雑感


気まま、気まぐれに書いていきたいと思います。時事問題とラップする部分があるかもしれませんが、思いついたら率直に思ったまま書いていきたいと思います。

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2014年2月12日 16:27:47
神は不平等 努力しても必ずしも報われない
 正式には、今日の午前4時半までテレビを見ていました。冬季オリンピックのソチ大会の女子ジャンプを見るためです。期待の高梨沙羅ちゃんが出場しています。彼女は、女子ジャンプのワールドカップで13戦中10回優勝しており、その実力から、このオリンピックでも金メダルが有力視されていました。
僕ら日本国民も余程のミスがない限り金メダル確実と決めていました。彼女は、それだけ実力も経験もあるのです。世界のファンも金メダルを疑っていなかったと思います。
 しかし、オリンピックは魔物が住むとよく言われていますが、結果として沙羅ちゃんが魔物に襲われました。結局金メダルを逃すし、銅メダルにも届かず4位に終わってしまいました。
誰がそんなことを予想したでしょうか。
専門家の解説はこうです。
沙羅ちゃんをかばうとか、負け惜しみで言っているのではなく、完全に沙羅ちゃんが負けたのは、風の影響によるものが大きく、2回のジャンプで2回とも風に邪魔されたというのです。実力も技術も経験も他の選手には絶対負けていません。それが、負けてしまったのです。
たらればはないですが、2回のジャンプのうち1回でも、無風あるいは、有利な風が吹いていれば、沙羅ちゃんは勝っていたかもしれません。
 優勝した選手は、ワールドカップでは1勝もしていない選手です。よく運も実力のうちと言いますが、確かに実力がなければ運があっても勝てないのですが、沙羅ちゃんとこれでけの実力差があるにも関わらず勝ったというのは、運が良かった(風運)としか言いようがありません。
たまに言われている言葉で「神は万民に平等」とか「努力すれば報われる」というのがあります。
これは、あまり当たっていません。いくら真摯に一所懸命に何事にも努力して、物事に取り組んで、成果は出ることはあることはありますが、全部が全部ではないのです。その点、「神は不平等」だし「努力しても必ずしも報われるとは限らない」というのが正解です。
今回の沙羅ちゃんのことで言えば、そのことがずばり当てはまります。
 沙羅ちゃんは、今回の結果については、運が悪かったとあきらめるしかないのです。しかし、彼女はまだ17歳という若さであり、あと何回もオリンピックに出ることが可能なので、必ず金メダルを獲得するときが来ると思います。必ず来ます。ただ、それが100%でないというのが現実ですが、まあ、彼女の真摯な態度からして心配はないとは思います。
 それにしても、高梨沙羅ちゃんがますます好きになってきました。とにかく、試合後のインタビューからしても立派。17歳と思えないくらいで冷静で謙虚。精神的にもかなり強いものを持っていると思います。
今回、メダルは取れなかったですが、日本国民として金メダルをあげたいと思います。

 今回のことに関して、人間の人生ということに置き換えてみると、同じようなことがたくさんあります。
例えば、サラリーマンの立場からして言えば、成績優秀で一流会社に入り、ばりばり仕事をしている人間がいるとしても、その人が必ず出世するとは限らないのです。巡り合わせや運もあるし、サラリーマンであれば上司にも大きく左右されます。逆に、ずるい奴や不正をしてうまく世渡りする奴もいます。僕もサラリーマンを長年してきて、出世した奴も見てきましたが、必ずしも優秀な奴だけが出世しているとは限りません。逆にずるい奴、不正をしている奴の方が出世している奴が多いのではないかと思いました。
僕個人で言えば、成績優秀でもないし、ずるいことも不正もしませんでしたし、上司にも恵まれなかったので、今の状態が(今はリタイアしていますが。)、妥当なところだと思っています。(納得しています。)

 高梨沙羅ちゃんのことで、色々考えさせられましたが、「神は不平等」「努力しても必ずしも報われるとは限らない。」とは判っても、努力をしなければ何も始まりません。努力してこその結果として、運が良いとか不運だとかが決まると思います。(今回の金メダリストも努力した結果で運も味方したということ。)
 僕のことに置き換えると、これからも何事にも積極的にチャレンジし、努力もし、結果は別としても、頑張り過ぎないで頑張ろうと思った次第です。

2013年6月19日 23:55:28
明日から2年3ヶ月ぶりの海外旅行
 明日6月20日から7月21日まで1ヶ月の海外ロングステイに出かけます。実に2年3ヶ月ぶりの海外旅行となり、少し緊張しております。行き先は、フィリピンのミンダナオ島ダバオです。
 ここで、避暑(気温は熱帯であり暑いらしいが、湿度が低く過ごしやすいとのこと。)を兼ねてスキューバダイビングを中心に、のんびりと過ごそうと思っています。
 宿泊は、ホテルではなく民宿を利用しますが、それほど高くはないです。
 明日のフライトは、LCCのセブパシフィック航空を利用します。今はやりの格安航空です。マニラでトランジットしますが、その待ち時間が4時間強と非常に長く、深夜ですので時間をつぶすのが大変であると同時にセキュリティーに問題があるかもしれません。(仲間と一緒なので大丈夫だと思いますが、ひとりであればトイレも自由に行けないことになるみたいです。) 金曜日の早朝にダバオに到着します。
 現地での模様は、極力レポートしていきたいと思っております。(旅行滞在記として別ページにアップする予定です。   

2013年6月18日 1:15:20
少し焦り
 何の焦りかというと、6月20日から1ヶ月間、海外ロングステイに旅に出る。にも関わらす何も準備していないことである。
 準備と言えば、スーツケースに服や必要なもをパッキングするだけというのではなく、完全に旅行中は家が留守になってしまうのである。その間、新聞と郵便を止めなければならないし、近所への挨拶など結構細かいことがある。17日から始めたが、あと2日あるのですべて準備完了するには大丈夫だと思うが、少し心配性のところもあるので不安もあるが何とかなるであろう。
 留守中は、頻繁に兄弟が家を見に来てくれる予定になっているので、その部分は心配していないし、仮に泥棒が入ったとしても貴金属など自慢じゃないが全くないし、現金もない。(わずかのお金はすべて銀行。)さらに、家には監視カメラを付けてあるので、海外からいつでも家の様子を見ることが出来るようにしてある。
 ひとりになってから、初めての海外長期旅行になるので少し家のことが不安であるものの、打つべき手は打ってあるし、まあ問題ないであろう。(それより何より、こういったプライベート情報をオープンなインターネットに流す方が問題かもしれない。笑)
 最終的には、ケセラセラで何とかでるであろう。
   

2013年6月16日 19:11:20
プロアマダンス競技会観覧
 池田市の五月山体育館にプロアマ大阪インターナショナルダンス選手権大会を見に行ってきた。
外国人などの審査員や世界的なプロ選手が来ており、講習などもあったが、ラテンの講習をした後、少しデモンストレーションがあったが。とにかく、格好いいの一言。それに尽きる。体の動きが男女とも非常にしなやか。感心した。
 プロは、それで飯を食っているのだから上手に踊れて当たり前であるが、アマチュアも頑張っている。特に目立つのは、中高年(自分が中高年だから余計である。)。ぶくぶくに肥えている人もいるが、それにもかまわず一生懸命に踊っている。見ていて格好いいとは思わないが、そのひたむきさに感動する。
 僕も今、EXILEの歌を練習して、年甲斐もなく頑張ろうとしているところなので、今日のようなお世辞にも格好いいとは言えない中高年が頑張っているのを見ると応援したくなる。
 気持ちは若い人に負けていないと思う。しかし、基本的な体力は若者に勝てるはずがなく、それでもひたむきに一生懸命踊っている姿が、清々しいし、逞しいし、感動ものである。
 とにかく、いくら歳をとっても、外見にとらわれず一生懸命ひたすらにチャレンジする姿は、見た目ではなく心の姿が美しい。気持ちが素晴らしい。僕も見習わなくてはと刺激された。(ダンスを見習うというのではなく、その姿勢と言うことである。)

   ラテンダンスの様子であるが、きびきびした動作が要求される。年齢の影響が出やすいと考えられる

2013年6月16日 1:04:02
何だか泣けてくる
 6月13日に僕がEXILEの「Bloom」という曲を、下手丸出しでまるで吉本新喜劇を思わせるが如く笑いをさそう歌い方でYouTubeにアップして、このホームページとフェイスブックにリンクした。
 今、そのヒット数を見てみると46回ということになっていた。46回といってものべ回数であるから、同じ人が何回も見ている可能性があるので、おそらく20〜30人くらいの人が見てくれていると考えられる。
 よくもまあ、こんな滑稽で下手な歌をそれだけ見てくれたのかと恥ずかしながら感動している。
コメントは、ほとんどないので、下手すぎてコメントのしようがないと思うのであるが、それにしても嬉しいじゃないですか。これに味をしめてまたアップしようとは思わないが、もっと練習して完成度を高くしてもう一度リベンジするつもりである。冷静に考えると、よくもまあ恥もなく、あんなものをアップしたものだと我ながらあきれている。(笑)

 今回のテーマは、そのことで感動して泣けてくるというものではない。全く別の話である。
歳をとって涙もろくなってきたのは間違いのないことであるが、最近その傾向が特に激しい。
 何気なくテレビを見ていて、何気ない場面でも何だか泣いているときがある。特にお酒を飲んだときが激しいような気がする。何故なのか自分でも判らない。とにかく泣けてくる。周りには誰もいないので、こらえる必要がないから余計なのかもしれない。もっともっと感情が昂ぶると、思い切り大きな声で思い切り泣いてみたいという衝動にかられる。そこまでは、いかないが一度思う存分屈託ない大声で泣いてみたいという気になってしまう。人から笑われるかもしれないが、弱い男だからかもしれない。
 その辺の心理は、恥ずかしながら、まだまだ失恋の余波があるのかもしれない。
 何だか凄く人恋しくなり、寂しいという感情なのかもしれない。こんなことを書いて人前にさらすのは、非常に腰が引けるのであるが、とにかく自分がよく判らない。これを俗に言う「恋の病」というのかもしれない。まあ、時間が解決してくれるであろうが、もっと自己分析すれば、何十年も恋など忘れていたものが、その免疫力の低下で、今回発病してかなりダメージを受けているのかもしれない。
 とにかく何だかよく判らない。


2013年6月13日 18:45:21
ダンス同好会
 今日はダンス同好会の練習がありました。左手首を骨折して以来の練習です。実に50日ぶりです。
今週の月曜日から教室でのダンスレッスンは再開しましたが、素人同士が集まってする練習は少し違います。時間も長いし、動きも多い。(技術は別にして)だから、運動量も必然的に多い。
 久しぶりなので、体が喜んでいる感じですごく楽しく踊ることが出来ました。体がうきうきしている。
心配された左手は、スタンダードの場合は、全く影響なしであるが、ラテンの場合、手首をひねる動作が多いので、やはり少し痛かった。しかし、これもリハビリに一環としては悪くないと思う。
 このように元の生活どんどん戻っているが、一昨日の男の飲み会、昨日のカラオケ同好会、今日のダンス同好会、明日は、有志で昼食会があり、すごく忙しい日程になってきた。来週の木曜日からフィリピンに行くための準備もしなければならないし、忙しすぎる。もう少しセーブする必要があるかもしれない。


2013年6月13日 16:25:21
カラオケ同好会
 昨日LSC関西カラオケ同好会の記念すべき第1回の例会がありました。13時30分過ぎから梅田お初天神通りのジャンボカラオケで9人が集まり3時間ほど歌いまくりました。
 皆さん、なかなかのもので、男性はもっぱら演歌でひとりが何と英語の唄ばかりでLSC関西の国際性をうかがわせ熱演でした。
 女性は、もっぱらポップス中心で、なかなかの歌唱力に自称歩くジュークボックス(古いねー、若者はジュークボックス知らんよ。)を自慢する僕もたじたじでした。
 僕は、歩くジュークボックスですから(笑)何でもあり。しかし、最近猛練習しているエグザイルを中心に歌いました。
まず、景気づけに「Raing Sun」。そして、「道」「ただ・・・逢いたくて」「Bloom」を立て続けに歌いました。今日エグザイルを歌っていて不思議に思ったことがありました。前に歌ったときは、キーを三度ほど下げましたが、今日もそうしたところ低くて歌いにくかったので、最後の「Bloom」を歌ったときに原曲のままのキーにしました。すると、歌えるじゃないでですか。高い声が出るのです。練習の成果が出ていると思わず自己満足ですが喜びました。すっかり自信を付けたのですが、歌唱力の方は、まだまだ練習不足。うまく歌えません。まだまだ練習するつもりです。
 とにかく、盛り上がる中3時間で切り上げましたが、それぞれ参加の皆様は、満足して頂いたようです。幹事としてほっと安心した次第です。
 LSC行事の恒例となっている反省飲み会も終了後開き、カラオケ以外の色々な話題で、これまた非常に盛り上がりました。本当に楽しかったです!!

        LSC関西カラオケ同好会第1回例会参加の皆さん

       
 僕のへたくそな唄です。哀れなまでの涙ぐましい努力。エグザイルの「Bloom」ですが、100回以上原曲を聴き練習したものの、この程度までしか歌えません。若者たちに負けじと無駄な抵抗を重ねていますが、もっとうまく歌えるようになりたい。とにかくエグザイルはメチャ難しい!!
笑ってやって下さい。(吉本より腹を抱えて笑うことが出来ますよ。)


2013年6月12日 10:34:55
男だけの飲み会
 昨日6月11日にLSC関西の男性有志11名が集まり、所謂「男だけの飲み会」を開いた。LSC関西の男性は、相対的に恐妻家が多く、常に怖い女房から逃れて気の合った仲間同士で飲みたいという願望が非常にある。(笑)
 怖い人がいないから、飲み放題、言い放題、食べ放題で本当にフリーな時間が持てると言うことで、いつかしらこの会が始まった。女房連も、たまには息抜きが必要ということも判っているようで、黙認しているようです。
 ただ、僕の場合は、毎日がフリーですから、毎日気兼ねなく好き放題しているのは、妻帯者にない特典である。しかし、一人なので寂しさも感じることもある。その辺は、一長一短であり、他人の家の庭が綺麗に見えるということである。
 いずれにしろ、この日も大いに盛り上がった。この日の場所は、JR天満駅近くのスペインバル「ニニョトラヴィエソ」という舌がもつれそうな店名でなかなか覚えられない。(笑)
 この店のオーナーは、僕が辻学園に在学中の西洋料理の先生であった人である。なかなか、イケメンで若い女性にもてそうなタイプである。(僕の方が少し勝っているが(笑))
 料金は、ビール、ワイン、ソフトドリンクなど飲み放題付きで3500円。料理は、スペインバルに出るようなオードブル中心のメニューで仕上げは、パエリアである。この値段では、本格コースは無理なのであるものの、我々中高年には満足の量である。店の雰囲気も良い。特にカウンター席は、女性が圧倒的に多く、店の人気のバロメーターになっているようである。また来てみたい店である。
 というようなことで、男同士大いに盛り上がった夜であった。



2013年6月11日 12:37:09
僕の文章
 僕は、文章を書くことは決して嫌いではなく、かと言って好きでもありません。文章を書くことは面倒くさいという一面もあり、しかし、記録として残しておきたいという気持ちもあります。(僕の書いたものを記録しても何の意味もないのですが。)
幸い、パソコンという文明の利器(文明の利器とは古い言葉ですね。今流に言えばスーパーインテリジェンスツールとでもいうのでしょうか。)がありますので、思ったことをどんどん書くことが出来ます。
僕は、自筆で字を書くのが大嫌いです。字は汚いし、よく間違うし、汚いから自分で書いた文章を後で読み返した場合、何を書いているか判らない場合も多々あります。
パソコンがなかったら、これだけ色々と文章は書かなかったと思います。
ただし、手で書かない場分、漢字は忘れるし、字もどんどん汚くなっていっています。当たり前のことですな。
しかし、パソコンがある以上パソコンを使うし、手が退化してしまうからと言って、今更手書きに変えるつもりはありません。文明社会に済んでいる限りパソコンを使い続けます。

 前置きは、このくらいにしておいて、僕の文章について言わせて頂きます。
僕の文章は、再三色々な人から指摘を受けることがあります。
「お前の文章は、なんでそんなに長いんや。もっと簡潔明瞭に書けんのか。」と。
時間のない忙しい人は、読む時間だけでも無駄に思うでしょう。十分理解できます。ましてや、忙しいビジネスマンであれば、時は金なりで効率が重視されますので、報告書などは簡単明瞭がベストだと思います。
 ただ、僕の文章はビジネスではありません。金はないけど時間はたっぷりあるリタイアした人間です。時間があるから長くなるというものではありません。要するに悪く言えば短所でよく言えば個性と言うことで長々と金魚の糞のようなダラダラした文章になってしまうのです。
 色々なご指摘を受けて、一生懸命簡潔明瞭になるように努力はしてみるものの、短くしたつもりでも最終的には長くなってしまっています。簡潔明瞭に文章が書ける人が本当に羨ましく思います。
 文章ひとつ書くにも、もろに性格が出てしまいます。良い悪いは別にして、真面目すぎて、丁寧すぎるのかもしれません。よく行間を読むという言葉を聞きますが、僕の文章は、ほとんど行間という曖昧な部分はなく、すべて行間部分も文章にしてしまっているかもしれません。
 ですから、「こんな長い文章、誰が読んでくれるねん。」とよく言われます。極端な言い方をする人は、「文章が長すぎて読むのをあきらめました。ごめん。」ということも指摘します。フェイスブックでのコメントのことですが、僕もかっちときますので「読めなかったら読めないで、それで済むのに、何故、そんなコメントをするねん。」と思ってしまいます。(たぶん、その人はここまで読む気力がないと思いますので書いていますが。笑)何も強制的に読めと言っているわけではありません。少しぼやきになってしまいましたが、色々言われてきました。

 しかし、こんな金魚の糞文章を書く自分の文章に対して、最近過分なる評価をして下さる人が現れました。元高校の国語教師で僕を可愛がって下さる人生の大先輩です。多少お世辞が入っていたとしても、自分の文章に多少なりともコンプレックスを持っている自分にとって、青天の霹靂が如く嬉しい言葉でした。どんなことをメールで言って下さったかというと次の文章です。

「あなたのHPの文章を読んでいて、あなたの文体は芥川賞作家西村賢太の文体に似た所があると思いました。彼の作品は芥川賞受賞作品「苦役列車」しか読んでいませんが、自己分析力に優れた文体です。
現在の活動を縮小され、小説でも書かれたらどうですか。豊富な人生体験を持っておられますので、書く題材はいくらでもあるでしょう。HPだけの雑文で終ってしまうのはもったいないですね。」

そこまで言って下さるなんて、単純な僕は舞い上がってしまいそうです。
現実に言って下さることについて、実際に僕が実行するかどうかは別にしても、非常に自信になりました。
また、これは20歳代の若い女性ですが、僕の文章を読んで「引き込まれてしまい、読み終わった後、切なすぎて号泣です。」とまでメールで書いてくれていました。号泣はオーバー表現かもしれませんが、そう言ってもらえば本当に嬉しいものです。

 人は、評価して下さる人、批判する人など色々いますが、僕は、評価して下さる人の言うこと信じて、これからも自分の個性のままで色々書いていきたいと思います。
 特に物書きで生計を立てていこうとも思っていないし、気楽に思ったままを書いていくつもりです。
こんな長々した文章は、読むのが面倒だと思う人は、読まなくていいし、削除してもいいし、その辺は自由です。読んで下さる方には、感謝感謝です。
 またまた、この文章も強烈に長くなりましたが、これからも姿勢は崩さず、自分の道で歩んで行きます。


2013年6月11日 11:17:17
ダンスレッスン再開
 昨日10日からダンスレッスンを再開しました。やはり左手首に不安が残りますので、こわごわしましたが、殆ど影響がないことが判り安心しました。ほぼ元通りの生活に戻りつつありますが、後は趣味で確認できていないのは、ギター演奏とスキューバーダイビングだけです。ギター演奏は、左指で弦を押さえますので、それは影響ないですが、頻繁に手首を動かすので、その激しい動きについていけるかどうかにかかってきます。まあ、ギターの練習については、6月20日からフィリピンに行きますので、その間練習はしませんので、1ヶ月もあれば十分です。残るはダイビングですが、これはフィリピンに行ってダイビングするつもりですので、様子を見ながらするということです。基本的にダイビングは、極端に左手首を使うというものではなく、海中に入ってしまえば、一種の無重力状態ですので問題はありません。問題と言えば、装備のセットや海へ入る時と上がるときに結構力を使います(特に上がるとき)ので、その点が不安です。いずれにしろ、無理せずに慎重に対応していきたいと思います。
 7月20日にフィリピンから帰国しますが、その頃には、何か問題を起こしていない限り全快していると思います。
 生活が元に戻ってくると同時に、忙しくなってきました。今日11日は、男だけの飲み会、12日がカラオケ同好会、13日がダンス同好会、14日が有志の昼食会、16日がダンス競技会観覧など、びっしり予定が入っています。さらに、来週の20日にはフィリピンに向けて出発しますので準備もしなければなりません。そして、9月に出発するスペイン巡礼の旅の準備と肉体面での準備(トレーニング)も徐々に進めていかなければならないし、完全に元の忙しい生活に嫌が上でも戻ります。
 左手首の回復と同時に先般来精神的痛手を被った失恋も回復途上ですが、これだけ忙しければ、痛手どころではなくなりますので、自然に忘れていまいそうです。(?笑)


2013年6月10日 9:38:23
マートンの神がかり
 マートンとは、いったい誰やねん。プロ野球を知らない人は思うかもしれません。マット・マートン。
阪神タイガースの現在絶好調の4番打者です。その活躍は、客観的に見て「神がかり的」と言えます。

 5月25日の、日本ハム戦でサヨナラヒット、6月6日の西武戦では、サヨナラホームラン、そして、6月9日のロッテ戦では逆転サヨナラホームラン。これをなんと言おうか。「神がかり」でしかない。まさに劇的シーンを演出している。ファンは、こんな劇的なサヨナラについては、大勝するより嬉しいし興奮する。僕もその一人で、9日はひとりでテレビを見ていたが、思わず飛び上がり、小躍りして手を叩いて大声を出して喜んだ。家も揺れていた。(笑) 現場に応援に行っているファンは、想像に絶する興奮と歓びであったに違いない。「知らぬ同士が小皿叩いてチャンチキおけさ」(若い人は知らないと思うが、三波春夫のヒット曲「チャンチキおけさ」の一節)ではないが、知らないファン同士が肩たたき合って歓びあい、飛び上がって\(^o^)/しているのが目に見えるようです。

 サヨナラ勝ちとは、そこまで劇的で人を興奮させるものです。それを、短期間で3回もやったマートンは、偉大である。と同時に神がかりである。

 もし、阪神タイガースが、優勝したならば、MVPはマートンで決まりである。きっかけを作ったのもマートン、勢いづかせたのもマートン。まさに、「神様 仏様 マートン様」である。

 勝負事は、最後の最後まっで判らないが、阪神タイガースは、悪女みたいなところがあるから、思わせぶりをしておきながら、最後にはポイと捨てる。今まで何度苦い思いをしてきたことか。今年は、悪女にならずに「優しく包容力のある素晴らしい恋人」になって欲しいものである。

 いずれにしても、今我々阪神タイガースファンにとって、一番歓ばせ夢をくれているのはマートンであることは言うまでもない。 マートン  万歳! 万歳! 万歳! \(^o^)/  \(^o^)/  \(^o^)/




2013年6月9日 9:10:53
今日の紫陽花ちゃん
 この間からアップしている紫陽花です。かなり色が濃くなってきました。


2013年6月9日 0:21:20
自動車解禁とリハビリを兼ねたケーキ作り
 今日から自動車に乗ることを解禁した。おそらく40日近く乗っていなかったと思う。エンジンがかかるか心配であったが、キーをひねるとセルモータは回るがエンジンがかからない。しばらくしてもう一度し、しばらくキーをひねったままにしていたらやっとかかりほっと安心した。やはり、バッテリーが弱っていたと思う。その後は、順調に動いてくれた。やはり、ハンドルを切るとき痛みがあるが、これもリハビリだと思って無理してでも使っていこうと思う。ただし、安全運転には当然心がけるつもりである。

 それから、これもリハビリを兼ねてケーキを作ってみた。結果は、かなりできの悪いものとなってしまった。問題は、生クリームにある。生クリームにあると言っても材料ではなく、僕の技術に問題がある。今まであまり経験したことのないことが起こった。生クリームの泡立てが問題で、泡立て過ぎて、生地に塗ったとき表面がボロボロになってしまった。やり直して、控えめに泡立てても同じ結果となってしまった。こんな経験は、今まではほとんどなかった。手を骨折したせいでもない。何か気候の問題でもあるのかもしれないが、それは僕の言い訳にしか過ぎない。さらに、本当に柔らかめに泡立てて、今度は、ポッシュ(絞り袋で絞りデコレーションする。)をしても、先がボロボロになって絞られてくる。全く訳が分からなくなった。この前に作ったのは、2ヶ月前である。そのときは、そのようなことは一切なかった。
とにかく、納得いかないので、近いうちにまた作ってみようと思う。
 左手の具合については、問題なく作業できた。ただし、場面によっては、痛みが伴ったが、ケーキ作りに支障が出るようなことではなかった。昨日も書いたが、どんどん元の生活に戻していく。


2013年6月7日 16:52:29
元の生活
 左手首を骨折してから早1ヶ月以上経過しました。順調に回復しており5月28日にはギブスも取れ、翌週の診察では、関節部の動きも思ったほど悪くないので病院でのリハビリの必要もなしとの診断が出た。もちろん、日常生活でどんどん使って、それをリハビリとするということは必要である。
 今どんどん、使っているが、まだまだ痛い部分もあるものの日常生活はほとんど影響なくなってきた。これからは、重いものをどれだけ持てるかと言うことであり、例えば握力を測ったら、怪我をしていない右は40sで左が15sくらいであったので、左手の筋トレが必要である。筋肉と言うより、力一杯握りしめたとき、関節が痛いので、筋トレも徐々にしていこうと思う。
 そんなことで、生活も元に戻りつつある。今まで中止していた趣味も復活させていく。元通りの忙しい生活に入っていくわけであるが、今回の経験を糧に極力バランス良く生活し、時間的な余裕が全くないというような状態は避けるように心がけるつもりである。
 それから、恋の病も波こそあるが、徐々に沈静化に向かっているように思う。
 あの手、この手と色々試行錯誤をしているが、嫌いになろうなどと無理はしないことにした。そうすればますます深み落ち込んでしまいそうな気がする。好きは好きでいいので、もっともっと好きな人を探すようにすれば簡単なことである。しかし、簡単と言っても、そうそう現れるものではない。(笑)
現れたらしめたものである。病は全快とまではいかないまでも、徐々に全快に向かうであろう。
しかし、またそれが病気の元になる可能性だってある。常にリスクが伴う。
 いずれにしろ、最終的にはケセラセラしかない。(笑)            

2013年6月7日 16:16:50
LSC関西おじさん、おばさん合唱団
 6月6日に開催されたLSC関西懇談会・懇親会での懇親会のお開き前、恒例の「高校三年生」の合唱風景です。殆どの人が、60歳以上のリタイアした人ばかり。しかし、その精神年齢は、−20歳したとしても過言ではありません。とにかく、行動的で元気です。LSC関西そのものの全体の雰囲気がそうですから、次々に入会される新会員も自ずとその雰囲気に飲まれ若返るのです。そんじょそこらの若い者に負けない活気があります。唄こそ懐メロですが、そのパワーたるや、AKBも顔負けです。そのLSC関西に参加させて頂いて非常に有り難く思うし幸せにも感じます。日本全体が、LSC関西会員のパワーと情熱と元気があれば、もっともっとこの国は良い国になると思うのですが、オーバーでしょうか。いずれにしろ、リタイアした人ばかりですので、直接日本の発展には寄与出来ないが、精神的には、十分寄与できるパワーがあると思います。
            

2013年6月6日 23:40:57
阪神タイガース連夜のサヨナラ勝ち
 6月5日、6日の西武ライオンズとの2連戦で連夜のサヨナラ勝ち。楽勝の試合でないだけにチームの盛り上がりは最高のものとなる。我々ファンにとっては、このような試合は凄くエキサイティングである。ただ、巨人も同じような勝ち方で、以前0.5ゲーム差で巨人首位。しかし、まだこの時期で首位を狙う必要もないし、やはり勝負は、9月と10月である。これで交流戦は、一つの勝ち越し。いずれにせよ、わずかでもいいので勝ち越せば問題なし。例年に比べて、段違いに調子がよく、ひょっとして、ひょっとする展開にますます現実味が帯びてきた。阪神タイガース\(^o^)/

2013年6月3日 14:53:24
まもなく田植え
 
 初夏で梅雨入り前の晴天。今日は、左手首骨折の定期検診病院に行きましたが、順調に回復しており、リハビリの必要もないとのこと。リハビリは、日常生活でどんどん使っていくことが一番とのことで安心しました。
 病院の帰り、時間もあるし1時間ほど歩いて家に帰りましたが、途中の田園風景を撮影しました。まもなく田植えです。田には、水を張っていく最中で、その横では苗が育てられています。季節を感じます。
 それはそうと、今日は僕の36歳の誕生日です。(本当は63歳ですが、精神的には36歳で数字を逆にしただけ。)朝から何人かの方からメッセージを頂き、本当に嬉しく有り難く思っております。本当に、いくつになっても、ちょっとしたメッセージでも嬉しいものです。(*⌒▽⌒*)
 人間関係なんて、ほんのちょっとしたことで良くもなり悪くもなります。たとえそのメッセージが社交辞令とか儀礼的であっても、ちっとも嫌な気はしません。人間の信頼関係などは、そんなほんの小さいことから大きな信頼関係に変わることもあります。しかし、逆の場合もあり、今まで信頼した人間が、ほんの小さなことをおろそかにしたことで信頼関係がなくなることだってあります。僕自身も今後十分に気を付けなければと思っております。自分自身もちょくちょくそういった儀礼を欠くことがよくあるからです。
 僕の誕生日のそんなことで、以上のようなことを思った次第です。

2013年6月3日 14:53:24
嫌いになる為に
 未だに恋の呪縛から逃れることが出来ない。色々気分転換したり、他のことを考えたり努力をしているもののひどい病のようである。(笑) 客観的に考えて、あの時の状況を分析して自分自身を納得させるように努めているのであるが、理屈や理論を超越した何だか訳の分からない病魔がこびりついて離れない。気分的には、快方に向かったり、再び落ち込んだり、非常に荒波が立ってしまっている。
 こうなれば藁をもつかむ思いで、あまり人間的ではないかもしれないが、相手の欠点や違和感を感じるところを探し出し、その点を頭の中で強調させて嫌いになるしかないと思う。
 全く非人間的な行為であるが、たぶん相手のことは特定できないと思うので(相手は読むかもしれないが。)、思い切って書き出してみたい。そして、嫌いになって綺麗さっぱり忘れ去りたい。

 1.八方美人で誰にでも良い顔をしようとしている。別の言い方をすればぶりっこかもしれない。
 2.後でくれたメールは、僕にとっては何と優しいと思ったものの、あまりにも整い過ぎて、まるで
   教科書に書いているような模範的なメールであった。そうは思いたくないが、僕のことを考え
   たのではなく、通り一遍の美辞麗句を並べただけである。
 3.彼氏のいる女性が、別の男と1:1で会うであろうか。そして、一緒に食事などするであろうか。
 4.最初から割り切って僕をメッシー君と考えていたのかもしれない。
 5.別に僕は、そういうのは要求しないが、食事の後は良く覚えていないが、ご馳走様とお礼を言
   われたかもしれないが、その後のメールで一言もご馳走様やお礼の類いを書いていない。
   普通であれば、文頭にご馳走になり有り難うございましたと書くとも思うが全くなかった。(僕は
   お礼を言って欲しいということではないが。一般常識として。)この辺が、この女性の人間性とか
   社会性を疑ってしまう。だから、デートしてやっているのだから当たり前と思っているのかもし
   れない。そう言われればそうかもしれないが、人間としてそんなものではないと思う。
 6.腰が軽く、多数の男性と今回のような経験をしているかもしれない。(無防備と言えば本当に
   無防備である。世の中の男性は、僕のような羊ばかりではない。)
 7.メールの最後の文章で「恋は盲目ですね。(笑)」というような、まさにその通りなのであるが、
   あざ笑うようなことが書かれていた。よくよく考えてみると僕を馬鹿にしたような言葉かもしれ
   ない。恥ずかしながら62歳にしてうぶな僕が完全に手玉に取られていると思う。したたかな
   女性である
 8.前の投稿にも書いたが、真の優しさや思いやりがない女性かもしれない。僕が、フェイスブック
   に「左手のギブスが取れた。」との投稿に対して、コメントもなく「いいね」すらもなかった。この
   辺は、この女性の人間として持っているはずの優しさ思いやりについて疑問を持たざるを得ない。
   (記事を絶対見ているはず。)
 9.恋は盲目で「結婚したら絶対良い奥様になる。」とのぼせ上がっているとき書いたが、それは、
   取り消したい。彼氏がいるのに他の男とデートするなんて、その彼氏は何と思うだろうか。
   彼が普通の男性なら絶対良しとしないはず。結婚していたら、これは完全に不倫である。
   (今、テレビで話題になっている矢口何某と中村何某と同じ。)

以上、もっと見つかりそうであるが、この辺にしたい。以上の9項目は、僕としては絶対に信じたくはないが、十分客観的な内容である。しかし、そうは思いたくなく、そうあって欲しくないというのが本音である。結果が出ているにも関わらず、未だにグラグラ揺れている自分が情けないし、恥ずかしい。こんなこと書きたくなかったが、こうでもせずには、なかなか呪縛から逃れられないのである。
 いつも今回の件に関して最後に書いているが、「決して後悔していない。」ということである。
 こんなことを書く弱い人間である自分自身を嫌悪すると同時に懺悔したい。

2013年6月3日 10:24:38
今日の紫陽花ちゃん


2013年6月2日 11:55:30
芸能界の結婚離婚騒動
 少しだけニュースソースが古いものになってしまうが、先週、矢口何某と中村何某が離婚したと騒いでいた。結婚して2年目だそうである。まあ、芸能界に限ったことではなく一般でもこのようなケースがあると思う。芸能界でも一般でも真面目(この言葉が適切かどうかは本人同士の問題であり明確に言い切れないが。)に誠実に我慢することは我慢して円満に結婚生活を送っている人も多いと思うが、とにかく、芸能界については大々的に報道されてしまうから、どうしても目立ってしまう。これは、芸能人の有名税のようなものであり宿命だと思う。
 しかし、僕のようなどちらかというと昔気質の古い人間に言わせれば全く理解の出来ないことである。結婚するときは金をかけてど派手にやると同時にテレビで報道などして、それで金儲けまでしている。
だから芸能人なのかもしれないが、僕的に言えば人生のスタート時に、ど派手に金をかけて、おまけに金儲けまで企んでいるのはどう見ても納得いかない。僕が何を言おうが彼らにとっては関係ないことであるものの一言言いたくなってしまう。さらにさらに、そのような結婚式でも、終身円満な家庭であれば全く問題のないことである。しかし、すぐに離婚してしまうことが非常に多いように思う。
全くええ加減と言わざるを得ない。今回のケースでいけば、矢口何某が自分の家に男を連れ込んでベッドにいるところを中村何某に発見されたとか。全く破廉恥もきわまりない。どんな事情があったのかもしれないが、全く普通ではない。そして、また、のうのうとテレビに出て記者会見とかして、どの面下げて記者会見か。恥ずかしくないのであろうか。ど厚かましいにもほどがある。そんな、厚かましさがなければ芸能界ではやっていけないのかもしれないが。
 それで、しばらくしたら何もなかったようにぶりっこぶって、テレビに出るのであろう。本当に理解できない。まあ、本人同士にしてみれば、本人同士の問題であり、世間の人には迷惑かけていないと思っているであろう。(その通りで一般世間には迷惑はかかっていない。一般人はただ、野次馬根性でおもしろおかしく見ているだけである。)それから、記者会見のとき、決まり文句が「ご迷惑、お騒がせして申し訳ありません。」という。何も迷惑なんかかかってない。どうもこの辺も僕としては違和感を感じる。
 こうして、僕が書いても何のことはないのであるが、ただ、僕が引っかかるのは、ど派手に金をかけて、金儲けまでして結婚しておいて、浮気や何やらですぐに離婚してしまうということで、結婚ということを軽く見過ぎているということである。(あくまで僕の考え方で、もちろん人それぞれの考え方があり、どれが正しいとは言わないが。)僕のこんな考え方について、他の人は、そんな考え方しているから未だに独身なんだと言われるかもしれないが。(笑)
 それから、この際であるからもう一言。最近何と出来ちゃった結婚が多いことか。これも僕の考え方が古いと言われるかもしれないが、これも僕的に言えば賛成できたことではない。何だか現実問題として言えば、結婚ということより、セックスが先行しているように思えてならない。また、お前はそんなことだから未だに独身だと言われそうである。(笑)
 結婚すると言うこととセックスして楽しむことは、切り離して考えて方がベターだと思う。まあ、自分自身そんな現場に遭遇してことはないから、偉そうなことは言えないが。だから独身なのかもしれない。(笑)
 まあ、他人様のことでどうでもいいことであるし、男と女の関係のことは全く判らないので、ただ、僕の思っていることだけと言うことにしておく。(他愛ないことであるが。)

2013年6月2日 11:07:27
今日の紫陽花ちゃん
 今日の紫陽花ちゃんの様子はご覧の通りです。ますます綺麗になってきています。



2013年6月1日 9:52:12
1日経った紫陽花の花
 1日経ったら少し元気になってきました。昨日は、たぶん開いたばかりで首が据わっていなかったような感じ。日が経つにつれて美しくなっていくと思います。



2013年6月1日 0:02:27
健気な紫陽花の花
 我が家の庭に今年初めての紫陽花の花が咲いた。水も手入れもしない不精者の家主の元、美しくないものの健気な紫陽花の花が咲いた。明日になったらもう少し美しくなっているかもしれない。
こんな不精者の家主の家によくぞ咲いてくれた紫陽花に有り難うと言おう!!



