本人会の世話役をしているとのことで、そのことに関して色々話
   を聞かせて貰った。O老人は、ご機嫌でお得のシャンソンまで歌われた。こうして、異国の地へ来て、色々な
   人と会い、色々な話を聞けるのは感動的でもあり、非常に素晴らしいことだと思った。このような未知との遭遇
   (少しオーバーであるが)が出来る海外旅行は最高である。

第11日目  平成18年7月9日(日)                               TOP

11日目の日程
観光予定なし、オーナー家族との昼食会、海岸海中散歩

1.オーナー家族との昼食会
  オーナーのご両親主催で我々日本人を昼食に招待して下さっ
  た。オーナーを除く(オーナーは所用で欠席)家族全員が参
  加。料理は、バリ料理。インドネシア料理とバリ料理は多少
  違うようである。どちらかというと、塩味は薄く、辛みは非常に
  強い。自分の味覚からすれば、印象としてあまり美味しくなか
  ったというのが正直なところである。バリやインドネシアの食事
  では、肉系統はチキンが中心となる。宗教の関係もあるかも
  しれないが、豚や牛はあまり食べないようである。ただし、バリ
  は、ヒンズー教なので豚を食べるのはタブーではなく、豚の北
  京ダック的な食べ方は、好まれているようである。他の島は
  イスラムが中心なので、当然豚は食べない。自分は、チキン
  は、あまり好きではないので、バリ料理やインドネシア料理は
  、どちらかというと食べ辛いのである。一応出されてものは、
  食べるのであるが、無理して食べており、招待して下さった方
  には、非常に申し訳ない気持ちである。
  バリの食事では、よくせんべいが出る。日本で言う揚げた海老
  せんべいである。
  バナナの天ぷらがデザートとして出たが、これもあまり美味い
  とは言えなかった。揚げることにより、バナナの甘味が消えて
  しまっているような感じであった。だから、ホテルによっては、
  パームシュガーをカラメル状にしたものが添えられていること
  が  ある。それをかけると結構美味しくなる。
  バリでのコーヒーは、所謂バリコーヒーで、普通のコーヒーの
  飲み方トコとなっている。コーヒーの豆を、パウダー状まで挽き
  飲む時にそのパウダーをカップに入れ、砂糖やミルクを入れて
  混ぜた後、コーヒーの粉が沈殿するのを待って飲むのである。
  味としては、とても素朴な味なのである。自分が小さい頃、
  よく飲んだ炊き出しのコーヒーの味に似ており、非常に懐かし
  かった。コーヒー通から言えば口に合わないであろう。

  オーナーのお父さんは、75歳とかで、現地の人から比較する
  と年の割に若々しい感じがする。(現地の人は、相対的に老け
  るのが早い。)ホテルの運営に関しては、オーナーである息子
  に任せているらしいが、金銭的なことは、すべてオーナーの
  お母さん(写真の正面)が、握っているとのこと。(直接聞いた
  話ではないが。)O老人を中心に色々オーナーのお父さんに
  話を聞いたが、バリ人の名前の呼び方が非常に特徴があり
  (兄弟の呼び方など)、同じ名前がいくらでもあり、我々日本人
  にとって非常にややこしそうである。その辺のことは、同行され
  たTさんがよく把握されているのでリンクしておく。(TさんHP
  「バリ人の名前」)

2.海岸海中散歩
  昼食後しばらくして、Tさんが海岸が遠浅なので、海中にシュノ
  ーケリングに行こうとのことで一緒に行った。
  引き潮であったので、とにかく浅く、深いところでも腰のあたり
  しかなかった。でも、その浅いところに無理矢理頭をつけて、
  中を覗いてみると、やっぱりここは南国の海である。ところど
  ことに紛れもない珊瑚礁が見ることが出来た。しかし、エルニ
  ーニョ現象の影響らしいが、珊瑚の死骸が多く、まるで動物の
  骨のように海底にごろごろしていた。少し気味が悪い。
  もちろん、熱帯の小魚たちも多くいた。特に珊瑚礁のまわりに
  は、とにかく色鮮やかな熱帯魚が見られた。それから、結構
  ふぐも多かった。ふぐは、図太いのか知らないが、こちらが近
  づいてもなかなか逃げなかった。
  何せ浅いので、珊瑚などで腹を切らないように(珊瑚で切腹す
  る訳ではありません。笑)慎重に海中を泳いだ。ところどころに
  ウミヘビもおり、これはさすがに気持ち悪いので、こちらが
  大あわてに逃げた。
  とにかく、こんなに浅いところでも、結構きれいに海中が見えた
  たので、11日から始まるスキューバーダイビングが楽しみに
  なってきた。
  **海中カメラを持っていないので、撮影出来なかったのが
     非常に残念である。

3.O老人の帰国
  大変元気な87歳のO老人がこの日帰国された。飛行機の時
  間が22時頃であるので、19時過ぎまで、ホテルのレストラン
  でお別れ会をしていた。O老人は、この日もご機嫌で、最後に
  「ブンガワンソロ」を歌われた。伴奏付きである。I氏がハーモ
  ニカで伴奏されたのである。南の地へ来て、ブンガワンソロを
  聴くのは、何となく郷愁を誘うものがあった。決して、O氏の歌
  は、上手ではないのであるが(本人に対しては失礼かもしれ
  ないが)、非常に年輪というか味わいがあったように思う。
  O氏には、また再会して、色々と人生について聞きたいと思っ
  た。

ホテルオーナー家族との昼食会


バリ料理
右側は、米をバナナの葉で巻いて蒸したもの


バリ料理


バリの食事でよく出る海老せんべい


デザートのバリコーヒー
バナナの天ぷら

第12日目  平成18年7月10日(月)                                          TOP

12日目の日程
観光など特に予定なし

ほぼ1日中ホテルの自室前のバルコニーで明日から始まるスキュ
ーバーダイビングの予習を行った。最終的には、テキストの半分
しか読むことが出来なかった。しかし、基本の部分は、総て読めた
ように思う。テキストは、非常に判りやすく書いてあり、十分読む
だけで理解することが出来た。

昼食は、右写真の魚料理の定食を食べた。店は、ホテルのすぐ
近くにあり写真のように結構満員であった。店は、観光客向けで
はなく完全に現地人向けであり、メニューも右写真の料理1種類
である。日本でいう定食屋であろう。店の中は、ハエが多くて不
潔な感じであったが、料理の味は、意外といっては失礼かもしれ
ないが非序に美味しかった。特に写真のスープは、胡瓜のスープ
である、非常に辛かったものの美味しかった。魚料理も唐揚げし
た魚を辛いソースで煮ている感じで、これも美味であった。値段は
16千ルピアで日本円換算200円程度(現地人にしては高いのか
もしれない。)であり、我々にしてみれば非常に安かった。写真の
右上は、紅茶であるが、これはめちゃくちゃ甘いのである。これだ
けを飲めば、我々日本人の口には甘すぎるが、魚料理の辛いも
のを食べた後の、この甘い紅茶は、口直し的な要素があり、非常
に口の中がさっぱりして絶妙な組み合わせであると感じた。

夜には、東京のIさんが帰国するので玄関まで見送った。その後、
レストランで同行の3人と談笑した。色々な話が聞けたが、色々な
人がおり、色々な人生があるみたいである。良い悪いは、別として
人それぞれの人生を聞くことは、自分の人生に照らし合わせて
非常に参考になる。

昼食の魚料理の定食


上記魚料理の定食屋

コラム
右の写真は、犬なのですが、死んでいるわけではありません。
昼寝をしているだけなのです。日本の犬のように人の気配を感じ
たらびっくりして逃げるようなことは、全くありません。とにかく、人
が通ろうが、騒音があろうが、我関せずで目を開けずに寝ている
のです。全く、我々の持っている犬のイメージと違うのです。
野良犬なのか飼い主がいるのかも判りません。そこが、道の真ん
中であろうが、車道であろうがお構いなしである。バリ人と同じく
のんびりしているのであろう。また、相対的に非常に島中の何処
に行っても同じで、痩せていてお世辞にも可愛いという犬はいな
いのです。犬がこれだけのんびりしているのは、バリ人の温厚さ
というか、むやみに動物に対して危害を加えないから、警戒心も
なくなっていったに違いない。バリ島は、決して経済的に豊だとは
思わないが、ジャワ島やスマトラ島に比べたら豊で、そんなこと
から、例え犬であっても敵対的な危害は加えないのであろう。
平和で温厚でのんびりゆったりしたな民族なのであろうと思う。

第13日目 平成18年7月11日(火)                                          TOP

13日目の日程
ダイビングスクール第1日目の授業


スキューバーダイビングライセンス取得のため授業
8時にダイバーショップの迎えの車がホテルに来て、
いよいよスキューバーダイビングライセンス取得の為の授業が始
まった。この日の授業は、実習はなく学科のみであった。
事前にテキストを読んでいたので、授業は判りやすかった。
主にビデオを見て、インストラクターが解説行く方式であった。
インストラクターは、もちろん日本人である。そうでないと英語で
授業を受けても判らないからである。その日本人は、現地滞在の
女性であり、年の頃は30歳前半といった感じ。教え方は、以降も
そう感じたが、結構アバウトであった。以降の実習でもそうであっ
たが、基本はもちろんであるが、緊急時の動作に重点が置かれ
ていた。基本的には、高度なテクニックや俊敏な運動神経は、あ
まり必要ではなく、普通の感覚で出来そうな感じがした。
昼食の後、13時半頃に授業は終了した。受講生は、自分一人だ
けでマンツーマンの授業であった。


Tさんに雑誌社の記者がインタビュー
ホテルに帰ると、同行のTさんが、雑誌社のインタビューを受けて
いた。イカロス出版の「羅針」という「人生を遊ぶ」をメインテーマ
とした雑誌の9月号(8月31日発売)に掲載されるとのこと。9月
号は、バリ島でのロングステイを特集にしており、その一環でバリ
島ロングステイの経験が長いTさんがインタビューを受けられた。
雑誌社の専属カメラマンも来ており撮影していたが、自分もTさん
用に何枚かインタビューの様子を撮影させて貰った。