2013年5月31日 13:38:04
体重が減った
 特に減量を意識したわけではないが、ここのところ体重が2キロほど減った。食事は普通に食べているし、食欲もある。ただ、少し間食が減ったかもしれない。さらに、特に体を動かすような運動もしていない。にも関わらず体重減。どこか異常なのか。4月に受けた人間ドックでは、いつも通りに糖尿病予備群と言われた。毎回のことであるが、今回は空腹時血糖値が基準を少しだけ超えていたし、2時間後血糖値もいつもより高めであった。人間ドックの診断コメントとしては、受診の必要ありと書いてあったが、今のところ受診していない。受診したら、すぐに薬を飲めと指示されるのが嫌だから、今のところ様子を見ている。次は、8月に受診するが(これは、2ヶ月に1回の高血圧の定期検診)、そのときにどう治療するか考えたい。
 今回2キロ減ったのは、たぶんそれが原因ではないと思う。
ここ1ヶ月強の「恋の病」から来ている可能性が強い。徐々には覚めつつあるが、恥ずかしながら、ずっと寝ても起きても彼女のことばかり考えていた。夜寝ていて、ふと目が覚めると彼女のことが頭をもたげて、再び寝ることが出来なくなってしまう。それも毎日。自ずと睡眠時間が短くなってくる。その影響が出ているのかもしれない。
 人間の体の機能は、凄いと思う。病は気からと言うけれど、まさにその通りである。別に今が病ではなく体重が減っているだけであるが、ひどい状態になれば当然本当の病気になってしまうかもしれない。
 原因は定かではないけれど事実として減っているので、それを逆手に取ってやろうと思う。
9月から10月にかけて、スペインの巡礼道を800キロ歩くが、当然体重を減らした方が、足にかかる負担を考えた場合良い。これを機に、今度は意識して体重を減らそうと思う。
 そのままで何もしなければ、恋の病も快方にに向かっているので、すぐに2キロくらい元に戻ってしまいそうである。それをさせないように計画的に体重減に取り組もうと思う。後2キロくらい減らして68sくらいまで持っていきたい。
 それにしても、恋して体重が減るなんて62歳にして初めてである。(笑)過去にあったのかもしれないが、そんな記憶はない。それもさんざん悶々として悩んで、自分の思うようにならなかったら効果てきめんなのかもしれない。
布施明の唄でこんなのがありましたね。「恋というものは不思議なものなんだ」と。
 本当に不思議です。まだまだ快方半ばといったところかな。(笑)  我慢、我慢!!


2013年5月30日 1:42:17
最悪の2連敗
 意地や悔しさもあるので5月29日も甲子園球場に行った。そうしたらまた負けてしまった。僕は余程の疫病神なのか。
2日連続で甲子園に行ったのも初めて。2連敗したのも初めて。景気づけのつもりがますます落ち込んで行く。
 逆転の発想で阪神タイガースが僕の疫病神を取り込んで、僕の疫病神が逃げていったと思えばいいのでる。フェイスブックを通じて、そういうふうに逆転の発想をすればいいのではと教えてくれる人がいた。その通りである。阪神には気の毒であるが、まず自分の厄をはらうことが先決である。
 あるいは、疫病神を自分に完全に取り込んで飼い慣らして、逆に自分に有利なようにもっていけるようにしてもいいのかもしれない。いずれにしろ、今回は意地で2日間連続で行ったが、しばらくは甲子園には行かないことにする。7月下旬に日本に帰国したら行こうと思う。1ヶ月間は、フィリピンのダバオで疫病神を飼いならして有用に使ってやる。(笑)


2013年5月29日 11:43:57
恋は盲目と本当の優しさ
 5月23日の記述にあるように、恥ずかしながらこの歳で恋をしてしまいました。結果は記述通りですが、全く後悔はしておりません。しかし、日が経つにつれて冷静さも取り戻し色々考える今日この頃となっております。
 のぼせ上がって視野が狭くなっているときは、すべてことについえ相手を美化しているようなこともあったようです。言葉一つにしてもメールにしても、振る舞いについても、すべてが素晴らしいと思っていました。まさに恋は盲目です。
 昨今は、非常に便利なコミュニケーション方法があり、所謂ソーシャルネットワーキングサービスというものです。その世界的有名なもので利用者が多いのがフェイスブックです。これは、利用の仕方によっては非常に便利なツールであり、しかも無料で利用できます。相手の住所、電話番号が判らなくても、フェイスブック専用のメールアドレスがあり、そこにメールすればプライベートなことも自由に書けます。良きにつけ悪しきにつけ、上手に使えば非常に有用です。しかし、悪用されることもあるかもしれません。
 今回のことについては、決して悪用ではなく彼女への連絡手段として使いました。その連絡手段をもって、今回のことが始まり終わりました。
 フェイスブックには、メール機能の他、公開の投稿記事もありますが、この場合、友達関係が出来た先には、必ず投稿記事が配信されます。その記事が「良い」「悪い」に関わらず、記事を見た場合「いいね」というアイコンをクリックして投稿者に見たよというサインを送る仕組みなっています。記事を見てもどうでもいいと思った場合は「いいね」をクリックする必要はありません。さらに、もっと進んで記事に感想や意見などコメントを書くことも出来ます。そのような形でお互いのコミュニケーションが成り立ちます。記事には、よく調べてはおりませんが、極端なものでない限り投稿コードもないと思われます。
 標記のタイトルは、昨日僕が投稿した記事に対する反応に関してのことです。記事の内容は、下の「ギブスが取れた」という記事で下のものと全く同じ内容です。普通こういった記事を書いた場合、励ましのコメントや祝いのことば、あるいは、「いいね」だけでも嬉しいものです。ですから、誰がコメントをくれて、誰が「いいね」をクリックしているのかが気になり、相手に対する信頼度を測っていきます。そして、コメントなり「いいね」なりの相互のやりとりが増えてくれば、ますます相手を信頼するようになってきて、もっと深い交流が出来るようになるかもしれません。逆にお互いコメントも「いいね」もない場合は、何も信頼関係が発生しないし、交流もまず深まりません。
 今回のことはこの「ギブスが取れた」ということの反応です。今回僕が盲目なったのは、このフェイスブックの友達です。当然僕の状況を知っており、記事も見ているはずです。同日に投稿されていた他の人の記事には、その彼女の「いいね」が入っていますので、出張とかでしばらく見ていなかったということではないと思われます。少なくとも先週に会って、色々話して結果は僕にとって良いものではなかったですが、喧嘩はしていないし、気を極端に悪くするようなことは一切しておりません。彼女のメールには、そういった類いの文言は一切なかったのです。こういった場合、普通なら社交辞令でも「いいね」をクリックすると思うのですが、ないしもちろんコメントもありません。いったい全体、このようなことは「優しさ」があると言えるのでしょうか。全く見ず知らずではないし、面と向かって二人で話した相手でもあるわけです。忘れていたと言うこともあるかもしれませんが、極論を言って人間性を疑ってしまいます。もちろん、「いいね」を言おうがコメントをしようが、全く相手の自由であり、強制することもありませんし、ただただ人間の持っている「優しさ」「思いやり」だけだと思います。特に僕が、記事を投稿したのは、「いいね」と言って欲しいと投稿したものではなく「いいね」があったら、誰彼にもかかわらず嬉しいという気持ちだけです。
 今まで自分自身がのぼせ上がっていて、何でもかんでも美化してしまっていて、とにかく「恋は盲目」であるということをひしひしと実感せざるを得ないような状況です。ふられたので、悔しさからこのようなことを言っているわけではありません。客観的に見た相手の人間性に不信を持ちました。ショックであると同時に非常に悲しいと思う。お互い憎しみあって別れたのではなく、僕も納得して円満に引いたまでです。だのに、ちょっとした「優しさ」「思いやり」はないものなのでしょうか。
 だんだん、彼女への想いはこんなことで薄れてきて、逆に不信感すら持つような状況に至りました。
 ええ歳こいて自分自身本当に情けなく思います。本当にええ歳して、男女間の恋愛については無知も甚だしい自分に嫌悪感すら感じてしまいます。まあ、今回の相手が、このような女性であったと思うしか仕方ありません。今から5月23日の記述を繰り返し読むと恥ずかしくなってきます。しかし、心ときめいたし、何十年も忘れていた恋の味を思い出させてくれたし、色々勉強もさせてもらったし、僕の一生において忘れられない50日だったと思います。何だか後味が悪くなってしまいましたが、後悔はしておりません。
 そんな人間性の彼女であるということが判ったのですが、改めて「有り難う」と言いたい。


2013年5月29日 10:52:29
景気づけのはずが意気消沈
 下の日記に書いているように5月28日は、ギブスも外したし、心のギブスもはずし、景気づけに最近勢いのある阪神タイガースを応援して自分の新たなスタートにしようと考えた。こんな他愛のないたかがプロ野球で景気づけしようと思ったのが大間違いの元であった。逆に意気消沈し気分がガタガタに崩れることとなってしまった。
 甲子園球場での阪神対楽天を観戦した。降りしきる雨の中、試合は決行されたが、僕としては、自分のリスタートの日だし、何が何でもずぶ濡れになっても最後まで応援するつもりであった。
 試合の結果は、喜んだり、怒ったり、悔しがったりの連続で、野球そのものの内容としては、結構スリリングなおもしろい試合であったものの、我々トラキチをしては全く腹立たしい腹の虫が治まらない結果となった。日本を代表する好投手田中マー君から2点先取し、こりゃいけるかと思ったら7回に逆転され、それでもその裏に同転に追いつき、さらに8回には1点勝ち越して、これで六甲おろしが歌えると思った。しかし、しかしである。超不安定なストッパーの久保が出てきて勝ちムードを一掃してしまった。結果逆転負け。最終的には4:7になってしまった。腹立たしいのを通り越えて、呆れかえるは落ち込んでしまうし、本当に腹の虫が治まらなかった。通常であれば勝てている試合である。それなのによりによって9回に逆転される展開。いくら考えても腹が立って仕方ない。この日は僕のリスタートの日であり、特別な感情を持って観戦したので負けがなおさら悔しいものとなった。まるで自分の人生を見ているような気になってしまい、やるせなくなってしまった。この日の僕にとって、たかがプロ野球であるが、そんなプロ野球に自分自身のリスタートをかけるというのも、無能浅はか板付きかまぼこということであり、成るべくして出た結果だったかもしれない。情けない。これから、再び明るい人生を目指そうとしているときに完全に出鼻をくじかれてしまった。人生が嫌になってきた。(ちょっとオーバーであるが。)
 まあ、人生においても野球においても、必ずこういった波がある。それをいちいち人生が嫌になったなどと言っていたら、命はいくらあっても足りない。そんなことは十分に判っていながら、一時的ではあるものの落ち込んでしまう。
 沈んでばかりいても始まらないので、とりあえず今日もう一度甲子園球場に足を運んでリベンジしよと思う。今日負けたらどうするのと言われそうであるが、そのときは、伝家の宝刀を抜いて「ケセラセラ」でやり過ごすことになると思う。(笑)

 

雨が降る中応援したのに     試合開始前 空が不安定     熱心に応援


2013年5月29日 10:38:38
ギブスが取れた
骨折してギブスをしてから今日で25日経ちましたが、やっとギブスを外しました。左は、ギブスを縦に真っ二つに切って上を取り除いた直後。中央は、今後外出時に人目につくようにプロテクトをした状態。右は、全部外した状態。骨はつながって痛みはありませんが、関節部が25日間も動かさなかったので硬直しており動かすと痛いです。これから、リハビリを兼ねてどんどん動かすようにします。まずは区切りがつきました。ついでに、この1ヶ月間いつもと違う生活と精神的に色々あったことのギブスも取り外し、その部分もリハビリしていきます。リスタートの祝いと景気づけに今から甲子園球場に阪神タイガースを応援に行ってきます。(雨で中止の可能性もありますが、とりあえず出かけます。十分に左手は中央写真のようにして養生します。)

 


2013年5月27日 15:58:37
のどかな田園風景
 スーパーに買物に行く際、車に乗ることが出来ない(左手骨折のため。6月4日から再開)ので田園地帯を歩いて行ったが、途中の農業用水路や小川に亀が群れて甲羅干ししていた。そして、畑には綺麗な花が咲いていた。のどかである。歩いていると時間がゆっくり流れる。車に乗っていると何だか忙しなく時間が早く流れるように感じる。今回骨折したことによって車に乗ることが出来なくなったので、歩くことが中心になっているが、新しいこういった発見があったのは、痛かったけれど、こういう良いことも見えることになったので良かったと思う。明日、ギブスが取れて少しずつ普通の生活に戻っていくが、もちろん車を多用してしまうことになってしまう。しかし、何回かに1回は、所用のあるときは歩くということも実行しようとも思う。
      


2013年5月27日 0:51:44
現状の阪神タイガース考察
 現状の阪神タイガースを考察すると端的に言って例年に比べて格段に好調であると言うこと。現在交流戦が行われているが、スタートは3連敗して今年もいつもと同じパターンで負け越し、そのままレギュラーシーズン最後まで行くのかと思った。しかし、今年は違う。3連敗の借金は返済し、今日も勝って逆に貯金1となった。通算でも早10の貯金が出来た。異例である。1位の巨人とのゲーム差も1.5となった。今の段階で1位どうのこうのは関係ない。ぴったり巨人についていったら良いだけのことである。
今日の貯金1とする勝利は、今後大きな意味を持ってくるであろう。節目になるに違いない。調子が良いのは言うまでもないが、死角は以前多くある。まず、ストッパー久保の不安定なこと。これは、競り合ったときに大きな影響が出てくるであろう。久保の安定が戻らなければ、チーム全体が調子を落とすと、そのままずるずる落ちていってしまう可能性はある。久保の復調か、あるいは久保に変わる選手が出てくるか早急に解決する必要がある。この対策が成功すると9月、10月に大いに夢が持てる展開になってくると思う。そのように夢のある展開になってきたとしても、僕個人の事情で9月始めから10月中旬までスペインに行くので日本で盛り上がることが出来ないのが残念である。
 とりあえず、当面に目標としては、交流戦に勝ち越すことである。今日の勝利でその可能性が大きく広がった。
しばらくは、交流戦が続くが、大いに応援して、何回か甲子園にも行きたいと思っている。


2013年5月25日 22:47:48
恋と音楽
 これは僕に限ったことだけではないと思うのである。恋したとき、失恋したとき、恋が成就したとき(不器用な僕は恋など成就させたことは残念ながら一度もないが(笑))、など色々なシチュエーションで頭の中に甘く切ないメロディーが流れている。その音楽の効果により、気持ちが高揚したり落ち込んだりもする。

 若かりし頃のことを思い出すとちょうど21歳くらいの時だったと思うが恋をした。当時流行していた曲が「ある愛の詩」で歌ではアンディー・ウイリアムス、オーケストラ演奏ではフランシス・レイが、それぞれ奏でていた。それと全く毛色が違うのであるが演歌で殿様キングスが歌っていた「涙の操」を思い出す。今でも、これらの曲が流れると100%この時のことを思い出す。今となれば、恋の成就はしていないので苦い甘い思い出になっている。

 音楽は、そんなに素晴らしい効果を持っている。人間の感情への触媒的要素を持っている。だから、良きにつけ悪しきにつけ音楽は大好きである。

 今回のことでは、多くの曲が登場しました。まず、さだまさし「風に立つライオン」「あなた三昧」、エグザイル「ただ・・・逢いたくて」「Rising Sun」「道」、そしてエンディングとして「BLOOM」以上6曲。
 今、何回も聴いている「BLOOM」は、癒やされます。良い曲です。いずれの曲もアレンジして音程を三度下げますが、歌えるようになっています。(笑)
いずれにしろ今回の曲も一生忘れない曲となりました。


2013年5月23日 22:53:55
自分を褒めてやりたいが、それ以上に相手を褒めてやりたい
 何のことかというと昨日自分自身生まれて初めてではないかということをした。

何をしたかというと、何と37歳年下の女性に対して交際申込をしたのである。いい歳して、自分に子供がいたら自分の子供より若い女性に、よりによって交際申込をしたのである。何て馬鹿なんだろうと世間の人は言うかもしれないが、自分の生き方や考え方の中で自分自身の責任の範囲内で勇気を出してした行為である。何十年も味わっていなかった本当の恋というものを、その女性が思い出させてくれたのである。何もセックスとか、そういったやらしいものではなく、純粋にプラトニックな恋愛感情である。

 50日前であるが、ある飲み会があったのであるが、その時にその女性が僕の前に座っていた。僕はもともとあまり飲めないのであるが、たまたま調子が良く日本酒をかなり飲んだ。何を喋ったのか忘れてしまったが、饒舌に喋った記憶がある。
その女性と飲み会で会うのは2回目であったが、殆ど喋ったこともないものの第一印象で悪い印象は持っていなかった。相対的に、たぶん男性は最初に容姿で見てしまうが、凄く美形で非常に印象に残っていた。しかし、まさかここまで胸がときめいてしまうようになるとは想像だにしなかった。

 この日の第2回目の印象として、とにかく若くて美人。(僕はやっぱり面食い。)スタイル抜群で服装のセンスなども良い。そして、シャキシャキしており、物怖じしない明るい女性である。そんな女性が僕の目の前に座ったのであるからハイテンションになってしまうのは当然のことであった。

 僕は、飲むとすぐに寝てしまうほうである。案の定知らない間に寝てしまった。お開きの時間になり起こされて外に出たが、二次会に行こうと盛んに誘われた。その女性からも誘われて、これまたハイテンションで当然行くことになった。飲めない酒をさんざん飲んだが、合間にやっぱり寝ていた。終わる頃にその女性が、ポンポン肩をたたいて起こしてくれた。その肩たたきが、「おじさん、おじさん老け込んで恋もしないようになったら駄目よ。」というようなサインを送ってくれたかのように勝手な解釈をしたのかもしれない。(実際は女性はただ単に肩を叩いて、このおっさんしょうがないな程度のものであろう。)

今回のことは、これが62歳のおっさんが、25歳の女性に恋した始まりである。完全にこの女性が頭に貼り付いてしまった。

 その翌日に知り合いの結婚式があり出席したが、その結婚式が実に素晴らしい結婚式で大変感動することになった。当然、僕の頭がガンガン刺激されて、前日の女性とリンクしてしまい、ますます気持ちが昂ぶってきた。さらにさらに、僕の周りに2組も、30歳以上年齢差結婚の人がいたのである。芸能人では、そんな歳の差結婚がよくあるが、この連中は基本的に金持ちなので出来ることであり、僕の周りの2組は、それほど金を持っているとは思えない。そんなことだったら僕にも出来るのではと淡い希望が芽生えてきた。そう思いだしたら、どんどんモチベーション上がってきて、ますますその女性への気持ちが昂ぶってきた。
しかし、常に歳の差というハンディが頭に付きまとい行動に踏み出せない。さらにその女性の住所も電話番号も何も判らない。どうしようもない。そうこうしているうちに偶然メールアドレスが判った。そうしたら行動を起こさない手はないということで、躊躇もあったが、メールを出した。たぶん無視されるのではないかと思っていたが、意外や意外すぐに返信があった。こっちが、「また会えたらね」と書いたことに対して「再開楽しみにしています」との答え。これも意外であった。社交辞令かなあとも思った。しかし、こちらから明確な会う日の連絡は多少遠慮や歳の差への抵抗もおあり躊躇してしまっていた。

 そんな時、自分の不注意で左手首を骨折してしまった。今までしてきたことが何もかも出来なくなってしまった。
そして、何も出来ないことから今まで予定に入れていたことをすべてキャンセルしたことで時間的余裕も出てきた。

 そうなってくると考えることがないので、もはや考えることは彼女のこと一つになってしまった。
そんな時間の過ごし方でひとときも彼女のことが頭から離れない。夜寝ていてふと目が覚めると、その女性のことばかり考え再び寝ることが出来なくなり、そのまま起床したことがたびたびあった。

 とにかく何かもの凄くゆっくりした時間が流れ、瞬間瞬間その女性のことを考えて結果も何も出ていないのに不思議と幸せというものを感じた。これが完全に忘れていた恋だ。恋なんだと感じずにはいられなかった。
 そんな中で、いてもたってもいられなくなり、依然として年の差コンプレックスが頭から離れない。しかし、感情の昂ぶりも抑えられない。
 そんなことで悶々とした挙げ句に、ダメ元で確率10%くらいかなと感じつつ、また思い切ってメールを打つことにした。
まあ、今度はたぶん無視されるだろうなと半ばあきらめていたところ、なな何と20時間後にokの返事が返ってきたではないですか。夢じゃないかと思ってほっぺたをつねってみたら痛かった。夢ではなかった。全く奇跡が起こったような感覚である。

 5月22日に食事をすることになった。
それにしても、結果良しとしても、何故彼女がokしてくれたのか不思議でならなかった。僕の今までの経験からすれば、ほぼokの返事は来ないと思っている。ましてや頭の禿げた37歳年上の自分のお父さんの歳のような62歳のおっさんと1対1で食事をするか。さらにお金持ちでなく、さえないおっさんを相手にするのか? どう考えても奇跡としか言いようがなかった。
そんなことから自ずと考えてしまったのが、無視されるか、返事があっても、嘘か本当か判らないような口実を付けて断ってくるのであろうと言うことであった。
 そこで考えられるのが、左手を骨折して何をするにも不自由なものに対する同情や哀れみなのか。彼女の持って生まれた寛容な優しさなのか。会ってもらえるのは心底嬉しいのであるが、その辺が理解出来なかった。しかし、事実として会ってくれるのだから理由などどうでも良いと考えることにした。しかし、会って色々話して、その理由が推測できた。彼女はスポーツウーマンで体育会系のパターンであり、スカッと爽やかが行動の中心にあるように感じた。少なくともある程度信用できる相手なら、好きとか嫌いとか同情や哀れみなど関係なく、自身も含めて楽しいことだったら男女も年齢差も関係ないというよな感じであろう。もちろんそんな中にあっても心底優しさを持っているのも言うまでもないことであろう。

 5月22日に予定通りに会い食事をしながら色々話した。
行く前に色々話すことを考えていたが、最後の最後に相手の目を見て、これだけは言おうと考えていた。
「好きです。likeでなく、loveです。愛してます。だから、試用期間限定で交際して欲しい。そして、試用期間でokであれば本格交際して欲しい。」と。試用期間なんて適切な表現ではないが、僕という人間をじっくり観察してほしいということで、間尺に合わなければ期間を問わずゲームオーバーにするという意味である。
 このことをはっきり言わなければ、こんなチャンスは巡ってこない気がするし、そうなってしまえば僕の今の気持ちさえ永久に知ってもらえなくなる。仮に今回何も言わなくて、次回、今回と同じように会ってくれるかどうかも判らない。会ってもらえないかもしれない。そうなれば流行語的になるが「今やるしかないでしょう。」ということになってくる。
 食事が終わる頃に僕は意を決して正々堂々と相手の目を見て

「好きです。likeでなく、loveです。愛してます。だから、試用期間限定で交際して欲しい。そして、試用期間でokであれば本格交際して欲しい。」

と考えていた台詞をはっきり大きな声で言った。(途中何だか情けないことだが泣けそうになって言葉が詰まることもあった。)このことに対して滑稽であるものの堂々と申し入れた自分自身を褒めてやりたいと思う。性急すぎて、要領が悪くて、やり方が悪いと一般的には言われるであろうが、人付き合いが下手で不器用な僕はこれしか出来ないのである。自分の考えていることをはっきり言った。これで良かったと思う。後悔はしていない。
 それに対して彼女の反応は、良く覚えていないのであるが

「彼氏がいるので受けることが出来ない。」

とのことで今回のことはあっさり一巻の終わりとなり、ゲームオーバー、玉砕という結果になった。50日間の短くて長い幸せな日々が終わった。何の後悔もない。僕自身も正々堂々とはっきり大きな声で自分の相手に対する想いを明確に伝えたことは、こんなこと恥ずかしながら生まれて初めてであり、自己満足であっても本当に自分を褒めてあげたい。格好良かったと思う。(他人がこの時の僕の体全体が硬直し、緊張した様子を想像すると腹を抱えて大笑いするかもしれないが。)

 しかし、それ以上に彼女の僕に対する優しい接し方の方をより以上褒めてあげたい。僕を信用してくれて1対1で会ってくれたこと。こんなシチュエーションを作らせてくれたこと。そして、慌てることもなく、はっきり答えてくれたこと。
そして、帰ってからすぐにメールが入っていて、優等生の非の付けようのない優しいいたわりのある内容。多少社交辞令的内容もあるかもしれないが、彼女の優しさが伝わってくる内容であった。そんな彼女を僕以上に褒めてあげたい。本当に本当に立派である。このことで、冷静に気持ちを抑えて我慢しなければならないところが、逆に火に油を注ぐようなことになってしまった。しかし、最早後の祭りであった。

 月並みな言い方になるが明らかに僕はふられたのであるが、つらいものの爽やかさの残るふられ方であった。
今の段階で未練がないと言えば大嘘になるが、さっぱりあきらめなければ仕方ないことだと思っている。
 さっきのメールの内容を見て、彼女の素晴らしさが判り、彼女の旦那になる人が羨ましい。間違いなく素晴らしい奥様になる。
これは、僕が保証する。その旦那が僕であったら言うことないのであるが。それは、今夜の夢の中の話である。(笑)

 わずか50日間であったが、長年忘れていた真の意味での生き生き生きることと、年老いて忘れかけていた苦しくても恋する素晴らしさを僕に思い出させてくれた彼女に心の底から感謝したい。恋って素晴らしい。結果は別としても、こんな素晴らしい女性とならもっともっと恋してみたい。
まだまだ、60歳を越えた僕でも、気持ちの持ちよう次第で、いくらでもチャンスがあることを判らせてくれた。
 今回の淡い思い出を糧に、これからもどんどんチャレンジしていきたい。 有り難う好きだった女(ひと)!!


2011年3月23日 1:47:22
我が国に対する過小評価
今回の大震災と大津波で東北関東の工場が大きな被害を受け生産がストップして、日本国内はもとより世界中に、その影響が拡大している。昨今の日本の不景気や先般、中国にGDP世界2位を明け渡して、心理的にも精神的にも我々日本人に斜陽を感じさせていた。
しかし、今回の震災で見えてきたことがある。我々日本人自体が自虐的な部分で自分の国の実力を過小評価しすぎていたようなところがあると言うことである。
今回のことで世界中の自動車などの代表的産業が影響をもろに受けているのである。部品が揃わず生産が出来なくなっている。とにかく日本の影響力が大きいと言うことである。すなわち実力があるということなのである。例えば完成品の組み立てなどは、中国などに押されっぱなしであるが、中核となる部品に関しては、きちっと日本の企業が抑えているのである。まだまだ我が国は捨てたものではない。その辺を改めて見直した次第である。もっともっと自信をもっていいと思う。そこで、この国難の時期を如何に乗り切るかの試金石であり、世界中の国が日本のことを注視していると同時に、早急な復旧を待ち望んでいる。そうでなければ各国企業も大きく業績に影響が出るからである。
今こそ、我が国のことを改めて見直して、復興に国民一人一人が自覚して頑張らなければならないし、日本人なら必ず出来る。
さらに、災い転じて福と成すが如く、逆境をバネに今までの停滞をぶっ飛ばし飛躍するチャンスなのかも知れない。この国難を乗り切れば、今までの自信喪失を克服して再びGDP世界2位を取り戻すかも知れない。そうなれば、もっともっと強い国になっていると思う。期待を持ってよいと思う!!


2011年3月19日 22:54:12
両刃の剣「原子力」
今起こっている原発の危機について「原子力」という素晴らしく切れる両刃の剣について、心底考えさせられる。
凄いエネルギーを出すが、致命的な危険性も秘めている。今起こっていることは、後者の致命的な危険性にさらされているのである。
どのようにして、凶暴な力持ちと付き合うかの問題である。制御が非常に難しいのである。
今回の場合は、うまく凶暴な力持ちと付き合ってきているのに、想定外の力で自然が邪魔をしたのである。まだまだ人間に力が原子力と自然の力に及ばなかったのである。
まだまだ、危機は続いており、少しずつ解決に向けて進んでいるものの絶対的な解決方法ではない綱渡り的な部分も見受けられる。
そんなときに、今後のエネルギー政策を考えるのは早すぎるのかも知れないが、遅かれ早かれ考えざるを得ないことである。
僕の結論はこうである。実現性のない夢のような部分もあるが、安価なクリーンエネルギーを探すというか、発明するということ。そんなこと一朝一夕には出来るはずないので、それまでの繋ぎをどうするかであるが、そうなると嫌でも原子力と付き合わなければ仕方なくなる。
それではどうして付き合うかである。コストがかかりすぎても、今回の想定外の自然災害を基にして、想定の2倍のスペックの対策をとることである。これしかない。これで、電気料金が上がってもよい。安全はタダでは買えないからである。
次に使用者側の対策。徹底した節電を行う。また、電気機器なども今より一層の節電機器を作ること。
さらに電気を発電することからの対策として、今後の新築住宅は、太陽電池を付けることを義務づけること。あらゆる面でコストという壁があるが、これは安全を買うということで苦しくても払わなければ仕方ないのである。
まだまだ、対策は色々あると思うが、今後も継続して考えていきたい。


2011年3月15日 23:53:35
記者の横暴(横柄)
今回の東北関東大震災においての政府や関係機関の説明時に、記者の横暴と言うか横柄で尊大な態度に腹が立つ。いったい何様のつもりであろうか。もちろん全部ではない。一部の思い上がった記者である。
一つ目は典型的な横暴な質問態度。原発事故に関して、東京電力関係者の説明者に対しての質問の時である。まるで凶悪犯人を弾劾するような態度で、攻撃するような非難するような偉そうな質問の仕方には、説明する方の情報不足で満足に答えられないこともあるのであるが、そこまできつい言い方をする行き過ぎであるように思うと同時に腹が立った。国民の命のかかった問題で、質問する側も苛立っているのかも知れないが、それにしてももっと冷静に紳士的に質問出来ないのか。前にも、このような事例があり(JR西日本の福知山線の脱線事故の時、記者の質問態度が非常に問題視されて批判されたことがあった。)、今回も同じような感じである。いったい、自分を何様と思っているのか。警察官のつもりか。あまりにもひどいように思う。
 それから、二番目には、これは横柄な態度ではないが、まったくピントはずれの政治家の足を引っ張ってやろうというような質問があった。今回の地震に関する枝野官房長官の説明の時である。地震や津波に関する質問であればいいのであるが、全員が心配しているときに、何の質問をしたかというと、何故、説明者が枝野さんで菅さんではないのかという、全くこの重大な危機の時に、今はどっちでもいいような質問をするのである。みんないらいらしているのに全くもってアホな質問であった。そんなどころやないやろ。と罵声を浴びせてやりたい気持ちであった。
本当に思い上がりというか、まったく僕は理解出来ない。
いずれにしろ、全部ではなく一部の記者であるが、もう少し自分の立場というものを理解して行動して欲しいと思った。


2011年3月15日 12:09:39
東北関東大震災W
どんどん震災と津波の被害が増え続けている。さらに、追い打ちをかけるように原子力発電所が危機状態にある。こてんぱんにやられている感じであり、今更ながら人間の非力さをつくづく感じる。絶対に自然には勝てない。死者数も確認数で2千人近くになっている。さらに行方不明者が1万5千人にもおよぶようである。希望を失ってはいけないのであるが、たぶん、殆どがなくなっているのではないかと考えられる。全く持って痛ましい。痛ましすぎる。何と言っていいか判らない。


2011年3月14日 0:01:33
東北関東大震災V
刻々と東北地震の被害状況が変わってきている。悪い方に代わってきているのである。今現在の状況から見て、残念ながら死者は1万人を優に超えるかも知れない。全く持って痛ましいことである。どうしようもない状況である。しかし、現実は打ち消しようのないことであり、被災者には気の毒に思うが、起こってしまったことについては、嫌でも現実を認めざるを得ないのである。現在のところ人命救助を優先させて取り組み(すでに当然のこととして政府がそういうふうに動いている。)、次にどういうふうに早々に復興させるかに取り組まなければならない。一朝一夕で復興出来るような現実ではないが、とにかく一刻も早い復興に着手しなければならない。今回の対策での民主党に動きには納得出来る。やはり阪神大震災での経験が生きている。矢継ぎ早に手を打っている。それでよい。苦しい財政状況の中であるが、金に糸目を付ける必要はない。同資金調達を考えるかは、後で考えればよい。とにかく助けること、復興させることである。国民の一人として出来ることは何でも協力する。今日のテレビの番組で、国民新党の亀井なにがしという亀井静香の姪が、いいことを言っていた。資金調達についてである。無利子の特別国債を発行して国民の協力を求めるというもの。ただ単なる国債発行ではなく、半分寄付的意味合いの国債発行である。無利子の10年債くらいが適当ではなかろうか。それを発行するなら、僕は10万円くらいは買うつもりでいる。もちろん、半分寄付的な意味合いでの溝に捨てるつもりのものである。純然たる寄付としては、僕の資金力では無理である。
いずれにしても、国民の一人として何らかの形で復旧に協力したい。国民全員が、そのような気持ちを持って一つになれば、もともと底力のある国民の資質を持ってすれば、何とか出来ると思う。しかし、被災者を減らすことは無理としても、復興に向けた力には絶対になる。そして、その余勢をかって、災い転じて福と成すが如く、今の低迷した日本経済を立て直すのである。日本国民なら必ず出来る。ひとつになって頑張れば何とか出来る。何とかなる。とにかく、力の範囲で頑張りたい。


2011年3月13日 1:10:53
東北関東大震災U
とにかくひどい東北地震の惨状。
特に津波の威力は想像を絶するものがあり、情け容赦のない濁流が地上を襲う映像を何回も見た。まるでパニック映画を見ているようであるが現実なのである。どうしようもなく止めることも一切出来ない。なされるがままの状態で指をくわえてみているだけなのである。昨日も書いたが、人間の命の儚さと非力さをを思い知らされる。僕たちは、テレビで漠然と見ているだけで、何も出来ないし、ただ多くの方が助かるのを祈るだけなのである。明日は我が身である。そうなったときの心構えを持っておかねばならないと思った。


2011年3月13日 1:07:37
東北関東大震災T
東北太平洋沿岸地域を中心とした大きな地震があり、こちらの方まで少し揺れた。その後、我が国の太平洋沿岸地域全域に津波警報が出され、地震30分後には、宮古港があっと言う間に波にのまれたライブの映像がテレビに映し出され、地震と津波の恐ろしさを見せつけられた。いつも思うことであるが、いくら人間の科学が発達したとはいえ、全く自然の力にはとても及ばないと言うことである。そんなことから改めて自分の命のことを思わざるを得なくなった。いつ何時死ぬか判らないと言うことである。


2010年6月1日 12:35:27
自分を客観的に観察
自分を客観的に観察といっても何の観察かというと習い始めて2年半の社交ダンスの自分が踊っているところの観察です。
ラテンは、ルンバ。スタンダードは、ワルツです。
端的に言って、なんとへたくそで格好悪いかと言うことです。
ルンバでは、ピョンピョン跳びはねているようで柔軟性に欠けており、 さらに腰が動かず肩を動かして、まるで村田英雄の「歩」です。 (肩で風切る王将よりも 俺は持ちたい歩のこころ)
そう肩で風を切っているのです。ラテンでは、これは全く駄目です。
ワルツの方は、ステップがべた足になっており、体全体のアップダウンがなく、躍動感がありません。いつも練習では指摘を受けているのです
が、なかなか克服できません。さらに、パートナーとのコンタクトの取り方が悪いようです。
課題が、山ほどありますが、まあボチボチ根気よく頑張ります。

ダンスのことはもとより、自分自身を客観的に見ることは大切なことだと、この自分のダンスの不格好さを見てつくづく思いました。
肉体的にも精神的には、自分自身を客観的に冷静に見ることを今後すべての面において心がけていきたいと思った次第です。

   


2010年5月25日 18:51:10
参加することに意義あり
僕の所属するリタイアした人が中心の海外ロングステイサークル「ロングステイクラブ」の20周年記念東西交流会が江ノ島でありました。
記念パーティーやアトラクション、翌日のハイキングなど盛りだくさんの内容で楽しい2日間を過ごしました。
アトラクションでは、ダンスタイムとカラオケタイムがあり、いつのまにか両方共に出場するのが決まってしまっており、ダンスはアラカンの手習いで習い始め2年半経過して少しだけどうにか踊れるようになっているので思い切って出場し、カラオケも歌うのは嫌いではないので出場しました。
ダンスでは見ていた仲間から「ロボコップみたいなダンスやな」と冷やかされましたが、なるほど自分で後で見てもいわれた通りで、動きが硬く、さらにルンバのゆっくりしたリズムにリズム感を付けるため動きに節目がついてしまっていました。まだまだ経験が足りません。
カラオケは、思い切り歌って、前日に一夜漬けで歌詞を覚えて何とか歌詞を見ずに歌うことが出来ました。音はところどころ外れていまいしたが、思い切り腹から声を出し気持ちよく歌えました。自己満足です。
いずれにしろ、良い思い出になりました




2010年5月11日 1:10:40
これっていったい何やねん?
自分自身の都合で屋久島クルージングを途中リタイアして帰ってきたのであるが、帰ってきてから信じられないことが起こった。
いとこの訃報が入ったのである。
あくまで自分の都合で帰ってきたにも関わらず、偶然というか思いがけないことになったのである。
これを「虫の知らせ」というのか、「これっていったい何なんや」と言ってしまいたくなる。
屋久島クルージングを続けていたとすれば、急には帰ってこれず明日の葬儀には到底間に合わない。
僕はあまり心霊的なことは信じない方であるが、こういうことが起こると、あながち否定も出来なくなってくる。ましてや、僕の実姉も海外旅行に出ており、高齢の母だけでは対応出来なかったところである。
いずれにしろ、明日葬儀に参列し、いとこの冥福を祈るばかりである。
(いとこは、娘が2人いるのであるが、親不孝ものの娘で、親のことをほったらかしで連絡もとれなく、明日の葬儀で身内は、母も高齢で行けないので僕一人だけとなる。)


2010年4月7日 22:17:46
人の命
巨人の木村拓也コーチがくも膜下出血で急死。倒れてから5日間意識が戻らず、そのまま永眠となってしまった。まだ、37歳で若すぎる。昨年まで巨人で現役のユーティリティープレーヤーとして活躍し、引退して今年から巨人のコーチとしてスタートした矢先であった。ノック中に倒れそのまま逝ってしまったのである。
いつも思っていることながら、人間の命などいつ何時どうなるか全く判らない。重い病床にあっての死の可能性は大きいが、元気でピンピンしていての死は、予測が付かない。それも、年齢的に若ければ若いほど急死が考えられないのである。しかし、今回の木村コーチのことから言えば、若くても関係ないのかもしれない。
くも膜下出血は、予測が付かないらしい。だから、僕自身もいつ何時どうなるかも判らない。
ましてや、僕は高血圧で薬を飲んでいるのである。余計に確率が高い。
だから、1日、1日悔いの無いように精一杯思い切り生きることを念頭に置いて人生を歩んでいかなければと改めて思った。
他人事ではない。いつ何時我が身に起こるかもしれないのである。

先日は、親戚に不幸があり葬儀に参列し、火葬場で骨を拾ったが、人間の命の儚さというか、無常というか、凄く虚しいものを感じた。今まで形の合ったものが、焼け残ったボロボロの骨だけになってしまっているのである。
親戚の人の場合は、96歳の天寿を全うしたといえると思う。しかし、木村コーチのように37歳と言えば、余計に虚しさと儚さを感じる。
人の命とは何なのか。
この一週間は、本当に「人の命」というものを考えさせられた。


2010年3月23日 2:13:09
久しぶりに大感動
久しぶりに感動する場面があった。自分自身のことではないが、少しオーバーな表現で他人様のことであるが、若い仲間の人生節目のスタート地点に立ち会えたことである。

その仲間達は、僕より歳が半分くらいの若い人たちで、6年前に英会話学校へ通っていたときに知り合った気さくな仲間たちである。
親子ほども歳は違うが、たまに飲み会をしたときに参加させて貰っていた。確かに年齢のギャップを感じることもあったが、抵抗なくつきあえることが出来た。みんな素晴らしい若者達である。

その中で、最も付き合いの古い(有志が集まって最初に飲み会したときからの付き合い。)某薬品メーカーに勤めていて、一旦東京に転勤になり、再び大阪へ戻ってきた仲間がアメリカに転勤になるというので、その仲間の送別会をするので是非来て欲しいと幹事(もちろん仲間)の人から連絡があり、喜んで参加することになった。
お互い長い間会っていなかったが、忘れずに声をかけてくれたことが嬉しかった。それも、倍も年上の普通なら敬遠されるはずにも関わらずである。このことは、アメリカに転勤する仲間からのリクエストもあったとのことも嬉しかった。

送別会のときにサプライズがあると聞かされていたが、何だろうな興味津々であった。たぶん、誰かの結婚発表ではないかという予感がしていた。
その予感がぴったり当たった。
アメリカへ行く仲間が結婚して一緒に彼女を連れて行くと言うことである。
時間をおいて、その彼女が会場に入ってきた。それも凄く美人。
転勤するまでの時間がないので、詳細まで聞かなかったが、4月1日(エイプリールフールではなく本当に。)に入籍して、新婚旅行代わりにアメリカに赴任するとのことである。
実際に結婚式とか披露宴はどうするのか知らないのであるが、今日のこの日が、模擬結婚式のような舞台になった。プロデュースした幹事も名幹事であるが、それを披露してくれた当人同士も立派である。結婚の経緯からすべて恥じらうことなく話してくれた。

彼が東京在勤中に知り合って、大阪へ転勤になってから本格的にき合いが始まったとのこと。所謂遠距離恋愛である。それで、彼のアメリカ転勤が点火剤となりプロポーズしたとのことである。
人生そのもので、アメリカ転勤がなかったら、本人には確認していないが、こんなにトントン拍子にはいかなかったのかもしれない。
一応、指輪のプレゼントやウエディングケーキにも入刀するセレモニーもあった。出席した仲間は僕を含めて16人の少人数であったが、全員心からの祝福で大喝采であった。
単純な僕は、自分のことのように嬉しかったし感動もした。
帰りには、新郎新婦からブーケトスもあったが、何と、そのブーケ、僕がゲットしてしまった。しかし、年齢的に失格で(笑)、やり直しとなり、結局歌手の卵の女性がゲットした。後でよく調べてみると、ブーケトスは、女性が取るものであり、男性は関係がないことが判り、そんなこと何も知らない僕は、今考えると赤面してしまうようなことであった。(汗)
無知とは恐ろしいものである。(笑)

とまあ、単純な話なのであるが、僕にとっては、何とも言えないような久しぶりの大感動をおぼえたのである。

それより何より、長い間会っていない若い仲間が、ロートルの僕を、あんな場に呼んでくれたことが何よりも嬉しいし、これから新しい人生をスタートさせる二人のスタート地点に立ち会わせて貰えたことも嬉しかった。


2010年3月15日 0:59:48
ヨットレースの醍醐味
何回かレースのヨットに乗せて貰っているが、今日のレースは本当に楽しかった。絶対条件は、ほどよい風が吹くこと。
風がないときのヨットレースほど面白くないものはない。
ヨットレースは、カーレースのように決まったコースを走るのではなく、要するに海のどこを走ってもよく、決められたブイを回ってくればよい。風の吹く方向によって、各ヨットとも、それなりの作戦で臨むので全艇が横一直線に並ぶことはスタート時点を除いてほとんどない。あっち行き、こっち行きでブイを回るときに優劣が判る。
遠目に見てリードされていると思っても、風の条件やコース取りでブイを回ったときに勝っているケースも多々あり、逆のケースもある。だから面白い。
今日は、午前と午後で2回レースがあったが、1日中良い風が吹いていた。かなりスピードも出た。
今年は、一度仲間と一緒に自分たちが主体となってレースに出てみたいと考えている。今までは、乗せて貰っているので、船長に言われた通りにしていただけであるが、単独で出るとなると、自分達で考えて走らせなければならない。だから、その分真剣味も帯びてくる。そうなると、たぶんスキルも上がってくると思う。
とりあえずは、順番は気にせず、とにかく自分達でヨットを操作し、ヨットレースに出るのが楽しみである。


2010年3月14日 1:50:12
共育者ということ
今日のテレビドラマでのこと。
熱血小学校教師のドラマを見たが、その中で若い先生が、主人公の熱血先生に「よい先生になるにはどうしたらいいのか。」ということを聞いたとき、主人公の先生が「共育者」と答えた。
僕は、全くその通りだと思った。
先生は、教育者でなければならないのであるが、それと同時に共育者でもなければならないということ。
生徒は、先生に教えて貰い、先生は生徒に教えて貰うということで、共に育たなければならない。
先生とて普通の人間で神様から特別の能力を授けられたものではないから、当然勉強しなければならない。
学問的な勉強であれば本などで勉強出来るが、人間的な教育については、確固たる経験がものを言う。先生にとって、その先生は生徒なのである。生徒が色々な問題を示してくれて、それを先生自身悩みながら真摯な気持ちで生徒の中に飛び込み、考えて解決方法を導く。それを生徒に指導する。所謂、先生自身も育ち、生徒自身も育つ。共に育つということなのである。
学校の先生と生徒の関係ではなく、我々の身近なことから考えると、自分のことで言へば、多少僕は、パソコンに詳しい部分があるので、よくパソコンについて質問されることがある。たまに、自分も判らないことがあるが、その場合、その場では答えられず、時間を貰って色々調べるのである。苦労して調べ、試行錯誤しながら答えを導いたとき、確実に自分自身にノウハウになっているのである。そして、それを質問者に回答する。確実に自分も育ち(スキルアップ)、質問者も育つことになる。
だから、今日のドラマでも共育者という言葉がよく理解出来た。
学校の先生のように人間教育をするということは、学問ではなく、もっともっとデリケートな問題であるので、僕が先程示したようなパソコンの問題のように簡単にはいかないと思う。しかし、何でもそうなのであるが、諦めて逃げてはいけないということ。真剣に悩み、真剣に考えなければならない。

今日のテレビドラマを見て思ったことである。


2010年3月9日 0:40:55
電子機器への危惧
電子機器には、規模は別にしても必ずコンピューターが入っている。コンピューターを使うことにより、様々な制御が可能となる。最近大きな問題になった自動車のシステムも全面的にコンピューターシステムが使われている。
コンピューターは、現代文明にとって切っても切れないものになっていることは、今更言うまでのことはない。
ありえないことではあるものの地球上のコンピューターシステムが動かなくなったら、現代文明は完全にマヒしてしまうし、大混乱、大暴動になってしまう可能性もある。
コンピューターは、現代文明にとって必需品で便利極まりないものであるが、反面大きなリスクを抱えているとも言える。まさに両刃の剣でもある。その辺は、世間の殆どの人がわかっていることであり、今更書くことでもない。

つい最近のことであるが、我が家でも、コンピューターを内蔵した乾燥洗濯機(洗濯物を放り込むだけで洗濯から乾燥まですべて自動でしてくれる。)が、洗濯中に原因不明で止まってしまい、洗濯槽のふたも開かないし、スイッチを切って入れてのリセットをしても復旧出来なかった。こうなってしまえば完全にお手上げであった。手動で何をしても動かない。原因は、後で判ったのであるが、洗濯は乾燥の段階に入って洗濯槽の温度が上がっているときに、何らかの原因でブレーカーが落ちて電流が切断されてしまった。洗濯槽の温度が高い場合は安全に為に蓋が開かないような仕組みらしい。ブレーカーを復旧させたが、リセットなどをしても復旧出来なかった。結局、洗濯槽の中の温度が下がったら、蓋が開くよういなり復旧出来たのである。温度が下がるまでの時間がかなりあったので、手の打ちようがなかった。完全に故障かと思った。この辺が、超便利になったものの、システムが超複雑になり、一時的に制御が出来なくなったと言うことである。

先般トヨタのプリウスのブレーキシステムに問題があったのと似たような問題である。特に、安全上非常に重要なブレーキシステムのことなので命に関わる問題である。便利に安全に作ろうとするためにシステムが複雑になりすぎがのである。ソフトを書き直すことにより、問題は解決したようであるが、コンピューターシステムで動いている以上、予期せぬ使い方で、予期せぬ問題が、再び出てくる可能性もある。コンピューターシステムについては、規模の大小に関わらず、開発初期のものは、必ずと言っていいほどバグが発生するものである。パソコンシステムでも、ユーザーからのクレームで初めてバグが見つかるケースが多い。
そんなことで、コンピューターシステムは、現代文明にとって必要欠くべからずのものであるものの、まだまだ魑魅魍魎の部分が潜んでいるように思う。

よくSF小説に出てくるが、コンピューターが人間を支配するということも将来ないとは言い切れない。極端ない言い方をすれば、今回のプリウスの問題にしても、コンピューターが反乱を起こしたのではないが、結果的に言うことを聞かなくなったも同然のことである。所謂一種のバグなのである。

ところで、コンピューター機器が動かなくなった場合、復旧の為によく使う手がある。リセットという手である。初期の状態に戻すと言うこと。リセットにより、嘘のように問題が解決することがある。但し多少の犠牲を伴うが。

このリセットと言うことは、人間にも当てはまる部分がある。
「初心に戻る。」「原点に戻る。」という言葉は、困ってどうしようもないときに実行すれば効果があることが多い。これも多少は犠牲を伴うが。

そんなことで、我が家の洗濯機の故障から、ふとトヨタのプリウスの問題を関連づけて、電子機器の危惧というか、コンピューター社会の危惧を思ったのである。

**長文で失礼しました。


2010年2月18日 14:36:15
確定申告
昨日確定申告をしました。
寂しいかな収入ゼロなのでする必要もないのですが、国民健康保険や住民税の関係でしなければなりません。
今年もe-taxというネットシステムで申告したのですが、本当にややこしく4時間もかかってしまいました。
確かに便利なのですが、ステップが多すぎて途中で間違ったら、やり直さねばならず(やっていく途中でバックアップをとるのですが、それでも面倒)、面倒なことこのうえありません。
どちらかというと僕は、IT関係のことは詳しい方なので、パソコンはある程度使えますが、このシステムだけは毎回手こずります。現状のままであれば、これを利用して申告する人は限られた人だけになると思います。
もう少しシステムをシンプルにすべきです。シンプルにするといっても、申告すること自体が結構複雑なので難しいかもしれません。
とどのつまり、システム構築にお金をかけただけの成果が上がらないかもしれません。ましてや、1年に1回のことだけなので覚えることも困難です。たぶん、来年もこのシステムを使って申告しますが、また、同じように四苦八苦して、この日記に書いているでしょう。


2010年1月28日 22:22:40
問題横綱 朝青龍
とにかく朝青龍は問題が多すぎる。そのたびに協会に詫びを入れたという形で、協会も厳重注意に留めている。
しかし、朝青龍は懲りもせずに、暴行事件という問題を起こした。テレビでその事件について、協会に厳重注意を受けた後、会見に応じたところが放映されていたが、口では今後問題を起こさないというようなことを言っていたものの、態度は謙虚さに欠け、「まあ、これくらいのことは、どうってことないよ。」と思っている風に見えた。
芝居でもいいから、もう少し申し訳なさそうな態度を取ればいいのに、それすらない。
日頃から土俵態度も真面目で横綱らしく強いけど、優しいというようなところがあれば、多少問題が起こしたとしても、生身の人間だから許される部分もあるのだけれど、土俵態度も褒められたものではない。
最も僕が気にくわないのは、勝負が付いているにもかかわらず、相手をトドメとばかりに突き倒すのである。喧嘩ではないのである。スポーツマンシップに基づいたスポーツなのである。
相撲は、一種の格闘技であり、ファイトをもってぶつかるのは当たり前なのであるが、平幕力士で負けが込んでおり明日で負け越しというような場合、必死のパッチで、なりふりかまわず勝負するのは判らぬでもないが、最も力量が上の横綱には許されない。
格闘技であるから、気の強い性格でなかったら、生きていけないのである程度は目を潰れる。しかし、朝青龍に限っては行き過ぎである。
さらに土俵外でも問題を頻繁に起こす。これは、どう見ても横綱としては失格である。
相撲協会は、もっと強い態度に出るべきである。
引退を勧告するくらいの強い態度に出るべきである。それでも態度が改まらないのなら、首を切るべきである。
そこまで強い態度に出なければ、相撲協会は舐められたままになってしまうと思う。
朝青龍は、その溢れんばかりの荒すぎるファイトを、相撲ではなくプロレスか総合格闘技にぶつければよいのである。
しかし、プロレスや総合格闘技にしても殺し合いではないので、あのような性格では、受け入れられないかもしれない。
まあ、朝青龍のあのような性格は、ちょっとやそっとでは治らないであろう。
強いては、引退に繋がるのではないであろうか。


2010年1月27日 9:16:45
新しい試み
新しい試みと言っても何も目新しいことをするのではない。人としての最も基本的なことの一部である「挨拶」ということへの試みである。

昨日から体重減量および健康管理を目的としてウオーキングなどを始めているが、今日も朝からウオーキングした。
コースは、河原横の自転車道がメインであるが、同じように散歩している人や通学の学生などがわずかであるが通っている。全く知らない人ばかりである。今までは、すれ違っても知らない人なので知らぬ顔で通り過ぎていたが、今日から知らない人でも朝の清々しさに合わせて「おはようございます。」と「挨拶」してみようと思った。今までも、そのような気持ちはあったものの、少し照れくさいことと、知らない人に何故挨拶しなければならないのかという気持ちがあり、何もしてこなかった。
そういうことは改めて、朝の清々しい空気の中で挨拶すれば気持ちが良いに違いないと考え直し実行することに決めた。
知らない人でも殆どの人は、必ず挨拶を返してくれる。中には、知らぬ顔の人もいるが、そういうことは気にせずマイペースでこちらから挨拶することにした。やはり気持ちの良いものだ。相手も決して気持ちが悪いはずがないと思う。
挨拶などは慣れのもので、最初は抵抗があっても慣れれば自然に出るようになると思う。今日も一人目は、何だか照れくさかったが、2人目からは少し落ち着いた。
今日は、5人の人とすれ違ったが、1人だけ挨拶を返してくれなかった。そんなことは気にしないことにする。

いずれにしても、今後ずっとこの習慣は、続けていこうと思った。


2010年1月23日 23:48:40
素晴らしい関西電力のコマーシャル
アンジェラ・アキの「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」というシーンにぴったりのBGMで非常に感動的で訴求力のあるコマーシャルが最近よく流れている。

あの忌まわしい阪神大震災から15年経過し、街も復旧したが、その課程において、頑張って震災の被害から立ち直ってきた人や街を描いた内容であり、その中で関西電力もインフラの復旧ということで一緒になって頑張ってきたという関西電力の企業としての使命感とイメージを十分描ききっている。
震災の年に生まれた人も15歳である。その人達の生きていく姿と重ね合わせ、関西電力としてのあり方とか使命などが伝わってくる。

本当にまれに見る良いコマーシャルであると思う。やたらと企業の名前を出したり、くどいような印象づけは一切ない。最後の方に関西電力という社名が少し出るくらいである。最初は何のコマーシャルか判らない。
しかし、最後にはコマーシャルに意味が良く理解出来たし関西電力に好印象を持つ結果となる。。

僕の中で関西電力の企業イメージが断然上がったのは言うまでもない。
ステジイ審査員としては、早くも今年のコマーシャル大賞に選びたい。


2010年1月22日 22:31:27
最近太り始めた
最近じわりじわりと体重が増え始めている。極端に増えているわけではないが、少しずつ増えており、塵も積もればで時間が経つと大きい数字になってしまいそうである。

最も顕著に判るのが、下腹である。下腹がたるんだ感じになってきている。ズボンもきつくなってきた。それに比例して、これは家では測定出来ないが、確実に内臓脂肪も増えているはずである。また、4月に人間ドックに入る予定であるが、たぶん脂肪肝と言われるのは明らかである。2年前は、少し今より体重が少なかったので、それまであった脂肪肝がなくなったが、また昨年くらいから脂肪肝が復活したのである。正直なもので、体重が増えたら必ず脂肪肝になっている。

何とかしなければならない。人間ドックに入る4月までに最高目標3s減、最低目標2s減で頑張ってみたい。

ここで宣言して実行する。有言実行出来るように頑張りたい。
僕の今までの経験からすれば、言葉に出して他人に自分の目標を喋る、言葉にしないなら自分のホームページなどの他人の目にさらされる場に実行目標を書く。それもしないなら、公開はしないが、紙に書くとか、ワープロに書くとかする。そうすることによって、モチベーションが上がってくるように思う。ただ、思うだけで、考えるだけでは自分に甘えが出てモチベーションが上がってこない。
しかし、いくら他人に目標を話しても目標を達成出来ないことはいくらでもあるが、達成の為に努力はするものである。
だから、今後の僕の夢とか目標達成の為に、必ず人に話したり、ホームページに書いたり、紙に書いたり、ワープロに打ってみたりして、モチベーションを上げ、達成に向けて頑張るようにしていきたい。

まず、第一の当面の目標は「体重を減らすこと」で頑張ってみる。
これを読んで下さった方は、僕が目標を達成出来なかったら、大声で笑ってやって下さい。
「うどん屋の釜やなあ!」と。


2010年1月19日 14:42:33
パソコンのサポートセンター
僕のパソコンは、DELL製である。保守契約が来月で切れるので案内が来たが、更新契約をすべくサポートセンターに電話した。出てきたのは明らかに外国人とわかる発音であった。たぶん中国人だと思ったが、聞いてみたがやはりそうであった。さらに、何処で電話を受けているかと聞いてみたが、中国の大連だそうである。こちらは東京の電話番号でかけているのであるが、東京から中国まで転送されているようである。もちろんこちらの電話料金は国内料金である。
以前から、DELLのサポートセンターに電話するとほとんどが外国人の発音であった。中国に繋がっていたのであろう。中国は人件費が安いので、転送費を使ってでも中国人を雇用していると思われる。
こちらとしては、用が間にあえばいいことなので、どうでもいいことであるが、応対の相手によっては、何だか中国人特有の厚かましさがあるうようで、あまり良い印象を受けないときがある。しかし、中国人にとって日本語は外国語なので、日本人的対応は難しいであろう。
欲を言えば、対応は日本人にこしたことはない。それだけ、自分の了見が狭いということであろうか。


2010年1月19日 1:29:06
タコメーター
マイカーのタコメーターが昨年あたりから調子が悪く、動いたり止まったりし、かと言って完全に止まった状態にもならない。昨年車検を受けたが、そのことを車検屋に言ったものの症状がないので様子見となった。車も17年も乗るとあちこちガタがくるものである。人間と同じである。タコメータは、運転することや安全面で必ずしも必要ではないので止まっていてもそれほど気にはしていなかった。完全に止まってしまっても修理には出さないつもりであった。
しかし、今年に入っていつか忘れたが、急に回復したのである。ずっと動いている。不思議である。ローソクが消える時に一瞬明るくなるみたいであるが、それと同じで、もうしばらくして完全に止まるのではなかろうか。
どうなるにしろ、車を動かすについて問題ないのであるが、それよりも、今年厄年の自分自身に関連付けてしまい何だか気持ちが悪い。
昨年1年五十肩に悩まされたが、ほぼ回復した。それと関連付けてしまい、完全に悪くなる前の回復なのか。
今年最初に厄払いをしないと宣言したが、それでも何か連想するようなことがあると非常に気になるものである。
今回は、車のタコメーターに関連付けてしまった。
しかし、厄払いはしない!!


2010年1月12日 1:35:34
コツコツとすること
今年初めての家の掃除を行った。僕は、どういうわけか、掃除が嫌いなのである。綺麗にしたら気持ちが良いことは解っているし、そうしたいのであるが、何故だか邪魔くさくてあまりしないのである。したらきちっと隅々まで綺麗にするのであるが、とりかかるまでが時間がかかるし、しだしたらまた時間がかかるし、とどのつまりやらないことになってしまう。
何故そうなるかの理由は、時間がかかりすぎて嫌になってくるのであるが、そんなに丁寧にしなくても、ささっとして回数を増やせば、そんなに塵も積もらないのである。一度に大きなことをしようとするから億劫になってしまうのである。掃除だけではなく、その他のことも、そのような傾向がある。
ポイントは何かと考えてみると「コツコツする」「小さいことの積み重ね」ということを理解出来ておらず「早く結果を出したい」ということを優先してしまい結局は何も出来なくなっているということであろうと思う。
新年になって10日を経過したが、まだ1年の計のうちであるから、今年は「コツコツと小さいことの積み重ね」ということを目標にして頑張ってみたいと思う。
有言不実行になるかもしれないが、とにかく頑張ろうと思う。(掃除だけではなくすべて)


2010年1月10日 1:51:39
パソコンOS完全に一周遅れ
ネットオークションで、パソコンのOSであるWINDOWS VISTAを購入して、さっそく現物が届き(初めてのオークションであったが、問題なく取引することが出来た。)、インストールした。今は、VISTAの後のOSが昨年末に発売されたものの、やっと僕は、その前のVISTAを手に入れて完全に一周遅れの状態である。別に競争するようなことではないので、どうでもいいことであるが、要するにパソコンを使うに当たって、効率よく問題なく使えることが大切なことなので、今のXPを全く問題なく快適に使っており、新しいものが出たと言って、買い換える必要性も全くないわけである。しかし、OS絡みの話をしたときに、XP以降のOSになると、全くついて行けなくなるので、今回出物のVISTAがあったので購入したわけである。さっそくインストールしたが、ソフト自体便利に出来ており、今まで使ってきたXPも使えるように、ダブルブート出来るようになっており、パソコンを立ち上げたときに、どちらを使うか選択すればよいわけである。当分XPを使い続けるが、VISTAも少しづつ触りながら勉強していこうと思っている。インストールして、少し触ってみた感じとしては、まだ慣れないので非常に使いづらい。特にファイル管理関係のエクスプローラは、かなり使い方が変わっており非常に使いにくい。まあ、慣れだと思うが、XPの方が遙かにシンプルでよいと思う。さらに、ハードがXP用のスペックなので、レスポンスは、遙かにXPの方が良く、VISTAはXPに比べてかなり重いような気がする。その上、XPで使える周辺機器が一部ドライバのVISTA版がなく使えないものもある。
そんなことから、今現在の印象としては、VISTAはよくないということである。あえて、VISTAに変更するメリットは、全くない。むしろ変更することの方がデメリットである。それだけXPは、完成度が高いOSなのかもしれない。僕のようにそれほど複雑でスペックの要求されることをしないのであればXPで十分である。その辺は、ソフトメーカー、ハードメーカーの企業戦略が見え隠れするような気がする。(僕がメーカーの立場でも、メリットを小出しにして買い換え需要を引き出すような、同じやり方をすると思うが。)
まあ、今後VISTAを勉強していって、使うようにはしていきたいと思うが、それより、VISTAを飛び越えて、最も新しいWINDOW7にいくかもしれない。(但し、使うについてメリットを感じるなら場であるが。)


2010年1月7日 23:07:41
ネットオークション初参加
ヤフーオークションに初めて参加した。買いでの初参加です。とりあえず、オークションと言っても、売り手の即決価格で入札したのですぐに落札した。価格的にも少額であり、どうしても欲しい品物であったので落札した。
何せ、こういったオークションに参加するのは初めてなので、少し警戒しており、品物が届くまで不安であるが、もし万が一損を被るようなことがあっても、少額なので月謝代わりという気持ちである。もし、うまくいけば今後は、大いに利用させて貰おうと思っている。もちろん売りも買いも両方である。
今回は、買いであったが、次は売りも出してみようと思う。
それで、今回落札したのは、パソコン用のソフトである。この場合、ライセンスなどの問題もあるが、製品説明には、その点、問題なし書いてあったので、それを信用するしかない。
さてさてどんな結果になるやら?