夕方に珍しく霊峰アグン山が見えた(ホテル前より)
右の写真は、滅多に姿を見せないアグン山である。バリヒンズー
教の総本山であるプサキ寺院は、この霊峰アグン山の麓にある。
富士山型のコニーデ火山で休火山である。バリ島に滞在した28
日間のうち、これだけはっきり見えたのは(見たのは)この日だけ
である。

雑誌社のインタビューに答えるTさん


珍しく見えたアグン山


第14日目  平成18年7月12日(水)                                          TOP

14日目の日程
ダイビングスクール第2日目

スキューバーダイビングライセンス取得のため
授業2日目
昨日と同じく8時にダイバーショップの車がホテルに迎えに来た。
今日から実習が始まる。ショップ近くのホテルのプールを借りて
の授業となった。まず、準備体操と泳力判定をかねてプールを
200メートル泳いだ。プールは、15メートル長で巾が3コース
くらいである。ダイビング訓練用もかねているプールなので、
浅いところから深いところまでかなり巾があった。
授業内容は、もちろんすべて実習であったが、

1.器材のセットの仕方
2.ウエットスーツの着方
3.器材の付け方
4.息の吸い方、はき方
5.マスクからの水の出し方
6.シュノーケルの使い方
7.中性浮力の仕方
8.体の浮かし方、沈み方
9.レギュレーター故障時の息の吸い方と対処法
10.BCDへの空気の吸気と排気の仕方(タイミング)
11.相手への空気のやり方と相手から貰う方法
12.水中でのBCDとウエイトの脱着の仕方

以上などかなり多くの内容の実習を行った。この中でも7、8の
水面上での体の安定の仕方、12などが難しく、なかなか巧く
出来なかった。回数をこなして慣れるしかない。
この日は、15時頃終了した。


夕食
夕食は、Tさんなど同行者と、朝は朝市が開かれている場所に
夜は、飲食関係の屋台が出ているが、その屋台に食事に出か
けた。朝市の時は、駐車場になっている青空の場所にところ狭
しと屋台が軒を連ねている。
写真は、Tさんがバリ島に来た時必ず行くという屋台である。
かなりの種類の惣菜が並べてあり、その中から好きなものを
指定して、ライスを盛ってある紙食器の上にのせて貰うのであ
る。所謂ナシチャンプルというものである。ナシチャンプルの横は
野菜スープである。自分は、元来チキン料理はあまり好きでなく
チキン料理が中心のバリ料理が食べれことが出来るか心配で
あったが、この屋台のように惣菜をチョイス出来るのであれば、
チキンを除く魚や野菜を中心に指定すればよいので、問題は
なかった。屋台の料理というとイメージとして、汚いというイメージ
があるが、お世辞にも綺麗、清潔とは言えないものの、業に入ら
ずんが業に従えの通り順応したが、持っているイメージは、全く
気にならなく、結構美味しく食べることが出来た。帰国するまでに
あと1回この店に来ることになった。ナシチャンプルもなかなか
いけたが、野菜スープもあっさりした中に、バリ島独特の辛い
香辛料が入っており、アクセントが付いて非常に美味しかった。
値段は、このセットで7000ルピア、90円くらいであった。非常に
安くて本当にバリ人一般大衆の食事そのものである。そのうえ、
栄養のバランスも色々とご飯の上にのっているのでいいと思われ
る。写真の男女は、この屋台のオーナー夫妻である。奥さんが
この屋台を担当して、主人の方は、すぐそばで、ジュース屋さん
をしている。これだけ多くの種類の惣菜を作るこのおばさんは、
かなりの料理の腕前であると思う。

屋台に並ぶ惣菜


屋台に並ぶ惣菜


ナシチャンプルと野菜スープ


屋台のオーナー夫婦

第15日目  平成18年7月13日(木)                                          TOP

15日目の日程
ダイビングスクール第3日目

スキューバーダイビングライセンス取得のため授業3日目
朝7時半に車が迎えに来て少し離れたサヌールの海岸に行っ
た。そこは、ホテルのある海岸より3〜4q南に行ったところで
あった。
この日は、本格的に海に潜っての実習である。あいにく天気が
悪く朝方は、少し雨が降っていた。潜る時は、雨は降っていな
かったものの曇っており、少し肌寒かった。そのうえ波も荒く、
この状態で潜るのかと思ったら非常に不安であった。海岸から
ボートに乗って所定の場所に行き、そこで潜ることになった。器
材のセットアップは陸で行った。それをボートに積んだ。潜る段
階では、フィンを付けて海に入りBCDは、海面でインストラクタ
ーに手伝って貰い付けた。まずは、ボートの側にある海底に通
じるロープを伝わって下りていった。途中で何回も耳抜きをしな
がら下りていったが、特に違和感はなくスムーズに耳抜きが出
来た。只、右耳と左耳の空気の抜け方が同じではなかった。
何だか左耳の方が抜け方が悪かったような感じである。海面
も波が荒かったが、海底でもかなりうねっていた。うねって海
底がかき回されているせいか、視界が非常に悪かった。まあ、
ゆっくり海底を眺める余裕もなかったのであるが。もちろん、
潜る時は、インストラクターも側についていた。
基本として、海に潜る際は、一人で潜ってはならないことになっ
ている。インストラクターと一緒でなくても、バディーという相棒
と潜るのがルールである。1回目の潜った時、何項目か忘れて
しまったが基本動作の練習を行った。とりあえずは、問題はな
かったものの、コミュニケーションを交わすための手の合図を
完全には、覚えておらず少し留まった。1回目の潜水時間は、
深さ9.5メートルで25分間であった。25分間はあっという間
に過ぎて、25分も潜ったのが信じられなかった。2回目の潜
水の時は、ますます波が荒くなっており、万が一の危険を回避
するために、この日は潜るのを断念した。全く、日頃の自分の
行いが悪いのであろうか、何故こんなに天気が悪いのであろ
うか。バリ島では、乾季において、この日のような天気は少な
いらしい。全く忌々しい。そんなことで、今日の実習は11時頃
に終了した。

昼食
ホテルに戻ってから、スーパーに買い物に行った。簡単な食料
品や水を購入。帰りにマクドナルドでハンバーガーを食べた。
ハンバーガー、コーラ、ポテトフライのセットで、24000ルピア
、日本円換算で約300円である。日本で食べるのとあまり変
わらない価格で、所得の低い一般的なバリ人であれば、とても
食べること出来なような高価な食べ物である。昨日屋台で食
べたナシチャンプルと比較すればその高さ判る。ハンバーガー
は、バリ庶民にとっては、高級な食べ物に違いない。

夕食
夕食は、北海道から来ているOさんが、この日帰国するとのこ
とで空港近くにある日本人経営の中華料理店でお別れ会をか
ねて夕食を取った。もちろん、現地人にとっては、高級レストラ
ンになるであろう。バギバギ(割り勘という意味)で一人10万
ルピア、日本円換算1300円であった。味は、可もなく不可も
なくといった感じであった。

バッソの屋台
これは、道を流している屋台である。バッソと言っ
てバリ風中華そばとというものであろうか。
実際に食べなかったが、最もバリ人にとっての大
衆的なもので、値段も3000ルピアくらいらしい。




コラム
バリ人の人なつこさと愛想の良さ

バリの人たちは、相対的に非常にフレンドリーとい
うか、非常に愛想がいいのである。それに、非常に
人なつこいのである。自分は、インドネシア語が話
せないのが、話すことの出来るTさんなどは、気軽
に話しており、バリ人は、お話好きであるとも言え
る。特にホテルの従業員は、顔を見ると必ず挨拶
してくるし、若い従業員などは、にこりと笑って会釈
するのでる。実に気持ちのよいことである。
内面は、よく判らないが、一部アジア地区で問題に
なっているような反日感情などは、一切無いようで
ある。それだけ、バリ人が平和的で友好的なゆった
りした民族なのかもしれない。


第16日目  平成18年7月14日(金)                                        TOP

16日目の日程
ダイビングスクール第4日目

スキューバーダイビングライセンス取得のため授業4日目
最終日の4日目で、朝の7時に車が迎えに来て、今日は、パタ
バイというサヌールから1時間ほど離れたところの海外で潜水
を行った。写真のように今日も天気が悪く今にも雨が降り出し
そうであると同時に肌寒かった。波は、湾になっているので
昨日の場所より静かだと聞いていたものの、あまり変わらない
様子であった。しかし、授業は決行された。
午前中は、ボートで写真の湾を出て、すぐ隣の湾に行き、そこ
で潜った。船の上からフィンをつけて海に入り、海面でBCD
などを付けた。1回目は、9メートルの深さで25分潜り、2回目
は、7.5メートルを21分潜った。昨日の違う実習を何項目か
した。合計で、46分潜ったわけであるが、その間は、当然
規定通りの休憩を取っている。(35分休憩)休憩を取らなけれ
ば体内の窒素が抜けないからである。(減圧症を防ぐため)
それにしても、潜っている時間の短いこと。実際の経過時間よ
りかなり早く時間が経過しているように感じる。この場所の海
底は、それほど綺麗とは思わなかった上に、やっぱり海の中
がうねっており、あまりじっくり見る余裕もなかった。
2回潜った後、浜辺の基地に戻り休憩すると同時に、昼食を
とった。下の写真ののミーゴレン、所謂インドネシアの焼きそ
ば食べた。

   ミーゴレン(インドネシアの焼きそば)
昼からは、今日3回目の潜水。浜辺から海の中に入っていき
潜った。5.5メートルの深さで約20分であった。午前、午後
共に主な練習は、緊急時のものが殆どで、その合間に少しだ
け海中散歩をした感じである。最終日の授業はこれで終了。
終わってから、ダイブショップの事務所に帰り、LOG記録などを
付けた。このLOG記録というのは、潜る毎に記入しなければ
ならないもので、常にスキューバーダイビングするときは、携行
するものである。すべて、終了してから、仮のライセンスを貰っ
た。日本に帰国後、PADI本部より本ライセンスが送られてくる
そうである。これで、とりあえずは、正式にライセンスを取得し
堂々とスキューバーダイビング出来るようになった。
ライセンス名は「オープン・ウオーター・ダイバーライセンス」
といって、入門のライセンスである。今回の授業内容から考え
てとりあえず、お金を払ってカリキュラムを消化すれば誰でも
とれるということである。簡単なテスト的なものはあったが、
その点数などは関係なかった。