2010年1月6日 18:41:13
少し明るい兆し
何の根拠もないが、経済に明るい兆しが見えてきたような気がする。株価も順調な滑り出しを見せている。政治的には、民主党政権がまだまだふらふらしていて安定感が見られないが、世界を見渡すとはっきり明確な兆しが見えないアメリカは別として、新興国の状況が良くなっているような気がする。あくまで自分自身の願望が、少し良くなってきているというような気を起こさせているだけかもしれないが、徐々に良くなっていくことは間違いないと思う。何かのきっかけさえあれば、ドーンと大きな熱い風が吹くと思う。
そんなことで、現在無収入の自分にとっての髪の毛のような命綱たる株式投資(2〜3年塩漬け状態であった)を実損を出して少し動かしてみようと思う。二番底があるかどうか判らない部分もあるが、ないとして動かしていきたいと思う。二番底があったとしても、その時はその時で、また塩漬けに戻せばいいと思っている。
吉と出るか、凶と出るか、先般、厄年について書いたが、凶と出たら誰かも言っていたが、これを「厄年」のせいにしておこう。(笑)


2010年1月5日 1:28:33
これからの夢
新年に入って4日を経過したが、今年の夢というのではなく、今後の将来に渡っての夢を考えた。もちろん、夢と言っても、実現可能な夢のことであり、現実的な夢である。それは、夢というのではないかもしれないが、とりあえず夢にしておく。
順番はどうなるか流動的であるが、大好きな旅行のことが中心となる。
1.アメリカ大陸を自動車で横断
2.ウラジオストック〜リスボンまでのユーラシア大陸を列車で横断
3.フランスからスペインのサンチアゴデコンポステーラマまで歩いて巡礼する。(キリスト教徒でないが)
4.ピースボートに乗って100日間世界一周旅行
以上は絶対実現させたいし、経済的問題がクリアー出来れば実現出来ると思う。

次に出来たら実現させたいこと
5.オーストラリア大陸を列車で横断
6.ヨーロッパを列車でで周遊(バックパッカー擬き)
7.ヨーロッパを自動車で周遊

次に実現は、難しいかもしれないが、色々調査して実現すべく努力すること
8.アフリカ大陸縦断(複数の交通機関)
9.南アメリカ大陸縦断(複数の交通機関)

以上、今思いつく限りの夢を書いてみた。出来るなら70歳までに総て実現させたいと思うが、時間はたっぷりあるが、先ず経済的問題と次に健康問題(今のところは問題ない。)で、これがクリアー出来ることがキーになってくる。しかし、果たして70歳まで生きているかどうかも判らないので、とにかく実現に向けて頑張ってみたい。


2010年1月3日 15:53:14
昔からの言い伝え、統計的な傾向への挑戦
僕は、本年いわゆる神的な言い伝えというか、統計的な傾向に対する警告というか、どういえばいいのか明確には言えないが、所謂「本厄」の歳にあたる。
母など年取った人間は、必ず「厄払い」受けなければいけないと言う。
少し嫌な言い方になるが、商売というのか、どういうのか判らないが、さっそく有名な神社から、厄払い料の振込用紙が入った案内が、今日届いていた。
例えば、厄払いを受けなくて災難に遭った場合は、厄払いをしていないから災難に遭ったと言われる。しかし、厄払いをしなくても無事に厄年を過ぎたという場合は、どうなるのか。逆に厄払いを受けたに関わらず災難に遭った場合は、どう説明するのか。色々なケースが考えられるが、こいういった厄年というのは、あくまで長い歴史の中で統計的に傾向が出ているから、そうなったと思う。ちょうど人間の生命の身体的サイクルから、最も災難に遭いやすいということであろう。
しかし、それは病気だけに限ったことである。交通事故や自然災害などは、厄年に関係なく遭うものである。
そんなことから、厄払いすると言うことは、自分自身の気休めに過ぎない部分があり、厄払いすると災難に遭わないと言う安心感がうまれるのかもしれない。
今年、自分自身の厄年では、一度言い伝えや統計的な傾向に逆らって、厄払いを受けないということを試してみたいと思う。
大変危険な冒険かというと、そうでもないし、大きなリスクを背負うかというとそうでもないのである。
あくまで、運の部分に関わることである。身体的には、今のところどこも問題ない。精神的にも大きな負荷はない。ただ、所謂統計的な傾向な部分で言えば、身近な例では、自分の父親が、この歳に亡くなっているのである。その部分が引っかかるところである。
自分は、この辺の言い伝えや統計的な傾向に、あえて挑戦してみたい。もし、災難に遭えば、言い伝え、統計的な傾向があたったと言うことであり、別に無事に通過したとしたら、自分には言い伝えや統計的な傾向があたらなかったということである。
この1年間の僕自身の動向を注目して頂きたい。
そして、もし災難に遭ったら、それ見たことかと笑って下さい。
1年後の今日、また結果を書きたいと思います。(可能性として書かない場合(書けない場合)は、言い伝えや統計的な傾向が当たったと解釈下さい。


2010年1月2日 0:52:32
年賀状の内容
今年もたくさんの年賀状を頂いたのであるが、毎年その年賀状の文面を見て思うことがある。
人それぞれの考え方や価値観があり、年賀状の正しい書き方についての定義はない。しかし、僕の考え方からして、どうも理解出来ないことがある。間違っているというのではないが、年賀の文面や写真が、自分の子供のこととか、子供の写真ばかりとかいう内容のもが結構ある。確かに、我が子が可愛いのは理解出来るが、あくまで受取人本人と差出人本人との年賀のやりとりであるはずが、自分の子供のことを相手に知らしてもあまり意味がない。家族全体の様子として、家族全員の写真ならまだ理解出来る。しかし、子供オンリーの写真が目立つのは、どうも僕には理解出来ない。あくまで、差出人本人の状況などを知らしてくれた方が、受取人としては親しみがわく。
よく携帯電話に自分の子供や孫の写真を壁紙にしている人がいるが、よく見せられる。「可愛いでしょう。」と。それは、自分の子供や孫が可愛いのは当たり前のことでも、他人が見て可愛いとは必ずしも思わない。中には、何と不細工なと思うこともある。しかし、儀礼的に「可愛いですね。」とは言うだけのことで何ら関心はないのである。
それから、印刷した文面だけで、何らコメントの一つも書いていない年賀もある。あくまで儀礼的な感じのみで、味も素っ気もない。極論を言えば、出さない方がましであるとも思ってしまう。せめて、印刷でもいいから、自分の現況などを書いているのであればまだましである。ただ、決まり決まった年賀に挨拶だけの味も素っ気もない年賀状は、貰っても嬉しくもない。貰わない方がましである。
せっかく年賀状を出してくれた人に、そこまで思ってしまうのは、失礼かもしれないが、その人との関係の希薄さや儀礼的な部分しか感じることが出来ない。いっそ出してくれない方がよいと思う。しかし、その辺は、相手の価値観、考え方として理解するしかない。
毎年、年賀状を貰って思っていることを初めて文面にした。


2008年11月2日 12:08:42
笑ってしまう!!   ・・・・年末ジャンボ宝くじを買います。
何を笑ってしまうかというと、自分自身のくじ運の悪さに思わず笑ってしまうのである。

囲碁のサークルに入り勉強中であるが、その場所取りの抽選に行った。
その場所である大阪駅前第2ビルにある大阪市立生涯学習センターは、大阪市が運営する特に高齢者向けの生涯学習をテーマに置いて格安で場所を提供して貰える。
使用月3ヶ月前の1日に抽選を行うので昨日はその日であり、サークルを代表して行ってきた。
ところがである。応募者が182名(組)がおり、なな何と僕は、その申し込み順の抽選で182番目を引いてしまったのである。何とくじ運の悪いことか!!思わず我ながら笑ってしまった。1番を引き当てるのも難しいが、ビリを当てるのも同じように難しいのである。難関を突破の全く逆の結果であった。最悪である。

しかし、この不運をプラス思考で考え、今が最低のクジ運であるから、次からは上がるしかない。ということで、年末ジャンボ宝くじを買うことにした。必ず3億円が当たるのではないかと予感がするのである。(笑)
今年は、経済的に最悪の年であった。(まだ今年を振り返るのは早いが。)しかし、この日の最低のクジ運で悪運は振り払われたような気がする。

来年は、経済的に最高の年になると思う。(笑)

下の写真は、大阪市立生涯学習センター抽選日当日の会場の模様。大変多くの人が申し込みに来ている。ここの立地は最高であり、しかも料金は非常に安い。大いに利用する価値がある。


2008年8月26日 18:38:37
見るのに優しい日本プロ野球
オリンピックも終わり、楽しみは日本のプロ野球観戦に移った。オリンピック組も帰国して、復帰しつつある。僕はもちろん阪神ファンで今月は非常に調子が悪かったものの、ここへきて4連勝と調子が戻ってきた。
昨日もテレビで観戦したが、オリンピックの野球を見ているより遙かにリラックスして楽に見ることが出来る。逆に緊張感もなく、それに関してはあまりエキサイティングではない。それに比べて、オリンピックの野球は、手に汗握る感じであり、選手もそうであったと思うが、見ている方も緊張して見ていた。何故そこまで違うのかというと、理由は簡単である。リーグ戦とトーナメント戦の違いである。ましてオリンピックは4年に1回しかないし、さらに野球は、次回からオリンピック競技からはずれるのである。そんなこともあり、すごくエキサイティングというか緊張して手に汗握った。残念ながら日本は惨敗であり、悔しかったもののイライラしながらも楽しめたのかもしれない。その点、プロ野球のリーグ戦は、今日負けても明日勝てばいいのであって、負けたら次はないということでないので気楽である。
そんなことから、オリンピックの勝敗というのは非常に重いものがある。そんな重い中で勝ったチームは、非常に価値のあることを成し遂げたと言うことである。(韓国の国民はさぞ喜んでいるのであろう。)

昨日野球を見ながら、ふとそんなことを考えた。


2008年5月27日 2:02:56
横綱同士のバトル

朝青龍と白鵬の対戦で勝負後に品格のない横綱同士で一触即発のバトルがあった。
極めてみっともない後味の悪い結果である。
相撲ファンの前で、あのような事態を引き起こすのは、間違いなく両横綱に責任があるのは間違いないことであるものの、あえて、どちらの態度に問題を起こす発端があったのかというと、僕の判断では明らかに朝青龍の方が仕掛けたと言える。
完全に勝負が決まって白鵬が四つんばいになっているにも関わらず、それを朝青龍が押したのである。
あれは、殺し合いの戦場におけるトドメを刺すのと同じ行為であり、平和な世の中で、観客を楽しませる為のスポーツではあってはならない行為である。
勝負事であるから、勝つために闘志をむき出しにして、相撲という勝負を争うのは当たり前のことで、何ら問題ないのであるが、勝負が誰の目から見ても決まっているのに、まだ仕掛けるというのは、喧嘩であり、オーバーに言えば相手の命を奪うか、自分の命が奪われるかの極限状況での戦争行為である。
さらに、別の言い方をすれば弱いものいじめや、相手が力が無いのを判っているのに攻める男らしくない態度である。
日本の武士道精神から言えば、弱いものをいじめないし、トドメをさすようなこともしない。
こんな言い方をすれば差別的になるし、極論かもしれないが、相撲という武士道にも通じる日本文化を理解し得ない外国人に相撲を取らせるべきでないかもしれない。
いずれにしろ、朝青龍の今までの相撲を見ていると、目に余るものがある。何回も昨日の白鵬戦のようなことを見ており、いつも眉を顰めていた。
両横綱共に何らかの処分をする必要があるし、特に朝青龍に関しては、極論すれば相撲界から追放してもいいのではないかと思うくらいである。
とにかく、勝負が決まっているのに、執拗に相手を押すのは許せない。


2008年5月17日 0:41:20
寄り道、回り道

僕は、何だか何をするにも寄り道とか回り道ばかりしているように思う。
集中力が足りないのかもしれない。
だから、何をするにも時間がかかってしまうし、中途半端になってしまう。
とどのつまりは、とんでもないところに着いてしまうこともある。
何かしようとする。している最中に他の何かが目に入る。するとその他のものに手を付けてしまい、本来しなければならないことを忘れてしまうのである。
また、何かをしている時に、その何かをするために他の場所へ必要なものを取りに言く時、他のことを考えながらするものであるから、この場合も、必要なものを取りに言った場所で何を取りに来たか忘れてしまう。(これは老化現象かもしれない。)
とにかく集中力が足らないのである。
あるいは、欲張りすぎて、あれもしたい、これもしたいで、結局寄り道、回り道ばかりで何も出来ていないのである。困ったものである。
色々と雑念が多すぎるのかもしれない。
それから、ある時期までにしなければならないことがある場合、計画的にゆっくりすればよいものを、ぎりぎりになるまで始めないものだから、最終的に一夜漬けのようなことになってしまい最終的に良い結果が得られないのである。付け焼き刃のような結果になっている。
あれもしたい、これもしたいで欲張りすぎているのかもしれない。あるいは、無駄が多すぎるのかもしれない。
無駄イコール回り道、寄り道なのかもしれない。
今の自分は、時間は多くあると思うのであるが、時間の使い方が下手なのかもしれない。
まあ、人生を半世紀以上も過ごしてきているが、未だに寄り道、回り道ばかりで、真っ直ぐな1本道を見つけることが出来なく、それを探し求めている現状である。


2008年5月8日 0:34:10
鉄人 金本選手

阪神タイガースの金本選手はとにかく凄い。
今日は、その凄さを改めて実感した。
1200試合以上の連続フルイニング出場を続けているが、それだけでも大変であるのに、今日の出来事は、それに輪をかけて偉大な鉄人であることを示した。
今日あった巨人対阪神の試合で、後頭部にまともに死球を受けた。
ヘルメットにまともに当たっている。当たる場所も良かったのかもしれないが、スローモーションで見ていると、うまくよけたというか、後頭部に当たっていた。
しばらく、腹這いに倒れてじっとしていたが、意識ははっきりあるようで見ている方も安心したのであるが、本人の後の言葉から、頭を打ったらしばらく動かない方がよいとの認識から意識的に動かなかったようである。
結局、危険球による投手交代もあり、ベンチに下がり患部を冷やすなり治療したようであるが、試合が再開されると元気に一塁に歩いた。
そこまでは、たいしたことはなく良かったと思うだけであったが、次に打席が回ってきた時のことである。普通なら、前の打席で頭部に死球を受けていたら、恐怖心で逃げ腰になるところが、全く何もなかったように、その前の打席の鬱憤を晴らすようにホームランを打ったのである。
これには、驚いた。まさに超人、鉄人である。非常に強大な精神力の持ち主であることが証明された。
とにかく凄い。
極論を言えば人間離れしている。普通の人間であれば、次の打席では、絶対に腰が引けて、当分引きずるかもしれないのに、いとも簡単にそれを跳ね返した。
何回も言うが、金本選手は凄い。まさに鉄人、超人である。
これだけの精神力があれば、今後もずっと連続フルイニング続けていくことであろう。


LSC関西 第九を歌おう会 第25回 サントリー1万人の第九で熱演!!

                              日時 : 平成19年12月2日(日)15時〜17時40
                              場所 : 大阪城ホール

 ロングステイクラブ関西の有志7名が集まり、記念すべく第25回サントリー1万人の第九の合唱に参加しました。とにかく感動しました。上写真の皆様の表情を見て下さい。終了して間もなく、それぞれのパートでバラバラになっていたメンバーが大阪城ホール前に集合し興奮覚めやらぬうちの記念撮影です。
 外はすでに暗くなり寒い中でも全員の心は歓喜に溢れ寒さなど全部吹っ飛んで行っているようです。

 そもそもこのサントリー1万人の第九に参加したきっかけは、Iさんに呼びかけるよるもので、LSC関西支部の企画行事として皆さんにお誘いをかけたのが発端でした。もともとIさんは、今回を含めて19回も参加されているベテランであり、その感動を知っておられる方です。Iさんの表現を借りると「鳥肌が立つでー」とのこと。まさにIさんの言葉通りであることが実証出来ました。さらに、熱気むんむんの会場のムードと相まって、総監督指揮者の佐渡裕さんの熱気躍動感溢れる指揮、25回を記念する曲である久石譲さん書き下ろしの「Orbis」(輪、環の意味)、歌唱力抜群の中島美嘉さんの歌、そして、東京のサントリーホールと回線で繋ぎ同時にスタートするという演出もなどがあり、どれを見ても感動の材料ばかりです。僕などは、もともと涙もろい方なので、中島美嘉さんとみんな一緒になって歌った「きよしこの夜」、そしてエンディングの「蛍の光」などを歌った時、何故だか判らないですが、声が震えてしまいました。何とも言えない気持ちにひたりました。こんな感じになったのは、僕だけだったのでしょうか。

 このサントリー1万人の第九の募集は、6月から始まりました。インターネットや郵便での申込です。何せ1万人の募集人員に対して、応募者は1万4千人であったとのこと。幸い抽選に漏れることなく7月に参加決定の通知が来ました。そして、練習が始まったのが9月初めからでした。合計12回の練習があり、さらに佐渡裕先生の特別レッスンがあり、全部で13回になりました。佐渡先生のレッスンを除いて、12回のうち2回以上休むと参加資格がなくなります。もちろん、僕は皆勤でした。しかし、皆勤の割には、物覚えが悪いのかなかなか曲や歌詞を覚えることが出来ず四苦八苦しました。結局、最後まで完全に覚えることが出来ずに、当日は、口パクの部分もありましたが、佐渡先生がレッスンの時に言われていたように、みんな一緒に手を取り合って、肩を組んで一つになって、歓びをみんなで共有しながら自信を持って歌いましょうとのことで、とにかく下手でも思い切り大きな声で気持ちを込めて歌うことが出来ました。(但し、覚えている部分だけですが。笑)
そういうことで、最後には誤魔化しながらですが、半分満足して歌うことが出来ました。さらに、後半分の満足を得るために来年もまた出ようと決めたわけです。しかし、感動や心の高ぶりなどの気持ち的なことについては、今回の参加は100%満足したと言えます。

プログラム

25回記念曲 久石譲作曲「Orbis」について
この曲は、第25回記念として特別に作曲された者であり、Orbisとは、輪、環の意味でみんな一つになって肩を組んで歩もうとの第九と同じ意図の曲です。演出として、今回は、コンサートのスタート時に東京サントリーホールと回線を繋ぎ、東京サントリーホールのパイプオルガンが奏でるミの音から始まり、こちらの我々合唱団が「Orbis」オルビス(輪・環)、「Laetitia」レティーツィア(歓喜)、「Anima」アーニマ(魂)という短いフレーズを歌い、そして、エンディングも同じフレーズを歌い、終わります。途中は、オーケストラの曲で、リハーサルを含めて3回しか聴いていないので、それほどの印象は無いのですが、佐渡先生曰く、8分の11拍子というややこしいリズムで難曲であると同時に、楽譜が出来上がったのが本番の10日前であったことなどオーケストラ共々大変であったと笑いながら言われていました。久石さんも当日、ゲスト出演されましたが、インタビューの時、恐縮されて苦笑いされていたのが印象的でした。とにかく、最初と最後に我々の出番があり、印象的でした。(実際、この曲を練習したのは、我々もリハーサルを含めて3回だけでしたが、もちろん音感のない僕などは、あまり歌えなかったわけですが、そんなこともあり、極力我々が歌う部分は、簡単にしたようです。)そんなことで、僕の中では、これからしばらくみんな一緒に頑張ろうという時、オルビスしようというギャグというか言葉が出てくると思います。(何せ僕は単純ですから。)もっと飛躍して、世界中が第九の精神とオルビスの精神を持ち合わせると、絶対に戦争などという醜い争いはなくなると思うのですが、どうでしょうか? そして、世界同時中継で今回のように第九が歌えたら最高なのですが。

佐渡裕先生
 とにかくダイナミックな指揮をされます。そして、もの凄い汗かきで、タクトを振りながらボトボト汗が流れ、汗が飛び散っています。凄くエネルギッシュです。また、僕ら素人にでも判りやすくタクトを振ってくれます。第九を歌っていて非常に入りにくい部分がありますが、明確にタクトと体で指示してくれます。もちろん、僕は、あんな著名な指揮者のもとで歌うのは初めてです。また、オーケストラのバックで歌うのも初めてです。初めて尽くしです。
 11月28日に佐渡先生の特別レッスンを受けたのですが、非常にざっくばらんで親しみやすい感じです。さらにユーモアもあって凄く引きつけられます。もちろん素人相手であり、1回だけのレッスンで、すべて教えられるものではないので、その辺、佐渡先生は百も承知で、とにかく気持ちで心を込めて魂を込めて、みんな一つになって、手と手を組み、肩を組み歓びを分かち合いながら歌って欲しい。そうすれば、上手下手は別にして、絶対にその気持ちが聴衆に伝わり、自分も感動して、聴衆をも感動させることが出来ると言われました。結果、自分にとっては、佐渡先生の言われた通りに歌い、言われた通りに感動することが出来ました。やっぱり日本を代表する指揮者だと感じずにはいられませんでした。あれをカリスマ性というのでしょうか。

中島美嘉さん
 今まで彼女は知っていましたが、殆ど興味がありませんでした。しかし、今回彼女の歌声を聴いて見直しました。凄く歌がうまい。第九と同じように「Anima」アーニマ(魂)がこもっています。歌った歌は、「LIFE」「THE ROSE」「きよしこの夜」の3曲でした。LIFEは、彼女のオリジナルだと思いますが、曲自体はあまりピーンと来ません。しかし、実に感情を込めて歌っており、十分その曲の持っている魂が伝わってきました。非常に難しい歌だと思います。あんな難しい曲は、カラオケでは絶対に歌うことが出来ません。2曲目のTHE ROSEは、外国の歌でメロディーは知っていました。これも彼女のソウルの響きでした。3曲目は、みんなで一緒に歌う「きよしこの夜」で、彼女の魂に響く歌声と会場全体のムードと相まって、何とも言えない感情のもとで一緒になって歌いましたが、途中のハミングの部分では、自分のハミングが震えだし、途中で声にならなくなってしまいました。いったい自分は、何に感動して、どういうことに感動して声が震えているのだろうか全く判りません。感動などというのは、言葉で表現するのは非常に難しいと思います。
 今までの中島美嘉さんのイメージとしては、もっと背の高い女性かと思っていましたが、意外に背が低いのです。テレビで見ている時は、もっと大きく見えたはずですが、遠くから見ていて155pくらいかなという感じ。それから、彼女は歌う時は、はだしになります。インタビューの時、何故はだしで歌うのかと聞かれていましたが、はだしの方が、歌う時に力が入るからとのこと。前屈みになり思い切り心の底から声を出しているような歌い方なので、それもうなずける。熱唱のあまりなのであろう、曲間に必ず水を飲み喉を湿らせていた。
 彼女は、25歳だそうである。このサントリー1万人の第九も25回目であり、それもあり出演となったのであろう。彼女は、まだまだこれからどんどん伸びていくと思うが、あのようなキャラクターなのかもしれないが、その顔から発する表情から何だかすごく暗い感じがするし、笑顔があまり見られないのが気になるところであった。とにかく、ベートーベンの第九という曲と佐渡裕先生、中島美嘉さんは、今後僕の記憶の中では、必ず結びつく人になるであろうと思います。

第2部でいよいよ第九
 第1部が終わり30分の休憩があり、いよいよ第2部がメーンイベントの第九の合唱です。僕は、第九といったらあの有名なメロディーの部分しか知らなかったのです。リハーサルの時に判ったのですが、第2部が始まり佐渡先生が出てこられ、司会もなしにいきなり演奏に入っていったのである。最初は、音合わせでもしているのかと勘違いして、横の人に聞くと第九は第4楽章まであり、有名な部分は最後の第4楽章目であるとのこと。自分自身の教養のなさに苦笑いしました。
本番でも同じで、佐渡先生が出てこられすぐに演奏が始まりました。第1楽章から第3楽章までは、知らないメロディーばかりで何だか凄く眠くなってしまいました。右隣の人などは、リハーサルの時は、いびきをかき、本番の時もこっくりこっくりしていました。そういう僕も、こっくりしかけ寸前でした。何と言いましょうか、のんびりしているというか、無責任というか、緊張感があるはずなのに眠くなりました。曲想そのものも眠くなるようなものなのかもしれません。(自分自身の解釈)そんな中で、やっぱり目立ったのが佐渡先生の指揮とその横のコンサートマスターであるバイオリンを弾く人のダイナミックな弓の動きが非常に印象的でした。気持ちのいいくらい弓を大きく動かし体を動かしていた。
 第3楽章が終わりかけ、いよいよ自分たちの出番です。緊張感が走り、眠たかったのが嘘のように体と気持ちがしゃきっとしました。そして、第4楽章開始。この時点では、我々はまだ座ったままです。みんなが一度は、聴いたことのある演奏が始まる。それから、しばらくオーケストラの演奏だけです。そして、ティンパニーの音が鳴るやいなや、いざ出陣で全員一斉に立ち上がりました。次にバリトンの独唱が始まり、しばらくして「フロイデ」「フロイデ」とラの音で我々男性が発声します。ここからいよいよ戦闘開始です。最初は、最もよく知っているメロディーの部分を歌います。滑り出し順調です。とにかく、ピアノなどの部分は、声を張り上げませんが、それ以外の部分は思い切り声を出しました。ライトがあたっているので、自分の発生と同時につばが飛び散るのが見えるほどです。とにかく夢中です。僕の席は、アリーナ席と言ってオーケストラのすぐ後ろから8列目で佐渡先生の指揮がよく見えました。指揮は判りやすく、入る部分がある程度判りましたが、やはり練習不足で自信がなく、みんなが入ってから少し遅れて入っていくような感じになっていたと思います。しかし、うまく入れた部分ももちろんあります。
 どんどん曲が進んでいきます。とにかく夢中です。もっとも有名な部分は、歌詞も音も覚えたので、ここは最も大きな声で思い切り歌いました。少々下手くそでも何せ1万人もいるのですから、目立ちません。(全員が僕のような気持ちだと曲になりませんが、参加者のうち、たぶん80%は経験者だと思いますので、心配ありません。)言葉が早い部分がどうも付いていけなかったですが、ムニャムニャと口パクでした。最後の方は、どんどん早くなってきます。しかし、同じ歌詞の繰り返しなので十分付いていけました。そして、最後の部分、「トホテル アウス エリズィーム フロイデ シェーネル ゲッテル フンケン ゲッテル フンケン」最後は、思い切り切ってフンケンと歌います。これで、我々の合唱は終了し、最後は感動的なオーケストラのエンディングです。終わると大喝采の大拍手で当然我々も指揮者とオーケストラに拍手を送る。うしろから、ブラボーという声が聞こえる。しばらく拍手は鳴りやみませんでした。それからしばらくして、場内のライトが消え「蛍の光」の合唱です。司会者のナレーションと共に流れる蛍の光のメロディーは、凄く印象的で感動的でした。ああ終わった。とにかくアップアップしながらも最後まで思い切り歌うことが出来たという気持ちと蛍の光です。第九が終わった時、鳥肌は立たなかったですが、また、それとは違う別の感動というか、心に迫るものがありました。「きよしこの夜」の時と同じく、どうもハミングの部分でさっきと同じ現象が起きました。声が震えだし、次に途切れてしまいました。到底言葉では表現出来ません。ハミングが終わり最後は、また「蛍の光」の歌詞を歌いながら、今回の第九では誤魔化しで歌った部分もあり、残り半分を歌えるように来年もまたチャレンジしようと決めたのでした。

「LSC関西 第九を歌おう会」打ち上げパーティー
  
 トップに掲載のように会場前で全員そろい記念撮影をました。残念ながら、会場内での記念撮影など写真撮影は一切禁止されており、会場での我々の様子を撮ることが出来ませんでした。演奏中は当然写真撮影などは駄目であると思うのですが、休憩中などは撮らせてくれてもいいのになあと思いました。もちろん、1万人以上もいるのだから、内緒で撮影しても判らないと思ったのですが、LSC関西を代表(?)して参加しているのであるし、LSCのプライドを傷つけるようなことはすべきでないと思い、ルール違反を慎みました。それで良かったと思います。
 写真の黒の蝶ネクタイをしめるのは初めてですが、自分で言うのは可笑しいですが、なかなか似合ってるヤンと思いました。(笑)
 この後、LSC関西 第九を歌おう会合唱団の打ち上げパーティに移りました。いつもLSC関西懇親会で利用する北新地の高級料亭(?)「つぼ八」で大パーティーです。とにかく、第九の話一点張りです。僕もそうでしたが、皆さん大感動で大満足のようでした。早速、来年の第九に向けて動き始めました。オービスの合い言葉のもと、LSCに第九の仲間を増やし、感動の輪(オービス)を広げようと言うことになりました。話が進むに連れて酒もすすみ、酒が入ると調子が出る僕は、第九の主題の部分を歌い始めました。その時、ソプラノパートの方が一緒に歌ってくれました。しかし、本番ほどうまくいかず、よーし来年もヤッタルデーと益々意気込む僕でした。
 LSC関西、いや全国のLSCの皆さん、来年一緒に参加しませんか。本当に感動しますよ。歌に自信がなくて歌えなくてもいいのです。歌おうと努力すればいいだけのことです。1万人もいるから少々の失敗は目立ちません。それより、自分自身が感動し、人に感動を与えることが大切なのです。みんな一緒に歌えば、みんな感動するし、幸せになります。オービス、オービスですよ。みなさん!!
  

**テレビの放映予定 : 関西 毎日放送テレビ 12月23日(日)14時から放映 是非ご覧になって下さいね。


2007年11月9日 12:42:38
広島カープ新井選手のFA宣言
僕は、根っからの阪神タイガースファンです。
広島カープ新井選手がFA宣言しましたが、今の状況から考えて、我が阪神タイガースへFA移籍することは、ほぼ間違いありません。新井選手は、阪神の待望するホームランバッターであり、大歓迎であるものの少し複雑な心境です。
これは、ファンとしての欲な注文なのですが、出来るなら阪神生え抜きの選手で優勝して欲しく、どこかの金満球団と同じように金権優勝などあまり嬉しくありません。新井選手が入団すると圧倒的に攻撃面でプラスになることには違いありません。だから欲しい選手なのです。しかし、広島カープのことを考えると、金本を獲り、シーツを獲り、広島カープを結果的に阪神タイガースの選手養成の2軍的なことにしてまっているということが、あまり好まないところであり、複雑な心境なのです。
しかし、ファンとして何としてでも優勝して欲しいし、優勝するには強力な戦力が必要である。広島カープのことをおもんばかるものの、やっぱり新井選手は欲しい。そこにお金が絡むもののやっぱり欲しい。野球界でも一般社会でもお金があるものが強いのかな? 僕など貧乏人には、少し悔しく妬む部分なのであるが、やっぱり仕方のないことかもしれない。
さらに、新井選手の個人的なことを想像するに、本人が優勝経験をしたいとか、人気チームで華々しく目立ちたいとか名誉欲などは絶対にあるものの、やっぱり最終的には金であると思う。それは、彼は野球で飯を食べているのであるから、誰でもそうであり、お金は少ないより多い方がいいに決まっている。当たり前のことである。稼げる時に稼いでおかないと、プロ野球の世界でも、どこのプロスポーツの世界でも同じで、体を壊してしまって再起不能になれば、それで即刻お払い箱なのである。さらに、普通のサラリーマンのように60歳まで働けることはなく、よく頑張って40歳くらいまでである。そう考えると、お金をたくさんくれるチームに行くのは当たり前である。広島カープが本当に好きなチームであっても、会見で涙を流すほど未練があるチームであっても、やっぱり最終的には経済的なものが優先するのである。だから、新井選手は大いに悩んだのであろう。より人間的であり、僕としては、広島カープを裏切ってFA宣言をしたのではないことを認めたい。新井選手にとっては、彼の野球人生いや彼の人生そのものの大きな選択であったかもしれない。大いに悩んだのであり、その中で出した結論であるから、広島カープに対する恩返しは、阪神タイガースで大いに暴れまくり大活躍することである。まだ最終決定ではないが、阪神タイガースに来ることはほぼ間違いないであろうし、来年の阪神タイガース日本一にベストを尽くして是非貢献して欲しい。
新井選手を迎えるに当たっての、阪神タイガースとしての今後の方針をファンとして言っておきたい。どこかの某金満球団のようには、くれぐれもなって欲しくないということである。欲張りなことをいうかも知れないが、生え抜きの選手の育成も怠りなく、他球団から新しい血が入ってきても、同じように生え抜き選手にチャンスを与えてやって欲しいということである。その辺を怠りなくすれば、今後我が阪神タイガースは必ず常勝球団になれることは間違いない。

最後にこれは付け足し的発言。広島カープのことである。残念ながら貧乏球団であり、人気的にもローカルであることから、球団経営から考えれば、今後とも今回のような流れが続くであろうし、それが球団として生き残る道なのかもしれない。経済的な面から考えれば、今までの金本、江藤などのFAでの放出については、それなりのお金が球団に入ってきている。球団経営に大いにプラスになっているはずである。広島ファンが聞けば怒るかもしれないが、良い選手を育ててFA放出し、球団経営において利益を出す。球団も営利企業であり利益を出さなければならないのである。親会社におんぶにだっこでは、駄目である。確か、広島カープは黒字球団のはずである。親会社に頼らなくても食べていける球団なのである。今回の新井選手のFA放出は、チームの戦力ダウンは否めないが、球団経営としては、ほくほくのはずである。


2007年11月3日 0:48:27
中日の優勝
中日ファンの方へお詫びします。
完全に僕の予想が外れました。投手力と粘りから日本ハム有利と考えたのですが、日本ハムの投手が、ダルビッシュと吉川を除き、シーズン中の調子とは裏腹の全くの不出来であり、さらに、逆に全く正反対であったのが中日の投手陣であり、その面から完全に予想が覆されました。とにかく、勝負事は、その時の流れや選手の好不調の波の作用により、最後の最後まで予測が付かないということの典型であったように感じます。同じようなタイプのチームであり、流れや選手の好不調の波が逆であれば、結果は逆になっていたとも言えます。
それにしても、中日の5人の先発投手陣は、抜群であったように思う。シーズン中より遥かに調子が良かったのではないであろうか。特に山井などは、その最たるものである。さらに、リリーフ陣も岩瀬を始めてとして安定感があったように思う。それこそ、勝負事は何が起きるか判らないとは言えるのであるが、阪神ファンの自分としては誠に残念ながら今の中日の投手陣であれば当分中日の天下が続きそうな感じがする。

それから、話題が変わるが、この中日の優勝で最優秀選手となった中村紀洋選手のことである。とにかく大活躍で讃えられるのはいいのであるが、どうもこの選手の生き方は、自分としてはあまり好きでない。確かに苦しい思いをして、ここまではい上がってきたのは立派なのであるが、その苦境を作ったのも本人自身なのである。まさにマッチポンプという感じである。本人も今回のことで目覚めたかもしれないが、それまでがあまりにも天狗になり過ぎて、我が儘放題であったような気がする。本人が納得してやっていることであるから、とやかく人に言われることはないのであるが、客観的に見て、髪の毛は茶髪(印象は良くない)、最初にメジャリーグに誘われた時(この時に行っておればメジャーで活躍出来たかも?)にドタキャンするし、一昨年に強引にメジャーリーグ入りしたものの全くの泣かず飛ばずで、それでも、日本に帰ってきてオリックスが厚遇して入団させたが、成績はさっぱり。それで昨年オフの契約更改で自分の成績も省みず、ごねて自由契約になった。(この時の球団の年俸提示額が8千万円であったが、これを蹴った。天狗というか自惚れも甚だしい。)それで、今年の初めに落合中日に年俸400万円でやっと入団させて貰ったのである。今年の活躍は、本人の努力の再起であり、褒めてもいいのであるが、それまでの態度が悪すぎた。まあ、こういう生き方もあるが、とにかく僕は、こういう生き方は好きでない。本人の努力もあり、今の結果として天国になったが、ひとつ間違ったら完全に地獄でプロ野球界からの脱落になっていたであろう。紙一重のことである。だから、本人は涙を流して喜んでいたが、まさにマッチポンプの涙であり、全くのマスターベーション的なものである。僕としては、あの涙は、努力は認めるものの、あまり評価出来ないのである。まあ、僕自身の考え方からして、今後の中村紀洋選手の人間としての評価は、今オフの契約更改の時で決まると思う。まあ、普通で考えれば、かなり高い月謝を払って苦労したと思うので、一皮剥けて、そんなにこじれず更改すると思うが、そうでなかったら、「懲りない男」というレッテルを貼られるであろう。そういうことになって欲しくないと思う。
今回のことで、マスコミは今回の好結果だけを捉えて、英雄視した報道をして欲しくないと思う。英雄視してもよいのは、契約更改後の結果を見てからならしてもよいと思う。


2007年9月30日 1:03:02
そんな歳になりました
自分自身では、若い若いと気持ちで思っていても体力は衰えてくるのは、自分自身で感じるところであるが、周囲の状況もいやがうえでも自分自身の年齢というものを実感させられる歳になった今日この頃である。

周囲の状況というのは、今月はじめに父方の従兄弟が急死し、今日は、母方の従姉妹の認知症を目の当たりに見せられたということである。

かなり前から、母がその姪の家に電話するものの、電話が使われていないとのメッセージが流れると言って心配していた。
先日の彼岸の入りで墓参りに行ったついでに、その母の姪(僕の従姉妹)の家に寄ってみたところ転居していたことが判った。そこで、色々消息を探してみたのであるが、最近の個人情報云々の件で、公共機関はもとより誰も消息を教えてくれない状況であった。とにかく、最近は個人情報の管理が厳しく、こういったケースでは非常に困るのである。一部の個人情報を悪用する輩のために多数の人が迷惑を蒙り、結局公に規制となってしまい世間全体が硬直した無味乾燥状態になってしまう。本当に困ったものである。

そんなことで困り果てた揚げ句に市役所に聞いてみたところ、規制の抜け穴が見つかったのである。住民票については、使用理由を示したなら、誰でも簡単に住民票がとれるのである。全くこの面においては、規制はざるになっていると言ってよい。しかし、いずれはこんなことも出来なくなると役所の人は言っていた。

話はそれてしまったが、従姉妹を捜すのに最悪の状態(私立探偵に頼むことも考えていた。)にならず捜し当てることが出来たのである。

それで今日、その従姉妹に会いに行ってきた。住所だけを頼りに行ったのであるが、見つけたところは老人の養護施設であった。行く前は、色々な憶測をして心配しながら行ったのであるが、その心配が半分当たっていた。通常なら、転居した場合、親戚に連絡があるはずなのであるが、(ましてや、母のたった一人の姪)何の連絡もなかった。連絡出来ない状態であったわけである。ひどい状態ではないが、認知症にかかっているうえに、その従姉妹には子供が2人いるのであるが、完全に親の世話をするのを放棄してしまっており、一人は消息不明、一人は、完全に世話をするのを拒否し関わりたくないと言っていたと養護施設スタッフの話であった。(現在は、その施設の係が親族代わりとなって役所などの手続きを行っているとのこと。)全くひどい話である。自分自身の親を頭から拒否してしまっているのである。だから、娘からも転居の連絡があるはずもないわけである。
その従姉妹としばらく話したが、最初は顔は判ったらしいが、我々の名前を覚えていなかった。幸いひどい認知症でないらしく、話は不明瞭な部分と明瞭な部分が波のように繰り返している感じがした。
その従姉妹を見ていると他人事(他人ではないが)とは思えず自分自身もいずれは、ああいうふうになる時が来るのではと身につまされる思いであった。
自分自身の周囲の環境がこのようにどんどん変わってきて、自分自身の年齢を感じざるを得なかった。
従姉妹がこんな状態であり、自分の子供にも見放されて、あまりにも不憫に感じるので、場所が遠いので頻繁に行くことは出来ないものの、たまには訪ねて行ってあげようと母と姉を交え話ながら帰途についた。(3月末に施設に入ったらしいが、訪ねてきたのは、今回の我々が始めてであったらしい。)


2007年6月8日 0:18:57
東京駅前新マルビルから眺める東京駅周辺
 
東京から帰ってから10日近く経ちますが、東京滞在中に撮った写真を1枚アップします。
今年の4月に出来たばかりの新マルビルに行った時に撮った写真です。
新マルビルの6階にバルコニーのような庭園があり、そこから眺めた東京駅周辺のパノラマ写真です。僕のデジカメは、パノラマ写真の機能は付いているのですが、その機能を使わずパソコンのソフトで後で合成して作りました。
現在東京は、超高層ビルの建築ラッシュであちこちに超高層ビルがあり、さらに建築中のものがあります。大阪も超高層ビルが多くあるものの、東京は規模が違いさすがに首都であると思わせるのです。さらに、東京の周りには、山がないので大阪の感じとかなり違うものがあります。
新マルビルをうろうろしておりましたが、高級店ばかりで全く自分には縁がないものばかりでした。食べ物からしても高い。ケーキ一つをとってみても、本当に小さなショートケーキが500円するし、特殊なホットドックが500円もするものがあったり、僕などはとても買う気がしなかったが、それを買うため結構行列が出来ていました。金持ちが多いのかな?