パタンバイの海岸 ここで潜水


パタンバイ港 ロンボク島へのフェリーが出る


ウエットスーツ姿

第17日目  平成18年7月15日(土)                                        TOP

17日目の日程
予定は、特になく完全休養日とした


4日間のダイビングスクールを終えて、特に疲れているというものではないが、この日は、完全休養日とした。
皮肉なことに、この日は、昨日一昨日と違い雲一つない快晴で絶好のダイビング日和であった。余程自分の日頃の
行いが悪くて、肝心の日に天気が悪かったのであろう。全く忌々しいことである。
午前中に明後日から行くウブドへのバスの予約切符を買いに行った。近くの雑貨店がプラマ社のチケット取扱所に
なっており、そこで予約とチケットを買った。片道2万ルピアで往復4万ルピアであった。後で聞いた情報なのである
が、往復切符を購入すると5%の割引になるらしい。知らないものだから、そのまま払ってしまった。その辺は、やは
りのんびりしたというか、ティダアパアパのバリ人である。日本なら、何も言わなくても割引してくれるはずであるが、
ここの人は、言わなければしてくれないのである。チケットにきちっと金額が書いてあったので、その販売員が、割引
分を懐に入れたわけではないのである。それなら、親切に言ってくれればいいと思うのであるが。
昼食は、近くのレストランに行った。庶民のレストランではなく、どちらかというと西洋式のレストランで夜は、クラブに
変わるところである。そこで、テールスープを食べた。我々の同行者の中に、すごくグルメの人がおり、その人の
引率で行ったわけである。そのスープは、実にこってりしたスープで、一般的には非常に美味いのであろう。しかし、
肉類の好きでない自分にとっては、特に美味しいとは思わなかった。

第18日目  平成18年7月16日(日)                                         TOP

18日目の日程
サヌール銀座界隈を散策

この日は、単独行動にてホテルから少し離れたサヌールの中心
街、所謂「サヌール銀座」界隈を散策した。
海岸通りを南に歩き、先日来た朝市のところまで来た。そこから
少し先が「サヌール銀座」と呼ばれる土産物やスーパー、一般
商店、レストラン、ホテルなどが並んだ繁華街である。繁華街
といっても、日本のように高層ビルがや飲み屋が並んだのと
少し違う。こじんまりした感じである。その通りをずっと歩いていく
と右写真の「Hardy's」という大きなスーパーマーケットがあった。
中に入ってみたが、何でもそろっており、すべての生活物資が
置いてあった。ロングステイなどする場合、この店で必要なもの
すべてそろう。さらに2階、3階は土産物専門フロアーである。
バリ中の土産の種類がそろっていた。1階の食料など日常品の
売り場の場合は、完全定価であるが、2階、3階の土産物は、定
価ではなく、完全に値段交渉が必要な値札が付いている。
この日は、何も買わなかったが、滞在最終日近くになって、再び
ここを訪れて、土産物を購入した。

スーパーを出て、さらに通りを歩いていくと、高級ホテルである
ハイアットホテルがあった。その一帯は、商店などはなく完全に
ホテルが占有している感じで、その場所から海岸まですべて占
有し、砂浜はプライベートビーチになっている。(我々の泊まった
ホテルと比較して格段に宿泊料は高いと思われる。)

昼食は、写真のマッシーモというイタリアンレストランでした。
ここは、本格的イタリア料理レストランで、ガイドブックにも出てい
た。中に入ったら客は、ほとんどいなかった。主に夜に客が入る
のかもしれない。コース料理などを食べるつもりはなかったので
スパゲッティーを注文した。これまでに、何回かレストランでスパ
ゲッティーを食べてきたが、全く美味しいものはなかった。特に
ソースの味付けが、異常に甘くて自分の舌には馴染まなかった
。そのうえ、麺の茹で方が悪く、何かぶすぶすの茹ですぎの麺で
非常に触感が悪かった。自分は、トマトソース味のスパゲッティ
ーが好きなので、この日も「シシリアンスパゲッティー」という、
トマトソース味のものを注文。いったいどんな味のものを食べさせ
てくれるのかと興味津々であったが、出てきたスパゲッティーは、
美味しかった。日本で食べるものと変わらない。麺の茹で方も、
ほどよく満足出来た。さすがに、イタリア料理専門店だけのことは
あると感じた。気になる値段であるが、ビール、コーヒーも飲んで
約7万ルピア、900円位なので日本で食べるよりは、はるかに安
い。ただ、現地人にしてみたら高い食べ物であることは、言うまで
もない。

昼食後、サヌール銀座の通り(正式名称は、ジャラン・ダナウ・
タンブリカンという。ジャランというのは、通りということで、ジャラン
ジャランといったら散歩のこと)が終わり突きあったので、浜辺の
方へ出ることにした。浜辺へ出たら、どこかで見た景色であった。
そう、先日ダイビングスクールで3日目に潜った場所であった。
こんなに近くだったのかと思った。この浜辺は、自分の宿泊して
いるアリッツホテルの方まで続いているのである。ゆっくり歩いて
いると、浜辺のレストランでダイブショップのオーナーと会った。
お客さんを連れいたが、ライセンスコースではなくファンダイビン
グいわれる遊びのダイビングをしてみないかと盛んに奨められた
が、今回はダイビングにこれ以上お金を使う気持ちはなかった
ので断った。

さらに北の方へ北の方へと砂浜をゆっくり楽しみながら歩いてい
た。すると、向こうの方から写真のような獅子舞の一段が楽器を
ならしながら歩いてきた。最後尾のものが、募金箱のような箱を
持ってお布施を求めていた。子供達が中心であったが、たぶん
募金を集めて何かの行事用に使うのかもしれない。日本の獅子
舞のルーツは、こんなところにあるのかもしれない。

次の写真は、浜辺を歩いていたら凧の打ち上げに遭遇した。
バリ島では、凧をあげるが日常茶飯事に行われている。行われ
ているというより、たこ揚げで遊んでいるのであろう。後日、凧揚
げ大会も催されていた。凧の本体のフレームにゴムを張り、それ
が風に煽られてブンブンと鳴るのである。結構迫力もあった。

一番下の写真は、この日の夕食であった。Tさんが、スーパーで
白米、赤米、黒米など何種類かの米を購入されており、それを
炊き込みご飯にしたということで夕食をご馳走になった。
Tさんは、このホテルに過去かなりの回数泊まられており、生活
道具など(主に厨房器具)を、置いておられ、自炊などもしておら
れる。部屋には、台所はないが簡単な炊事なら不可能ではなく、
自炊生活も十分出来ると思う。また、台所付きの部屋もあるが、
そこを借りて、炊飯器、カセットコンロ、鍋などを用意しておけば、
完全な自炊生活も十分出来るのである。食材や厨房道具なども
Hardy'sなどで十分そろうし、ロングステイで自炊するには全く問
題はないのである。現実に、我々同行のY氏とS氏が共同で、カ
セットコンロと大きな鍋を購入され、ホテルに保管してもらうことに
された。来年来た時は、十分に自炊出来るだけの道具は揃った
ことになる。(ホテルもリピーター客として無料で器具を預かって
くれる。)先程書いた、台所付きの部屋は、当然割高になる。
ここで食べる自炊した食事は、日本で食べるのとは、少し趣が
異なり、本当に美味しいと感じる。

   
コラム
   
いつも部屋を掃除してくれたホテルの従業員
左から2人目は、ホテルの正従業員で他の女性達は、学生の
研修生である。毎朝決まった時間に部屋の掃除やベッドメイキ
ングをしてくれていた。
全員非常に愛想がよくて、目があったら必ず挨拶してくれた。
まあ、仕事ぶりと言えば、バリ人の特徴かもしれないがのんびり、
ゆったりとマイペースでしているような感じであった。


スーパーマーケット「Hardy's」


イタリアンレストラン「マッシーモ」


イタリアンレストラン「マッシーモ」の中


昼食として食べた「シシリアンスパゲッティー」


浜辺を行く「獅子舞?」


凧打ち上げ


この日の夕食

第19日目  平成18年7月17日(月)                                         TOP

19日目の日程
ウブドへ1泊2日の旅行に出発
1.プラマ社のバスでウブドへ出発
2.ウブド着後、レゴンダンスとチケット購入、ホテル確保
3.日本料理店「影武者で昼食
4.ゴア・ガジャ寺院観光
5.レゴンダンス鑑賞

ウブドへ
朝10時15分のプラマ社のバスに乗って1泊2日のウブドへの小
旅行に出かけた。プラマ社のステーションは、チケットを購入した
雑貨屋の前でホテルから2分くらいのところで非常に便利がよか
った。(荷物は、アリッツホテルに置いたままで、1日分の着替え
を持っていったのみ。アリッツとは1ヶ月契約なので、チェックアウ
トはしない。)プラマ社のバスは、25人乗りくらいのマイクロバス
であったが、50%くらいの乗車率で空いていた。主に旅行者用の
バスのようで現地人は乗っていなかった。現地人が乗るには少し
高いのかもしれない。12時半前にウブドに到着した。着くなり、
やれレンタサイクル、タクシー、ホテルなどと言葉は悪いが、ハエ
のようにしつこく付きまとわれ困った。無視して地図を見ながら、
北の方へ向かって歩いていった。

まず、夜に見る予定のレゴンダンスのチケット購入と宿泊ホテル
の確保から始めた。メイン通りを北の方へ歩いていくと突き当た
りになり、ウブド王宮に突き当たった。ここは、5日目に一度来て
いるのですぐに判った。王宮前のツーリストインフォメーションで夜
に催行されるレゴンダンスのチケットを購入した。5万ルピア、
約650円であった。次にホテルを探した。Tさんから色々情報を聞
いていたのでプラメスティという小さなホテルに泊まることにした。
決める前に部屋を案内してくれた。一番奥のバンガローの2階の
部屋であったが、結構ロケーションもよく気に入ったので即決めた。
宿泊料は朝食付きで10万ルピアであり、そんなに高くはない。
設備は、あまりよくなく、バスタブなし、クーラーなし、冷蔵庫なし、
テレビなし、天井に扇風機ありなど。泊まるだけなら全く問題なし。

ホテルで不要な荷物を置き観光に出かけることにした。
出てからすぐに昼食を摂ることにした。少し町外れに「影武者」と
いう映画のタイトルのような日本料理店があり、そこで写真の天
婦ら定食を食べた。別に不味くもなく、かといって美味しくもない
普通の天ぷらであったが、ただ、ウブドは山の中という場所なの
で魚介類は、海老一匹だけで、後は野菜ばかりであった。ビール
を1本飲んで5万ルピア、約650円ほどであった。右の写真は、
ここのメニューである。これは、とにかく観光客向けのツーリスト
価格であり現地人が食べるような価格ではない。
昼食後目的地に向歩き出した。
今日は、主に遠い観光場所に行こうと考え、ゴア・ガジャ寺院へ
向かった。地図で見て、それほど遠くないと思い歩いていくことに
した。歩きながらウブドの街の様子を観察しようと思った。ウブドの
街の中心部の範囲は広くなく十分徒歩で行ける圏内であった。
しかし、ゴア・カジャ寺院は街の中心から少し離れた場所にある。
そこまでたどり着くのに大変苦労した。完全に道を間違えてしまい
全く別のところへ歩いていったのである。少し郊外に出ると車道と
歩道の区別はなく、歩いている横をバイクや自動車がぼんぼん飛
ばしていき非常に怖かった。バリ人で歩いている人は、ほとんどい
い。途中で何台かのバイクが、何処へ行くのかと停まって聞かれ
た。これは、後ろに乗せて小遣いを稼ごうとするバイクタクシーか
一般の現地人らしい。乗るつもりはないので無視した。それにして
も疲れた。道を間違っていることを気付くまで1時間も歩いた。
気が付き引き返してある程度元のところまで来て、やっとゴア・カ
ジャ寺院の方向が判り、そこからさらに歩いたが、それほど時間
がかからず到着した。まあ、バリの街を歩いて観光したということ
にしておこう。
ゴア・ガジャ寺院は、結構大きな寺でヒンズー寺院に特徴的な
沐浴の場所などがあった。入場料は、6千ルピア。沐浴場は誰も
沐浴していなかった。また、時間の関係もあるかもしれないが、
観光客も非常に少なかった。寺院全体の印象としては、それほど
特徴的なものはなかったように思う。(自分の場合は、寺院を見
たり、美術を見たりするのは好きな方ではないので、特には興味
を示さず、ただ、行った、見たというだけの印象になってしまう。
だから、ここウブドでは、次の日も観光したが、あまり印象に残っ
ていない。ウブドは、美術館や博物館が多く、売っているものも
絵画やどちらかというと芸術的なものが多い。だから、その辺に
あまり興味のない自分にとっては、あまり面白くない街なのであ
る。ゴア・ガジャ寺院にしばらくいて、その後、周辺の寺院も見て
みようと思ったが、歩きすぎてかなり疲れており、じゃまくさくなり、
このまま帰ることにした。

ホテルに帰ってから、しばらく体を休めて1時間ほど昼寝した。
夕方から、再び出かけた。夜は、王宮でレゴンダンスを見る予定
である。その前に、夕食をしようとぶらぶらしていたが、日本料理
は、昼に食べたし、特に興味をそそるようなレストランもなかった
ので、安くあげることありコンビニでパンを買って食べ夕食とした。

王宮でのレゴンダンスは、夜7時から始まった。例によってガムラ
ンの音楽により踊り子が踊る。
このレゴンダンスも、前に見たバロンダンス、ケチャダンスと同じく
自分にとっては、面白くもおかしくもない、ただ観光地で名物ダン
スを見ただけという印象であった。隣の日本人のおばさんなどは、
最初から最後まで居眠りしていた。このレゴンダンスにしろ、バロ
ンダンスにしろ、ケチャダンスにしろ非常に目に付いたことは、
目の使い方が日本の歌舞伎に似ており、足運びの仕方が狂言に
似ていると感じた。足運びは、すり足という感じでバタバタとした
足運びはしていない。やはり同じアジア同士であり、ルーツという
か共通点があるのかもしれない。


       王宮でのレゴンダンス

プラマ社ウブド行きバス


日本料理レストラン「影武者」


「影武者」のランチメニュー


昼食として食べた天ぷら定食


ゴア・ガジャ寺院の沐浴場


王宮でのレゴンダンス

第20日目  平成18年7月18日(火)                                         TOP

20日目の日程
ウブド市内観光
1.
ウブド市場見学
2.グヌン・ルパ寺院観光
3.夕食

朝は、鶏の鳴く声で目覚めた。朝晩非常に涼しく過ごしやすい。
朝方は、少し寒いくらいである。鶏の声で目覚めるなど、何とも
牧歌的な感じがして清々しかった。写真は、自分の部屋のテラス
で撮影したものである。ここは、風通しがよく非常に気持ちがよ
かった。写真は、朝食でバナナケーキ、トースト、フルーツ、コー
ヒーであった。昨日から、テーブルの上に砂糖入れがおいてあっ
たが、蟻が入っており、気が付いた朝食を持ってきたオーナーが
すぐに取り替えた。10部屋のほどの小さなホテルで、オーナー
は、愛想のいい女性であった。名刺を何枚か渡され、是非他の
日本人にも紹介して欲しいとのことであった。部屋のロケーション
いい、結構このホテルが気に入ったので、また今度来ることが
あれば、ここに泊まることになるであろう。
(このホテルは、小さいのでダイニングがなく、朝食は部屋で
摂った。)

1.ウブド市場見学
  5日目に一度来ているが、その時は夕方でほとんどの店が閉
  まっていたので、再度訪問した。写真のように所狭しとものが
  雑多に置かれており、写真ではうかがえないが、すごく活気に
  溢れていた。見るだけで何も買う気がないので、ぶらぶらと
  市場を回った。やはり、バリの何処の市場も同じであるが、魚
  などは、冷蔵設備がないために新鮮なものはなかった。野菜
  やスパイスなどは豊富にある。ウブド市民に食料などを供給
  する一大市場である。まあ、現地の人たちにとって全く気に
  ならないであろうが、我々衛生に非常に神経質な日本人にと
  て非常に不潔で汚い感じがした。

2.グヌン・ルパ寺院
  次に行ったのが、グヌン・ルパ寺院。ヒンズー人である。
  ウブド発祥の地と知られる由緒ある寺院である。例によって
  また道を間違えてしまい、最初はこの寺院を知らない間に通過
  してしまった。しかし、昨日の例があるので、おかしいと思いす
  ぐ気付いたので時間をロスせずに済んだ。寺院に入った時、
  誰もいなかった。自分一人の貸し切りのようなものであった。
  昨日の寺院のようにヒンズー寺院特有の沐浴場はなかった。
  写真の像は、ガルーダという想像上の動物の像である。
  ヒンズー教の守護動物なのかもしれない。ガルーダインドネシ
  アという航空会社あるが、そのガルーダという名前は、ここか
  らきたものである。(今まで知らなかった。)
  寺院を一通り見た後、外人が寺の裏の方へ歩いていくので、
  何かあるのだろうと思い自分も行くことにした。小高い丘になっ
  ていた。そこからは、リゾートバンガローのような建物が多く
  見えた。途中で現地の中学生くらいの学生に会った。記念に
  と思い撮らせて貰った写真が右の写真である。まあ、この島の
  人は、誰に限らず殆どの人が非常に友好的であるように感じ
  る。しかし、この後で特徴のある杖をついた老人にあったので
  写真を撮らせてほしいと言ったら、いきなり手を出されて、お金
  をくれというのである。たぶん貧しい人なのであろう。しかし、
  お金を出してまで摂りたい人物とは思わなかったので断った。

  まあ、ただ写真を撮らしてくれと不躾に言う方も言う方かもしれ
  ない。(厚かましいのかもしれない。)
  
  ウブドの中心部に戻る途中に少し洒落た喫茶レストランがあり
  ウインドウに陳列されているケーキも美味しそうであったので、
   喉も渇いていたので入ることにした。写真のようなケーキと紅
  茶を注文した。ところが、このケーキは見かけ倒しであった。
  クリームパイであったが、クリームが全く美味しくないのであ
  る。何だか凄く塩味が効いているというような感じで、クリーム
  自体も滑らかさがなかった。バリ島では、乳製品が全般的に
  美味しくないのであろう。このケーキの味であれば、自分の作
  ったケーキの方が何倍も美味しいと思う。(客観的に言っても)
  しかし、値段は一流であった。ケーキ、紅茶合わせて36千ル
  ピア、日本円換算で約450円である。(しかし、量は多くお腹
  が一杯になった。一杯になったというより、うんざりした感じで
  あった。)

  時間がたっぷりあり、喫茶店を出た時は11時くらいであった。
  次は、何処に行こうかと考えたが、自分は、前にも書いたが、
  美術など芸術関係はあまり興味はなく、また、ショッピングなど
  も興味はない。帰りのバスの予約は、15時であったので、時
  間を持てあましてしまう。次のサヌール行きのバスは、12時
  ちょうど。予約を変更して貰い12時のバスに乗ることにした。
  プラマ社のバスステーションまで行ったが、途中ウブドの狭い
  道路の両端の歩道が写真のように途中でぽっかり穴が開いて
  いたり、タイルの施工が悪くガタガタになっている箇所が、数え
  きれないほであった。この辺の事情は、サヌールも同じであっ
  たが、バリ島全体の特徴のようである。きめ細かい管理が行き
  届いていないのである。夜など特に危ないが、バリ人から言え
  ば夜の歩き回るのが悪いと言うことにでもなるのかもしれな
  い。まったくティダアパアパということである。
  バスの予約変更は、別に問題なくできた。時刻通りにバスが
  来て、それに乗ってサヌールに帰ったが、ホテルに着いたのは
  13時過ぎであった。