東京駅前新マルビルから眺める東京駅周辺


2007年3月5日 0:30:49
決意表明
 決意表明などと大げさなことではないのですが、ここ10日間ほどこのホームページを全く更新していないのです。
それにもかかわらず、毎日平均のべ10人以上の方たちが、この僕の拙いホームページを訪れてくださっているのである。全く有り難いことである思います。
 このホームページは、本当に小心者で世の中にとって小さな微々たる存在である自分であるが、そんな小さな存在であっても、自分の価値観に基づいて一生懸命生きているつもりであり、自分のマスターベーションであるかもしれないが、少しでも存在価値というか、自分の生き方を見て欲しいというか、自分の生きている証を見つけたいと言う意味で始めたものです。
こうして毎日のべ10人以上の人が見てくださるのは、誠に持って光栄の至りという気持ちで一杯です。
 そんな中で10日間も更新せずに放置しているのは、自分の怠慢の他の何者でもないという気がするし、見てくださっている人への背信行為であるとも思います。。そんなことからの決意表明で、どんな些細なことでつまらないことでも何らかの形でホームページを毎日更新していきたいということです。
 元来自分は、文章を書くのは得意な方ではなく、簡潔明瞭にまとめるのが非常にへたなのです。何だかいつもいつも金魚の糞みたいに長々とした文章になってしまい最終的には、自分が何を言いたかったのか判らなくなることが往々にしてあるのです。そんなことから、余計に書くのが億劫になってしまいます。もっと気軽に書けたらいいのですが、ついつい重く感じてしまい書けなくなってしまいます。
 今後は、そんなに堅苦しく考えるのではなく、また、自分の生き方、考え方を見て欲しいなどと烏滸がましいことを考えるのではなく、もっともっとナチュラルな気持ちで素直な気持ちで書いていこうと思います。何も書いたことについて堅苦しく結論を出す必要はないし、もっとさらっと流すような感じで毎日書いていこうと思います。まあ、中には堅苦しく考え方や結論を出す場合もあるかもしれませんが、ケースバイケースでバランス良く書いていくようにしようと思います。
 ある知り合いのホームページは、その人の仕事の関係で、ひとりで毎日更新されています。毎日日記を欠かさずアップされています。軽妙なタッチの中で、凄く人間性や考え方、生き方をよく表現されています。文章は、長くなくさらりと読むことが出来ます。
僕もそこまで巧く書けてなくていいので、真似というか、その良い部分を真似ていきたいと考えています。(考え方や生き方を真似るのではないですが。) やっぱり、相対的に人は同じように考えるのかもしれませんが、非常にその人のホームページの訪問者が多いのです。所謂リピーター訪問者が多いと考えられます。リピーターは大切なのです。
 そんなことでの決意表明で、明日から毎日書いていきたいと思います。三日坊主になったら思い切り笑ってやって下さい。


2007年2月22日 0:41:23
確定申告
毎年2月16日から3月15日まで確定申告の時期である。悲しいかな所得はないものの一応は確定申告をしなければならない。
サラリーマンの時は、住宅を購入した時以外は、確定申告などほとんどした記憶がない。確定申告出来るだけの高額所得者になりたかったが、夢のまた夢の話であった。今は、無所得での確定申告である。侘びしい話である。
今日は、侘びしい話をしようというのではない。確定申告のやり方について書いてみたいと思う。
この4年間は、すべて税務署に行き確定申告してきたが、今年は、e−Taxという電子申告システムが出来たのでパソコンを使い家で確定申告をすることにした。
これがまたややこしいのである。まず、第一に住民基本台帳を基にした住基ICカード(有効期間10年)を市役所で発行して貰わなければならない。さらにそのICカードを用いて今度は確定申告に使う電子個人認証(有効期間3年)をして貰わなければならない(ICカードに個人認証を登録)。昨日、そのために市役所に行き手続きを行ってきた。自分は、ある程度パソコンは、それなりに使えるので市役所での手続きは、それほど抵抗は感じなかったものの、パソコンが苦手な人や出来ない人、あるいはお年寄りなどは、絶対にこのシステムは利用出来ないであろうと思った。
さらにこのシステムを利用しようとすれば、もちろんパソコンは必要であるし、電子個人認証を住基ICカードで読み取りさせなければならないので、ICカードリーダライタという専用の読み取り装置が必要であり、その装置を購入しなければならないのである。
だから、その装置を昨日購入した。3500円くらいで、それほど高いものではなかったが、確定申告をするためにだけ購入することになるから、もったいない話である。自分は、非常に好奇心旺盛で何でもやってやろうという気持ちがあるから、その読み取り装置を購入してまで新しいことをしようとするのであるが、果たして一般的に個人が、そこまで投資してややこしいことをするであろうか。甚だ疑問である。しかし、便利なことは便利である。だから、自分としては今年以降ずっとこのシステムを利用するであろう。
とりあえずは、明日最終確定申告をしようと思っている。まあ、最初にすることだから、試行錯誤的なやり方になると思うが、一度覚えてしまったら、そんなに問題ないように思う。
話は、飛躍するのであるが、自分はパソコンが好きであるから、こういった新しいシステムでもある程度は対応出来るのであるが、出来ない人は、従来通りのやり方になり、総合的な便利さから言うと新しいシステムを使った方が、遥かに省力化出来ると思う。それは、個人にしても、税務署にしても同じである。その辺で、こういった面からも、今問題になっている格差というものが出て来るような気がする。ただ、うがった見方をすれば、自分自身が税務署に利用されているだけなのかもしれないが、時代の流れからすれば、利用されようがされまいが、こういった省力化の方向になっていくのは間違いない。今回このシステムを利用して、どれだけ自分にとって便利なものかを検証してみたいと思う。


2007年1月21日 18:39:56
バランス
バランスという言葉。何でもない言葉です。我々の日常会話の中でよく使われる言葉。
しかし、何でもない言葉のように聞こえて実は非常に重要な意味を持つ言葉だと思うのです。

身近なところでは、栄養のバランス、会社決算のバランスシート、世界平和の中にあって重要なポイントのミリタリーバランス、人間が生きて世渡りしていく中にあってのバランス感覚、人間の肉体と精神のバランス、今こうしてバランスのことを考えるとパッとは思いつかないのだけれど、数限りなくもっともっと多くバランスに関することがらが多いと思う。

オーバーに言えば、何をするにもバランスというのが重要なのであり、所謂偏ってはいけないと言うことである。
今日は、何故このバランスいうことをテーマに挙げたかというと、今日の朝刊に関西テレビが放映した「納豆がダイエットに非常に効果がある」という番組の内容が、でっちあげのデータを用いられていたということである。当然、視聴率に重き置き、話題性だけで視聴率を上げようとして嘘のデータで一般大衆を誘導しているテレビ局に大きな問題がある。全くマスコミ恐るべしということが言える。また、自分もその一人かもしれないが、その放送を真に受けて、テレビで紹介されたことを実行する。極端な言い方をすれば全くアホなバカな一般大衆である。(もちろん全部が全部でないが。)

普通、世の中にそんなうまい話があるであろうか。うまい話には、何か必ず嘘がある。家に「投資しませんか。絶対儲かりますよ」などと勧誘の電話があるが、絶対儲かるような話は絶対にないのである。僕は、いつも勧誘してくる電話の相手に「儲かるのだったら自分がすればよい。」と。そんな甘い話に絶対に乗るべきではない。

しかし、世の中にはお人好しも多くいるのである。その甘い言葉に載せられて大損をくらいう人が結構いるのではなかろうか。
今回の、この納豆の効用についてのテレビ番組においては、誰かが大損をしたという話ではないが、その番組を見て内容を信じた人が、納豆を買いあさったことである。全国のスーパーなどで売り切れが発生したらしい。実害はでていないのであるが、テレビ局もテレビ局だし、それを信じる一般大衆も一般大衆である。その辺が、バランス感覚が崩れていると言うことであろう。

自分は、曲なりにも料理学校で栄養学を少しかじったので、納豆は非常に栄養バランスのとれた食品であることは知っている。しかし、栄養摂取は、出来るだけ多くの種類の食品を適量食べてこそ出来るのであって、いくらバランスのとれた食品でも取りすぎるとカロリー過多になり肥満に向かうのである。単純な話、消費カロリーより摂取カロリーが多かったら肥満になり、逆の場合がダイエットになるのである。(厳密に言うと、それだけのことではないかもしれないが、最も重要な要素であることには違いない。)

それだけ単純なことを一般大衆は、判っていないのである。また、テレビ局もその影響力を知っているにもかかわらず、そのようなデタラメのデータを駆使して視聴率を上げようとしている。極めて無責任なことである。

例が少し違うのであるが、このことで戦前の大本営発表を思い出した。もちろん、これは、新聞、ラジオなどを通じて時の政府が国民を騙し、世論を誘導し、強いては国民を苦境に追いやったのである。新聞やラジオなどマスコミは、時の政府に抗えなかったのであろうが、まさにマスコミというのは、非常に怖い存在であると思う。ただ、マスコミ全体が、政府にも影響されずに独立独歩でニュートラルに考えることが出来て行動出来るなら何も恐い存在でなく、我々無知な一般大衆には大いなる見方になるのであるが、さて、現在のマスコミは、どこまで信じることが出来るのであろうか。

僕も、極めて単純な性格なので騙されやすい傾向にはある。さらに、バランスのよい人間だとも思っていない。しかし、世の中に甘い、うまい話は絶対にないとは思っている。だから、甘い話、うまい話には絶対に乗らない。それだけは言える。

しかし、いずれにしてもマスコミの力は絶大と思わなければならないであろう。我々が、世の中の出来事を知り得るのは、マスコミだけだからである。まあ、最近は、インターネットも発達して、マスコミ以外の部分からも情報を得ることが出来るのは、マスコミの嘘を見抜くための一つの手段であるかもしれないが、国民全体がインターネットを見ることが出来るとは限らないのである。

今後、自分も含めた一般大衆がマスコミや政府などに騙されないようにするについては、教養とバランス感覚を磨いて、常にニュートラルに見る目を持ち、自分自身の考え方を持って大いに仲間と議論することにおいて見いだされていくのではなかろうかと思う。

バランスということに関して書いたつもりであるが、結論はもちろんバランス感覚を持つことであるには違いないものの、マスコミや政府の発表などについて、鋭い感覚を持って分析力を育てると言うことになってしまった。

**追記:マスコミの視聴率競争や思い上がりには気を付けなければと思う。


2006年11月23日 22:45:53
7月24日通りのクリスマス
昨日、ドイツ語の講座があり大阪へ出たが昼過ぎに終わった。夕方から友人と飲み会があるので、それまでの時間をどうしようかと考えていたが、先日ミクシーでミク友が、中谷美紀、大沢たかお主演の「7月24日通りのクリスマス」が非常に良かったと書いていたので、それを見に行くことにした。

どんな映画かというと恋愛映画である。7月24日通りというのは、ポルトガルのリスボンにあるらしい。
ヒロインの中谷美紀演じるサユリは、地味で平凡、彼氏なし。ドジで不器用といったような市役所に勤める目立たない女の子。自分の住んでいる長崎をポルトガルのリスボンになぞらえて漫画的な恋愛空想で日常をやりすごしている。そのサユリが、昔から憧れだった大沢たかお演ずる先輩の元彼、聡史に恋に落ち、悩みながら葛藤しながら、ついに勇気を持って告白をしハッピーエンドを迎えるというストーリーである。

サユリは、自分と聡史とを比較し、自分は聡史とは分不相応だと悩む。しかし、聡史がサユリに好意を示し、サユリは俄然色めき立ち、雑誌やメイク道具を買い込み、MOTE女を目指してひとり熱心に研究を始める。この辺で中谷美紀のメイクや服装ががらっと感じが変わってくる。目が生き生きして(所謂恋する瞳?)、どんどん美しくなってくるのである。やっぱり女性は恋すると綺麗になるのです。科学的に言うと、精神的な問題でホルモンの分泌が変わり綺麗にも醜くもなるようである。だから、女性は恋した時の方が綺麗し、性格も明るくなる。(その過程で聡史がサユリに「君が笑顔が一番美しい。」言ってくれたものサユリは嬉しかった。)
そんな中にあって、聡史とデートの約束をした日に、聡史がサユリに会う前に元カノに会っていたのを知る。(仕事のことで会っていたのではあるが。)サユリは自信をなくした。聡史との自分との分不相応(サユリは自分を卑下している。)と言うことが再び頭にもたげてきたのである。
その時、サユリの弟がサユリと似た感じの地味な女の子と結婚するという。サユリは、猛烈に反対する。ミスター大学生の自分の弟とサユリに似た地味な弟の彼女が、弟と分不相応だとサユリ自身の境遇とラップさせるのである。絶対に彼女を不幸にさせるからということで、弟の結婚に反対するのである。その兄弟のやりとりを弟の彼女は聞いていた。
弟と弟の彼女の結婚式が始まる。神父が、新郎に永遠の愛を誓いますかと聞いて、新郎は「はい」と答える。次に新婦に聞いた時、新婦は「誓えない」と言う。場内騒然。弟の彼女は、自分とは分不相応だから誓えないと言う。それを聞いていたサユリは、心の中で猛烈な葛藤をしていた。もちろん、弟の結婚と自分のことも含めての分不相応という問題に関してである。この時、サユリは、はっきり決心した。例え結果が悪くても、自分の好きな人へアタックすべきであると言うこと。勇気を持って告白すると言うこと。行動した後悔と行動しなかった後悔はどっちが大きいかと言うことに気付いた瞬間である。
サユリは、この時、弟の彼女に言う。「分不相応であっても、結婚することが間違いであっても構わないじゃない。逃げては駄目。勇気を持って好きな人のところへ行くのよ。」と、まるで自分に言い聞かすように弟の彼女を励ます。弟の彼女も勇気を得て、「誓います」という。
その時、サユリの父を含めて周囲の人が、聡史を長崎に呼んでいたという。サユリは、教会を出てかけだす。でも、見つからない。夜暗くなっても見つからず、聡史がよく食べていたコロッケパンを泣きながら路面電車停留所のベンチで食べていた。その時、後ろから聡史が、泣きながら食べるコロッケパンは美味しいかと突然声をかける。
その後、クリスマスイルミネーションの輝く前で愛を誓うのである・・・・・・・ハッピーエンド。

というストーリーである。かなりはしょっていて細かい部分は省略しているが筋は判ると思う。

ストーリーとしては、それほど変化に富んだものではなく、面白いと言うほどのものではなかったが、役者が巧いのかもしれないが、十分役者の表情で心理状態が読みとれたことは、興味を持って見ることが出来たと言うことである。

作者の言いたかったことは、こういうことであると思う。
行動した後悔と行動しなかった後悔は、どちらの後悔が大きいかということである。映画の結論としては、結果は別として、自分が思ったら、自分の人生だから自分自身の責任で、例え間違っていたとしても行動すべきだということである。この映画で言う行動とは、ヒロインがヒーローに対する愛の告白のことである。分相応とか分不相応とかがあるかもしれないが、勇気を持って行動すること。
例え結果が凶と出てもいいではないか。たった一度の人生なのだから思った通りに生きてみる。行動してみる。行動しなかったことの方が後悔が大きいに決まっている。
それから、女性というのは恋をすると美しくなるので、どんどん恋をしなさいということと、男性でも同じことが言えると思うが、特に女性は笑顔が大切であるということ。

自分は、この考え方について大いに賛同する。そうあるべきだと思う。
結果を恐れず勇気を持って果敢に行動すること!!(もちろん自己責任であることは言うまでもない。)


2006年11月20日 22:52:24
気の緩みと怠け心
最近、このホームページを全く更新していないし、春から夏にかけて一生懸命してきた体を鍛えるためとダイエットの為のトレーニングも長くブランクが出来てしまった。気の緩みとか怠け心というものが出ているのであろう。
この気持ちについても、自分自身言い訳を付けてしまっている。まず、トレーニング。飲み会でお酒を飲んだ翌日は、やはりエネルギーをかなり消費しており、朝起きづらいのである。起きづらいというのが言い訳である。働いている時は、必ず無理矢理に起きて会社に遅刻もせずに行ったものである。今でも会社勤めをしていれば、つらくても必ず起きて会社へ行くはずである。今は行く必要がないので、ついつい怠け心が出てしまうのである。それを、酒のせいにしている。基本的に気をしっかり持ち、やる気さえあれば、朝の眠たさなど全く関係のないことなのである。
次に、このホームページの更新のことである。最近少し遊びすぎの傾向(結構極まりないことであり、有り難いと思わなければならない。)があり、よく旅行などに出ている。旅行などに出たらペースが狂ってしまう。狂ってしまうという言い方は、自己弁護に過ぎない。遊んでおいて、毎日続けていることを投げ出すのは贅沢にも程がある。本当に罰当たりなことである。その辺も、気の緩みと怠け心である。結局自分自身に自分が負けていることである。明日から、心を入れ替えて気合いを入れて、頑張っていた頃のリズムに戻そうと思う。
リズムというのは、大切なことで、一旦リズムが戻ると弾みがついて、それまでの怠慢な時間が吹っ飛んでしまうようなことがよくある。とにかく、きっかけを掴んでリズムを付けることである。
まあ、そんなこんなで、こうして書きながら自分自身を鼓舞しているのであるが、ここのところの怠慢で、体も変化をきたしている。
まず、血圧が上がってきたこと。(半分、気温が低くなってきたこともあるが。)そして、一時69sまで減った体重が、1.5sも戻って
70.5sになってしまっている。精神的にも肉体的にもすべて悪い結果が出ている。
来年の1月7日には、12qのマラソンに出場し、2月4日には、フルマラソンを走ることになっている。あまり時間はない。
そんなこともあり、明日から気を取り直してトレーニングに励むつもりである。


2006年9月13日 11:03:10
日本破産U
日本が破産するということは、自分の生活に重大ね影響を与えることであり、今もインターネットを使い色々な情報を調べている。
前回の書き込みから情報を入手したり、自分で考えてみたりした結果、数字的には絶望的なものであるものの、簡単には破産しないというより、出来ないということが判ってきた。(自分の分析が合っているか、間違っているかは別として。)日本は、世界一の債権国であると同時に、世界一の債務率国家(GDP2倍の1000兆円の債務)なのである。そのことより、世界各国としても、特にアメリカは、日本を破産させ得ないのである。もし、日本が破産局面に至るようになった場合、まず債権を取り崩して債務返済に充てるはずである。日本は、アメリカ国債の3分の1を持っており、そのアメリカ国債から取り崩していくことになる。そうなれば、アメリカ国債の価値は大幅に下がり、アメリカも連鎖破産する可能性も出てくる。そういう最悪の結果になれば、世界経済をリードする1位のアメリカ、2位の日本の破産ということになり、世界経済は未曾有の大恐慌状態に陥ってしまうであろう。まさに日本発の世界大恐慌への突入である。
だから、どのような手段を使っても、全世界やアメリカは、日本を破産させるわけにはいかないのである。だからといって、数字が数字であるだけに破産させないにしても問題の先送りだけであり、何らかの抜本的解決策を見いださない限り、いつかは絶対に破産に追い込まれることになる。最終的には、アメリカの軍事力を背景にした総合力(戦争になるわけではないが)で、IMF(IMFは世界主要国が出資する世界通貨基金であるが、実態は出資国1位アメリカの主導的機関である。)介入により、日本経済占領的な政策を押しつけて来るであろう。すでにIMF(アメリカ)は、下記の「ネバダレポート」というIMFに近い人物が作成した日本破産時の管理プログラムを念頭に置いているらしい。(推測)

@公務員の総数および給料の30%カット。ボーナスは全てカット。

A公務員の退職金は100%カット。

B年金は一律30%カット。

C国債の利払いは5〜10年間停止。

D消費税は15%引き上げて20%へ。

E課税最低限の年収100万円までの引き下げ。

F資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債権・社債については5〜15%の課税。株式は取得金額の1%課税。

G預金は一律ペイオフを実施するとともに、第二段階として預金額を30〜40%カットする。

@とAは、当然(責任を取らせることと民間におけるリストラと同様のこと)のことながら、以下は国民に大きな負担をかけるものである。最悪、受け入れざるを得なくなるであろう。これを実施したとしても借金の返済には、目処が立たず破局的な結果だけは避けることが出来るというものであろう。(今以上に借金が増えない。プライマリーバランスがとれるのみ。)前に書いたエネルギー革命的大発明がなければ、そんな状態(借金は増えないものの一向に減らない。)で未来永劫に続いていくのかも知れない。

自分自身の今現在の結論としては、ここ1〜2年では、最悪の状態にはならず、5年後以降に破産=IMFの管理下に入ることになるのではないかと思う。自分のこの結論は、確固たる経済知識を持って結論づけたものではなく、あくまで単純な状況判断による勘だけであるので、良くなるのか悪くなるのか判らないという曖昧な独断と偏見である。どのような場合なっても、自己中心的な考え方を決してしているわけではないが、自分は自分で守るということから、早急にリスクヘッジ対策を立てようと思っている。


2006年9月10日 14:44:43
日本破産
我が愛する日本国の借金は、約1000兆円超である。それに対するGDPは、約500兆円である。GDP2倍の借金がある国など世界中にどこにも存在しない。民間企業であれば、とっくの昔に倒産である。しかし、1000兆円の借金など単純に考えても返済することが不可能な金額である。GDP500兆円という金額が仮に税収金額であれば簡単に返済出来るのであるが、企業の売上に当たるGDPだからどうしようもない。何故こんなことになったのか。それは、返す返すも政治家、官僚達の責任である。政治家達は、自分の人気取りのために国民に響きの良い政策(借金による公共投資)ばかりで借金返済の抜本的改革は行わず先送りばかりしている体たらくで無責任極まりない。官僚達は、自分たちの保全、利益ばかり考えて、天下り先などの外郭団体、公益法人作りに余念がないし、民間企業がリストラ、リストラと苦しんでいても全く我関せず、国の借金まみれも考えずに体制を変えようとしていない。まさに、合法的な犯罪行為である。(ただし、政治家も官僚も全部が全部ではなく、国のこと国民のことを考え一所懸命働いている人も絶対にいると思うし、その人達に対して手厳しいことを書くのは気が引けるが。)いったいこの国をどうするつもりなのか。政治家、官僚共に現役の人たちだけが悪いと言っているのではなく、こういう流れにしてしまったOBにも重大な責任があることは間違いない。今のところ、トヨタやキャノンを代表とするグローバルな民間企業が頑張っているので、それを隠れ蓑のような感じで問題は表面化していないが、そんな誤魔化しでは、繕うことの出来ない厳しい現実の数字なのである。日本が破産するのは、時間の問題だけなのである。抜本的な解決策は、無いに等しい返済不能の天文学的な借金なのである。国家破産すると言うことは、どういうことなのかというと、この前見た「日本沈没」というような物理的に日本国がなくなるというのではなく、経済的な「日本沈没」ということであり、国土は残るし国民は残るし(一部の賢明な人は、海外に逃避しているかも知れない。)日本という倒産国の名前は残るのである。国民は、死なない(餓死者が出る可能性もある。)のであるが、経済的には太平洋戦争に負けた当時のような状態になる。(自分は、戦後生まれだから太平洋戦争に負けた時の我が国の経済状態は、知らないが。)誰が最も痛い目にあうかというと、それは紛れもなく我々国民なのである。日本が、破産するとどういうことが起きるかというと、ハイパーインフレ(すさまじいインフレ)、治安の悪化、極端な円安、預金封鎖(徳政令)などの状況になってくる(一度には来ない。)。物価が信じられないような価格に値上がりし食べるものを買うにも苦労する(最も影響を受けるのは、無収入の年金生活者である。)。円安になり海外旅行など夢になってくる。最終的には、預金をすべて封鎖されてしまい国に没収される。そんなことが、現実に起こりうるのである。海外の最近の例から言うと、アルゼンチン、ロシアなどが、そういう状況になっていた。だから、日本だって例外ではないのである。今現在、そういう状況になることを知らない人もいるし、知っていても日本は絶対にアルゼンチンやロシアのようにならないと思っている人、絶対に最悪の状態になるのですでに対策を取っている人など、色々な人がいると思うが、殆どの人が、日本は外国のような状態にならないと思っているように考えられる。そうでないと、国の借金状態を知ってパニックになっている可能性だってある。あえて、政府にしろマスコミにしろ、声を大にしてそんなことを言っていない。しかし、数字的に言っても遅かれ早かれ最悪の状態は避けられないと思う。そういう状態にならないようにするための対策を知っている人がいれば教えて欲しい。確かに、現在は株価なども上がり、民間企業業績も良いので不景気だという印象は少ないと思う。しかし、それは民間企業の話であって、国は取り返しのつかない借金まみれなのである。企業業績が良くて国の税収が増えても、1000兆円の借金に対して焼け石に水の状態である。抜本的解決策が考えられるとすれば、それは空想科学小説の世界になってしまう。自分の空想科学小説の世界で言えば、それは究極エネルギーの発明である。ある種の極めて安価な触媒を使い、水を酸素と水素に分解し、燃料電池で発電するという方法である。その方法で電力会社が発電し、今まで通りに国民に売るのである。電力会社を国営にし、収益で1000兆円の借金を返済していく。また、国のエネルギーをすべて水素エネルギーに変えて、そのエネルギー供給会社を国営とする。そうすれば、1000兆円の借金もあっという間に返済出来るであろう。さらに、返済完了後は、一般国民から税金を取る必要がなくなるであろう(ただし電気は有料)。環境的に言えば、水素エネルギーはクリーンエネルギーであり、燃やしても水しか発生しないし、二酸化炭素による地球温暖化を防ぐことも出来るようになる。この空想科学小説の世界が実現すれば、日本はもとより世界人類にも貢献することになる。対策としては、これしか考えられない。国は、なけなしの財源から、この分野に莫大な開発費を出すべきであろう。まあ、大昔の人からからすれば、今の時代の車が走り、人が月に行き帰ってくる、テレビが見れるなんて全くの空想科学小説の世界であった。だから、水から安価なエネルギーを作り出すというのもあながち空想科学小説の世界でなくなる時代がくる可能性だってある。夢を諦めないことである。かなり、現実離れした解決策を書いたが、現実に戻って今の状況をどうして切り抜けるか考えなければならない。国がとる対策としては、国を縮小均衡に持っていくようなことになるが、小さな政府の実現で公務員の人員を50%(公務員にも雇用保険を導入する。)にして、さらに人件費を50%カットする。公務員の退職金廃止。国有資産、公有資産の無駄で贅沢な部分(民間企業のリストラ方法導入)の売却。ODAの全面廃止(全く今の我が国は馬鹿である。自分の国が借金で火の車なのに、さらに借金して外国に援助するなんて考えられない。自国の国民より他国の国民の方が大切なのか。全く馬鹿げたことをしている。日本国民は、普通の国民で神様仏様ではない。)。国会議員を50%カット。高速道路の建設を全部廃止。今自分の考え得る国の対策は以上。次に個人的対策。これは、多かれ少なかれある流動資産の保全である。流動資産をリスク分散させる。まず、手っ取り早いのが、海外の優良銀行の海外にある本支店での預金。これは、起こりうる可能性のある極端な円安への保全策である。もっと大がかりな対策としては、海外移住である。それから、これは非常に難しいが、海外のヘッジファンド購入。(専門的に知識が必要かも。もちろんリスクもある。)などなど考えられる。日本破産は、数字的に言えば時期の問題だけで90%は起こる可能性があると思う。それも、近い将来である(会社の倒産と同じで不渡り手形を出した時、それは、国債の金利が払えなくなり、返済が来た国債の返済資金が調達できなくなった時、所謂資金が回らなくなった時である。)。それまでに、多少の痛みとリスクは伴ったとしても絶対に対策を取っておく必要がある。国や他人に頼っていては駄目である。これからは、自己責任で自分のことは自分で守るということを念頭に置いておかなければならないであろう。国などは、逆に国民に頼らざるを得ない状況である。国は何処から借金しているかというと国民からである。外国などは、日本の国債など見向きもしないのである。もし、日本国債の持ち主が外国人であるならば、国債が紙くず同然になっても国民の負担にはならなく外国人が損をするだけである。しかし、損をするのは日本国民である。国債の価値としては、発展途上国のボツワナより下なのである。いずれにしても、情けない国になってしまったものである。そんな国になってしまったのは、政治家、官僚の責任である。しかし、そんな馬鹿な政治家を選挙で選んだのは国民である。自分も含めて日本国民が最も馬鹿なのである。ここらで、目覚めなくてはならない。まだ、遅くはない。国が破産しても自分は自分で守れるのである。まだ、遅くはない!!!


2006年8月27日 23:26:36
藤川投手の涙
我が愛する阪神タイガースが、連敗を脱出して6連敗を免れた。その立役者は、やっぱり投手陣。野球は、守りの中の投手が最も重要なポイントを握っている。今日も、その通りの結果となった。先発の杉山投手が好投して、同点で8回から満を持して藤川投手が登板。8回をピシャリと抑えた。その裏、2点を取って勝ち越しし、9回も藤川投手が続投してホームランの1点を取られたものの、他はピシャリと抑えて勝利に貢献した。ヒーローインタビューに藤川投手が出てきたが、それが感動的であった。普通なら泣くような場面ではないのであるが、彼は言葉に詰まって男泣きしたのである。何も涙を流されたら感動するというものではない。その涙の意味を色々想像すると感動するのである。藤川投手は、ファンの期待を裏切って、肩の張りや寝違いにより首を痛めて登録抹消になっていた。そのことで、周りの人間やファンからかなりきついことを言われたのに違いないのである。それと、彼の野球に対するひたむきさや責任感で、かなり悩んだに違いない。周囲の騒音と自責の念で自分自身歯痒い思いをし苦しんだのであろう。そんな中で、故障も癒え今日登板して、自分の力を発揮出来たと同時に連敗脱出に貢献出来て、多くのファンの温かい声援があったことが想像以上に嬉しかったのであろう。そういう思いが伝わってきたよう涙であるような気がした。きっと、このインタビューを聴いていた他の選手も大いに影響を受けたと思う。藤川投手が、あれだけ純粋に野球こと、チームことに責任を感じて頑張っているなら、優勝の可能性は、ほとんど無くなったものの、最後の最後まで頑張らなければならないという気持ちに他の選手もなったに違いない。彼らは、プロ野球の選手であり、それで飯を食べているので、成績が総てであり、成績が上がらなければ給料は下がるし、ファンにもぼろくそに言われるのは当たり前のことなのであるが、その辺のことを十分いわきまえて、ひたすらに頑張り、努力し、耐え難きを耐えるのは、大変なことであると思う。プロの選手である以前の人間として生き方の問題になってくると思う。きっと藤川投手は、今回の件で一皮も二皮も剥けて、さらに大きく成長するに違いない。これは、ファンの欲目かもしれないが、ひょっとすると今日の藤川投手の涙が、残り少なくなったペナントレースに大きな異変を起こすかもしれないと感じるのである。今年のプロ野球の結果は、別としても、人間がひたすらに純粋に努力し、頑張る姿を見るのは、結果は別としても何とも清々しく感動的である。自分も何をするにもひたすらにコツコツ頑張ろうと改めて思うのである。


2006年8月24日 0:43:16
亀田興毅のタイトル防衛戦の対戦相手
よくぞ対戦相手をランダエタに決めた。あっぱれである。それでこそ男「亀田興毅」である。公式には、タイトル防衛戦なのであるが、実質的にはタイトル挑戦である。とにかく、前回苦戦したことを反省しつつ思い切り戦うべきである。そして、疑惑判定というか、前回の実質敗戦の汚名を返上すべきである。次回の対戦で白黒はっきりするはずである。例え負けてもいいのである。まだまだ亀田は若いのであるから、いくらでもチャンスは巡ってくる。いや負けた方がいいのかもしれない。このまま、疑惑のまま勝ち続けても本人の将来に絶対良くないのである。次回の対戦で負けても、再びはい上がって、その次の対戦で勝てば、名実人気共に最高のものになるに違いないと思う。いずれにせよ白黒はっきり決着をつけるべきである。頑張れ 亀田興毅!!


2006年8月14日 0:26:41
**日本沈没の続編が出ているようである。さっそく読もうと思う。


2006年8月11日 23:39:24
日本沈没
いきなり不穏な言葉で日本沈没とタイトルを付けた。別に日本列島が本当に沈没したり、日本経済が沈没するという意味のことではない。ただたんに昨日、そういうタイトルの映画を見に行ったのである。草g剛と柴咲コウ主演の「日本沈没」という映画である。数十年前に小松左京のSF小説としてベストセラーになったものを映画化したものである。(確か、これが2回目の映画化だと思う。)原作も以前(かなり前)に読んだが、日本が沈没するというテーマは、当然変えていないが、ストーリーの展開として、草g剛と柴咲コウの悲恋も交えて娯楽映画として感動を誘う部分も盛り込んでいる。また、原作では、完全に日本は沈んでしまうのであるが、この映画では、日本列島は人工的な劇的対策(マントル対流により、プレートが相対するプレートの中に潜り込むのを、原水爆より威力のある火薬を使い、一方のプレートを破断させることにより潜り込みを止める。現実的には、こういうことは無理であると思う。)により完全には沈まず一部残ってエンドを迎えることになっている。草g剛が演じる役は、プレートを破断させるために、決死の覚悟で潜水能力の限界を超えた深海に深海探査艇で爆薬を仕掛けにいく役である。そこには、柴咲コウとのロマンスを捨てて、日本列島と日本民族を守るために死んでいく男の中の男という感じで描かれており非常に格好いい。その辺が、映画としての感動を起こさせる演出でなのである。映画の演出と判っていても、格好いいと思う。そこに、柴咲コウとのロマンスが無かったら感動が半減するのではないかとも思う。また、自分が草g剛の立場になったらどうするかいうようなことも考えてしまう。まあ、自分としては、自分以外にその能力(深海探査艇を操縦する能力)を持った人がいない場合は、決死の覚悟で同じことをやると思う。(???嘘、笑)

まあ、今現在の地球環境とかを考えた場合、こういった日本沈没というような極端なことは起きないと思うが、地球科学的にいえば起こりうる問題である。マントル対流というのは本当にあり、大陸は動いているのである。その動く速度は、我々人間の寿命に比較して、極端に遅いのである。だから、後数億年か数十億年も経過すれば、日本列島は沈没しているかもしれないし、また、どんどん動いていって太平洋の真ん中にいっているかもしれない。たぶん、今の形はとどめていないかもしれない。だから、現実に起こりうる問題としては、全く考えなくてもよい問題であると思う。(我々の子孫は、この映画のような危機に立たされる時が来るかもしれないが、明日一挙に日本が沈没するということはあり得ないと思う。それは、徐々に目に見えない速度ということで起こりえることである。)しかし、マントル対流という問題以前の現実的な問題として、地球温暖化ということがある。現実に、沈み方が、この映画のような沈み方ではなく、極地方の氷が溶けて、海面水位が上がり沈没ではなく水没することである。南太平洋のツバル諸島などは、水没が迫りつつある。この映画の問題提起としては、そんな部分に向けられているのではなかろうか。そういう水没するような問題になった時に、人類としてどう対処していくのか、国としてどう対処していくのか、国家のリーダーはどう対処していくのか、国家交流をどうしていくのかというような問題を投げかけた映画であったと思う。

もちろん、娯楽としてこの映画を見て楽しんだわけであるが、それ以外のことも考えさせられる映画であった。(そういう問題に直面した時に、国としてどうしていくのかをテーマとして、この映画の続編が出来たら面白いのであるが。(映画でなくても小説でもよい。誰か書いてくれないであろうか。)


2006年8月2日 23:25:02
WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ
WBA世界ライトフライ級タイトルマッチを見たが、自分は日本人で当然日本人が勝って欲しいと思いながら見ているのであるが、亀田は判定で勝ったという結果になったものの、フェアな見方をすれば非常に後味の悪い試合であったような気がする。素人目のみから見ても贔屓目に見ても完全に亀田の負けである。我々の素人の見る目とプロの目から見た有効打の判断の仕方が違うのかもしれないが、有効打、手数から見ても圧倒的に相手の勝ちである。ましてや1回にはダウンまで奪っているのである。亀田の熱烈ファンには叱られるかもしれないが、完全に、負けた相手の方が強かった。亀田のユニークで派手なパフォーマンスで大きな注目を集めていたものの、世界はそんなに甘くなかったということである。確かに亀田は、若くて強いことは認める。しかし、今日の試合を見た限りでは、まだまだ世界には及ばないと思う。もう後少し、練習に練習を積めば十分に世界に通用するだけの素質と力は持っている。結果は、判定で勝ちということで出た以上覆らないのであるが、亀田は男ならば、もう一度ファン・ランダエタにチャンスを与え再戦すべきだと思う。それをせずに、最初の防衛戦で世界ランク上位の選手と対戦するならば負ける可能性が強いと思う。世界は、そんなに甘くないのである。亀田の将来性を考えるならば、絶対にファン・ランダエタと再戦すべきである。興行面やお金のことばかり考えるならば極論を言うと亀田に将来はない。自分は、日本人で亀田を応援している。だから、まだまだ将来性のある亀田に忠告したいのである。(自分は、ボクシングをしたことがないし、もちろんその苦しさも知らないので、簡単に偉そうなことを言える立場ではないのであるが、あくまで素人目で見たこと感じたことを、武士道精神を受け継いでいる亀田を日本男児として男になって欲しいと思うから提言しているのである。)


2006年6月13日 0:50:55
サッカーワールドカップの日本の初戦
1時間ほど前にサッカーワールドカップ ドイツ大会の日本の初戦のオーストラリアとの一戦が終わったところである。テレビの視聴率は、非常に高かったのではなかろうか。しかしながら、残念なことに1:3で逆転負けしてしまった。非常に残念だし悔しい。自分の当初の予想では、オーストラリアには2:1で勝つと思っていた。後半の39分頃までは勝てると思っていたが、その後たて続けに3点取られてあっさり逆転負けしたのである。素人目から見たら、完全に押されっぱなしであったので負けて当然なのかな。でも悔しい。選手も頑張ったと思うのであるが、負けてしまっては何もならない。何だか馬力の差が出たような感じがした。

自分は、どちらかというと悲観論者かもしれないが、日本は決勝トーナメントに進めないと予想していた。その中で、オーストラリアだけには2:1で勝ち、クロアチアには0:1で負け、ブラジルには0:2で負けると予想しており、1勝2敗で予選リーグ敗退というものである。この分では、1勝もあげることが出来ず予選リーグ敗退となるかもしれない。だから、とにかくオーストラリアだけには勝って欲しいと思っていた。そういった意味で非常にショックである。まあ、日本が勝とうが負けようが、別に自分の生活に支障はないのであるが、一時的でも気分が崩れてしまうのである。明日になったら、けろっとしていると思うが、今は、気持ちがもやもやしている。特にサッカーファンではないが、日本代表が大きな大会に出て試合をする場合は、必ず応援している。ただ、阪神タイガースを応援するのとは、少しニュアンスが違うのであるが。それは、自分が日本人だからであろう。日本人で外国のチームを応援しているのは殆どいないと思う。

6日後にクロアチア戦があり、その後何日か後にブラジル戦が続くが、今に気持ちは奇跡が起こってくれと祈るばかりである。頑張れ日本!!


2006年5月20日 23:34:18
バルトの楽園
19日と20日の2日間で四国高松の友人の家に行ってきた。目的は、その友人の家で親睦会をすることと、現在習っているドイツ語の関係から6月17日に封切られる松平健主演「バルトの楽園」という映画のロケ地を見ることであった。今までのイメージであれば四国は非常に遠いという印象を持っていたが、本当に便利になったもので大阪難波からわずか3時間強でJR高松に着くのである。昔は、新幹線で岡山まで行き、そこから在来線に乗り換え宇野からフェリーに乗り高松に着いたのである。さらにそれから本四架橋が出来てフェリーを利用せずに高松に行けいるようになった。さらに明石海峡大橋が出来て本州と四国が淡路島経由で高速道路が繋がり高速バスが通るようになったのである。(今回初めて高速バスに乗ったのでいつから開通したか知らないが。)どんどん便利になっているのである。しかも乗り換え無しで高松まで行けるのである。しかも新幹線で行くより断然料金が安いのである。新幹線を利用すれば、約7800円かかるが、高速バスだと3600円で行くことが出来る。半値である。しかも面倒な乗り換えがないのである。どんどん便利になって日本がより狭くなってきた感じがする。

19日は、高松に着いてからすぐに昼食をした。もちろん高松といえば讃岐うどんである。これが、また安くてうまいのである。素うどんの並で170円、大盛りで270円である。それにトッピングの天ぷらが一つ100円(それも非常に大きな天ぷら)。もちろん、大食いの自分は、大盛りで天ぷらを2つ乗せた。しめて470円で腹が一杯になった。それから、食べる時のシステムが普通と違い完全セルフサービスである。うどんの大きさだけ注文し、うどんの湯通しからだし入れ、トッピングもすべてセルフサービスで、勘定は食べ終わってから自己申告で払うのである。関西では、ほとんどそんなシステムをとっているところはない。これも土地土地の特徴であろう。昼食の後は、すぐ近くの栗林公園で散策した。残念ながら雨が降っていたのでゆっくり散策出来なかった。

20日は、いよいよ目的の「バルトの楽園」ロケ地の見学であった。その場所は、徳島県鳴門市にある。日本で最初にベートーベンの交響曲第九番が演奏されたところである。ロケ地のすぐそばに鳴門市ドイツ館がある。ここにこのバルトの楽園のテーマとなったドイツ人俘虜の板東俘虜収容所に関することが展示されている。

 

鳴門市ドイツ館            鳴門市ドイツ館前にて

映画「バルトの楽園」は、松平健が扮するところの板東俘虜収容所所長の松江豊寿中佐が人道的俘虜管理で収容所内で俘虜に対して人間らしい生活を送らせたことがテーマとなっている。第一次世界大戦で当時英国と日英同盟を締結していた日本は、英国の敵国であるドイツの中国青島駐在部隊の攻撃を要請され、条約に基づき日本はドイツ軍を攻撃して陥落させた。そのドイツ軍の俘虜として日本に5千人送られてきたが、そのうちの千人が徳島県鳴門市板東の収容所に収容された。当時の日本は、新興国であり先進諸国を追いつかんがために様々なパフォーマンスを行っていたが、この俘虜収容についても俘虜条約を遵守するために豊でなかった国家財政の中からそれなりの予算を割いて俘虜の扱いを世界にアピールしていたらしい。しかしながら、あくまで俘虜は俘虜であり、収容所長の裁量により不当で人権を無視した厳しく残忍な管理をしていた収容所もあった。その中にあって、松江豊寿中佐が管理の「板東俘虜収容所」は、我々の持っている俘虜収容所のイメージからほど遠い人権を尊重した人間味溢れる管理をしたのである。あくまで俘虜なので鉄条網の中での管理と言うことは免れないが、その中において、パン屋あり、風呂やあり、印刷やあり、パブがあり、地域住民との交流もあり(職業軍人ではなく様々な職業と技術をを持った義勇兵が多かった。)、彼らの持っている技術を地域住民に教えるなど俘虜でありながらある程度の自由を認めていた。もちろん、鉄条網外の作業やレクリエーションもあったらしい。また、地域住民の慣習というか人柄というか、この板東という地は、お遍路さんの通り道にあり、お遍路さんを接待するという風習があり、そんな部分からドイツ人俘虜との間においても、その接待という気持ちがドイツ人俘虜との間に交流を根付かせたのであろう。もちろん、日本人からドイツ人に教えることもあったであろう。2年10ヶ月の間、ドイツ人俘虜はここで過ごした後、本国に帰国したわけであるが、その帰国の際に、日本人へのお礼の意味も込めて、日本で最初のベートーベン作曲「交響曲第九番」を演奏したのである。

映画「バルトの楽園」ロケセットにて

この辺のストーリーを演出したのは、あくまで松江豊寿中佐の裁量である。板東俘虜収容所での俘虜管理に疑問を抱く軍上層部の意思で予算を削減されたり、軍法会議に三度もかけられたりしながらも人道主義を貫いた松江中佐には、それなりの生い立ちでの苦い思い出が反映されていたのである。彼の生まれは会津若松であり、会津若松藩は幕末に官軍に破れ悲惨な思いをさせられてきており、彼の父も不遇の下で他界しているのである。会津若松は、明治に入ってからもかなり冷遇されており、松江中佐は、勝った側であろうが、負けた側であろうが、その体制の下で戦った人たちは、自分たちの国のために純粋に戦ったのであり、負けたからといって、人権や人間性を無視したような扱いをされるのは間違っているとの考えがあったのである。あくまで、その人間がどんな境遇であろうが、どんな生い立ちであろうが、差別するのは間違いであることを貫いてドイツ人俘虜をあくまで人間らしく扱ったのである。

松江中佐の行った行為は、日本人として世界に誇るべきものであると感じる。このような実際にあった話について、自分たちは、今まで全く知らなかった。えてして、このような地味な話は、その人物が死んだ後に評価されることがままあり、時代時代に応じてその時の権力者により隠蔽されていることが多くあるのかもしれない。ただ、この松江中佐にしろ、自分が有名になりたいとか自己顕示欲でこのような行為をしたのではなく、あくまで心の中の人間愛から生まれたものであり、それが尊いと思うのである。この松江中佐の他に日本には、人間味溢れる行為をした人は何人もいるであろう。只、自分が知らないだけである。今思い出したのは、日本のシンドラーといわれている「杉原千畝」である。ナチスから追われているユダヤ人に日本通過のピザを独断で与えたのである。それで助かったユダヤ人は、6千人といわれている。この人の行為は、最近まで日本人に知られることはなかったのである。しかし、助けられた国の人たちは、きちっと自国に杉原千畝記念館を建てて感謝を忘れていないのである。

今回の旅では、松江豊寿という人間の心に触れることが出来たのは本当に有意義であったと思う。映画の封切りは6月17日であるが、是非見に行くつもりである。


2006年5月1日 23:32:49
恐いこと
恐いことって色々あるが、お化けが恐いとか、暴力が恐いとか、死ぬのが恐いとか、人が恐いとか数えたらいくらでも恐いことがある。人それぞれに恐さに対する感じ方が違うと思う。自分にとって今はもちろんのこと、これからも最も恐いと思うことがある。暴力や死ぬことは、確かに恐いと思うのであるが、この歳になってくると健康問題が一番恐いと感じる。自分である程度のコントロールや予防は出来るものの、人体の構造が究極的に解明されていない現在において、自分ではどうしようもなく突然に健康を害すことや不慮の事故で障害を起こすことがある。健康を害したり不慮の事故で障害を持っても、現代医学によって簡単治ることもある。治らない病気や障害で強烈な痛みを伴うもの、全身麻痺で自分の意志何も出来なくなるなどの厄介なことがある。自分の最も恐れるのは、病気やあるいは事故で自分自身の意志で何も出来なくなり、自分以外の人間の世話にならないと生きていけないという状態になることである。植物状態なら自分自身の存在すら判らなくなるので、自分自身が元気な時に自分以外の人間に世話になるのは嫌であるし、世話する方も大変であると思うだけで、植物状態になったら何も判らないのであるから、自分自身苦痛はないはずである。(ないと思う?)ところが、自分の意志があって自分で何も出来ない状態であるならば、こんなに辛いことはないのである。自分も辛いし介護する方(家族の場合)も辛いのである。極端なことを言うと、死にたいと思っても自殺さえ自分で出来ないのである。自分は、今現在も、これからもこのような状態になることが最も恐いことだと思っている。(誰でも恐いと思っているであろう。)対策を講じて、そのような状態にならないようにしても決定的な対策ではなく確率を減らすということだけである。これからもずっとこの恐怖と背中合わせに生きていかなければならないのであり、避けては通れない問題であるが、そんな恐怖と同居しながらも、マイナス思考で考えるのではなく、プラス思考で前向きに生きていかなければ仕方ないとの結論になる。(ある意味で開き直り)

だから、「明るく、楽しく、元気に、生き生きと」なのである。


2006年4月24日 0:31:29
見る角度
最近から始めたことであるが、月曜日から金曜日まで、朝昼夕の3回、家付近の田園の中を約3.3キロメートルづつ歩いている。目的は、健康のためである。だから、出来るだけ早足で約33分くらいで家まで戻ってくる。1キロメートルを10分で歩いていることになる。かなり速いペースだと思う。

しかし、土曜日と日曜日は、あくまで体のことを考えて歩くということより、ゆっくり周りの景色を眺めながら、道筋も気ままに変えて長い距離を歩くことにしている。そのようにゆっくり歩くことや、道筋を変えることで今まで見えなかったことが見えてくるのである。また、同じ場所でも道筋を変えているので、その場所を見る角度が違ってくるのである。同じ場所なのに、全く違った景色になり最初は、違う場所だと思ってしまうのである。そばのそばまで来て、ああこの場所だったのかと気が付くのである。また、この場所にこんなものがあったのかということにも気が付く。景色や事象など何事もを見る場合において、駆け足で同じ角度から見た時、当然のことであるが視野が狭まり、一元的なことしか見えないのである。散歩しながら今更ながらであるが、そんなことに気が付いた。

例えば、結構自分自身は、人を見る場合好き嫌いの多い性格の方である。だから、一度嫌なことがあると、その人を全く嫌いになってしまう傾向がある。そんな場合、人には長所や短所もあるので、瞬間的な印象で人を嫌いになってはいけないのであると思う。もっとゆっくり多面的にその人を見てから、好き嫌いを判断しても遅くないのである。散歩しながら感じたことと同じことが言える。また、政治や経済、社会現象や色々な事件などについても、仕方のないことなのであるが、マスコミの言っていることを信じてしまい、間違った考え方や判断をすることが多々ある。だから、その場合も限られた情報の範囲において、出来るだけゆっくり噛み砕き、多方面からの分析をしたうえで、自分なりの考え方や判断を下すのがベターではないであろうか。

散歩という単純な行動の中から自分なりに物事に対する見方を学んだ次第である。とにかく、一元的に物事を見るのではなく、じっくりと角度を変えて多方面から眺めてみることが大切であると感じた。


2006年3月26日 23:21:48
料理学校での学習成果披露料理
姉夫婦を招いて、無事料理専門学校を卒業したことにおいて、その学習成果を披露するために料理をつくって食べて貰った。メニューは次の通り。

オードブル(日本料理)

1.鮹と胡瓜の梅肉和え
2.アサリと水菜の芥子醤油和え
3.鰻巻卵

スープ(西洋料理)

蕪のポタージュスープ

サラダ(西洋料理)

帆立貝のサラダ仕立

魚料理(西洋と和風合体の創作料理)

鰤の照り焼き風ステーキ

肉料理(イタリア料理)

牛もも肉のカツレツミラノ風

デザート(製菓と中国料理)

1.ガトー・オ・フィリオ
2.大学芋(中国風)

コーヒー又は紅茶

お土産(製菓)

カトルカー(パウンドケーキ)

飲み物

ビール、白ワイン、赤ワイン

以上のようなとりあえずフルコース的な料理構成で作った。とにかく、時間がかかったことこの上ない。昨日は、洋菓子のスポンジケーキを作り。今日は、その他の料理全般を作った。何と日半もかかった感じである。今日の場合は、朝の9時から作り始め、準備が殆ど整ったのが16時頃であった。しかし、それで客に出せる状態ではないのである。準備が整ったと言うことだけで、仕上げは出す直前にするから、厳密に言えばもっとかかっているのである。まあ、初めてのフルコースでの試みであるから、段取りも判らないし時間がかかって当然かもしれないが、自分一人で総てするのだから致し方のないことである。今度する時は、もう少し要領よくできるかもしれない。全体的な料理の出来具合は、自己評価すれば可もなく不可もなしといった感じではなかろうか。しかし、その中でも味付けに問題があった。どうしても塩辛くなってしまうのである。今度する時は、全般的に作る段階では、薄味にしたい。薄味にしていても、例えば煮込み料理などの場合、煮詰まってきたらそれなりに塩辛くなるので、出来上がった時はちょうどいい加減になるかもしれない。(全部が全部そうではないであろうが)それから、盛りつけの問題である。どうもセンスがないというか、どういう風に盛りつけすれば見栄えよくなるのか判らない。この辺は、外食した時に、そこの料理の盛りつけの仕方を見て研究するしかないであろう。まあ、大したことではないのであるが、自己満足かもしれないが、高いお金を払って学校へ行っただけの成果は少しだけであるが出ていると思う。1年前の自分を考えれば、とてもとてもここまで出来なかったことは100%間違いない。下に、今日作ったガトー・オ・フィリオの写真を載せますが、昨年の10月18日に同じ物を作っているが、またまた自分で言うのかおかしいが、確実に進歩していると思っている。(但し、生クリームを使っているので、いつも練習していたショートニングとかなり感覚が違い、クリームの硬軟によって、かなり絞り方や塗り方に影響が出る。今のところうまく対応出来ていない。言い訳です。)どうかな??



2006年3月20日 2:02:28
世の中厳しい、でも捨てたものじゃない
昨日野球の世界選手権WBCを見たが、その中で最近自分が経験したことと似通ったような部分を見た。端的に言って「世の中厳しいが、しかし、世の中捨てたもじゃない。」ということである。

今日の日本の対戦相手は、先のアジア予選と本戦の一次リーグで2回続けて負けた韓国相手であった。この負けた2試合は世の中甘くなく非常に厳しいという現実であった。2試合とも甲乙付けがたい接戦であったものの負けは負けなのである。2回目に負けた時点で当事者はおろか我々ファン、日本国民も万事休すと思ったに違いない。しかし、世の中捨てたものじゃないということ、奇跡ということが起きたのである。何と優勝候補筆頭のアメリカが、韓国にも日本にも負けているメキシコに1点差で負けたのである。このことで一旦沈んだかに思われた日本が一点浮上して得失点差によって決勝トーナメントに進むことが決定したのである。日本がアメリカに審判のジャッジミスで負けて、さらに韓国にも負けたのが、世の中の厳しさで、アメリカがメキシコに負けたのが、世の中捨てたものではないということである。もちろん、後者は他力本願なのであるが、得失点差というものは、結果的に日本の頑張りによる一生懸命頑張った成果なのである。だから、俗な言い方をすれば神は見捨てなかったのである。

自分自身の最近の似通った経験というのは、学業日誌にも書いたが、料理学校に通っての四苦八苦で世の中甘くないことを知らされたことだったのであるが、最後の最後になってアカデミーブロンズ賞という数少ない賞を貰ったのである。これが、自分の感じた世の中捨てたものではないということである。今日の野球と同じく他力本願的なことであるが、自分自身真面目にこつこつ練習したのは間違いのない事実である。(ただ、一生懸命努力したが、その分技術が上がったかどうかは自分では判断出来ないが。)きっと、このことで神が見捨てなかったのだと思う。それなりに、学校側が評価してくれたのである。本当に奇跡ではないかと思うくらい嬉しかった。

アメリカが負けて決勝トーナメント進出が決まった時の日本選手の心境も自分の心境と似通ったものではなかったであろうか。今日の試合で言えば、心理的には圧倒的に日本の方が有利であったかもしれない。一度死にかかったが生き返ったことで、今度こそは韓国に絶対勝つという強い意志が芽生えると同時に2回も続けて負けていることでのプライドにかけて絶対に勝つという気持ちが強烈にあったに違いない。だから、6回までは、日本が押し気味であるものの互角の勝負であったが、7回にその辺の気力の差が出て終わってみれば6対0の大差がついた試合となったのである。(自分は、今日の試合について日本は絶対勝つと思っていた。)

このことを、人生について例えてみれば、人生でも何でも諦めてはいけないのである。また、慢心して油断もしてはいけないのである。どこでどう変わるかもしれないのである。しかし、これだけは言えるが、とにかく要領が悪くて、不器用で、世渡りが下手でも、ただひたすらに一生懸命こつこつと努力して頑張ることは、幸運を掴む為の最低必要条件であるということである。何も頑張らないで、のほほんと過ごしていては、幸運が巡ってくる確率が低くなるのである。このことは、自分自身に対しての戒めでもあるし、頑張っているものの、現在は不遇な人へのエールであるとも思う。世の中厳しくても、誰にだってチャンスが必ず巡ってくるし、捨てたものでもないのである。

今日の日本の試合を見て、そして最近の自分に起こった出来事について、つくづく思ったことである。


2006年2月13日 23:26:55
ドジなsutetekoojisan
sutetekokojisanは、少し油断というか、料理学校卒業のための試験をクリアーしたのだけれど、ついつい緊張の糸が切れた部分があります。今日も実習があったのですが、包丁、菜箸などすべて忘れてしまいました。自分では、鞄に入れたつもりが結局入っていなかったのです。また、今日は帰りに一杯飲んだのだけれど、少し酔っぱらってしまい、挙げ句の果て電車に大事な学生証の入った鞄を忘れてしまいました。幸い駅にすぐ届けたので鞄は返ってきましたが、完全に緊張の糸がゆるんだ証拠です。これでは、残りわずかの学校生活に問題があるので、明日から兜を締め直して、初心に戻り頑張ろうと思います。まあ、言い訳になりますが、緊張の糸が常に張りっぱなしであれば、そのうちに疲れ果ててしまうので、たまには、今日のような醜態があってもいいと思うのですが、どうでしょうか。又明日から頑張ります。


2006年2月12日 22:27:17
今日の夕食
今日の夕食は、自分が作った。以前に学校で作った「あさりのスパゲッティー」「茄子のグラタンパルマ風」を作ろうと思ったが、あいにくスーパーに買い物に行ったがあさりが売り切れで、その代用として海老を使った。しかし、海老はあまり旨味成分が出ないので、あさりほど美味しくはなかった。美味しくなかったと言うより自分の腕が悪いといった方が適当かもしれない。とにかく、二品を作るのに時間が非常にかかってしまう。要するに段取りが悪いのである。この辺は、もっと研究しなければならない。しかし、以前に比べれば多少は改善されているかもしれない。あさりにスパゲッティーはいまいちであったものの、茄子のグラタンはまずまずであったような気がする。学校での試験が全部終わったので、家でかなり余裕が出てきた。だから、今後どんどん学校で習った料理を家で作っていきたい。


2006年2月12日 15:10:42
脱出
脱出とは不適切な表現かもしれません。むしろ一山乗り越えたと言うべきかもしれません。自分が今まで生きてきた中で公私ともに最も忙しい思いをしたことです。どんなことかというと昨年の12月から今年の1月末までの間のことです。12月に、就学している料理学校の実技試験があり、未熟な技術故に試験前の練習が欠かせなかったこと。11日間のヨーロッパ研修旅行に行ったこと。また、友人が居酒屋をオープンしたことで手伝いのアルバイトをしたこと。(学校が終わって17時から22時までアルバイトし帰宅は24時を過ぎる。)家での年末の掃除や1年間の整理、墓参り、年賀状の作成など。また、年が明けてからも学校の学科試験、実技試験追試、卒業料理試験、技術考査試験(公的試験)など試験地獄であったこと。もちろん、年明けもアルバイトに行っていた。年末年始の休みの間を除いて、その間のウイークデイの平均睡眠時間は、3〜4時間であった。実際はくたくたに疲れているのであるが、意外と疲れは感じなかった。忙しさと焦りと肉体的な疲れの中でも精神的には、ある意味では充実感があったのかもしれない。不思議なくらい疲弊感はなかった。人間て不思議なものである。開き直りというか何というか判らないが、先の光が少し見えて、期間的にはわずか2ヶ月のことであり、これを乗り切れば展望が開けるという楽観的な思いがあり、それが疲れを忘れさせてくれたのであろう。とか何とか偉そうなことを言っているが、世の中にはもっともっと苦しく、辛いこともあるだろうし、自分の今回の経験などは、ちょろいものなのであろう。とにかく、今こうして書いているということは、余裕のでた証拠であり、とりあえずは、試験の方もすべてクリアーできたのである。3月8日には、変なことで問題を起こさない限り、99%卒業は確実となった。たいした栄光ではないが、「栄光への脱出」を今のところ果たしたということである。自分なりによく頑張ったと思う。


2005年10月18日 23:03:06
フルーツデコレーションケーキ(ガトー・オフィルイ)を作る
16日の日曜日にフルーツデコレーションケーキを作った。スポンジケーキを作るのは、そう難しいものではなかった。テキストと学校で学んだ通りにしたら問題なくできた。問題は、仕上げであった。いわゆるデコレーションである。生クリームの扱いが、いつも練習しているショートニングと違うのである。泡立てすぎたのである。生クリームは、泡立てすぎて限界を超えると水分と脂肪分、いわゆるバターに分離するのである。その直前まで泡立てすぎてマスケについては、違和感を感じなかったものの、ポッシュが問題で絞ったらぶつぶつしたクリームが出たような感じで全く思うように絞れなかった。完全に失敗である。また、フルーツを固定するために塗るゼリー(アガアガ)も作るのを失敗して固まらなかった。翌日に食べたのであるが、味はまずまずであった。舌の感触としては、市販されているもののようにソフトなものでなく少し硬いというより固まった感触であった。まあ素人の手作りとプロの作るものとの違いは当たり前のことである。しかし、今度作る時は、今回の失敗を基にしてもっと巧くできると思う。



   失敗作 フルーツデコレーションケーキ (外周部のポッシュが見れたものではない。)


2005年10月16日 12:42:17
モザールマンドリンオーケストラ定期演奏会
昨日は、以前5年間ほど所属していたモザールマンドリンオーケストラの定期演奏会に行った。久しぶりに見る(聴く)モザールであったが、舞台にいる懐かしい顔を見て、実際に自分が同じように舞台で上がっていた時のことを昨日のことのように思い出した。自分はギターパートにいたが、もともと自分は、技術的にはレベルが低く学生時代からクラブに入っていた人や現役の学生がメンバーである仲間達に付いていくのは大変であったことを思い出す。誤魔化し誤魔化しながら何とか舞台をこなしたものであった。モザールの素晴らしい演奏を聴きながら走馬燈のように昔のことが次から次へと思い出された。久しぶりによい音楽を聴くと同時に郷愁をかき立てられ何とも言えない気分に浸っていた。モザールは、今年の6月にオーストリアのウイーンに演奏旅行に出かけたようで、権威のあるウイーン・コンツェルトハウスで殆ど現地の人で満員の中で演奏したそうである。団員達は、大感激したであろうし、アマチュアバンドが音楽の本場で演奏するなんて感無量であったと思う。モザールのような音楽、マンドリンが好きな人たちが集まってアマチュアとして活動を続けていることは、日本の音楽文化の底辺を支えているのではないかと感じた。今後のモザールマンドリンオーケストラのますますの発展を祈りたい。演奏会の方は、三部構成に分かれており、一部は、イタリア音楽の「イタリアの光」、二部は、ロシア音楽の「ロシアの嵐」、三部は、ウイーンで演奏した曲を中心とした「ウイーンの薫り」というテーマで演奏された。三部では、聴衆者も参加して演奏をするという形で、指揮者が客席に向かって手拍子の指揮をしたり、「ローカル列車」というポルカの演奏の時、司会者の合図でドイツ語で「出発」という言葉を聴衆者が発声するという企画も楽しかった。久しぶりに聴くモザールの演奏会であったが、非常に楽しく、懐かしく、思い出に残る演奏会であったように思う。 リンク集にモザールマンドリンオーケストラのホームページのURLを載せてておくので興味のある方は、覗いてみて下さい。

  

プログラムの表紙「ウイーン・コンツェルトハウス」        モザールマンドリンオーケストラ演奏風景


2005年10月15日 12:18:41
阪神タイガース2005年度リーグ優勝記念パーティー
昨日、英会話学校の阪神タイガースファンとその共鳴者が集まって盛大にリーグ優勝記念パーティーを開いた。この英会話学校有志による飲み会は、よく開いているが、いつもは30人近く集まる。ただ、今回は、タイミングと時間的な問題と阪神タイガースファンという限定的部分もあり(参加の制約はしていなかった。)、参加者は12人と少し寂しい感じがしたものの、少ない人数なので全員同席になり、いつもと違って声の聞こえる範囲でみんなと話が出来て逆に親近感を感じることが出来た。話題は、はっぱり阪神タイガースのことが殆どで、日本一になるための戦略、村上ファンドの仕掛けによるタイガースの上場問題、日本一後の祝賀パーティの話など、話がどんどん飛躍していった。ただ、現実的に言うと阪神タイガースが日本一になるとは限らないので、あくまで夢のある仮定での話であるものの、お酒も一杯入っているので楽しいことこの上ない。それから、うれしがり屋で単純な僕は、参加者全員にポケットマネーで阪神タイガース優勝記念紅白饅頭を配った。(下の写真)2003年の優勝の時は、こういった形で優勝記念飲み会をしなかった(身近な仲間が少なかった。)が、1985年の優勝の時は、リーグ優勝は「紅白饅頭」、日本一の時は「タイガース饅頭」を知り合いの阪神タイガースファンに配ったものであった。その時は、21年ぶりの優勝であったので、21年に一回のことであるから、かなり奮発したのであった。今回は、2年ぶりの優勝で、今の阪神タイガースの実力からして毎年優勝争いに加わることは間違いなく、可能性として2年に1回くらいのペースになるかもしれない。そうなると、1985年の時のように大奮発は出来ないかもしれないが、いや、やっぱり単純な僕は、毎年同じことをするかもしれない。(笑) いずれにしろ、我が阪神タイガースが優勝して、今回のように仲間が集まり、ワイワイガヤガヤ美味しい酒を飲めることは、僕の人生にとってこの上ない幸せなことである。今日の飲み会では、一次会の後、二次会でいつものようにカラオケに行き「六甲おろし」を思いっきり歌ってきた。次は、日本一祝賀パーティーである。


2005年10月10日 19:12:16
家での初めての洋菓子作り
学校で習った技術を試す意味で、家で初めての洋菓子を作った。比較的基礎的な簡単なものを選んだ。昨日は、カトルカー(いわゆるバターケーキとかパウンドケーキと呼ばれるもので、カトルカーとは、フランス語で4分の4という意味で、バター、砂糖、薄力粉、卵の4種類が同じ分量使われているということである。)、今日はシュークリームを作った。カトルカーは、味、形とも大体のイメージ通りに出来たと思うが、オーブンの違いかもしれないが、学校で作ったようにしっとり、しっかりしたものにはならなかった。どちらかというとパサパサしたものになった。しかし、1回目にしては合格点であったように思う。(ふくらみ方が、学校のものと比較して足らないような気がしたので、焼成時間をレシピより5分長くしたが、結局それは間違いであり、上がかなり焦げてしまった。)問題は、今日作ったシュークリームである。結果は、失敗といえる。まず、シューのほうであるが、1回目は、生地を練っている時に少し堅いと思ったので、あえて分量を超える卵を追加した。すると、逆に柔らかくなりすぎた。仕方ないので、そのまま絞り袋で絞ったが、やはりだれてしまって平面的になってしまった。焼いた後の結果は、予想通りに膨らまず、平面的なものになってしまった。もう一度することにした。(当初から10個分焼くつもりであったので失敗は別として)2回目は、1回目の経験が生きて巧くできた。今後する時は、1回目のような失敗はしないと思う。次にクリームを作った。これも失敗した。牛乳の分量を倍の料にしてしまったのである。一応は、クリームとしての格好はついているものの非常に柔らかいものになってしまった。それと、大きな影響はなかったと思われるが、最後に入れるリキュールの量も倍にしてしまった。牛乳の量が多かったのを気付いたのは、作り終わってからである。何故こんなに柔らjかいのかと考えているときである。要するにレシピの5人分と10人分をごちゃ混ぜにしてしまった。まあ、これも経験である。次からは、失敗しない。しかし、自分は非常に注意力散漫である。何をしている時もこういう失敗をよくするのである。もっと落ち着かなければいけないと思う。かなり慌て者の部分ががある。少し、計算能力が弱いのかもしれない。極力気を付けるようにしたい。いずれにしても、2日間の経験は、必ず次に生きてくると思う。シュークリームも失敗作であったものの一応は食べることの出来るものであったので、1回目ということで目をつぶろう。しかし、カトルカーにしろシュークリームにしろ、プロが作ったものとして売ろうと思えば、絶対に売り物になるものではない。プロになるかならないかは別としても、もっともっと自分で作ってみて試行錯誤でいいから経験を積み重ねることである。同じ学のでも巧くなった方が良いに決まっているのでとにかく頑張ろうと思う

  

左写真 カトルカー 出来上がった時の状態でなく、内部のふくらみ状態を見るために切って撮影。上部は、かなり焦げた感じになっている。学校で作った時は、よく膨らんで上部が2つに割れていた。(オーブンの原因なのかもしれない。我が家のオーブンは、電子レンジ兼用のオーブンで上下の温度調節能力はない。)
右写真 シュークリーム  手前右のシュークリームは、クリームが柔らかすぎるため、クリームが少しだれてきている。全体的は形は、らしくなっていると思う。あくまでらしくである。