4.夕食
  夕食は、Tさんが昨日近くの小学校を見学させて貰いとで、
  そこで先生と知り合いになったとのこと。お国柄というか、ここ
  でも何でもありという感じ。全く見ず知らずの外国人を自由に
  授業を見学させると言うこともさることながら、それにもまして
  驚くのは、その先生は、夜レストランを経営しており、教室の中
  で屈託もなく、夜に是非食べに来て欲しいと、そのレストランの
  名刺を出したというのである。全く厳格な我々日本人にとって
  信じられないようなことである。(Tさんから聞いた話)
  そんなことで、Tさん達3人で、そのレストランに行くことにした。
  魚料理のレストランで、結局いかなかったもののジンバランの
  ような感じで料理を出してくれる。まず、クーラーボックスに入っ
  た魚を選んで、選んだ魚の料理方法をメニューの中から指定
  するのである。味付けは、全くインドネシア的で非常に辛かっ
  たが結構美味しかった。最初レストランに行った時は、先生は
  いなかったが、しばらくしたら来た。Tさんが話しかけたら、はっ
  きり覚えており、Tさんとの間に会話が交わされていた。本当に
  バリ人は人なっつこい。そんなことで、チェックする時、いくらか
  まけてくれたのかどうかは定かでないが、まけてくれたのであ
  ろう。一人45千ルピア、日本円換算570円であった。


コラム

洗濯について

洗濯は、自分の場合すべて自分でした。日本から洗濯洗剤を
持っていっていたので、風呂の中で手もみ洗いをした。それほ
ど汚れの強いものはなかったので十分であった。
ホテルでもしてくれて値段もそんなに高くないみたいであるが、
風呂のバスタブの中で簡単に出来た。それと、日本から湯桶を
持っていっていたが、これは大変重宝した。実際は、バスタブに
洗濯のために湯をはるのは、宿泊料の中に水道代は、入ってい
るといっても、あまりにももったいないので、実際は、湯桶の中で
していた。大体、一週間に一度のペースで行っていた。部屋の
前のバルコニーには、洗濯物を干せるような籐で組んだ物干し
器具がおいてあったので、それにかけておけば十分に用を足し
た。(大体において、着るものは、下着とTシャツくらいなので、
かさばるものはなく、洗濯はしやすかった。)



地震の発生
ジャワ島で地震が発生したらしく多数の死者がでたらしい。
らしいというのも、自分の国の他の地方で地震があっても、バリ
人は、あまり騒いでいないようである。自分は、インドネシア語が
判らないので、テレビを見ることはなかったが、見ている人も、
テレビではあまり放送していないと言っていた。
自分がジャワ島で地震があったのを知ったのは、日本からの連
絡でである。心配なので電話をしてこいとメールが入ったので
ある。バリ島では、地震の影響など全くなかった。また、津波の
心配などもなかった。しかし、この島にいて、地震や津波の影響
が出たら、情報不足で俊敏な行動は取れないなと思った。
全くその辺でも、この島ではティダアパアパなのである。

プラメスティーホテルの朝食


ホテルのテラスにて


ウブド市場


ウブド市場


グヌン・ルパ寺院


グヌン・ルパ寺院のガルーダ


グヌン・ルパ寺院の裏山で会った学生


しゃれたティールームで食べたケーキ


歩道の真ん中がところどころこのように
開いている

第21日目  平成18年7月19日(水)                                       TOP

21日目の日程
クタ市内観光

1.テロ追悼モニュメント
2.レギャン通り散策
3.レギャンビーチ、クタビーチ散策


1.テロ追悼モニュメント
  朝9時のプラマ社のバスに乗りサヌールと反対側の海岸に
  あるクタに向かった。約1時間ほどかかったが、距離の割
  に時間がかかった。クタもウブドと同じくメイン道路は、非常
  に狭く、街全体が雑然としていた。
  まず、最初に行ったのが2002年10月12日に201名の
  犠牲者を出した爆破テロの地点に設けられた追悼モニュメ
  ントである。日本人も2名の方が犠牲になっていた。主にオ
  ーストラリア人を狙ったテロと思われる。写真は、その現場
  であるが、そんなに広くない場所で201名の尊い人命が奪
  われてことは、最大の人の密集場所を狙ったテロリストの卑
  劣極まりない卑劣な無差別攻撃であり、許されるものではな
  い。イスラム原理主義者の仕業と聞いているが、宗教は人
  々の平和を祈るためのものであるのに、逆に人を殺して何
  が宗教か。そんな宗教は、邪宗であり阿修羅である。この
  モニュメントを見て、今更ながらにつくづく思った。

2.レギャン通り散策
  狭いレギャン通りを挟んで、商店やレストランなどが一杯建
  ち並んでいる。ショッピングをするわけでもなく、ただただ歩
  いただけであった。特に見るべきものもなかった。

3.レギャンビーチ、クタビーチ散策
  レギャン通りをずっと北に歩いていったが、徐々に商店など
  の数も少なくなってきたので、比較的大きな通りを左(西)に
  曲り海岸に出ることにした。しばらく歩くと、大きく広い海岸に
  出た。出たところは、レギャンビーチで南に下るとクタビーチ
  に繋がる。写真のような広い砂浜が広がっている。季節的
  なものかどうか判らないが、人はあまり多くなく非常にゆった
  り、空いているといった感じ。見かけるのは白人が多かった。
  その白人がである。目の保養というかびっくりすることがあっ
  た。白人女性で上半身裸で日光浴している人が何人かい
  た。堂々と胸をはだけて日光浴しているのである。遠くから
  であるので、よく見えなかったものの本当に大胆そのもので
  ある。隠しカメラででも撮影したかったが、日本人の恥にな
  るので止めた。ずっと南の方へ歩いていったが、クタビーチ
  に入った。ここは、どうやらサーファーのメッカらしい。
  結構いい波も来ているようである。

クタは、それほど見るべきものがなく、泳ぐわけではないので、
予定を繰り上げてサヌールに帰ることにした。予約してあった
バスの時間変更して貰った。13時半のバスに乗りホテルに戻
ったのは14時過ぎであった。

コラム
1.さてこれは何でしょう。

普通の家、商店に限らず必ず朝、玄関の前に線香と花を
供えてある。ただし、道に置いてあるので、誰彼なしに踏ん
づけて行く場合もしょっちゅうあるようだ。我々日本人の感覚
としては、仏様に供える花を簡単に踏みつけては罰があた
るよいうような感覚を持つのであるが、バリ人は平気のよう
である。その辺が不思議で仕方ない。毎朝几帳面に供える
だけの宗教心を持ちながら、それを粗末に扱っても何とも
思わないのは、我々日本人にとって理解しがたい。

2.さてこれは何でしょう

これは、市街、郊外に限らず店の前に写真のような何か
が入った瓶であるが、中身は、ガソリンなのです。バリ島は
バイクの数が極端に多いので、たぶん、あちことでガス欠
を起こすことがあるのであろう。そんな時に、あちこちに売っ
ているこのガソリンを購入して補給するのであろう。
最初は、何が入った瓶なのかさっぱり判らなかった。

  

テロ追悼モニュメント


クタ海岸


コラム                      

両替所                        

街のいたるところにある両替所であるが、ほとん
どが個人経営であり、レートも店によってまちまち
である。ただ、注意しなければならないのは、レー
トよすぎる場合である。よすぎる場合は、何か仕
掛けがあると考えてよいであろう。手品師擬きの
手口で誤魔化されるようである。あるいは、コミッ
ションを別途取るとか。両替の時は、その辺をよく
確かめることと、必ず両替した後は、店員の前で
数えることである。ただし、ルピアはゼロの数が多
いのでよく間違えることがあるので注意が必要。
いずれにせよ悪徳業者が多いようなので信用の
おける店でするのが正解である。


軽食販売のおばさん

街でよく見かける風景である。頭に載せているの
は食料である。ご飯やおかずなどが入っているの
である。客から声をかけられると、その場で紙に
入れて売ってくれるのである。少し不潔であるが、
現地人は、そんなことは気にしないようである。
自分は、このようなおばさんから買って食べなか
ったが、かなり安いと思われる。

第22日目  平成18年7月20日(木)                                      TOP

22日目の日程
デンパサール市内観光


1.バサール・バドゥン(パドゥン市場)