2005年9月25日 19:30:26
古印亭 勝丸  独演会
今日、英会話学校を通じて友達になったアマチュア落語家「古印亭 勝丸」の独演会に行って来た。前半の出し物は「稽古屋」、後半は「大丸屋騒動」という二話をされた。特に後半の「大丸屋騒動」は、大変な熱演でプロ顔負けといっていいほどのもので思わず話の世界にのめり込んでいくが如くの迫力であった。彼は、大学時に落研に所属しており、以来40年のアマチュアキャリアである。また、彼は、ドイツ語が堪能でドイツ語でも落語をした実績があるとのことである。今日の会場は、千日前のワッハ上方であったが、100名以上の観客が詰めかけていた。プロではないので彼の友人関係が主体と考えられるが、彼の人柄がしのばれるようである。 彼は、前記と同じように英会話学校で友達になった人であり、その英会話学校では、様々の方面の人が来ており、英会話を習う以上に人との出会いということにメリットがあったように思う。リンク集に載せた「SKY」いう姉妹DUOの歌手も英会話学校での友達である。他には、大学の先生もおり、医者の卵もおり、看護士さんもおり、普通のサラリーマンもおり、その他、多方面の人と利害関係がなく色々なお話が出来ることは、非常に楽しいし、好奇心を満たしてくれるのである。ちなみに古印亭勝丸さんは、コイン関係の仕事をされている。
英会話は上達しなかったが、それ以上に友達がたくさん出来たことは、高い月謝を払った以上の成果があったように思っている。


                      

                           古印亭勝丸 独演会 会場


2005年9月25日 18:43:58
英会話学校東西親睦会と愛地球博
僕は、平成15年の11月半ばまで英会話学校に通っていたが、四苦八苦しながらも中級クラス下のレベルまで修了させて(レベル的には、とても中級クラスではなくテスト時の傾向と対策が当たり修了することが出来た。)辞めたが(上のクラスには到底ついていけないと感じ次に進むのを断念。)、その時に知り合った仲間と現在も交流がある。その交流の一環として関西と関東の交流親睦会が東西の幹事のお骨折りにより実現した。23日に名古屋で合流し愛地球博を見物し、夜に合同の親睦会をした。 
万博は、終了まで後3日となっていたので駆け込み入場者が多いのか大変な人であった人気パビリオンは、何時間も待たなければ入れない状態で、並ぶのが嫌いな僕は、空いたパビリオンにしか行かなかった。全体的には、雰囲気を味わった程度であった。とにかく、広大な会場で1日ではとても回れなく、効率的に回るために事前に下調べをしておくべきであったと後悔しきりであった。あっちぶらぶら、こっちぶらぶらとかなりの距離を歩き棒が足になってしまった。また、朝出てくるのが早くて寝不足気味で昼食時にビールを飲んだことから眠くなり、見物そっちのけで会場のベンチで少し寝てしまった。年を取りたくないものである。
万博会場を後にして名古屋駅近くで東西親睦会が7時半過ぎから開かれた。関東約20人、関西約10人のメンバーで、関東と関西のメンバーが顔を合わせるのは初めてである。でも、その辺は、僕を除いてみんな若いのですぐうち解けたようである。(僕も気が若いこととアルコールが入ると陽気になるので、すぐにとけ込むことが出来た。)こういった形で、見知らぬ人たちと交流出来ることは本当に素晴らしいことだと思う。地域も違い、職業も違い、育った環境も違い、殆ど利害関係がなくフランクに話が出来ることは非常にエキサイティングでもある。今後もこういった形で交流の場があれば積極的に参加したいと感じた。残念ながら、体力的に少しきつかったので最終の新幹線で大阪へ帰ったので、その後の盛り上がりに参加出来なかったことに悔いが残った。また、次の機会にみんなと交流出来るのを楽しみとして余韻としておくことにした。


    

                   混み合う愛地球万博会場 日本館前


2005年8月25日 17:57:15
映画「亡国のイージス」
24日に学校へ行った帰りに時間があったので久しぶりに映画を見ることにした。封切り当初から見たいと思っていた「亡国のイージス」という映画を見た。日本のイージス艦(イージスとはギリシャ語から来る無敵の盾という意味である。)が、某国(はっきり表現しないがたぶん北朝鮮を想定)のテロリストに乗っ取られ、アメリカの開発した1gで東京を全滅させることが出来る液体爆弾を某国の工作員が米軍から盗み出し、それをもって東京を破壊すると脅迫するシナリオである。某国が脅迫をして何を要求するのかが、自分自身聞き逃したのかもしれないが、はっきり判らなかった。原作者の言いたいことは、日本の国防に対して警鐘を鳴らしていると考えられる。確かに絶対的に平和ほど大切なものはない。だから、我が国の憲法第九条は、世界でただ一つの戦争をしないという誠にもって崇高な憲法で世界に誇れる憲法なのである。しかし、当然のことながら我が国の国防政策がすべてこの憲法によって策定されていることが、現実的な問題において非常に矛盾をはらんでおり、雁字搦めに金縛りにあったような感じで対外的に何も出来ないと言うのが現状であると思う。この映画でもその辺の我が国の実情を見据えられるというか舐められて脅迫されるのである。この映画では、真田広之演ずるヒーローの活躍で大事には至らずエンディングを迎えるが現実にこのような問題が起こった場合は、人的にも金銭的にも大きな被害が出るであろう。まあ、映画はあくまでフィクションであり、テロリストがこんなに巧くイージス艦に潜り込めるかは大いに疑問であるが、現在の日本の国防上の問題を考える場合は、攻めることは出来ないのはもちろんであるが、守ることもさえも出来ないということは、フィクションでなくても十分起こりえることだとであると思う。極端に言うと相対的に日本国民は平和ボケしているような部分があると思う。そんな部分から考えれば国を守るということにおいては、日本は亡国、すなわち滅びているという言い方も出来るのである。専守防衛という言葉があるが、この映画の中にも、その言葉について考えさせられるシーンがある。現在の日本の考え方であれば、敵とおぼしき相手と遭遇した時、相手の戦意を全体的様子で確認して、相手が攻撃してきたら反撃するというものである。しかし、死と背中合わせの戦争行為の中で冷静に相手の様子など確認出来るはずがないのである。(自分は戦争に行ったことがないので断定は出来ないが。)この場合、相手が目標をはずした場合は当然反撃が可能なのであるが、命中したなら反撃など出来ないのである。これでは、何も守りにはなっていない。守るというのは、やられる前にやるということであると思う。あるいは、攻撃される前に、相手を攻撃するまでもなく相手の戦意を喪失させるのである。この相手の戦意を喪失させることが専守防衛ということであると僕は思う。この映画のシーンでは、ヒーローの部下が、敵を見つけて即座に打った。(もちろん、敵も銃を持っていたが、戦意はなかった。)ヒーローが部下を叱り、相手の様子を見てから撃てという。次のシーンで部下は、次の敵と遭遇した時、上官の命令を守り一瞬躊躇し、結局相手に撃たれてしまうのである。敵(中井貴一が演ずる亡国工作員のリーダー)は、「戦争とはこういうものだ」と言うシーンがある。この辺のシーンが、今の日本の国防上の問題について問題提起している部分である。色々な考え方があると思うが、基本的には話し合いによる平和的解決が良いことは判りきっているが、話し合いが決裂して相手が無条件に攻撃してきたらどうするのか。ミサイルが飛んできたらどうするのか。仮に北朝鮮を仮想敵国にした場合、ミサイルが日本に飛んでくるまで15分くらいしかないはずである。だからMD(迎撃ミサイルデフェンス)は絶対に必要である。あるいは、相手の戦意を喪失させる意味において抑止力という概念を念頭に置き核配備する。もちろん、今現在はアメリカの核の傘の下にいるわけであるが、日米同盟を遵守しアメリカが核を盾に日本を守ってくれるかは非常に疑問に思っている。あくまで自分の国は、自分で守らなければならないと思う。アメリカは、日本と同盟を結ぶことがアメリカにとってメリットがあるから同盟条約を結んでいるだけで、もし、日本の誇る経済力が地に落ちてしまったら果たして継続して同盟を続けていくであろうか。アメリカは何も慈悲の国ではないのである。基本的には、国防にしろ食糧(自給率40%)にしろ、自分の国は自国自身で守らなければならないと思う。少し問題点がアメリカとの関係にそれてしまったが、この「亡国のイージス」を見て、ひしひしと日本の国防ということを考えさせられた。イージス艦は、確か一隻2千億円ほどすると思う。そんなに高い血税を使ってイージス艦を配備しても法整備が不完全な状態であり宝の持ち腐れである。何も、戦前のように侵略戦争をするために軍備をするのではなく、あくまで国民を守るため、国を守るために軍備するのである。もちろん武力に訴える前に話し合いをするのは基本中の基本である。しかし、例えば北朝鮮のようなまともに話し合いが出来ないような国だって存在するのである。北朝鮮のやり方は、核というナイフをちらつかせて脅迫しながら金を出せといっているのと同じである。(まさにやくざのやり方)国家ぐるみで他国人を拉致する、麻薬を輸出する、偽札を作るなど善良な国家の呈をなしていないのである。そんな国が我が国のすぐそばにあるのである。だから油断してはならないのである。何も戦争を仕掛けるのではなく、相手の戦意を喪失させるような政策をとるのである。それが積極的な専守防衛である。今回見たこの「亡国のイージス」は、我々国民に国防ということに問題提起した映画であると思う。最近、やれ戦艦大和だとかが話題になっているようであるが、平和は良いに決まっているが、その平和を守るために我々国民は何をすべきか、何を考えるべきかの問題提起をしているのであると思う。何も軍国主義復活を煽っているのではないことを認識しておくべきだと思う。(可能性として、極右の人たちは、軍国主義復活を考えている人がいるのかもしれないが。) 今回見た「亡国のイージス」のあらすじは、書かないが、僕のお薦めの映画である。


2005年8月4日 15:20:47
またまた嬉しい新聞記事
今日の新聞にまたまた嬉しい記事が載っていた。料理をすると頭が生き生きして老化や認知症の予防になることが研究の結果判ってきたというのである。だから、自分の今している料理専門学校に行って料理を習うということは、将来の自分の健康に対して非常に良いことをしているということである。別にそんなことを考えて料理を学んでいるわけではないのであるが、たまたまそういうことになっているのである。自分でいうのもおかしいが、自分自身知らず知らずのうちにトレンディーなことをしているわけである。自分自身本能的に先を読む力かあるのかな?なんちゃって。冗談は別にして本当に嬉しいことである。また、料理を学ぶについて張りが出来たわけである。以下、その新聞記事である。


2005年8月1日 23:28:13
37年ぶりの夏休み
37年ぶりの夏休みが始まった。正確に言うと7月30日から8月28日までの30日間である。休みそのもので言うと3年2ヶ月の長期休みをとているのであるが、学校に通ってでの夏休みは少し感覚的に違う。この夏休みの過ごし方は、レジャーについては、南アルプスへの登山を1回するのみで、後は何も予定はないし遊ぶつもりもない。とにかく、日課としては、料理の基礎技術の練習を毎日しようと思っている。理想をいうならば、この夏の間にみっちり腕を上げて、夏休みの明けの実技テストでは、先生をあっといわせてみたいと思っている。とりあえず練習計画を立てているが、今日はオムレツ(本番では失敗するのが明らかであったのでフライパン上で塩の入った袋での練習のみ)、芙蓉、アッシュとシャトー剥きの練習を行った。芙蓉は今までで最も巧くできた。焦げなかったし返すことも出来た。しかし、火力の関係か温度の関係か判らないが少しひっついたので完璧にはいかなかった。次回する時は、そのことを計算に入れて練習してみたい。アッシュで出来た玉葱のみじん切りを使って夕食用にハンバーグを作った。インターネットからハンバーグのレシピをアウトプットして作ったのであるが、分量を間違ったが作り方が悪かったか判らないが、柔らが過ぎてハンバーグ上に丸めることが出来ず、仕方ないのでシャモジでハンバーグをすくってフライパンの上にそのままのせた。焼き上がったらまずまずであったし味もそこそこだったので満足ではなかったが、よしとした。しかし、何をするにも頭で考えるのは簡単であるが、実際に作ってみると難しいものである。まあ、失敗しても試行錯誤しながら何回も練習すれば要領や段取りも判ってくると思う。根気よく続けようと思う。


2005年7月13日 21:42:17
光栄なこと
7月9日の朝日新聞土曜特別版の中に総合力世界一の自動車メーカーであるトヨタ自動車の渡辺捷昭社長のことが紹介されていた。その中に同氏のモットーが掲載されていたが、それが光栄にも僕のモットーと全く同じであったのである。僕のモットーは、「明るく、楽しく、元気に」であるが、同氏のは、「明るく、楽しく、元気よく」なのである。元気の部分の「に」と「よく」の部分が違うだけである。世界一の自動車メーカーの社長とモットーが同じなのは、僕にとって本当に光栄なことである。方や世界のトップエグゼクティブ、方やしがない無職無収入の年配者。世間的な知名度、信用度、社会的立場からすれば比ぶべくもないし同じ言葉でも全く重みが違うかもしれないが、そんなに偉い人と凡人である僕の考え方が同じということは、僕にとっては本当に光栄であり嬉しいことである。但し、元気の部分の「に」は、現役を引退したような余生をどう送るかという意味が強いのに対して、「よく」は、現役バリバリで現役をいかに過ごすかという意味が強いような気がする。勝った負けたの話ではないが、元気の部分に関して僕が負けているような感じなので、「よく」を含んだ「に」ということで自分自身これからも頑張っていきたいと思う。


2005年7月10日 20:02:51
頑張れ若者
料理学校に通い始めてから、自分の子供くらいの現代の若者について色々感じることがあり一部書いてきたが、結構自分になついてくれた若者が、学校内でのことや家庭内のことで色々悩んでいたみたいで、退学することになったようである。(確定ではないが)自分としても話を聞いてやったり慰留したりしたが本人の意志は固いようであった。この若者は、非常に真面目な若者で、自分で弁当を作ってきたり、学費はアルバイトをして払っているとも言っていた。礼儀も正しいし目上の人や年上の人に対しての言葉使いも最近の若者には珍しくきちっと出来ていた。しかし、芯はしっかりしているものの、少しおとなしすぎて控えめで気の弱い部分もあるようであった。そんな部分で結構生存競争が激しい感じがするこの学校が嫌になった部分もあるのかもしれない。自分としては、そんな好青年が退学することを説得して止められなかったことを非常に残念に思っている。生存競争が激しいのは、就職して実社会に出ても同じであるし、その辺の部分が判っていないのかもしれない。その辺をアドバイスしてあげたのであるが本人の意志は固かった。しかし、男子が一旦決断した以上、その決断に責任を持たなければならないので、その辺のことを考えた上での彼の決断であると思うので、自分としては、今後の彼の頑張りを祈るばかりである。  頑張れ若者!! 負けるな若者!!


2005年7月10日 19:36:42
「はよせんかい」の意味
「はよせんかい」という言葉は、小さい時、父の手伝いをした際によく言われた言葉である。この言葉は、良いにつけ悪いにつけ自分自身の人格形成に大きく影響した言葉ではないかと思っている。何故、今この言葉の意味を噛みしめているかというと、料理学校での授業の中で先生がその助手や我々に四六時中言っている言葉であるからである。自分の父は、洋菓子職人であった。それは、洋菓子職人であろうが料理職人であろうが、その種の仕事は、直接お客様を相手にしている仕事である。だから、お客様を待たせてはいけないということが基本となっており、しいては迅速に仕事をこなさなければならないのである。この年になって初めて父の言っていた「はよせんかい」の意味がわかった次第である。父は、職場での部下教育と同じことを自分の家庭に持ち込んで自分の息子を教育したのである。この教育方法は、自分で言うのはおかしいが、すこしおっとり系の自分の性格から、何でも速くしなければという観念から、すごく慌て者の性格にさせてしまった。その部分が短所とすれば、長所は、物事を速くしようと思えば一生懸命しなければ出来ないことから、結果は別としても何事も一生懸命取り組むことが出来るようになっている。長所と短所の差引は、ケースバイケースで何とも言えない。料理学校に通学し始めてひょんなことから29年前に他界した父のことを思い出すと同時に、父の四六時中言っていた言葉が理解出来たのである。


2005年6月26日 15:02:14
岡本健氏の講演会「今やらんとあかんのや−人生は百回でもやり直しがきく」
このホームページでは、原則的に個人名や固有名詞の記述は控えているが、本も書かれており某経済新聞のコラム欄にも実名で書かれていることもあったので実名で紹介したい。昨日の昼から尼崎商工会議所の会議室で岡本建氏の講演会「やったら出来る・やり直し人生」があり拝聴に行った。自分の今置かれた境遇にも共通点があり、非常に興味を持つと共に何か同氏の話から今後の自分の人生展開において参考になることがあれば是非吸収したいと思った。同氏は、36年間の裁判官として務められ、その間、1985年、死者79名という都市災害史上最大の惨事「天六ガス爆発事故」の一審判決を裁判長として言い渡されるなど活躍された。1993年の還暦を機に退官(停年を5年余して)され調理師学校に入学された。その学校が僕の今通っている学校であるである。同氏は、僕の12年先輩になるのである。同氏は、学校卒業後に4ヶ月ほど新地の料理屋で修行された後、自分の料理店を開業された。その後、10年間続けられたが、体力の限界を感じられ本年4月に店を閉められた。裁判官から料理屋の主へのあっというような劇的転身の話を2時間に渡って聴かせて頂いた。 講演会終了後、同氏の出版本「今やらんとあかんのや−人生は百回でもやり直しがきく」サイン入りで購入させて貰った。この本は、これから読むつもりであるが、この講演会に沿ったものであろう。PHP研究所から出ており1冊税別1400円である。現在の僕の境遇からいえば、非常に参考にもなるし非常に勇気づけられる本である。もし、同氏や僕と同じような境遇で転身することややり直すことで悩んでおられる方がおられるのであれば、この本はお奨めだと思う。

「今やらんとあかんのや−人生は百回でもやり直しがきく」表紙


講演会における同氏の言われる結論は大雑把にはこうである。
1.やり直しで次やろうとすることに1年生の気持ちで基礎から勉強する。
2.一度にすべての技術を取得出来ないので、地道にこつこつと努力する。
3.心も体も健康なこと。

講演会の最後に質問を受けて下さったので内容的に失礼な部分があるやもしれないので、もしそうであればお許し願いたいとの前置きで質問した。次の通りである。(僕の今後のことを判断する場合においては重要な問題である。)
「転身して料理屋を始めるについて、それは、生活の手段として始められたのか、生きがいとして始められたのか。」
同氏の答え「もちろん、年金が出る年齢であったが、年金以上の生活をしたいこともあった。だから生活手段半分。また、生きがいとしても始めたかったが半分です。」ということで飾り気がなく純粋な謙虚な気持ちで答えて下さった。本当に同氏の人柄をひしひしと感じ取れた。(質問内容からして嫌な顔をされるのではないかと内心びくびくしていた。)こういう人生経験豊富な人とこの場でだけではなく、また、場所を変えてお話が出来たらと思った。同氏の答えから自分の境遇に置き換えると非常に悩むところがある。同氏の場合は、成功されたのであるが、新しいことを始めようとする場合、必ずリスク(この場合は金銭的リスク)が伴うのである。成功する確率は、50%以下の確率だと自分は考えている。食べていくだけ以上の豊かな生活をするためと生きがいを求めるために50%以下の確率にチャレンジ出来るかのかどうかである。失敗すれば極端に言えば食べていけなくなりもっと極端に言えば死を意味するのである。非常に悩むところである。もっともっと色々な経験を積んで、また同氏のような経歴は無理でも信頼出来て協力して貰える人脈を持てるように模索していくことが自分の今後の課題であると思った。


2005年6月19日 20:16:28
若貴の醜い争い
話の内容の詳細は知らないのであるが、テレビで今話題になっている「若貴の醜い争い」のことである。たぶん、遺産相続のことでもめているのだと思う。やっぱり人間は、一般的に金のことになると醜い争いをしてしまうのかな?? 自分自身は、そんな経験がないから何とも言えないが、その場になってみなければ自分がどういう態度をとるのか判らない。(幸いというか、もめるほどの遺産は残していない。)今回のケースを考えてみれば、草葉の陰で亡くなった双子山親方は苦り切っているであろう。僕が考えるに、このような場合、どうすればベターかというと、遺産を残さないことがベターであると思う。それでも、遺産が残ると思えば公に認められる遺言状を書いておくことである。とにかく、僕的に言えば、遺産を残さないことがベストであると言い切りたい。親の子供に対する責任と義務は、最低学校を出るまで子を立派に育て上げることである。(最終学校は、大学であるか、高校であるか、中学であるかは子の選択であるものの出来るなら大学でありたい。)子が学校を卒業して社会人になったら、子が働いて金を稼ごうが、働かなくて無収入であっても基本的には、親の責任範囲外のことである。ましてや、遺産など残してやる必要など全くないのである。親は、自分で一生懸命働いて貯めたお金を死ぬまでに全部使ってしまうべきである。(葬式代くらいは残しておかなければならないが。)全部使うことは、何も悪いことではない。自分の汗水を垂らして稼いだ金なのである。また、残したところで喜ぶのは、子と国だけである。ただ、金を貯めるのが趣味で幸せを感じるならそれはそれでよい。(その人の価値観であり、誰も冒すことは出来ない。)しかし、その場合は、絶対に遺言を書いておくことである。金があれば何でも出来て幸せかというと一概にはそうは言えない。ただ、ある程度のことは、金がついて回るのであればあるにこしたことはないのである。とにかく、自分で稼いだ金は、自分の責任を義務を果たした後は、全部自分で自分の楽しみのために使うべきで、子孫の為に残す必要はない。だから、僕は、自分の責任と義務を果たし終えて残った金は、全部自分の楽しみのために使う。人間、寿命の計算まで出来ないので、僕は現在の計算根拠として平均寿命で計算して、死ぬ時に葬式代を残してゼロになるように計算している。(計算通りに行かない可能性が強いが。)そうして、自分のモットーである「人生、明るく、楽しく、元気に」実践していくつもりである。今回の双子山親方のケースは、あまりにも若死にだったから、僕が考えるような訳にはいかなかったかもしれない。それは、死んだ人間の最も悔いの残る部分であったであろう。さらに、子供達のあの醜聞。兄弟仲良くしなければならないが、子供達(若貴)の人間性にもよるが、親が子供達の争点を残したとも言えなくはない。あくまで僕流であるが、世間の子供を持つ親の皆さん、親の責任と義務を果たした後は、自分で稼いだ金は、全部自分で使い切りましょう!!


2005年6月18日 18:29:19
楽しい懇親会
昨日、学校が終わってからクラスの有志で懇親会をした。英会話学校の有志と2ヶ月に一度くらいのペースで懇親会をしているが、年齢層からいけば圧倒的に今日のメンバーの方が若かった。それぞれの年代の人たちと、このような形でコミュニケーションがはかれるのは非常に有意義だと思っている。そんなに堅苦しい話はしないでワイワイガヤガヤと騒ぐだけなのだが、本当に気持ちが若返り楽しいと感じることが出来る。まあ、フランクにコミュニケーションを図っているので、そんな面から言えば、相手の年が若かろうが年配であろうが関係ない面もある。とにかく、意義だとか何だとか堅苦しく考えるまでもなく、楽しい時間jが持てればそれでいいのである。色々な分野の色々な年齢層の人たちとこうしてコミュニケーションをはかれる自分は、本当に幸せ者である。


2005年6月16日 0:28:38
心強い新聞記事
6月7日の某経済新聞に下の写真の記事が出ていた。僕と同じ志を持っている人がいるということで大変心強く思った。前にも同様の記事が出ていたので掲載しましたが、その第二弾というところです。


2005年06月12日 日曜日 19:25:06
この2日間
この2日間は、比較的体をよく動かした。昨日は、久しぶりに家の掃除をした。僕は、掃除をするのが嫌いであまり掃除をしないが、あまり掃除をしないと埃が溜まっているのが目に付きだし仕方なく掃除をするのが現状である。今日は、猫の額ほどの庭の梅の木がぐんぐん伸びてきて目障りになってきたので、その木の散髪をした。それと同時に害虫が一杯付いていたので殺虫剤を散布した。その後、シャワーを浴び、それが済んでさっぱりしたところで缶ビールを1本飲んだ。夏になってきて、汗をかいた後のビールは本当に美味い。やっぱり美味しいビールを飲むためには、よく体を動かして汗をかくことである。しんどいことをした後の休息と飲食は最高である。人生論につなげてしまうが、楽ばかりすれば美味しいものも美味しくなくなる。苦があるから楽が倍加するのである。人生にはメリハリが必要である。上りもあれば下りもある。苦しいこともあれば楽しいこともある。だから人生は楽しい。面白い。 てなことを思った2日間でした。 
我が家の裏は、たんぼなので間もなく田植えをひかえ水が引かれた。すると蛙の合唱が始まるのである。梅雨が始まり夏がそこまで来た感じがする。


2005年06月11日 土曜日 19:47:55
現代若者模様
授業中に感じた現代若者模様を書いてみてみる。日本には、20代前後の若者がたくさんいるが、そのたくさんの中には、様々の個性をもった若者がいる。元気のある若者、不良の若者、おとなしい若者、自己中の若者、悪い若者、やさしい若者など、表現を変えれば色々な若者がいる。だから、授業中に感じた若者観は、はっきり傾向を示しているのかどうか判らないし、一部の不心得者のために礼儀正しく頑張っている若者に対して失礼だと思うのであるが、とにかく、良くないことの方が目に付くし目立つのである。平均的若者の正確な評価とは言えないが、昨日、次のようなことを感じた。
全員ではないのであるが、授業中眠たくなったら堂々と頭を机にうつぶせて寝ているのである。我々の若い時代は(こんな言い方は、我々の若い時代も年配者から言われてきたので、自分も年をとった証拠である。)、必死に寝るのをこらえたものであるし、今もそうである。堂々と寝ている者はいなかった。先生から学問を学ぶにおいて失礼極まりない。さらに、日頃活発に質問をしない者が、先生が黒板に書いた字に誤りがあった時に鬼の首をとったまではいかないまでも、事細かに指摘するのである。先生が略字を書いており、完全にその字が類推出来るにも関わらず指摘するのである。指摘すること自体間違いとは言えないが、日頃の自分たちのやっていることを考えてから指摘すべきだと思う。先生も人間だから間違うことだってある。それを、意味が類推出来るのにいちいち指摘するのは、思いやりに欠けると同時に自分の姿が判っていないのである。この辺全く自己中心であり、自分にしてみたら全く腹立たしい。こういうのが現代若者模様なのだろうか。そうであって欲しくない。自分の正しくないことを見極めずに、人のした間違いを思いやりなく指摘する。こんなこと自己中心の何ものでもない。侮辱的な厳しい言い方になるが、今まで見てきた感じとしては、あまり生徒のレベルが高いとは言えないので、悪いところばかり目に付くから、ますます若者のすることに懐疑的になってしまうのである。もちろん、真面目に頑張っている若者もおり、全部が全部不心得ものではないのである。日本全体の平均的若者が、今自分が感じているような若者達でないことを祈りたい。将来の日本を背負って立つ若者達よ、自己中心でなくバランスのとれた思いやりのある元気な人間に成長してくれ!! でないと、我が日本は駄目になる!!


2005年06月10日 金曜日 0:25:19
日本サッカーチーム 2006年ドイツワールドカップへ
日本サッカーチーム 2006年ドイツワールドカップ出場決定おめでとう。昨日、北朝鮮を2−0で下し世界で一番早く出場を決めた。前回は開催国であったので無予選出場であったので、実質2回目の実力での出場である。昨日は、日本全体がこの話題で盛り上がった。自分も素直に喜びたいが、今回の試合は、前回までの試合のように自分自身盛り上がらなかった。何故かというと、こんな言い方をしたら選手に大変失礼だと思うが、状況からして出場決定は前回のバーレーン戦で決まったようなものだからである。試合では、何が起こるか判らないのであるが、北朝鮮とは実力の上でも明らかに上であるし、最悪引き分けでも出場が決まるからである。人間(自分と言うべきか)なんて勝手で無責任なもので、負けたら負けたで文句を言うし、楽に勝ったら感動は薄れるし、出場が決まったら少しさめてしまうし、本当に欲を言えば、苦しんで苦しんで勝った時が最も感動的なのである。もちろん、日本の出場が決まって嬉しいのであるが、ワールドカップ本戦では、もっと苦労して苦労して勝ち続けてほしいものである。(選手諸君、簡単に言って申し訳ない。)


2005年06月09日 木曜日 1:28:11
練習後の素材を利用した夕食の支度
今日は、学校で特訓練習をしないで家に帰ってきて家でした。大根の桂むき、じゃがいものシャトーむき、魚の三枚おろし、だし巻き卵の四項目。中でも大根の桂むきが難しい。また、だし巻き卵は、学校のフライパンと家のとでは違うので半分練習にはならない。(学校は鉄、家はテフロン加工したもの)しかし、何事も慣れなので条件は別として、方法さえ間違っていなかったら十分練習になると思う。練習後の材料を捨てるのはもったいないので、それを利用して夕食の支度を自らすることになった。大根の桂むきを使って「大根サラダ」、魚の三枚おろしを使って「鰺のムニエル」、だし巻き卵は、そのままおかずになる。シャトーむきのじゃがいもを使って味噌汁にした。これで一汁三菜のおかずが出来た。ムニエルの作り方は知らないので、三枚に開いた鰺に塩と胡椒をふりかけ、小麦粉をまぶし、フライパンで焼いた。ただそれだけのことである。鰺の味は、まずまずと思ったが、少し魚の臭みが気になった。こういう場合は、レモン汁でもかけたらいいのかもしれない。(?)大根サラダは、桂むきしたものを(巧くできておらず、太くて短い)きざんだだけ。味付け海苔と山葵を入れ和風ドレッシングをかけて食べた。味噌汁は、じゃがいもと大根を入れただけで、出汁は出汁の基を使った。だし巻き卵は、形は学校でして失敗したようなスクランブルエッグ状態にはならずに普通の形に出来た。テフロンだからひっつかないので非常にやりやすかった。 今後、今日のように家で練習した場合は、練習後の素材を使って、自ら色々な料理にチャレンジしていきたい。


2005年06月07日 火曜日 1:06:28
「力み」肩に力が入りすぎている
自分は、新しいことをする時、必ずと言っていいほど力んでしまうのである。今日も、大根の桂むきを学校で練習している時に先生から指摘を受けた。意識が強すぎるのか、緊張してしまうのか、自分で判らないのであるが、力みすぎて何をするにもうまくいかないのである。自分でいうのはおかしいが、真面目過ぎるのかもしれない。もっとリラックスして取り組めばいいのであるが、何とかしなければならない、巧くしなければならないとか、何とか」成果を上げなければならないとか、結果を求めすぎるような傾向があるようである。どんな取り組みをするときも、どんな新しいチャレンジをするときも、張り切りすぎるというか、要するに力みすぎて結局フライングをしてしまうようなことも多くあった。それが自分の個性というか性格なのかもしれないが、長所の部分もあるかもしれないが、短所の方が大きいであろう。生まれてからこの方ずっとこの性格で殆ど変わっていない。変わらなければならないのであるが、変わらないのである。死ぬまで続くかもしれないが、色々試行錯誤しながら、変えていこうと思うが、変わらないかもしれないが、とにかくその辺の自分の性格を意識して頑張ろうと思う。真面目に考えすぎずに、多少ルーズくらいの気持ちで取り組んでもいいかもしれない。とにかくリラックス、リラックス!!!!