2.ププタン広場
3.ベモに乗る

1.バサール・バドゥン(バドゥン市場)
  朝からデンパサールに行った。ここへ行くには少し慣れた
  プラマ社のバスはないので、タクシーがベモに乗るしかなか
  った。とりあえずは、確実なタクシーに乗ることにして、ホテル
  のフロントからタクシーを呼んで貰った。ホテルから15分ほど
  で目的地としているデンパサールのバドゥン市場前に着いた
  。タクシー料金は、チップも含めて35000ルピア、日本円換
  算450円ほどであった。正確には、32600ルピアであった
  が、5万ルピア札を出したのが、15000ルピアした返してこ
  なかった。差額の2400ルピアは、チップとして了承した。
  市場の前であったので、すぐに中に入って見学した。
  サヌール、ウブドの市場同様雑然として非常に汚い感じがし
  た。そのうえ、強烈な臭いも気になった。市場としての規模
  は、さすがにバリ島のバリ州政府の庁  舎がある中心地
  だけに最も大きかった。
  市場の中にはいると、案内人かキャッチャーガールのような
  女性が付きまとってきた。何処へ移動しても小判鮫のように
  しつこく付きまとい、あれはどうか、これはどうかと、たどたど
  しい日本語で言うのである。適当にあしらっていたが、バニラ
  を購入したいと考えていたので、その売り場に行った。バニラ
  を手にとって、その女性に値段を聞いた。すると、何と何と
  25万ルピアという。べらぼうに高いのである。何日か前に
  スーパーマーケットに行った時、値段をみておいたので、すぐ
  に拒否して立ち去ろうとした。すると、Tさんから聞いていた
  通り自分の腕を掴んで「ちょっと待って」という。「ほら来たな」
  と思った。逆に相手の方から、いくらだったらいいかと聞いて
  きた。だから自分は10分の1の以下の2万ルピアと言って
  やった。それは、相手が完全拒否。それから、何回かの「い
  らない」「ちょっと待って」の繰り返しの後、最終的に、2袋10
  万ルピアで購入した。果たして、安く買えたのかどうか判らな
  い。量的に言うとスーパーマーケットで売っていたものより安
  く買えたと思うが、どうからバニラにも品質のバラツキがある
  みたいで、結論的に言えば、相手は海千山千のプロである
  し、高くかわされたのかもしれない。しかし、自分は、海外へ
  行って、駆け引きのやりとりをしながら買い物をするのは、
  初めて経験であったので、多少の醍醐味というのはおーば
  ーかもしれないが、少し楽しませて貰ったので、月謝を払った
  つもりで満足している。それから、この案内人の帰属は、どう
  なっているのか疑問に思った。どの売り場へ行っても、主導
  的に値段交渉に応じているのである。値段交渉など、店の
  人しかできないはずなのに値段交渉権を持っている。
  市場の経営形態がどうなっているかも知らないので、何とも
  言えないが、自分にとってこの案内人の立場が非常に疑問
  に思えた。別の人に聞くと、後からチップを要求する案内人
  いるらしい。今日の案内人は、何も要求しなかった。
  それと、この案内人とは別であるが、これはあくまで市場の
  業者ではなく、もぐりの業者(土産物売り)が、本当にしつこく
  最初から最後まで付いてきたのである。断っても断っても付
  いてくる。いいかげんい腹が立ってきた。余程、自分がおいし
  そうな旅行者に見えたのであろう。こんな状態だから、その
  後、市場をゆっくり見ることが出来なかった。だから、一旦外
  へ出て、しばらくして振り切った。(向こうも諦めた。)それか
  もう一度市場へ入った。そうすると、また別の案内人がつき
  まとうのである。本当に目障りである。だから、ゆっくり見る
  ことは出来ないので、自分も諦めて帰ることにした。
  市場から出ると、その辺一帯は布地屋さんが多くあった。
  とりあえずは、特にこれといって見てみたいものはなかったし
  (単独行動なので見るところを知らなかった。)、ぶらぶら散
  策しながら、帰途につこうと考えた。

2.ププタン広場
  サヌール行きのベモステーションに行くつもりで歩いていた。
  やっぱり、デンパサールは、州都であり道路も広くよく整備さ
  れている。歩いてるうちに写真のような行列に出会った。
  何の行列か判らない。その行列に、関係者や観光客がぞろ
  ぞろ付いていっていた。バリでは、このような行列をよく見か
  ける。葬式だとか、何式(?)だとか、とにかく華やかな行列
  が多い。その行列がどちらかというと、我が物顔で大通りを
  行進している。日本などのデモ行進の場合、必ず届け出て
  警察が行進を見張っているのであるが、ここでは、警察の
  姿などは一人も見かけなかった。バリ人は、このような行列
  に慣れており、走っている自動車も行列に道を譲るのであろ
  う。その辺が、お国柄なのであろう。
  この行列のすぐ側がププタン広場である。かなり広い広場で
  である。広場に入るとすぐに写真の「ププタン記念碑」が目に
  ついた。(オランダ軍が侵攻してきた時、デンパサールに人
  々が、勇敢に自決覚悟で立ち向かった行進を記念したもの)
  広場の木陰では、写真のように地面に描かれたチェス盤に
  のんびりとチェスをしている人たちがいた。じつにのんびりし
  た感じ。年寄りばかりではなく、結構若い人もいた。ウイーク
  デイなのに若い人は、何をしているのだろうかと思った。
  何回も書くが相対的に、この島の人は、ゆったりのんびりして
  おり、車で郊外などを走ってもよく見る風景が、道路の前に
  椅子を置いて、何人かの若者が、何をするでもなく、だらり
  としてお喋りに興じている様子なのである。我々の乗った車
  が通りかかると、じっとこちらの方を見ている。観光中にその
  ような風景を何回も見た。我々日本人の感覚からすれば、
  一帯真昼間から何をしているのだろうかと思い。「だらだらし
  ないで働かんかい」言いたくなってくる。まあ、これも国民性
  というか文化なのであろう。失礼な言い方になるかも知れな
  いが、何も考えていなく、頭が空っぽ(馬鹿という意味では
  ない。)なので、ストレスなどありえないのではと感じる。

3.ベモに乗る
  ププタン広場を過ぎて、しばらく歩くとサヌール方面のベモス
  テーションがあった。これも初めてなのであるが、ベモの運
  転手が声をかけてきたので、値段交渉することになった。
  サヌールまでいくらかと聞いたら、相手は英語で答えたので
  あるが、どうもインドネシア訛りでよく聞き取れない。(自分は
  日本語訛りの英語)何回かやりとりがあったが、最終的には
  5万ルピア札を出して、これと言う。全く話にならなかった。
  ノーと言ってその場を去った。しかし、パターンからすると、
  「ちょっと待って」と声がかかるはずなのであるが、その運
  転手は、商売気がないのか何も言ってこなかった。少し歩
  いて別のベモと交渉に入った。最初は、2万ルピアと言わ
  れた。ノーと言ったら、「ちょっと待って」が入り、希望額を
  言えというので、Tさんから聞いていた情報を元に15000
  ルピアと言ったら、相手はニコリとして交渉成立。その顔を
  見て、1万ルピアと言えばよかったと思ったが、5千ルピア
  は、月謝というように思うこととした。(1万ルピアで行くと
  いうことは、定かでないが。)ちょうど行きのタクシーの半額
  である。複数で乗れば、安くなるのであるが、単独であれば
  仕方のないことである。サヌールに着くまで、他の客は誰も
  乗ってこなかった。着いた時に、そのベモに客が乗ったので
  そのベモも効率が良かったに違いない。
  これで、ベモにも乗った、タクシーにも乗った、プラマ社の
  バスにも乗ったということで、バリの公の交通機関には、
  すべて乗ったことになる。明日は、レンボガン行きのシャトル
  ボートにも乗るので、何だかバリでは、自由に動くことが出
  来るような自信がついた。

  

バドゥン市場生きたままの鶏が売られている


バドゥン市場精肉売り場


バドゥン市場野菜売り場


バドゥン市場干物売り場


何かの行列


何かの行列


ププタン広場の「ププタン(行進)記念碑」


ププタン広場の一角でチェスに興じる人たち

第23日目  平成18年7月21日(金)                                TOP

23日目の日程
レンボガン島観光

レンボガン島上陸
朝10時15分発のレンボガン島行きのプラマ社の船に乗って
レンボガン島に出発した。船は、12時前に到着した。
レンボガン島は、小さなひっそりとした島で、浜辺で天草の養殖
をしているようである。オフシーズンなのかどうか判らないが、
島は人は少なくひっそりとしていた。船の船長の若いやつが、
自分のホテルに泊まらないかというので泊まった。一番安い
部屋で朝食なしの7万ルピアであった。まあまあであったので
決めた。さらに、その兄ちゃんが、シュノーケリングをしないかと
うことで、15万ルピアと高かったが、せっかく来たのでチャレン
ジしてみることにした。その後で、客が4人増えたので、10万
ルピアにしておくとのことになった。結構正直な男であった。
安くなることにこしたことはないので大いに歓迎した。
シュノーケリングに参加して本当に良かった。初めて見る南国
の海中が感動的であった。最初に行った場所は、流れが非常
に強く、ガイドについて行くのが大変であったが、場所は、陸か
らの絶壁の場所で、かなり深いと思う。あんなところをスキューハ
゙ダイビングしたらもっと素晴らしいかもしれない。そこは、そんなに
長くいなかった。次の場所に行った。そこは、天草の養殖のそ
ばであったが、ここも前の場所に勝らず劣らず、素晴らしかった
。非常に多くの熱帯魚が泳いでいた。この間、習ったことを実践
すべく深く潜ったが、耳の調節が思うようにいかなかった。
しかし、この間習ったことをかなり生かすことが出来た。
この場所でかなり長くシュノーケリングをしていた。一緒に乗船
したフランス人親子4人が、先に船に上がったので、それから
しばらくして自分も船に上がり、シュノーケリングを終えた。
ホテルに戻ってから、シャワーを浴びた。シャワーは、もちろん
水で、シャワーのある場所は、屋根がない吹きざらしであった。
もちろん囲いはある。その横にトイレがあり、ここは、屋根があ
った。それと、シャワーの水は、少し塩辛かった。その後、砂浜
を散歩した。少し、砂浜から奥に入ったら、ほんとうに細い道路
があった。本当にひっそりした村という感じ。車もほとんどという
か、全く通らなかった。たまに通るのはバイクだけであった。
時間がないので、その道を遠くまで行かなかったが、ガイドによ
ると歩いても、3時間で1周出来るほどの小さな島である。
再び、砂浜に出て、夕食場所を探すことにした。途中子供たち
が、砂浜でボール遊びをしていたが、本当に無邪気で可愛い。
世界何処へ行っても子供は可愛いものである。写真を撮ってく
れと、はしゃいでせがんで来たので、撮ってあげた。とってあげ
たというより、自分の方が撮りたかったというのが正解である。
それから、少しこぎれいなレストランに入った。もちろん、海辺を
見渡せる席である。沈んでいく夕日を見ながらの夕食であった。
本当にロマンチック。スパゲッティーを注文。あまり美味くなかっ
た。ビールを飲みながら一時の幸せに浸りながらの夕食であっ
た。何か幸せを感じる一瞬であった。レストランを出てから、ホテ
ルに戻り、ビールをベランダに座って飲んだ。時間がゆっくり流れ
ている感じ。1本目を飲み終わって2本目は、砂浜に出て星空を
見ながら飲むことにした。空気が澄んでいるのであろう。実に綺
麗な星空であった。それに、周りが暗いのでよけいに美しく見え
る。潮騒が聞こえて、空には満天の星空。何だか涙がこぼれそ
う。さっき夕日を見ているときもそんな瞬間があった。
幸せである。ずっとそのまま砂浜に寝転がり寝てしまいたい気持
ちになった。しばらく、星空を見た後に、ホテルに戻り今日の1日
を終えた。幸せな1日であった。レンボガン島は、静かな落ち着
いたところで非常に気に入った。