2005年06月05日 日曜日 15:01:38
○5回目の誕生日
昨日で○5回目の誕生日を迎えた。物理的な年齢は、確かに○5才なのであるが、精神的年齢は、25才で止まったままで全く動いていないのである。しかし、肉体的な衰えは顕著に現れており、強烈に感じているのが、老眼である。どんどん進んでいるようである。また、自覚症状はないものの生活習慣病や膝の具合が悪いなどの体力の衰えである。仕方のないことである。しかし、精神的には若さを保つものの肉体的には、努力してもどうにもならない部分があるので、その部分は、逆らわないで素直に受け入れて、肉体的老化と仲良くして無理をしないようにしようと思う。一方精神的部分は、若い頃にもまして若さと元気を持続していきたいと考えている。老いてますます盛んというようにやりたいものである。


2005年06月05日 日曜日 14:27:01
3日連続の飲み会
6月2日、3日、4日と飲み会が続いた。2日は、20年来の朋友、3日は、関西LSC(主にリタイア後の人たちが集まって、老後の人生を海外でのロングステイで楽しもうということで発足した親睦団体)総会があり、総会には出席しなかったものの、総会後の親睦会に参加したもの、4日は、英会話学校の友人達との飲み会であった。それぞれ異なる分野での飲み会であるが、朋友とか若い人から中高年まで、色々な人と交流出来るということは楽しくもあり、幸せなことである。今後もこういったことで交流を広げていきたいと考えている。

昨日の英会話学校の友人達(非常にバラエティーに富んでおり、大学の教授、サラリーマン、医者の卵、歌手の卵、俳優の卵、学生、フリーター、薬剤師、看護士、OLなど実に多彩である。)との飲み会は、毎回そうなのであるが、二次会としてカラオケに行った。前回は、オールナイトカラオケになってしまったが、今回は、ほどほどに帰るつもりであったものの、1杯飲むと調子が出てきて、とうとうまた今回もオールナイトカラオケになってしまった。途中で1回眠くなり、うたた寝をしてしまったが、再び元気がでてみんなと一緒に楽しんだ。しかし、若い人ばかりなので、まったく歌うジャンルが異なり合わせて楽しむのは大変であったものの、楽しいことは楽しかった。若い人たちの歌う歌の中でも、いいなあと思う曲もあり、若い人たちから盗むのではないが、5曲ほど練習してみようかな思った。結局、帰宅したのは、翌朝の7時であった。もちろん、帰宅後すぐに寝て、起きたのが12時頃であった。


2005年05月29日 日曜日 10:49:38
癒される大人のおもちゃ「ぷりちゃん」
この可愛い人形は、ただ者ではないのです。450ものフレーズを喋る優れものの癒し人形なのです。名付けて「プリちゃん」。玩具メーカーのバンダイから発売されている。商品名は、「プリモプエル」で、価格は約8千円程度(グレードにより何種かあるらしい。)まさに、子供のおもちゃというより大人のおもちゃである。人形の中にセンサーが入っており、頭をなでたり、手を近づけたり、顔を近づけたり、握手したりすると可愛い声で喋るのである。そして、21時過ぎになると「もう眠い」と言って寝てしまいます。(朝まで起きず、なでても反応しません。)喋る言葉は、これまた癒しなのです。「最近?疲れてるの」「最高!!」また、しつこく触ると「しつこないなあ」、長い間放っておくと「寂しかった」等とも言います。何種類か、記憶させると、その言葉に応じて答えてくれます。例えば「ただいま」と言ったら、「おかえり」と答えてくれます。(これは、学習をさせなければいけません。種類も限定) てなことで、我が家では「ぷりちゃん」が大人気です。本当に癒してくれます。そして、世話はかかかりません。電池さえあればいいのです。仕掛け人形であると判っていても、可愛いものです。私の母などは、本当に気に入って、しょっちゅう「ぷりちゃん」と遊んでいます。(笑) 子供だましのようなおもちゃですが、忙しい現代人にとって本当に癒されるおもちゃだと感じました。


                            おちゃべり人形「ぷりちゃん」


2005年05月28日 土曜日 23:50:18
日D協会総会&親睦パーティー
自分は、日本の民間とヨーロッパの大国Dを結ぶ日D協会に入会しているが、昨日、その総会が某一流ホテルであった。協会の会長は、プロ野球の球団も持っている某有名食品メーカーのオーナーである。総会では、今年度の行事予定の承認がなされたが、その中の行事でD国料理実習企画があり、くしくも自分の今通っている料理学校が会場になるとのことなのである。会長と料理学校の校長が懇意であることからの会場提供とのこと。何か不思議な縁を感じた。自分は、本会においては、新入会員であるので、自己紹介をさせられたが、その時、堂々とその料理学校の学生であることを言っておいた。その後、会長に挨拶をして名刺を交換した。(前日に自分個人の写真入り身分明記の名刺を作っておいた。)別に同じ人間であるし、どうこうないのであるが、やっぱり有名なオーナー社長と名刺を交換出来るなんて、少し感動したし嬉しかった。親睦パーティーには、ドイツ人とアメリカ人の若い美人女性も参加していた。自分は、少しアルコールも入り気が大きくなって、その女性達に片言のドイツ語と英語で話しかけて、写真を一緒に撮って貰うことをお願いした。女性達は、嫌な顔一つせずに素直に応じてくれた。単純な自分は、またもや感動。今習っている初歩的なドイツ語も通じたし、英語も聞き取ることも出来、少しだけ話すことも出来てますます嬉しくなった。後で考えると本当に自分は単純であると思う。

       

         ドイツのキャベツ料理                  両端ドイツ女性、左から2人目アメリカ女性

        

            両端ドイツ女性                  両端は会員、右から2人目はドイツ語の先生


2005年05月25日 水曜日 0:46:39
最悪の筋肉痛
筋肉痛は、生まれて初めての最もひどいものとなった。二の腕裏側の筋肉がパンパンに張って、腕を曲げたら貼った部分に圧力がかかり無茶苦茶痛いのである。こんなこととにかく初めてである。何か炎症でも起こしたのかと思うくらいである。今日学校の帰りに、塗り薬を買ってきて塗ったが今のところ効果なしである。下着を脱ぐ時も痛くてなかなか脱げない。まあ、時間と共に回復すると思うのであるが、とにかくひどい状態である。


2005年05月24日 火曜日 2:24:37
筋肉痛で体はガタガタ
5月21日から2泊3日の合宿から無事帰った。しかし、無事は無事なのだが、筋肉痛で体はガタガタなのだ。軍隊並み(?)の厳しい訓練があり、その中に体力作りのトレーニングもあり、日頃から鍛錬しているのなら大したことはないのであるが、何も日頃運動をしていない自分にとって大変なものであった。特に腕立て伏せの影響で両腕の筋肉がパンパンに張って自由に動かせない。まあ、何と情けないことか。総合的な訓練教育内容は、20歳前後の人向けのプログラムであり、自分のような中高年には向かないのである。しかしながら、ここまで年を重ねてきたとは言え一緒に訓練を受けていると忘れていた原点というか基礎的なものが多く、今更ながらに忘れてしまっていることが多いことに気づき、心新たに勉強し直しという気持ちが湧いてきた。まさに原点に戻って頑張ろうという気持ちになった。ある意味で、この3日間は、これからの自分の人生の原点というかスタート地点になるかもしれないと感じた。合宿の内容は、学業日誌に書きたい。また、3日間のブランクがあり、阪神タイガース奮戦記などアップしていないが2〜3日中にアップする予定。


2005年05月21日 土曜日 1:22:34
風邪
明日から学校の合宿というのに風邪をひいてしまった。僕の風邪は、熱が出ないので休まなければならないと言う状態にはならない。しかし、咳が長く続くのである。とりあえずは、咳止めの薬を飲んでいるが、回復するのには少し時間がかかりそうである。明日からの合宿は、かなりハードな部分があるみたいなので、心配であるが、何とか頑張りたい。


2005年05月15日 日曜日 23:40:55
年を取ると
土曜日は、中学時代からの無二の親友と久しぶりに会い昼食を一緒にした。まあ、色々な話で盛り上がったわけであるが、話の内容の中心を占めるのは、これからどう生きていくのかということである。どう生きていくかと言っても食べるのにどうしたらいいかというような切羽詰まったことではなく、自分自身のモットーである人生を楽しむと言うことで、どう生きていくかということである。僕も友人も人並みに精神的にも物質的にも何ら問題はなく(パターンはそれぞれ違うが。)、平均寿命から言えば人生の三分の二以上生かせてもらっているので、問題はリタイアした後、どう生きるかが焦点になっているのである。(僕は、半分リタイアしたとも言えるかもしれないが。)誰でもとまではいかないまでも、それなりに年を取ってくると考える問題である。肉体面、精神面、金銭面のどの部分をとってみても健全であることが、これからの人生を楽しく過ごすことにおいて必要条件となってくるのである。そんな話をしていると次から次へと議論が出てくるのである。極端なことを言えば、これから先、個人的にも日本全体的にも世界的にもどう変わっていくか判らないのであるが、最も確定させやすい個人的なことから出来る限り計画的に自分の考え通りに人生を送ることが重要であると思う。(個人的にも不確定な部分はある。いつ交通事故に遭うかもしれなし、いつ先日のJRの事故のようなものに遭うかも知れないし、とにかく判らない。それが人生なんだけど。すべて先のことが判ったら誰も苦悩しない。)僕も友人もほぼ近い考え方を持っているように思う。僕のモットーは、このHPのテーマである「明るく、楽しく、元気に」である。さらに、一瞬一瞬、一日一日を大切に生きていくこと。これからも死ぬまで延々とこういったテーマについて考えていくことであろう。年を取って多少の酸いも甘いも辛いも苦いも判ってきたからの自問自答なのかもしれない。(いずれにしろ、そういったことで、ああでもない、こうでもないと議論出来る親友がいるのは大切な宝物である。)


2005年05月15日 日曜日 20:45:28
すし屋の職人
11日に友人と飲みに行った時、すし屋に行った。そのすし屋の職人が実に不愉快な奴であった。態度としては、どちらが客か判らなく、客の方が職人に気を遣わなければいけない始末。よくテレビのグルメ番組で料理の名人が客に対して食べ方まであれこれと指図する。また、客が従わない場合は、帰ってくれということまで言う職人がいる。今日の職人もそんな態度。初めて行く店であるが、注文の仕方が判らないので言葉で言ったところ、紙に書いてくれと恐い顔をしていわれた。いったい何様のなのか。僕は、頭に来たが友人は何とも思っていなかったらしい。今、学校で接客方法も学んでいるが、教えられていることは、とにかくお客様第一なのである。お客様が、お金を払って食べに来てくれているのに、尊大な態度は許されるべきではない。この日に行ったすし屋は、まあまあ安くて美味しい店であったものの二度と行かない。あんな職人の態度では、美味しいものも美味しくなくなってしまう。結構はやっていたが、極端なことをいえば、常連客はマゾヒストか余程その職人のファンなのかとしか思われない。(そんなに男前でないしキップのいい職人とは思えない。)まあ、色々な嗜好の人間がいるから、僕の言っていることが絶対的に正しいかどうかは判らないが、常識的に言えば正しいと思うが、一般大衆はどう思うかな?


2005年05月15日 日曜日 20:39:54
6日ぶりの更新
久しぶりの更新である。先週は、2回、友人と飲みに行った。飲みに行って帰ってくると疲れており更新する気力がなくなるのである。トップページに日々更新としているが、随時更新に変更した。また、毎日書くだけの特徴的な話題もない。


2005年05月10日 火曜日 0:45:32
多忙
多忙などと偉そうなことを言えるほどではないのであるが、7日は、自主練習で学校に行き、その夜は、英会話学校の友達の壮行会で夜遅くなり、8日は町内会の清掃、午後からは運転免許証の更新、また、テレビで阪神タイガースの野球中継を見たり、充実していると言うのかどうか判らないが、バタバタしていた感じ。その間に、携帯電話をPHS電話(インターネットを繋ぎ放題で出来る)に買い換えし、その設定に時間をとられたりした。まあ、ストレスのない多忙だから、たまにはいいことではないであろうか。


2005年05月05日 木曜日 20:22:53
大峰山系大普賢岳登山
昨日と今日の2日間で大峰山系の大普賢岳(海抜1780メートル)に登ってきた。昨日は、キャンプ場に行って泊まるだけ。今日は、朝の5時に起きて朝食後頂上に向けて出発。2時間半ほどで頂上に到着。最近とみに体力が衰えているので、リーダーのS君に頼んで比較的楽なコースにして貰ったのである。登山を重ねる毎に体力の衰えを感じる。日頃の運動不足と年のせいであろう。また、両膝の調子が悪く、特に下り坂になると大変である。こんなところにも肥満の影響が出ているのである。とにかく痩せなくちゃ。とりあえずは、ハーハー言いながら14時頃に無事出発地点の和佐又キャンプ場に帰ってきた。休憩、昼食を含め7時間弱の行程であった。いつもよりソフトな行程であったので、いつも問題を起こす両膝と靴づれ、足の指先の黒ずみ(内出血)はなかった。帰りは、いつもパターンで帰途上の温泉に立ち寄り一風呂浴びてきた。疲れた体に温泉はとにかく最高である。これで、風呂上がりにビールを飲んだら最高なのであるが、自動車なので残念ながら自重した。年に2〜3回のペースで登山しているが、登っている時は、いつも何でこんなしんどい思いをしながら登らなあかんのやと思うのであるが、下山して数日経つと又登りたいなあという気持ちが起こる。山とは不思議な魅力がある。

和佐又キャンプ場 大普賢岳頂上(同行のS君と)
   

2005年05月03日 火曜日 22:43:00
大阪市営ニュートラム(テクノポート線)のアホな料金
昨日の食博覧会に行った時のことである。日本橋からコスモスクエアまで地下鉄ニュートラムに乗ったのであるが、その料金の高いことに目をむいてしまった。何かの間違いじゃないかと思うくらいである。(日本橋から大阪港まで270円で、日本橋からコスモスクエアまで480円になる。)大阪港駅と南港の中ふ頭駅までが、別路線のテクノポート線になるのであるが、海底トンネルを通っている。距離はほんのわずかである。確かに建設費は高くつき、その分が高いのかもしれないが、非常に矛盾のある料金体系である。南港には、WTC、ATCなど大阪市の第三セクターが巨額の費用を投じて建設したものがあるが、空き率が高く巨額の赤字を出し続ける建物になっている。しいては、建設資金の融資を債務免除や税金を使っての補填や今や大阪市、大阪府を揺るがす大問題になっている。とにかくお役所仕事なのである。誰も責任を取らない。WTCやATCの利用率を上げるのには、交通アクセス料金を安く設定すべきなのである。それが、あんなに高いことは、全く何をもって計画を立てているのであろうか。本当に計画を推進したものは、アホの一言に尽きる。WTC,ATC周辺は、まだまだ手つかずの空き地が多くあるのである。アクセスは、便利なのであるが、あれだけアクセス料が高かったら企業誘致は無理である。マンションを建設しても売れないであろう。その辺をもっと考えるべきである。今からでも遅くないから、1日も早く大阪市内並みの運賃にすれば空き地の問題やWTC,ATCの利用率も上がるに違いない。全くもって無責任きわまりないお役人連中に任せておいたら、大阪市、大阪府はもとより、日本国も駄目になってしまう。もっと責任のあるお役所や役人になってもらわねばならない。


2005年05月03日 火曜日 22:29:14
回転すし
今日の夕食は、外食で回転すしに行った。感じたことがある。通常ファミリーレストランなどに行ったら、食べきれないのでよく残している人がいるが、回転すしでは、食べ残しをする人は殆どいないようである。統計的に日本人は、食べ物の20%は、食べ残しなどで捨てているらしいのである。世界には、貧困で食べるものもろくろく食べることが出来ない人も多くいるのに全く贅沢で罰当たりなことである。そんなことから、今日、回転すし屋で従業員が食器の後かたづけをしているのを見て残飯がほとんどないことが目に付いたのである。回転すしは、客足の回転もいいし、客の食べ残しもない。店側、客側、省資源的にも非常にすぐれたシステムである。食事するムードとかコミュニケーションの一つとしての食事の場合を除き、ただ空腹を満たすだけであれば、他の外食産業も是非このシステムを取り入ればいいと思うのであるがどうであろうか。


2005年05月03日 火曜日 18:26:46
05食博覧
昨日、インテックス大阪で開催されている「05食博覧会」に行ってきた。先月の28日から開催されているが、ちょうと行った時、25万人目の入場者がイベントステージの上で記念品を贈呈されていた。結構の入場者である。1日5万人平均である。学校から無料の入場券を貰っていたので、その券で入場した。全国各地や様々な食に関するメーカーなどが出展している。関西電力のイベント会場では、我が校の職員や生徒が料理のイベントの手助けをしていた。また、「かつみとさゆり」という比較的売れっ子の吉本の芸人がイベントの進行をしていた。各ブースでは、殆ど有料であったが、試食品の販売をしていた。無料のものはあまりなく、がっかりした。しかし、各ブースとも試食品を買うために並んでおり、自分も試食品を食べたかったものの、並ぶのが面倒なので殆ど試食しなかった。ロイヤルホテルのブースでスパゲッティを販売しており、待たずに食べることが出来たので食べたが、せっかくの一流ホテルのスパゲッティーであるが、簡易的に作っているものだから、あまり美味しくなかった。博覧会全体的には、あまり盛り上がっているような感じを受けなかった。(自分自身あまり感動しなかったということである。)


2005年04月30日 土曜日 22:18:16
冷えたビールの美味い季節
夏を思わせるような暑い日であった。この暑さと共に冷えたビールの美味い季節到来である。何と言ってもビールは、喉が渇いている方が美味い。最も美味いのは、体を動かして思い切り汗をかき、シャワーを浴びた後飲むよく冷えたビールである。これは、アルコール類があまり好きでない僕にとっても美味しいと感じさせる。ただ暑いだけでは、ビールは美味くないのである。今日は、昨日書いたように、しなければならないことをこつこつとした。大掃除とまではいかないが、かなり厳密に家中を掃除した。結構スローモーなので半日かかってしまった。作業中、何回もお茶を飲み、また汗をかき、またお茶を飲むパターンであった。終わってから、夕食までの時間に缶ビールを1本飲んだ。実に美味かった。僕は、アルコールはあまり強くないので1本が適量である。2本飲むと最近の体調からして、後で体に倦怠感を感じるので1本が一番よい。何でも人生訓につなげてしまうのであるが、印象に残る美味しいもの、楽しいことなどは、苦労して目標を達成した時や体をいじめて適度な疲れを感じた時、苦境を克服した時などに特に感じるものである。これからも、苦労もするし、体もいじめるし(鍛えるという意味)、目標を持って達成もしていく。そして、美味しいものを特に美味しいと感じ、楽しいことも特に楽しいと感じるような過ごし方をしたいと思う。


2005年04月29日 金曜日 19:16:39
しなければならないことが多すぎて
入学してから2週間以上経つが、家でしなければならないことが溜まった。掃除をせないかん、庭の掃除と草抜きをせないかん、包丁研ぎをせなかん等と、あれもせないかん、これもせないかんということで何から手を付けていいか判らず結局何もしなかった。自分では、そうずほらな性格だと思わないのであるが、欲張りなのかもしれない。欲張ってあれもこれもしようとするのがいけないのかもしれない。ちりも積もれば山となるが如くに、こつことと積み上げて地道にやっていくことである。言うが易しということもあるが、地道にこつことやっていくことを心がけようと思う。


2005年04月26日 火曜日 23:37:09
人間の運命
昨日、JR福知山線の尼崎地区で快速電車が脱線し大惨事になった。現在75名の人が亡くなったとニュースが伝えていたが、犠牲者の方々がお気の毒に思うと同時に冥福を祈りたい。その中でも、将来のあった若い人たちのことを考えると何とも言葉の言い表しようがない。色々な夢があり、やりたいこともたくさんあったろうに、死ぬのが早すぎるのである。非常に残酷である。何故そうなってしまうのか。運が悪かったと言うことだけでは割り切れない。しかし、運が悪かったのである。そんなことを考えると人の命の儚さや無常を感じざるを得ない。自分の意思でどうにも変えられない運命。今こうして書いている自分ですら明日はどうなるか判らないのである。そんなことを思うと、将来のことを色々考えることも必要なことだとは思うが、今の1分、1秒を大切に明るく、楽しく、精一杯生きることが最も重要なことだと改めて認識されるのである。何かの運命のいたずらで、今回の事故の犠牲になった人たちの冥福を心から祈ると同時に、来世で明るく、楽しく生きていかれることを念じてやまない。 合掌


2005年04月24日 日曜日 19:57:48
雑草
桜が散って生き生きとした若葉が伸びてくる新緑の季節。我が家の庭も例外ではなく、新緑や花などが咲いてみずみずしい庭になっている。そして、もう一つ。これは、あまり歓迎されないのであるが、雑草もぐんぐん伸びてきているのである。とにかく、雑草は強い。抜いても抜いても、また生えてくるのである。根負けしてしまい放っておくと伸び放題になり手が付けられなくなる。そうなると、今度抜く時は、蚊と戦いながらの草抜きとなるのである。早い目に抜いておかなくてはならないが、不精者の自分は、なかなか手を付けない。しかし、今度の連休の時に草抜きをしようと思う?? それから、木に殺虫剤をまいておかないと、これまた大変なことになる。猫の額ほどの庭なのであるが、緑や花は目を癒してくれるものの手入れは大変である。目で見て楽しみながら、花や木の成長も楽しむ方法を模索して、庭の手入れが苦にならないような方法を模索していかなければならない。


2005年04月24日 日曜日 0:15:46
見るとするでは大違い
何事でもそうなのであるが、見ているのと実際に自分でしてみるとでは大違いである。今日は、学校は休みなのであるが、自主練習で教室を開放してくれるので登校した。まだ研げていない包丁を研ぐためである。(もちろん先生も来ている)かなりの人数の出席者があった。しかし、難しい。包丁を研ぐことについて見ていると簡単に見えるけど実際に研いでみると非常に難しい。おまけに大したことはないが、指を切るし(切ると言うより削れる)、さんざんである。これは自分に限ったことではなく、他の人も切っていた。まあ、最初から巧く研げる人はいないと思うので焦る必要はないのであるが、地道にこつこつやるしかない。そのうちに、こつも判ってくると思う。頑張ろう。


2005年04月21日 木曜日 23:47:37
味覚
学校での講義の中で、料理人として美味しい料理を作るための味覚を磨くにはどうしたらよいかということについて、先生は、「一流の美味しいものを食べさせる店に行って、そこの料理を食べること」と言っておられた。味覚は、そうして磨かれるのだそうだ。独りよがりでは駄目なのである。自分の好き嫌いで料理を作っても万人には喜ばれない。だから、客観的に誰もが美味しいというものが美味しいのである。今後、出来るだけ美味しいものを食べて味覚を磨かねばならない。しかし、反面健康にも気を遣わなければならないので、どうバランスさせるか真剣に考えていきたい。


2005年04月20日 水曜日 17:07:51
良きアドバイス
一昨日、しのさんが掲示板に投稿してくれたのであるが、専門学校で学んでいることについて、非常に参考になり、勇気と意義づけられる良きアドバイスをしてくれた。たまたまであるが、今日の学校の授業でも食に関してのトレンドとしてヘルシーということが関心を引いていると先生が言っておられた。要するに、贅沢病というか過食過栄養で万病の元になる高血圧、糖尿病、高脂血症などが非常に増えているのである。しかし、食の楽しみというのは、人間なかなか抑えられないもので、ついつい美味しいものを食べすぎてしまうのである。自分自身もそのひとりで、このホームページの「健康」ページに書いている通りである。このようなことで、大きな目標が出来た。もちろん、料理技術は磨かなければならないが、それと同時に「ヘルシーで美味しくて少量でも満腹感のある食(いくらヘルシーでも食べ過ぎたら何にもならない。)」を創造するということを目標にしてみたい。簡単には、目標達成は出来ないかもしれないが、頑張ってみたい。


2005年04月19日 火曜日 23:48:50
初夏の感じ
昨日今日と非常に暑かった。暑くなると同時に、水分の摂取量が増えてくる。(当然のこと)まして、学校に行って一生懸命授業を受けているので尚更喉が渇くのである。まあ、このまま夏になるのではないと思うが、現在通学中の学校は、狭い上に人数が非常に多いので余計に暑く感じる。特に、更衣室は、非常に混雑するので熱気むんむんで余計に暑さを感じる。まあ、自分自身の今の気持ちは大変張り切っているので、余計に体が熱くなるのであろう。これから来る夏が思いやられる。


2005年04月19日 火曜日 0:10:12
大暴落
親友の予想が見事に当たって株価が大暴落した。明日からの動きが、また注目である。もっと下がるのか、反発するのか。どうか判らない。今の状態であれば、すぐには反発しないと思う。とりあえずは、メインの株は売却した。しばらく様子眺めでおとなしくしているつもりである。それにしても素人の自分にとって非常に難しい。何が起きて大暴落するか判らないし、大高騰するかもしれない。だから面白いのかもしれない。これも人生、人生色々!! 明るく、楽しく、元気に生きましょう。


2005年04月18日 月曜日 0:08:57
名前書き
○十年前のことが思い出される。小学校へ入る時、持ち物全部に名前を書いて貰った記憶がある。今回の専門学校入学も年齢こそ違え、することは殆ど同じである。まして、全学生の持ち物は同じなので名前を書いておかなければ他人のものと区別がつかなくなる。何だか総てが新しいことばかりで気持ちもフレッシュに引き締まってくる。持ち物に名前を書きながら、ワクワクするというか、何十年も忘れていたような気持ちが蘇ってきた。今後どのように人生が変わるかは全く判らないが、その結果は別として、一つの節目として新しい世界に飛び込むことは甘くはないと思うが、悪くないとも思った。これからも、何でもマンネリに陥らず、常に好奇心を持ってチャレンジしていくつもりである。


2005年04月16日 土曜日 20:20:12
中国動向の影響
無二の親友がメールで貴重なアドバイスをくれた。中国の動向次第(反日デモからの波及で中国全体を揺るがす基幹的な問題に発展の可能性)で、株価が大きく下げる可能性が出てくるということである。今保有の株の処分をどうするか悩むところである。とにかく、株価というのは、日本を含めた世界の出来事で良くも悪くも過敏に反応する。その意味で、世界情勢を逐一把握することは、ドラマチックで非常に面白い部分もあるが、反面非常に恐い。特に株を持っていれば尚更である。一種の博打的要素もあるし(博打より確立は遙かに高い)、自分の感性を研ぎ澄まさなければならない。自分自身もっともっと勉強する必要があるとつくづく思った。


2005年04月15日 金曜日 21:37:31
気分最悪
昨日に続き株価がさらに下落。ニューヨークの株式下落の影響大。そして、阪神タイガースの3連敗。気分最悪の状態である。いずれもあなたまかせの事柄なのでどうしようもない。何事も生きて動いている限り必ず波があるものである。人生は山と谷の繰り返し、引き潮と満ち潮の繰り返しである。一喜一憂の繰り返しなのであるが、それが人生のメリハリでもある。悪い時はずっと続かないし、良い時もずっと続かない。悪い時には、忍耐力と希望を捨てない強い気持ちを持つことである。雲の上には、必ず真っ青な空があるのです。株価と阪神タイガース。いずれも大した問題ではない。ふと、今日感じたことである。


2005年04月14日 木曜日 21:33:49
株価
今の僕の生活の命綱である株価が連日下げている。どうしたことか?? 何だかんだ言いながらでも、また元に戻ってくれることを信じているのであるが、基本的には人間の心理が大いに影響を及ぼす博打だから、どうなるか判らない。だから、逆に面白い部分があるのかもしれない。人生は、もっと確定要素が多いものの、博打まではいかないが、株と少し似た部分がある。だから、人生、苦しいこともあるけれど、楽しいこともあるから面白い。何事も諦めずに頑張ればいいのである。何とかなる。


2005年04月14日 木曜日 0:32:48
入学式
○十年ぶりの入学式であった。13時から大阪フェスティバルホールで行われた。式の内容は、和太鼓と浄瑠璃のステージがあった。大阪ということを印象づけるようなイベントである。その後、学園長の長い長い40分くらいに渡る式辞。次に新入生代表の宣誓(全国各地から来ているようである。中国からも一人来ていた。)。次に、これは、この学園のユニークな儀式なのであろう、週番交代式が軍隊式に行われた。外国の宮殿に於ける衛兵の交代式そのものである。何故あのような交代式がセレモニーとして必要なのか不思議であった。学園としての独自性をだすものであろう。学園長の式辞の結論としては、「当学園で料理を学ぶと同時に人格も大いに成長させてほしい」ということである。学校を出て就職した後の成否は人格が最も大きく影響を及ぼすと力説された。もっとも、この辺は、若い人たち向けの式辞であり、僕のような中高年向けではないことは確かである。しかし、真摯な気持ちで原点に返り学んでいきたいと思った。以降、学校でのことは学業日誌に書いていきたい。


2005年04月12日 火曜日 23:07:06
染髪
明日は、料理専門学校の入学式である。明後日から授業が始まる。生徒は、殆どが高校を卒業したばかりのティーンエイジャーである。その中での奮闘となる。べつに格好を付けるつもりはないが、少し若返るために頭髪の白い部分を染めた。しかし、髪の毛の薄さまでカバー出来ないのであるが。ずっと家にいたら髭は飲み放題だし、容姿はまったく構わないのであるが、やはり日常的に外へ出て行くについては、少しは容姿を整へなければと感じる。そして、少しの緊張感と気持ちの張りが出てくる。ひょっとしたら、男女や年齢に関係なく適度な緊張感や気持ちの張り、好奇心やチャレンジ精神を持つことは、大切なことではないかと思う。


2005年04月12日 火曜日 0:45:46
ドイツ語講座
今年の1月からドイツ語を習っているのであるが、第1クールの入門クラスが先週終わり、今週から初級クラスに進めたらよかったのであるが、まだその実力がないので、第2クールでも入門クラスをもう一度することになった。しかし、覚えは遅いものの、今日は他に4人ほど新しい人が来ていたので、当然のことなのであるが、その人達よりもスムーズに出来たので気が楽であった。すべて一度習ってきたコースになるので、普通にやっておれば入門クラスが十分マスター出来るようになると思う???


2005年04月11日 月曜日 0:37:28
SKY Live

昨日は、演劇だったが、今日は、ひいきのミュージシャンのライブ。「SKY」という姉妹DUOで、神戸のハーバーランドまで行った。お姉さんの方が英会話学校での仲間。仲間と言っても親子くらいの年齢差である。彼女らのPUREなハーモニーが凄く気に入っている。今日は、彼女達のオリジナル曲3曲とカバー曲3曲の計6曲を歌ってくれた。カバー曲の中で最近のお気に入り曲で一青 窈の「ハナミズキ」を歌ってくれて大感動だった。英会話学校で知り合った人は、色々な分野の人がおり、それぞれの人たちが、それぞれの世界で一生懸命頑張っているのを見るのは、嬉しくもあり、楽しくもあり、自分自身への励みにもなっている。

2005年04月09日 土曜日 23:25:33
演劇鑑賞
生舞台の演劇は、殆ど見たことないのであるが、縁あって英会話学校での交友を通じて知り合った仲間が出演するとのことで、大阪まで見に出かけた。夢とロマンを持って、小さいながらも一生懸命頑張る小さな劇団が、世の中にたくさんあるのであろう。今日見た演劇も、そんな劇団の一つであろう。出演者は6人だけで、場所もビルの6Fの小さな部屋に舞台装置を設置したものである。入場者は30人弱ほどであった。劇の内容は、自分にとって何だか前衛的に思え、よく判らなかったが、出演者が一生懸命頑張って演じているのが印象的であった。今をときめく大俳優達も、小さな劇団で頑張っていた人もいるのであろう。今日の出演者の人たちに叫びたい。夢と希望とロマンを持って、こつこつ地道に頑張って、いつかは大俳優になって下さいよと!!


2005年04月09日 土曜日 12:26:16
映画
入学手続きが終わってから夜に所用(昔よく行ったスナックが閉店するので、そのお別れ会)があるので、それまでの時間潰しに久しぶりに映画を見た。ニコラス・ケイジ主演の「ナショナル・トレジャー」で結構面白かった。やっぱり映画は、テレビで見るより映画館の迫力ある画面と音響で見た方が遙かに感動が違う。入場料は結構高いが、それなりの値打ちがあると思う。映画の内容は、現代版宝探しの冒険活劇といった感じで、そこは映画だから現実離れしている部分もあるものの夢とロマンがあってよかった。


2005年04月09日 土曜日 12:12:11
入学手続き(通学定期)
8日10時から来週から1年かお世話になる料理専門学校の入学手続きがあり行った。主に通学定期の取り扱いについての手続きであった。もちろん、高齢でもれっきとした学生なので当然学割が適用される。この学割料金は、かなり安いので大助かりである。いよいよ来週の13日(水)に入学式、14日から授業が始まる。ひねているけれど正真正銘のピカピカの新入生である。


2005年04月08日 金曜日 0:03:59
嬉しい新聞の記事
今日の某新聞夕刊に、これから自分が行動しようとしていることについて、非常に励まされ勇気づけられる嬉しい記事が載っていた。内容は下の新聞切り抜きの通りである。自分のモットーである「明るく、楽しく、元気に」人生を過ごすための一環として、今月から料理専門学校に入学することになったのである。無職無収入の状態で、学校に入学することには非常に抵抗もあったが、思い切ってチャレンジすることになった。果たして自分自身の行動が正しいのか間違っているのか悩んでいるところであるが、この記事の掲載は、今月からの自分の行動について肯定してくれているようで非常に心強かった。


2005年04月07日 木曜日 0:30:56
CSテレビ放送
CSテレビ放送のSKYパーフェクトTVのアンテナ工事業者が来てアンテナを取り付けて帰った。さっそく今日から阪神タイガースの試合が最初から最後まで見ることが出来るようになった。1ヶ月の視聴料が3350円の定額制である。甲子園に1回行っても、そのくらいかかるので、それを考えれば安いものである。野球の他、映画や色々なものを見ることが出来るが、当面は野球のみとしたい。それから、業者が全く別であるが、UHFアンテナの業者も来て、映りを調整してくれた。国が奨めるテレビの地上波デジタル化の一環で悪影響が出ることの対策であり、費用は国持とのこと。結局ブースターを取り替えたみたいである。サンテレビは元の通りに映るようになったが、テレビ大阪の映りが少しおかしい。もう一度来るといっていたので、その時に調整して貰う。


2005年04月06日 水曜日 10:10:37
地上波デジタル放送
最近、UHFのテレビ大阪とサンテレビの映りが非常に悪くなった。原因が判らないので先日屋根に上がりアンテナを見たのであるが、念のためにケーブルのジョイントをやり変えた。それで少し映りが良くなったもの以前の状態には戻らなかった。テレビ大阪の放送終了後に出るテストパターンの画面に、最近地上波デジタルの電波出力を上げたのでUHF放送の映りが悪くなった場合、カスタマーセンターに連絡して下さいとのことであった。昨日電話をして、今日さっそく見に来て貰うことになった。いずれにしろ、UHF放送の映りの悪い原因は、地上波デジタル波であったのである。


2005年04月05日 火曜日 10:06:34
イースター
昨日は、ドイツ語のゼミナールに行ったのであるが、授業の一環として受講生が
食べ物を持ち寄りイースター(復活祭)のパーティーをした。ドイツ語でOstern
(オースターン)という。ドイツ人の先生が、食用染料でで染めたゆで卵(右写真)
を持ってきていた。ドイツでは、オースターンには必ず出るとのこと。色々、先生が
オースターンのことを話してくれたが、先生が片言の日本語なのであまりよく理解
出来なかった。(もちろん、ドイツ語で喋られたら尚更判らない。)



2005年04月04日 月曜日 2:35:00
単純でお調子者
小生は、何と単純でお調子者なのかと自分自身思う。阪神タイガースが、幸先のいいスタートをきったので、自分自身も調子に乗っしまい、阪神の今シーズンの全試合を全部、最初から最後まで見ることの出来るSKYパーフェクトTVの申込をしてしまった。このままの調子が維持されれば楽しみが倍加するのである。これも楽しく生きるための一環であると理屈付けしている暢気な自分である。阪神の好調が続くことを祈りたい。(ついでにハードディスク付きのDVDレコーダーも買ってしまった。無職で金もないのにようやるで???)


2005年04月02日 土曜日 20:03:51
阪神タイガース完勝
今日はご機嫌。阪神が完勝。阪神タイガースは、シーズン中においては、生活のリズムの一環になるのである。勝てばご機嫌、負ければ不機嫌。全く単純なものである。この辺のことは、小生にかかわらずプロ野球ファン、サッカーファンも同じではないかな。別に勝っても負けても明日からの自分の人生が変わるわけないのであるが、どういうものなのか一喜一憂してしまう。まあ、そんなことが人生のメリハリになっているのかもしれない。人生なんてそんなものなのかもしれない。よく判らないが。


2005年04月01日 金曜日 21:06:51
阪神タイガース 開幕戦を飾れず!!
阪神は、開幕戦を飾れなかった。しかし、いつもほど悔しくない。何だかエキサイトする前に負けてしまったからである。内容的には、完敗だからかもしれない。明日に引きずるような悔しい負け方ではなかったことで良しとしよう。負け惜しみかもしれないが、今日の試合も146分の1にしか過ぎない。一戦一戦大事に戦ってほしい。明日も応援するぞ!!一度甲子園に応援に行く計画を立てないかん。


2005年04月01日 金曜日 11:15:44
飲み会
昨日、S君、I君と飲みに行く。彼らとは、月1回程度飲みに行っている。I君は焼肉が好きで、毎回彼のペースで今回も焼肉。少し飽きてきた。次回は、別のものにすることを提案する。生ビール2杯と焼酎の水割りを1杯飲んだのであるが、焼酎の水割りが濃かったのか、二次会でカラオケに行った時、急にしんどくなり、カラオケもそこそこにダウンしてしまった。もともと弱い酒。年と共にさらに弱くなってきた。しばらく友のへたくそな歌を聴きながら寝たら回復した。年も年だし酒量には気を付けなければならない。今日からプロ野球が開幕。我が愛する阪神タイガースの健闘を期待したい。


2005年03月31日 木曜日 15:26:07
株価
今日は、全体的に少し上がったようであるが、僕が保有している株は、Mが上がり、Fが下がり、結局、前日比マイナス。どうも僕は、博才がないのか、売ったら上がり、買ったら下がりで、ここのとろこ何回かそんなことが続き嫌気がさしている。上がりだしたら、そんなことすぐに忘れるのであるが。人間なんて勝手なものである。今は、株を止めたい気持ちになっているが、上がりだしたら、またどんどんいきだすのである。大怪我しないうちに手を引くべきか??? 世の中甘くないで!! 今日の機嫌直しに、友達と一杯飲むために今から出かけます。


Wednesday, March 30, 2005 10:59:36 PM
ホームページ開設
昨日、このホームページをアップした。とりあえずは、トップページを作り付随する項目ページを設けただけ。中身の書き込みは、これから気長にやっていくつもり。まあ、ホームページを作るは結構面倒だし難しいと思った。試行錯誤しながら色々なテクニックを取得していこうと思う。
さっき日本サッカーは、バーレーンに辛うじて勝った。オウンゴールでの決勝点であったものの、攻めていたからのオウンゴールだから文句はない。苦しみながらも、後3試合を何とか勝ち抜きドイツに行けるであろうと確信した。頑張れ日本!!!