  無邪気でレンボガン島の可愛い子供達


     レンボガン島のサンセット

バリ島サヌール海岸を離れるボート


レンボガン島到着間際


宿泊したホテルの部屋


ホテルの前の砂浜


遠く彼方にアグン山が顔を出す

第24日目  平成18年7月22日(土)                             TOP

24日目の日程
レンボガン島より帰島
今日の予定特になし

朝のレンボガンは、非常に清々しかった。特に、浜に出ると遠く
にバリ島のアグン山、パトゥール山が顔を出しており、印象的
であった。
朝8時半にレンボガン島を出発して、9時半頃にサヌールに帰っ
てきた。船がサヌールに着く時、我々の泊まっているアリッツホ
テルのレストランが見えた。TさんとSさんが手を振って迎えてく
れていた。自分も手を振った。何だか故郷に帰ってきたような
気分であった。帰りは、行きより時間が短縮されている。
潮の流れの関係であろう。ホテルへ戻ってから、すぐに風呂へ
入りさっぱりしてから、洗濯をした。この島におけるファイナル
洗濯である。これで、帰国する日まで、下着類は洗わなくても
もつことになる。洗濯が終わったら、昼近くになっていたので
昼食をした。それが終わってから、インターネットカフェへ行っ
たが、しまっていた。再びホテルに戻って、しばらく時間をおい
てから、行ったらあいていた。20分ほどで終了。
それから、昨日レンボガン島で何にかまれたのかはっきりしな
いが、膝の裏がかなりかまれていた痒くて仕方ない。
海の中でかまれたのか。砂浜でかまれたのか、蚊にかまれた
のかはっきりしないが、とにかく痒い。インターネットカフェから
戻ってから、ずっと本を読んでいた。
夕方になって、Tさんが飯を食べに行こうというので行った。
この間の屋台に行ったものの店をだしていなかったので、
スーパーマーケットのハーディーズの近くのショーをしている
レストランに行った。ショーは、レゴンダンスであったが、技術
的に未熟な子供が踊っており、下手なこと痛々しいほどであり、
あれで金を取るのは大間違いといった感じ。それから、出演者
が出てくるところに、舞台裏の人が何回も行き来するのが見え
て非常に目障りだったし、ガムランの演奏も子供がしており、
その横で赤子を抱いた母親が本番の演奏中に指導していた。
これも、ショーマンとしては失格のように思う。そもそも年端もい
かない未熟な子供にお金を取ってショーを見せるということに
憐れみすら感じるくらいであった。そんな素人擬きのショーの
割に、料金が非常に高かった。ビールも普通の店の倍くらいで
あった。料理も不味い。他の客は、日本の大手旅行社の団体
客であった。おそらく、そのレストランは、そういった大手旅行社
と安く契約しており、その安くした分を、一般の客から取っている
ように思えてならなかった。このようなレストランは、二度と行か
ないであろう。
食事が終わってからホテルに帰る時、ベモを利用した。交渉は、
最も経験豊富なTさん。交渉の末、折り合わないのでノーと言っ
て一旦車から降りたが、常套句「ちょっと待って」が出てこちらの
言い値で交渉成立。その後も運転手が何かぶつぶつ言っていた
が、こちらの言う通りになった。こんな場合の、交渉は強気に出る
べきであると感じた。ベモなどいくらでも走っているのだから。
しかし、我々はあくまで旅行者であり、現地の人たちと同じ条件を
通そうとするのは、避けた方がよくツーリスト価格も多少認める
べきだと感じる。

ホテルの前


朝 バリ島に向かうボートにて
背景にアグン山、パトゥール山が見える


右、アグン山、左、パトゥール山

第25日目  平成18年7月23日(日)                               TOP

25日目の日程
特に予定なし
*凧揚げ大会の見学
など

右の写真は、ホテルのレストランから見る日の出である。ここで
は、朝はほぼ毎日全体に雲がかかっており、日の出を見れる日
は多くないのである。同行のSさんやTさんは、毎日早起きして
日の出を見に行かれたらしいが、自分は、旅行最終日に近づい
て、やっと早起きし見に行ったのである。この写真のように見え
るは、珍しく運が良かったと言える。ただ、太陽の丸い形が、出
てしまった後は、また雲に隠れて見えなくなるのである。Sさん
によると、ずっと完璧に見えたのは、1日くらしかなかったとのこ
と。また、晴れておれば、この左側に霊峰アグン山が見えるの
である。この日は、全く見えなかった。まあ、この日だけも日の
出が拝めて良かった。(朝は、このように曇っていても、ほとんど
雨にならず、昼間は晴れていた。曇って雨が降ったのは、自分
がスキューバーダイビングで海に行った2日間だけであった。
(何と運の悪いことか。日頃の行いが悪い為であろう。反省)
右の写真で合掌しているのは、現地人である。ヒンズー教徒で
も日の出を拝むのであろうか?

凧揚げ大会
朝食の後、長い話をしていた。朝食をするレストランの場所は、
四六時中海からの心地よい爽やかな風が吹き抜けており、
朝も例外ではなく、朝の清々しい風を受けながら朝食を摂る。
この日は、皆それぞれにステイの終盤に近づき、これといって
観光予定もないので10時前まで色々会話が弾んだ。その後、
海岸沿いの目に見える距離にある広場で広場で凧揚げ大会が
あるというので見に行くことにした。大勢の人が来ていた。
各地区対抗の凧揚げ大会であろう。各地区毎に、いろいろな凧
を作って競い合っていた。対抗基準は知らないが、何らかの形
で競い合って優劣を決めるのであろう。競技者の着ている服の
下は、民族衣装の腰巻きのようなものを着て一所懸命頑張って
いた。種目別があるようで、基本的な凧の構造はゲイラカイトで
あろう。サヌールは、四六時中風が吹いているので凧揚げには
もってこいの場所である。この日のような凧揚げ大会でなくても
日常的に凧揚げをして遊んでいる。何種類かの凧を見たが、
写真の尾の長い凧が最も安定感が悪く長く揚げているのは難し
いようであった。一度バランスを崩すと殆どが、そのまま墜落して
いた。それぞれの凧は、かなり大きく揚げるのに相当の人員が
必要である。日差しのきついカンカン照りの中を、かなり長い時間
見ていたが、2時頃に引き上げることにした。長い時間、陽を遮る
もののない中で熱心に見ていたので、肌の露出部分がかなり
ひどい日焼けになっていた。

帰る途中、葬式にであった
ホテルに帰るときに簡単に周りを囲っただけの葬式場というか火
葬場があった。そこで葬式をしていた。もちろん、ここはヒンズー
教なのでそのヒンズーの儀式で行われていたが、驚いたことが
2つあった。一つ目は、人が死んでその葬式だというのに誰も
泣いていないということである。これは、宗教的な倫理観というも
のがあって泣いていないのかもしれない。死ぬと言うことは、天
に召されて幸せになると言うことで、ある意味で目出度いと喜ん
で送り出しているからかもしれない。その辺は、現地の人に聞い
たわけではないのでよくわからない。それから、2つ目に驚いたこ
とは、その場で火葬するのである。重油で焼くようで重油ホースな
どで点火していた。少し囲いがしてあるだけの葬式場(火葬場)な
ので一般大衆の目にも触れるのである。日本では、とうてい考え
られないことである。この地方独特の葬式の仕方なのであろう。
火を付けるところまで見ていたが、後は気持ち悪くなったので、
すぐにその場を離れた。(自分は日本人だから、そんなところの
写真を撮るのは不謹慎だと思い1枚も撮っていない。)

読書
ホテルへ戻ってから、腹が減ったいたのですぐに食事した。
(このホテルに滞在中に部屋の鍵を部屋の中に置き忘れ入れ
なくなりホテルの係員に鍵を開けに来て貰ったのが2回あった。
この日、2回目の置き忘れをした。)
その後、少し本を読んでいたが、少し眠くなったので1時間ほど
昼寝をした。本当に気楽なで幸せな感じである。起きてからも
読書をした。藤原正彦の「国家の品格」という本で、今後の日本
のあり方について筆者の考え方を書いた本で大変に参考になる。
19時過ぎまで読み、最後まで読み終えた。筆者の書いているこ
とは、理解できるが、今の段階では、100%肯定というわけには
いかない部分もある。しかし、論理的ではない情緒、形ということ
については、人間らしい、日本人らしい生き方考え方としては、
よく理解できる。今後、この本のテーマについて、よく考えていき
たい。今回のロングステイでは、この本を含めて全部で3冊読ん
だ。読書をする環境としては、最高の場所であると思う。







    尾ひれが50メートルもある凧
    技術的に最も難しそうであった


日の出


日の出


凧揚げ大会


凧の糸を引く若者達


音を立てながら競い合うように空高く揚がる凧


凧の様子を見ながら操作する若者達


ガムランで自分たちのチームを応援する人達

第26日目  平成18年7月24日(月)                             TOP

26日目の日程
特に予定なく自由行動

帰国便のリコンファームとホテルのパソコン設定追加
今日の朝9時過ぎにフロントに頼んで帰国便のリコンファームを
して貰った。問題なし。
その後、Tさんが、ホテルのパソコンを日本語が使えるよう(それ
まで、日本から打ったメールも日本語で見ることが出来ず、
日本語で送信もすることが出来なかった。)にしてあげてくれ
と言うので、パソコンを見てみた。もちろん英語版の
wondowsXPなのですごく判断しにくかった。フロントエンド
プロセッサーの組み込みの一歩手前まで開けることが出来たの
であるが、そういうことをしたこと今までしたことが無いので、
それ以上判らなかった。日本語フロントエンドプロセッサーが
組み込まれているのかもどうかも判らなかった。だから、いったん
あきらめたが、部屋に戻って自分のパソコンで同じことをしてみた
ら、組み込み方が判った。もう一度フロントに行き、設定してみた
が、うまくいって日本語が使えるようになった。使い方も教えたの
でうまく使えるようになる思うが、パソコンが使える人間はあまりい
ないようである。テストとしてメールの送受信をしてみたが、うまく
送受信できた。ただし、件名と送信元の部分が文字化けしてしまっ
ていた。これも調べれば判ると思うのであるが、時間がかかりそう
なのでやめた。しかし、本件の部分ははっきり日本語が表示され
ていたので使うには支障がなさそうである。

名残を惜しんでバリの海で最後の泳ぎ(海中散歩)
当初の予定通りにバリの海を惜しむべく海に泳ぎに行った。泳ぎ
に行ったというより、海面散歩をした。シュノーケリングで海の中
を覗いた。午後からは、いつもの通り大きく潮が引くので、かなり
沖の方まで行っても遠浅の海なので沖の方でも腰くらいしか水
はない。最初に潜った時と何ら変わらない綺麗な海中であった。
1時間ほど遊ん
だ。

屋台で夕食
Tさん、Sさん達と、朝市の駐車場で開いている美味しい屋台の
ナシチャンプルを食べに行った。すっかり顔なじみとなった。

部屋をいつも掃除とベッドメイキングをしてくれ
学生の研修生の少女が、毎日バルコニーのテ
ブルに庭に咲いている花を寄せ集めて生けて
くれていた。なかなか綺麗に生けられており、
毎日楽しみにしていた。


庭のあちこちに咲く花(ハイビスカス)
熱帯らしく、綺麗な花が一杯咲いている。
日本では見ることの出来ない趣の違う庭である

第27日目  平成18年7月25日(火)                             TOP

27日目の日程
特に予定なく自由行動

ゴルフの打ちっ放し
実質的には、今日が活動最終日であった。オーナーのチプタさん
が、一緒にゴルフの打ちっ放しにいこうというので、少し待たされ
たが、11時過ぎから行った。ボール代は、チプタさんがおごってく
れた。チプタに気を遣わせて恐縮した。しかし、クラブは、当然自
己負担で1本25千ルピアでボール代より高かった。ゴルフが終
わった後、チプタさんが昼食でカレーライスをご馳走して下さった。
何だかおごって貰うのは、すごく気が引けたた。こんなことで我々
日本人に不信感を持たれたら困ると感じた。(相手が奢りを強要
された感じているのではないか。)


リッツ家本家の大学教授宅訪問
その後、チプタさんのおじさんの大学教授のところへ行った。
いわゆる王様の家である。Tさんは、非常に勉強熱心なので、
色々本などを借りられて勉強されていたのである。それで借り
ていた本を返すために行ったものである。チプタさんの家系は、
デンパサールの王様の家系である。王様の家に行ったら立派な
家系図が飾られていた。大学教授は気軽に一緒に写真をとるこ
とを承諾してくれた。
(Tさんのホームページ「アリッツ・ビーチ・バンガローのオーナー
 CIPTAさんの叔父さんとの出会い
」参照)

ハーディーズ土産物の買物
16時からハーディーズに土産を買い物に行こうということになっ
た。ハーディーズで予定していた土産を購入。バリの地酒の
「アラック」はこのスーパーよりホテル近くの雑貨屋の方が安い
ので、ここでは買わなかった。

またまた屋台での夕食
昨日食べた屋台でまたまたナシチャンプルの夕食をした。
今日は、いつもより少し高かったが、すっかり食べ慣れてきた
感じでバリの懐かしい味になったようである。今度来ても必ず
行くであろう。今日がこの屋台での食べ納めとなった。

本日の作品


デンパサールの純和風カレーライス屋

第28日目  平成18年7月26日(水)                           TOP

28日目の日程
帰国の準備、荷物のパッキングのみ

最終日の帰国する日である。飛行機の時間が、27日の午前0時20分なのでホテルを出たのは、21時45分であ
る。朝からは、荷物のパッケージであり、その他は何もしなかった。インターネットも行かなかった。昼までに完全に
パッキングは終わった。只、風呂へはいるので着替えだけ残しておいた。昼食をしてから、のんびりSさんと話して
いた。それから、朝の食事の時にオランダ人のアンさんが、この間岡田氏との別れの時をビデオで撮ったのを、見
せてくれと言うので部屋にビデオを取りに戻った。その時、部屋係の人が来ていたので、今日日本に帰る言って
チップをリーダーの男性に2万ルピア、サブの学生の研修生二人に5千ルピアづつあげた。16時前に風呂へ入り
完璧にパッキングが終わった。その後、再びTさんなどとだべっていた。18時半から、ずっとこのホテルに留まって
いるIさんが、お別れの食事をしようというので、4人でビールを飲みながら話した。21時45分にホテルの車で
空港へ向かった。荷物のチェックインの時に重量が引っかかった。何と35s近くあった。仕方ないので、パソコン
を出した。すると29sくらいにへったものの、最後はおまけしてもらったような感じであった。こんなに重くなったの
は初めてである。飛行機は定刻通りにデンパサール空港を飛び立った。がらがらに空いていたので、真ん中の席
の4席を独占出来たので、肘掛けを揚げて悠々と寝ることが出来た。ラッキーであった。飛び立った後、ジュースが
出ただけでそのまま消灯となった。

第29日目  平成18年7月27日(木)                              TOP

29日目の日程(最終日)
帰国

日本時間の8時20分頃に予定通りガルーダインドネシア航空GA882便は関西国際空港に無事到着した。同行
のTさん、Sさんとは手荷物を受け取った後、すぐに別れてそれぞれの家路についた。バスと電車の乗り継ぎが良
く、家には、10時半過ぎに着いた。無事帰宅することが出来て何よりであった。とにかく日本は蒸し暑い。関空へ
着いた時からひしひしとその蒸し暑さを感じた。バリ島の過ごしやすさが今更ながらに思い出される。日本とバリの
ギャップが大きすぎて、しばらく体が慣れるまで時間がかかりそうである。家に着いてすぐの昼食は、ソーメンを食
べた。実に美味しかった。ああ、日本の味であると感じ何かホットした。
とにかく、思えばあっと言う間の29日間であった。バリに着いたのは、つい昨日のことのように思える。
                                                                 

まとめ(自分自信の主観的判断)                         TOP

1.物価     : 非常に安い。ただし、輸入品、ブランド品、マクドナルドなどの外食は安くない。

2.治安     : 非常に良いと思う。ただし、何処の国にもいるが、注意を怠るとスリなどに遭う可能はある。

3.気候     : 過ごしやすい。特に冬である乾季は、非常に過ごしやすい。ただし、赤道直下であり日差しが
            きついが、木陰に入ると比較的涼しい。

4.観光     : 主に寺院。バリ独特の踊りがある。工芸品などが多い。ウブドなどは、芸術性が高い。ただし、
            狭い島であるので観光には日数はかからない。

5.親日性    : 非常にフレンドリーで良いと思う。反日感情などは、一切感じられなかった。

6.レジャー   : マリンレジャーには、絶好の場所である。その他は、今回経験していないので判らない。

7.通信     : あまり良くない。公衆電話がなく不便を感じる。インターネット回線も遅い。(インターネット
            カフェを利用)

8.食物     : 好き嫌いのことは別として問題はない。(日本料理はじめ何でも食べることが出来る。)

9.国民性    : 非常にのんびり、ゆったりしている。反面、悪気はないと思うが約束事、頼み事をする場合、
            注意が必要(よく忘れる。)。

10.買物    : スーパーで購入の場合は、全く日本と変わらないが、市場などでは、値段交渉が必要であり
            ツーリスト価格というか、べらぼうな値段をふっかけてくることがある。しかし、強気に出て
            交渉すればよいと思う。

11.交通    : お世辞にも便利とは言えない。交通手段は、プラマ社のバス、ベモ、タクシーなどであるが、
            ベモなどは慣れないとなかなか乗れないように思う。

12.宿泊施設 : 今回泊まったアリッツ・ビーチ・バンガローホテルは、自分的に言えばお奨めのホテルで
            ある。その他、ウブド、レンボガン島にも泊まったが、安くて問題もなかった。(贅沢を言わない
            限りであるが。)


総評
印象としては、極めて好印象を持った。ロングステイをするのも適していると思う。ただ、観光そのものは、島が
狭いので、観光だけでロングステイをするのは時間をもてあます。マリンレジャーなどを楽しむとステイ期間中
大いに有意義に過ごせると思う。ただ、ショートステイで何回も行くようなところではないように思う。観光資源が
限られているし飽きてしまう。(特にバリの踊りなどは、1回見れば2回見ようとは思わない。)しかし、その辺は、
人それぞれの好みの問題であり、今回のステイで、ウブドなどはあまり気に入らなかったが、それは、自分の
趣味が芸術関係に興味がないからである。
いずれにしても、バリ島は自分のお気に入りの場所になったと思う。また、別にホテルのPRをするわけではない
が、アリッツ・ビーチ・バンガローホテルは非常に気に入っており、再度バリに行くなら必ずこのホテルに泊まるつ
もりである。(ホテルのそのものもあるが、バリ島各地へ行くにも非常に便利が良い場所にある。)

(参考)使ったすべての費用(単位:円)
航空運賃他諸税 75,770 29.6%
バリ島内移動交通費 8,689 3.4%
国内交通費 4,620 1.8%
食費 25,719 10.1%
観光・レジャー費 6,507 2.5%
宿泊費(ホテル代) 57,169 22.3%
土産代 12,208 4.8%
通信費 3,184 1.2%
入出国税 4,257 1.7%
ダイバーライセンス費用 41,400 16.2%
保険料 10,870 4.2%
雑費 5,480 2.1%
合計 255,873

                                            以上